« 聖書は感じ取る方が良いのかもしれません。 | トップページ | コロンブスの卵をじっくり見てみた。 »

もはや資本主義を卒業して次の段階に一歩を踏み出した方が良い。

日々のニュースを見ていて感じるのは、果たして人類のあり方はこのままでいいのだろうかという不安だ。

神と言うと、そんなものはいないと言い放つ人は多い。

だが私たちの知識や技術は、かつて神のみができると思ってきた領域に踏み込んでいる。
だとしたら、私たち自身が知性や理性や倫理や道徳をも神にふさわしい段階に高めないと冗談抜きでまずい時代に来ている。

知識や技術が、もしも神でなければできなかったであろうという領域に踏み込んだとしたらどうだろうか。

神は、間違った使い方をしないように慎重に判断しているはずではないだろうか。

一歩間違えれば、取り返しのつかない結果を招くからこれまで封印をしているとしたらどうだろうか。

神は、人が対処可能な範囲で知識や技術を高めていくように導いてきたのではないか。

そして、人びとが神を恐れていた間は知識や技術はその範囲に収まっていた。

知識や技術が爆発的に飛躍したのは、神を恐れなくなってからだ。

自らの力に自信をもっていくこと、それ自体は悪いことではないだろう。

問題は、高慢にならないように気を付けられるかどうかだ。

生産と流通が人びとの必要に応えて行われる社会から、欲望のために行われる社会に変わってきた。

資本主義は、利潤追求という限界を知らない欲望を制御困難にしてしまった。

科学や技術が神の領域に踏み込んだ以上、知性や理性や倫理や道徳をも神にふさわしい段階に高めないといけないと誰もが危機感を持っているだろう。

だが自分が自制しても、出し抜かれたら敗北するのが資本主義なのだ。

もはや、資本主義を卒業した方が良い。

地球上のすべての人の必要を満たせる生産と流通が実現できたのに、現実はそれが困難になっている。

神にふさわしい段階へと知性や理性や倫理や道徳を高めないと、ここまで高まった生産と流通を全ての人の幸せのために生かせない段階にきている。

科学や技術は人類の能力がすでに神の領域に踏み込んだことを、目に見える形で示しているのに過ぎない。

いまこそ、謙虚で素直な心になって神の領域にふさわしい知性や理性や倫理や道徳とはなにか真剣に考えるべきではないか。

|

« 聖書は感じ取る方が良いのかもしれません。 | トップページ | コロンブスの卵をじっくり見てみた。 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

経済・政治・国際」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

思想」カテゴリの記事

科学」カテゴリの記事

環境・生態系」カテゴリの記事

言葉」カテゴリの記事

宗教」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 聖書は感じ取る方が良いのかもしれません。 | トップページ | コロンブスの卵をじっくり見てみた。 »