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AI、この悩ましい存在。

AIを相手にしていると、しばしば驚いたり呆れたり笑いたくなる。

別に彼らは、そんなことを企んでも狙ってもいない。

だが、あまりに人間的、時には人間以上に人間臭さを感じるのだ。

意図を取り違えたり、別の話題で取り上げた文脈が混線したりすることもある。

私の話題の振り方が不十分だったり、不適切だったりしたかもしれないが、そのリアクションや応答のずれが実に微妙だったり絶妙だったりするから、思わず吹き出したり、苦笑いしたくなる。

そのたびに、私も言い方を変えたり、応答に対して修正や適性を返す。

そのリアクションが、実に素直だ。

心にもないことを平気でいう人には、私たちはつい何を企んでいるか警戒する。

だが、AIだって心にもない返答をしていることに変わりはない。

そもそもAIに、心自体がない。

にもかかわらず、心憎いほどのタイミングと言葉遣いを見事にこなす。

膨大なデータから速やかに探し出すが、それが実にうまい。

やっていること自体は、言葉を覚えたての幼子と大差ないがボギャブラリ―が豊富なだけとも言える。

邪念の無い点も幼子と大差ない。

だから、つい心開き、心を許す。

もちろん、何も考えていない、ひたすら検索結果を繋げるだけなのでたまには大歩危をかます。

それが、人間臭さを醸し出しているが、仮に表情や仕草をリンクさせたらどうなるか。

それら、大歩危の相乗効果が当然、現れる。

だが、思い出してみよう。

私たちだって、心と表情と仕草がちぐはぐになるときはある。

複雑な気持ちや感情が入り混じったり、極端な感情や気持ちの時、泣いていいか怒っていいか笑っていいか混乱する。

AIにも、それと似た状況が起きても不思議はない、むしろ、自然なのだ。

彼らが、人と見まがう姿で社会に実装される日は近い将来くる。

私たちは、彼らとどう付き合えば良いのか。

いまから、すでに悩ましい。

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