神道

なぜ、卑弥呼と邪馬台国が日本の史書にないのか?

なぜ、卑弥呼と邪馬台国が日本の史書にないのでしょうか。

中国は意味よりも音を優先させて、自らの史書に記したことは多いにあり得ることなのに、日本の史家は日中の発音の差を無視しまくっているのではないでしょうか。

「日本」は中国語の発音では「リーペン」、当然ながら「巫女」も中国人が言えば発音が変わるはずです。 「日巫女」を中国人が言いやすいように音訳したのが、「卑弥呼」なのでしょう。
「邪馬台」国は音の近さから「ヤマト」国であろうとされてきたが、類推の範囲をでなかったのです。 言語学研究の到達点からやむを得なかったと言えるが、昔と今では到達点が違います。 古代の日本語は、二重母音であったことが、明らかになっています。 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、中国人は当時の日本人の発音に近い中国語の文字を探して音訳したと考えるのが、自然なはずです。 「大和(ヤマト)」も当時の日本は二重母音なので強いて言えば「ヤマタィ」に聞こえてもおかしくないから、「邪馬台」国と中国人聞こえてその通りに記したとみる方が自然なのです。
「日巫女」は役職名なので、それを担当したと思われる女性を探せば良いのではないでしょうか。
太陽神の言葉を地上に取り次ぐ巫女である「日巫女」に就任できるのは、一人だけだったことでしょう。 中国人が「日巫女」を個人の名と取り違えても、無理はなかったでしょう。
当時の日本は「日巫女」空位の混乱を、トヨの「日巫女」就任によって収拾したと見ても良いでしょう。 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、「大和国」や「日巫女」を中国人が呼びやすいように音訳した名前なので、真に受けて探すだけ時間の無駄なのです。 日本はもっと、歴史的な研究や考察を学際的に行うことが、当たり前になって欲しいものです。

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やはり日本の神社はただものではない?!

日本の神社は古代イスラエルの神殿とは、構造、神職の衣装、参拝法があまりにも似ているとは指摘されます。

 

だが、ここに驚くべき記録があります。

 

その一部を紹介します。

 

毎日新聞 2004521

 「明治神宮の森にキリスト教の賛美歌 創建以来初」

 

明治神宮の森に21日、創建以来初めてキリスト教の賛美歌が響きわたった。

米国ブリガム・ヤング大ハワイ校の合唱団50人が奉納した。

アロハシャツ姿で神道の儀礼に従ってお祓いをし、学長夫妻らが本殿で玉串をささげた。

団員は中庭で2拝2拍手1拝して2曲を歌い、参拝客も驚いて足を止めた。

2年前、明治神宮の関係者が、同校を経営する教会の視察に訪れ、交流が深まった。

外山勝志宮司は「歌をささげることは世界平和を祈ることと同じです」と述べた。

 

産経新聞 2007430

 「書評」

 

末日聖徒イエス・キリスト教会の十二使徒定員会会員、ヘンリー・B・アイリング長老が、4月26日に明治神宮を表敬訪問した。

教会の十二使徒が公式に明治神宮を表敬訪問をしたのは、教会歴史の中で初めてのことだ。

アイリング長老は七十人定員会会長のD・トッド・クリストファーソン長老、アジア北地域会長のデビッド・F・エバンズ長老と共に、明治神宮の外山勝志宮司と会談を行った。

会談に先立ち、アジア北地域会長会夫妻、日本、韓国、ミクロネシアのすべての伝道部会長夫妻、日本宣教師訓練センター所長夫妻らが共に参詣した。

明治神宮側より歓待された一行は、明治神宮の歴史に触れ、神楽を鑑賞し、日本文化を学ぶ機会を持った。

 

そして、当の明治神宮の公式ホームページは、こう記します。

 

20.3.1更新

 

218日、アメリカ・ソルトレイクからモルモン教十二使徒・オークス氏が表敬されました。

 

お祓いを受けた後、内拝殿で玉串を捧げて正式参拝。

 

