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2024年9月

反共が民主主義を潰してしまう。

反共主義がいかに民主主義をダメにするか、歴史が証明しています。
1925年に 普通選挙法 が施行され、 満25歳以上のすべての男子に選挙権が与えられました。
時の政権は普通選挙法の成立と同じ年に 治安維持法を制定し、社会主義運動の取り締まりをはかりました。
治安維持法は、社会主義運動の取り締まり を目的とする法律です。
社会主義とはみんなが平等な世界を目指す 考え方なので、天皇中心の国家をつくろうとしている政府にとって都合が悪かったためです。
治安維持法は社会主義運動の取り締まりのためにつくられましたが、後に社会主義だけではなく 政府の方針や戦争に反対する考え方の取り締まり も行われるようになっていきます。
反共攻撃は、こまめに反撃しておかないと後で自分が困ることになるのです。
このニーメラ―の後悔は、そっくりそのまま日本にも当てはまるのではないでしょうか。
『彼らが最初共産主義者を攻撃したとき』は、ドイツのルター派牧師であり反ナチ運動組織告白教会の指導者マルティン・ニーメラーの言葉に由来する詩です。
ナチスが共産主義者を連れさったとき、私は声をあげなかった。私は共産主義者ではなかったから。
彼らが社会民主主義者を牢獄に入れたとき、私は声をあげなかった。社会民主主義者ではなかったから。
彼らが労働組合員らを連れさったとき、私は声をあげなかった。労働組合員ではなかったから。
彼らが私を連れさったとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていなかった。
ちなみにニーメラー自身は、原稿の無いスピーチの中で成立してきた言い回しで詩として発表されたものではないとしているそうです。
厳密な意味でのオリジナルは存在していないが、この言い回しはおそらく1946年頃に生まれたと見られ、1950年代初期にはすでに詩の形で広まっていたといいます。

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マイナンバーカードが聖書の予言にある悪魔の数字666のようにならない保証があるか。

最初は任意とされたマイナンバーカードが、保険証に紐付けられいつの間にか義務にすり替えられています。

そうなると次にくると、予想されるのはどういうことになるでしょう。

免許証やキャッシュカードやクレジットカードとの紐付けとなって、マイナンバーカードなしに何もできない超管理社会が目指されるかもしれないですね。

生体認証と紐付けされたら、どうなるでしょう。

あらゆる個人情報とマイナンバーカードが紐付けされようとしているから、産まれたばかりの赤子や認知症の人はどうするか当然課題になると想像できます。

当然ながら、生体認証も選択肢にはいると思われるのです。


そうなると聖書で予言されている、これなしに何もできない悪魔の数字の世界が連想されるのです。

ヨハネの黙示録 13章
16 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。
17 そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。
18 ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。

この六百六十六は象徴であり、実際は生体認証のことと思われるのです。

この時代にはまだこの技術がないので、象徴を使っただけと考えられます

この記述は、まさに全ての個人情報に紐付けされたマイナンバーカードが生体認証に紐付けされた状態を思い起こさせるのです。

生体認証に紐付けされたマイナンバーカードの便利さに、日本は簡単に飛びつくのではないでしょうか。

聖書の悪魔の数字666に対して、オカルト作品のイメージしかない人が多いから心配しています。

聖書の記述を見れば、まさに生体認証そのままなのは一目瞭然なのですけれども。

聖書を読んでいる人は少ないから、ほとんどの人が気が付かないから気になります。

マイナンバーカードが出てきた時から、心配していた事態になりそうな予感がします。

相当な注意が必要と感じています。

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話し合いの習慣化で紛争を戦争にしない取り組みを。

抑止力ははっきり言って、欺瞞でしかない。

お互いに抑止力で武力の強化をしあえば、危機はいつまでもなくならないから無限に言い続けることができるからいつまでも言い続けることができてしまうからだ。

つまり、不安定な状態が終わらないので安定した平和には永遠にたどり着けないのだ。それに対して話し合いで問題解決の道筋を掴む努力を続ければ、いつまでたっても紛争は戦争にならない。

 

話がかみ合わないで決裂するから戦争の危機がくるなら、無理にまとめようとしないで対話を続ければいいだけの話なのだ。

実際には、抑止力の競い合いは無限に言い続けられない。

国力に限りがあるから、どこかで区切りをつける必要が出てくるからだ。 

抑止力の競い合いなどは馬鹿馬鹿しいからやめようと合意できればいいが、戦争になれば泥沼化は避けられない。

そして大半は、微妙な食い違いが元になって武力衝突になる事態になってしまう。

話がまとめられないで紛争で済まなくなれば、戦争になる危険性が高まってしまう。

また愚かな選択をしてしまったと懲りて、反省の繰り返しになる可能性は強い。

 

ではなぜ対話の習慣化が平和につながるのかと言えば、無理にまとめようとするから決裂の危機がくるなら無理にまとめなければいいだけの話なのだ。

話し合いを習慣化したら次の話し合いがすでに決まっているので、いちいちスケジュール調整をしないでも次の話し合いに入れるのだ。

話し合いを習慣化するとは一言でいえば、無理にまとめようとしないで決裂を無限のかなたに先送りをするだけのことなのだ。

 

それぞれの時点での一致点で合意書を作り、一致できなかった内容は継続審議にする。

対話を習慣化すれば、継続審議は速やかに始められる。

 

会議の日程をいちいちすり合わせるから、内容や日取りの調整に手間取るのだ、

話し合いの習慣化は、その余計な手続きが省けて速やかに会議は始まる。

 

平和憲法を持っている日本は、話し合いの習慣化を世界に広げる取り組みをしようではないか。

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不況は労働者にとって労働時間の短縮のチャンスなのです。


なぜ、「クソどうでもいい仕事」があると思います。
賃金の分だけなら4時間労働でいいが、利潤追求の資本主義が手に入る儲けの源泉がこのただ働きの労働時間だからですね。

経済学では賃金の支払いに必要な時間を超える労働時間を、剰余労働と言います。
その剰余労働で生まれるのが剰余価値で、これが資本主義の儲けの源泉ですね。
剰余価値の実現が難しくなった状態が、不況です。
だから、不況は労働者にとって労働時間の短縮のチャンスなのです。
剰余価値が、実現可能な範囲に収まるからですね。

労働時間の短縮をして、労働者の気力や体力が回復するだけじゃなく学びによって労働の質を上げればさらに労働の生産性が上がるのです。
結果として賃金の支払いに必要な労働時間が減れば、労働時間の短縮をしても新たな剰余労働と剰余価値が企業の手に入ります。
ようは、やる気の問題なのです。

剰余価値の実現が難しくなった状態が、不況です。
具体的には、生産過剰な製品が市場で売れ残ってしまうと言う形で現れるわけです。
欲しいけど金がないので買えない人がいる一方で、売れ残ってしまうものが市場にだぶつく矛盾が起こるのです。
だから、不況のたびに労働時間の短縮が起こるのです。
先ほども言ったけれど、あとはやる気の問題なのです。

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