科学

やはり重力波は引力と斥力から出来ている?!

私達は何気なく床や地面に立っているが、素粒子の目から見たら驚くべき事が起きていると言います。

素粒子レベルで見れば、地面も床も私達の体も、隙間だらけのスカスカなのだそうです。

怖いですよね。

どうして、私達の体は地面や床に落ちていかないのでしょう。

詳しい話は省くが、要するに素粒子の間で働いている作用のおかげだそうです。

最新科学は、原子は電子と原子核から出来ていると明らかにしました。

ところが電子が原子核の周りをまわると、電磁波を放ってあっという間に原子核に落ちていくそうです。

怖いですよね。

そこで、電子は決まった軌道で原子核の周りを回っているとして一件落着しました。

実際には、電子の軌道は原子核の周りを取り巻く雲や霧のようになっているそうです。

アインシュタインは、重力を取り込んだ一般相対性理論を作りました。

それで宇宙を動かしてみたら、引力が働いてあっという間に宇宙は潰れてしまいました。

怖いですよね。

そこで、アインシュタインは苦し紛れに宇宙定数を導入しました。

すると宇宙は膨張しているらしいと言う情報がやってきて、アインシュタインは宇宙定数を投げ捨ててしまうのです。

ところがいま、物理学者達は量子力学と相対性理論の統一で悩んでいます。

素粒子レベルではスカスカな私達の体が、素粒子レベルではスカスカな地面や床に立てるのは素粒子の間で働いている作用のおかげです。

電子が安心して原子核の周りにいられるのは、決まった軌道のおかげです。

だったら、宇宙が引力であっという間に潰れないのは宇宙定数のおかげと言っちゃまずいのですか。

電磁波と重力波は、よく似た式で書けるそうです。

電磁波は電場と磁場、だったら、重力波は引力と斥力でいいじゃないですか。

電気はプラスとマイナス、磁気はNとS、スピンは上向きと下向き、物質は粒子と反粒子、それならば重力波は引力と斥力でいいじゃないですか。

電磁波は電場が動くと磁場が、磁場が動くと電場が、生まれます。

なら、重力波も似たようなメカニズムがあるはずです。

素直に見れば、物質が空間を押していると考えるのが自然なはず。

重力波は斥力が動けば引力が、引力が動けば斥力が、生まれると見ればどうでしょうか。

そうすると、案外すんなりと量子力学と相対性理論は結び付けられるのではないでしょうか。

どんな式になるか、やってみてくださいな。

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自然塩とココアと蜂蜜と免疫力?