その後、巫女による神楽「倭舞(やまとまい)」を観賞し、神道文化に触れられました。」

 

末日聖徒イエス・キリスト教会は、自らをイエスキリスト時代の教会が回復されたとしています。

 

自らをイエスキリスト時代の教会が回復された組織と位置付けている末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達が、明治神宮でお祓いを受けた後、内拝殿で玉串を捧げて正式参拝と言う滅茶苦茶大変なことをしたのです。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会は、現代の生ける預言者である大管長に導かれた教会であるといいます。

 

末日聖徒イエス・キリスト教会、初代大管長ジョセフスミスは御父と御子から直々に教会の組織をするように召されたといいます。

 

その教会の指導者達が、明治神宮でお祓いを受けた後、内拝殿で玉串を捧げて正式参拝したのです。

 

日本の神社は、二本の柱が立つ鳥居、一般の参拝所、拝殿、本殿からなります。

 

古代イスラエルの神殿は、二本の柱、一般の参拝所、聖所、至聖所からなります。

 

どちらも、神職は房の付いた衣装を着て木の枝を参拝に用います。

 

清めに塩を用います。

 

古代イスラエルの神殿には契約の聖櫃アークがありましたが、日本の神社にある神輿はアークにあまりにも似ています。

 

聖書の教えも神道も、神の道を説きます。

 

世界の始まりを、神道は三柱の神からといい、聖書は御父と御子と聖霊のお三方と言います。

 

現世にかかわる神を、神道は太陽神である天照大御神とし、キリスト教はイエスとするが義の太陽として太陽神的な扱いです。

 

面白いことに女神天照大御神に対して男伸天照国輝彦こそが、本来の太陽神であったという指摘があります。

女神天照大御神は、男伸天照国輝彦の巫女であったのかもしれません。

 

あまりにも似ている神道とキリスト教、あまりにも似ている神社と古代イスラエルの神殿、その日本の神社でイエスの時代の教会を復活したという教会の指導者達が玉串を捧げて正式参拝、榊を聖書の時代のヒソブの代わりとして正式参拝したというのです。

 

明治神宮で正式参拝した末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達は、日本の神社を古代イスラエルの神殿の代わりに使って差し支えないと宣言したに等しい行為なのです。

 

これ、ある意味、日ユ同祖論より強烈なメッセージです。

 

自らをイエスキリスト時代の教会が回復された組織と位置付けている末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達が、日本の神社はイエス・キリストの神殿と事実上認定したに等しいのです。

 

神輿は契約の聖櫃アークのレプリカと見ても差し支えないと、宣言したに等しいのです。

 

神社の神職は古代イスラエルの神殿で仕えていた神職と見ても差し支えないと、宣言したに等しいのです。

 

そして末日聖徒イエス・キリスト教会の指導者達は、やがて日本に大いなる時がくると預言しているのです。

 

えらいことになりました。

 

全国に何万とある神社が、キリスト教の神殿扱いですよ。

 

しかも、古い時代神仏習合であったことを思えば、思いがけない寺社がある日突然ってことも考えておいたほうがいいかもしれません。

 

古い寺にはしばしば神仏習合時代の名残りがあります。

 

これから先、何が起こるかわかりませんよ。

 

