食文化

吉備団子を食べると何が香ってくるだろうか?

岡山県の旧吉備国地域の土産として有名な餅菓子の一種に、吉備団子(きびだんご)があります、

この吉備団子は江戸時代末期に考案にも拘らず、桃太郎の吉備団子と同一視される経緯があるといいます。

桃太郎に結びつくには、それなりの起源の古さがないとおかしいが、現在のような餅菓子の一種になったのは江戸時代末期の事らしいです。

現在に至る改良製品は、餅米の粉を混ぜて求肥を作り、これを整形して小さく平な碁石形の円形に仕上げるのです。

黍の粉を混ぜて風味づけするものもあるが、使わないものもあると言います。

風味付けに黍粉を使うことがあるのは、元々の原料が黍であることに由来する可能性もあるが、定かではないです。

安政年間(1856年頃)に広栄堂により考案されたとされるが、郷土史家の研究によると団子の起源としては年代が合わないと言うのです。

求肥式の製品考案も明治のことだというから、桃太郎の時代からこのような形でなかったことは確かであるでしょう。

吉備団子のルーツを、岡山の吉備津神社で黍団子がふるまわれたり、境内で飴が売られていた故事に求める声もあるらしいです。

飴と団子では違いがありすぎて少々無理がありそうなので、名前から言っても、製法から言っても、起源を黍団子に求める方が自然に思えるのです。

 

吉備団子と桃太郎の結びつきも、明治時代に菓子製造者が桃太郎のきびだんごと称して販売促進に利用したことに由来するものか、はたまた、昔からの伝承にあやかったものか、定かではないです。

昭和にはいると、桃太郎は吉備津神社の主祭神吉備津彦に由来するとの説がおこる。

それには、この地に伝わる温羅退治が深く関わっているのです。

 

餅菓子の一種である岡山の吉備団子に黍粉による風味付けがあるのは、元々黍団子だったからと言う説が出てくるのは、黍団子の材料となる黍が「もち黍」だったことによるのです。

「もち黍」は、団子や餅の原料とされます。

黍には「うるち黍」もあるが、こちらはもっぱら菓子の原料とされる。黍団子(きびだんご)は、文字通り「黍」(きび)を粉にしてこしらえた団子で、遅くとも15世紀末には用例が見つかるとされます。

桃太郎のおとぎ話では犬・キジ・猿に「きびだんご」を与えてお供を得ることが知られるが、元禄の頃までは「きびだんご」ならず「とう団子」等だった見る議論も展開されています。

 

十団子(とうだんご)は和菓子の一種で、団子または類するものを紐や串でつなげたものである。同名の別菓子が複数あるが、元をたどると江戸時代にさかのぼるらしいです。

一つは、今も地元で作る現在の静岡県静岡市にある東海道の宇津ノ谷で売られた団子です。

もう一つは、かつて宮城県塩竈市の名物として作られたあられもちです。

また、十団子は愛知県名古屋市の熱田神宮にゆかりの藤団子の別名でもあります。

 

黍団子については、昔、麦粉や黍などの雑穀の粉を蒸してついた食物は「餅(べい)」と称していたという考察が、江戸期の暁鐘成の随筆にあります。

「餅」の読みについては「ぺい」の可能性が高いが、実際のところは定かではないらしいです。

また、江戸期の暁鐘成の随筆によれば今の餅は、本来「餐(さん)」と呼ばれていたといいます。

 

餐とは、「食べること」あるのは「食べるもの」のことなので、地域によっては黍団子は古来から主要な食品であったことがわかります。

 

吉備国、特に吉備津神社と「黍団子」という食べ物のとあいだには、少なくとも17世紀初頭までにはなにかしらのゆかりができていたようです。

 

岡山県は、桃太郎に出てくるきびだんごは吉備団子だとして、温羅退治とも結びつけて、うちこそがご当地である名乗りを上げています。

だが、皮肉なことに桃太郎の話を遡ると団子は、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前が上がる一方で、初期のころのには「きびだんご」の名はみえないといいます。

 

「とう団子」についてはすでに見たので、「大仏餅」「いくよ餅」についてみていきます。

 

「大仏餅」は、大仏の形を焼き印で押した餅菓子です。

江戸時代、京都の誓願寺門前や方広寺大仏殿前の餅屋で売り出したのが始めと言います。

奈良名物のものは東大寺にまつわり、鎌倉時代から伝わります。

 

「いくよ餅」は、江戸両国の名物餅で餅をさっと焼いて餡を付けたものです。

元禄(16881704)の頃、小松屋喜兵衛が妻幾世の名をつけて売り出しました。

 

こう見てみると、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前は江戸時代よりもさかのぼることはできないでしょう。

 

一方、特定の団子の名前が作中に見えないと言う事は、それぞれの土地の団子をそこに当てはめて物語をその土地に結びつけていったと見る事ができるでしょう。

 

我こそは桃太郎のご当地であると名乗りを上げている土地は複数あります。

 

