聖書・コーラン

心の備えは出来ているだろうか。

新約聖書のマタイによる福音書には有名な「十人の乙女」の例えがあるが、これはイエスの再臨への備えの大切さを説いているとされている。
それは事実だが、心の備え全般の大切さを説く説話と見る事も出来る。

状況を甘く見て心の備えが無いと事態を乗り越えられないと言う例え、と見ればどうだろう。

市民と野党の共闘で政権交代を目指す取り組みは始まったばかりなので、すぐに勝利できると楽観する方が甘い。

政権への批判は強いがそのまま野党への政権交代への期待になっていないのは、これまで野党がまとまれなかったからだ。

本気が疑われている間は、野党の議席は伸びても政権交代には届かない。

市民と野党の共闘で政権交代を目指す取り組みは、日本が初めて体験する市民による市民のための革命だと言える。

多くの市民が自らが主役となって政治を動かす事に参加する、まさに日本史上初の事態を目の当たりにしているのだ。

そう簡単に行くはずがない。

経験から何を学ぶのか、問われている。

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サタンは心の隙間に忍び寄る。

マタイによる福音書 16章
23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている。」
イエスは「必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」と弟子たちに告げた。
ペテロは、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」といさめた。
その時のイエスの返事が、この言葉だ。
ペテロはイエスの言葉の真意を思うよりも、あとに残される自分の事が心配になったのだ。
イエスは、なぜこの言葉を言ったのかこそ尋ねて欲しかったのだ。
ちなみに、サタンとは妨げるものの意味なのでイエスはペテロに邪魔をするなとたしなめた事になる。
サタンは期待させておいて、決定的な瞬間で裏切ることが多い。
この時のペテロが、まさにそうだったのだ。
人はしばしば、自分の事ばかり考えて他人の気持ちを理解できない。
それに気が付けたなら、この言葉を呟く方が良いかも知れない。
「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている。」

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G7参加のキリスト教国はなぜに神より核抑止力に頼る? Why do Christian nations participating in the G7 rely on nuclear deterrence rather than God?

サミット参加7カ国は、またしても核抑止力に頼る。

 

The seven countries participating in the summit will once again be dependent on nuclear deterrence.

 

だが、思い出して欲しい。

 

But remember.

 

7カ国のうちの6カ国は、自らをキリスト教国として位置付けているのではないだろうか。

 

Six of the seven countries may position themselves as Christian.

 

ならなぜ、平和のために核抑止力に頼るのだ。

 

So why do we rely on nuclear deterrence to achieve peace?

 

十戒の初めには、「私の他を神としてはならない」とある。

 

The beginning of the Ten Commandments says, "Thou shalt have no other god besides me."

 

そしてイエスは言う。

 

And Jesus says.

 

幼子のように天の御父を思うものが、御父の国に入るのだと。

 

He said that whoever thinks of the Heavenly Father as a little child thinks of its father will enter the Father's kingdom.

 

幼子のようにというのは、自らを無力であり親に頼らなければ何もできないと自覚すると言う意味である。

 

To be like an infant is to realize that without our Heavenly Father we are helpless, unable to do anything.

 

幼子のうちは、何をするにも親を頼るしかないので何かにつけて親に頼る。

 

As young children, they have no other means of doing anything but to rely on their parents, so they rely on their parents for anything.

 

出来る事が増えると、次第に親を頼らなくなる。

 

As they are able to do more, they gradually stop relying on their parents.

 

何でも自分でやれるし、何でも自分でやらなければならないと思い込むようになる。

 

They come to believe that they can do everything themselves and that they must do everything themselves.

 

それが成長する事であり、大人になる事だと思い込むようになる。

 

They come to believe that this is what growing up and becoming an adult is all about.

 

いつまでたっても親を頼るのは、恥ずかしく思い込むようになる。

 

They are ashamed to rely on their parents for any length of time and assume they cannot rely on their parents.

 

そして、他人に頼るのもまた恥ずかしく思い込むようになる。

 

And they also become ashamed to rely on others to help them.

 

だが、イエスは言う。

 

But Jesus says.