マタイによる福音書 5章
13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

皆さんは、この聖句をどう思うでしょう。

動物達は、時々土を食べます。

何故かと言うとミネラルが欲しいからなのだけれど、欲しいのはミネラルだけではなく塩分もなのです。

イザヤ書 30章
24 地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。
牛とろばが食べている飼料に混ぜられているのは、塩は塩でもミネラル豊富な自然塩なのです。
塩を摂らないと皮や腸は破れやすくなるので塩を与えるが、その塩は自然塩でなければなりません。
食塩と称する精製されている純粋な塩化ナトリウムでは、ダメなのです。
精製されている純粋な塩化ナトリウムこそ、マタイによる福音書5章で言うききめのなくなった塩なのです。
ミネラル豊富な自然塩は、肌荒れ防止にも、腸や血管の破れ防止にも、役に立つのです。
自然塩には、体の中を細胞レベルから改善する力があるのです。
メカニズムの解明は、まだまだこれからでしょう。
マルコによる福音書9章50節には、「塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。」とあります。
ここでイエスが持つように求めた塩はもちろん神の御言葉の例えだけれど、例えられている塩は言うまでもなく自然塩です。
自然塩は体内を細胞レベルから整える力を持っているとしたら、免疫力もまた、改善しているのかもしれません。
免疫力を担当する細胞も、あるわけですから。
自然に生きる動物達には免疫力を上げるしか、怪我や病気から身を守るすべはありません。
もしも自然塩が彼らの免疫力に役に立っているとしたら私達も使わないと言う手はない、そう思いませんか。
塩は使い方次第で、素材の持っている甘味を引き出しもすれば、食欲を促進する心地良い刺激にもなります。
その毎日摂っている塩を自然塩に変えるだけで免疫力向上が期待できるかもしれないなら、安いものです。
塩分って血圧大丈夫ですかと不安になるかもしれないが、自然塩ならその心配はあまりいらないでしょう。
チーズの保管には塩が必要なのだが、食塩と言う名の精製された塩分ナトリウムではチーズはボロボロになると言うのです。
でも自然塩ならチーズを損なう事なく、保管出来るのです。
それでもなお血圧が心配な方には、チョコレートやココアをお勧めします。
チョコレートやココアは血圧を正常値に整えてくれるポリフェノールたっぷりなので、塩分を安心して堪能してください。
チョコレートは苦さに色々あるし、ココアには砂糖抜きのパウダーもあるので、お好みの甘さでお楽しみください。
ちなみにチョコレートやココアは食物繊維も豊富です。
食物繊維とオリゴ糖は腸内フローラを整える役割があるが、蜂蜜にはなんと15種もオリゴ糖があると言います。
蜂蜜は少量でも結構甘いので、カロリー控えめでココアが楽しめて腸内フローラにも良い飲み物になります。
蛇足ながら、私は蜂蜜で飲むココアにはまっています。
自然塩とチョコレートやココアの合わせ技、ついでにオリゴ糖が手軽に摂れる蜂蜜、試してみてください。
毎日美味しく楽しめて、免疫力も上がるかもしれません。

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ヒッグス粒子達の仕事は素粒子達の体重測定か。

科学者達は、ヒッグス粒子は素粒子達に質量を与えていると言います。

私は創世記2章19節を、思い出すのですけどね。
そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。

素粒子達はヒッグス粒子のところに来ると、生き物達がアダムに名前を与えられたように、質量を与えられると言うのですよ。

でも考えてみて欲しいのです。

水素には陽子と電子一つづつのものもあれば中性子の数によって二重水素や三重水素があるし、陽子と中性子も僅かだけど質量の差があるのです。

ヒッグス粒子はいちいちルールブック片手に規則正しく質量を決めるなんて、面倒くさい真似しているのでしょうか。

素粒子達を体重計に乗せて、目盛りを読んでいるだけとしたらどうなのでしょうか。

実はヒッグス粒子は、ヒッグス場として仕事をしているのです。

ヒッグス粒子とは、量子化されたヒッグス場の事なのです。

ヒッグス場に敷き詰められたヒッグス粒子に飛び込んできた素粒子達の止めやすさを、ヒッグス粒子は測っているのです。

加速度と重力は、区別がつかないのです。

加速度とは、運動を減速したり加速したり、運動の方向を変えたり、する時に働く力と思えば良いのです。

だから動かしやすさや止めやすさを調べれば、質量を測れるのです。

ヒッグス粒子達が使っている体重計は、ヒッグス粒子自身なのです。

ヒッグス粒子達は体を張って素粒子達を受け止めて、止めやすさで質量を調べているのです。

でもこれって、重力場や重力粒子のやっている仕事とどう違うのでしょうか。

もし、重力場や重力粒子が別にあるとしたらどうなるのでしょうか。

これだから、疑う事はやめられないのです。

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進化論者と創造論者の違いとは何か。

進化論者とは、答えに詰まると時間にすがる人達の事ではないでしょうか。

進化論者は創造論者に向かって、何かというと神を持ち出すと揶揄したがるが、そういう自分は何かというと時間を持ち出すのではないでしょうか。

つまり進化論者とは、時間神の信者の事を言うのではないでしょうか。

違うでしょうか。

聖書には「疲れた人は私のところに来なさい、あなた方を休ませてあげよう。私のくびきを負うて私にならいなさい」とあるが、進化論者にそのありがたいお言葉をくださる神様が時間神なのではないでしょうか。

