食文化

自然塩とココアと蜂蜜と免疫力?

マタイによる福音書 5章
13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。

皆さんは、この聖句をどう思うでしょう。

動物達は、時々土を食べます。

何故かと言うとミネラルが欲しいからなのだけれど、欲しいのはミネラルだけではなく塩分もなのです。

イザヤ書 30章
24 地を耕す牛と、ろばは、シャベルと、くまででより分けて塩を加えた飼料を食べる。
牛とろばが食べている飼料に混ぜられているのは、塩は塩でもミネラル豊富な自然塩なのです。
塩を摂らないと皮や腸は破れやすくなるので塩を与えるが、その塩は自然塩でなければなりません。
食塩と称する精製されている純粋な塩化ナトリウムでは、ダメなのです。
精製されている純粋な塩化ナトリウムこそ、マタイによる福音書5章で言うききめのなくなった塩なのです。
ミネラル豊富な自然塩は、肌荒れ防止にも、腸や血管の破れ防止にも、役に立つのです。
自然塩には、体の中を細胞レベルから改善する力があるのです。
メカニズムの解明は、まだまだこれからでしょう。
マルコによる福音書9章50節には、「塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。」とあります。
ここでイエスが持つように求めた塩はもちろん神の御言葉の例えだけれど、例えられている塩は言うまでもなく自然塩です。
自然塩は体内を細胞レベルから整える力を持っているとしたら、免疫力もまた、改善しているのかもしれません。
免疫力を担当する細胞も、あるわけですから。
自然に生きる動物達には免疫力を上げるしか、怪我や病気から身を守るすべはありません。
もしも自然塩が彼らの免疫力に役に立っているとしたら私達も使わないと言う手はない、そう思いませんか。
塩は使い方次第で、素材の持っている甘味を引き出しもすれば、食欲を促進する心地良い刺激にもなります。
その毎日摂っている塩を自然塩に変えるだけで免疫力向上が期待できるかもしれないなら、安いものです。
塩分って血圧大丈夫ですかと不安になるかもしれないが、自然塩ならその心配はあまりいらないでしょう。
チーズの保管には塩が必要なのだが、食塩と言う名の精製された塩分ナトリウムではチーズはボロボロになると言うのです。
でも自然塩ならチーズを損なう事なく、保管出来るのです。
それでもなお血圧が心配な方には、チョコレートやココアをお勧めします。
チョコレートやココアは血圧を正常値に整えてくれるポリフェノールたっぷりなので、塩分を安心して堪能してください。
チョコレートは苦さに色々あるし、ココアには砂糖抜きのパウダーもあるので、お好みの甘さでお楽しみください。
ちなみにチョコレートやココアは食物繊維も豊富です。
食物繊維とオリゴ糖は腸内フローラを整える役割があるが、蜂蜜にはなんと15種もオリゴ糖があると言います。
蜂蜜は少量でも結構甘いので、カロリー控えめでココアが楽しめて腸内フローラにも良い飲み物になります。
蛇足ながら、私は蜂蜜で飲むココアにはまっています。
自然塩とチョコレートやココアの合わせ技、ついでにオリゴ糖が手軽に摂れる蜂蜜、試してみてください。
毎日美味しく楽しめて、免疫力も上がるかもしれません。

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マツアを買ってみました。

新型コロナウイルスの感染防止で自宅にこもることが奨励され、日曜日も時間を持て余しぎみになります。

そう言えばイエスと弟子たちの最後の晩餐は過ぎ越しの祭りの日で、種入れぬパンであるマツアが用いられたはずと思ってどこかで手に入らないかと見れば、教文館に久しぶりの入荷。

自粛要請のために店舗は休業だが、感染防止に注意しながらネット通販はしているというので注文してみたのです。

Matzos

マツアは過ぎ越しの祭りでは重ねてささげられるので鏡餅を見たユダヤ人が日本人も過ぎ越しの祭りをやるのかと早とちりしたこともあると、聞いた覚えがあります。

過ぎ越しの祭りも大晦日もマツアや鏡餅を飾って徹夜で朝を迎える点は、確かに似ています。

過ぎ越しの祭りでは苦菜を食べる風習があるが、日本でも1月7日に七草粥の習慣があるのも面白いですね。

マツアを見ながら、ふと、日ユ同祖論を思い出して愉快な気分になりました。

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米沢と秦氏と鉱山と?

