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プサルテリウムからチェンバロ、琴、ツィンバロムへ ― 弦をめぐる楽器史の迷宮

今日は少し長めに、弦楽器の系譜をじっくりたどってみます。

テーマは「プサルテリウムからチェンバロ、琴、ツィンバロムへ」。世界各地に散らばる弦楽器の名前だけでも目がくらむほど多彩ですが、一歩立ち止まれば、どれも「弦を鳴らす」という単純な発想から生まれた仲間です。

ここでは、構造や弦数、奏法も交えて整理してみます。

 

 

古代メソポタミアとエジプトの弦楽器

弦楽器の系譜を辿る最初の入口は、紀元前3千年紀のメソポタミアや古代エジプトです。

メソポタミアでは「バルル(balag)」や「エン・ネブル(en-nebel)」などのハープ型弦楽器が知られています。

エン・ネベルはフレームハープの構造をもち、弦数は10〜15前後と推定され、指や爪で弦を弾いて神殿音楽に用いられました。

古代文書には祭祀や宮廷での演奏の記録が残っています。

古代エジプトの弦楽器としては、バウハーブ(bow-harp、弓形竪琴)が有名です。

垂直に立てたフレームに弦を張り、撥や指で弾く形式で、弦数は6〜14程度、弓の形状やサイズによって音域や音色が変化しました。

音色は柔らかく、宗教儀式や宴会音楽で多用されました。

 

 

聖書の弦楽器:ネベルとナブラ

イスラエルやフェニキアの文化では、ネベル(nebel)が重要な役割を果たしました。

共鳴箱を持つ撥弦楽器で、羊腸弦を張り、フレームハープに似た構造をしています。

旧約聖書には、ダビデ王が竪琴(ネベル)を弾いた記述があり、神殿音楽で中心的存在でした。

ギリシア語訳では「ナブラ(nabla)」とされ、現代ヘブライ語では単に「ハープ」と訳されます。

弦数はおよそ10〜20、本体の構造により音色が異なり、手指で弾く奏法のほか、簡単な撥も使用されました。

ナブラの音色は柔らかく透明で、祭儀や祈祷に適しています。

聖書ではこれが琴や他の小型弦楽器と併用され、旋律と伴奏を分担しました。

 

 

古代ギリシャとローマの影響

古代ギリシャではキターラ、リラ、ローマではサルプサ(salmis)などの弦楽器が発展しました。

リラは小型フレームハープ型、キターラは板型の箱体に弦を張った撥弦楽器で、弦数は7〜12程度。弦を指や爪で弾く奏法で、祭祀・教育・宮廷音楽に使われました。

これらの形態が、後のプサルテリウムやクラヴィコードの起点となります。

 

 

中世ヨーロッパのプサルテリウムと派生楽器

12世紀頃、プサルテリウム(psalterium)が登場します。

台形または翼形の板に多数の弦を張り、指や羽根ばちで弦を弾く構造。地域により、イタリア・スペインではサルテリオ、アラブ圏ではカノン(qanun)、ドイツ語圏ではハックブレット(Hackbrett)と呼ばれました。

弦数は16〜50前後、構造や音域は地域差が大きく、演奏者の指先の技術や羽根ばちの材質で音色が変わります。

プサルテリウムから派生した系統は大きく二つに分かれます。「弦を弾く系統」と「弦を打つ系統」です。

 

 

弦を弾く系統:クラヴィコード、チェンバロ、ヴァージナル

プサルテリウムを鍵盤化した楽器が13世紀頃に登場。鍵盤を押すと小さなプレクトラム(羽根)が弦をはじく構造がチェンバロ(harpsichord)です。

弦数は通常1〜2オクターブあたり8〜10本×セット複数、音域は4〜5オクターブ前後。

音色は明るく華やかで装飾的パッセージに適しています。

ヴァージナル(virginal)やスピネット(spinet)は小型チェンバロで、室内演奏や個人練習に向く。

クラヴィコード(Clavichord)は羽根ではなく金属タンジェントで弦を押さえるため、音量は小さいが繊細で内省的な響きが特徴。弦数はおおむね30〜50本、弦と鍵盤の距離が短いため微妙な音の揺らぎが可能です。

