仏教

神道とシンドウとヒンドウ?

「仏教メソポタミア起源説」「『ブッダの謎』─仏教西アジア起源論」と言った興味深い本が出ています。

仏陀と仏教に関する本なのだが、妙な気分になったのです。
日本には古代中東の遺伝子が多く残り、日本語とタミル語は同祖の言語と言う説が唱えられ、日本にはインドや中東と似た顔もよく見られるでしょ。
仏教それ自体の起源は意外と古く、釈尊は歴史の深い仏教における聖者の一人にすぎないともいえますよね。
そして、仏教の起源は西アジアに遡るとなると、気になるのはヒンドウと言う言葉です。
シンドウとも呼ばれるが、濁点を取ればシントウになるでしょう。
日本語は歴史を遡ると、発音のあいまいな二重母音の時代があるのでしたね。
二重母音、特に日本のようなワ行母音に近い二重母音の場合、濁点は落ちやすい訳ですよ。
日本の民族宗教であるシントウの読みが、シンドウの転化だったとしたら、そしてもし、シンドウの民は西アジアに遡るとしたら、どうなりますか。
古代日本の成立期、意外なほど多くのペルシャ人が参加して活躍してるが、古代中東や西アジアの文化が色濃く残る日本で、彼らは自らの理想を実現したかったのだろうかと思えてくるのです。
さらに、ペルシャ人仏教徒が古代日本に多数来ているが、彼らは仏教が少数派となった西アジアを逃れ、安住の地を求めてやってきたのだとしたら、どうなりますか。
ヒンズー教、ヒンヅー教とも呼ばれるヒンドゥー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教だが、ネパールに近いチベットも日本と同様に古代中東の遺伝子が多く残り、インドもドラビダ語と日本語の近縁性が指摘されるのですよ。
神道はシントウと呼ばれているけれど、シンドウが二重母音の曖昧な発音が原因でそう呼ばれているのに過ぎないとしたら、どうなのでしょうか
考えても見てくださいね、ヒンドウはシンドウとも呼ばれるとしたら、ヒンドゥー教はシンドウ教になまっても良いはずでしょ。
そして、ヒンドゥー教と言う言葉は、他の宗教との比較や区別の必要性から出てきたわけだから、本来の名称はヒンドゥーなわけですよ。
ヒンドゥーの教えに随う民がヒンドゥーであり、神道の教えに随う民が日本人だったと言えるでしょう。
今、日本では多くの宗教が混在しているけれども、八百万の神々を受け入れてそれでいてびくともしないあたり、ある意味、ヒンドゥー教に似ていませんか。
穢れや嫌なことは水に流すと言う言葉があるが、ヒンドゥーの民はまさにいまでも聖なる川で身を清めたいと願っているわけでしょ。
こんなところにも、日本人の西アジア起源の可能性が感じられるのかと、妙な気分になったのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

法輪を考えてみた。

法輪は、仏教の教義、特に釈迦が説いた四諦・八正道の別称です。

 

法輪は、仏教の教義を示す物として八方向に教えを広める車輪形の法具として具現化されました。

卍と共に仏教のシンボルとして信仰され、寺院の軒飾りにも使用されました。

中国では道教にも取り入れられ、教義を示す用語として使用されています。

 

法輪の「輪」とは古代インドの投擲武器であるチャクラムを指すと見られています。

 

チャクラムは、古代インドで用いられた投擲武器の一種です。

チャクラムは、日本では戦輪、飛輪や、円月輪とも呼ばれ忍者が使用したものです。

ちなみにチャクラとはサンスクリットで「輪」を意味する中性名詞の語幹です。

チャクラムは、投擲武器としては珍しく斬ることを目的としています。

チャクラムの直径は1230cm程で、真ん中に穴のあいた金属製の円盤の外側に刃が付けられています。

 

投げ方は二通りあり、円盤の中央に指をいれて回しながら投擲する方法と、円盤を指で挟み投擲する方法です。

ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌも右腕にこの円盤をもつとされています。

 

人々の煩悩が僧侶から説かれた仏教の教義を信じることによって打ち消されるさまを、転輪聖王の7種の宝具の1つであるチャクラムに譬えた表現であるとされます。

 

そこから、仏教では教義である法輪を他人に伝えることすなわち転を転法輪と言うようになりました。

転法輪は別名、転梵輪ともいいます。

 

だが、法輪については、釈尊が説法して人々の迷いを砕く有様を戦車が進んでいって敵を破ることにたとえたものと言う見方もあります。

 

つまり、実際のところ正体が不明なので、古代インドにあった武器で印象の似ているものを、恐らくこれであろうと推論が述べられているのに過ぎないわけです。

 

ならば、新たな説を唱える余地もあると言うことです。

 

実は釈尊には、中東系の可能性があるのです。

何しろ、こんな本が出るくらいです。

「仏教メソポタミア起源説」「『ブッダの謎』─仏教西アジア起源論」。

そうなると、法輪のイメージとして釈尊の思い描いていたものは、中東由来の可能性は否定できないのです。

 

聖書の創世記に、この記述があります。

 

創世記 3 24

神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

 

神は、言いつけに背いて知恵の木の実を食べた結果として死を知る必要が出てきたアダムとイブが罪を得たままで命の木の実を食べて永遠の命を得ることが無いよう、ケルビムと、回る炎のつるぎとで命の木への道を守らせたわけです。

 

このケルビムも輪と関係があります。

エゼキエル書 10 6

彼が亜麻布を着ている人に、「回る車の間、ケルビムの間から火を取れ」。と命じた時、その人ははいって、輪のかたわらに立った。

 

そしてこのケルビムの正体として、グリフィンとスフィンクスが候補に挙がってきたのです。

 

スフィンクスはすでにおなじみでしょうから、グリフィンについて紹介します。

 

グリフィンはグリフォン、グライフ、グリュプスとも呼ばれる伝説上の生物です。

一般的には、鷲あるいは鷹の翼と上半身、ライオンの下半身をもつとされるが、ライオンの頭で表現される場合もあります。

 

グリフィンには車をひく役割があるとされるほか、面白いことに、ローマ時代になるとシリアやパレスチナ周辺でグリフィンと一つの車輪という図像が突然現れると言います。

 

問題は、ケルビムと炎が深い関係があることです。

 

古代から中東には王家の象徴として太陽をかたどった紋章がありました。

その形はなんと、日本の天皇の象徴である菊花紋とそっくりなのです。

 