山形県米沢市の界隈には藤原ゆかりの苗字、例えば佐藤は結構あるようですね。

そして、藤原系の祭司一族である小林一族もいるのです。

秦氏ゆかりの神社である、成島八幡宮もあるのです。

これはひょっとしてと米沢と養蚕のつながりを調べてみると、養蚕は米沢にとって重要な産業なのですね。

藩主上杉景勝の側近だった直江兼続は、藩の収益拡大を図るため、織物の素材となる青苧(あおそ)や絹を生む蚕の餌となる桑、染料となる紅花などの栽培を奨励したのです。

青苧や桑や紅花は藩の特産物として、織物産地に売り出されたのです。

じゃ、養蚕と米沢のつながりはどうなっているのかですね。

米沢の「市」や町人町の発祥地ともいわれる米沢の鎮守、白子神社が面白いです。

米沢の鎮守とされたのは確認される範囲では、平安時代、この地方を鎮めに来た小野良春によって社殿が建替えられた時からと伝えているのです。

白子神社は和同5年(712)の創建と、大変古い由緒を伝えているのです。

白子神社の由緒は、こうです。

神のお告げによって桑林に蚕が生じ、桑を食べている光景は雪が降ったように白一色で、やがてその蚕は繭を作り、この不思議な現象により、この地を白蚕(白子に由来する)村と呼び、和同5年に神社を建て白蚕(白子)明神とした、というものです。

この不思議の背景には、秦氏が関わっていたのではないでしょうか。

どういう繋がりや理由やきっかけがあったのか、それはわからないです。

ただ、米沢の近くには八谷鉱山や滑川鉱山があるのです。

八谷鉱山は、金、銀、銅、鉛、亜鉛などを主に産出した鉱山です。

滑川鉱山は、渇鉄鉱が採掘されました。

殖産に関わりの深いことで知られる秦氏は、これらの鉱山に目をつけていた可能性は考えてもいいかも知れません。

とは言え鉱山経営は、軌道に乗るまでに時間もかかるし、資金も必要ですよね

その資金稼ぎの手段として、養蚕を手掛けたのでしょうか。

養蚕で得た富を背景に、鉱山開発に乗り出す目論見はあったかも知れません。

米沢織は、秦氏の目論見にまで遡るのでしょうか。

じゃ、米沢牛との関わりはどうよって思いますよね。

米沢牛の歴史は、案外浅いようなのです。

岩手県南部から鉄を運ぶのに使われた牛は、米沢地方を通る越後街道沿いの村々に売っていったそうです。

その牛の飼育の歴史の上に、米沢牛はあると言うのです。

じゃあ、米沢の近くの鉱山は秦氏は手をつけなかったのでしょうか。

岩手県には、松尾神社が二つ祀られているのです。

松尾神社の祭神である大山咋神(おおやまくいのかみ)は、元々は秦氏の神だったそうです。

ちなみに大山咋神は、山に杭を打ちその所有を示す神であるというのです。

じゃあ、岩手県南部の鉄の方が採掘が容易なので米沢の鉱山は後回しになったのでしょうか。

米沢近郊の鉱山と秦氏の関係は、謎のままです。

でも、秦氏と鉱山の関わりはおぼろげながら、見えてきたかも知れません。

米沢と秦氏、何かありそうですね。

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雲南省の少数民族の気になる食文化。

中国の雲南省、日本の発酵食品のルーツがあるとされる地域です。

中国雲南省の少数民族、味噌とも納豆ともつかない大豆の発酵食品があるのです。

ここから、味噌や醤油や納豆が分かれたのでしょうか。

豆腐も、カビさせたまるでチーズのようなものがあるのです。

豆腐は、家畜の乳が手に入らない条件下でやむを得ず作られたチーズの代用品だったのでしょうか。

豚足で作られた、豚節としか言いようのない食品があるのです。

鰹節などは、豚節の代用品だったのでしょうか。

なれ鮨も、魚ばかりか牛肉のものもあるのです。

なれ鮨はこの土地の保存食だが、蛋白質の発酵食品と言う点ではチーズの延長線上にあるのでしょうか。

それと、地面に埋めて発酵されたお茶を食べる文化もあるのです。

日本ではお茶ではなくて、納豆が地面に埋めて作られる地域があるのです。

何でそうなったのでしょう。

焼酎の発酵も、最も原始的な製造法が残っているのです。

原始的な蒸留の酒粕は栄養がまだたっぷり残っているが、豚の餌になるのです。

そして豚の排泄物から作られた肥料は、焼酎の材料となる作物に使われるのです。

雲南省の少数民族である彼等のルーツが、気になるのです。

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秦氏と塩?