 

 

弦を打つ系統:ダルシマー、ハンマーダルシマー、ツィンバロム

プサルテリウムの弦を小槌で叩く奏法は、中東のサントゥール(santur)やインドのサントゥール(santoor)へ伝播。弦数は25〜30前後、弦を2本ずつペアで張る形式が多く、槌の材質で音色の変化が大きいです。

ヨーロッパではドイツのハックブレット、イギリスのハンマーダルシマー、東欧のツィンバロム(cimbalom)が発展。ツィンバロムは弦数80〜120本、共鳴胴が大きく、叩く強さや位置で表情を変化させ、舞踏音楽や民俗音楽に適しています。

音色は鐘のような明快さと柔らかな余韻を兼ね備えます。

 

 

東アジアの弦楽器

中国には古琴(七弦琴)、瑟(しつ)、箏(zheng)が古代から存在。

古琴は7本の弦を指で撫で、左手で音程やビブラートを加える撥弦楽器。

箏は13〜21本の弦を持ち、指に爪をつけて弾く。

日本には奈良時代に伝来し、十三絃箏などに発展しました。

朝鮮半島の伽耶琴(カヤグム)、玄琴(コムンゴ)は6〜12本程度の弦で、爪や指で弾き、左手で音程や装飾音を調整。

モンゴルのヤトガ(Yatga)は10〜21本で、指または小さな撥で弾きます。

弦数や共鳴胴の材質によって、余韻や音色の幅が大きく異なります。

 

 

構造・奏法・音色の比較



系統 代表楽器 弦数 構造 奏法 音色の特徴
弾く チェンバロ 60〜100 プレクトラムで弦を弾く鍵盤 指で装飾音を弾く 明るく装飾的、音量変化少
弾く クラヴィコード 30〜50 金属タンジェントで弦を押さえる 鍵盤押下で音を発生 柔らかく繊細、表現力豊か
打つ ダルシマー 25〜50 小型台形共鳴箱 小槌で弦を叩く 透明で跳ねる音、リズム的
打つ ツィンバロム 80〜120 大型台形共鳴箱 小槌で強弱自在 鐘の響き、余韻豊か
弾く 古琴 7 長共鳴胴、指で弦を撫でる 左手で音程調整 静謐、余韻長い
弾く 13〜21 平たい共鳴胴、指爪使用 弦を弾き、左手で装飾音 柔らかく明瞭、揺らぎが美しい
弾く ネベル 10〜20 フレームハープ 手指または撥で弦を弾く 透明で神殿音楽に適

この表はほんの一例で、地域・時代・制作者によって弦数や音色は大きく変化します。

 

 

 

締めくくり

こうして見渡すと、プサルテリウムを起点とする西欧のチェンバロ・クラヴィコード、打弦楽器群、東アジアの琴や箏、古代メソポタミア・エジプト・イスラエルの神殿楽器まで、まるで枝葉が四方八方に広がる樹木のようです。

弦を鳴らすという最小限の発想から、これほど多様な文化の音景が広がったことを思うと、楽器史は単なる道具の変遷ではなく、人類の想像力と感性の証そのものに見えてきます。

各文化の奏法や共鳴胴の形、弦数の違いが、音色や表現の幅に直結していることも面白い点です。

プサルテリウムの響きは、チェンバロの荘厳さに、ツィンバロムの情熱に、琴や箏の静謐さへと変化しました。

構造や奏法の違いはあれど、根底にあるのは「弦を鳴らす」という単純な仕組み。

この数千年の文化的旅路を耳でたどることで、各地の感性がどのように響きを作り出したかを実感できるでしょう。

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