エジプトでは宗教改革でアメン神からアテン神へと崇拝の対象が切り換えられたことがあったが、そのアテン神の姿は太陽円盤の周囲に放射線を描くものです。

 

この宗教改革はアクエンアテン一代で挫折したが、アテン神は中東で古来から崇拝の対象であった太陽神と主張されていたのです。

 

もしこの主張が正しかったなら、菊花紋そっくりの太陽神の紋章の正体はアテン神だった可能性が出てきます。

 

現在ではトルコのイスタンブールで博物館となっているアヤソフィアは、東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、トルコがイスラム圏になってからはモスクに転用されたこともあった建築です。

 

アヤソフィアの四角い建物に丸いドームが載っている形は、円で象徴される天と四角で象徴される地をそれぞれ表しています。

 

円で象徴される天の中心に太陽円盤の周囲に放射線を描くアテン神を配すると、見た目は車輪のような形になります。

 

法輪は、八方向に教えを広めるさまを表現する車輪形の法具とされるが、アテン神の周囲に光を放つ太陽神のイメージを重ね合わせることはできないでしょうか。

 

密教では、最高神は太陽の光の象徴とされる大日如来とされています。

 

もし、大日如来の正体はアテン神だとしたらどうでしょう。

 

そして、ケルビムやグリフィンに関係深い輪の正体もまたアテン神だとしたら…。

 

ケルビムもグリフィンも、神の守護者とされています。

 

法輪は、アテン神であり、ケルビムやグリフィンと関係があるのでしょうか。

釈尊中東説がもしも成り立つのであれば、このような解釈もあり得るのではないか、そう思ってまだまだ、証拠集めと検証が必要であることを承知で今回の議論となりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

欧米のキリスト教に思うこと若干。

ネットでイスラムになびいちゃう欧米の若者が結構いると聞いて、へえって思ったことがある。

モルモンへ改宗する欧米の若者も、ネットでモルモンの会員とやり取りする中で改宗を決意する人が結構いると言う。

ネットの力、意外と馬鹿にできないって思う。

 

欧米の若者でイスラムに惹かれる人が出る背景には、欧米のキリスト教に対してコレジャナイ感が大きいことが挙げられるかも。

既存のキリスト教会からモルモンへの改宗も結構あると聞いたことある。

 

カトリックもプロテスタントも、魂の救済にとどまらず、生き方を求めて祈る信仰へと軌道修正しない限り、欧米の若者たちの教会離れも止まらないし、ISに足元を掬われてしまう若者たちも引き留めることなんて絶望的なまでに出来ないと思い知った方が良いのではないか。

 

カトリックの堕落を批判したプロテスタントもまた堕落したが、生き方を求める信仰に軌道修正することは魂の救済に胡坐をかいてきた生き方の全否定であり当然苦痛を伴う。

すでに得ている魂の救済の既得権益を脅かす輩が、気に入らないと言うわけであると言うことなのか。

そこに気付こうとしないのだとしかみえないのは、気のせいだろうか。

 

だが欧米の既存のキリスト教徒の多くは、若者たちをISにとられたこととイスラムにとられたことを短絡的に混同する傾向さえあるように思う。

彼らはイスラムを知らないばかりか知ろうともしないように思えるのは、とても悲しい。

キリスト教にいちゃもんをつけて喧嘩を売った、けしからん異教徒としか見ようとしないようだからだ。

違うだろうか。

 

旧態依然の欧米のキリスト教は魂の救済は説いたが、どう生きるべきかは説かなかった。

イスラムもモルモンも仏教も、どう生き、どう考えるべきかを彼らに示した。

ISに若者を取られたくないなら、既存のキリスト教も生き方を生き方を模索している若者に応えようとするべきだ。

 

現在、米国の仏教徒は約3百万人を数え、全米人口の1%に当たる。

ヨーロッパでも約100万人いる。

キリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。

しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。

なぜそうなるのか。

彼らは生き方を求めているのだ。

 

モルモンへの改宗者もまた生き方を求めて、既存のキリスト教会に別れを告げた人たちである。

既存のキリスト教は信ずれば救われると説くが、どう生きるべきか指し示す力がない。

ただ救いを求めてすがる人たちばかりと、言って良いかもしれない。

受け身ばかりと言えるだろう。

 

トリックへの反発からプロテスタントが生まれたが、今欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れが深刻と言う。

維持がままならなくなり、手放される礼拝堂もかなりあると聞く。

だが、心の支えや拠り所を求める人は実は多い。

Isの誘いに乗ってくる若者は、心の隙間で足元が掬われてしまった人が結構いると言う。

さもありなんと言うべしだろう。

 

欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れも多いと聞くが、どう生きるべきかの悩みは多くの若者が普遍的に抱えている課題。

ISの誘いに乗ってしまう欧米の若者が多いのは、旧態依然の教会の体質に問題があると私は見る。

だがどっぷり浸かり込んだ人にはそれが見えてないのではないか。

 

FW・ニーチェの「アンチクリスト」も、欧米のキリスト教の現実への幻滅からキリスト教そのものの否定に走った典型だが、欧米の若者も既存のキリスト教への幻滅から改宗希望者が多いのかも知れない。

だから、イスラムやモルモン、仏教などに惹かれる人が結構出るのかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