 

何歳になっても、自分でできないと感じるなら助けを求めても良いのだと。

 

He said that no matter how old you are, it's okay to ask for help if you feel you can't do it yourself.

 

そして、一番に頼るべきなのは天の御父なのだと。

 

And that it is our Heavenly Father to whom we should turn first.

 

わかっていないとか見えていないとか感じるなら、真っ先に天の御父に頼るべきであると。

 

He said that if we feel we don't understand or can't see, we should turn first to our Heavenly Father.

 

ならなぜ、神に頼らないのか。

 

Then why not turn to God?

 

イエスに自分には何が足りないのか尋ねた金持ちの若者が、財産をすべて貧しい人に与えて私について来なさいと言われたようになるのが怖いのか。

 

Are you afraid that you will be like the rich young man who asked Jesus what he lacked and was told to give all his wealth to the poor and follow me?

 

イエスは言う。

 

Jesus says.

 

人には出来ない事も神には出来る。

 

What man cannot do, God can do.

 

G7参加の欧米の6カ国よ、あなた方はキリスト教国ではないのか。

 

To the six Western countries participating in the G7, are you not Christian nations?

 

平和実現のために真っ先に頼るべきは、天の御父ではないのか。

 

In order to achieve peace, the first person we should turn to is our Heavenly Father.

 

あなた方はキリスト教国と言うなら、核抑止力などと言わないで天の御父にこそ頼るべきではないのか。

 

If we call ourselves a Christian nation, shouldn't we rely on our Heavenly Father instead of nuclear deterrence?

 

教会で説教を聞くだけで、自分では聖書そのものを読まないのだろうか。

 

Do they just listen to sermons in church and not read the Bible itself?

 

どうなのだ。

 

How is it?

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理想の世界を実現できる人とはどんな人。

マルコによる福音書 10

13 イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。

14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

15 よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

16 そして、子どもたちを抱き寄せ、手を置いて祝福された。

 

子どものように神の国を受け入れる人でなければ決してそこに入ることはできないって言うけれど、子どものようにってどういう意味でしょう。

 

子どもって思った通りに口にするし、思った通りに行動をしようとするでしょ。

 

そして、子どもって実現するまで諦めないで行動しようとするでしょう。

 

でも、大人はいろいろ口実を言って諦めさせようとします。

 

諦めることが、大人になることだと誰もが思ってしまうのです。

 

では、神の国とはどんな世界でしょう。

 

理想の世界では、ないでしょうか。

 

ならば、こう言い換えられるのではないでしょうか。

 

諦めないで行動する人でなければ、理想の世界を例えどんなに願ったとしても決して実現することはできない。

 

待っていたと言う人は多いけれど、待っているだけの人には決して理想の世界には来ないのです。

 

理想の世界は、諦めないで行動する人だけがたどり着くのです。

 

あなたは、どうでしょうか。

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祈りは気軽にやりましょう。

「神頼みって本当に効く」って人と「神頼みなんて気休め」って人、どこが違うのでしょうか。

 

一番の違いは、「神様ありがとう」って心から感謝出来ているかどうかにあるようです。

 

驚いたり喜んだりする人は多いけど感謝までする人は少ない、そう思いませんか。

 

感謝されたらまた助けたくなるのは、神様も変わんないってことですよね。

 

でも、神様に感謝するってなんだか堅苦しい言葉を使わなければいけないのでしょうか。

 

祈りの言葉って、なんだか型にはまった言い方がありそうな気がするのはなんでなのでしょうか。

 

それは、儀式のお祈りを連想してしまうからではないでしょうか。

 

確かに、儀式で砕けた言い方をしたら締まらないですよね。

 

だけど、私達は別に儀式をしているわけではないですよ。

 

神様に、ありがとうって言いたいだけでしょ。

 

聖書には、こうあります。

 

マタイによる福音書 18

1 その時、弟子たちがイエスのところに来て、「天の国では、一体誰がいちばん偉いのでしょうか」と言った。

2 そこで、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて、

3 言われた。「よく言っておく。心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。

4 だから、この子どものように、自分を低くする者が、天の国でいちばん偉いのだ。

5 また、私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」

 