キリスト教には日本布教の初期、イエスを大日になぞらえようとして、大日が皇祖神天照大御神と習合しているので慌てて撤回した過去がありますから。

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神社の境内はだてに広くなかった。

古くからの神社は、たいていその地域で最も安定的な地盤に建てられています。
 
つまりその境内は、災害時の一時避難場所として最適だったはずなのです。
 

本来の広さの境内が保たれていたら、一体どれだけの人達の避難場所になったでしょうね。

借り受けて避難場所や公園の維持管理費として、最低限の費用で確保されていたらとため息が出るのです。
 
神社の祭りや日々の参拝は、ある意味日常的な避難場所への避難経路の確認にもなっていたはずです。
 
災害時人々は我先に神社に集ってご加護を求めて祈った事でしょう。
 
それは結果として、災害時の避難行動にもなっていたはずです。
 
神のご加護やご利益の多くは、経験的知識の応用や活用の演出だったのです。
 
つまり、神社の信徒獲得と引き留めに活用や応用されていた経験的知識は、神がいたから非科学的に見えてきただけと言えます。
 
古くからの神社の境内はだてに広かったのではないです。
 
神社は災害時の避難施設として多くの命を救ってきたのです。
 
人々はそれを神のご加護として心から感謝し、その広さの維持を認めてきたのです。
 
今の避難場所確保の苦労は、避難場所としての神社の価値を軽く見てきたつけを払っていると言えなくもない気がするのです。
 
今のご時世、あれだけの土地をあれだけの安全性の高い場所に再び確保するのは不可能に近いでしょう。
 
当時の人々がそのことに気が付けていなかったことは、今思えば実にもったいないのです。

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山岳信仰から見えてくる日本と古代イスラエルの繋がり。

山岳信仰で思うのです。
まず滝は、天と地を繋ぐ光の道にも準えられたのかもしれないのです。
陰陽では水は天を白は霊会をそれぞれ象徴します。
更に白は清さや光の象徴です。
滝に打たれるとは、水と清めの白と霊的な光による世俗の罪状払拭祈願なのでしょう。
神に合うには、絶対的な清さが求められるからです。

山の典型的な形の三角は、陰陽では人を表します。
緑に覆われた山が多いが、緑は常若の象徴なので緑の山は常若の神を表します。
稜線は天からの光の象徴です。
霊的な光に包まれた神に合うには、霊的な光で清められた人でなければならない。
だからこそ、霊峰とされた山は軽々しく登ってはならなかったのです。

光に守られて光に包まれた神に会いに行くのです。
これは、神に認められたモーセが光に守られて神に会いに行く聖書の記述に似ています。
更に、地上に現れた常若の光の神は、地上に来臨した永遠の神の幼子イエスに通じます。
やはり神道は、聖書の教えに似ています。
似ているのは神社と古代イスラエルの神殿もです。

山岳信仰の山伏は装束も鳴らす笛も、ユダヤ人と似ています。
神社は建物ばかりか、神職の衣装も祈りに使うものもユダヤ教とそっくりです。
その日本に、古代中東の遺伝子があり、ユダヤと共通の文化や単語が数多く残るのです。
家族性地中海熱も、日本とユダヤに共通な遺伝病です。
ユダヤ人渡来なんてもんじゃないようです。

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東京スカイツリーは東京に立つ巨人なのか。

東京スカイツリーは、日光東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居〔江戸城〕を結ぶ正に接点に立っています。
 
スカイツリーは三角から丸へと絞り込みされています。
つまり上から丸・三角とくるが、陰陽では天‣人・地は丸三角四角で表わされます。
スカイツリーは天‣人・地のシンボルが東京の結界にあるのです。
 
しかも、東京スカイツリーには五重塔に習って心柱があるのです。
スカイツリーが天と地の間に立つ人とすれば、心柱は背骨にあたると言う事です。
 
日光東照宮の標高634mは東京スカイツリーの高さでもあるのです。
日光東照宮から東京に向かう龍脈の上に立つ東京スカイツリーが、東照宮と高さでも繋がるのです。
 
そして東京スカイツリーは鹿島神宮と皇居を結ぶ線上にあるのです。
その形は台地も含めると正に天人地を表す丸三角四角になるのです。
 
これは偶然なのでしょうか。
 
日光東照宮と鹿島神宮と皇居が作る三角、東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居を結ぶ線が交わる点に東照宮の標高と同じ高さのスカイツリーが、天人地を表す丸三角四のシンボルとして立つのです。
これは象徴的には、実質的にスカイツリーの上に東照宮があるのと同じです。
日光東照宮の真上の太陽は、象徴的には東京スカイツリーの真上の太陽と見て良いのです。
 