泣き相撲

普段は、氏神さまの境内で村の若者が豊作を祈願して草相撲として行われる宮相撲が毎年行われていました。

やがて職業相撲集団となり、四股名を付けることも生まれました。
かつては山や川にちなんだ四股名が多かったのは、生命力を励ます行事だからです。
もともとは男子のものであった子供の相撲としては、小中学生による草相撲もあります。
少年は、五行では滅びと生成を司り循環促す土気です。
大地の生産力を励ます意図があったものですが。
 神の嬰児イエスが下敷きにあるのでしょうかね。
草は草冠、日、十字で、草冠は元は並び立つ三叉で描かれ陰陽の生命の樹、日は太陽、十字は生命を育む太陽の光で、転じて生命力を表します。
一応相撲の起源は古く紀元前、垂仁天皇の御代に大和の国において当麻蹴速と野見宿禰が力競いをし、野見宿禰が勝ち、後の世に相撲の神と仰がれます。
また平安時代には宮廷で相撲節会が行われるようになり、五穀豊穣を祈る儀式ともなりました。
 国家安泰も併せて祈願されたようですね。
時代が下がって武家の時代になると、大名が力士を集め上覧相撲を行いました。
江戸時代には社寺の建立のため、寺社奉行の許可を受けて勧進相撲としての興行相撲が行われました。
勧進相撲は、正保2年6月(1645)京都の、下鴨神社の名で知られる賀茂御祖神社に関係のある糺森においておこなわれた、公許勧進相撲(京都勧進相撲)になりそうですね。
ちなみに、一般に蚕ノ社と呼ばれる木島坐天照御魂神社に元糺森があり、この社は三柱鳥居が有名です。
それに対して今のような泣き相撲は、宝永年間あたりまでしか、さかのぼれないようですね。
あるいは、起源はもっと古いものもあるかも知れませんけど。
と言いますのも、幼児が赤いふんどしを締めて、各々行事役の氏子総代に抱かれて土俵の上で一勝一敗になるように土俵の土をつけてもらい、子供の健康を祈願するとされる行事があります。
これが、土に付けられた子供がたいてい泣き出すところから、『泣き相撲』として親しまれている行事の元祖のようです。
赤いふんどしは火気、男子の子供は土気で、相生関係の火生土が前提にありそうですので、おそらくは男子が主に土俵に上がったかも。
 まあ、人自体も土気ですので、女子も可なんでしょうか。
実際、女子の参加する泣き相撲もありますね。
古来からかどうかは、情報の欲しいところですけど。
 ここには、人は土から出来たと言う、聖書の記述とともに、滅びと生成の太陽神の子孫とする古事記の反映もあるのでしょうね。
現在各地の神社には、古来から泣く子は育つとの意味に因んだとして、泣きすもうが行われています。
 でも、元は土に付けていたと言う伝承も古いとこには見えます。
今ではたいてい、役員氏子がまわし姿の力士に扮し、東西の土俵から幼児同志を抱きかかえ掛け声と共に、頭上高く振り上げて取組ませ、先に泣いたほうを勝とする行事になっています。
笑いが火なのに対し、泣きは水と思われます。
水は北に当たります。
でも火のついたように泣くというように、激しい泣きは火、つまり南に当たります。
北を正面、南を向う正面とし、東西の力士が対戦する、土俵の作りが反映され、少年は、五行では滅びと生成を司り循環促す土にあたりますから、大地の生産力を励ます意図が見て取れます。
農業に欠かせない水に困らないようにとの呪術でもあったので、泣き相撲には泣くと勝ちのところが多いのです。
水の多過ぎも困るので、ところによっては泣くと負けのところもあるようですけど。  
でも、どうも、この形になったのは、どうも宝永の頃みたいですね。
ここでも、泣きの水もまた禊の水、火は聖霊による禊に通じるのです。
 さて、泣き相撲で涙とくると、涙を流す慈悲の神イエスが連想されますねえ。
 涙の神の像がないと思ったら、こんな形で祭られていたのですかね。
さすが、偶像崇拝を禁じた教義もシンボルまでは。
 泣き相撲の原型が赤ふんどしの幼子を土に付けるものであったことは、義の太陽神イエスこそ、人類の親であると宣言しているのに等しいでしょ。
それは、考えすぎでは。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

聖書には現代への警鐘と皮肉が込められている。

聖書の宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は人の才能の違いなどがどうしても貧富の差を生じてしまうことを前提としています。

富める者は頑張っているけれども貧しい者を惜しみなく助ける事を、聖書の宗教では神の愛の実践として求めています。

聖書には、神に従うなら貧富はなくなるとあるにもかかわらず、富める者は貧しい者を惜しみなく助ける事を求めています。

神は、御心の実践者を惜しみなく救う方であると、心から信じ実践する者を惜しみなく救うと、聖書にはあります。

ただし救いにも様々な形があるので、自分は本当に救われ、祝福を受けているか不安になることがあるかもしれません。

神を見失っていないなら、やがては、困難は試しであり祝福であったと気づく時が来るとも、聖書にはあります。

聖書の神に従うなら貧富はなくなるとは、富める者も必要以上貪らず、頑張っているけれども貧しい者たちの必要に応じて惜しみなく助ける事によって、貧富の差によって困る者は一人もいなくなる、と言うことなのです。

ここで注意しないといけないのは、努力をしたのに貧しい者は救いに値するが努力をしないならば持っているものまで取り上げられ富める者に与えられてしまうとあることです。

救いを求めていると行為で表す者が、救われるのです。

イエスは、あなたの信仰があなたを救った、と言う言葉を何度も繰り返します。

しかし、主よ主よとこれみよがしに叫ぶのではなく、御心を信じ実践する者に対して、この言葉は語られているのです。

残念なことに、多くの人は自分たちの給与が上がらないのに、公務員の給与は上がると、怒るようです。

公務員の給与が上がることを怒るより、自分たちの給与が上がらないことの方を怒るべきと思うのです。

一般の国民同士が対立して、政府が仲介者として振る舞う構図、どこかで見たことありませんか。

まさに教科書に書いていた、植民地支配の構図そっくりでしょ。

欧米などは、最低賃金を引き上げるときには中小企業にもちゃんと配慮してるのを知っていますか。

日本政府がそれをしないのは、国民がなめられている証拠だと気付いていますか。

もっと怒らんと、さらに馬鹿にされてもっとむしり取られますよ。

現に、消費税増税分と大企業への減税分はこれまでの額を見ればわかるようにほぼ等しく、一方で社会保障や社会福祉は削られ続けたではないですか。

今や、社会保障や社会福祉の充実は、広範な国民と国内に基盤を置く経営者や企業が手を組んで、充実と前進を戦いとる時が来たと思いませんか。

柔軟性を持った新しい世代の育成は企業の未来を切り開くために必要だし、福祉は国内市場の確保の観点から重要であると思いませんか。

新しい社会への視野を持った社会保障や社会福祉の必要が言われるようになった背景には、社会の変化が急速になったために尻拭い的なものとして社会保障や社会福祉をとらえる立場が時代遅れになったことがあるのです。

尻拭い、つまり、努力してきたのに報いられていない人たちを後追い的に助けるのではなく、まっとうに努力しているなら、彼らの努力が報いられるように常に彼らが求める助けに応じていくことが、変化のドンドン早くなる今、必要なのです。