私には、そうとしか見えないのですけどね。

進化論者とは詰まるところ、時間神がすべてを創造したもうた絶対神なのだと主張する創造論者の別派に過ぎないのではないでしょうか。

要所要所に時間を持ち出すと進化論者、要所要所に神を持ち出すと創造論者、と言う事は時間が進化論者にとっての唯一絶対神なのではないでしょうか。

進化論者は面倒くさいと全然時間のせいにして安堵するが、創造論者は面倒くさいと神に救いを求めて安堵する、私にはそう見えます。

進化論者にとって時間とは停止した思考のゴミ箱みたいなもの、創造論者にとって神とは人生の先導者みたいなもの、私はそう感じます。

時間は、進化論者にとって面倒くさい問題を引き受けて肩の荷を軽くしてくれる救い主、創造論者にとって主の再臨に備えるために無駄にできない存在。

「凄いな」と思うと、「誰がこんなもん作ったのか」と首を傾げる人は多いのではないでしょうか。

その疑問を、全ての存在に感じて答えを探そうとすると創造論者になるが、明らかに自然物と思える存在は除外して答えを探そうとすると進化論者になる。

「凄いな」と思うと「誰がこんなもん作ったのか」と首をかしげる、その疑問の首尾一貫しているのが創造論者、その反対が進化論者。

そう見たら、違うでしょうか。

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修験道と秦氏。

山岳宗教史研究叢書7に『東北霊山と修験道』が、収められています。

こう言う内容です。

総説 東北霊山と修験道
第1篇 下北・津軽の山岳信仰
第2篇 陸中の修験道と山岳信仰
第3篇 陸前の修験道と山岳信仰
第4篇 羽後の修験道と山岳信仰
第5篇 羽前の修験道と山岳信仰
第6篇 磐城・会津の修験道と山岳信仰

修験道は修験宗とも言い、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教です。

修験道の成立には仏教の行脚や道教の入山修行も影響していると言われ、森羅万象命や神霊が宿るとして神奈備(かんなび)や磐座(いわくら)を信仰の対象とした古神道に、それらを包括する山岳信仰と仏教が習合し、さらには密教などの要素も加味されて確立したとされています。

修験道は飛鳥時代に役行者とも呼ばれる役小角が創始したとされるが、役小角は謎の多い人物です。

役小角が属した役氏(えんうじ)あるいは、役君(えんのきみ)は三輪系氏族に属する地祇系氏族です。

葛城流賀茂氏から出た氏族であることから、加茂役君、賀茂役君(かものえんのきみ)とも称されます。

役民(えきみん)を管掌した一族であったために、「役」の字をもって氏としたと言います。

役民とは、都の造営などの際に徴収される労働者のことです。

また、役氏は大和国・河内国に多く分布していたとされます。

賀茂氏は、秦氏の中でも特に祭司の一族と指摘されています。

となると、役小角もまた、秦氏であった可能性が見えてきます。

修験道の行者は、山に詳しい人も多いのです。

修験道の行者となれば、誰にも怪しまれることなく山奥に分け入ることができます。

秦氏の拠点を置いた場所と、何らかの資源の分布を重ねてみると、面白い事に気が付けるかもしれません。

何故に秦氏は、仏教と神道の両方に関わりを持ったのでしょうか。

日本中の資源の情報、そして、大陸の最新情報、この二つを誰にも疑われる事なく調べるのにこの二つは実に好都合です。

殖産豪族秦氏が目をつけない方が、おかしくないですか。

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絶対音感の持ち主の脳では何が起きているか。

最近、近赤外線で脳の様々な部分について働きを調べるのは当たり前になってきました。

検出用のネットやキャップを被るだけなので、脳の働きについて自在に研究ができるようになったのです。

この結果は、そのような手法が可能になったからこそ得られたものの一つです。

脳は音楽を連続的変化としてとらえ、言葉を単語ごとの塊として処理しているのです。

絶対音感の持ち主は、音楽を言葉のように脳内で処理するように幼少期から特訓されていることが研究で明らかになったのです。

絶対音感の持ち主は、音を単語として聞いているのです。

なるほど、絶対音感の持ち主はドレミの歌で頭がクラクラするわけですね。

歌詞にある「ド」「レ」「ミ」と、音階の「ド」「レ」「ミ」が一致していないからですね。

赤で書かれた「青」や緑で書かれた「黄」を見せられて頭がクラクラするのと、絶対音感の持ち主がドレミの歌でクラクラするのは、同じ現象だったのですね。

ちなみに、言語の聞き取りで面白い事があります。

幼い頃は、実に様々な音を聞き分けられるのです。

成長するに従って、周囲の人々の言語を正しく聞き分けるのに邪魔になる音は認識しないようになるのですね。

それで日本語になれた耳には”L(エル)”や”R(アール)”の音を聞き分けるのが苦手になり、欧米諸国の言葉になれた耳には日本人が無意識に排除して聞き流している音も聞こえてしまうと言うわけなのです。

