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神代文字。

神代文字については古代中国の記録に日本に文字がないと記されていることから否定的に見る人も多いが、木を刻み縄を綯うと記されるのは注目していいのではないでしょうか。

縄を綯うと言えば縄による記録を残した文化が知られるし、木を刻むと言えば石や粘土板に刻まれた文字を残した文化もあるのです。

古代社会では、文字は特定の階層の人達だけが学んでいたことは決して少なくありません。

ヒエログリフなどは神に捧げる文字であり、神官の筆記用文字としてデモティックまたは民衆文字が使われたのですが民衆とは言っても限られた人々だけが学んだ文字でした。

神代文字もまた、神職など限られた人々のみが学ぶことが許されたために神社などの神域に残っているとみられます。

今でも、滅多に公開されない神宝や秘仏は少なくありません。

神代文字もまた神に捧げる文字であり、秘される必要があるということではないでしょうか。

中国から来た使者であっても滅多に見ることができない神聖な文字であれば、彼らが気がつかないでも不思議ではないでしょう。

神代文字が木に刻まれていたとしても、中国人は何やら木に刻まれているとしか思えなかったでしょう。

縄で記録する慣習も中国にないから、これも理解不能だったに違いありません。

当時の中国人から見れば中国こそが世界の中心であり、周辺は劣っていると見なされていたのです。

彼らが理解不能と感じた木に刻まれている神代文字や縄による記録を見ても、文字がないと思っても不思議ではないのではないでしょうか。

興味深いのは、世界各地に残る石や岩の記録にシュメール文字と並んで神代文字が見つかるという指摘があることです。

縄文人は私たちの想像以上に文化や文明が進んでいたことが、わかってきました。

広範な交易や交流も、日常的に行われたのです。

記録がない方が、おかしいのです。

木を刻むとか縄を綯うという手段で、行われた可能性が高いのです。

もしもそれが、神代文字だったとしたらどうでしょう。

さらには、鬼海カルデラの噴火で世界各地に散った中に中東があった可能性もあるのです。

そう考えると、シュメール文字の元になる文字だって縄文人は刻んでいたのかもしれません。

世界に散った縄文人は、祈りのために石や岩に神代文字やシュメール文字を記したのでしょうか。

彼らの子孫は今なお世界各地に残り、そのために日本では世界各地に似た顔が見つかるというのでしょうか。

これは裏を返せば、世界各地に日本人に似た顔が見つかるということになる。

日本が長い鎖国をしていたので、世界の人はそれに気がつかなかったし日本人もまた気かつかなかったのでしょう。

謎の多い神代文字、知れば知るほど奥は深いです。

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