環境・生態系

恐竜と哺乳類、何が運命を分けたのか?

ギズモード・ジャパンで興味ひかれる記事が配信されました。

事実ならこれまでの進化の定説が書き換えられることになるとともに、どうしてこうなったか新たな説明が求められることになるでしょう。

哺乳類、実は恐竜の絶滅以前から繁栄していたとする新説が発表

2016.06.12 12:43

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恐竜とともに生きていた?

 

なぜ長らく地球を牛耳ってきた恐竜が絶滅してしまったのか? その理由をめぐっては諸説あるものの、6600万年前に現在のメキシコのあたりに衝突した、直径10kmにもおよぶ巨大な小惑星が地球を変えてしまったとの説が有力です。この衝突を契機として、地球規模の大嵐や大規模な火山活動が続き、その後の凍りつくような地球寒冷化現象によって恐竜は滅んだと考えられてきました。

 

しかしながら、この恐竜の絶滅によって哺乳類の繁栄の道は開かれ、現在にいたるとの流れを何度も耳にしてきました。恐竜がいた時代、哺乳類はまったく存在していなかったわけではないものの、その陰におびえるように、小さな原始哺乳動物が細々と生きていたのみ。それが、みごとに小惑星衝突後の気候大変動を生き延びて、哺乳類の新時代を切り開いたとの説が一般的です。

 

このほど英学術専門誌のProceedings of the Royal Society Bに、サウサンプトン大学およびシカゴ大学の博士課程の学生たちによる、定説を覆す論文が掲載。なんと哺乳類は、これまでに考えられていたよりも前から、恐竜たちがいた時代から大々的に生息してきた可能性が高いと発表されていますよ!


近年の化石の研究により、大きいものでは犬ほどの大きさになる初期の有蹄類が、恐竜絶滅の10002000万年前に生息していたことが判明。恐竜とともに生きていた哺乳類の最大の特徴は、さまざまなものを食べる、食の多様性だったそうです。そして恐竜と同じように、数千万年のあいだ多種多様な哺乳類が生息してきたはずで、6600万年前の小惑星の衝突後にその多くが滅びてしまったと考えられています。

 

またこの論文の執筆者であるDavid Grossnickle氏は、恐竜はすべて死に絶えたのに、同じ時代を生きていた哺乳類のなかに生き延びた種が存在した理由を追究することから、今後やってくるであろう気候変動による新たな大量絶滅の危機を乗り越えるヒントがあるとしていますよ。まだまだいろんな新発見が飛び出してくるのかもしれませんよね~。

source: BBC

(湯木進悟)

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日本はもっと説明と説得の重要性を肝に銘じるべき。

日本は、どれだけ調査捕鯨の成果の公表と販売益をどう活用してきたかの釈明をしたかを問われていると、意識すべきでしょう。

日本の調査捕鯨は「科学研究目的ではない」と、何故判断されてしまったのか、もっと深刻に受け止めないといけないのではないでしょうか。

説明責任を十分果たしてこなかったつけが、回ってきたと気づくべきではないでしょうか。

日本的発想に頭のてっぺんまでどっぷりつかってしまってることに気が付かなかない限り、なんで調査捕鯨を巡る裁判で日本は訴えられ負けてしまったか、永久に理解できないだろうと、暗澹たる気持ちになります。

日本人にありがちな発想は、世界では通用しなかったのですがね…。

調査捕鯨に中止命令=「科学研究」逸脱-日本が敗訴・国際司法裁
時事通信 3月31日(月)18時54分配信

 【ハーグ時事】日本が南極海で行っている調査捕鯨は国際法違反だとして、オーストラリアが即時中止を求めて起こした訴訟の判決が31日、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)であった。ペテル・トムカ裁判所長は、日本の調査捕鯨は「科学研究目的ではない」と述べて豪州の主張を支持。合法的活動だとの日本の訴えを退け、日本に調査捕鯨の許可取り消しと、現在の形での捕鯨活動中止を言い渡した。日本は捕鯨政策で大転換を迫られることになった。

31日、日本の調査捕鯨問題で判決を下す国際司法裁判所(ICJ)判事ら=オランダ・ハーグ(EPA=時事)

南極海調査での捕鯨頭数

〔写真特集〕クジラ 海の王者

 裁判は一審制で、上訴はできない。日豪ともに判決を受け入れる方針。日本がICJの裁判で当事国になったのは初めて。(2014/03/31-19:40)

「調査捕鯨」

 クジラの生息数や生態などの科学的調査を目的とした南極海や北西太平洋での捕鯨。国際捕鯨取締条約に基づき、日本は1987年からミンククジラなど5種を捕獲。今回の訴訟は南極海での日本の調査捕鯨が問題視された。現時点で日本のみが実施している南極海は、2005年に863頭あった捕獲数が反捕鯨団体シー・シェパードによる妨害行為の影響で、12年は103頭に減少している。「保護すべき野生動物」とする反捕鯨国は「調査捕鯨は事実上の商業捕鯨」と主張し、中止するよう求めている。(了)(2014/03/31-17:51)

日本はどれだけ世界に捕鯨について理解を求めるための説明と説得をしてきたでしょう。

説明と説得をしないのは出来ないとみなされ、自らの行為に道理がないと認めるに等しいとみるのが欧米など意識なのです。

日本は、世界に対するアッピールが弱いし下手くそすぎます。

どうやれば世界を説得できるか考えようと、意識してる人が日本の指導者層の中にどれだけいるでしょう。

日本人は、言わなくてもこれくらいわかるだろうという意識や、言わなくてもわかってくれという意識が、強すぎないでしょうか。

世界は、言わなきゃわからん、言わないのは意見がないのと同じだ、が当たり前なのですよ。

言いたいこと、言うべきと思ったことは、口に出して、ちゃんと言葉にして伝えるのが、ちゃんと言葉にして伝えられるのが、人間と他の生き物との決定的な違いと言うのが欧米人の発想ですから。

グローバル人材とは説明力と説得力のある人と思うべきではないでしょうか。

言う意思も能力もないと思われたら、欧米人には人とは認識してもらえない位に思っておいた方が良いですよ。

人は神の似姿として、創造されたと聖書の冒頭にあります。

創造論を有り得ないと、馬鹿にしてかかってるように見える人でさえ、潜在意識に刷り込まれているのが欧米人と覚悟しておいた方が、良いかも知れません。

日本は、技術や美術では、優れたものを世界に大量に発信してきました。

だがどれだけ、グローバルスタンダードを勝ち取ってきたでしょうか。

世界は言わなきゃわからん人ばかりが、住んでいると思った方が良いのです。

説明力と説得力は最大の武器なのです。

説明力と説得力の必要性と重要性を知らなきゃ、日本は負け続けますよ。

冗談抜きで。

権利は、戦いとるものであり守るべきものなのです。

このことを、日本はもっと知るべきです。

言いたいことがあるはずなのに言わないのは言えないのと同じであり、相手の言い分に同意してると同じとみるのが世界なのですよ。

世界は、アッピールがすべてなのです。

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伝統土木工法から中東が見える?