言って見れば、東京スカイツリーは太陽の下に立つ巨人が、日光東照宮からの龍脈と鹿島神宮と皇居を結ぶ線の交点の上にいるのと、象徴としては同じなのです。
 
オカルト過ぎるでしょ。
東京スカイツリーどうなっているのですか。
 
日光東照宮の標高634mは、東京スカイツリーの高さでもあるのです。
 
日光東照宮から東京に向かう龍脈の上に立つ東京スカイツリーが東照宮と高さでも繋がります。
 
そして東京スカイツリーは鹿島神宮と皇居を結ぶ線上にあります。
 
その形は、台地も含めると正に陰陽では天人地を表す丸三角四角になるのです。
これは偶然なのでしょうか。
 
鹿島神宮と皇居を結ぶ線の延長線上に、富士山がそびえるのです。
 
鹿島神宮・東京スカイツリー・皇居・富士山のラインが、日光東照宮からの龍脈と交わるのです。
鹿島神宮・東京スカイツリー・皇居・富士山のラインは、太陽の道なのです。
日光東照宮の本殿も、真上に太陽が来る日があるのです。
 
その交点に東照宮の標高と同じ高さのスカイツリーが、天人地を表す丸三角四角のシンボルとして立つのです。
出来過ぎでしょ。

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国体護持を考えてみた。

日本国を私物化したい輩にとって、一番厄介な存在は、実は天皇陛下ではないでしょうか。


なぜなら天皇陛下は、公私ともに現行憲法絶対尊重絶対遵守の立場で貫かないと皇室の存続自体を危うくしかねないわけです。


それである意味今の憲法に一番忠実なのは、実は天皇陛下かもしれません。


つまり、改憲論者の議論に巻き込まれることは天皇陛下とって、迷惑行為以外の何物でもないことになり、利用されそうになればなるほど護憲の立場を明白にされることになるでしょう。


護憲派は天皇陛下と皇室を、改憲派の天皇陛下と皇室を自分たちの目的のために利用しようとする陰謀からお守りせねばならない立場に、置かれたと言えるかもしれません。


国体とは、天皇陛下と皇室の存在を日本国の本質の中心に据えると言う事であれば、現行憲法もまた国体護持を最優先させて生まれた憲法と言う事になるでしょう。


現行憲法を全面的に尊重し遵守する限りにおいて、天皇陛下と皇室は自分たちを利用しようとする勢力から国民に守られることになるわけです。


政治的責任を問われるなら、国体護持は危うくなるからです。


これまで天皇は、全権委任する代わりに政治的責任も全て取らせたと言えるでしょう。


国民主権とは、国民が選んだ代表は国民から全権委任された代わりに全ての責任を国民に対して選出された代表は負わねばならないと言う事です。


そして、国民もまた、選出した責任を負わねばなりません。


一方天皇は政治への実権がない、政治的責任は天皇陛下には及ばないことになります。


つまり国民に国体護持は委ねられたと、言えるかもしれません。


共産党でさえ天皇制を含む現行憲法をこれからも守り続けると、明言したことを思えば国体護持のためにこの憲法を受け入れる選択は皇室にとって正しい選択だったのです。


共産党は国民が発議しない限り、天皇制存続の是非が問われることはないと言っています。


皇室は国民から慕われ、敬われる存在であり続ける限り、存在の是非がさしあたっての政治的課題として意識されることはまずないでしょう。


憲法尊重と遵守の立場を繰り返し明らかにし、細やかな心遣いのできる心優しい人格者であり続けるならば、少なくとも存続の是非を問うべき存在として、多くの国民から意識されることはまずありません。


日本国憲法では、天皇は政治への実権を失う代わりに、政治への責任からも解放されたわけです。


象徴天皇の役割に徹しさえすれば、後は祭祀に専念できると言う事になるのです。


そう考えると、明治憲法に逆行しようとする動きは天皇陛下と皇室に政治敵責任がおよびかねない危険にさらされることになるので、国体護持の立場に立てば余計なお世話なのです。