さらに日本語は子音と母音が必ずセットなので脳は自然の音まで言語として処理してしまうが、子音で終わる単語が多い言語の人々の脳は自然の音を雑音として処理してしまうのです。

脳の働き、興味が尽きないですね。

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恒星は核融合で光ってなんかいない。

恒星では天体の中で核融合が起きていると言うが、本当なのでしょうか。

一般的には、小型のプラントでできないことは大型プラントでも難しいのです。

実験室ではできても、工業化のための実験プラントで同じ事をするのも、そう簡単ではありません。

何故ならば、大型化すれば繊細な制御がより困難になるからです。

天体の中で実現している核融合を地上の小さな空間でやるから困難なのだと言うが、実は核融合と言うのは極めて繊細な制御が必要な過程だとと研究を重ねれば重ねるほど明らかになっているのです。

核融合は、規模が巨大化すれば制御はより困難さが増すでしょう。

巨大な天体は磁場も強力だが、ガス天体モデルで強力な磁場がどうしてできるのかは、上手く説明できるとは思えないのです。

むしろダイナモの方が、なぜ強力な磁場が巨大な天体にできるか説明は簡単でしょう。

それに恒星の磁場はたいていループ状、つまり磁場の繋ぎ変えで蛍光灯のように大気が光ると言えば説明は簡単になるのです。

そして、強力な磁場の発生はダイナモでも十分説明ができるのです。

ペテルギウスには巨大な瘤があるが、ガス天体モデルではこの瘤がなぜできるのかなぜなかなか消えないのかの説明不能でしょう。

核融合は極めて繊細な制御が必要だが、ガス天体モデルではガスの動きの計算はスーパーコンピューターでも使わないとまず無理です。

地球の100Kmの厚さの大気でさえ、スーパーコンピューターが計算には欠かせません。

それよりもさらに大気が厚いなら、もっと動きは複雑になるはずです。

対流もあれば、極地と赤道でのずれもあります。

周囲にほかの天体があれば、大気の動きはもっと動きは複雑になるでしょう。

ガス天体のように大規模化すればするほど、核融合の持続可能な条件や状態の維持は困難さを増すのは、当たり前すぎると言えるでしょう。

核融合は実現は可能かも知れないが、天体の中では恐らく絶望的に無理でしょう。

恒星がなぜ光るのかは、ダイナモで発生した磁場が時点によってねじれてループ状になり繋ぎ変えが起こることによって大気が蛍光灯のように光ると見れば十分に説明できるのです。

