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コロンブスの卵をじっくり見てみた。

コロンブスの卵という言葉があります。

コペルニクス的な発想の転換と似た意味でつかわれるが、見落としていた当たり前を指摘された場合に特に使われています。

今、科学や技術はかつてないほどの精緻さの計測や観測に支えられているし高度に発達した数学や理論が展開されています。

もはや天動説や熱素説やフロギストン説やエーテルのような、馬鹿げた説や理論の出番などどこにもないと、考えている人は少なくないように見えます。

だが、それらの説や理論は当時の知識や技術や経験を背景にある意味では生まれるべくして生まれてきた説や理論ではなかったでしょうか。

今定説になっている説や理論だって、今現在の時点での知識や技術や経験を背景にして生まれてきたものでありその制約から逃れることはできません。

そして、それらの説や理論を転換したのは地道に積み上げられてきた基礎的な研究でした。

天動説は観測されたデータを取り入れながらどんどん精緻なモデルを数学的に積み上げていったが、現象の説明や解明は諸説入り乱れて迷路に入り込んでいました。

それらをすっきりと解決した地動説は、今から見ればコロンブスの卵みたいなあっさりとしたものでした。

卵の中はみっちり詰まっているように見えて、実はそうではありません。

そこにひびを入れても、中身が漏れない場所があるのです。

そこを少し潰せば卵は立つ、知ってしまえば誰にでもできるが気が付かないから悪戦苦闘してきたのです。

卵がどうなっているか、素直に見てこうすれば立つと見つけた人は発想を転換しただけです。

当たり前なのに、見落としていることはないでしょうか。

そこに気が付いた人だけが、人に先駆けてコロンブスのように卵を立てることができるのです。 

見落としている、当たり前はないでしょうか。

まだ立てられてないコロンブスの卵は、ありませんか。

追記

これは、

雨ごいの祈りを考えてみる。

の続編でもあります。

切り口を変えてみました。

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