岡山県岡山市・総社市

香川県高松市

愛知県犬山市

奈良県磯城郡田原本町

 

これら、名乗りを上げている土地にもいろいろ言い分はあると思うが、桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からであるといいます。

それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはないです。

また、団子も、黍団子以外にも、粟・稗の団子の設定などバリエーションがあることや、桃太郎の話自体にも先に挙げたほかにもいくつもの変形があることだけ、触れておきます。

 

吉備団子についての考察なので、今回は桃太郎にこれ以上踏み込ません。

 

吉備団子の吉備の名も、黍の収穫量が多かった事に由来する地名だと言われています。

 

粟に由来する阿波国や木の国が転じて紀伊国となった例などもあり、吉備=黍の転じたものであろうと考えられているわけです。

 

黍は、イネ科の一年草で、穀物の1種で、日本では五穀の1つとされます。

秋に花が咲き、実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説です。

「うるち黍」「もち黍」の二種があり、黍団子には「もち黍」が使われているのは、すでに見た通りです。

アワより少し大きい実を、そのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりします。

黍はインドが原産と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず詳しい事はまだわかっていないのです。

中国の華北地方では、アワとともに古代の主要穀物でした。

日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に渡来したと考えられています。

生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。現在では、お菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないです。

 

吉備の国の国名の由来にまでなった黍も、今ではお菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないのは、少々残念な気がするのです。

 

どうやら、吉備団子はもともとは「もち黍」を原料にした黍団子であったものが、「もち米」を用いた「餅菓子」に風味付けとして黍粉をまぶしたものに簡素化され、ついには黍粉さえまぶされなくなった「(吉備で作られた団子だから)吉備団子」にまで変質していったものと思われます。

 

古来、高い技術力を持っていた吉備の国、その国名の由来となった黍を原料としたところに名の由来があるであろう吉備団子から黍の要素が薄れていくのは、なんとも寂しい気がするが、これもまた時の流れでしょうか。

 

吉備の国の基礎を築いた民は、どこから来たのかと言う、古代のロマンに思いをはせながら、せめて黍粉で風味付けされた吉備団子を味わってみたいがするのです。

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日本どれだけ中東の飛び地なんですか。

日本の食卓を覗くと地中海が見える、なんてネタでお話をしたことがありました。

そしたら、こんなコメントが寄せられました。
これまで私が話してきた内容が、この中にかなり入ってるのには、思わずビックリです。
以下、全文紹介します。

エジプトの米は日本の農林1号なんです。
しかもエジプトは古代から米食で、品種改良もしていません。
味噌汁は中東のレンズ豆スープと瓜二つ。
ギリシャ料理には「アジの開き」そっくりにいろんな魚を開きにして、タレに付け込んで焼く、というのがあります。

米はアジアではなく、人類発祥の地であるアフリカが起源です。
雨が少ないナイル川流域で発展したのが灌漑農業。
それなりに雨が降る東アジアではそのころはまだ雨水農業が盛んでした。
そのアジアに米と灌漑農業を持ち込んだのが日本に移住した古代日本人である中東人、と思います。
今でも中国人にとっては米は日本人ほどの重要炭水化物ではありません。
これだけ米が好きなのは世界中探しても日本人だけでしょう。
日本では幼児に「ごはん」と言う時、「マンマ」と言いますよね。
エジプトでも幼児に「ごはん」と言う時、「マン」と言います。
両国とも大人には使わない言葉です。
これは私の推測の域を出ませんが、米が「マナ」なのでは?などと思ってしまいます。

伊勢神宮の話を中東人にした時、「いせシュライン」と言ったら「イーセー?」と驚いていました。
アラビア語で「イーセー」はイエスキリストのことですから。
彼らにとっては預言者ですが。

埴輪、を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きます。

日本には「連歌」という文化がありますね。
中東も「連歌」が盛んでした。
彼らは夜キャラバンを率いて砂漠を旅する時、お互いが「連歌」を作りながら楽しく旅をしていたそうです。

目が大きく鼻が高く掘りの深い中東人にとっての「美人」はずばり「平安美人」です。
現代はそこに「金髪碧眼信仰」も加わりますが。
昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」です。
平安時代にそういう顔が美人とされたのは、日本人自体が堀が深い中東顔だったからではないですか?
朝鮮人や中国人が大挙して押し寄せる前の明治維新頃までの日本人には濃い顔が多かったですよね。
実際明治維新頃日本を訪れたヨーロッパ人は本国へのレポートで「日本人は中東顔である」と書いています。
もし千年後に今の日本の漫画が発見されたら、未来人は日本人を「目の大きい人種」と認識するかもしれません。
つまり日本人の民族性は昔も今も、「自分の理想像を描写する」なのかもしれませんね。

古代中東での戦争は、両者が相対しにらみ合いになった時、両者から一人ずつが前に出て、「〇族の〇家の何某!」とお互いが名乗りをあげ、1対1でどちらかが倒れた時に両軍の戦闘が始まる、という、日本の平安時代以前と同じやり方をしていました。

