あなたもいつの間にかスマホが神になっていないか。
今や、私たちの前には様々な課題が立ちはだかる事態になっている。
では、私たちの足並みは揃っているだろうか。
必ずしも、そうではない。
価値観や求めるものは、多様になっている。
そして、多くの人が答えを求めてさまよっている。
何かにすがろうとしている。
その一つにスマートフォン、いわゆるスマホがなっていないだろうか。
角川新書で宗教学者の島田裕巳が、『スマホが神になる 宗教を圧倒する「情報革命」の力』を出している。
ではなぜ、スマホつまりスマートフォンが人々の行動を左右してしまう神のような存在になりえてしまうのだろうか。
人は、弱いからである。
誰かとつながり誰かに守られていないと、不安だからである。
これは、生まれた時から始まっている。
自らの無力や無知をいやというほど知り、自分よりそれらが上にある存在を身近に感じて安心したいのだ。
自らの無力や無知を補ってくれる存在の始まりは、神であった。
社会に上下関係が生じさらに支配者が君臨するに及んで、支配者は神を利用して後ろ盾に使いだす。
神が実質的に、人にすり替わってしまったのだ。
そのために神や神の代理を演じてきた支配者の非力や無能がさらけ出される事態になると、人々はそれを神の非力や無能と勘違いしてそれに代わる存在を模索するようになる。
そして、科学や技術はその圧倒的な力で存在感を示しだし始めるといつの間にか科学者やや技術者、とりわけ優れた科学者や技術者が神のごとく存在感を醸し出していくことになる。
だがその結果どうなったか、人々はそれぞれ別の存在を神にするようになってしまったのではないか。
科学や技術は知らず知らずのうちに現代のバベルの塔となり、パーソナルなメディアであるスマホが人々の知識や情報を分断し始めるようになった。
分断された言語は様々な部族や民族や国民を生み出したが、パーソナルメディアは情報によって社会に新たな部族的な集団や集合を生み出して分断を持ち込んだ。
だがメディアによる社会の分断は、ラジオやテレビや新聞が普及し始めた時点ですでに始まっていたのだ。
パーソナルメディアとしてのスマホは、それを加速し見える化したにすぎない。
科学や技術は生産も知識や情報もかつてない勢いで進歩発展させて、一昔前であれば神の領域に思われていた領域に人々の気が付かないうちに踏み込んでしまっている。
神がいつの間にかすり替わって、その結果導きを求めるべき神を見失ってしまったのが現代ではないのか。
導きを求めるべき真の神とは何者なのか、真の神であればどのようにして対処や対応すべきと応えるのか探求すべき段階に来ているのではないだろうか。
では神がどういっているか、耳を傾けて見よう。
ヤコブの手紙 1章
5 あなたがたの中で知恵に欠けている人があれば、神に求めなさい。そうすれば、与えられます。神は、とがめもせず惜しみなくすべての人に与えてくださる方です。
人はどうかすると、自分より知恵や知識や技能の下な人を見下したりする。
神は、そのような真似をしないと宣言している。
そして、こう告げる。
マタイによる福音書7章
7「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。
8 誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。
9 あなたがたの誰が、パンを欲しがる自分の子どもに、石を与えるだろうか。
10 魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。
11 このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。
12 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」
だが誰でもいいというわけではない。
私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
また、偽預言者が大勢現れ、多くの人を惑わす。
(マタイによる福音書24章より抜粋)
だからこそ、こう戒めている。
出エジプト記 20章
3 あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。
4 あなたは自分のために彫像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水にあるものの、いかなる形も造ってはならない。
この世界が一つである以上、真理や真実もまた、一つであるはずだ。
人々は自らにあった形とやり方で、どうしたらいいのか答を求めたらいいのである。
もう一度、いや、何度でも、幼子のように真の神として従うべきものを探し求める方がよいのではないだろうか。
人類の前には、今や巨大な課題がいくつも立ちはだかる事態になっているのだから。
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