今、被災地の治水とガレキ処理が一気に進む技術として、吉工園の開発したブランチブロック工法が注目されています。

ブランチ(branc)hとは、枝、支流、支店、支線、分岐、などの意味、ブロック(block)とは塊などの意味します。

ブランチブロック(branchblock)とは、枝分かれした塊のことなのです。

 ブランチブロックは、論理を組み立てる場合も使いますね。

吉工園の開発したブランチブロック工法は、量産されたブランチブロックを組み上げて自然石を間に入れていくのです。

 この自然石を用いることが、今注目される理由の一つでしょ。

被災地には処分に困るほど、大量なガレキがあります。

今、沿岸被災地の多くは地盤沈下に悩む一方で、大量のガレキにも苦しんでいます。

ブランチブロック工法とは、RC2次製品「ブランチブロック」と自然石を用いて河川護岸、盛土擁壁、河川護床を構築する工法です。

RCとは、Reinforced-Concreteの略で、直訳すると「補強されたコンクリート」です。

つまり、RC構造とは、コンクリートを鉄筋で補強した構造、つまり鉄筋コンクリートのことです。

元々はヨーロッパの植木職人が植木鉢を作るときに、針金で補強したのが最初だと言われています。

そして、今注目のブランチブロックを用いた工法もまた、造園業者によって生み出されたのです。

治水とガレキ処理の両立が、本質的に可能なブランチブロック工法は、今回の大災害で活躍が大いに期待されます。

むしろ、従来の近代工法に政府がこだわるならその方が問題でしょう。

なぜなら、地元の土木や園芸の業者を大量動員して一気に仕上げることが容易な工法だからです。

 ブランチブロックさえ、納期に間に合えばいい。

費用対効果からいっても、採用しない選択の方がありえないと見えますが、いかがでしょう。

今回注目したのは、ブランチブロックで用いられた工法なのです。

 枝分かれしたブロックと自然石と言えば、日本にも聖牛(せいぎゅう)という伝統的な土木工法があるでしょ。

これらの伝統的土木工法も、長い歴史に耐え試されずみの手法です。

 しかも、適度な隙間ができるので、自然にも馴染みやすい。

単なるコンクリート護岸では、木や草が生えると脆くなっていきます。

伝統的土木工法は、自然に馴染むほど、強度が増すのです。

その上、伝統的土木工法は地面を近代的土木工法ほど神経質に均したりしない。

だが、木組みには熟練の技が求められ、短期に大規模な工事を行うには向いていませんでした。

その点、工業的に量産されたブランチブロックなら、工期の短縮は十分に容易でしょう。

伝統的土木工法は、大量の自然石を用いるので、大量にあるガレキの不規則な形はむしろ好都合なのです。

伝統的土木工法に用いられる聖牛は、牛類の一種です。

三角錐に木を組み合わせた形状で、その形が牛の角に似ていることから、聖牛と名付けられたと言われるといいます。

聖牛は主に、急流河川における水衝部に複数個配置されました。

減勢効果、導流効果が期待される透過性の水制です。

水制とは、水の流れを変えたり、勢いを弱めるために設置される河川構造物のことです。

聖牛は、川の流れを変えるために用いられる工法で、特に、河川の上流部から中流部の瀬替え、取水堰周辺、河岸部の保護に利用しました。

聖牛は、その大きさにより、大聖牛、中聖牛などがあります。

地域によっては、聖牛を「川倉(かわくら)」と呼ぶところもあります。

 たとえば山梨市では、以前は聖牛というより、「川倉」の名称で親しまれてきた。

明治初期の土木工法を記した「土木工要録」によると、川倉は大聖牛より小ぶりというから中聖牛の別名と見ても良いでしょう。

特に小河川での流れを変える時に用いられるのが、材木を四角錐に組んだ菱牛(ひしうし)です。

さらに、枠を用いることから枠類と呼ばれる構造物があります。

片枠(かたわく)は、木枠の中に玉石を入れた工法です。

河岸等の浸食を防ぐために用いられたものです。

沈枠(しずみわく)は、陸上で木枠を組み立てて、施工場所に運び、詰め石をして水中に沈める工法です。

このため沈枠と名付けられたと言われ、牛類と組み合わせて河岸部の保護などに用いるほか、水制としても利用しました。

合掌枠(がっしょうわく)は、木枠を三角形に組み詰め石をした枠です。

安定性、透水性に優れ、砂利河川や砂河川の水制に適しています。

この一連の工法、聖牛・川倉・菱牛・方枠・沈み枠・合掌枠は、信玄堤に多用されています。

そもそも、これらの伝統的水防工法には、武田信玄が創案したと言う伝承があるのです。

武田氏は、平安時代末から戦国時代の武家で、本姓は源氏とされます。

家系は清和源氏の一流・河内源氏の一門、源義光を始祖とする甲斐源氏の宗家なのです。

安芸国・若狭国に分派が存在し、上総国には庶流がありました。

河内源氏の名族の一つとして、戦国時代には戦国大名化しました。

武田信玄として知られる晴信の頃には領国拡大し、中央の織田・徳川勢力に対抗しました。

だが、勝頼期には領国の動揺を招いて宗家は滅亡し、江戸時代にはわずかに庶家が残ったのです。

 源氏の源と言えば、水源(みなもと)の意味でしょ。

 源氏とは、治山治水に長けた人々を束ねる氏(うじ)だったという議論をしましたね。

自らを源氏の流れと名乗った徳川家康もまた、湿地帯であった江戸で一大土木工事を敢行したことは有名です。

今では系譜の信憑性を疑う議論も多いけど、当時の人々に源氏の流れを納得させた出来事の一つが、おそらく江戸の大規模な治水事業でしょう。

そして、武田氏、徳川氏、ともに出自を辿ると宗教がらみなのです。

徳川氏は、徳川家康が創始した苗字で、系図によると、ルーツは今の愛知県、かつての三河国の在地領主の松平氏に婿養子に入った時宗の遊行僧と伝えられる徳阿弥です。

武田氏も、代々諏訪大社の大祝を務めてきた諏訪氏の傍系を配下にしました。

だが、武田氏と諏訪氏も元を辿れば清和源氏の可能性があり、しかも隣国である以上、武田氏の起源に諏訪氏が全く関わっていないとは言い切れない気はします。

 武田氏と諏訪氏の争いの背後に、同族の主導権争いがあったと。

今回の話題の中心ではないので深入りしないけど、疑うのも面白いでしょ。

この源氏についても、ユダヤ人であったのではないかと言う議論をしましたね。

 源氏と八幡宮、義経と虎の巻。

 八幡宮は秦氏と繋がりが深く、秦氏にユダヤ説。

 虎の巻はユダヤ教のトーラーの巻物で、当然それを貰った義経もユダヤ。

聖牛と呼ばれる「牛枠」とは、はるか奈良時代が起源という伝統的な水防工法の一つだそうですね。

聖牛のような工法は、長江流域にまで遡るのではないかと論ずる人もいますよ。

 長江文明と言えば、中東にまで遡るのではないか、古代イスラエル人が関わっていそうだ、などと話題にしてきたでしょ。

聖なる牛の発想は古代中東に遡れるので、聖牛の名はここに由来があると説を立てる人もいます。

 もしそうなら、信玄堤も家康の江戸の治水もユダヤ人が齎した古代中東に遡る知識と技術が可能にした。

 まさか、有力大名って、元を辿ればレビだったとか。

そうだったら、面白過ぎでしょ。

証拠を固めないと。

かなり難しいけど。

追記

一つ一つのブランチブロックの形から聖牛を連想したが、六角形が連続するハニカム構造で石を包むという点から言えば蛇篭の方が近いです。

蛇籠とも書かれる蛇篭は、鉄線などを用いかごを作り、砕石を詰め込んだもので、積み上げて河川工事の護岸などに使用されます。

ちなみに、昔の蛇篭は竹を編んで作られていました。

