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2019年4月

電磁波と重力波を比べてみた。

電磁波と重力波は、奇妙なほど似た式が登場するといいます。

電磁波は、電気の波と磁気の波の組み合わせでできています。

電磁波では、電気のエネルギーと磁気のエネルギーがまるで振り子のように行ったり来たりしながら、波が進んでいくのです。

重力波は、その電磁波と極めて似た式となるといいます。

だとするならば、重力波も電磁波と似た構造であるはずです。

アインシュタインは重力が引力だけでは宇宙はあっという間に潰れてしまうという事で、宇宙定数をしました。

宇宙定数とは、引力と大きさが同じで方向が反対な存在です。

ニュートンは引力は何処にでもあるという事で、万有引力と呼びます。

つまり、巨大な銀河や銀河団、恒星や惑星と言ったものから、小さな基本粒子に至るまで、引力はあるのです。

ならば、宇宙定数も、巨大な銀河や銀河団、恒星や惑星と言ったものから、小さな基本粒子に至るまであるはずです。

小さな基本粒子では重力は余りにも小さいので、ほとんど考慮されません。

でも、重力が小さな基本粒子では無視して良いほど小さくてもないと言ってはいけないのです。

何故ならば、宇宙定数を膨張宇宙に置き換えるという事は、基本粒子のある時空も膨張していなければおかしいのです。

宇宙開闢から今日まで、基本粒子の世界の大きさは同じだが、時空は膨張しているというのでしょうか。

時空が膨張しているというなら、なんで天体の大きさは影響を免れるというのでしょうか。

矛盾しています。

遠くを見ることは過去を見ることと言いながら、遠くの宇宙ほど早く遠ざかっていくという事は膨張が加速しているという事と主張する、矛盾しています。

挙句の果てに、膨張宇宙と宇宙定数を結び付け始めました。

アインシュタインの使ったのとは別の意味を込めて、です。

宇宙論でもしも、エーテルにかつてと別の意味を込めて復活させようと言ったら、誰がまともに取り合うでしょう。

ご都合主義もいい加減にして欲しいものです。

宇宙定数を言うなら、アインシュタインの原点に立ち返るべきでしょ。

重力には引力と斥力があるから、重力波と電磁波は似た式になるのです。

電磁波で電気の波と磁気の波が直交しているというなら、重力波で引力の波と斥力の波が直交しているから、似た式になると認めるだけでいいのです。

簡単でしょ。

違いますか。

膨張宇宙は、斥力が見せていた幻影に過ぎないのです。

それを認めたくないから、重力に斥力があると言えないなら、これって科学ですか。

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日本語と日本人は何処に遡れるのか。

五十音図を見て、何かを連想できませんか。


元素の周期表です。


日本語の面白いところは、一音だけで一語になっている単語がたくさんあることです。


つまり、五十音図は音素の周期表でもあるという事を意味します。


元素があわさって分子になるように、日本語は一語でも文章になっているのです。


五十音図は行を縦糸とすれば段は横糸、段を縦糸とすれば行は横糸となる、一幅の織物のようなのです。


言葉を紡ぐ、言葉の綾、日本語は一幅の織物のように出来上がっているのです。


日本語は言葉という一幅の布を纏って現れる言語なのです。

まるでエデンの園で神からもらった衣を纏ったアダムとイブ。

縄文人は古代中東で人種が分かれる以前の古代遺伝子を日本にもたらした人々であることを思えば、日本語の根底に聖書を連想できる発想が見られるのは興味深いと言えるでしょう。

更に日本には言霊と言う思想があります。

言葉は現象や存在を写し取るものだが、なぜそれが可能になるのか。

存在や現象には、それぞれに振動がありその振動がもたらす音があります。

言葉は、その音を写し取る事で成立するのです。

日本語はその一音一音に、意味を対応させる稀有な言語です。

存在や現象から写し取った音と意味が呼応している言語が、日本語なのです。

だから、万物に物霊とも言い得るものを見出す日本人は、万物を供養する民族でもあります。

となると、言霊は実は事霊でもあるとなるのです。

言霊は事霊であり物霊でもある、この重層性こそが言霊の言霊たらしめているものなのです。

正に、「はじめに言葉があった、言葉は神とともにあった、言葉は神であった」と言う聖書の言葉そのままではないでしょうか。

アイヌの生活文物が古代イスラエルと、琉球の文化が聖書と、似通っている事と合わせて見ると日本語と日本人、面白すぎますね。

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