私は中東の歴史ドラマを何度か見たのですが、戦闘のシーンの兵士の持っていた「楯」が日本の「八咫の鏡」と瓜二つだったのには驚きました。
日本ではあれを後生大事にしていますが、映画では兵士全員が持っている消耗品の扱いでした。まー当然ですが。
古代シリア地方を舞台にしたドラマでは戦争中、両者が赤と白のハチマキをして戦っているシーンがありました。サイズも日本のと同じです。

日本語も、古代エジプト語やラテン語、古代ヘブライ語、アラビア語などが混じってますね。こういった事実は、日本を下に組み敷いておきたい中国にとっては抹殺対象なのでしょう。
ひらがな、カタカナのような表音文字が表意文字からつくられるはずがないのです。
漢字から始まったなら簡略化するだけです。
実際、ひらがなとカタカナは古代ヘブライ文字とアラビア文字、しいては古代エジプト文字にそっくりです。
日本という他国の歴史まで「焚書」しようとする中国の傲慢さには反吐がでます。

日本人特有の顔(鼻が高く毛深く甘いマスク)は他の東アジア諸国の特徴的な顔とは全然違います。(当然例外はどこにでもいます。)
顔が違うだけではなく、性格も、他のアジア諸国とは一線を画しています。

長文、失礼しました。

埴輪を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きますの下り、やはりそうでしたかと思わずうなりました。

確かに、滅茶苦茶長く伸ばした前髪や、どう見てもユダヤ人のものと言いたくなる帽子の埴輪を見れば、そりゃ、率直にユダヤかって突っ込みたくもなるでしょう。

わざわざ帽子を埴輪にする時点で、どれだけ大事にしてたんですかって誰だって驚きますよね。

昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」の平安美人顔と言う、指摘にはあらためて驚きました。

そう言えば、天孫一族には古代イスラエル北朝12支族説も出てます。

天皇家の傍系の方々の顔にも、中東顔の指摘があります。

大挙して渡来した秦氏にも原始ユダヤ人キリスト教徒説があるし、平氏の正体にもペルシャ人であると言う声もあるくらい中東の匂いがプンプンしてると言います。

合戦の前に名乗りを上げるところは、このコメントにもあるようにまさに中東のやり方そのものだそうです。

さらに、縄文人自体もアジアとヨーロッパの民族や人種が分かれる以前の人々の子孫とのDNAの解析結果もあります。

言葉についても、ラテン語や古代ヘブル語と共通のルーツと言う説が出るのも、縄文人のせいなんでしょうね。

で、さらに、古代エジプト語やアラビア語ですか。

連歌の文化まで中東と同じですか。

どんだけ、日本って一皮むけば中東が出て来るんですか。

こうなればもう、笑うしかありませんね。

面白い情報満載のコメントにあらためて感謝申し上げます。

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ラスコー壁画と鳥人。

フランスの世界遺産の一つに、クロマニョン人が残した壁画で有名なラスコー洞窟があります。

この壁画自体も何が目的なのかという謎があるのですが、描かれている物にも謎があります。
何を意味するのか分からない記号などもそうだが、壁画唯一の人物が鳥頭の男性と言うのも、謎の一つです。
鳥人と思える鳥頭の男性が、何のために描かれているのか不明なのです。
ラスコー洞窟壁画の鳥人が、何のために描かれているか謎になってしまったのは、研究者たちがラスコー付近の住民の文化の範囲内で解釈を探しているからでしょう。
古代社会は、もっともっとグローバルな世界だったはずなんですけどね。
そこで、視野を広げると答えが見えてくるはずです。
鳥人の傍らには、傷ついて腸がはみ出ているように見えるバイソンがいます。
これは何らかの祭祀を行っているシャーマンではないかと見ることも、できるようです。
すぐそばに描かれている二本の投槍器のうち一つは、頭に鳥の形が付いています。
この絵で連想できるのは、鳥がしばしば天と地を繋ぐ存在として宗教では位置付けられていることです。
この鳥頭の男性は、裸体に見えます。
そして、男性器は勃起した状態で描かれています。
裸体表現は、その人は地上ではなく霊や神々の世界の住民であることを示すことがよくあります。
ギリシャ神話の神々もたいてい裸体で表現されるし、ブラジルのカーニバルも本来は人が神や霊の世界の存在との交流のために共に踊る儀式として裸体で行う行事だったようです。
ブラジルのカーニバルは観光資源化してしまったために衣装を着ることになったが、上級者になればなるほど肌の露出が増えるのも、かつて裸体でおこなれていた時代の名残なようです。
つまり、裸形で鳥頭の男性は、天と地を繋ぐ霊会の使者としてバイソンを屠っているのかもしれません。
牛は聖獣として扱われることが多い動物です。
牛は、聖獣であるがゆえに、神への捧げものとして屠られることも多く、その証拠に犠牲と言う字には牛偏が付いています。
ラスコー壁画唯一の人物である鳥人は、神に日頃の恵みへの感謝とこれからもよろしくお願いしますという気持ちを届ける犠牲として聖獣であるバイソンを屠る儀式をしている可能性はあり得ます。
鳥人に扮した裸形の男性が男性器を勃起させて描かれているのも、自然の豊かな恵みへの感謝と子孫繁栄祈願として、牛屠りの儀式を行っていると見れば、納得できるのではないでしょうか。
ラスコー洞窟は、神聖な儀式の場として用いられていた聖なる空間だったのかも知れません。
そう言えば、古代中東のミトラス神はフリジア帽とも呼ばれるフリギア帽がトレードマークの牛屠りの神だが、ひょっとしたらあの帽子は鳥の変形なのかしらと、ふと思ってしまいました。
もちろん、恵みへの感謝と子孫繁栄を祈願してバイソンを屠っている鳥頭のシャーマンと、太陽神で世界創造の業のために聖なる牛を屠っているフリギア帽のミトラス神と、設定は違います。
けれど、ミトラス神は起源はわからないくらい古い時代からの神ですからね。
牛屠りの鳥人祭祀の意味が忘れられて、フリギア帽と着衣のミトラス神に代わってしまった可能性はないのでしょうか。
一つ疑問が解けたと思ったら、新たな疑問が、浮かんでしまいました。