聖牛はむしろ、用法はテトラポットに近いですね。

ブランチブロックは、石組み全体を巨大な蛇篭で包んだものと見なしたほうが良かったかもしれません。

吉工園のHPより、詳しいブランチブロック工法の説明がここ↓でみられます。

ブランチブロック工法とは ~吉村隆顕さんを囲んでの勉強会~

http://www.tml.co.jp/jv/2011/pdf/bb-yoshimura-learn-2.pdf#search=' ブランチブロック ダム'

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感情に流された議論に気を付けたいものです。

捕鯨について、価値観でいろいろ議論があることは承知しています。

生態系に人も参加してきた以上、それをやめることはできないのですよ。

 反捕鯨は、大半が感情論ですね。

反論してる捕鯨派にも感情的反論は多いから、あまり反捕鯨論のことばかりいえないでしょ。

 そうですね。

乱獲はもちろんいけません。

 欧米人は、自分たちが鯨油目当てに乱獲したものだから、他の人たちも乱獲していると思い込んでいる。

乱獲していたら、古代からの捕鯨を続けることなど不可能であることなど、考える意思もないのでしょうね。

 自分たちの価値観を絶対視して、思考停止していますよね。

しかし参加してきた生態系から手を安易に引けない以上、実態を科学的に把握し、必要に応じて禁漁や禁猟も含めた規制は当然すべきです。

 実際、減少が問題視された種類については、捕鯨の対象から外してきましたよね。

捕鯨をやめた間に、どれだけ増えたかを調査する必要があるのは、当たり前です。

 そして、鯨の数量を適正に抑えるためには、一定量の間引きも必要になるでしょ。

自然界の間引きは、事故死、病死、そして捕食によってなされます。

人が生態系に参加する基本も、捕食です。

 これは、誰が何と言おうが、普遍的真理ですよね。

オーストラリアのカンガルーは、政府が適正な頭数を維持するように管理されています。

どうするかと言えば、やり方はズバリ、猟です。

だが、ヨーロッパ人から可哀そうだからやめろという声は聞こえません。

なぜかと言えば、ヨーロッパに食肉として輸出されているからです。

 そして、オーストラリアでは古代から先住民の蛋白源ですよね。

近年では、中国もオーストリアからカンガルー肉を輸入しているようですね。

ニューヨーク・タイムズ紙は、カンガルーの中国輸出計画についての興味深い記事を掲載していたそうですよ。

 なるほど、アメリカ人もカンガルー食べているから可哀そうという気分にならないで、オーストラリアに文句言わないのね。

世の中、そんなもんですよ。

ほとんどの人は、無意識のうちに自分の価値観を絶対視したがるのです。

輸出促進を訴えるオーストラリア・カンガルー産業協会のジョン・ケリー事務局長は「中国には野生動物を料理に使う伝統がある」と同紙にコメントしているといいます。

「カンガルーはヨーロッパ市場で受け入れられたのと同じように、中国の伝統にもぴったりフィットするだろう」とまで言っているそうです。

カンガルーの狩猟枠を消化して、カンガルーの個体数を管理するためにせっせと輸出しているのです。 

現に食の安全性に関するトラブルで、カンガルーの狩猟枠消化が危ぶまれる事態が起きたことがあります。

2007年7月、ロシアは食の安全性に懸念があるとしてカンガルー肉の禁輸をしました。

だが、同じころヨーロッパの輸入は止まっていなかったようです。

とはいえオーストラリアの農家は、ロシアのカンガルー肉輸入禁止によって、野生のカンガルーの数が急増することになり、生態系や牧畜産業に打撃を与えることになると懸念したと言います。

 もし、捕鯨を全面的にやめるなら、シャチの捕食で間引きしきれない鯨類の魚食によって、世界の漁業は大打撃を受ける事態を覚悟する必要がありますね。

魚食は、今や世界食となりつつあり、水産資源は世界的な争奪戦の舞台となりつつあります。

当然国際ルールを作らないことには、乱獲のために枯渇する懸念があるのです。

 そこに、増えた鯨類が参入すれば、どうなるでしょうね。

鯨を間引きしないと、水産資源が危ないという展開にならないと、反捕鯨の人たちは保証できるでしょうか。

森も、樹木を守るためには狼の代わりに漁師が鹿などを間引きしないといけない事態になっています。

 狼を危ないからと滅ぼしたつけを、今深刻な形で払っているわけですね。

私は、ある特定の国や地域や時代の価値観に振り回されない、持続可能な地球環境に責任を持てる取り組みを科学的にすべきと、言いたいだけなのです。

生態系において、ある種が撤退するのは絶滅した時だけです。

捕鯨は、太古の昔から行われてきました。

つまり、人はシャチと並ぶ鯨類の捕食者として生態系に参加してきたのです。

もし人が手を引けば、鯨類の捕食者はシャチだけになります。

 言い換えれば、鯨類の捕食者としての人は、海の生態系では滅んだのと同じことになる。

シャチの繁殖能力は低いので、人が手を引けばシャチだけで鯨類の数量を抑えることは不可能でしょう。

当然、鯨類によるオキアミや魚の捕食量が増え、生態系全体のバランスは崩れるでしょうね。

 結果として多くの鯨の餓死による、調整が起こるでしょうね。

つまり、鯨の数量制御にとっては、餓死によるか、捕鯨によるかの差しかないのです。

ならば、古代から続く生態系を維持してダメージを減らすほうを選ぶべきではないでしょうか。

可愛いから殺すな、なんて感情論は環境保護にとって有害でしかないのですよ。

2011年3月、東日本で大震災が起きました。

 多くの人は、自粛だと言って花火大会開催を見送りましたね。

結果、再起をしたいと頑張っている東北の花火業者は、収入の大半を占める夏の需要を失い絶望に叩き落されています。

 雇用を守れない、廃業しかないのかと、肩を落としているようですね。

花見を自粛する人たちが大勢いたために、東北の酒造業者は再建の出鼻を挫かれる格好になったと言います。

 ようやっと、支援しようとする人々が、東北の酒をはじめとする産品を購入する動きが出てきましたけどね。

でも、日常的に消費してこそ、本当の支援ですよね。

もっともらしい議論を感情的に展開する人々の主張があまり幅を利かすと、世の中ろくなことになりませんね。

 もっと、理性的に判断して行動するように心がけたいですね。

理屈ばかりじゃ、味気ないし、窮屈なのも、確かですけどね。

追記

もちろん、花火大会を例年通り開催する場所も少なくありません。

日常を取り戻す、被災地を元気づける、などが理由なようです。

自粛の理由が感情なら、開催の理由も感情かも知れません。

だが、自粛をした方が良いという声を、速やかに復興したいという気持ちが上回ったのは、やはり、自粛を続けると復興が遠のくという冷静な判断が勝ったということでしょう。

経団連の集計によると2011年の賞与は、震災響き冬季減額も有り得るものの、夏は2年連続増だそうなので、自粛を続けると賞与減の予想が的中する可能性が高まります。

その点からも、開催決定は素晴らしい判断と思います。

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ダムは経済的か。 ダムを考える その2

ダムについて、考えてみましょう。

ダムは、一般に治水や、発電、灌漑用水、水道水等利水のために水を貯める機能を有しています。

 ダムは、土砂やゴミで一杯になってしまわないのでしょうか?

