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2019年12月

日本の古墳はマナの壺か。

大王一族の葬られた古墳は大小合わせて複数作られるが、最大なものは三段で堀に囲まれています。

埋葬者が葬られた石室は、後円部にあります。

この形は陰陽で解けるのです。

三段は天人地で、方は地で円は天、水も天、つまり天の頂点に葬られたのです。

前方後円墳には左右に張り出しがあります。

埋葬者の石棺は、張り出しに船で運ばれたのです。

石棺の形は、船を伏せた形式と見えるのです。

周囲にでっぱりはあるが、運搬用に付けられたとみれば納得できるものです。

埋葬者の石棺は、船で古墳に移動したのです。

だが、前方後円墳には張り出しが二つあります。

古墳に着くためのものと古墳からさらに天へ向かうためのものと解釈できるが、壺の取っ手を意識したのだという解釈もあるのです。

古墳は様々な形で作られた、それはなぜかと言うことです。

もし壺としたなら、前方後円墳だけが壺なわけがないニャ。

古墳はすべて壺を模ったのかもしれないのです。

祭祀用の壺の形は多彩です。

もしすべての古墳が壺を意識して模られたとするなら、どうなるでしょう。

歴史上最も有名な壺があります。

聖書のマナの壺です。

日本の古墳、特に前方後円墳はマナの壺を模ったという説があるのです。

確かに偶然にしては似過ぎています。

そこで日ユ同祖論の証拠の一つに、良く挙げられるのです。

実際、日本はユダヤと似ているのです。

ヘブル語と日本語、音と意味が似ている言葉が多いって聞きます。

ヘブル文字とカタカナも、似ていると指摘されます。

神社なんか、古代イスラエルの幕屋や神殿と構造はそっくりです。

ほかにもあるけど、主なものだけでもそれだけあります。

その日本の前方後円墳が、マナの壺に似ているのです。

不思議でしょう。

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大日本帝国は神の国などではない。

国家神道は、日本本来の神道を歪めてしまったのです。

神道に偶像崇拝はなかったのに、天皇の写真を拝ませる偶像崇拝に変質させたのです。

天皇と呼ばれているお方は実は陛下であって、天の皇帝と地上の仲立ちをする最高祭司なのです。

つまり天皇陛下は人間であって、神ではないのです。

皇祖天照大御神の子孫という立ち位置ではあるが、天皇陛下は人間なのです。

天皇は人間宣言で、本来の立ち位置の人間に戻ったのです。

日本本来の神道を歪めた大日本帝国は、断じて復活させてはならないのです。

天皇は京都の御所にお戻りになられ、最高祭司のお勤めに励まれるべきお方なのです。

象徴天皇制はある意味、天皇をもとの立ち位置に近づけたといえるでしょう。

天皇はお言葉を述べ、民を導くのがお役目のお方なのです。

民は天皇のために死ねなどという、教育勅語など復活させてはならないのです。

民は神に仕え神は民を守る、これが本来の神道です。

民が神にささげるべきは、感謝であって自らの命ではないのです。

神の大御心に殉じたための死はあっても、神のために死んではならないのです。

神は民を守るためにおられるのが、神道なのです。

神に随い神に倣う随神の道が、神道なのです。

だから民は神に随い神は民を守るのです。

随うべきは神の道であって、偶像ではないのです。

神の道から外れてしまった大日本帝国に神風など吹くはずはなかったのです。

神が守る相手は神が決めるのです。

だから大日本帝国は、守ってもらえる自分であろうとするべきだったのです。

日本は神の国と自覚し神の御心に背かぬよう言動を慎むならいいが、高慢になってはならなかったのです。

神の道に随う教えに忠実ならば、高慢はあってはならないのです。

高慢に日本を堕落させた大日本帝国は、断じて復活させてはならないのです。

神道に教義がないのではありません。

随神の道(かんながらのみち)という名前に、神道の教えのすべてが込められているのです。

文書は失われたり改ざんされたりするのです。

人は完全ではないからです。

だから神道は、あえて教義を文面にあらわさなかったのです。

神に尋ねるべきなのです。

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