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2020年2月

琴の起源は?

サルタリーやサルテリー、プサルテリー、プサルタリー、プサルタとも呼ばれるプサルテリウムとは、木箱に24本のピアノ線を張った楽器を指します。

ギリシャ語ではプサルテリオンと呼ばれるこの楽器は、共鳴箱に弦を張った単純な構造しています。

中世ヨーロッパ12~15世紀に各地に普及していたようです。

形は台形や長方形などいろいろあります。

古い絵画を見ると、胸に抱えて指ではじいていたり、膝の上で弾いていたり、弓を使ったりで奏法も様々だったようです。

より大きな音を求められるようになったプサルテリウムはやがて、鍵盤を用いるハープシコード、ハープシコードはさらに打弦楽器のピアノへと姿を変えていくことになります。

プサルテリウムはまた、ハンマーで叩く打弦楽器のダルシマーの仲間達を生み出していきます。

日本語聖書では琴、英語聖書では欽定訳として知られる King James Bibleはプサルタリー(psalteryあるいは複数形psalteries)近年の訳ではハープ(harp)となって、主に詩編でよく登場します。

プサルタリーは一度はすたれた古楽器で、20世紀になって古い音楽演奏のために復活し、今では様々な大きさがあるようです。

プサルタリーは、近代の英訳聖書にあるようにハープと訳されることがあります。

ハープシコードの起源となったことからもわかるように、携帯できる弦楽器としての展開もあります。

竪琴や巨大化した据え置きのハープ、ギターやバンジョーやウクレレの仲間達、琵琶や三線や三味線、バイオリンやチェロ、あるいは馬頭琴や二胡や一弦琴の仲間達など、プサルテリウムの子孫は多様な展開を見せます。

とは言えプサルテリウムの子孫で、おそらくはご先祖様の姿に一番近いのは今日も日本に残る琴の仲間達でしょう。

ではなぜ、プサルテリウムは形は変わったとはいえ日本で今日まで残ったのでしょう。

もちろん琴は分類上はチターとも呼ばれるツィターの仲間なので、外国にも仲間達はいます。

中国の古琴(グーチン)や古筝(グーチェン)、朝鮮の伽耶琴(カヤグム)や玄琴(コムンゴ)や牙筝(アジェン)、ヨーロッパではアルプス特にオーストリアのツィター、フィンランドのカンテレなどです。

朝鮮は日本への伝達ルートとして、残っていても自然でしょうね。

歴史が非情にも消し去る場合もありますけども。

ヨーロッパで面白いのは、山岳地帯に主に残っている事です。

こういう地域は、古い文化が残りやすいからです。

中世文化の置き土産でしょうね。

もっと遡れば、ローマ帝国までいけることでしょう。

となると、プサルテリウムの子孫たちが生き残ってる地域とは、古代中東文化の影響が残っている地域という事でしょうか。

中国や朝鮮や日本の琴の仲間達はツィターの仲間達の中でも、プサルテリウムの原形に近いと言えます。

特に古代中東やギリシャやローマに近い生活様式が残っているのは、日本でしょう。

何しろ明治まで椅子の生活は、不思議な位普及しなかったのです。

朝鮮にまで来ていたにも、関わらずです。

古代ギリシアやローマには、椅子の生活文化は何故かありません。

上層階級に至るまで、ないのです。

もちろん古代のイスラエルやユダにも、ありません。

日本も基本的にはなかったと言えるでしょう。

高御座のような例外はあったとしてもです。

古代イスラエルは遊牧民が作った国家でした。

では、古代ギリシアやローマは、そして、日本は、どうだったのでしょう。

気になるところです。

追記

関連記事です。

チェンバロの起源を考える。

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修験道と秦氏。

山岳宗教史研究叢書7に『東北霊山と修験道』が、収められています。

こう言う内容です。

総説 東北霊山と修験道
第1篇 下北・津軽の山岳信仰
第2篇 陸中の修験道と山岳信仰
第3篇 陸前の修験道と山岳信仰
第4篇 羽後の修験道と山岳信仰
第5篇 羽前の修験道と山岳信仰
第6篇 磐城・会津の修験道と山岳信仰

