聖書で言う悪しき者や罪人とは?そして報いとは?
聖書には、複数の意味が込められた聖句がしばしば見つかります。
この聖句も、そんな一つになるのではないでしょうか。
箴言 11章
31 正しき者がこの地上で報いを受けているなら/悪しき者や罪人はなおのことである。
報いとは、善行や悪業の結果として得られるもの、または身に受けるもの。
報いが苦しみなら、この聖句は誰もが「そうだよね!」と納得するでしょうね。
でもそんな誰にとっても当たり前なら、わざわざ聖句として語られるでしょうか。
聖書には、こんな聖句もあります。
ルカによる福音書 5章
31 イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
32 わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。
箴言 11章 31節の「悪しき者や罪人」とは、自らを悔い改めが必要だと自覚しながら自力では難しいと苦悩して神に救いを求める人達だとしたら、どうでしょうか。
新約聖書 ルカの福音書15章11 - 32節に登場するのが、有名な放蕩息子の譬えです。
帰ってきた放蕩息子を心から喜んで大いに祝福した父親の譬えと、箴言11章31節のこの聖句は対になっているのです。
自らを正しいと思っている兄より、心から悔い改めて帰ってきた弟を父親は大いに祝福した事を思い起こしましょう。
でも父親は自らを正しいと思っている兄と、帰ってきた弟を同等に扱ったと考えているのです。
帰ってきた弟の受けた祝福は、次の日も続くでしょうか。
そうではありません。
翌日からは、兄弟は同じ扱いを父親から受けたはずです。
帰ってきた弟が受けた祝福とは、ずっと父親の傍にいた兄の受けてきた祝福の凝縮です。
それに気が付けなかったので、兄は不公平と感じたのです。
このような気持ちは、私達の誰もが抱きがちになるのではないでしょうか。
それで私達は、「正しき者がこの地上で報いを受けているなら/悪しき者や罪人はなおのことである。」と言う聖句の報いを、ついつい苦しみと思い込んでしまうのです。
イエスのゴルゴダの丘の贖罪によって、私達は何度でも悔い改めができます。
だったら何度でも悔い改めて、たんまり祝福をもらった方が得ですね。
子供って結構、ちゃっかりしてます。
私達も子供のちゃっかり、真似しない手はないですよね。
幼子のように主を思え、そう、イエスもおっしゃってます。
幼子についての聖句はマタイによる福音書18章1-11節とマルコによる福音書9章38-42節に記されているので、読んでみてくださいね。
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