こうもあります。

 

マタイによる福音書 19

14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちをそのままにしておきなさい。私のところに来るのを妨げてはならない。天の国はこのような者たちのものである。」

マルコによる福音書 9

36 そして、一人の子どもを連れて来て、彼らの真ん中に立たせ、抱き寄せて言われた。

37 「私の名のためにこのような子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私ではなくて、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。」

マルコによる福音書 10

13 イエスに触れていただくために、人々が子どもたちを連れて来た。弟子たちはこの人々を叱った。

14 イエスはこれを見て憤り、弟子たちに言われた。「子どもたちを私のところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。

15 よく言っておく。子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」

ルカによる福音書 9

47 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子どもを引き寄せ、ご自分のそばに立たせて、

48 言われた。「私の名のために、この子どもを受け入れる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中でいちばん小さい者こそ偉いのである。」

 

要するに、子どもが子どもに言うように私達は神様に感謝すればいいってわけです。

 

もし、もう少しちゃんとした言い方をしたいなら聖書にはこうあります。

 

ヨハネによる福音書 14

13 私の名によって願うことを何でもかなえてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

14 私の名によって願うことは何事でも、私がかなえてあげよう。」

 

ヨハネによる福音書 16

23 その日には、あなたがたが私に尋ねることは、何もない。よくよく言っておく。あなたがたが私の名によって願うなら、父は何でも与えてくださる。

24 今までは、あなたがたは私の名によっては何も願わなかった。願いなさい。そうすれば与えられ、あなたがたは喜びで満たされる。」

 

これは、イエスの名によって天の神である御父に話しかけるなら必ず気持ちが神様に届くという事です。

 

堅苦しく構えないで拝啓で始めて敬具で締める、手紙の形式のように思えばいいのです。

 

しかも神様への祈りは、子どもと子どもの対話のようにしなさいとあるではないですか。

 

「神様ありがとう、イエスの名によってアーメン」って、これでも構わないわけです。

 

もちろん、心からの言葉じゃないとまずいですけどね。

 

簡単でしょ。

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フランス革命の「自由・平等・友愛」と政教分離の正体。

「自由、平等、友愛(博愛)」はフランス語のLiberté, Égalité, Fraternité «リベルテ、エガリテ、フラテルニテ»の訳だが、友愛とも博愛とも訳されるFraternité≪フラテルニテ≫の元の意味は兄弟愛や男性共同体の意味なのです。

つまり、フランス革命の「自由、平等、友愛(博愛)」の正体とは、男性の自由と平等な共同体となるわけですね。

一方で女性は、家庭を守る存在とされたのです。

フランスの政教分離とは、公的な空間の俗世に生きる男性と私的な空間の宗教生活を担う女性の分離でもありました。

男女とも衣装などで宗教色の薄いフランスの中に、スカーフの当たり前なイスラム圏の女性が入り込んだ結果この壁が揺らぎだしたのです。

欧州だって女性のスカーフが当たり前な文化が、あったのにです。

フランスの政教分離は公的な空間の俗世に生きる男性と私的な空間の宗教生活を担う女性の分離でもあった以上、女性の社会進出とともにとっくの昔に揺らぎ出さないとおかしかったのです。

どの社会での女性の社会進出も、女性の男性社会への順化強制の歴史であってフランスも例外ではなかったのだと見て良いでしょう。

フランスでのムハンマドの風刺漫画が引き起こした軋轢も、ある意味フランスにおける政教分離の原則を揺るがした事件と言えるのです。

私的空間の宗教の担い手女性の社会進出とともに揺るがなければおかしかった杓子定規な政教分離の柔軟な運用を先送りしたつけを、今フランスは払っていると見て良いでしょう。