修験道は修験宗とも言い、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教です。

修験道の成立には仏教の行脚や道教の入山修行も影響していると言われ、森羅万象命や神霊が宿るとして神奈備(かんなび)や磐座(いわくら)を信仰の対象とした古神道に、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立したとされています。

修験道は飛鳥時代に役行者とも呼ばれる役小角が創始したとされるが、役小角は謎の多い人物です。

役小角が属した役氏(えんうじ)あるいは、役君(えんのきみ)は三輪系氏族に属する地祇系氏族です。

葛城流賀茂氏から出た氏族であることから、加茂役君、賀茂役君(かものえんのきみ)とも称されます。

役民(えきみん)を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたと言います。

役民とは、都の造営などの際に徴収される労働者のことです。

また、役氏は大和国・河内国に多く分布していたとされます。

賀茂氏は、秦氏の中でも特に祭司の一族と指摘されています。

となると、役小角もまた、秦氏であった可能性が見えてきます。

修験道の行者は、山に詳しい人も多いのです。

修験道の行者となれば、誰にも怪しまれることなく山奥に分け入ることができます。

秦氏の拠点を置いた場所と、何らかの資源の分布を重ねてみると、面白い事に気が付けるかもしれません。

何故に秦氏は、仏教と神道の両方に関わりを持ったのでしょうか。

日本中の資源の情報、そして、大陸の最新情報、この二つを誰にも疑われる事なく調べるのにこの二つは実に好都合です。

殖産豪族秦氏が目をつけない方が、おかしくないですか。

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米沢と秦氏と鉱山と?

山形県米沢市の界隈には藤原ゆかりの苗字、例えば佐藤は結構あるようですね。

そして、藤原系の祭司一族である小林一族もいるのです。

秦氏ゆかりの神社である、成島八幡宮もあるのです。

これはひょっとしてと米沢と養蚕のつながりを調べてみると、養蚕は米沢にとって重要な産業なのですね。

藩主上杉景勝の側近だった直江兼続は、藩の収益拡大を図るため、織物の素材となる青苧(あおそ)や絹を生む蚕の餌となる桑、染料となる紅花などの栽培を奨励したのです。

青苧や桑や紅花は藩の特産物として、織物産地に売り出されたのです。

じゃ、養蚕と米沢のつながりはどうなっているのかですね。

米沢の「市」や町人町の発祥地ともいわれる米沢の鎮守、白子神社が面白いです。

米沢の鎮守とされたのは確認される範囲では、平安時代、この地方を鎮めに来た小野良春によって社殿が建替えられた時からと伝えているのです。

白子神社は和同5年(712)の創建と、大変古い由緒を伝えているのです。

白子神社の由緒は、こうです。

神のお告げによって桑林に蚕が生じ、桑を食べている光景は雪が降ったように白一色で、やがてその蚕は繭を作り、この不思議な現象により、この地を白蚕(白子に由来する)村と呼び、和同5年に神社を建て白蚕(白子)明神とした、というものです。