 川の途中をせき止めたダムには、上流から土砂や流木などがどんどん溜まっていってしまうような気がします。

河川を流れてくる土砂も、溜まることになります。

河川にダムがない場合、洪水時には土砂や有機物は濁水とともに一気に流れ、粒径の小さい土砂や軽い落葉等の有機物の大半は海まで流出し、海底に堆積します。

ダムができると、一般的には、粒径の大きな土砂等はほとんどがダム湖内に堆積します。

洪水時に水中に浮遊するような粒径の細かい土砂や有機物は、ダムがない場合と同様にダム下流に流れますけどね。

流木も、浮いているけれどダムからの取水や放水の妨げになるから、取り除かないといけません。

 そうすると、貯めることのできる水の量が減っていってしまうのではないかと心配です。

ええ、上流からの土砂が溜まって、貯水量が減少します。

溜まっても、発電ダムとしては落差利用なのでそんなに困らないのです。

取水口より、水面が上にありさえすればいいのですから。

 それでも、寿命はくるでしょ。

もちろんですよ。

取水できないことには、発電できませんから。

水害防止としてや、貯水量としては、砂など溜まっていくのは当然致命的ですけどね。

貯水や発電といったダム本来の機能が維持できなくなるだけでなく、下流河川の浸食や海岸侵食など、いろいろな問題が発生します。

これが、ダムの寿命の原因の一つです。

そこで、ダムに貯まった土砂を下流に流すことで、これらの問題を総合的に解決する必要があります。

 何か、土砂やゴミがたまらないような仕組みがあるのでしょうか。

土砂やゴミがたまらないような仕組みは、いろいろあります。

たとえば、下から水を抜いて砂を出す方式は、かなりの数のダムに設置されてはいるのです。

 それでも少しずつ、溜まっていくでしょう

ええ、水抜き穴の付近に溜まった土砂しか流せないので、ほとんど利用されていません。

それから、排砂ゲートという方法があります。

宇奈月ダムは黒部峡谷では最も新しいダムで洪水防止を主目的とした多目的ダムで、国土交通省が建設し、2001年に完成しました。

宇奈月ダムの特徴は、上流の出し平ダムと同様に排砂ゲートを備えていることです。

 宇奈月ダムと出し平ダムの共通点には、重力式コンクリートダムというのもあるでしょ。

ええ、高さは宇奈月ダムは97m出し平ダムは76.7m、総貯水量は宇奈月ダムは24,700,000立方m出し平ダムは9,010,000立方mです。

出し平ダムは発電が目的で、1985年に完成し新柳河原発電所で41,200kW、音沢発電所で124,000kWです。

一方、宇奈月ダムの洪水調整能力は700立方メートル/秒、水道水供給量は58,000立方メートル/日、発電能力は20,000kw/hです。

全国有数の急流河川である黒部川は、特に周辺の山地の浸食作用が著しく、大量の土砂が河川に流れ込むため、短期間でダムに土砂が貯まります。

この貯まった土砂を定期的に排出してダムの能力を回復させるのが排砂ゲートです。

しかし、出し平ダムの排砂では下流の漁業者の間で問題を起こしています。

 言ってみれば、小規模な大水を人工的に起こしているようなことでしょ。

自然の大水であれば、もっと間隔があくけど、いくら小規模でも間隔が狭いと海流などで処理しきれないでしょうね。

黒部川の宇奈月ダムと出し平ダムの連携排砂も最近できた方式だけれど、ここはダム貯水の回復が非常に早いので可能になった方式で、十分水が貯まるまで数年掛かる普通のダムには適用できません。

最近増えているのは、ダム湖の上流に貯砂ダムを造るというものです。

つまり、本来のダム湖の上流に小さなダムを造って、洪水時には水はダムを乗り越えて下流に流れるが、土砂はここで止めるというものです。

貯めた土砂は定期的に掘削して排除します。

ある程度の効果はあるが、先にも言ったように、細かい土砂は濁水となってダムを乗り越えるので、完全なものではありません。

また、排砂バイパスといって、ダム湖の上流からダムの下流までトンネルを掘っておいて、洪水時にはダムから放流する水量を、洪水時に生じる高濃度土砂とともにこのトンネルを通して流してしまおうというものです。

これもそれなりに効果はあるが、トンネルを造るため費用が場合によっては数千億円と非常に高額というのがつらい。

ダム貯水池の堆砂対策は昔から非常に難しい問題で、現在様々な方式が開発中です。

ただ、ダムというのは特性が千差万別で、ここでうまく行ったからと言ってよそでもうまくいくとは限らないという困難を抱えています。

ただ現在、新たなダム設置が難しくなっており、一方で地球温暖化に伴う気象の変動が大きくなって渇水も増えると予想されることから、既設のダムの機能回復は非常に重要な国家的課題になっています。

ダムに関わる様々な組織で、熱心に研究が進められています。

ダムには、もう一つの寿命があり、実はこちらがもっと深刻です。

コンクリートの寿命なのです。

一般にコンクリートは、70から100年で寿命がくると言われています。

その原因として次のことが上げられます。

劣化は、凍結と融解の繰り返しで細かい隙間を大きく広げていく。

中性化は、セメントが二酸化炭素と反応して炭酸カルシウムとなり、コンクリートが酸性側に傾き、中の鉄筋が錆びはじめていく。

アルカリ性骨材反応は、骨材のシリカ、シリケート、炭酸塩により、アルカリシリカ反応などが起こりゲルが生じる、これが水を吸って膨張し、ヒビ割れが起きコンクリートの強度が弱まる。