猿田彦はソルト彦ではないかと、あたりをつけた事がありました。

そして猿田彦は熊野とも繋がりがあるので、熊野もまた塩で知られます。

和歌山県色川地域で、昔ながらの製法で製塩している業者がいるのです。

どうやら「熊野」の名前は「カムイ」の転訛のようです。

昔の日本語はワ行母音に近い二重母音で、「カムイ」は「クヮムィ」であったのです。

「クヮムィ」が発音の平唇音化で音が明瞭化し、「クヮムノ」「クマノ」「熊野」と転訛したのです。

アイヌの神送りの行事「イヨマンテ」で熊の霊を天に返すのも、熊がカムイの転訛だからかも知れないですね。

それはさておき、熊野を名乗る神社は各地にあるけど、香川にも面白い土地があります。

温泉施設が数多く点在する塩江温泉郷、熊野権現神社や岩部八幡神社があるのです。

塩江温泉郷は約1,300年前の奈良時代に僧行基によって発見され、弘法大師空海が湯治の地として伝えたという由緒正しき温泉地の総称です。

県内最古の温泉郷で「高松の奥座敷」として親しまれています。

塩江温泉の泉質は、単純硫化水素泉です。

硫化水素イオンは硫化水素を水酸化 アルカリなどの塩基性水溶液に溶解することでも発生するのです。

これらは酸化されやすく、還元剤となるのです。

遷移金属塩の水溶液は硫化物 (H 2 S, NaSH, Na 2 S 等) と反応して、固体の塩を沈澱するのです。

この塩が、塩江の名の由来になったのです。

塩が取れるところに熊野神社、どうやら熊野神社自身も塩と縁があるようです。

そして塩が取れる塩江に秦氏ゆかりの八幡神社、流石はビジネス豪族秦氏ですよね。

そう思って見ると、熊野八幡神社は全国各地にあるし、熊野古道の三重県でも熊野神社からそう遠くない地に八幡神社はあるのです。

秦氏と言えば機織りの印象が強いが、秦氏と塩も注目してみても面白そうですね。

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猿田彦は塩の神様だったのでしょうか。

天孫降臨で、天照大御神が地上に遣わした人物の名ニニギノミコトも日本語としては意味をなさない名前だが、ニニギノミコトを案内した猿田彦も同じように日本語としては意味をなさない名前ではないでしょうか。

 

しかも、猿田彦は猿田彦神社の祭神とされるが、神社に伝わる猿田彦の顔は日本人としては異様なまでに鼻が高いのです。

 

日本語は時代を遡ると二重母音になるが、旧仮名遣いをみるとワ行母音に近かったと思われます。

 

そうなると、サルタヒコのサルタはソルトに近くなりはしないかと想像しました。

 

伊勢志摩は思った通り、塩の産地なようです。

 

時代をどこまでさかのぼれるのか、興味がそそられます。

 

猿田彦と塩の繋がりについて検索をかけたら、面白い情報が出ました。

 

日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも、見えると言うのです。

 

猿田彦を祭る神社の名前に、塩の付くものが結構あるのです。

 

塩釜神社、塩浜神社、塩屋神社、中之塩屋大神宮、など思った通りサルタ彦はソルト彦の転化である可能性が見えてきたのです。

 

猿田彦崇拝は、九州から伊勢志摩に製塩技術と共にもたらされたのかもしれません。

 

そう言えば熊野神社は、九州にもあります。

 

熊野と猿田彦と塩で調べていくと、何か面白いことが見えてくるかもしれません。

 

さらに、猿田彦の異様に高い鼻と、サルタがソルトの転化である可能性をみると、案内されたニニギノミコトも西方出身者であると考える方が自然でしょう。

 

ニニギは、一体何の転化である可能性がある名前なのでしょう。

 

どうも気になります。

 

何とかして、情報を集めてみたいものです。

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長時間労働を見直さないと子供たちの知能に悪影響があるかも。

この頃、子供たちのご飯離れが進んでいるといいます。
 
味がしないという理由が多いそうだが、噛む回数が半減していることが主な原因とされます。
 
だが、背景には家族団らんの時間が欧米の50%以上あるのに対し、日本は2割を切っていることがあると指摘されます
だとしたら、両親がご飯を味わってよく噛んでいる姿を見せるべきでしょう。
 