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バプテスマを受けるとは?

バプテスマ(洗礼)とは、キリスト教の礼典の一つです。

 

 宗派によって、解釈は様々なようですね。

 

ここでは、聖書に従って意味を考えていきたいと思います。

 

キリスト教におけるバプテスマ自体は、聖書によれば洗礼者ヨハネからイエスが受けた故事に由来するとされます。

 

 そう言えば、ヨハネにバプテスマを受けた人たちもイエスの弟子になるにあたって、バプテスマを使徒から受けなおしていますね。

 

ヨハネのバプテスマも天の神である御父に由来しているのは確かですが、使徒たちはイエスから受けた権能に基づくというところが違っています。

 

この話の前に、まず、イエスのバプテスマで何が起きたのかを、振り返る必要があります。

 

イエスが洗礼者ヨハネのところにバプテスマを受けようとしたとき、ヨハネは、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けようとしてきたのを見て、彼らに言っていました。

「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、おまえたちはのがれられると、だれが教えたのか。」

パリサイ人やサドカイ人がバプテスマを、立場上受けに来たにすぎないと見抜いていたのです。

心から神に清めと許しを求めてきた人以外に、バプテスマを受ける資格がないことを洗礼者ヨハネは言いたかったのです。

 

ここを踏まえて、次の話を聞いてください。

 

マタイによる福音書3 13節から15

そのときイエスは、ガリラヤを出てヨルダン川に現れ、ヨハネのところにきて、バプテスマを受けようとされた。

ところがヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った、「わたしこそあなたからバプテスマを受けるはずですのに、あなたがわたしのところにおいでになるのですか」。

しかし、イエスは答えて言われた、「今は受けさせてもらいたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、われわれにふさわしいことである」。そこでヨハネはイエスの言われるとおりにした。

 

洗礼者ヨハネの戸惑う姿が、目に浮かびますね。

悔い改めも清めも必要がないはずのイエスが、バプテスマを受けたいと望んでいるのですから。

 

すると、奇跡が起きます。

 

マタイによる福音書3 16節から17

イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのを御覧になった。

そのとき、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

 

イエスは生まれた時から神の御子であったはずでしょ。

 

それなのに、天の神である御父の声がこう告げたのです。

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」

 

これは事実上、天の神である御父による新たな教会の設立宣言であって、イエスをその会員第一番に確認したと告げた瞬間と言ってよいでしょう。

 

 天の神である御父は、イエスの下に新たな教会を設けると、宣言したわけですね。

 

洗礼者ヨハネは、天の神である御父がイエスの下に新たな教会を設けるための道を備えるために遣わされた預言者だったわけです。

 

聖書にはこうあります。

 

マタイによる福音書3 1節から3

洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、

「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。

これは預言者イザヤによってこう言われている人である。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」

 

ですから、イエスの下に新たな教会に加わるためにはイエスから召された使徒たちによるバプテスマを受けることが必要だったのです。

 

さて、なぜ、イエスの下に設けられた新たな教会に加わるために、使徒たちからバプテスマを受ける必要があるかを見ていきましょう。

 

マタイによる福音書 10 1

イエスは十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった。汚れた霊を追い出し、あらゆる病気や患いをいやすためであった。

 

バプテスマを受けるとは、罪から洗い清められることですが、洗礼者ヨハネのバプテスマとイエスや使徒たちによるバプテスマの決定的な違いは聖霊が受けられるかどうかなのです。

 

