今、被災地の治水とガレキ処理が一気に進む技術として、吉工園の開発したブランチブロック工法が注目されています。
ブランチ(branc)hとは、枝、支流、支店、支線、分岐、などの意味、ブロック(block)とは塊などの意味します。
ブランチブロック(branchblock)とは、枝分かれした塊のことなのです。
ブランチブロックは、論理を組み立てる場合も使いますね。
吉工園の開発したブランチブロック工法は、量産されたブランチブロックを組み上げて自然石を間に入れていくのです。
この自然石を用いることが、今注目される理由の一つでしょ。
被災地には処分に困るほど、大量なガレキがあります。
今、沿岸被災地の多くは地盤沈下に悩む一方で、大量のガレキにも苦しんでいます。
ブランチブロック工法とは、RC2次製品「ブランチブロック」と自然石を用いて河川護岸、盛土擁壁、河川護床を構築する工法です。
RCとは、Reinforced-Concreteの略で、直訳すると「補強されたコンクリート」です。
つまり、RC構造とは、コンクリートを鉄筋で補強した構造、つまり鉄筋コンクリートのことです。
元々はヨーロッパの植木職人が植木鉢を作るときに、針金で補強したのが最初だと言われています。
そして、今注目のブランチブロックを用いた工法もまた、造園業者によって生み出されたのです。
治水とガレキ処理の両立が、本質的に可能なブランチブロック工法は、今回の大災害で活躍が大いに期待されます。
むしろ、従来の近代工法に政府がこだわるならその方が問題でしょう。
なぜなら、地元の土木や園芸の業者を大量動員して一気に仕上げることが容易な工法だからです。
ブランチブロックさえ、納期に間に合えばいい。
費用対効果からいっても、採用しない選択の方がありえないと見えますが、いかがでしょう。
今回注目したのは、ブランチブロックで用いられた工法なのです。
枝分かれしたブロックと自然石と言えば、日本にも聖牛(せいぎゅう)という伝統的な土木工法があるでしょ。
これらの伝統的土木工法も、長い歴史に耐え試されずみの手法です。
しかも、適度な隙間ができるので、自然にも馴染みやすい。
単なるコンクリート護岸では、木や草が生えると脆くなっていきます。
伝統的土木工法は、自然に馴染むほど、強度が増すのです。
その上、伝統的土木工法は地面を近代的土木工法ほど神経質に均したりしない。
だが、木組みには熟練の技が求められ、短期に大規模な工事を行うには向いていませんでした。
その点、工業的に量産されたブランチブロックなら、工期の短縮は十分に容易でしょう。
伝統的土木工法は、大量の自然石を用いるので、大量にあるガレキの不規則な形はむしろ好都合なのです。
伝統的土木工法に用いられる聖牛は、牛類の一種です。
三角錐に木を組み合わせた形状で、その形が牛の角に似ていることから、聖牛と名付けられたと言われるといいます。
聖牛は主に、急流河川における水衝部に複数個配置されました。
減勢効果、導流効果が期待される透過性の水制です。
水制とは、水の流れを変えたり、勢いを弱めるために設置される河川構造物のことです。
聖牛は、川の流れを変えるために用いられる工法で、特に、河川の上流部から中流部の瀬替え、取水堰周辺、河岸部の保護に利用しました。
聖牛は、その大きさにより、大聖牛、中聖牛などがあります。
地域によっては、聖牛を「川倉(かわくら)」と呼ぶところもあります。
たとえば山梨市では、以前は聖牛というより、「川倉」の名称で親しまれてきた。
明治初期の土木工法を記した「土木工要録」によると、川倉は大聖牛より小ぶりというから中聖牛の別名と見ても良いでしょう。
特に小河川での流れを変える時に用いられるのが、材木を四角錐に組んだ菱牛(ひしうし)です。
さらに、枠を用いることから枠類と呼ばれる構造物があります。
片枠(かたわく)は、木枠の中に玉石を入れた工法です。
河岸等の浸食を防ぐために用いられたものです。
沈枠(しずみわく)は、陸上で木枠を組み立てて、施工場所に運び、詰め石をして水中に沈める工法です。
