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日本国憲法前文や9条の精神を生かした外交努力について考えてみる。

日本国憲法前文や9条は、平和を求める国々の中で名誉ある地位を得たいと、決意を述べています。

憲法9条で国が守れるのかと言う人達がいるけど、憲法9条を魔よけのお札みたいに思っている護憲派は一人もいないのです。

憲法9条を前面に押し出した平和外交によって、国を守ると言っているのです。

それは軍事行動に足並み揃えて参加することではないけれど、お金だけ出せ良いと言うものでもありません。

現地の人々に銃を向けるのではなく、支援と連帯の手を差し伸べるのです。

9条は平和を求める国際社会で名誉ある地位を追及するとした前文の規定の具体化として、戦争放棄を打ち出しています。

相互理解を目指して誤解を招く言動を避けるとともに、相手の真意を知るための努力を惜しまない、平等互恵の関係を築き保つ外交努力を怠らないなど、相当な覚悟の居る事ですね。

現地にいかに寄り添って、紛争の元になった原因と現地の人々とともに取り組むべきでしょうか。

日本は現地の人々に銃を向けないから得られてきた信頼があると、ペシャワール会のようなNGOの現場の当事者は証言しているのです。

そしてまたこの日本国憲法の前文や9条のこの精神は、国連憲章の精神でもあるのです。

国連憲章の精神と憲法前文や9条の精神は方向性を共有しているから、日本はそれを外交に活かさない手はないのです。 

国際連合参加の国々がこの国連憲章の精神を本気で実行しようと足並みが揃ったら、どうでしょうか。

今度は、競い合いになるでしょう。

でもそれは、無駄も多くなります。

強調と協力によって、調整すべきだし、出来るはずです。

現地の人々に寄り添って問題解決のために一緒に汗を流す人達の安全を確保することは国家の大切な仕事です。

活動内容はいろいろでも一番大切なのは、援助する側と援助を受ける側の信頼関係を築き保つ努力でしょう。

もちろん、援助をする側の連携も大切です。

日本は憲法前文や9条の精神を貫くには、世界中で現地の人々と共に汗を流しているNGOや国連の諸機関と密接な連携を取る政策こそ採用するべきでしょう。

とは言え問題や困難を抱えた国や地域は多く、一つでも多くの国が参加しないならとてもじゃないけど手に負えないのです。

各国がお互い尊重し合いながらODAやNGOを展開して、それぞれの国や地域が持つ問題や困難の解決に当たれる関係が当たり前になって欲しいものです。

ODAとNGOが密接に連携しながら、それぞれの得意分野で日常的に活動した方がいいのです。

戦わずして問題を解決するのは、兵法の中でも最上とされます。

現地の人々の信頼を失うのは簡単だが、獲得するのは容易ではないのです。

世界の信頼を勝ち取るのは大変だが、出来ないと諦めたらそこで終わるのです。

時間のかかる取り組みなので、国民の側にも粘り強く待つ事が求められるでしょう。

政府が国民に信頼されないと、出来る事ではありません。

国民は、信頼するに足りる政府が選べるでしょうか。

政府が日本国憲法前文や9条の精神を生かした外交を貫けるかどうかは、国民が信頼できる政府を選べるかどうかにかかっています。

私達一人一人が主権者としての自覚と自らの考えをしっかりと持ち、選挙に参加するかどうかにかかっているのです。

日本国憲法前文や9条は、世界平和にかける国民の決意に支えられて生まれたのです。

私達は、その決意を引き継ぐ覚悟があるでしょうか。

今、それが先祖から、そしてまた世界から、問われているのです。

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