家族団らんの時間が少ない上に父親不在の食卓が当たり前となってないでしょうか。
それじゃ、てんてこ舞いな母親が、ご飯をよく噛んで美味しそうな顔で食べる姿を子供たちに見せることは絶望的に難しいのではないですか。
 
ご飯職を本気で守ろうと言うなら、今のうちに長時間労働を改めて父親も参加した家族団らんの食卓を復活させた方が良いでしょう。
ただし、食卓の支度や片付けを母親だけにしわ寄せするのではなく父親も参加した家族のイベントとして定着させる取り組みも必要でしょう。
今時の父親であれば、家族との触れ合いの時間として喜んで加わる人は多いかもしれません。
 
多少の手際の悪さを大目に見て回数を重ねれば、家族の一体感だって深めると思うのです。
 
よく噛むことは、知能の発達にも良い事はよく知られています。
 
子供たちの噛む回数の半減の背景に、父親不在な上に十分な時間が取れない個食化した食生活があるとしたら、日本の長時間労働は長い目で見れば子供たちの知能の発達にまで悪影響を及ぼす悪弊になっていると言う事ではないですか。
 
もっと危機感を持って欲しいのです。
 
日本で好まれているパンは、欧米に比べて柔らかすぎます。
ヨーロッパのパンは、フランスパンのようにもっと噛み応えのあるものが結構あるのです。
本場フランスのフランスパンは日本のものよりも歯ごたえがしっかりしているし、肉だってそうです。
 
噛む回数が減っていると言う事は、日本の知能の発達の危機でもあるはずです。
 
さらには、個食の増加を含めた家族団らんの時間の減少も、子供たちの知能に対する刺激を偏らせる事につながりかねない危険性をはらんでいるのです。
 
噛む回数の減少と重ねると、子供たちの知能に良いわけがないでしょう。
 
忙しいなんて言ってる場合じゃないですよ。
危機的状況になってからじゃ、遅いのです。
たかが食生活、されど食生活なのですから。
 
食べるという行為を、甘く見ちゃいけないです。
 
十分な睡眠と並んで、心と体づくりの基本中の基本なのです。

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いつの世も猫と市場は持ちつ持たれつだったはずですが。

築地市場移転で居場所を失うネズミ、相当大量らしいです。
言い換えれば豊洲市場も、やがては大量のネズミやゴキブリに悩むことになると見た方が良いとなるでしょう。
清掃で追い出されたネズミやゴキブリ、豊洲市場の周辺で猫やカラスの待ち構える場所どれだけあるのかでしょうか。
豊洲市場は洗浄のたびに、ネズミやゴキブリ大量脱出の迷惑施設になる可能性はどれだけあるかですよ。
洗浄は市場を清浄に保つために、毎日念入りになされている行為です。
 
考えてもみて欲しい、築地市場に大量のネズミがいたのに、洗浄のたびに追いだされたネズミは何処に行くのですか。
一斉にやらないと、中で移動するだけですよ。
築地市場は大量にネズミやゴキブリがいたのに、一度も問題にならないのは、市場の人達が毎日懸命になって丁寧に洗浄していたからです。
丁寧に洗浄すればするほど、ネズミやゴキブリを市場の外に追い出すことになり、場外市場にとっては大いに迷惑なはずでないでしょうか。
約30匹の猫がいなかったら、場外市場はお手上げ状態だったはずです。
猫が築地市場と場外市場を救っていたのです。
 
築地市場解体は、何千匹のネズミやゴキブリを周辺にまき散らしてしまうことになるか懸念されています。
 
東京都は、築地市場から散ったネズミやゴキブリを猫やカラスが退治してくれるから心配いらないと弁明に躍起になっています。
 
私の豊洲市場が洗浄のたびにネズミやゴキブリが施設の外にたくさん逃げ出す懸念を抱く根拠は、築地場外市場にいた約30匹の野良猫です。
いいですか。
この猫たちは築地場外市場に居ついたのであって、誰が飼っていたわけでもないです。
豊富な食糧なしに30匹もの猫が集まるでしょうか。
 
そもそも、古代エジプトで猫が人里に住み着いた目的は、人間を悩ませていたネズミがお目当てです。
猫が乗らない船が出せなかったのも、ネズミ対策の無いままに出港させてもらえなかったからです。
 
