日本の神社の原型は、山をご神体とした拝殿とされています。
この構図は確かに吉村作治教授指摘の通り、ピラミッドコンプレックスとよく似ています。
古代エジプトでは、ピラミッドが時代を下って本殿となり偶像崇拝が入り込みました。
日本の神社は、古代エジプトが陥った偶像崇拝を排して原点回帰をしたと言えます。
ピラミッドは、天への階であるとともに天から降り注ぐ光の象徴でもあるのです。
日本の神社にある鏡は、その天から降り注ぐ光の代替品なのです。
神社でなぜ拝殿と本殿の間に階があるか、それは、神社の原型がピラミッドコンプレックスであることを忘れないためです。
だからこそ階で拝殿と本殿を繋ぎ、本殿に鏡を置いたわけですね。
本殿の正体は、ピラミッドコンプレックスのピラミッドにあると言って良いでしょう。
その証拠に、日本の神話大系は古代エジプトとうり二つの、太陽神を中心とした動物を含む八百万の神々を祀っているのです。
しかも、古代エジプトと同様に三神構造で祀っている事も似ていますね。
太陽神が女神なのは、女帝合理化のためのすり替えの結果と指摘されています。
しかし、鏡は天から降り注ぐ光の代替品にとどまりません。
なぜ丸でないとならないのか、と言う疑問が残ります。
実は太陽神は、太陽円盤をその象徴としています。
鏡は太陽円盤をも、表しているのですね。
階は太陽が放つ光の象徴でもあると、指摘しました。
太陽円盤と太陽が放つ光の象徴を、一つに描いた神が存在します。
アテン神です。
神社は、アテンの神殿であることを見せながら隠し、隠しながら見せています。
その証拠に、天皇家の象徴である十六弁菊花紋をあげましょう。
十六弁菊花紋は、古代中東の太陽神紋がその正体なのです。
そしてその太陽神紋は、放射線に囲まれた太陽円盤として描かれています。
アテン神の放つ光は、しばしば神の伸ばした手の姿で描かれています。
それに対して、太陽神紋は放射線です。
だが、注意してください。
アテン神が伸ばしているその手が表しているのは、太陽円盤から降り注ぐ光でもあるのです。
古代中東の太陽神紋の正体は、アテン神だったということですね。
そのアテン神を、天皇家は象徴としています。
そして天皇家は、日本の神道の最高祭司です。
神社の鏡と階は、当然、アテン神に対応するとみる方が自然なのです。
ピラミッドは、日本の神道では山で代替されたが、山の神は女性とされています。
なぜでしょうか。
山、そして、ピラミッドは母体の象徴だからです。
神社の姿は母体を表していて、鳥居は足に当たります。
だから、古い神社の鳥居は二本の柱だけが立っていた。
参道は産道でもあるのです。
茅の輪くぐりは、生まれなおしの儀式なのです。
でも、新しい神社の鳥居は違いますね。
古代イスラエルの門に、似ていると言う指摘もあります。
鳥居と言うのは、アラム語で門を意味するとも、言われていますね。
でも、他にも似ているのがあります。
ヘブル文字には、一文字で神を表すものがあります。
一つは勾玉に似ている「ヨッド」、そして、もう一つが「へー」です。
ヘブル文字の「へー」には、鳥居そっくりな書き方があるのです。
「へー」はヤハウェを表す「ヨッド・へー・ヴェブ・へー」の一文字です。
そして、ヤハウェとは、旧約聖書時代のイエスなのです。
そうなると神社の鳥居は、イエスを表す事になるのですね。
イエスは、私によらないでは神の国へ入れないと語っています。
鳥居は、赤いものが多いですよね。
白や、まれに黒もあるけど、大抵の場合そうです。
白や黒も、陰陽では霊界の象徴とされる色なので問題ないですけどね。
赤は、陰陽では地でもあるが、火でもある。
イエスは、火と聖霊で人を清めると言われています。
アテン神と、イエスは、どういう関係なのでしょう。
アテン神信仰と聖書の教えは、似ていると聞きましたけど。
さらに、調べて見た方が良さそうですね。
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