いいですか、社会保障や社会福祉は、犯罪の予防や、政府批判をするものから国民を切り離す目的でもともとは始まったのですよ。

社会保障や社会福祉の充実がおざなりにされているなら、国民は犯罪の犠牲になっても構わん、どうせ逆らわないと舐められているってことですよ。

犯罪の取り締まりは、国民の不満のガス抜きに過ぎないってことですよ。

だから、生活保護に対するヤッカミが放置され、そのとばっちりを生活保護を本当に切実に必要とする人が受けにくい社会になっていくのです。

子育て支援が、本当に切実に必要とする人が受けにくい社会になっていくのです。

聖書には、与えられたタラントが一番少なかったものが使わずにいたと主人に報告したら取り上げられて一番増やした者に与えられた話が出てきます。

そして、持っているものを使わないなら持っているものまで取り上げられて、もっとも持っているものに与えられると説きます。

自らの主権者としての力を信ぜずに、自分の力は小さいと諦めている国民は、持っているものまで取り上げられてもっとも富んでいるものに分け与えられると考えたらどうですか。

まるで、どこかの国にいる、しらけて立ち上がろうとしない人々が嘆いている現実そのものではないですか。

自らを卑下することと、へりくだる事は違います。

自らの非力を自覚したうえで、どうしたらそれを乗り越えられるかと自らに真剣に問いかけようとする事が必要なのです。

どうしたら救いに辿り着けるか、素直な心で現実を見つめ、答えを求めるものが道を見出すのです。

そして、助けが必要なら、素直に助けを乞い、助言を受け入れる謙虚さが大切です。

本気で助けを求めてないと思える人を、本気で助けたいと思えますか。

へりくだり仕える者となることをいとわない心が、求められているのです。

イスラム教にはジハードの思想があるが、これは、神に従うことへの内なる妨げとの戦いをさします。

神の妨げをするものが、聖書でいうサタン、コーランでいうシャィターンです。

聖書とは、内なる妨げであるサタンあるいはシャィターンとの戦いに神の愛の実践によって勝利するための導きの書と言えます。

だから、たとえばマタイによる福音書の16章23節にこうあるのです。

 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

これはペトロをサタンと同一視しているのではなく、神の計画を妨げるような言動をするなと戒めているのです。

聖書やコーランには、外なる敵との戦いも記されるが、これらの戦いは実は内なる妨げとの戦いの延長線上にあります。

だが、現世的利害での敵に過ぎないなら神の愛の実践によって、対立を乗り越えて平和を築くことを、聖書の神は求めています。

ムスリムの寛容はここに由来します。

寛容な社会は、イスラム社会の特質などではなく、本来、キリスト教社会にもあってしかるべきなのです。

さらに、キリストの教えと仏教に類似を言う人もいます。

もしそうなら、神道の国であるだけでなく、仏教の国でもある日本も、また、寛容な社会であって良いはずではないですか。

今の日本、ちょっとせちがらくなってきてませんか。

宗教を、神なんていない、そんなもんは人が考え出したに過ぎないと鼻先で笑う前に、先人の知恵の宝庫として、見直してみた方が良いのではないですか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本ではなぜ蓮の台座で差し支えなかった?

十一面観音は、国宝、重要文化財等の指定名称で、大光普照(だいこうふしょう)観音とも、十一面観音菩薩、十一面観世音菩薩など様々な呼び方があります。

「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれます。

頭上の11面のうち、前後左右の10面は、菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされます。

通例、頭頂に仏面、頭上の正面側に菩薩面(3面)、左側(向かって右)に瞋怒面(3面)、右側(向かって左)に狗牙上出面(3面)、拝観者からは見えない背面に大笑面(1面)を表します。

頭上の11面は全体では、衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すわけです。

六道それぞれの衆生を救う6体の観音を、六観音といいます。

密教では、修羅道に十一面観音を配します。

残りは、地獄道に聖(しょう)観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、人間道に准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音、天道に如意輪観音となります。

十一面観音は密教の尊格であり、密教経典(金剛乗経典)の十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経(不空訳)、仏説十一面観世音神咒経、十一面神咒心経(玄奘訳)に説かれています。

十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われます。

十種勝利

離諸疾病(病気にかからない)

一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)

任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)

一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)

國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)

不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)

一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)

水不能溺(溺死しない)

火不能燒(焼死しない)

不非命中夭(不慮の事故で死なない)

四種功德

臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)

不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)

不非命終(早死にしない)

從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)

また、この十一面はあまねく方位を見るためともされます。

 あまねく方位と言いながら、十一では数が合わないでしょ。

全方位に守りを固めるため、十二神将が配されるくらいですからね。

金毘羅童子、宮比羅とも呼ばれる宮毘羅(くびら、こんぴら)大将の本地仏は弥勒菩薩で、亥神に配されます。

金剛力士とも呼ばれる伐折羅(ばさら)大将の本地仏は勢至菩薩で、戌神に配されます。

迷企羅(めきら)大将の本地仏は阿弥陀如来で、酉神に配されます。

安底羅(あんちら、あんていら)大将本地仏は観音菩薩で、申神に配されます。

頞儞羅(あにら)大将の本地仏は如意輪観音で、未神に配されます。

珊底羅(さんちら、さんていら)大将の本地仏は虚空蔵菩薩で、午神に配されます。

帝釈天とも呼ばれる因達羅(いんだら)大将の本地仏は地蔵菩薩で、巳神に配されます。

波夷羅(はいら)大将の本地仏は文殊菩薩で、辰神に配されます。

摩睺羅伽(マホーラガ)とも呼ばれる摩虎羅(まこら)大将の本地仏は大威徳明王で、卯神に配されます。

緊那羅(キンナラ)とも呼ばれる真達羅(しんだら)大将の本地仏は普賢菩薩で、寅神に配されます。

招杜羅(しょうとら)大将の本地仏は大日如来で、丑神に配されます。

毘伽羅とも記される毘羯羅(びから)大将の本地仏は釈迦如来で、子神に配されます。

間際らしいのが、十二天です。

十二天とは、仏教を守護する12の天尊のことです。

四方・四維の八天、上・下の二天、日・月の二天からなります。

帝釈天(たいしゃくてん)(東)・火天(南東)・閻魔天(えんまてん)(南)・羅刹天(らせつてん)(南西)・水天(西)・風天(北西)・毘沙門天(びしゃもんてん)(北)・伊舎那天(いしゃなてん)(北東)、梵天(ぼんてん)(上)・地天(下)、日天(日)・月天(月)。