世界中に市場があるが、清掃のたびごとにネズミやゴキブリが大量脱走する迷惑施設にならないで済んでいるのは、ひとえに猫たちのおかげです。
だから、猫たちはどこの市場でも可愛がってもらえるのです。
可愛いからだけじゃないのです。
 
築地市場に限らず、世界の古くからある市場は大抵、場内か周辺に猫がいます。
市場は内外にネズミが必ずと言って良いほど、いるわけでしょう。
市場は猫たちと共存共栄、持ちつ持たれつの関係に昔からあるのです。
 
豊洲市場は、周辺に猫やカラスがたむろして場外に出てくるネズミやゴキブリを待ち構えられる場所が果たして見つかるのでしょうか。
 
これが懸念で終わることを願っています。

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エジプトの音楽を想像してみました。

「古代エジプトの音楽」という本を読んでいます。

 

古代エジプトの様々な楽器は、残っています。

 

だが、これらの楽器によって奏でられた音楽については、どのようなものであったかを伝える資料はないといいます。

 

ならば、これらの楽器そのものを手掛かりにするしかないでしょう。

 

ハープ、シンバル、トランペット、リュート、リラ、などの他にも、タンバリンや太鼓などが用いられたことがわかっています。

 

音楽の場には、手拍子もあるし、ボディパーカッションを連想できる壁画もあります。

 

大勢の人が列をなして踊る姿も、描かれています。

 

古代エジプト特有の楽器として、シストルムもあります。

他にも、シンバルを鳴らす道具と組み合わせたクロタラのような楽器もありました。

 

これらの楽器や、手拍子、列をなして踊る人々、さらには、ボディパーカッションもあった可能性を考えると、少なくともどのような拍子をとるのが一番自然かが、見えてきます。

 

強弱の入れ子になってる、拍子です。 

前半が強く、後半が弱く、その前半と後半にも、それぞれ強弱があるのです。 

強さの順で言うと、強い順に4・2・3・1っていう感じでしょう。

実際に手拍子を打った方が、わかりやすいですよ。 

  

 Ton!ta!ton!ta Ton!ta!ton!ta (大文字小文字に強弱を対応させて手拍子)


実はこれ、ロマ音楽の拍子の取り方なのです。

 

ロマには様々な呼び方があるが、それらを見ると彼らがエジプトから出た民族である可能性が見えてきます。

ロマは、音楽の他、実は金属加工の技能者集団でもあります。

一見すると、何も関係がなさそうです。

 

だが、もしロマが古代エジプトの演奏者集団にルーツを持つ人たちと見たらどうでしょう。

シンバルやシストルムのような、繊細な加工が必要な金属製楽器のメンテナンスを彼らは自らの手でしていたとしたらどうでしょう。

演奏者は、修繕や制作のような特別な技能者の手を借りる必要のあること以外、日常的な手入れを大抵は自らの手でしています。
シンバルやシストルムの最終的な仕上げは、演奏者自らの手でしていたかも知れません。
簡単な修繕くらいなら、自分でしたことでしょう。
そうであれば、金属の加工技術もあっても不自然ではないでしょう。
何らかの理由でエジプトの地を離れた演奏者集団が、ロマの起源かもしれません。
オリエンタルダンスとも呼ばれるベリーダンスの演奏に合わせて、ロマ音楽の拍子で手拍子をうってみました。
ターキッシュのような激しいアップテンポのベリーダンスもあるが、基本的にはロマ音楽の拍子で手拍子をうってついていくことは可能だし、次第にのめり込んで恍惚の世界にはまり込んでいけます。

あまり夢中になって、踊りださないようにしないといけないです。

何度ものめり込んで、踊りだしそうになったくらいどの曲にもぴったりとついていくことができます。

ロマが作り出した代表的な音楽のジャンルがフラメンコです。

もしかしたら、古代エジプトの音楽は、ベリーダンスやフラメンコに別れる以前の一種独特なテンポやメロディーで演奏されていたのかも知れません。

おそらくそのほとんどが、即興曲だったでしょうから、楽譜など残るはずもありません。

神々やファラオたちを喜ばせるための集団で延々と踊ることのできる即興曲、それが、古代エジプトの音楽だったのかもしれないです。

中には、女性の踊り手によるエロティックなものもあったことでしょう。
男性の踊り手も、あるいはいたかも知れません。

ベリーダンスの踊り手には、かつて男性も少なからずいた記録があるそうですから。

酒、食事、音楽、そして、恍惚に浸った人たちの踊りの群れ。

神々と人々が混然となった恍惚の空間の中で、時を経つのも忘れて音楽によいしれたそんな場面も王宮では、しばしばあったのかもしれません。

これはあくまでも、楽器たちが見せてくれた幻想の世界です。

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古代エジプトの縄文人?

秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山は、「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされます。
 
この黒又山に、ピラミッドだという説があるのです。
レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明したのです。
ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されています。
このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があったのです。
また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっています。
エジプトの三大ピラミッドは化粧石で覆われていたが、黒又山は礫で覆われていたことになります。
三大ピラミッドも黒又山も、かつて、陽の光を浴びて光っていたことでしょう。

縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡、二つの縄文遺跡と黒又山を結ぶと、82キロの緯線を底辺とする巨大な二等辺三角形が出来上がります。
そして、黒又山自体にも縄文人の儀式の痕跡が見つかります。

これは、縄文人の文化にピラミッドに代表される古代エジプトと似通った要素がある可能性をほのめかしていることになりはしないでしょうか。

アイヌの生活文物に古代イスラエルのものとの類似が指摘されるが、イスラエルの民はエジプトにいたことを思えば、祖先とされる縄文人の土器にもエジプトの影響が見つからないとおかしいとなります。

そして、南米エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというが、これに対して古代エジプトの土器の方こそ似ていると言っている学者たちもいると言います。
土器の模様は九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていると指摘されるにも拘らず、むしろ古代エジプトの方が似ていると異論が出ているのです。
西日本の縄文土器に、古代エジプトの土器と似た文様が見つかると言われているに等しい展開だが、そうなると面白い遺跡が熊本にあります。
トンカラリンです。
古代エジプトの研究者吉村作治教授は、トンカラリンの内部構造に込められた思想はまさにギザの大ピラミッドとそっくりと主張します。

日本人には家族性地中海熱の発症が見られるが、本来ならば地中海沿岸の民族の遺伝病のはずです。
家族性地中海熱は地中海沿岸域の人々や、中近東のユダヤ人、トルコ人・アルメニア人に多い疾患と言われています。
日本人には地中海沿岸やトルコの人たちと似た顔が見つかるし、古代イスラエルの生活文物とアイヌの生活文物は似ています。
沖縄の文化や伝承にいたっては、聖書とあまりにも似たものがいっぱいあるのです。
ヤップ遺伝子などは、古代イスラエルと日本くらいしか見つからないとさえ言われているのです。

そして、イスラエルの民は長年にわたってエジプトで暮らしていたわけです。

日本人の足も大半はエジプトタイプだし、日本人とエジプト人は味の好みも近いそうです。
動物を含む太陽神を中心とした八百万の神々が三神構造の構図で祀られていることなども、共通しています。
二本の柱を通って拝殿から本殿にいたる神社の構造は、古代エジプトの神殿に似ているのです。
吉村作治教授などは、スフインクスこそは狛犬のルーツであり、ピラミッドコンプレックス(ピラミッド複合体)こそは神社の原型だとしているのです。

そう言えば、古い時代の神社は山の前に拝殿があったです。
問題はエジプトと日本を繋ぐルートです。

南米エクアドルからはエジプトと縄文、両方に似た土器が出ています。
日本先住民縄文人とアメリカ先住民が親戚であることは、遺伝子も証明済みです。
アメリカの最古級の先住民にさえも、日本人の可能性が指摘される展開になっているのです。
さらに、アメリカのケネウイックからはフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌの親戚の骨が出ているのです。

フランスとスペインの様式の矢じり、家族性地中海熱、これらは日本人の祖先が中東から地中海沿岸を経てアメリカを横切って海を渡ってやってきたというルートの存在を示していないでしょうか。

南太平洋の島々もまた、近年、日本人の祖先がたどったルートとして注目されているのです。

しかも沖縄には、遥か東のニライカナイが祖先が来た方向という伝承があるのです。

さらに天皇の紋章は、古代スメルの王族の紋章そのものずばりなのです。

アフリカの人たちも、アフリカ的と思っていた名前が日本にもあると驚いたことがあるし、アフリカにも日本の小鼓と、形も演奏の仕方もそっくりなものがあるのです。
 
アフリカと日本の繋がりも、情報を集める必要がありそうです。

日本人の祖先にまつわる謎は、まだまだ多いです。

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