これは、コンクリートであれば、どんな建造物でも避けられません。

ダムにはさらに、次のような要素が加わります。

疲労・摩耗は、土石流がダム壁に何度も繰り返し力を加える、また土石のヤスリのような働きでコンクリート表面を削っていく。

塩害は、塩素イオンが鉄筋を錆びさせることで、錆びはもとの体積の2~4倍となり、ヒビ割れなどを起こさせる。

以上のことが相互的に進んで寿命がくるのです。

大きなダムが破壊すれば、土石流災害の供給源となってしまいます。

そのうえ、コンクリート自体が山を切り崩して採掘しています。

小さな山など、短期間で消えてしまったものもあるのですよ。

 メンテナンスのために消えていく山が、これ以上増えていいかという課題にも、やがて直面することでしょう。

さらに、維持費問題があります。

例えば、マスコミが報道しない八ッ場ダムの維持費は、ダム本体だけで年間10億円以上とも言われています。

 ダム設置に伴う、周辺地盤への影響も、無視できなくなっていますね。

岩盤の弱い地域まで、設置が広まりましたからね。

この地盤への対策費は、新たな課題となってのしかかるでしょうね。

ということで、いずれにしてもダムには問題点が多いのです。

 本当に必要なダムはどれか、絞り込まないと、ダムの存続そのものが危うくなる。

もっと、国民が知る必要があることでしょうね。

近自然工法で、最低限の手を加える手法をきめ細かく講じることこそ、治水でも利水でも長い目で見て安く上がるはずです。

漁業との共存も、容易でしょうし。

追記

塩害は、コンクリートに海砂など塩素イオンを含むものが入ってしまうと通常の建造物でも起こり得るが、川砂など塩素イオンがでないものを用いれば環境からの影響だけ考慮すればいいとみて、コンクリート本来の寿命を決める要素から省きました。

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鳥との共存から環境を考える。生態系を考える その5

最近、身近な生き物を観測して環境を考える動きが広まっているようです。

 そういえば、雀をあまり見かけない、などという声もありますね。

確か、東京の中野区で以前、地域の人々とともに町の鳥を調べて「中野の鳥」と言う冊子が出されていたのです。

 もし、今出ていないなら再刊して欲しいですね。

それぞれの地域、鳥で自分の町はどんな環境か調べたら、面白いでしょうね。

 鳥によって、好む環境は違う。

 つまり、どんな鳥を良く見かけるかで、地域の環境がある程度見当が付く。

雀が減った理由も、隙間の多い和風家屋が減ってきたからではないかと、見られています。

 そういえば、瓦葺もめっきり減りましたねえ。

 瓦屋根って、隙間は多そう。

意外と細かい隙間で、雀って巣を作るからです。

 土砂崩れを防ぐコンクリート壁って、水抜き穴があるでしょ。

その穴が、雀の巣になっている場合はよくあるようですね。

 雀が多いと、そのあたりは隙間が多いと言う目安。

ええ。

 鳥に限らず、身近な生き物は調べる必要が増えてきたようですね。

 温暖化のせいか、今までいなかったはずの生き物や、生えてなかったはずの植物、見かけることが多いようね。

 特に植物。

 道端の雑草は、生え方が早いのと、種類が増えたと言うか、変わったと言うか…。

当然、昆虫も顔ぶれが変化しているそうです。

それに伴って、これまでなかった菌も、可能性が出てきます。

 日常気にすると言えば、ネズミやゴキブリ、ハエや蚊ばかり…。

猫や犬も、気にしてるでしょ。

 これからは、もっといろんな生き物にも、注意したほうが良いかなあ。

そうかも。

 鳥害対策、小手先でいくらやってもだめでしょうね。

庭のある家屋の減少などで、地域の緑が減ったために残った場所に集中した結果ですからね。

 人も鳥も、居場所がなくて暇があればろくなことしないと思った方が良いのでは。

居る事が問題ではなく、たくさん集まって我が物顔に振舞っていることが問題なのが、共通と言えばいえますけどねえ。

 余談だけど、居場所のない若者たちの存在と犯罪の相関はアメリカでも深刻らしいですねえ。

鳥は迷惑の自覚がないけど、若者の問題行動は開き直ってやっている点が、大きな差だと思うのですけど。

鳥の居場所を、いかに分散して街中に作るか考えないと、根本対策にならないのは確かでしょうね。

 ただ、鳥の居場所問題を前面に出してしまうと、なかなか理解を得られないでしょうねえ。

若者たちの居場所だって、確保がままならない実態があるでしょ。

 高齢者などの施設だって、必要性の割りに身近に作ろうとすると用地取得が大変でしょ。

発想を変える必要が、あるでしょうねえ。

緑豊かな場所は防災の観点からも有効だと、阪神淡路の震災を視察した地元議員は言ってました。

 震災以外にも、緑地は有効でしょうかね。

緑地環境計画工学研究室の的場史惠による、「神戸市における都市防災と緑地計画の関わりに関する研究」と言う文章を見つけました。

延焼を遅らせたり防止する、災害時の避難場所、洪水の防止、などが挙げられていますね。

都市環境の維持・改善の機能も挙げられていますね。

気温の緩和、大気汚染の防止、省エネルギー化に寄与、生物の生息環境、などです。

 生物の生息環境、ここは鳥害対策に役に立ちそうですね。

でも、逆に言えばここまで多くの効用を指摘しないと、鳥害対策だけでは住民と行政の理解は得にくいともいえますね。

さらに、こんな効用も言っています。

散策・自然学習の場、休養・休息の場、運動・遊びの場、などです。

 緑地整備、良い事多いじゃないですか。

面白い指摘もありました。

自然景観の構成、田園風景の構成、都市景観に風格を与える、などです。

 言いたいことは、わかるけどねえ。

 ここまで言うと、予算はどうする気かと言われそう。

結局鳥害は、鳥と人の問題というより、どういう地域でどういう風に暮らしたいかという人の側の問題ということでしょうね。

 鳥はむしろ、人が引き起こした問題のとばっちりを受けていると…。

今回も、この言葉で締めくくることになりそうですね。

 マタイによる福音書の7章7節から8節にある言葉、ですか。

求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むる者は得、尋ねる者は見いだし、門をたたく者は開かれるなり。

今回も、行き着いてしまったようですねえ。

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自分が真実と思えば、事実を歪曲しても良いか。The Coveを考える。その2

映画「ザ・コーヴ(原題も"The Cove")」について、イギリスのガーディアン紙が、興味深い議論をしているそうです。

「東洋人はイルカを食べるが西洋人は牛を食べる。どこに問題があるのか?」と、イルカ漁を問題にしている映画の手法を疑問視しているというのです。

 この視点に同感ですね。

 もちろん映画は、一方的な価値観で作って、公開してもいい。

 価値観の違いは、論理では解決しない。

ザ・コーヴの最大の問題は、捏造と歪曲についての批判がうんざりするくらい、ででくることです。

 もちろん、捕鯨の是非も、論議の対象ですけどね。

食べる食べないは、結局は議論に参加した人たちの中でどんな倫理観が多数派なのかで、決まる所があると思います。

ドイツで同じ議題でディベートした人の話では、そのときはアジアの学生がたまたま多く、「犬・鯨は食べても責められない」が勝ったそうです。

欧州人からは、大ひんしゅくだったらしいけど。

 でしょうねえ。

ザ・コーヴは、上演すべきかどうかで、各地で物議をかもしているのです。

妨害に屈した上演中止ではなく、検討したが内容に問題があるから上演を見送ったというなら、まだ見所があるのですけどね。

 いったん上演を決定したのなら、上演した上で、作品の問題点を批判したほうがまだ、よかった。

問題点を批判すること、発表を妨害すること、別次元です。

問題点を是正した上で発表しなおすべしとは、私の要望です。

誰にも検閲の権限なしです。

聖書にも、このような意味の発言が神の言葉として、収められているのです。

自分の正しいと思うようにせよ、判断は私(つまり神)が下す。

神でさえしないと、明言の検閲なのですよ。

検閲には、賛成できないですね。

 検閲!