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猫は侮れません。

今回は、ちょっと寄り道です。
興味のある方だけ、どうぞ。
欧米で猫をイエスのメタファーと見る文化があるのを、ご存知でしょうか。
Jesus cat で検索すると結構色々出てきます。
メタファーとは、あるものの性質を丸ごと使って例える事です。
古代エジプトで猫は、様々な形で最高神とされた太陽神ラーと結び付けられました。
聖書の神エロヒムのヘブライ語の綴りはアラーとも読めますが、コーランではアラーは唯一神とされます。
これ、偶然でしょうか。
ちなみにイスラム圏で猫は大事にされるが、ムハンマドが大のネコ好きだっだからだそうです。
それはさておき、聖書での犬に関する記述は芳しくないものが多いのにお気付きでしょうか。
イエスのメタファーが猫なら、御父は親猫って事になりませんか。
そう思って読むと、なるほどねと妙に頷きそうになります。
口語訳聖書を使っている皆さんは知らないでしょうけど、聖書協会から出ている共同訳や新共同訳には旧約聖書続編として「エレミヤの手紙」が収録されています。
その中で猫は、「猫さえ」「猫まで」と記されます。
事態の及ぶ範囲がある限界にまで達することを表すのが、「さえ」や「まで」です。
偶像崇拝の場に様々な動物が登場しますが、その最高位として猫が現れるのです。
旧約聖書続編扱いという事は、この文章の時点ではイエスはまだ明かされていないでしょうから「神の言葉としての」つまり預言者としてのイエスのメタファーとなるでしょう。
もちろん、このイエスの代理に成りすました猫は偽預言者となるでしょうが最高位の預言者の成りすましである点に注目です。
黙示録には獣とありますが、その獣はイエスに匹敵する大預言者に成りすましたとんでもない輩です。
エレミヤの手紙に出てくる獣は皆、メタファーです。
黙示録の偶像崇拝の場面は、ひょっとしたらこんな光景なんでしょうか。
お暇な方や、興味のある方は、図書館やネットで「エレミヤの手紙」読んでみてください。
短いので、すぐ読めます。

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聖書が欧米人の例えの大半のネタになったわけを考えて見た。

欧米人の例えの元ネタの大半は、聖書です。

誰もが確実に知っている書は聖書なので、共通な例えは必然的にそうなるのです。

キリスト教を国教化したローマ帝国の文化圏に、周辺諸国が次々と改宗して加わり今に至っているからです。

だから聖書を知らないと、欧米人の例えはわからないのです。

ヨーロッパで印刷術が生まれた時、真っ先に大量印刷されたのが聖書です。

ヨーロッパの一般庶民にとっての書物は、聖書から始まっていると言っても言い過ぎじゃないのです。

bibleの意味はthe bookだが、当時の庶民にとっては聖書はまさにthe bookだったと言えるでしょう。

ちなみにbibleの語源は、実はギリシャ語の「biblia(ビブリア)」からきているとされています。

biblia」は、パルピスという植物の茎の内皮を意味する「biblos(ビブロス)」の複数形の言葉です。

パルピスは紙の原料であることから、「biblia」は小冊子や本の一部といった意味で使われました。

神の言葉を収めた聖書はまさに書物の中の書物として、the bookと言う思いを込めてbibleと呼ばれたのでしょう。

聖書はユダヤ教やキリスト教で聖典とされているが、決して堅苦しい書ではないのです。

読み物として楽しんでも、盛りだくさんな読み応えたっぷりな書なのです。

物語、歌、教訓、いろいろあって飽きないですしね。

庶民はありがたい聖典としてより、通俗読み物として楽しんだのではないでしょうか。

大量印刷された書物の最初が聖書で庶民にとっての読み物はこれしかないわけだから、いやおうなしに共通の話題のネタも聖書になるわけでしょ。

聖書が欧米人の例えのネタで大半になっても、実は何の不思議もないわけですね。

だったら聖書がありがたい聖典だと構えないで気楽に娯楽書として楽しんで、似たもの探しを面白がればそれでいいのではないでしょうか。

信仰の書になるかどうかは、その人が決めたらそれでいいのではないでしょうか。

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とんでもない管理社会の落とし穴に対する警鐘が黙示録の悪魔の数666の正体だ。The alarm bell against the pitfalls of a ridiculous controlled society is the identity of the devil number 666 in the apocalypse.

