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那智大社はなぜこの地でなければならないのか。

熊野那智大社・飛瀧神社で、火祭りが行われるがそこに扇神輿が担がれる。
恐らく、火は命の象徴であり扇神輿の開いた扇と勢いよくほとばしる滝は一対で陰陽を象徴している。
滝が陽で扇が陰なのだが、陰の扇が開かれ滝から放たれる陽と一体化して陰陽合一の太極が祀りの場に顕現していることを示している。
芸能を奉納するのも子どもや若者というのは、旺盛な生命を象徴し那智の滝や扇神輿や火と呼応している。
御田植式は、豊穣を祈願する生命の象徴に満ちた祀りの結節点に当たるのだろう。
まさにこの祀りこそ、熊野那智大社・飛瀧神社がなぜこの地に祀られるかを雄弁に物語る儀式だと感じる。
この空間は、この儀式にふさわしい聖なる胎内ともいえる場なのだ。

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