このため沈枠と名付けられたと言われ、牛類と組み合わせて河岸部の保護などに用いるほか、水制としても利用しました。
合掌枠(がっしょうわく)は、木枠を三角形に組み詰め石をした枠です。
安定性、透水性に優れ、砂利河川や砂河川の水制に適しています。
この一連の工法、聖牛・川倉・菱牛・方枠・沈み枠・合掌枠は、信玄堤に多用されています。
そもそも、これらの伝統的水防工法には、武田信玄が創案したと言う伝承があるのです。
武田氏は、平安時代末から戦国時代の武家で、本姓は源氏とされます。
家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家なのです。
安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国には庶流がありました。
河内源氏の名族の一つとして、戦国時代には戦国大名化しました。
武田信玄として知られる晴信の頃には領国拡大し、中央の織田・徳川勢力に対抗しました。
だが、勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代にはわずかに庶家が残ったのです。
源氏の源と言えば、水源(みなもと)の意味でしょ。
源氏とは、治山治水に長けた人々を束ねる氏(うじ)だったという議論をしましたね。
自らを源氏の流れと名乗った徳川家康もまた、湿地帯であった江戸で一大土木工事を敢行したことは有名です。
今では系譜の信憑性を疑う議論も多いけど、当時の人々に源氏の流れを納得させた出来事の一つが、おそらく江戸の大規模な治水事業でしょう。
そして、武田氏、徳川氏、ともに出自を辿ると宗教がらみなのです。
徳川氏は、徳川家康が創始した苗字で、系図によると、ルーツは今の愛知県、かつての三河国の在地領主の松平氏に婿養子に入った時宗の遊行僧と伝えられる徳阿弥です。
武田氏も、代々諏訪大社の大祝を務めてきた諏訪氏の傍系を配下にしました。
だが、武田氏と諏訪氏も元を辿れば清和源氏の可能性があり、しかも隣国である以上、武田氏の起源に諏訪氏が全く関わっていないとは言い切れない気はします。
武田氏と諏訪氏の争いの背後に、同族の主導権争いがあったと。
今回の話題の中心ではないので深入りしないけど、疑うのも面白いでしょ。
この源氏についても、ユダヤ人であったのではないかと言う議論をしましたね。
源氏と八幡宮、義経と虎の巻。
八幡宮は秦氏と繋がりが深く、秦氏にユダヤ説。
虎の巻はユダヤ教のトーラーの巻物で、当然それを貰った義経もユダヤ。
聖牛と呼ばれる「牛枠」とは、はるか奈良時代が起源という伝統的な水防工法の一つだそうですね。
聖牛のような工法は、長江流域にまで遡るのではないかと論ずる人もいますよ。
長江文明と言えば、中東にまで遡るのではないか、古代イスラエル人が関わっていそうだ、などと話題にしてきたでしょ。
聖なる牛の発想は古代中東に遡れるので、聖牛の名はここに由来があると説を立てる人もいます。
もしそうなら、信玄堤も家康の江戸の治水もユダヤ人が齎した古代中東に遡る知識と技術が可能にした。
まさか、有力大名って、元を辿ればレビだったとか。
そうだったら、面白過ぎでしょ。
証拠を固めないと。
かなり難しいけど。
追記
一つ一つのブランチブロックの形から聖牛を連想したが、六角形が連続するハニカム構造で石を包むという点から言えば蛇篭の方が近いです。
蛇籠とも書かれる蛇篭は、鉄線などを用いかごを作り、砕石を詰め込んだもので、積み上げて河川工事の護岸などに使用されます。
ちなみに、昔の蛇篭は竹を編んで作られていました。
聖牛はむしろ、用法はテトラポットに近いですね。
ブランチブロックは、石組み全体を巨大な蛇篭で包んだものと見なしたほうが良かったかもしれません。
吉工園のHPより、詳しいブランチブロック工法の説明がここ↓でみられます。
ブランチブロック工法とは ~吉村隆顕さんを囲んでの勉強会~
http://www.tml.co.jp/jv/2011/pdf/bb-yoshimura-learn-2.pdf#search=' ブランチブロック ダム'
最近のコメント