この不思議の背景には、秦氏が関わっていたのではないでしょうか。

どういう繋がりや理由やきっかけがあったのか、それはわからないです。

ただ、米沢の近くには八谷鉱山や滑川鉱山があるのです。

八谷鉱山は、金、銀、銅、鉛、亜鉛などを主に産出した鉱山です。

滑川鉱山は、渇鉄鉱が採掘されました。

殖産に関わりの深いことで知られる秦氏は、これらの鉱山に目をつけていた可能性は考えてもいいかも知れません。

とは言え鉱山経営は、軌道に乗るまでに時間もかかるし、資金も必要ですよね

その資金稼ぎの手段として、養蚕を手掛けたのでしょうか。

養蚕で得た富を背景に、鉱山開発に乗り出す目論見はあったかも知れません。

米沢織は、秦氏の目論見にまで遡るのでしょうか。

じゃ、米沢牛との関わりはどうよって思いますよね。

米沢牛の歴史は、案外浅いようなのです。

岩手県南部から鉄を運ぶのに使われた牛は、米沢地方を通る越後街道沿いの村々に売っていったそうです。

その牛の飼育の歴史の上に、米沢牛はあると言うのです。

じゃあ、米沢の近くの鉱山は秦氏は手をつけなかったのでしょうか。

岩手県には、松尾神社が二つ祀られているのです。

松尾神社の祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)は、元々は秦氏の神だったそうです。

ちなみに大山咋神は、山に杭を打ちその所有を示す神であるというのです。

じゃあ、岩手県南部の鉄の方が採掘が容易なので米沢の鉱山は後回しになったのでしょうか。

米沢近郊の鉱山と秦氏の関係は、謎のままです。

でも、秦氏と鉱山の関わりはおぼろげながら、見えてきたかも知れません。

米沢と秦氏、何かありそうですね。

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絶対音感の持ち主の脳では何が起きているか。

最近、近赤外線で脳の様々な部分について働きを調べるのは当たり前になってきました。

検出用のネットやキャップを被るだけなので、脳の働きについて自在に研究ができるようになったのです。

この結果は、そのような手法が可能になったからこそ得られたものの一つです。

脳は音楽を連続的変化としてとらえ、言葉を単語ごとの塊として処理しているのです。

絶対音感の持ち主は、音楽を言葉のように脳内で処理するように幼少期から特訓されていることが研究で明らかになったのです。

絶対音感の持ち主は、音を単語として聞いているのです。

なるほど、絶対音感の持ち主はドレミの歌で頭がクラクラするわけですね。

歌詞にある「ド」「レ」「ミ」と、音階の「ド」「レ」「ミ」が一致していないからですね。

赤で書かれた「青」や緑で書かれた「黄」を見せられて頭がクラクラするのと、絶対音感の持ち主がドレミの歌でクラクラするのは、同じ現象だったのですね。

ちなみに、言語の聞き取りで面白い事があります。

幼い頃は、実に様々な音を聞き分けられるのです。

成長するに従って、周囲の人々の言語を正しく聞き分けるのに邪魔になる音は認識しないようになるのですね。

それで日本語になれた耳には”L(エル)”や”R(アール)”の音を聞き分けるのが苦手になり、欧米諸国の言葉になれた耳には日本人が無意識に排除して聞き流している音も聞こえてしまうと言うわけなのです。

さらに日本語は子音と母音が必ずセットなので脳は自然の音まで言語として処理してしまうが、子音で終わる単語が多い言語の人々の脳は自然の音を雑音として処理してしまうのです。

脳の働き、興味が尽きないですね。

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雲南省の少数民族の気になる食文化。

中国の雲南省、日本の発酵食品のルーツがあるとされる地域です。

中国雲南省の少数民族、味噌とも納豆ともつかない大豆の発酵食品があるのです。

ここから、味噌や醤油や納豆が分かれたのでしょうか。

豆腐も、カビさせたまるでチーズのようなものがあるのです。

豆腐は、家畜の乳が手に入らない条件下でやむを得ず作られたチーズの代用品だったのでしょうか。

豚足で作られた、豚節としか言いようのない食品があるのです。

鰹節などは、豚節の代用品だったのでしょうか。

なれ鮨も、魚ばかりか牛肉のものもあるのです。

なれ鮨はこの土地の保存食だが、蛋白質の発酵食品と言う点ではチーズの延長線上にあるのでしょうか。

それと、地面に埋めて発酵されたお茶を食べる文化もあるのです。

日本ではお茶ではなくて、納豆が地面に埋めて作られる地域があるのです。

何でそうなったのでしょう。

焼酎の発酵も、最も原始的な製造法が残っているのです。

原始的な蒸留の酒粕は栄養がまだたっぷり残っているが、豚の餌になるのです。

そして豚の排泄物から作られた肥料は、焼酎の材料となる作物に使われるのです。

雲南省の少数民族である彼等のルーツが、気になるのです。

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秦氏と塩?