ヨハネの黙示録 13章

16 また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。

17 そして、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようにした。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。

18ここに知恵がある。理解ある者は、獣の数字の持つ意味を考えるがよい。数字は人間を指している。そして、その数字は六百六十六である。

日本では自公連立政権が、マイナンバーカードにやたら機能をつけたがっています。

紛失のリスクをあえて高くしたいのかと、勘繰りたくなるのです。

次に狙うのは、生体認証とマイナンバーの紐づけなのでしょうか。

その先に来るのは、ヨハネの黙示録13章の666を連想する展開に見えるのです。

どう考えても。

スウェーデン、ドイツ、米国で続々、マイクロチップを体内に埋め込む人々
bebit.co.jp/?blog=microchip

このマイクロチップと機能満載のマイナンバーカードがリンクしたら、その先の展開はどうなると皆さんは想像するでしょう。

この刻印ある者でなければ物を買うことも売ることもできない、そういう社会まであと一歩ではないでしょうか。

欧米諸国は聖書で666を知っているはずなんだが、悪魔が露骨に666を見せると思っているのでしょうか。

7が神の数で、一つ足りない6が人の数、そう言う説もあります。

777は絶対3神、そして666は神様ごっこしたがりの悪魔の数、そう言う事なのでしょう。

つまり666は象徴、サタンがエデンの園でエバを欺いたように簡単に魂胆がバレないように狡猾にやるのでしょうか。

サタンとは「妨げるもの」と言う意味で、神様の計画なんぞ知ったことかと考える手前勝手な連中を指す。

神様のご利益よりも目先の利益最優先のやらかすものは、神様から見たら全部サタンの企みとなるのです。

その意味でのサタンなら世の中どこにでもいる、そう思いませんか。

サタンとは邪魔者であり妨げる者と、イエスも言っています。

マタイによる福音書 16章
23 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは私の邪魔をする者だ。神のことを思わず、人のことを思っている。」

これは、日本の事、自公連立政権の企みの事、そう思っていると甘いです。

目先の利便性を安易に追及して行った先が、黙示録で警鐘を鳴らす悪魔の数字666のようにならない保証はどこにもないのです。

18 This calls for wisdom. Let the person who has insight calculate the number of the beast, for it is the number of a man.[a] That number is 666.

In Japan, the LDP-NKP government wants to add functions to the Individual Number Card.

It makes me wonder if I want to increase the risk of loss.

Is the next target the link between biometrics and My Number?

Beyond that, it seems to be a development reminiscent of John's Revelation chapter 13 666.

No matter what you think.

 

People who implant microchips in their bodies one after another in Sweden, Germany, and the United States

bebit.co.jp/?blog=microchip

If this microchip and the feature-packed My Number card are linked, you can imagine what will happen in the future.

Isn't it one step closer to such a society where only those with this stamp can buy or sell things?

Western countries should know 666 in the Bible, but do you think the devil will show 666 blatantly?

There is a theory that 7 is the number of gods and 6 is the number of people.

777 is absolutely 3 gods, and 666 is the number of demons who want to pretend to be gods.

In other words, 666 is a symbol, is it cunning so that Satan does not lose his soul as easily as he deceived Eve in the Garden of Eden?

Satan means "obstruction" and refers to those who are selfish and think that they knew what God's plan was.

From God's point of view, everything that puts the highest priority on immediate profits over God's profits is Satan's plan.

In that sense, Satan is everywhere in the world, don't you think so?

Jesus also says that Satan is an obstacle and an obstacle.

23 Jesus turned and said to Peter, “Get behind me, Satan! You are a stumbling block to me; you do not have in mind the concerns of God, but merely human concerns.”

There is no guarantee that the destination, which has easily pursued the convenience of the immediate future, will not be like the number 666 of the devil who rings the alarm bell in the apocalypse.

It's sweet to think that this is about Japan, the plan of the LDP-NKP.

There is no guarantee that the destination, which has easily pursued the convenience of the immediate future, will not be like the number 666 of the devil who rings the alarm bell in the apocalypse.

 

 



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改めてイスカリオテのユダの裏切りについて考えてみる。Think again about the betrayal of Judas Iscariot.

