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2018年8月26日 - 2018年9月1日

千島問題の解決は歴史が指し示す方向に従うのが一番の近道。

北方4島と政府は言うが、千島樺太交換条約の前は樺太は日露雑居です。
 
4島言うなら樺太雑居も言わないと一貫性がないのです。
 
千島樺太交換条約は樺太雑居を解消のため、樺太をロシアに譲り北千島全島が日本領とすることを平和的に決めたのです。
 
連合国側が日本に放棄を迫れるのは戦争絡みで取得した領土だけです

連合国側が日本に千島放棄を迫るのは、自ら定めていた終戦処理原則に反するのです。
 
日本はそれを論拠にサンフランシスコ講和2条C項の千島放棄に関する部分の撤回を、関係国に求められるはずです。
 
憲法前文と9条に忠実な国ならできたはずで、千島放棄を迫る根拠は連合国にないはずです。
 
日米安保条約を日米の平和的な友好関係のための条約に変え、日本は外交と自衛隊で自国の領土領空領海を守り切る決意を固めるのです。
 
そうすれば、仮に返還された千島に自衛隊が配備されようとロシアがとやかく言う筋合いはないです。
 
北東アジアの海の平和と安全を、協力して守れば良いのです。
 
外交も憲法に従おうではありませんか。
 
ロシアが千島への自衛隊配備にとやかく言わないようにする必要があります。
 
ロシアに文句言わせないためには、個別的自衛権行使に徹し普段は災害救援隊として活躍した従来の姿に戻って、憲法前文と9条に則った運用をすれば良いだけの話です。
 
何も難しいことはないではありませんか。
 
安倍政権以前のどの政権もやってきたことではありませんか。
 
歴史と憲法を踏まえた外交に、保守も革新もないです。
 
その気になれば野党連立政権で実現実行が可能なはずではありませんか。
 
それをやってくれる野党連立政権が、早くできて欲しいです。
 
それは拉致問題解決前進にも、役立つはずです。
 

野党はできない理由を四の五の言わず、早く結束して政権交代して欲しいのです。
私は何か無理な注文をしているでしょうか。

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パブリックとリパブリックを考える。

洋風居酒屋はパブなどと呼ばれるが、パブリックハウスの略です。

パブリックの主な意味は、国民一般の、国民全体の(ための)、大衆の、公共の、公衆の、公衆用の、公開の、公立の、(政府の仕事をする意味での)公務の、公事の、などがあります。

居酒屋=パブリックハウスとは、大衆の家と言う事になります。

居酒屋=パブリックハウスと言う事は、様々な議論をしあう場でもあります。

日本でこのようなオープンな場があるでしょうか。

いくら格好だけまねても、仏作って魂入れずになっているそんな場所が日本は多くないでしょうか。
公園や広場だってそうではないでしょうか。

公園や広場は本来パブリックスペースなのです。

誰もが気軽に立ち寄って交流しあう場、様々な議論をしあう場です。

パブはそのような空間の一部なのです。

このような空間は、歴史的な背景の違う日本ではなかなか根付かないようです。

70年安保やベトナム戦争反対運動盛んな時、そう言う場が出来かけたが広がらず定着しなかったですし。

だが今、日本でも市民の連帯の輪が広がりつつあります。

日本の文化や風土に合ったパブリックスペースの作り方の模索は、いつ、どのような風に始まり、広まっていくのでしょうか。

しばらくは試行錯誤が続くでしょう。

どのような形、どのような展開になるか、気になるし、楽しみでもあります。

パブリックの前に、再びと言う意味の”リ”を付けるとリパブリックになります。 再びと言う意味の”リ”が、リユース・リデュース・リサイクルの頭の”リ”と同じ意味の接頭辞だと気が付くと、面白いことがわかってくるのです。
       リパブリックの主な意味は、共和国、共和政体、(フランスの)共和制、(共通の目的を持つ人の)…社会、…界などとされます。

パブリックの主な意味は、国民一般の、国民全体の(ための)、大衆の、公共の、公衆の、公衆用の、公開の、公立の、(政府の仕事をする意味での)公務の、公事の、などです。
ここに「再び」を意味する”リ”が付くと、リパブリックになるのです。
政治を、国民みんなの手に、大衆の手に取り戻すのがリパブリックだ、ということでないでしょうか。

リパブリックが政治を、全ての国民の手に、大衆の手に取り戻すことであるなら、まずそこには政治を取り戻す主体としてのパブリックが無ければならないでしょう。
国民みんなが政治を自分の手に取り戻してこそ、本来のリパブリックになる。 違うでしょうか。
参加しないのは自らを余所者や客人の位置に置くのと、どう違うのでしょう。

リパブリックとは、国民全体のために政治を行うために国政の主導権を国民がみんなの手・みんなの力で取り戻すことであり、そのような国を守り抜くことではないでしょうか。
国作りに参加しないのは、自らを余所者や客人の位置に置くことにほかならない。 そう思いませんか。
自らの意思表示をして、参加してこそリパブリックの国民。 そう思いませんか。

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