 私もごめんこうむります!

 表現をどうするか、当人が決めること!

 評価される作品は残り、されない作品は消え去る。

 それだけのこと!

上演しても、しなくても、その理由は、はっきり言って欲しいですね。

それが正しいかどうかは、個々人が判断したら良い。

ザ・コーヴの問題点を批判することと、上映を妨害することは、別次元です。

表現の自由は、どう表現するかとともに、どう表現しないか、という二つの側面があるのです。

問題点を是正した上で上映しなおすべしです。

真実を掲げてデマを混ぜれば、作品のメッセージ全体がデマになるです。

 コーヴのシホヨス監督は、ただの嘘つき男なんですね。

日本語訳チームの事実誤認の訂正を受容しないなど、私も彼らの姿勢に同意できないところがあるのです。

 しかし、発端の立教大学の上映中止にはがっかりしました。

学問表現の自由の府も、墜ちたもんです。

妨害に屈した上演中止ではなく、検討したが内容に問題があるから上演を見送ったというなら、まだ見所があるのですけどね。

 いったん上演を決定したのなら、上演した上で、作品の問題点を批判したほうがまだ、よかった。

ザ・コーヴをドブスを守る会と、同列において批判する人がいるのですね。

ザ・コーヴをドブスを守る会と、同列に置いちゃまずいです。

ドブスを守る会は、相手の自尊心や肖像権を侵害して、相手の気持ちを傷つけたのです。

 後から目的をばらして撮影するくらいは、ドッキリカメラでもやってます。

 ドッキリカメラは、悪意のないいたずらであり、悪ふざけとして許容される範囲内でやっている限りは、問題視されないでしょうね。

ザ・コーヴは、目的を隠し、上映されてだまされたと知るから余計悪質です。

低俗なだけのドブスを守る会より、コーヴは悪質です。

フィクションを看板に掲げて嘘を言えば芸術と呼ばれるが、真実を看板に掲げて平気で嘘を混ぜれば詐欺と呼ばれるのです。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

だから、ザ・コーヴは問題なのです。

NHKの取材でも、問題点が複数あぶりだされているのです。

 ほかでも、問題点をあげる人はいるようですね。

水産庁漁業資源課課長補佐の諸貫秀樹も、この映画で迷惑している人の一人です。

映画で首になったと説明されていた水産庁の諸貫秀樹が、今でも普通に勤務していることをルイ・シホヨス監督に問い質すも、「辞めたって聞いた」と苦しい言い訳。

ザ・コーヴは、現在は行われていない過去に撮影された突きん棒漁法によってイルカの血で海が赤く染まる「残虐な漁法」が現在も行われていると嘘。

過去の漁法の映像を見せてコメントを要求し、諸貫が「何時何処で撮影したのか」と問いただした直後に、その場面を編集で打ち切り、視聴者に誤解させる。

ザ・コーヴは、インタビュー後に下手な弁明を行った諸貫が上層部から解雇されたと視聴者に誤解させるような編集だが、事実無根。

映画で日本政府が捕鯨議題のためWCにリクルートしたとされる、アノテ・トンキリバス大統領は「大変残念。そんな事実はなく、捕鯨はキリバスが強く望んでいること」と述べている。

別撮りのイルカ漁の映像と、女の人が泣くところをつなげて一つのシーンとして流してた。

諸貫秀樹の件といい、間違いを指摘されても平気で嘘をついてごまかそうとするところをみると、ようするにコーヴのシホヨス監督はただの嘘つき男なんですね。

日本人は他の国にイルカ漁をしろと強制している訳でも、他の国の食文化をやめさせようとしているわけでもないです。

「イルカ漁は伝統じゃないです。伝統だとしても悪習はやめるべきだ」と極めて独善的な態度で一方的にイルカ漁を断罪している歪んだ思想の持ち主のシホヨス監督に問題があるだけです。

フィクションを看板に掲げて嘘を言えば芸術と呼ばれるが、真実を看板に掲げて平気で嘘を混ぜれば詐欺と呼ばれるのです。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

だから、ザ・コーヴは問題視されるのです。

違うでしょうか。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

 目的のために手段を選ばないのは、問題でしょうね。

主張さえ正しければ、テロ行為も擁護していいのでしょうか。

 しないでしょ?

確かに、水銀問題などは、冷静に受け止めるべきテーマですよね。

 ただ、嘘と捏造と悪意に満ちた作品に巻き込まれた水銀問題こそ、迷惑しているでしょう。

 あのやり口は許せません。

ザ・コーヴは、捕鯨に対する賛否の立場を超えて、嘘と捏造と悪意だけで固められた忌まわしい作品として、弾劾されるべきでしょうね。

 でも、だからといって上演妨害は良くないでしょう。

聖書で神は、自分の正しいと思うようにせよ、後の判断は私がする、そう何度もおっしゃっているのですから。

 ザ・コーヴって裁くべき人をあぶりだしているようで、怖い。

裁きの悪魔か、人々を道ずれにしようと企むサタンか、そこは問題かもしれないですね。

うそに事実を混ぜて、全体を事実と強弁するのはサタンのたぶらかしの常套手段と、神秘主義研究ではいうのです。

  "The Cove"はサタニズム映画と、神秘主義者ならいうだろうと。

おそらく、そうでしょうね。

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生態系とどう向き合う?生態系を考える その4

生態系論争で馬鹿馬鹿しいのは、人間を度外視した議論をもっともらしく展開する声が意外とあることですね。

 その最たる議論が、反捕鯨。

 人間が参加して作ってきた生態系から人間が手を引くことは、人間が滅んだのと同意であることが、まるでわかってない暴論、愚論よね。

人間が参加して作ってきた生態系から人間が手を引くことは、人間が滅んだのと同意であることは、利用してきた山を放置した結果どうなったかを見ればわかるでしょ。

 山は荒れ、ちょっとの大雨でも土砂崩れや洪水で麓は安心して住めない。

 この事態を放置すれば、人は居場所を失います。

まあ、山が荒れれば、海の生態系にも影響でます。

 漁民だって、生活の基盤を失うでしょ。

魚付林(うおつきりん)といって、昔から、漁業者の間には、海岸近くの森林が魚を寄せるという伝承があり、そのため海岸林や離れ小島の森林を守って来た歴史があるのですよ。

 そういえば、猟師が木を森に植える話もありますね。

現在、魚つき保安林という名のもとに保護を受けている区域もあるでしょ。

 魚付林は、利用しないのではなく、そこに木があること自体に意味があるのねえ。

森の生態系では、樹木や草木は、草食動物の餌となります。

また、樹木は葉を落とし、また自身が枯れてキノコ等の分解者を通じて養分となり、ふたたび樹木が消費して育っていきます。

その養分の一部は川を下って海に至り、海では海草や海藻の栄養分となります。

 海では、陸に比べて無機塩類などの栄養分の供給が制限されますからねえ。

海の生態系では、光合成と無機塩類を材料に海藻や植物プランクトンが育ち、それを動物プランクトンや小魚が食べ、小魚はさらに大きな魚に食べられ、その大きな魚も鯨やイルカやシャチなど歯鯨(はくじら)の仲間が食べるのです。