それに、大きいからと言って恒星になるとは限らない事も明らかになってきました。

大きくなれば核融合で光りだすという、従来の説では説明が付かないのです。

それと、重力だけでガスが塊を作って天体が生まれるというのも、説明に無理があります。

その重力発生源は、どうやってできるのでしょうか。

むしろ、プラズマの球が周囲のガスを引き寄せて天体ができると言う方が簡単ではないでしょうか。

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電磁波と重力波を比べてみた。

電磁波と重力波は、奇妙なほど似た式が登場するといいます。

電磁波は、電気の波と磁気の波の組み合わせでできています。

電磁波では、電気のエネルギーと磁気のエネルギーがまるで振り子のように行ったり来たりしながら、波が進んでいくのです。

重力波は、その電磁波と極めて似た式となるといいます。

だとするならば、重力波も電磁波と似た構造であるはずです。

アインシュタインは重力が引力だけでは宇宙はあっという間に潰れてしまうという事で、宇宙定数をしました。

宇宙定数とは、引力と大きさが同じで方向が反対な存在です。

ニュートンは引力は何処にでもあるという事で、万有引力と呼びます。

つまり、巨大な銀河や銀河団、恒星や惑星と言ったものから、小さな基本粒子に至るまで、引力はあるのです。

ならば、宇宙定数も、巨大な銀河や銀河団、恒星や惑星と言ったものから、小さな基本粒子に至るまであるはずです。

小さな基本粒子では重力は余りにも小さいので、ほとんど考慮されません。

でも、重力が小さな基本粒子では無視して良いほど小さくてもないと言ってはいけないのです。

何故ならば、宇宙定数を膨張宇宙に置き換えるという事は、基本粒子のある時空も膨張していなければおかしいのです。

宇宙開闢から今日まで、基本粒子の世界の大きさは同じだが、時空は膨張しているというのでしょうか。

時空が膨張しているというなら、なんで天体の大きさは影響を免れるというのでしょうか。

矛盾しています。

遠くを見ることは過去を見ることと言いながら、遠くの宇宙ほど早く遠ざかっていくという事は膨張が加速しているという事と主張する、矛盾しています。

挙句の果てに、膨張宇宙と宇宙定数を結び付け始めました。

アインシュタインの使ったのとは別の意味を込めて、です。

宇宙論でもしも、エーテルにかつてと別の意味を込めて復活させようと言ったら、誰がまともに取り合うでしょう。

ご都合主義もいい加減にして欲しいものです。

宇宙定数を言うなら、アインシュタインの原点に立ち返るべきでしょ。

重力には引力と斥力があるから、重力波と電磁波は似た式になるのです。

電磁波で電気の波と磁気の波が直交しているというなら、重力波で引力の波と斥力の波が直交しているから、似た式になると認めるだけでいいのです。

簡単でしょ。

違いますか。

膨張宇宙は、斥力が見せていた幻影に過ぎないのです。

それを認めたくないから、重力に斥力があると言えないなら、これって科学ですか。

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生き様の美意識といじめは相容れない。

いじめは時として、犯罪にまでエスカレードします。

 

とは言え、犯罪はすべていじめではないし、いじめが全て犯罪ではありません。

 

いじめは、何よりもまず人権や人格を無視しているという点で、倫理や道徳、モラルの問題です。

 

倫理や道徳、モラルの問題を踏み外した先に、犯罪行為があるのは確かですが。

 

いじめには、犯罪レベル、グレーゾーン、倫理や道徳やモラルの問題と段階があります。


いじめは、何よりもまず倫理や道徳やモラルの問題であるので、その人の価値観や生き様の美意識が問われると言って良いでしょう。

 

いじめ問題の構図をわかりやすく図にするなら、一番大きな丸の中に倫理や道徳やモラルの問題、次に大きな丸の中にグレーゾーンの問題、そしてグレーゾーンの丸の中に犯罪レベルの問題の丸となる、同心円モデルを考えると良いでしょう。

 

集合論に親しんだ人には、犯罪レベルの問題はグレーゾーンの問題の部分集合であり、グレーゾーンの問題は倫理や道徳やモラルの問題の部分集合である、という方がわかりやすいかもしれません。

 

そこで、一人一人の、倫理や道徳やモラルの段階を正す必要性があるとなるでしょう。

 

いじめをなくす問題は、倫理や道徳やモラルの間の闘いであり、価値観の間の闘いだとなるでしょう。

 

だから厄介であり、なかなかなくせないと言う事になるのです。

 

そこで、生き様の美意識を磨き鍛える必要性があるとなるでしょう。

 

誰だって醜いのは、嫌でしょうから。

 

美は、真善美の最後に来ます。

 

真善美の最後に来る事は、美の位置付けが一番低いと言う事ではありません。

 

むしろ逆なのです。

 

美意識を鍛えるためには、善い事・より善い事・最も善い事のうちで最も善い事を選べる心を鍛え上げる必要があります。

 

最も善い事を選べる心を持ってこそ、確かな審美眼があると言えるでしょう。

 

最も善い事を選べる心を持つには、自分はどのように生きたいか、その選択が関わってきます。

 

自分が一生かけて歩むに値する道を、選び取らなければならないのです。

 