イスカリオテのユダは、金貨30枚でイエスを売ってしまったのです。

なぜでしょうか。

おそらくユダの心には、ヨセフの前例があったのではないかと思われるのです。

イスラエルの民の苦難を救うヨセフのような役割をイエスは果たすために来られたと、イスカリオテのユダは勘違いしているのかもしれません。

あるいは、出エジプトのモーセのような存在と思ったのかもしれません。

それは多くのイスラエルの民の勘違いでもあったはずです。

しかし実際には、予想に反してイエスは十字架にかかってしまうのです。

弟子達に合わせる顔がないと感じたユダは、自ら死を選んだのでしょう。

謝ろうにも当のイエスは、十字架にかかって死んでしまうからです。

ユダにとって会うことがかなわない場所におられる十字架の刑を控えているイエスは、死んだも同じなのですから。

もはや弟子達に自分を取り成してくださると期待できる存在は、この世にいないとユダは悲しんだのでしょう。

イスカリオテのユダは、心から懺悔して自らの命を自らの贖罪のために差し出すのです。

犯してしまった過ちの大きさ、取り成してくれる存在の見えない絶望の中で、ユダは自ら命を絶ったのでしょう。

十字架の上で、自分が何をしているかわかっていないのだから許してくださいとイエスが御父に執り成した中に当然イスカリオテのユダも入っているのです。

そう言えば、イエスはイスカリオテのユダについて、生まれてこなかった方が良かったとおっしゃっています。

自分が人の子として生まれた目的の一番大きなものが、全人類のために御父に対して贖罪の子羊として自らを捧げものとする事なのです。

そのためには、誰かが裏切ってイエスを処刑したがっている人達に渡す必要があるのです。

イスカリオテのユダがイエスに抱いていた勘違いしているイメージが、あだになってしまった事をイエスは嘆かれたのではないでしょうか。

ヨセフのようにローマで奴隷になり、その能力を買われてユダヤ人のために働く人になると期待したのでしょう。

イエスはそれがわかっているのでしょう。

イエスはそんなイスカリオテのユダの弱さを、嘆かれたのではないでしょうか。

そしてもはや私達は、自らの過ちの償いのためにイスカリオテのユダの真似はしないで良いのです。

改めて御父が救いの計画を立ててくださった御心に、感謝です。

今回は、十分に理解されているとは言い難いイスカリオテのユダの裏切りについて考えてみました。

Judas Iscariot sold Jesus for 30 gold coins.

 

Why.

 

Perhaps there was Joseph's precedent in Judas's heart.

 

Judas Iscariot may have misunderstood that Jesus came to play a role like Joseph to save the suffering of the Israelites.

 

Or maybe you thought you were like Moses in Exodus.

 

It must have been a misunderstanding of many Israelites.

 

But in reality, contrary to expectations, Jesus is crucified.

 

Judas, who felt that he had no face to match his disciples, probably chose to die himself.

 

To apologize, Jesus will die on the cross.

 

Jesus, who is about to be sentenced to the cross in a place that Judas cannot meet, is the same as he died.

 

Judas would have been sad that there was no one in the world who could expect his disciples to take over himself.

 

Judas Iscariot repents from the bottom of his heart and offers his life for his atonement.

 

Judas would have died himself in the magnitude of the mistakes he had made and the invisible despair of the existence that would make up for it.

 

On the cross, Judas Iscariot is naturally included in Jesus' intercession with his Father, asking him to forgive him because he does not know what he is doing.

 

By the way, Jesus said that Judas Iscariot should not have been born.

The greatest purpose of being born as a child of man is to dedicate himself as a lamb of atonement to the Father for all mankind.

 

To do that, someone needs to betray and give Jesus to those who want to be executed.

 

Perhaps Jesus lamented that the misunderstood image that Judas Iscariot had in Jesus had become a nickname.

 

He would have expected to be a slave in Rome, like Joseph, to be bought for his abilities and to work for the Jews.

 

 

Jesus knows that.

 

Maybe Jesus lamented Judas Iscariot's weakness.

 

And we no longer have to imitate Judas Iscariot to atone for our mistakes.

 

I am grateful to the Father for making a plan of salvation again.

 

This time, I thought about the betrayal of Judas Iscariot, which is hard to understand.

 

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