ユダの裏切りは神の想定内だったのだろうか?
果たしてイエスの12人の使徒の人選は適正だったのか、裏切り者となったユダも選ばれた使徒の中にいるわけです。
そしてイエスは、ユダに対して心から悲しんでおられるのです。
マタイによる福音書 26章
24 たしかに人の子は、自分について書いてあるとおりに去って行く。しかし、人の子を裏切るその人は、わざわいである。その人は生れなかった方が、彼のためによかったであろう」。
この聖句自体は、ユダを名指しする前に言われています。
けれどもイエスはこの時すでに、ユダが裏切ると知っておられるのです。
つまりこの聖句は明らかに、ユダに対してのイエスの悲しみの言葉と思って良いでしょう。
しかし、イエスは全ての言動を御父の指示や合意なしにはなさっておられません。
ヨハネによる福音書 1章
1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は初めに神と共にあった。
3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
これらの聖句にある言(ことば)とは、イエスを指しています。
マタイによる福音書 10章
40 あなたがたを受けいれる者は、わたしを受けいれるのである。わたしを受けいれる者は、わたしをおつかわしになったかたを受けいれるのである。
この聖句はイエスが使徒達に告げたのだが、イエスが「わたしをおつかわしになったかた」と呼んでいるのは天の御父である神を指しています。
イエスの全ての言動は、天の御父である神の指示と承認の上でなされています。
マタイによる福音書 11章
27 すべての事は父からわたしに任せられています。そして、子を知る者は父のほかにはなく、父を知る者は、子と、父をあらわそうとして子が選んだ者とのほかに、だれもありません。
この聖句の子はイエスを父は神を、それぞれ指しています。
つまり、ユダの人選は御父の合意の上になされているのです。
もし、12使徒の誰もイエスを裏切らないならイエスの贖罪の十字架はあったでしょうか。
少なくとも御父は人選の際、12使徒の誰かはイエスを裏切ると承知の上でなされておられるとなるでしょう。
ちょうど、アダムとイブが禁断の木の実を食べたときのように、御父はサタンの企みを織り込み済みで人選をされたのかもしれません。
もし神がアダムとイブの禁断の木の実を食べた行為を怒ったなら、皮の着物を二人に与えたでしょうか。
創世記 3章
21 主なる神は人とその妻とのために皮の着物を造って、彼らに着せられた。
この皮の着物は、アダムとイブがエデンの園を出ていくまさにその時、神が二人に与えたものなのです。
もしアダムとイブが禁断の木の実を食べた行為が神の意図に反していたなら、神は二人に皮の着物を与えたでしょうか。
サタンの行為は、神の想定内だったのです。
禁断の木の実は善悪を知る実、つまり善が何であるかを知るだけではなく悪が何であるかも知ってしまう実なのです。
人々を善に導くのが神の仕事なのに、悪に対する知識を立場上教えるわけにいくでしょうか。
そこで神の計画を妨害しようとたくらむサタンの行為を逆手にとって、神は禁断の木の実を二人に食べさせようとしたのです。
もちろん、神の所に帰って来られるように救済の手段も考えた上でです。
贖罪の子羊の役を御子が引き受けてくれたからこそ、可能になった計画なのです。
考えてみると、今の私達もまた、せっかく神の導きにたどり着いたにもかかわらず、離れてしまう人やお休みになる人がいます。
ユダが裏切るのは偶然だったとしても、十二使徒の誰かが裏切るのは必然として御父はそれも承知の上で人選をなされたとするなら、御父はユダに対しても何らかの形で救いの道を備えておられるのかもしれません。
だって御父は、私達皆が帰ってくることを望んでおられるからです。
マタイによる福音書 18章
12 あなたがたはどう思うか。ある人に百匹の羊があり、その中の一匹が迷い出たとすれば、九十九匹を山に残しておいて、その迷い出ている羊を捜しに出かけないであろうか。
13 もしそれを見つけたなら、よく聞きなさい、迷わないでいる九十九匹のためよりも、むしろその一匹のために喜ぶであろう。
14 そのように、これらの小さい者のひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父のみこころではない。
イエスのたとえにある羊は、私達全てを指しています。
そして迷い出た羊を探しに出る羊飼いとはイエスであり、羊飼いの主人とは天の御父である神を指しています。
でも、私達は今まだそれがどのような道なのか知らない方がいいのかもしれません。
だって知ってしまったら私達は確実に、怠けてしまうでしょうからね。
とにかく、絶えず祈り、助けと教えを求めるしかないでしょうね。
それが、無難な道でしょうからね。
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