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御父の子供でいるって言葉遣いにも相当気を遣いますね。


聖書にはしばしば、似たような聖句が出てきます。
全く同じ内容がちょっと言い回しが替えられただけの時もあれば、よく見ると違う内容なのに間違い探しみたいなのもあります。
そんな例の一つがこれです。
マタイによる福音書 10章
27 わたしが暗やみであなたがたに話すことを、明るみで言え。耳にささやかれたことを、屋根の上で言いひろめよ。
ルカによる福音書 12章
3 だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。

マタイによる福音書とルカによる福音書、似たような聖句だけど言い広められる言葉を発信している人は違うのです。
マタイによる福音書では、私つまり御父からのメッセージを伝える御子の言葉は広められなければならないと弟子の私達に指示が出されているわけです。
ルカによる福音書では、あなたがたつまり私達が密かに話したつもりの言葉はあなたがたの気が付かない間に言いふらされているから口を慎むようにしなさいと弟子の私達に指示が出されているわけです。
ルカによる福音書の聖句、そう言えば似た諺ありますね。
「壁に耳あり障子に目あり」
そして聞かれたらこうなるわけです。
「人の口に戸は立てられぬ」
どこで誰に聞かれていても良いように気を付けないといけませんって、仰っているわけですね。
常日頃からイエスを長子とする御父の息子・娘として相応しい心を保っていなさい、との忠告をわざわざしてくださっているのです。
滅茶苦茶疲れてしまって御父に向かって、ちょっと休ませていただきますと、私なんか何度言う事になるでしょうね。
私の教えさえ離れなければ 何度でも休んで良いとありがたいことに聖書にはありますけども。

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