« 神社の境内はだてに広くなかった。 | トップページ | モーセとイエス。 »

生きやすい社会について考えてみた。

障碍者が、自分はお荷物なのかって不安になる社会って、滅茶苦茶ブラックな働き方蔓延な社会だと思うのです。


万能な人間なんていない、そうじゃないですか。


誰かにどこかサポートされる必要がみんなにある、ちがうでしょうか。


その意味じゃ、みんながある意味では「障碍者」ではないでしょうか。


誰もがそれを自覚して、本当のバリアフリーな社会になれると思うのです。

 

神様は万能とか全能とかよく言われます。


では何で、多くの神様がいたり、天使がいたりするのでしょう。


神様だって、全ての人々を救うために、他の神様や天使たちの協力が必要なわけではないでしょうか。


世界を管理していくのに、他の神様や天使と協力する必要が神様でさえあるではないですか。


まして神様じゃない私達は、どうでしょうか。


誰かに助けてもらって何かが出来る、そうじゃないですか。


自分のしたいことするのに誰かに助けて貰う必要があるのが障碍者なら、100%の健常者ってこの世にいるのでしょうね。


だから、バリアフリーがいるのではないでしょうか。

 

 

多くの人が私は自立しているって、言いませんか。


あるいは、自立しようとしていませんか。

 

でも、水や食べ物や電気やガスや交通や住宅、そして衣料、誰かに助けられてない人ってどれだけいるでしょうか。


まして、病気になったら、誰かに出来れば診てもらいたい、そう思いませんか。

 

自立に誰かの助けがいるのが障碍者なら、私達みんな障碍者、そう言ってはおかしいでしょうか。


誰もが誰かの助けが得られることを前提に生きている、それを前提として考えてはじめて、生きやすい社会に出来るのではないでしょうか。


違うでしょうか。

|

« 神社の境内はだてに広くなかった。 | トップページ | モーセとイエス。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

思想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 生きやすい社会について考えてみた。:

« 神社の境内はだてに広くなかった。 | トップページ | モーセとイエス。 »