 バプテスマのあとで聖霊を受けられるためには、天の神である御父からイエスの名によって受けた権能のある人が間に立つことが必要なのですね。

 

聖書には、こうあります。

 

ヨハネによる福音書 15 16

あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。そして、あなたがたを立てた。それは、あなたがたが行って実をむすび、その実がいつまでも残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。

 

聖霊を受けさせることができる権能を授かるには、神から召されなければならず、それには神に召された預言者の存在が欠かせません。

 

イエスも、救世主(メシア あるいは キリスト)として召されただけでなく、預言者としても召されています。

 

しかし、バプテスマを受けることは、単に、教会員としての確認の儀式をうけるにとどまらない意味をもっているのです。

 

それを、次に見ていきましょう。

 

ローマ人への手紙 6 3節から4

それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。

すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。

 

バプテスマを受けるとは、実は、イエスとともに贖罪の死と復活をしているのだということです。

 

イエスの贖罪の死と復活により、永遠の過去から永遠の未来までの全ての人に、罪からの清めが神から認められるわけですね。

 

ただしそれには、バプテスマを受ける必要があるわけです。

 

バプテスマを受けることにより清められたので、その人の一生の罪は神の御前でなくなったので、たとえ何年も道に迷って神から離れてしまったとしても、悔い改めて神の導きについていく道を選ぶなら、神は許してくださる。

 

ルカによる福音書15章にある、有名な放蕩息子の譬えをみれば、よくわかることと思います。

 

全ての人は神から見て、みな、放蕩息子ですから、神は戻ってきてくれた人々をみな「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」として、心から受け入れてくださいます。

 

そして、心の迷いによって神のもとを離れ何年も彷徨っていたとしても、天の神である御父は、一度バプテスマによって我が子として受け入れた人々に再びバプテスマを受けることはもはや求めません。

 

 バプテスマを受けることで、人は一生の罪からの清めが受けられるわけですね。

 

ただしそれには、絶えず悔い改めを忘れないことと、象徴としてイエスの血と肉の証を受ける聖餐式に努めて参加することが求められていますけどね。

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古代エジプトと古代南米は日本を絡めると繋がりが見える?!

古代エジプトと古代南米には、ピラミッドとミイラという文化の共通点が知られています。

 

奇妙なことに、カフェインがこの共通点に加えられそうになっているというのです。

 

だが、カフェインと言う共通点が見つかったにもかかわらず古代エジプトと古代南米には、これまで一切、文化や文物の交流の痕跡は見つかっていないというのです。

 

カフェインは、ミイラ、それも、専門家が本物と認定したミイラの皮膚や髪の毛から検出された以上、生前の摂取以外原因を見いだすことは不可能なのです。

 

ミイラが発掘された当時のずさんな管理や、横行した偽物に原因を求める試みはことごとく否定されたというのです。

 

多くの研究者は、納得できる理由をいつになったら見出せるのか、今の時点では見通しを立てられないでいると言います。

 

ところが、アメリカで奇妙な文献が見つかっています。

 

神の導きによって奇跡的に見出された書であると主張されている、モルモン書がそれです。

 

ここには、出エジプト記に記された民であるイスラエルの民の一部が、アメリカ大陸に渡ったと記され、この書は彼らのたどった歴史をほぼリアルタイムで記されていると、主張されています。

 

実はアメリカには、現在のイリノイ州セントルイス近郊にあたるミシシッピ川の氾濫原カホキアに興味ひかれる遺跡があるのです。

 

カホキアをある考古学者は,宗教が社会のあらゆる面に浸透していたように思われるところから「北アメリカのエルサレム」と称したそうです。

 

別の文献は,「最盛期(西暦10001150)に,カホキアは高度に中央集権化した神権政治の本拠地であった」と述べているといいます。

 

カホキア人にとって宗教と社会が不可分のものであったことを示す、人工遺物も発見されたそうです。

 

このカホキアは洪水で滅んだとみられているが、このカホキアの最期を生々しく描いたと思いたくなるような記述があるのです。

 

それを記している書が、モルモン書です。

 

このモルモン書には、何度かの船出のあと消息を絶った人々の記録もあるが、ヨーロッパやアフリカに彼らの足跡を見いだすことはできていません。

 

一方、日本先住民とアメリカ先住民には以前から繋がりが指摘されています。

そして、遺伝子でも繋がりの強さが裏付けられたのです。

 

さらに、北米やメキシコで古代日本人とみられる人骨も見つかり、南米からは縄文土器や古代エジプト土器との強い類似性が指摘される土器も発見されています。

 

そして、日本は古代中東の遺伝が多く残る地域の一つであり、先住民とみられる縄文人の段階にもその原因は求められているが、縄文人は環太平洋文化圏を営んでいた可能性があるのです。

 

しかも、縄文人の血を引くとみられるアイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が指摘されるのです。

 

そして、日本人の足の多くにエジプトタイプが見られ、味の好みもエジプトに似ているうえに、神道は太陽神を中心に三神構造の神々の世界が動物を含んで展開している点で古代エジプトにそっくりなのです。