十一面観音は、十一の数が生命の樹のダートを含めたセフィロトの数と同じなので、生命の樹を表すという解釈も出来ます。

だが、それでは、あまねく方位という説明の裏付けにはなりません。

陰陽では北は天に配されるので、十二方位の残りの十一方位とすれば、あまねく方位の説明となるのではないでしょうか。

 十一面観音の、方位のことだけ言いたかったのですか。

日本の仏教では、仏は蓮に乗った姿が定番でしょ。

 初期のころは、椅子のような四角の台座があったと思いますが。

なぜ、四角の台座が日本では廃れたと思いますか。

半跏思惟のような姿は、蓮の台座よりは椅子のような台座の方が、表現しやすいはずでしょ。

さらに言えば、交脚姿勢の仏像は日本では半跏思惟像以外ないでしょ。

 交脚姿勢の表現を諦めてまで、蓮の台座にこだわった…。

神仏混交本地垂迹では、大日を本地とすれば天照が垂迹でしょう。

 天照は、皇祖神ですね。

天皇には、三五の桐紋もあるが、有名なのは菊花紋でしょ。

そして、天照は太陽神だから、菊花紋は太陽神の象徴でもあるわけですよね。

 一方、仏の象徴は蓮ですね。

神道では全ての神は天照の化身、仏教では全ての仏は大日の化身ですね。

 主仏は皆、大日に帰することを一目で見てわかるようにする必要があった。

さらにいえば、幕末から明治にかけて日本に来た欧米人は、皇族の顔を見て中東起源と感じたそうですよ。

日本には、古代中東のYAP遺伝子が濃く残るが、これは最も古いD系統に属するとされています。

 皇族の率いた天孫一族は大陸から来たが、皇族の顔は彫の深い中東系…。

今は亡き、イラクのフセイン大統領はヨーロッパの記者からの背後の紋章は皇室と関係あるかとの問いに、中東古来の王家の紋章だと一笑しましたね。

 日本では菊花紋と呼ばれるが、中東では太陽の象徴ですよね。

大陸渡来の皇族は、当然、菊花紋が太陽の象徴であることを承知で、太陽神天照の末裔と称する自らの紋章にしたと見る方が、自然でしょ。

 本地垂迹は、象徴の花にまで、徹底した…。

だが、なぜ、交脚の仏像は作られたのでしょう。

 逆に言えば、交わる、つまり、クロスを表現できさえすれば、足の位置にこだわることはない…。

さらにいえば、立像では交脚は不可能ではないが、不自然でしょ。

 交差さえ表現できれば、足にさえこだわらなくて良い…。

仏の坐像、良く見てください。

 両足の裏が見えている場合が、多い…。

足を交差させないと、そうはならないでしょう。

さらに、衣に注目してください。

背面も、含めて…。

 さりげない交差が、表現される様式ですね。

交差、つまり、クロスですよね。

もろもろの仏は、大日の化身です。

 ザビエルたちは、大日をイエスの訳としようとしたが、断念してますよね。

太陽神信仰をイエス信仰に摩り替えて、現地の宗教を乗っ取ろうとしてきた布教作戦は、日本では採用できなかったのは、神仏混交本地垂迹だったからですよ。

 そうでなければ、大日をイエスの訳として日本仏教を乗っ取る作戦は、成功したかもしれない。

大乗仏教成立の背後には、キリスト教がありました。

 大日をイエスの本地として割り込んでしまえば、乗っ取りは容易だった…。

それが断念されたのは、日本では天皇が地上における大日の代理であり、天照の末裔だったからです。

 天皇がイエスの末裔であることは否定できても、イエス直系のキリスト教団の末裔である可能性までは否定できない…。

バチカンと言えども、エルサレム教団の全てが帰ってきているとは言ってないでしょ。

 大陸のどこを探してもない以上、そして、神が作りたもうたエルサレム教団が滅びるわけがない以上、どこかにないといけない…。

さらに、東にプレスタージョン率いる強大なキリスト教国あると言い伝えられているのに、大陸のどこにもないでしょ。

大日をイエスと置けば、天皇はエルサレム教団のトップとしてキリスト教国日本を率いる構図になるとは、言えませんか。

 日本が、プレスタージョン率いる強大なキリスト教国と認めざるを得ない展開さえ、予想されますね。

それはさておき、クロスを象徴とする太陽神となると、思い出しませんか。

 古代アメリカの太陽神も、クロスを象徴としていましたね。

そして、アメリカ先住民は日本先住民の親戚であることは、遺伝子、土器、寄生虫によっても裏付けられました。

 日本には、古来からクロスを太陽神の象徴とする文化があった。

だから、クロスさえ表現できさえすれば、交脚にこだわらなかったと言えないでしょうか。

 ザビエルは、日本の精神文化のキリスト教徒の類似に驚いて先客を探したが、見つからなかった…。

先住民の末裔であるアイヌや琉球の民には、古代イスラエルの生活文物や、聖書に似た伝承や風習が残っているのは、偶然でしょうか。

アメリカ先住民は、愛と悔い改めを説いた白い神が再臨を約して去って行った伝承もありますよ。

 アメリカでの先住民への布教は、十字を象徴とする太陽神をイエスと置くと再臨を約した白い神の扱いに困り、逆では太陽神の扱いに困る…。

だから結局、イエスはイエスのまま、布教したはずです。

 クロスを象徴とする神は、イエスと見て良いか…。

クロスを象徴とする太陽とされる神、どう見てもイエスでしょ。

 モルモン書は、アメリカ先住民はイスラエル人の一派であると記していますね。

アメリカ先住民は、古代中東の遺伝子を持つアイヌや琉球の民と親戚である以上、古代中東の民の末裔でないとおかしいでしょ。

 日本の仏像の造形には、古代中東から連綿と伝わるクロスを象徴とする太陽とされる神の思想が反映していた…。

そう見ては、おかしいでしょうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

秘すれば花?