そこにたどり着ける真の道を見出せる判断力を養う、日々の努力が求められるのです。

 

いったん美意識を磨ければ、最も善い事を選ぶのは容易になり、目的にたどり着ける道を見つけるのも容易になるでしょう。

 

もしも迷うようなら、何度でも何度でも、美意識に磨きをかければいいのです。

 

美意識は、一生をかけて磨くに値するのです。

 

生き様の美意識を磨く努力を競い合い励まし合い、共に学びあって一緒に高みを目指すなら、いじめは馬鹿らしいこと、自分の成長を妨げる事になるでしょう。

 

お互いがお互いの、師となり弟子となって教え合い学びあって美意識を磨き合って心の高みを目指す人生を歩もうではありませんか。

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零点振動と宇宙定数と宇宙論

重力は、物質が空間を歪めた結果現れてくる力です。

 

でも、考えてみてください。

 

物質はどうやって空間を、歪めたのでしょう。

 

シートの上に物を置けば、シートはへこみます。

 

物が地球の重力に、引かれたからです。

 

じゃあ、無重力状態の中で物質はどうやって、空間を歪めたのでしょう。

 

実は、全ての基本的な粒子には零点振動があるのです。

 

空間の中に、絶えず振動している物質があるので、空間は歪むのです。

 

アインシュタインは、重力が引力だけと考えると世界は一瞬で崩壊してしまうので、大きさは引力と同じで方向が反対な力として宇宙定数を導入しました。

 

宇宙は膨張しているように見えるというので、アインシュタインは原因不明な宇宙定数を捨てて宇宙膨張に乗り換えてしまいました。

 

だが今、膨張宇宙論では再び宇宙定数を評価する方向に向かっています。

 

だが、考えてみてください。

 

かつて投げ捨てたエーテルを、解釈を変えて復活させようとしたならどうでしょうか。

 

いちいち注釈をつけないと議論は混乱するから、昔の解釈のままで復活させないとならないのではないでしょうか。

 

宇宙定数を再評価するというなら、アインシュタインが使ったのとは別の意味ですと言ってもいいのでしょうか。

 

いくら仲間内で納得したつもりでも、経緯を知らない人がいきなり聞いたらアインシュタインの使った意味で宇宙定数を取り入れていると思われる可能性が大きいはずです。

 

アインシュタインは定常宇宙を前提として、引力と大きさが同じで方向が反対な宇宙定数を導入したのです。

 

つまり、宇宙定数を導入することは膨張宇宙論が定常宇宙論の前に膝を屈したに等しいと思われるリスクを冒しているのです。

 

何故なら、重力が零点振動に由来すると解釈するならば、宇宙定数こそ、実は重力を空間から引き出していた張本人と見ざるを得なくなるのです。

 

零点振動で空間が押される時には宇宙定数が作用し、空間が押し返す時には引力が発生するのです。

 

私達が見ている重力とは、宇宙定数と引力が相殺しあった後の力を実際には見ている事になるのです。

 

宇宙定数は空間内に発散していくのに対して、引力は物質の重心に向かって収束していきます。

 

遠くを見るほど光が加速しているように見えるのは、宇宙定数のいたずらによるのです。

 

引力は物質の重心に収束しているのに、宇宙定数はひたすら発散しているので、遠くを見れば見るほど、宇宙定数は加速しているように見えるはずです。

 

加速しているように見える宇宙定数によって、見かけ上歪められた空間を通して光を見れば、光もまた、加速しているように見えるのではないでしょうか。

 

つまり、膨張宇宙とは、宇宙定数が空間に仕掛けたトリックに科学者達がまんまと引っかかって騙された錯覚に過ぎないのです。

 

これこそが、膨張宇宙論における宇宙定数復活の種明かしでありました。

 

おそらく、零点振動は、仮想光子や、物質波にも深く関わっているのでしょう。

 

ならば、零点振動は何が引き起こしたのでしょうか。

 

6つのクオークや、6つのレプトン荷電レプトンである電子・ミュー粒子・タウ粒子、およびニュートリノである電子ニュートリノ、ミューニュートリノ、タウニュートリノをどう解釈するかが、解明のカギを握っているのかも知れません。

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