 

傍証でしかないと言えば、その通りです。

 

だが、ここまで、古代南米と古代エジプトの繋がりを示すとしか思えない事実が日本を交えると見えてくるというのが、なんとも面白いですね。

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和え物について考えてみた。

行きつけのお店で、デザートを頼んでみました。
シェフが挙げた本日のデザートの中に、あれっと思うものがありました。
イチゴのサラダ...。
 
気になって頼んでみました。
日本人の奥さんと結婚して日本に住んでる外人シェフ、どんなもの出してくるんでしょ。
デザートで、サラダってと思っていたら、スプーンを出してきました。
しばらくして、おもむろに出てきたのは、ブランデーグラスの中にきれいにカットされて盛り付けられたイチゴ…。
下はカスタードプディングみたいで、イチゴには、これまた、イチゴのアイスがきれいに丸まって乗っていて、かわいらしくまとまっています。
自分で和えながら食べてくれというわけです。
確かに、サラダは和え物です。
カットした野菜などを、ソースに絡めて食べるのがサラダだから間違ってはいません。
もちろんのこと、おいしくいただきましたが、ふと、こんな考えが浮かびました。
 
和え物文化圏ともいえる地域って、あるんでしょうか。
 
それほどいろんな国の料理食べたことがないので、うっかり断言出来ないけど、ありそうな気がします。
でも、アジアでは、日本以外で和え物ってあるのかしら。
 
カットした野菜などを、ソースに絡めて食べるのが、和え物であり、サラダだとしたら、アジアでもあるように感じるけど、ちょっと待ってくださいね。
 
ウィキペディアでは、調理法の「和える」が独立項目として立てられていますが、゛和える"は英語で゛Dress"なので和える調味料はDressing"になるわけです。
ところが、項目としての゛Dress"は衣装、とりわけ女性服になってしまうし、゛Dressing"だと調味料になってしまいます。
 
つまり、調理法の「和える」は日本サラダ史の一ページとして、認識される必要があり、リンクを貼る先の項目は、「サラダ」ということになります。
 
ところが、サラダに分類される料理は、世界各地のものが認識されているけど、日本の和え物は盛り付け方による見た目の問題でしょうか、それとも、ソースの問題なんでしょうか、サラダとしては認識されてはいないようなのです。
 
和え物は調理法としては、まぎれもなくサラダです。
 
そして、サラダが食卓でなじんでいる国や地域は現在では、ヨーロッパやアジアを中心に日本を含め、現代では世界に広まっています。
和え物はサラダという形で世界にあるにもかかわらず、独自の展開ゆえにサラダとして認知されてこなかった日本の和え物。
 
もっと、ジャパニーズサラダとして日本人も和え物を認識して、世界に紹介していってもいいような気がします。
 
余談ですが、和え物はいつごろからあるんでしょうね。
 
御浸し、ひたし、ひたし物とも呼ばれるおひたしとは、調理法の1種で、出しに浸す過程より派生した調理名です。
出しに浸す工程は省かれることも多く、単に茹でた食材に醤油をかけたものも、おひたしと呼ばれます。
 
この出しに浸す工程の省かれたおひたしを、醤油にからしや山椒、出しや味醂などを加えて和えたり、醤油と基本的に同じ工程でできる味噌で和えたり、おからや、さらに、ケシの実や大根や青豆などをすったもので和えたりと、変化をつければ和え物になるわけです。
 
サラダも基本的には塩で和えたものから、多彩に展開したのでしょうか。
もしかすると、塩ゆでする代わりに、塩で和えたところからサラダは出発したのかも知れないですね。
塩は貴重なので、軽くふりかけて野菜などがしんなりして食べごろになるまで和えたのかも知れません。
 
塩といっても、ミネラルを含んだまろやかな甘みのある自然塩ですから、実は醤油と見た目は違っても実際には似たものといっても、間違えないように思えます。
やがて、多種多様なドレッシングが工夫され、今のようなサラダへとなってきたのでしょう。
 
ひょっとすると、味噌や醤油とは、自然塩の代用として編み出されやがて独自の展開を遂げたために起源が忘れられているものなのかも知れません。
 
そうしてみると、実は、サラダも日本のおひたしや和え物も、共通のルーツを持った料理なのでしょうか。
日本のおひたしや和え物は、日本人のたどってきたどんな歴史の証人なのか、改めて気になります。

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蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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和風と洋風の差ってどこ?