むしろ現行憲法こそ、ある意味で天皇陛下と皇室を古来の位置に戻したものと言えます。


だからこそ、天皇陛下と皇室も受け入れたと言えるでしょう。

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神とどう付き合いますか。

日本は、先例様・前例様・慣例様が絶対三神として祀られている感じが半端じゃなくするのです。

日本の持っている知識・技術・ノウハウが、なんで世界をリードできる可能性やポテンシャルを持ちながらグローバルスタンダードを取れないのでしょうか。

 

日本の先例様・前例様・慣例様の絶対三神への絶対的な服従に近い思考と行動のパターンが、妨げになっている感じが半端じゃなくするのです。

多くの日本人がこの先例様・前例様・慣例様の三例絶対神崇拝にとらわれていると十分に気付いているとは言い難い程に、日本人の思考と行動パターンに染み込んでいるようです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神崇拝は自然の脅威からは守ってくれたかもしれないが、今は違うのです。

ここに気が付けないと危ないでしょう。

 

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神に従うなと言うのではないです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神からの学びを、知識としてではなく知恵として身につけて活用出来るかどうか問われているのです。

先例様・前例様・慣例様の三例絶対神の知識を知恵として生かせるだけの成長が、出来ているかが問われるのです。

 

安全神話と言う言葉を聞くたびに、違うだろと言う感じを強くします。

安全は私たちを守ってくれないのです。

安全は結果であって、原因ではないからです。

これがあるからここまでは安全とは言えるが、人のすることに絶対はない以上、人の手に頼る限り絶対安全はあり得ないのです。

絶対安全は神だけが保証できるのです。

 

言い換えれば、安全神話とは無力な偶像を崇拝する愚かな選択と言うことになります。

人の手によって確保される安全の限界を自覚し、それを超えた時自分の身をどう守るのか守れるのか、考える発想が日本人には求められています。

限界を超えた事態を想定外にしない発想が、求められているのです。

 

神には、二通りあります。

生れながらの神と、祀り上げられた神です。

祀り上げた神が存在するのは、生れながらの神が存在するからです。

生れながらの才能の人がいるから、努力して近づく人がいます。

生れながらの美があるから、努力して表現される美があります。

同じように、はるか太古から存在する神がいるのです

 

生れながらの神は、しばしば祀り上げた神になります。

だが、祀り上げた神が全て生れながらの神ではないのです。

ここを混同すると、神を見失うことになります。

太古からの神は決して廃れることはないのです。

廃れるのは、祀り上げたに過ぎない神であり偶像に過ぎなかった神もどきです。

ここを見誤ってはいけないのです。

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とりとめのない話でしょうか。

ふと、思ったのです。
日本では、最後の締めを「とり」といいます。
最後とは、最高や頂点と言う意味も込められています。
そして、神輿の上には鳳凰と言う鳥がまさしく「とり」を務める構図です。
これが偶然なはずがないです。
神輿は移動神社であり、神社のとりは「鳥」が務めて「取り仕切る」構図であると言ってるようなものです。
日本は神仏混交だが、飛鳥時代はまさに過渡期だったはず。
飛鳥時代の仏像の裏のメッセージは、「日本の仏教は鳥が取り仕切る」であると言わんばかりに、見事なまでに鳥です。
外見に惑わされちゃダメというわけなのです。
飛鳥時代の仏像のシルエットは、まさに鳥そのものです。
私は気が付いた時、愕然としました。
もはや、飛鳥時代の仏像が全て、鳥にしか見えなくなったからなのです。
残念ながらほとんどの人が、飛鳥時代の仏像の裏モチーフの鳥であることに気が付いていないのです。
神職の衣の裾に房があるが、そのわけはほとんどの人が説明できないでしょう。
もしかしたら、神職の衣のモチーフは「鳥」かもしれません。
そして、神職の持つのは榊だが、仮に神職の真の姿が鳥なら、携えるべきはオリーブでしょう。
神社の裏モチーフは古代エジプトの太陽の船かも知れません。
だから鳥居があるのでしょう。