 大きな魚を食べるのはアシカ、アザラシ、オットセイだっているでしょ。

ところによって、ペンギンもいますね。

 オキアミなどは、鬚鯨(ひげくじら)が食べてるでしょ。

ええ。

海草や海藻は、魚にとって植物性蛋白質源となります。
肉食の魚や鯨などの食べ残しとか海藻の粘膜、その他微小な有機物塊はバクテリアなどがそれについて分解します。

でも、それは量が限られるので、陸上から流入する栄養分は貴重な存在です。

 海の栄養分は、全体では大きいけど…。
 広いから、それぞれの場所ではいくらもない。

そうして育った魚の一部は、地上の哺乳類や鳥類の餌となり、陸上の生態系へと運ばれます。

 そして、陸上の哺乳類には人間もいる。

動物の糞や死骸は、土に返って森の栄養となります。

 人間の出したものも、堆肥になるしね。

つまり、海から持ち込まれる栄養も、陸の生態系では貴重なものです。

 鯨も、日本では縄文から獲っていましたよね。

こうして、海の生態系と陸の生態系はつながっています。

 子鯨の時はシャチなどに狙われるけど、大人になると天敵はいないのでは。

 大人の鯨にとって、天敵は人だけでは。

シャチは、まだ力のない若い鯨や弱った鯨を獲物として攻撃していますよ。

さらにシャチが大群な場合には、元気な鯨を獲物にする場合もあります。

 ただ、シャチが鯨を狙うのは自らも生きるためなので乱獲はしない。

ええ、絶滅が危惧されるほどの乱獲をしたのは人間ですね。

 逆を言えば、人間が捕鯨から完全に手を引いたら鯨の数はシャチだけでは抑え切れない可能性がある。

海で無敵のシャチは、繁殖力が低い点でも有名ですからね。

長年にわたって、シャチと人間で鯨の数を抑えてきたわけですからね。

 従来より獲り過ぎた人間が、量を控えなければいけないけれど全面撤退も海の生態系破壊と同じ。

人間が参加して作ってきた生態系から人間が手を引くことは、その生態系の中では人間が滅んだのと同意ですからね。

 ジャングルで大型草食獣の天敵は、群れで狩をするライオン。

 ライオンがいないと、生態系が崩れる。

 海の生態系も、人が抜けたらガタガタでしょ。

そうですね。

 遺伝子組み換えも、目先の利益で作っているけど、生態系への影響はどうか、疑問ですね。

遺伝子組み換えの方が、生態系に与える影響が大きい懸念はありますね。  

 それで、どうして過激な反対が出ないのかしら。

確実に犯罪で捕まるからでしょ。

 自国民も敵に回すし。

そういうことでしょ。

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地球に優しいと簡単に言うけど。生態系を考える その3

長年生態系に参加してきた人が、再生に配慮しながら適度に利用してこそ、環境を守れるでしょうね。

 かつて、鯨油めあてに鯨を乱獲した欧州の論理を思い起こすね。

欧州の乱獲で激減した鯨が、彼らが乱獲を止め捕鯨を制限したいま数を回復しつつあるのは想像にかたくないのでは。

 むしろ、捕鯨を止めたときの海の生態系に対する影響を考えて欲しいね。

 大人になった鯨の天敵が、人間だけという事実。

それが手を引いたら、海は狼の滅びた山と同じことになるでしょうね。

 林業は、鹿の食害で悩む。

山で木を切らないのは、かえって洪水や山崩れを引き起こすのです。

 今まで利用してきた、山の木でしょ。

もちろん。

山の再生に配慮しながら適度に利用してこそ、洪水や山崩れから麓を守るでしょうね。

 両立が大事…。

いままた、バイオメタノールの材料と食料の両立問題を引き起こす可能性は去っていないように見えます。

 トウモロコシと、バイオエタノールが顕著な例ねえ。

そうです。

 製紙用の木を救うとされたケナフですけど。

ケナフは、 アオイ科ハイビスカス属の一年草の種子植物ですね。

現在、ケナフのパルプ化は主にタイ北部などで行われており 木材のパルプ化プラントを設置し、パルプ化を行っているようですね。

 生態破壊をするだけの、厄介者の可能性があるとか。

在来種は、長い歳月をかけ植生、生態系のバランスを確立してきたのです。
外来種はその関係や作用が明確でなく、大きくバランスを崩す可能性のあるのです。
その影響は、農林業や人体にも及ぶ可能性があるのです。
ケナフは、立派な外来種ですからね。

 セイダカアワダチソウの、二の舞を踏むおそれがある。

油断はしないほうが良いのでです。

 ケナフは、従来ロープやカーペットなどの原料になっていたでしょ。

いまでは、紙の原料にしたり、車などの内装材作る人たちもいるのですね。

 ケナフは、「パルプの年間収穫量はアカマツの5倍」とか「光合成速度はエノキの5倍」っていってますね。

ええ。

ケナフは通常の植物の2倍以上のCO2を吸収し、茎にため込んでいる と言われます。

 「CO2の吸収が一番良いケナフを使うことに意味がある」と。

正確な数値としては 1.4~ 4.6倍で、一般に出回っている数値は極大値なのです。

気温・降水量・日射量・土壌条件等の環境条件によって、数値は大きく変わるのです。 

「ケナフはCO2をよく吸収するので、CO2の削減に役立つ」
温暖化防止の理由の決まり文句だけど、この論理はちょっとおかしいのです。

 「CO2の吸収」と「CO2の削減」は、べつものなのね。

CO2の削減には、吸収したCO2が分解されにくい形態で蓄積される必要があるのです。

 例えば、木材やサンゴなどね。

ええ。

草本植物でしかも一年草のケナフは、その年の内に枯れるでしょうね
吸収したCO2はすぐ分解されて、空中に放出されてしまう。

 近視眼的環境保護論は、有害ということね。

藁や竹の代わりには、なると思われるです。
もともと、ケナフというのは葦の様な植物なので、中心部の繊維は短く 葦や藁などの繊維と似ているようです。

ただ、藁や竹は画仙紙に 使用することが多く、墨付きのことなどからケナフには簡単には代わらないかも。

一方、皮の部分は非常に強く、麻の様な繊維になります。

 だから、ロープやカーペットなどの原料になっていた。

そうです。

繊維が細かいために、紙としてのケナフに使い勝手のよさを感じる人もいるのですけどね。

 そういえば、クロッキー帖などがあるね。

広葉樹パルプの代わりには、なると思えるのです。
製紙業界としては、ケナフは現在の森林資源にかわる物かも。
繊維長は、広葉樹パルプと近いようです。

広葉樹にかわる新しい素材と してケナフを使うのであれば、 広葉樹パルプに代わる新しい素材として 利用の価値がでてくるかも。
一年で大きくなり栽培もしやすいとなれば、ですけどね。