猿田彦はソルト彦ではないかと、あたりをつけた事がありました。

そして猿田彦は熊野とも繋がりがあるので、熊野もまた塩で知られます。

和歌山県色川地域で、昔ながらの製法で製塩している業者がいるのです。

どうやら「熊野」の名前は「カムイ」の転訛のようです。

昔の日本語はワ行母音に近い二重母音で、「カムイ」は「クヮムィ」であったのです。

「クヮムィ」が発音の平唇音化で音が明瞭化し、「クヮムノ」「クマノ」「熊野」と転訛したのです。

アイヌの神送りの行事「イヨマンテ」で熊の霊を天に返すのも、熊がカムイの転訛だからかも知れないですね。

それはさておき、熊野を名乗る神社は各地にあるけど、香川にも面白い土地があります。

温泉施設が数多く点在する塩江温泉郷、熊野権現神社や岩部八幡神社があるのです。

塩江温泉郷は約1,300年前の奈良時代に僧行基によって発見され、弘法大師空海が湯治の地として伝えたという由緒正しき温泉地の総称です。

県内最古の温泉郷で「高松の奥座敷」として親しまれています。

塩江温泉の泉質は、単純硫化水素泉です。

硫化水素イオンは硫化水素を水酸化 アルカリなどの塩基性水溶液に溶解することでも発生するのです。

これらは酸化されやすく、還元剤となるのです。

遷移金属塩の水溶液は硫化物 (H 2 S, NaSH, Na 2 S 等) と反応して、固体の塩を沈澱するのです。

この塩が、塩江の名の由来になったのです。

塩が取れるところに熊野神社、どうやら熊野神社自身も塩と縁があるようです。

そして塩が取れる塩江に秦氏ゆかりの八幡神社、流石はビジネス豪族秦氏ですよね。

そう思って見ると、熊野八幡神社は全国各地にあるし、熊野古道の三重県でも熊野神社からそう遠くない地に八幡神社はあるのです。

秦氏と言えば機織りの印象が強いが、秦氏と塩も注目してみても面白そうですね。

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出雲大社に裏の御祭神?

出雲大社には、出雲国杵築大社御神殿天井八雲之図と言う謎めいた図が伝わっているのです。

Yakumo  

八雲の図と言いながら、七つの雲しか描いてないのです。

この七つの雲は、五色に描かれているのです。

五色と言えば、陰陽ですよね。

奇数は陽で偶数は陰、八つ目の雲は陰だからあえて描きませんでしたって、暗号が雲の色に隠されているのでしょうか。

出雲大社の祭神は、大国主大神ですよね。

実は裏の祭神をお祀りしているって、暗号なのでしょうか。

表の祭神は大国主大神、隠して祀られている別の大国主大神が実はあると言うのでしょうか。

神の世界で大国主大神をニックネームにつけて似合うお方は、誰でしょう。

神の神、王の王、この二つの異名を持っていると言えば、イエスが有名ですよね。

イエスは旧約聖書のヤハウェにあたり、かつてはエホバとも訳されていました。

ヤハウェは「ヨッドヘーヴェブヘー」って、ヘブル文字で書くのですよね。

ヘブル文字の「ヨッド」は「ヤー」とも読んで、これ一文字で「ヤハウェ」を表すのです。

「ヤーの雲」を「八(や)の雲」としゃれたのでしょうか。

そうなると気になるのが、「金輪御造営差図」なのです。

Kanawa  

これには、カッバーラの生命の樹だっていう突っ込みがあるのですよね。

Seimeinoki

生命の樹は「アダムカドモン」とも呼ばれ、人、それも絶対三神の後ろ姿とされると言います。

特に、イエスだそうです。

そうなると、出雲大社は実はイエス神社って事になってしまうのですけどね。

大国主は大きな社に自分を祀って欲しいって、言ってましたよね。

そしたら天孫一族は、出雲大社をイエス神社にこっそりやってしまったって事でしょうか。

祀られている大国主は、納得しているのでしょうか。

謎ですよね。

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