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2019年11月

協力の原型は家族にあり。

協力を強めるには、何が必要なのでしょうか。

それを考えてみたいのです。

協力し合うべき相手に向かって、違いをあれこれと言い建てるなら、家族は一瞬で崩壊するのではないでしょうか。

生まれも育ちも違う二人から、家族は始まる、違うでしょうか。

お互いがお互いのいい所や尊敬し合えるところを見つけ合って、協力し合う中で心から一つになりあえて家族は生まれるって事ではないでしょうか。

協力し合う関係の原型は、家族にあるのではないでしょうか。

お互いがお互いのいい所や尊敬し合えるところを見つけ合って、協力し合う中で心から一つになりあえて固く結ばれた共同体は生まれるのではないでしょうか。

数々の共同作業を通じて、やっとお互いの信頼関係や尊敬し合える関係が生まれて来るのではないでしょうか。

やるべきは、より協力関係を強められる一致点を増やす事、違うでしょうか。

お互いの違いは個性と特性として、争いの理由にはしない方が良いのではないでしょうか。

建設的な議論はいくらやっても良いけれど、それにはお互いがお互いから学び合う謙虚さが必要なのではないでしょうか。

考えの押し付け合いではなく、共有している理解を増やす努力を続ける事が大切なのではないでしょうか。

違いは、言い合うだけ野暮、違うでしょうか。

それを承知で、協力し合っているのではないでしょうか。

違いを嫌う理由にしだしたら、どんな関係も一瞬で終わり、違うでしょうか。

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大嘗祭

大嘗祭では、わざわざ内部の作りが同じ悠紀殿と主基殿が作られます。

悠紀殿と主基殿は簡素な材料で質素に作られ、古い時代の神社の形はこうであっただろうと連想出来ます。

大嘗祭で見落とされがちなのは、悠紀殿と主基殿が大社造りな事です。

大社造りと言えば、大国主命を祀る出雲大社の様式ですね。

しかも、それが二つ並べて作られ、それぞれの千木が内そぎの女千木と外そぎの男千木なのです。

女千木と男千木、つまりこれは陰陽を意識して悠紀殿と主基殿が作られていると言う事なのです。

具体的には、東西南北、上旬下旬、春夏秋冬、午前午後、前後左右、などを表し森羅万象をつかさどる八百万の神々を表しているのです。

森羅万象の八百万の神々と天皇が会食する儀式が、大嘗祭なのです。

天皇が悠紀殿と主基殿で神々と会食するのは大社造りの本殿に当たる場、伊勢神宮の方角に向かって神々と会食するのが大嘗祭なのです。

天皇の神々と会食をする場所の傍らには、寝座があります。

寝座はさまざまな憶測を生んでいるけれども、寝座は神座に通じ、この空間が神の場である事を示しているのです。

神道は基本的に偶像は作らない、そこで何らかの象徴で暗示するわけです。

霊の世界に入る事は、しばしば眠りに例えられます。

安らかにお眠りくださいなども、その一例ですよね。

それで寝座は、神座ともなるわけです。

新嘗祭も収穫を喜ぶ天皇と神々の会食だが、大嘗祭は新任天皇が神々と初顔合わせする儀式のようなものと言えるのではないでしょうか。

もちろんシンボルだから、他の解釈もあり得るでしょうけども。

なお天皇が神社をかたどった悠紀殿と主基殿の本殿にあたる場で神々と会食出来るのは、天皇が祭司それも最高祭司だからなのです。

大嘗祭とは、最高祭司としての天皇の座にこれから就く際の神々に対する就任パーティーのようなものではないでしょうか。

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沖縄の精神的な文化の元は聖書なのか。

ディアスポラボランティアと言う言葉が、近年使われだしています。

ディアスポラは、ユダヤ人が世界中に散らされた事を指して使われる言葉として知っている人はいるでしょうね。

ディアスポラは、ヘブル語で「散らされた」を意味する言葉なのです。

ディアスポラボランティアでは、ヘブル語の「散らされた」と言う意味に注目して使われているのです。

具体的には「移民の子孫が先祖の国でするボランティア」の意味で、使われているわけです。

でも、日本は彼らの居場所がちゃんと作れる国なんだろうかと、私は不安になります。

曲がりなりにも出来るのは、過去に多くの移民を世界中に送り出してきた沖縄くらいなものかもと感じるのです。

ウチナンチュウネットワークとも言うべきものが移民の子孫を中心に世界中に広がっているが、そこで生きている精神が”ゆいまーる”です。

ウチナンチュウは、沖縄の人って意味で地元の人たちが好んで使う言葉です。

元々は循環的だった”ゆいまーる”は、今や見返りを求めない助け合いネットワークになりつつあると言います。

”ゆいまーる”の”ゆい”はつながることで”まーる”は循環するって事だから、元々の意味は仲間うちの助け合いと言うことです。

その”ゆいまーる”が、これまでのつながりの枠を超えた助け合いのネットワークに展開していると言うのです。

沖縄の文化には不思議な位聖書に近いものがあるが、これもかって感じですね。

見返りを求めない助け合いの世界的なネットワークになりつつある”ゆいまーる”、私はなぜか聖書を思い出します。

聖書には、あなたの隣人を愛し惜しみなく助けて互いに一つになりなさい、と言う教えがあるからです。

まさに”ゆいまーる”の展開は、この聖書の教えと重なって見えるのです。

どこまで聖書的なんでしょう、沖縄って。

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御所と太陽の船?

京都御所の紫宸殿、内部は一間で天井板は無く屋根裏は船底天井なのです。

これ、ひょっとしたら船を現すのでしょうか。

気になるのは皇祖天照大御神を祀る伊勢神宮に、御船代がある事なのです。

これ、偶然でしょうか

神社は、たいてい屋根は板葺です。

鳥居、拝殿、本殿、祀られるのは太陽神を頂点とした神々です。

まるで神社が、太陽神の船に見えて来ませんか。

神道と古代エジプトの似ているのは、太陽神を頂点に動物神を交えた三神構造で神々が祀られるところです。

日本の神社の配置は古代エジプトの神殿に似るが、神像が無く賽銭箱がある点が違うだけなのです。

ファラオも天皇も、太陽神の末裔とされるのでしたね。

紫宸殿は右近の橘と左近の桜の背後にあり、一番奥に玉座の高御座、この構図は神社に似てないでしょうか。

紫宸殿の前の右近の橘と左近の桜は、鳥居に見立てても良いのでないでしょうか。

そうなると気になるのは、紫宸殿は大きな一間の船底天井の内部に拝殿と本殿が配されるのはなぜかなのです。

紫宸殿は、太陽の船を現すのではないでしょうか。

菊花紋の正体は、古代中東の太陽神紋でありアクエンアテンが復活させようとしたアテンなのでしょうか。

古代エジプトでとん挫したアテン信仰を、古代エジプトの神話大系でカモフラージュしたのが日本の神話の神々だったのでしょうか。

もっと探索が必要なのは、確かですけどね。

古代エジプトとの奇妙な類似、これが指し示すのはなになのでしょう。

天孫一族の正体は、亡命してきたファラオの一族だったのでしょうか。

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