ケナフをパルプ化する場合、良いとされているのは 圧力釜を使用し、強アルカリにて長時間煮る 必要があるかも。

 平釜でも、煮ることが可能ですか。

ふたの上に重石を 乗せるなど、多少圧力がかかるようにする必要があるのです。

平釜は蒸気を入れて煮るタイプだと、 煮れば煮るほど、蒸気からの水分が入り、釜内のアルカリ度が 低くなってあまり煮えないのです。

釜の下から火を燃やす旧タイプの平釜だと煮れば煮るほど 煮詰まりアルカリ度が上がり、煮えるようです。

苛性ソーダつまりソーダ灰の使用量は、楮、三椏、藁、竹を煮るときの使用量の 約3倍は必要だそうです。
排水の汚れ方が著しく環境面からも 考えて、和紙材料には適さないと言うことだそうです。

そのため、多量の中和用の薬剤が必要となり、また、水洗いにも時間が必要です。

 紙に加工したら、CO2を固定できるかというと。

図書として永久に保存されない限り、紙は結局ゴミとして燃やされてしまうことが多いでしょうね。

 再生紙としての循環も、永久ではないから。

そうですね。

原材料を加工した製品が焼却等で分解されれば、製品に固定されていたCO2は全て空気中に放出されてしまうのです。

しかも、使われるのは「靭皮」という外側の部分だけですって。

 心材は、使いみちがなく焼却されている。

ケナフは最大で植物丈6m、茎の直径10cmにもなるのです。
ところが、靭皮以外の部分はゴミとして焼却されているということです。

 CO2の固定には、役立たない。

ケナフ栽培の生産・管理コストだって、エネルギー投資をともなうのです。

 肥料・農薬・潅水・除草ね。

 その分だけ、CO2を放出することになる。

森林などの自然植生と異なり、栽培植物で環境問題を論じるにはこのコストを差し引く必要があるのです。

CO2対策でケナフを植えるというのは、ちょっと話が違うような気はするのです。

 それを承知で、ケナフを使ったり栽培して欲しいってことね。

 地球上の緑や保水性を守る意味において、栽培をするならしても良いけど、誇大広告はするなと。

ええ。

ケナフはもともと、パルプ用に伐採される木を減らせないかということで注目された植物ですよ。

和紙業者からは、紙の原料ならケナフよりは楮や三椏を植えて欲しいとの声もあります。

 ケナフは繊維を取り出すまでのエネルギー効率は悪く、和紙には適さない。

紙に出来ないことは無いが、その工程は大変手間がかかるというです。
エネルギーを使い労力を使いむしろ、地球温暖化につながってしまうと懸念しているのです。

楮や三椏は、処理が慣れている上に和紙としては良い紙になるそうです。
しかもその紙は、1000年保つ実績があります。
何より、日本の環境に適しているのです。

 その国の歴史と風土に即した取り組みこそ、本当に効果がある…。

環境保護、言うのはやさしいです。

 でも、人もまた、自然と環境の一部であることを忘れた環境保護論は有害。

 人が自然と共存してこそ、環境保護の視点を忘れた環境保護論は、暴論。

そういえるかも。

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川と、どう向き合いますか。 ダムを考える その1

渓流って、日差しが強い春から夏にかけては涼しくって良いとこです。

 一年通して川辺の散策は季節を感じられて、私は好きですよ。

川は、流れて最終は海に行きます。

 ま、たいていの川はそうですね。

 外国に行くと、陸の中でとまって海に出ない川もあるそうですね。

その点、主な日本の川で海に出ないものはないですよね。

 関係ないかもしれないけど、あたしは元気が欲しい時は川にいきます。
 
 川の流れを近くで見たり、音を聞いたりしてね。
 
 精神の高ぶりを落ち着かせたり、逆に落ち込んだ気持ちをアップさせたり調整しに行くの。
 川は、偉大ですねえ。

 うちのとうちゃんは、毎週滝登りに行きます。
 気持ちが良くて、精神が「スコーン」と音を立てるそうな。

戦後日本の川は、ダムが作られ、コンクリートで護岸され、川砂が取られ、とさまざまにいじれられてきました。

 自然な川の近いとこ、良いですね。

 我が家の傍には、コンクリート護岸の川しかないです。

そしていま、これが一つの問題を引き起こしています。

砂浜の海岸が、やせてきたのです。

 ダムやコンクリート護岸って、治水のためと思ってた。

それが川を下る砂を減らして海岸を壊してきた疑いが、出てきたのです。

さらに厄介にしてるのは、港の整備や防波堤の存在です。

海岸に沿った砂の移動が、邪魔されてるのです。

 砂を移動させるための、あの手この手が打たれているでしょ。

そのためには長年にわたり膨大な出費となります。

エジプトでもナイルの上流に作られたダムは、国の近代化に大きく貢献しました。

しかし、ナイル河畔はやせ土と化し大量の肥料を消費するはめになりました。

 中国は、長江上流に三峡ダムを建設していますよね。

長江下流域の自然にどんな影響が及ぶか、注意が必要ですねえ。

水との共生と利用、古くて新しい課題なのです。

 治水のためにはダム建設が、海岸線の水害を防ぐには防波堤。
 けれど、どこかにひずみが出るわけですよね。

 自然との共生については、いろいろ考えさせられます。
 環境破壊につながりかねない、未来都市への進化は、水も木も土も空気も壊れていってます。

国土の有効利用で、都市部の人口密集は本当に必要なのか考える方が良いでしょうね。

 その一方で地方の過疎が進み、山や棚田があれ、国土が荒廃すれば、それはゆがみと言うほかないでしょ。

この上さらにグローバリゼーションに、無秩序無計画に巻き込まれていけば、国全体がゆがむってことですよ。

国際経済は、総力をあげた国際競争で、ある意味言葉は悪いけど総力戦と言えますよね。

余計な出費を抑えるには、自立的でメンテナンスフリーなシステムの活用、その一つとしての自然力の活用は不可欠です。

川を守り海岸線を守るには、そして環境を守るには、もう一度自然のサイクルとともに歩むことの経済効率を省みる勇気も求められるのでは。

そのための短期で見れば大きな出費も、長期に見れば充分元は取れるとわたしは見ますよ。

 神代の昔から文明は川沿いに栄えたし、文化も物資も川が運んだし、肥沃な大地も川が作ったのですよね。
 そもそも水がなければ地球に生命がなかったわけで。。。

 アイヌの言葉では暴れる川と暴れない川、飲める水と飲めない水、それぞれ名前があったと聞いたことがあります。

 水って、全ての根源のような気がするなぁ。
 やっぱり水が好き(笑)。

水循環の姿を、あまりにも見ないで水辺をいじりすぎてるでしょうね。

 山や森が、川を育てるのですよね。

森や山、漁業に影響があるってことで漁民が植林してたりします。

 水は・・・大好きですね。
 本当に。

 一ヶ月に一度は山に入って川の水に触れてこないと、狂いそうになりますから。

 都内に住んでいると尚更。

 わたしの親しんだ小さい川では、ほんの少し整備されました。

 土手はコンクリで固められ、小さな道も作られて・・・。

 でもそのせいでツクシが採れなくなったって、誰が知っていましょうか…?

知ってる人は、コンクリート護岸なんてこんなもん作ろうとしないでしょうね。

近自然工法ってのもあるけど、一時的に費用と時間がかかるのと多少広い面積がいるので行政はなかなか採用しようとはしたがらいようですねえ。

ただ、いったん出来てしまえば、メンテナンスフリーという長い目で見ればむしろ安く上がる工法なのです。

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