世阿弥の芸論書「風姿花伝」の言葉、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」 は、あんまり何もかも見せるより、仄めかす部分がある方が面白いということかもしれません。

でも、それだけでしょうか。

 確かに、余りこれ見よがしに見せびらかすのは、かえって野暮かもしれません。

 むしろ、嫌味でさえありますね。

花は自らを秘しているでしょうか。

鮮やかな花もあれば、地味な花もあるのは事実だけど、花は自らを隠してしまったら、受粉できないでしょ。

 生き物に託す場合もあれば、風に託す場合もありますね。

風に託す場合、裸子植物のように花は地味だけど、花それ自体は隠れてはいないはずです。

 秘すれば花と言うが、花自体は自分を秘してはいない…。

 だが、花を目立たせ、周囲を引き立てるように演出してるのは人が飾る場合であって、自然界ではむしろ周囲の存在に埋もれないように、してるようですね。

生き物に託す場合は見つけてもらえるように、風に託す場合は風にほどほどよく当たるように、咲いてませんか。

 花はこれ見よがしなのではなく、むしろ、懸命に見いだされたがっている…。

この見出される、見つけられる、ことこそ、「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」という言葉を理解するポイントではないでしょうか。

 見つける、といえば、花は実をつけますね。

 「見つける」と「実つける」の洒落だったりしませんか。

そう言えば、努力はよく、花にたとえられます。

 花が咲く、とか、実を結ぶ、と言う具合に…。

そうなると、努力は気付かれもいいが、見せびらかしては駄目ということになりませんか。

 日本は、見せる文化と言うより、見つけられるのを待つ、気付かれるのを待つ、文化ということでしょうか。

隠す文化ではなく気付かせる文化、ということでしょう。

 見せて魅せる文化ではなく、気づかせて萌えを感じる文化が、日本…。

だから、見せつつ隠し、隠しつつ見せ、見つけられるのを待ち、気づかれるのを待つ訳です。

「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」

「春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌は思えど 時にあらずと 声もたてず」

こういう、秘められた変化に素早く気付き、兆しを見出す、だから、「萌え」を感じるのは日本の美意識であり、粋なわけです。

 「萌え」を感じるのは日本の美意識であり粋としたら、「花(はな)」は「端(はな)」に通じるということですかね。

「秘すれば端なり、秘せずば端なるべからず」と表現を変えても、確かに意味は通じるし、むしろ、この方がわかりやすいのも、確かでしょうね。

だが、こうあからさまに出してしまっては、分かり易いかもしれないが身も蓋もないでしょ。

 それであえて、「端(はな)」を「花(はな)」と言い換えた…。

日本は、巧みに元の物を摩り替えたり、言い換えたりする文化でもあります。

だから、本来の意味を知りたければ、元の姿を探り当て、そこに込められたメッセージを知る必要があるということでしょうね。

 そうなると、日本文化は象徴に満ちていると言い換えても良くなるのでしょうか。

そうかも知れません。

大陸の中国などでは、権力の威厳を竜で表すことを好んだが、日本は違うでしょ。

 そういえば、日本では竜を仏教寺院とか、民俗的な祭りでは見るが、権力の象徴としてはあまり知らないですね。

むしろ、いつのころからか、松が好んで使われるようにみえないでしょうか。

ひょっとすると、松は竜の摩り替えかもしませんよ。

 大地に根をしっかりと張り、奔放に枝を伸ばし、常緑の葉をつける。

 しっかりとした地盤を築き、自在に振る舞い、その勢いは止まることを知らぬ権威と権勢を手に入れたと、印象付けたい権力者の気持ちを象徴している…。

しかも、そのうねる姿は、まさに竜でしょ。

さらに、日本は神仏混交の信仰を作り上げたが、神道の背景には陰陽思想があります。

松や竜のように長いものは、風や息や声に配されます。

 松は、竜、永遠の権勢、神の声、などの象徴だった…。

ほかにもまだまだ、摩り替えられた象徴が、日本は日本は見つける事が出来る国かも知れないですよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神社の構造について考えてみました。

