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動物はなぜ整体に通わないのか。

そもそも動物の世界には整体院がない。

通おうにも通えないし、誰が施術するのかという問題もある。

人間に比較的近い体の動きを持つのは猿類やネコ科くらいだが、猿はどこにでもいるわけではないし、ネコ科は気の合う相手にしか触れない。

それも、巧みに揉むわけではない。

ただ、相手が力を抜く条件は、ちゃんと満たしている。

 

ヒヅメでは無理。

普通の足でも不器用。

体が硬ければ、寄り添うことすら難しい。

ここまで来ると、

『信頼できる相手に整えてもらう』という発想そのものが、

ずいぶん人間的なものに見えてきます。

多くの動物は、

誰かに体を預けて調整してもらう前提で生きていない。

調整を外注できない世界で生きている。

だから彼らは、

壊れきる前に戻す。

戻せなくなったら終わる。

その条件の中で生き延びてきた結果として、

毛づくろいがあり、

じゃれ合いがあり、

伸びと欠伸がある。

それらは治療ではない。

リラックスでもない。

体を「戻せる範囲」に保つための日常動作だ。

寄り添うことができる体。

伸びきることができる背骨。

大きく口を開けられる顎。

それが失われたら、

塀の上は歩けないし、

狩りも逃走もできない。

眩暈に悩む猫がほとんどいないのは、能力の差ではなく、生存条件の差だ。

一方で人間は、

体が硬くなっても生きていける。

制度があり、道具があり、専門家がいる。

だから「戻さなくても何とかなる」期間を、異様に長く引き延ばせる。

その結果として、

整体という制度が必要になる。

つまり、

動物が整体に通わないのは、

自然に治るからでも、

誰かがやってくれるからでもない。

通えなくなる前に、自分で戻す体しか許されていないから。

猫の毛づくろい、じゃれ合い、伸び欠伸は、

優雅な習慣ではなく、

生き残るための最低限の条件。

人間がそれを「健康法」と呼び始めた時点で、

もうだいぶ遠くまで来てしまっているのかもしれません。

整体が必要になる体とは、どんな体なのか。

猫のように戻せとは言わない。

でも、人間は戻さなさすぎではないか。

今日は欠伸を一つ、我慢しないでみるか。

と思ったら、不覚にも欠伸が出てしまった。

序でに、伸びでもしてみますか。

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