行きつけのお店で食べながらふと思ったことです

 

角切りの厚焼きステーキって、どうみても、カツオのたたきにしか見えないですよね

 

これからカツオのたたきを見るたびに、角切りの厚焼きステーキを思い出してしまいそうでなんだか面白いですね

 

角切りの厚焼きステーキをカツオのたたき風に、カツオのたたきを角切りの厚焼きステーキ風に、アレンジしてる店もきっとどこかにあるに違いない…。

 

いや、カツオをガーリックステーキにしたレシピがすでに公開されてるではないですか。

 

こういうことって、とっくに他の人も気づいてるわけですね。

 

肉のステーキだって、そう言えば、和風にアレンジされてるのどこかのお店で見てたんですよね。

 

言ってから気が付く私って、どうよ…。

 

固いチーズを削って調理の仕上げにかける様は、まるで、仕上げに削りたての鰹節をかけるように見えるんでして。

 

味もそうだけど、それ以上に風味を味わうために使うところは、本当によく似てるんですね。

 

仕上げのガーリックも、仕上げの七味や一味も、やってることはほとんど変わらないですよね。

 

パンケーキ、ちょっと考えてみると、どら焼きの餡を包んでる生地にトッピングして食べてるのとどう違うのって思ってみたら、案の定、パンケーキの生地でどら焼きを作った人のレシピ発見、やはり似たようなことみんな思いつくんですね。

 

だったら、どら焼きをパンケーキ風にアレンジしてパンドラとかしゃれてみたりしてって、でももうこれも、別の名前で誰かやってたりして…。

 

でもこうやって見てると、ちょっと目先を変えただけで洋風に変わっちゃう和の料理って結構あるかも。

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日本の食卓を覗くと地中海が見える?

この前、野菜炒めの残り半分を、ちょっと気分を変えたくてたまたま買ってあったルバーブのジャムであえて見たのですよ。

 同じ食卓の上で、甘い惣菜が他の惣菜と一緒に並ぶってことは、ヨーロッパ、とくに北欧じゃまずないよ。

 まして、せっかく塩コショウで味付けしたのにジャムなんかであえたら、びっくりするからね。

ルバーブは野菜なので、ジャムとは言っても日本の食卓にありがちな甘めに味付けした惣菜に近いと思ったから、やってみたんでして。

野菜同士だから、あんまり、違和感なかったですよ。

それに、甘いものを食べる食文化は、世界中にあるでしょ。

 甘いものを他の惣菜と一緒に出すと、外国人、特に欧米はデザートと食事が同時に食卓に並んだと言って、戸惑うことが多いんだから。

 野菜炒めをジャムであえたりしようもんなら、ものすごくびっくりするからね。

甘いものがほかの惣菜と一緒に食卓にのぼる食文化って言ったら、日本のほかにどこがあるかと言うと…。

 地中海ですよね。

地中海沿岸っていうと、日本人そっくりな顔の人がいっぱいいますよね。

 そうそう、いっぱいなんてもんじゃないよ。

 それは、日本には地中海沿岸の人達そっくりな顔をたくさん見かけるって事にもなるわけね。

 外国の友人から、日本ってアジアの国なのになんでヨーロッパ顔が多いのだ、あなたの顔はアジア的だからアジア人とあってるんだって納得できてほっとする、って言われたよ。

そう言えば、日本はアジアでも珍しい家族性地中海熱の発症例が見つかる国なんですよね。

遺伝性疾患だっていうのに。

 ケネウィックで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さったアイヌや琉球にそっくりな古代人骨が見つかっているんでしたよね。

