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平和外交のために今こそ歴史に学ぼう。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」
リヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカードイツ連邦共和国第6代連邦大統領が1985年5月8日に行った「荒野の40年」と呼ばれる演説の一部で、あまりにも有名な一節です。

歴史から学ばないと、現在の選択も間違えると訴えているのです。

例えば日露戦争の時も、日本は日英同盟の後に日ロ通商で戦争の回避をしようとしているのです。
危機回避のために急ぐ日本と日本が本気で攻めると思っていなかったロシアの認識のずれが、事態をこじらせたことが明らかになってきました。
アセアンが取り組む対話の習慣化が、いかに大切かがこれからもわかります。

湖南事件とも呼ばれる大津事件は、1891年(明治24年)5月11日に日本を訪問中の後の皇帝ニコライ2世となるロシア帝国皇太子・ ニコライ・アレクサンドロヴィチ・ロマノフが、滋賀県滋賀郡大津町(現・大津市)で警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件です。

これが日本とロシアの戦争にならなかったのは、天皇から一般人に至るまでお見舞いの意思を表したからです。
この当時の日本とロシアの関係は相互の文化を大いに紹介しあう良好な状態だったので、誰もがそれを壊したくなかったのです。

幕末から明治にかけて日本とロシアの間に緊張関係がなかったわけではないが、日常的に営まれた漁業を通じての民間の交流が日本では函館から全国に広がりロシアでもヨーロッパからのジャポニズムの影響もあって日本文化への関心が高まっているのも日本とロシアの関係がよかった事情が背景にあります。

にもかかわらず日露戦争になったのは、やはり日本とロシアの認識のズレを解消することを可能にする日常的な対話の習慣が日本とロシアの間になかったのが大きな理由になるのです。
アセアンが一年に1500回以上の対話を重ねる関係を作ってきたのは、認識のズレが戦争の原因となった歴史の教訓を学んだからなのです。

いま日本は、歴史から学んだ教訓を盛り込んだ憲法を持っています。

前文から、引用しましょう。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

日本はアセアンが積み重ねてきた教訓からも学んで、全世界に向けて大いに平和外交のために対話を呼びかけるべきでしょう。

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