« モーセとイエス。 | トップページ | いじめをもとから断つ取り組みとは何だろうか。 »

戦国大名再考。

戦国大名と言うが、領地防衛のための武装集団だったのです。

弱みを見せれば、領地拡大を狙う近隣の大名から狙われるからです。

信長以前の戦国武将は、室町幕府が弱体化したので、自衛権行使のためやむを得ず武装集団化した存在です。

室町幕府にとって代わろうとは、しなかったのです。

 

防衛線や補給路が伸びる事は、下手をすれば弱体化に繋がり攻められる隙を見られてしまうからです。

 

身の丈に合った領地で、満足していたのです。

戦国大名は自分の実力で自分の領地を治める事が、一番の目的です。

 

天下統一を必ずしも狙って行動したわけじゃないのです。

 

むしろ、天下統一を狙う戦国大名の方が、少数派だったと言えるでしょう。

 

国を守る事で精一杯、そのための税負担を求めるためには、領民の機嫌取りをした、それが実態です。

領地防衛の費用捻出のために領民に負担を強いたが、へそを曲げられたら領内が乱れるので、領民サービスの対価として年貢を調達せざるを得なかったのです。

信長の楽市楽座も、その延長線上にあります。

 

信長の小牧山城が、石垣の持った城の始めです。

城はそれまで土を盛り上げたものでした。

信長は天守閣も初めて作ったのです。

なんでそれをしたのでしょうか。

小牧山城は日本初の石垣を持った城だが、作る途中は防衛が難しいはずです。

 

戦国大名が天下統一の先陣争いをしているなら、築城途中に何で攻めて妨害し信長を潰さなかったのでしょうか。

 

むしろ戦意喪失で信長は、戦わずして勝利します。

 

石垣や天守閣が工夫を凝らして競って作られたのも、戦うためより戦意喪失狙いなのです。

自国を守る城から、天下統一を目指す城への転換です。

他の大名も、対抗上石垣と天守閣のある城を作る事になるが、仕掛人が信長です。

信長が、戦国時代の質を変えたのです。

 

信長の天下布武は、弱体化した室町幕府に代わる安定した中央政権を私が作らないで誰が作ると言う、ある種の使命感の現れです。

領地防衛の負担から、誰かが皆を解放しないといけないと言う思いがあったのかもしれないです。

尾張の地は、信長にその思いをなぜ強く思わせたのでしょうか。

それを考えるのも面白いかもしれません。

|

« モーセとイエス。 | トップページ | いじめをもとから断つ取り組みとは何だろうか。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

思想」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 戦国大名再考。:

« モーセとイエス。 | トップページ | いじめをもとから断つ取り組みとは何だろうか。 »