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気候危機は現代版ノアの洪水か? 全人類が乗れる箱舟は供えられているか

海が荒れ、雨が異常に降り、水が生活圏を飲み込む、そういう報道に触れること多くなった、そういう気がします。

たとえば、近年の大雨による河川の氾濫や海岸沿いの高潮、猛暑による山火事や停電――こうした現象は、まるで現代版のノアの洪水を思わせます。

洪水が「水で世界を一掃した」ように、現代の災害も私たちの生活圏を押し流す力を持っているのです。

 

 そんな光景を、私たちはほとんど毎日のように、目の当たりにしている。

 以前は、新聞やテレビと言ったかもしれないけど、今はネットで電車やバスの中でさえも。

 

創世記には、神がノアに箱舟を命じ、全ての生き物を救った話があります。

 

 全てと言っても、全ての種から一つがいだったかもしれないけど。

 

でも、現代版ノアの洪水では、箱舟を建造するのも運航するのも人間自身になっていますね。

 

今さら、神の手を借りるわけにはいかないでしょう。

 

 自業自得だからでしょうか。

 神の怒りを買いませんか。

 

大気の川という、水蒸気の循環システムが危うくなっていませんか。

今、もし再び世界が洪水に見舞われたら――人類は乗れるのでしょうか。

 

 創世記の神は言った、「二度と地を水で滅ぼすことはない」と。

 しかし、文明が自ら気候危機を加速させていませんか。

 皮肉にも、人類は自分の手で洪水リスクを高めている。

 

ここで思い出すのは、マタイの十人の乙女の話ですね。

 

灯を灯す油を備えていた賢い乙女は宴に入り、油を用意していなかった愚かな乙女は取り残された。

 

 現代に置き換えれば、科学・技術・政策・知恵となるでしょうか。

 これらを備えていた社会は“箱舟に乗れる”。

 備えなかった者は、水の前に立ち尽くすしかない。

 

箴言には、「知恵ある者は災いを見て避ける」とある。

まさに今、この言葉の重みを感じませんか。

 

防災インフラ、再生可能エネルギー、循環型農業、国際的協調、どうなっているでしょう。

 

 これらが、現代版箱舟の装備となるでしょうか。

 しかし、備えを怠れば、洪水の前では無力になってしまう。

 

イザヤの言葉も思い起こしたいですね。

 

 「雨は地に降り注ぎ、決して空に戻らない」。

 

気候危機の雨は、文字通り世界を満たし、戻ることはないですね。

 

 私たちは、ただ見守るだけでよいのでしょうか、

 それとも箱舟を造り、皆を乗せる努力をするのか。

 

選択の時は、すでに迫っている。

 

このように聖書の、ノアの洪水・大気の川・十人の乙女・知恵ある者の警句・雨の比喩を、現代の気候危機や備えの話として捉えると。

 

 結構、身につまされますね。

 

現実の気象危機を、もう少し、実際に即してリアルにみると。

 

 そうすれば、兄弟の目のゴミの話も絡んできますか。

 

 兄弟の目に入るゴミは、小さな自然災害や生活への被害の象徴ってことですか。

 

 箱舟は、もう造り始める段階に来ていないか。

 全人類が乗れる箱舟は備えられているか、っていうことですか。

 

ここ数年、台風や豪雨のニュースを耳にしない日はない。

街路樹の枝が折れ、屋根瓦が飛び、川の水位が危険水域に達する――そんな光景を見て、ふと思う。

これ、現代版ノアの洪水じゃないか、と。

 

私たちは、創世記のノアのように神からの指示で箱舟を建てられるわけではない。

 

 洪水のリスクを減らすための備えは

 自分たちの知恵と技術で築くしかない...