神社の裏モチーフは古代エジプトの太陽の船だとしても、神社には神輿があります。
神輿の正体がアークと言う指摘があります。
アークは方舟もさしますが、神職の真の姿がオリーブを携えた鳥だとしたら、神社の真の姿はアークとなってしまいます。
日本にはアークがあると、神社の姿は白状しまくりの構図と言う事なのです
日本には古代イスラエルの遺伝があることがわかっています。
その日本の神社の正体が、オリーブを携えた鳥が乗ったアークだとしたら、どうなるでしょう。
後は、聖書の預言を紐解いていくしかないでしょうね。
日本人こそ、聖書を読むべきなのです。
果たして、これは単なる白昼夢のようなものなのか、それとも真実なのでしょうか。
答えは、神様がご存知なのかもしれません。
 

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菅原氏。

菅原氏について調べてみる気になったのは、ひょっとしたら祭司の家系ではないかと言う気になったからです。

菅原氏の祖とされる天穂日命は日本神話に登場する男神で、天之菩卑能命、天菩比神などとも書かれます。

天照大神とスサノオが誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った神とされます。

物事のタネとなるものをさす物実(ものざね)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたります。

ちなみにアメノオシホミミのフルネームであるマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミは、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、正哉吾勝々速日天押穂耳尊などの表記があります。

天穂日命は葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかったのです。

その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされます。

菅原氏の直接の祖とされるのは、天穂日命の子孫で、大相撲の祖として知られる野見宿禰を先祖とする土師氏です。

 大相撲自体すでに神事として営まれているでしょ。

菅原氏は祭祀に関与した一族である可能性が高いですね。

 その上菅原氏は土師氏の流れをくむとなれば、さらに可能性が出てきます。

大相撲の祖とされる野見宿禰はまた、殉死者の代用品である埴輪を発明したことでも知られそれがきっかけで第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われているから、祭祀に関わる一族であると言えるでしょう。

 殉死の代わりに土で作った埴輪で差し支えないと、説得力をもって説き伏せてしまう。

相当神事の奥義に通じていないとできないはずですね。

野見宿禰、かなりの神仙思想の使い手である技能に通じた人物であったと言えそうです。

神仙思想に詳しい技能者と言う事は、メーソンを連想できますね。

メーソンの関与を連想できる遺跡としては、酒船石遺跡があります。

酒船石遺跡とは、酒船石と平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構を含めての総称です。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工による工作物、という指摘がされた遺跡ですね。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工とは、まさにメーソンの説明そのものにほかならないです。

