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2020年9月

算数や数学は理屈の組み立て方や理解の仕方を学ぶ教科だと思うのですが。

子供は経験が乏しい分、理屈でわかろうとしますよね。

算数や数学って、学年が進むほどこれって私達の暮らしとどう関係するのって言いたいなるくらい、理屈だらけになるでしょ。

そこに大人たちは気がつく方が、いいのではないでしょうか。

算数や数学は、まさに理屈でわかろうとする学習法にうってつけの教科なのではないでしょうか。

だったら、難しさの順じゃなくではなく、理屈を筋道立てて教えて欲しいと思いませんか。

つまづく子供を、一人でも減らすためにね。

その理屈を筋道立てて組み立てていくのは、言い換えれば論理的に考えるとなるでしょう。

算数を単なる読み書きそろばんの延長線から、論理的なもの見方や考え方を学ぶ学科にした方がいいのではないでしょうか。

ゼロが数字であることも論理的な展開をちゃんとおって教えれば、子供はしっかりと理解できるのではないでしょうか。

むしろ大人たちの方こそ、それが分かっていないのではないでしょうか。

身近な生活の中から学ぶのに役に立つ例をなるべく盛り込んで、直観と理屈の両方から学べる工夫をしてもらいたいですね。

算数や数学は、計算の技術やテクニックを学ぶだけの学科じゃないはずなのですからね。

何よりもまず、論理的なものの見方や考え方を学べる学科であって欲しいのです。

理屈をちゃんと順序良く並べるとそれが論理になる、違うでしょうか。

算数や数学と言う学科は、ちゃんと論理的な展開を追って学ぶ学科にすれば、教科の構成や展開は様変わりするはずではないでしょうか。

どこまで学んでいく子供の目線で教科の教え方や学び方を組み立てていこうとするか、なのだと思いますけどね。

それには、理屈を素直に追いかける気持ちや姿勢が大切なのではないでしょうか。

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日本の預言者はどこに。

日本神話では、国生みに携わる二柱の神の名は「イザナギ」「イザナミ」とされます。

この「ナギ」「ナミ」とは、サンスクリット語の蛇を指す「ナーガ」に由来するのではないかとの説を聞いた覚えがあります。

ナーガは神聖視されたコブラを意味し、蛇の下半身に人間の上半身を持った神として崇拝されたそうです。

イザナギとイザナミがもしも人の上半身に蛇の下半身の神だったとすると、面白い連想が出来ます。

コンパスを持つ女媧(ジョカ)と定規を持つ伏羲(フクギ)です。

そしてコンパスと定規こそは、石工のシンボルです。

石工とは単なる工人ではなく、治山治水の担い手でもあります。

イザナギとイザナミとは、治山治水によって国造りの礎を築いた工人集団の長だったのでしょうか。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工とは、メーソンを指します。

陰陽では蛇や風など長いものは、声の象徴です。

イザナギとイザナミは、神の声を地上に降ろす役を持つメーソンの長だったのかもしれません。

そうなると気になるのは、随神(カンナガラ)と言う言葉です。

この随(ナガラ)の「ナガ」は、神の御言葉の象徴としての蛇を指すのかもしれません。

随神(カンナガラ)とは神に随うと言う意味ですが、それには神に導かれる必要があるはずです。

そう言えば神社には、しばしば白蛇が神の使いとされています。

この蛇は、神の御言葉の象徴です。

神道は折に触れて、神託を乞います。

この神からの導きのメッセージを常に受け、人々に伝わるのは預言者です。

となれば、日本には預言者が存在するはずです。

だったら、もっと日本は良くなっていてもおかしくないでしょう。

その疑問に応えてくれるイエスの言葉が、聖書に収められています。

マタイによる福音書 23章 37節
ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。
エルサレムを日本と言い換えれば、身につまされるのではないでしょうか。
預言者を殺さないまでも、彼らの言葉にどれだけ耳を傾けてきたでしょう。
そもそも預言者を預言者として、認めて受け入れようとしてきたでしょうか。
では、その預言者はどこにいるのでしょう。
わからない時はどうしたらいいのかの答えも、聖書にはあります。
ヤコブの手紙 1章 5節
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
あなたはどう思いますか。

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