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やはり猫はイエスのメタファーだった。

 

猫は聖書では旧約聖書続編として扱われる、エレミヤの手紙とも呼ばれるバルクの書に登場します。

エレミヤの手紙は一章だけなので0章とされるが、バルクの書では第6章に数えられています。

 

新共同訳

エレミヤの手紙 00 21節 

その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。

聖書協会共同訳

エレミヤの手紙 00 21

その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫さえそこにいます。

 

興味深いことに、「猫まで」「猫さえ」と猫は偶像崇拝に訪れる者たちの最高位に例えられているのです。

 

これは、猫がイエスのメタファーであることを知らなければ謎が解けないことを意味しているのです。

 

思い出してください、イエスはダビデの系譜に属する人物として聖書に記されています。

 

ダビデはユダの系譜だが、ユダは獅子になぞらえられているのです。

 

獅子はネコ科です、そして、猫はイエスのメタファーです。

 

これ、偶然ですか。

 

ちなみにエジプト神話で太陽神ラーの怒りの象徴としての雌ライオンの女神セクメトは、怒りを鎮められると大人しくなってメス猫の女神になっております。

 

聖書に出てくる獅子は、王者の象徴であるとともに最強の悪の強者としてサタンになぞらえられる存在としても登場する二面性を持っています。

 

善と悪の二面性は蛇が有名だが、獅子もそうなのですね。

 

獅子は百獣の王とされるが、イエスは王の中の王という点でまさに獅子になぞらえらえる存在でもあると言えます。

ここで興味深いのは、旧約聖書ではしばしば怒りに任せて逆らうものを容赦なく滅ぼしていたのに新約聖書ではどこまでも優しい愛の神としてイエスは登場してくるのです。

 

怒りの女神メスライオンのセクメトは怒りを納めておとなしいメス猫女神に変わりましたが、この対比は偶然とは思えません。

 

やがて裁きの神として再臨するイエスは、血染めの衣でメルカバ―にお乗りになります。

 

そしてさばきが終われば、優しい愛の神に戻られます。

 

聖書にネコは出ないどころか、獅子とイエスに形を変えて出まくっているのです。

 

だから、偽イエスの象徴は猫でなければならないとなるのです。

 

これが、エレミヤの手紙の猫の謎解きでした。

追記

聖書に出てくる猫は、旧約聖書続編として扱われるバルクの書の一部であるエレミヤの手紙だけなので苦労しました。

これまで何度か扱いましたが、一応一区切りついたことになります。

聖書には猫の出てくる記事もあった。

 

聖書は誰の目線で書かれているか。

 

猫は侮れません。

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