 

防潮堤、排水ポンプ、避難施設、そして気候データに基づく都市計画――これらが現代版箱舟の部材ではないでしょうか。

 

 兄弟の目に入った小さなゴミのような災害も、放っておけば大きな問題になる。

 

 強風で家の屋根に散らばった枝、雨で冠水した路地の砂利、道路に溜まった落ち葉

 小さな出来事が積み重なり、洪水や土砂災害の引き金になりうる。

 

 箴言の「知恵ある者は災いを見て避ける」という言葉を思い出す。

 日々の小さな対策こそが、箱舟に乗れるかどうかを左右する。

 

ちょっと待った。

これ、人のあら捜しをする前に、自分のもっと大きな落ち度に気がついて直してから言えと。

 

 なぜ、あなたは兄弟の目のごみを見て、自分の目の梁に気づかないのか。

 

今挙げたものの原因、ひょっとしたら自分が作ったものじゃないかと反省してから、言えと。

 

 乱開発、目先のことに捕らわれて手入れを怠った環境とか。

 自分のやったことを正してから言えと。

 

マタイの十人の乙女の話も、思い返さざるを得ないですよ。

灯油の用意がないと婚礼の宴に入れなかった乙女たち。

 

現代なら、防災の備え、避難訓練、地域のネットワーク――準備を怠れば、洪水の前では取り残されます。

 

 備えを怠った小さな行動も、大きなリスクにつながる。

 

自分の落ち度を棚に上げて人のあら捜しするなら、備えを忘れた愚かな娘が備えをしていた娘の小さな落ち度をあげつらうようなものでは。

 

 イザヤの「雨は地に降り注ぎ、決して空に戻らない」という言葉も、今の現実に響く。

 

降る雨はただの天気ではなく、河川の氾濫、土砂崩れ、農作物の損失をもたらす。

 

かつての神話や比喩の中の洪水が、今、私たちの目の前に現れているのではないか。

 

 この洪水に備え、全人類が乗れる箱舟を用意する

 

 それは物理的な船ではなく、知恵と技術、政策と協力の総体ということ

 

 兄弟の目に入った小さなゴミも、見逃さず取り除くことから始める。

もちろん、もっと大きなゴミを取ってからすれば、もっといいけれども。

 

小さな備えの積み重ねが、現代の洪水に立ち向かうための唯一の方法なのだから。

 

現代版洪水や気候危機の話をしてきたけど

 

人の被害や不備ばかり指摘しても意味がない

 

まず自分自身ができる備え・対策を整えろ

 

私たちは、現代版ノアの洪水とも言える気候危機に直面しています。

 

つい周囲の無策や他人の不注意に目が行きがちですけどね。

 

しかし、聖書が教える通り、兄弟の目のごみを指摘する前に、自分の目の梁のような大きなごみに気づかねばならないでしょうね。

 

 つまり、洪水の前で私たちがすべきことは、他人を非難することではない。

 

 自宅や地域の排水の整備、防災計画、日常の小さな備えそういうことですね。

 

 自分ができる現実的な“箱舟”の準備を整えること

 

自分の目の梁を取らずに、他人の小さなごみをどうこう言う暇はない

 

降り注ぐ豪雨、荒れる海、増す水害――それは比喩ではなく、現実に起きていることです。

気候危機は、誰かの目に入った小さなごみではない。

文明全体の目に刺さった、梁のような問題だ。

 

だからこそ、自分の目の梁を取り除くようにということですね。

 

私たちはできることから始めなければならない。

 

備えは、全人類が乗れる箱舟を作る一歩にほかならないでしょうね。

 

洪水や豪雨を前にして、私たちができることは、他人の非難じゃない。

 

自宅の排水を確認する、避難経路を確認する、防災グッズを用意する――それが自分の目の梁を取り除く作業。

 

 確かに、小さなことだけど、やらないと怖い。

 

降り注ぐ雨、増す水害、荒れる海――これはもう比喩じゃない。現実に起きている。

だから、まず自分ができる現実的な備えを整えること。

それが、現代の洪水に立ち向かう唯一の方法。

全人類が乗れる箱舟を作るのも、結局は一人ひとりの小さな行動の積み重ねですからね。

 

 それにしても、自分の目の梁って、気づきにくいものですよ。

 

ああ、そうですね。

人のことはよく見えるのに、自分の大きな問題は見えない。洪水のように、気づかないうちに押し寄せてくるのが恐ろしいところ。

 

 備えって、結局、自己責任?

 

いや、自己責任だけど、孤独じゃない。

知恵や技術、地域の協力――それが現代版の箱舟。まず自分の目の梁を取るところから始めて、少しずつ全体を整えていく。

 

 なるほどね。

 洪水の前の小さな準備が、箱舟の一歩になる、と。

 私自身は、箱舟のどこを作っているのか。

 

そう。

小さな行動の積み重ねが、現実の洪水を食い止める力になります。

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