南米エクアドルのバルディビアからは、縄文土器が見つかったと驚いてる人もいますね。

 エジプトの方が似てるって、言う人もいるけどね。

それを言ったら、日本の縄文土器は古代エジプトの土器に似てることになっちゃうでしょ。

日本人の足で一番多いのは、エジプトタイプだし。

 エジプト考古学の吉村作治は、日本とエジプトは食の好みが似てるから長期滞在でも食べ物で困らないのは助かるって、言ってますよね。

秋田美人の美白の理由の一つに、白人の血が混ざってないとそうはならないって話もありますね。

 秋田犬の血液型のパターンまで、ヨーロッパ犬に似てると聞いた時は驚きましたよ。

秋田って、けっこう、体つきがしっかりした白人的体形、多いですよね。

世界三大美女はクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネなんですよね、世界的には。

クレオパトラとヘレネは、ギリシャ美女なんです。

楊貴妃も白人的な体つきと容貌なことは間違えないので、ギリシャ美女の可能性はありそうです。

そうなると、日本でだけヘレナの代わりに秋田小町をいれてるけど、彼女は秋田美人なんですよね。

 秋田小町は秋田美人で、秋田美人は白人的っていうことは、秋田小町も白人的美人ということかしら。

日本にはギリシャ的な顔の人は結構いるけど、日本人の足でエジプトタイプに次いで多いのはギリシャタイプですからね。

 となると、秋田小町もギリシャ風美女だった可能性ありって事でいいのかしら。

 世界的美女はみんな、ギリシャ風ってこと…。

野菜炒めをルバーブのジャムであえた話から、脱線しまくり…。

 あ、ほんと…。

じゃ、この辺で、この話はいったん切り上げってことで…。

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選択の自由は、いつ使う。

選択の自由は、大きな事から、身近な事まで、使う場面は実はいっぱいあるはずです。

例えば人工甘味料の問題です。

 人工甘味料も、まずくて飲めないと言ったの好みの問題だけではないと。

人工甘味料で、皆さんも自分で調べて欲しいのです。

 確かに、問題は確認されていないから大丈夫と言う人もいるけど。

だが一方で、恐怖の人工甘味料、人体と生態系を破壊 発がん性物質生成、アレルギー発症の恐れなどの記事がビジネス情報として発信されたりもするようになってきたのです。

ほかにも、人工甘味料アスパルテームで"元気な精子"激減/日本薬学会のショッキング報告、アスパルテームは胎児の脳の発達などに影響を及ぼし、スクラロースは下痢による流産の可能性があり、ステビアは元々、南米では赴任と避妊用に使われてきた薬草から作ったもの、などの情報もあります。

 氷山の一角、おそらく外国の情報も含めれば、さらに危険性を指摘する記事は増えるだろうというわけね。

以前から、一流モデルは美と健康のために人工甘味料を避けている、と聞いて調べてみると、背筋が寒くなる話がいくつも出てくるのは驚いたのです。

諸説ある以上、そんなに大騒ぎするなと言う人も多いかもしれないです。

だが、アレルゲン表示は次第に増えてきたでしょう。

 命に係わるからですね。

だか、アレルギー反応の中には、命に係わるほどではないが、変な違和感があるなど軽度な人もいるでしょ。

そして、人工甘味料に対しても、まずくて食べられた物じゃないといった好みの問題と片づけられそうな程度から、吐き気がする、お腹が緩くなり下す、など本人にとっては深刻な場合まであるのです。

だから、自動販売機で買ったが人工甘味料が入ってるとわかれば腹下すから飲まずに捨てる、と言う自衛手段を取る人もいると言います。

吐き気がする、腹下すから飲まずに捨てると言う人がいる以上、ちゃんとわかるように表示して注意を促さないのは、食品メーカーの姿勢としてどんなもんかと思うのです。

 体に不調を売ったる人がいるんだから、人工甘味料が入っているかいないか、ちゃんと表示して欲しい。

人工甘味料、病気だからうれしいとか、この味好きとか、健康への害は確認されてないとか、言う人もいるのは事実です。

だが、まずくて飲めない、吐き気がする、腹壊す、と身体の不調を訴える人もいるのも事実なのです。

 人工甘味料の使用と不使用の表示は、どっちの人のためにもなるはずですね。

健康で文化的な最低限度の生活の保証は、日本国憲法第25条にはっきりうたわれているのです。

まずくて飲めない、吐き気がする、腹下すから飲まずに捨てると健康への害をおよぼされた人は、権利行使を妨害している疑いのある行為に対し、是正を求める権利があるのではないでしょうか。

まずくて飲めない、吐き気がする、腹下すから飲まずに捨てると言う人がいる以上、人工甘味料の使用不使用の表示をはっきりとしないことは彼等の選択の自由の行使を妨げる行為ではないでしょうか。

 健康への害を未然に防ぐ権利の行使の妨害にあたると、言うわけですね。

人工甘味料に対して、まずくて飲めないとか吐き気がするとか腹下すから飲まずに捨てると言う人がいる以上、健康への害への懸念を訴える報告もそれを一蹴して退ける声もあるから禁止は早計と手をこまねいていて良いわけがないと思いますよ。

 使用不使用の表示によって、選択の自由を保障すべきでは。

人工甘味料の使用不使用の表示をわかりやすくやらないことは、求める人の目に留まるチャンスを逃し、本来なら獲得できているはずの人に選ばれるチャンスを逃している、馬鹿げた選択と思うのです。

 人工甘味料使用がわかるとマイナスイメージと思うくらいなら、使うなって思う。

人工甘味料使用や不使用の表示は、病気で選ばざるを得ない人や、好んで選んでる人にとっても、まずくて飲めない、吐き気がする、腹壊す、と身体の不調を訴える人にとっても、利益になるはずでしょ。

 ターゲットを絞ったマーケティングで確実な顧客をつかむと言う点からも、有益な選択なはずですね。

業界も、いちいち国が動いてから手を打つのではマイナスイメージになるだけ損なはずと思いますけどね。

 人工甘味料の使用不使用の表示は、喜ぶ人はいても、余計なことするなと怒る人は居ないはず。

もし怒る人がいるとしたら、使用をうたうことがマイナスになるとわかってやってる人くらいだと思うのですけどね。

国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないとも、日本国憲法第25条にはっきりうたわれているのです。

人工甘味料の使用不使用の表示の徹底を勧告するくらい、吐き気がするとか腹下すから飲まずに捨てると言う人もいる以上、人工甘味料を使用してるかしてないか表示しても良いのではないでしょうか。

これはほんの一例に過ぎないです。

みなさんも探してみて欲しいですね。

気が付くことは、いろいろあるはずです。

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