街中で見かける神社と寺の見分け方として、よく言われるのは次の点です。

 そう言えば、見た目が似通っていて、どう区別するかわからないことはありますね。

外見としては、瓦葺きでないなら神社で、瓦葺きなら寺と、思えば大抵区別はつきます。

 天平の甍と言いますね。

 甍は、瓦の事で、仏教とともに伝来したのでした。

一方、神社は茅葺が普通です。

 神社は、瓦の伝来以前の建築ですからね。

もっとも、中にはどちらも屋根に銅版が葺いてあったりして区別しにくい場合もあります。

そういう時は、多少近寄らないとならないが、鈴なら神社で、銅鑼なら寺です。

だが、古い歴史を持つ神社は、たいてい、一目で区別がつきます。

神社建築、特に本殿の特徴として以下の点が指摘されています。

屋根に妻を持つこと

床を高く張ること

瓦を用いないこと

土壁を用いないこと

装飾の質素なこと

もっとも日光東照宮のように、装飾だらけの神社も、なかにはあるが、これは例外中の例外です。

古来からの神社には、いくつかの様式があります。

大社造

住吉造

春日造

神明造

流造

八幡造

どうして、これだけの様式が分かれたか、それはわかりません。

だが、神社でなぜ、屋根に妻が付くかと言うと、それには理由があります。

神社建築では、長さは何間あろうが、妻の方は基本は必ず柱が三本なのです。

 八幡造では、屋根を伸ばすためにわざわざ妻をもう一つ造りますね。

 神の三柱と、関係があるのでしょうか。

おそらく、そうでしょう。

歴史のある神社では、本殿までの鳥居はたいてい三つです。

これも、神を三柱とする思想が背景にあるようです。

ついでに言うと、妻の方に階段があるかないかと言う区別もあります。

妻の方に階段があるのは、大社造、住吉造、春日造です。

神明造、流造、八幡造は、階段は妻の方にありません。

神社の基本構造は、出雲大社の有名な設計図である金輪の造営にみられるように、九本柱と思われます。

 出雲大社だけでなく、伊勢の神宮も、九本柱ではないですか。

周囲に廻らされた回廊でわかりにくいが、そのような印象は受けますね。

 九本柱が基本としたら、金輪の造営について、生命の樹を連想したが、神社は生命の樹を表すことになりますね。

興味深いのは、八幡造で、建物を支える柱は十三本に見えるのです。

 母屋の真ん中の一本は大黒柱として、勘定から外して良ければ十二本。

 八幡(はちまん)は通称で、正式には八幡(やはた)ですよね。

八幡(やはた)に対しては、ユダヤを表すイエフダーの転化と言う説がありますね。

 八幡(やはた)がユダヤであるなら、十二はイスラエルの支族の数となりますね。

 大黒柱は、天の神である御父を表すのではないでしょうか。

なお、本殿の大きさは、正面から見たときの柱間の数で表されます。

例えば、正面に柱が四本立っていて柱と柱の間が三つであれば、三間社と呼びます。

その場合の間は、柱間が一尺であろうと十尺であろうとすべて一間と数えるのです。 

実際の神社では、圧倒的に多く全体の九割以上を占めるのは、一間社だそうです。

残りは、ほとんど三間社で、偶数の間数は社寺ともに嫌われるので、二間社や四間社の例は、希にしかないようですね。

五間社以上の大型本殿の例も少なく、長大な例では、京都府の石清水八幡宮、山梨県の窪八幡神社の十一間社があります。

 軒下が大半、一間と言うことは、大社造や春日造と、関係はあるのでしょうか。

そうかも知れません。

二間社や四間社の例は希にしかないが、偶数は陰の数であり、陰は鬼の語源ともされることも理由としてあるのかも知れません。

 十一間社の十一は、十一面観音でもしばしば言われるけれど、生命の樹の節の数ですよね。

面白いのは、本殿ではないが、諏訪大社の十間廊と言う建物は、大きさだけでなく形と方角や使い方が全部、古代イスラエルの幕屋と同じであるという指摘があります。

なお、十間廊は古くは神原廊(ごうばらろう)とも呼ばれたようですね。

 こうしてみると、神社は、拝殿と本殿を分け、前方に二本柱を持つ構造は古代エジプトや古代イスラエルの神殿と類似ですよね。

 賽銭箱があり、神域を持ち、裾に房のある衣装の神職が清めの塩を用いるばかりか祓いをすることまで、古代イスラエルの神殿と類似。

こうしてみると、神社と古代中東は、やはり何か、ありそうですね。

 でも、神社の構造については、専門家から、指摘が来るのでは。

その時は、素直に教えを乞いますよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

八卦よい古墳?

少々前の記事だが、やはりどうも気になります。

野口王墓古墳:5段構造の八角形墳
http://mainichi.jp/feature/news/20130525k0000m040059000c.html

毎日新聞 2013年05月24日 21時11分(最終更新 05月24日 23時50分)

1961年調査の資料写真にある野口王墓古墳の切り石。

八角形の角度に合わせて並べられている=牽牛子塚古墳発掘調査報告書より
拡大写真

宮内庁の研究者がまとめた野口王墓古墳の想定図=奈良県明日香村教委の牽牛子塚古墳発掘調査報告書より
拡大写真

 天武・持統天皇合葬陵とされる奈良県明日香村の野口王墓古墳(7世紀後半)について、宮内庁が過去の調査を基に「5段構造の八角形墳」と結論付けた報告が、村教委が24日発表した「牽牛子塚(けんごしづか)古墳発掘調査報告書」に掲載された。

天皇陵は7世紀中ごろから八角形墳が採用され、野口王墓も文献などから八角形とされていたが、宮内庁が調査結果を公表するのは初めて。

 陵墓は原則として一般の研究者は調査できない。

野口王墓古墳が1235年に盗掘されたと記した文献「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」には、「八角形」との記述があるが、全体像は分かっていなかった。

近年、情報公開請求が相次ぎ、福尾正彦陵墓調査官が斉明天皇陵と確定的になった牽牛子塚古墳の発掘調査報告書に論文を寄稿した。

 福尾調査官は1959年と61年に行われた宮内庁の現況調査と、奈良県立橿原考古学研究所の所長だった故・末永雅雄氏らによる75年の立ち入り調査などを基にまとめた。

 それによると、野口王墓は、墳丘の測量結果などから5段構造の八角形と判明した。

高さは全体が約7.7メートル、最上段は他の段の倍の約3メートルあり、墳丘全面に加工した凝灰岩を貼り付けてストゥーパ(仏塔)のように見せていたと分析。最下段の1辺の長さは約16メートルあり、その周囲に幅約3メートルの石敷きがあったと推測した。

 大王墓は6世紀までは前方後円墳や方墳だったが、7世紀に即位した舒明天皇(天武の父)から八角形になったとされる。

中国古代思想や国土の四方八方を天皇が支配するという思想を視覚化したという説などがある。

 舒明天皇陵とされる段ノ塚古墳(奈良県桜井市)や天智天皇(天武の兄)陵とされる御廟野(ごびょうの)古墳(京都市)は墳丘の八角形部分が2段で、大型で色の異なる岩が使われている。

大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「切り石で全面を化粧しており、それ以前にはない形式が、天武天皇から始まったことが分かる。

古墳の変遷を考える上で重要だ」と評価した。

 報告書は1冊6300円で25日から販売される。

問い合わせは明日香村地域振興公社(0744・54・4577)。【矢追健介】

復元想像図は、どう見ても、八卦爻(はっけこう)に似ているのです。

爻(こう)は、易の卦を構成する基本記号です。

長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒(--)の、2種類があります。

経では、前者を剛、後者を柔と呼びます。

 軽とは、経書(けいしょ)のことで、儒教でとくに重視される文献の総称ですね。

経典(儒家経典)ともいいます。

儒教において規範として尊ばれる先秦典籍のことで、儒家経典の五経、十三経などをさします。

一方、伝では陽、陰とします。

 伝(旧字体は傳 でん)とは、儒教の基本経典となる六経に対する注釈書ですね。

記(き)と呼ばれるものもあり、合わせて伝記(でんき)ともいます。

陽爻と陰爻は、対立する二面性を表します。

陽爻は男性・積極性などを、陰爻は女性・消極性などを表すのです。

これらを3つ組み合わせた三爻により八卦ができ、六爻により六十四卦が作られます。

易では、事物のさまざまな側面を、このように陽爻と陰爻を組み合わせることにより説明します。

朱子学系統の易学、宋易において爻を2つ組み合わせてできるものを、四象といいます。

四象とは、太陽・少陰・少陽・太陰のことです。

経には、六十四卦の爻ごとに爻題と爻辞が付されています。

爻題は必ず2字で構成され、1字は爻の順序を表し、もう1字は爻の性質、すなわち剛(陽)か柔(陰)かを表すのです。

爻の順序は、下から上とされます。

1番下の爻から、初・二・三・四・五・上、と名付けられます。

一方、爻の性質は、数字によって表されます。

陽爻には九、陰爻には六が用いられるのです。

卦は、爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものです。

爻には、─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があります。

─陽(剛)と--陰(柔)の組み合わせにより、八卦ができます。

なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順です。

また八卦を2つずつ組み合わせることにより、六十四卦が作られます。

 八卦や易もまた、陰陽と関係があるのでしたね。

古墳は、さまざまな形があるが、その多くは、陰陽が連想できるものです。

日本の古墳には、基本的な形の円墳・方墳をはじめ、八角墳(天武・持統天皇陵)・双方中円墳(櫛山古墳・楯築古墳)・上円下方墳・双方中方墳(明合古墳)・帆立貝形古墳(乙女山古墳) などの種類があります。