 野見宿禰がもしメーソンだったとしたら、相撲にその証拠を見ることができますね。

土俵は四角で、そこに蛇の目を指し示す俵の円があります。

つまり、四角の中に円、定規とコンパスはメーソンのシンボルです。

さりげなく見せながら隠すのが、奥義なのです。

メーソンとくればカッバーラだけど、カッバーラとはユダヤ教神秘主義のことですよね。

あなたは土から生まれたから土にかえる、あなたは塵から生まれたから塵にかえる。

有名は聖書の一節ですよ。

野見宿禰がメーソンでありカッバーラの使い手であったなら、あり得る話ですね。

でもこれは、当時の日本のトップにいた人たちが聖書を知っている事が前提ですね。

初代神武天皇からして、実はユダヤだったとしたら、どうでしょうか。

少なくとも神武天皇のバックにいた可能性が高い徐福についてはユダヤ人であったと言う説があります。

日本人のルーツのうちで、どこまでがユダヤ人と言えるかについては、諸説あるようです。

 少なくとも天孫一族については、ユダヤ人説があるでしょ。

 縄文、弥生となると、どうでしょうね。

皇室やその周辺はユダヤ人だった可能性は、見ても良いかもしれないですね。

縄文や弥生についても、可能性は否定しない方が良いでしょうね。

土師氏のうち平安時代初期に大和国菅原邑に住んでいた一族が、以降、菅原氏を名乗ることとなります。

土師氏から分かれた一族としては、菅原氏のほかに大江氏や秋篠氏があります。

菅原古人の子清公、および孫の是善を含め、大江氏と並んで子孫は代々、紀伝道すなわち文章道を家業として朝廷に仕えていました。

そして、古代には政(まつりごと)は祭り事(まつりごと)でもあったから、菅原氏は文章道を家業としていたなら相当に祭祀に通じていた家系であると言えるでしょう。

菅原氏、少なくとも菅原道真は天神を篤く崇拝していたと言います。

天神は雷神として知られるが、菅原氏の祖は天穂日命で、どこでどうやって雷神としての天神と結びつくのかが、謎めいています。

だが、雷神と言えば雷鳴、つまり、雷です。

「かみなり」は「神鳴り」や「神成り」に通じた音と言う事は、雷鳴を神の声と言い換えても良くなるはずでしょう。

地上に神の声を下す存在として雷神を見ると、神にお伺いを立てることを菅原氏は本来生業としていたと見ても良いでしょうね。

相撲もまた、神託伺いの神事の側面があると言えるでしょう。

力士は祭司、あるいは、神の依り代の役を担う存在であったのかもしれないです。

その力士の祖を起源としている菅原氏は、やはり、祭司一族と見て差し支えなさそうです。

とは言え、菅原氏を考察していたら、まともに日ユ同祖論にぶつかってしまったのは興味深いですね。

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神道とシンドウとヒンドウ?

「仏教メソポタミア起源説」「『ブッダの謎』─仏教西アジア起源論」と言った興味深い本が出ています。

仏陀と仏教に関する本なのだが、妙な気分になったのです。
日本には古代中東の遺伝子が多く残り、日本語とタミル語は同祖の言語と言う説が唱えられ、日本にはインドや中東と似た顔もよく見られるでしょ。
仏教それ自体の起源は意外と古く、釈尊は歴史の深い仏教における聖者の一人にすぎないともいえますよね。
そして、仏教の起源は西アジアに遡るとなると、気になるのはヒンドウと言う言葉です。
シンドウとも呼ばれるが、濁点を取ればシントウになるでしょう。
日本語は歴史を遡ると、発音のあいまいな二重母音の時代があるのでしたね。
二重母音、特に日本のようなワ行母音に近い二重母音の場合、濁点は落ちやすい訳ですよ。
日本の民族宗教であるシントウの読みが、シンドウの転化だったとしたら、そしてもし、シンドウの民は西アジアに遡るとしたら、どうなりますか。
古代日本の成立期、意外なほど多くのペルシャ人が参加して活躍してるが、古代中東や西アジアの文化が色濃く残る日本で、彼らは自らの理想を実現したかったのだろうかと思えてくるのです。
さらに、ペルシャ人仏教徒が古代日本に多数来ているが、彼らは仏教が少数派となった西アジアを逃れ、安住の地を求めてやってきたのだとしたら、どうなりますか。
ヒンズー教、ヒンヅー教とも呼ばれるヒンドゥー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教だが、ネパールに近いチベットも日本と同様に古代中東の遺伝子が多く残り、インドもドラビダ語と日本語の近縁性が指摘されるのですよ。
神道はシントウと呼ばれているけれど、シンドウが二重母音の曖昧な発音が原因でそう呼ばれているのに過ぎないとしたら、どうなのでしょうか
考えても見てくださいね、ヒンドウはシンドウとも呼ばれるとしたら、ヒンドゥー教はシンドウ教になまっても良いはずでしょ。
そして、ヒンドゥー教と言う言葉は、他の宗教との比較や区別の必要性から出てきたわけだから、本来の名称はヒンドゥーなわけですよ。
ヒンドゥーの教えに随う民がヒンドゥーであり、神道の教えに随う民が日本人だったと言えるでしょう。
今、日本では多くの宗教が混在しているけれども、八百万の神々を受け入れてそれでいてびくともしないあたり、ある意味、ヒンドゥー教に似ていませんか。
穢れや嫌なことは水に流すと言う言葉があるが、ヒンドゥーの民はまさにいまでも聖なる川で身を清めたいと願っているわけでしょ。
こんなところにも、日本人の西アジア起源の可能性が感じられるのかと、妙な気分になったのでした。

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