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AIのある未来は、ユートピアだろうか、それとも、デストピアだろうか。

AIのある未来は、ユートピアだろうか、それとも、デストピアだろうか。

あなたは、考えたことがあるだろうか。

 

AIはビッグデータをもとに判断をする以上、そこには当然私たちの価値観や価値基準も含まれる。

 

AIがどういう判断をするかは、どういう価値観や価値基準を学習するかで決まる。

つまり、AIの下す判断は使う人たちの本音と本心を赤裸々にあばきだしたものになるってこと。

AIの下したあまりの倫理や道徳に照らして問題のある判断に、運用停止した前例もあるそうだ。

 

これから先、科学や技術はこれまで知りえないとか実現は困難と見られていた水準にどんどんと踏み込んでいく。

 

携わっている科学者や技術者は、これまで以上に説明が難しい内容をこれまで以上に一般の市民に向けて知らせていく努力と工夫が求められるようになる。

 

表現力や発信力はこれまでは文系の分野とされてきた傾向があるけど、これからは理系の人々にも磨きをかけてもらわなければならない。

 

それは言い換えれば、文系とされてきた人々もまた科学や技術をどうわかりやすく表現し発信するかを一緒になって模索していくことが求められるとなる。

 

もはや理系とか文系とかの、境目は外す方が良い。

ますます科学や技術も理解を求めて発信力が必要となるし、一般の市民にも科学や技術に自分はどうかかわるかを理解し判断することが求められるからね。

 

紛争解決のためには原理や原則をみんなが守ってとことん話し合うとか、個性や事情は尊重しあい互いに助け合い支えあうとか、すべての人は謙虚で素直になり平等の立場であると認め合うとか、これらの建前をいかにうまく使いこなすか努力している姿や価値観をビッグデータとして学習させる必要があると考える方が良い。

 

さもなければ、デストピアが待っていると覚悟することだ。

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