 前方後円墳・前方後方墳・双円墳(金山古墳)・双方墳などの山が二つある古墳もありますね。

主要な古墳は、山が二つあるタイプの古墳であることが多いようです。

 双方というが、三角を両方から挿した形にも見えますね。

双方中円墳や双方中方墳は、それぞれ、三角と丸、三角と方形と見て解釈した方が良さそうに見えます。

 円天方地角人、つまり、円が天、方が地、三角が人を表す象徴図形ですね。

 仏教、特に禅でよく使うのでは。

でも、陰陽は神道と仏教で共通ですからね。

 だから、神仏混交も可能になった。

おそらくそうでしょう。

 卑弥呼の鬼道を陰陽と解釈すれば、古墳時代にも陰陽は引き継がれた。

当然、卑弥呼の時代、弥生時代、古墳時代、さらには中世以降にも、陰陽は日本文化の底流として、引き継がれたとみて良いでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

何故にドラ?

野良猫と、ドラ猫っていいますね。

 二通りの言葉があるのは、当然、それなりの理由がある。

野良は、野良猫、野良犬、野良仕事と、それほど悪い意味はないです。

 野にいると言う意味では、野巫(やぶ)という言葉がありますね。

野にいるとは、特にどこかに仕えているわけではない、どこかに所属しているわけではない、という意味もあります。

 野良猫、野良犬、野巫は、どこかに所属しているわけではない、ということですね。

それ以上の意味はないです。

 後は、屋内ではないという意味での、野。

だから、野良仕事という使い方もあるのでしょうね。

 野党は、屋内にいますけど。

この場合の野は、権力の座にいないとか、民間に降ったと言う意味ですから。

ただし、野猫(やねこ)というと野生化したイエネコのことをさすので、単に飼い主がいない場合には野良猫というべきでしょう。

また、野犬(やけん)というと飼い主のいない犬であるが、単に野犬というと野生化した犬を含むので、飼い主がいないと言いたいだけなら野良犬と言いましょう。

ところが、ドラは、ドラ猫、ドラ息子と、どうもあまり良い意味で使われないです。

さらに、野良と違って、ドラ犬とは言いません。

このドラに、銅鑼が語源という説が出るのは、興味ありますね。

 ドラ猫のドラは銅鑼が語源というけど、寺と神社の見分けがつきにくい場合、銅鑼があるのが寺、鈴があるのが神社でしょ。

 なぜ、ドラ猫というと、あまり良い印象がないのでしょうね。

僧兵といって、日本の古代後期から中世、近世初頭にかけて存在した僧形の武者がいました。

その名で連想できるように、主に寺社勢力に所属する武装集団です。

僧兵は、法師武者あるいは武装した僧侶を僧衆、悪僧と同時代でいうが、それを江戸時代以降呼称した言葉です。

ちなみに悪僧の「悪」は悪党の悪と同じで「強い」という意味合いがあります。

ちなみにこれに対し、神社に所属する武装集団を神人(じにん)といいました。

 そういえば、神社系の武士集団出身とみられる武将もいましたね。

今回は深入りしないけど、結構いますね。

日本以外にも、嵩山少林寺のように僧兵として武装集団を組織する仏教僧の集団がいました。

僧兵は、広義には武装した宗教集団を指すこともあって、その場合はヨーロッパの騎士修道会も含まれることがあります。

僧兵や神人が活躍した時代は、社会が乱れる一方でした。

広大な寺領・神領を有して経済的に豊かであった寺社は盗賊のみならず、さまざまな勢力によって狙われる危険性が生じたのです。

このため、こうした動きから寺社を防衛する武力を保持する必要が出てきます。

一見矛盾するように見える「寺院・神社の武装化」は、このような時代背景のもとに推進される事になるのです。

とはいえ、僧兵の横暴が朝廷の不安要素であったことがうかがえる出来事もありました。

京都・奈良の大寺院の雑役に服する大衆である堂衆が、自衛武装した僧兵が居ました。

堂衆が自衛武装した僧兵は、平安時代末期には強大な武力集団となり、興福寺・延暦寺・園城寺、東大寺などの寺院を拠点として、寺院同士の勢力争いや、朝廷や摂関家に対して強訴をくりかえします。

以仁王の挙兵では、平家とも争い、『平家物語』の武蔵坊弁慶などにも、その描写がみられます。

特に、南都の興福寺は衆徒あるいは奈良法師、北嶺の延暦寺は山法師と呼ばれました。

白河法皇は、天下の三不如意、つまり自分の意のままにならないものとして「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山の僧兵)」を挙げています。

中央から離れた地域でも有力寺社は軍事力を持ったり地元軍事力と結びつき、当時のパワーバランスに大きな影響を及ぼしていました。

源平の争乱の時には、熊野水軍を取り仕切っていた熊野別当にたいし双方から政治的な取引がなされた例などがよくしられています。

室町時代に、かつて義円と名乗り天台座主だった足利義教が、僧兵の軍事力と粗暴さを熟知しているため、延暦寺討伐に動き出して大規模の弾圧を実施しました。

 後年の織田信長も延暦寺の焼き討ちををやっていますね。

このような歴史があって、厄介な、持て余す、手を焼く、という意味で寺の事を遠回しに銅鑼と言ったのかも知れないですね。

 ドラ猫、ドラ息子と言って、犬には言わないですね。

困りものではあるが、余り邪険にも出来ない相手に使ったからでしょう。

 野犬が、野生に戻った犬だけでなく、飼い犬ではない場合を含むのは、危険を感じるので即座に処分も仕方がないと言う意味も込められている。

 だから、ドラを困りものの野良犬には使わない。

そうかも知れないですね。

どら息子のドラには、ほかにも、道楽、野良が訛ったという説もあります。

働き手、さらには跡取りとしての期待さえあったので、簡単には邪険にはできないだろうということで、今回は銅鑼語源説をとりました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