イスラエル・ユダヤ

猿田彦は塩の神様だったのでしょうか。

天孫降臨で、天照大御神が地上に遣わした人物の名ニニギノミコトも日本語としては意味をなさない名前だが、ニニギノミコトを案内した猿田彦も同じように日本語としては意味をなさない名前ではないでしょうか。

 

しかも、猿田彦は猿田彦神社の祭神とされるが、神社に伝わる猿田彦の顔は日本人としては異様なまでに鼻が高いのです。

 

日本語は時代を遡ると二重母音になるが、旧仮名遣いをみるとワ行母音に近かったと思われます。

 

そうなると、サルタヒコのサルタはソルトに近くなりはしないかと想像しました。

 

伊勢志摩は思った通り、塩の産地なようです。

 

時代をどこまでさかのぼれるのか、興味がそそられます。

 

猿田彦と塩の繋がりについて検索をかけたら、面白い情報が出ました。

 

日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも、見えると言うのです。

 

猿田彦を祭る神社の名前に、塩の付くものが結構あるのです。

 

塩釜神社、塩浜神社、塩屋神社、中之塩屋大神宮、など思った通りサルタ彦はソルト彦の転化である可能性が見えてきたのです。

 

猿田彦崇拝は、九州から伊勢志摩に製塩技術と共にもたらされたのかもしれません。

 

そう言えば熊野神社は、九州にもあります。

 

熊野と猿田彦と塩で調べていくと、何か面白いことが見えてくるかもしれません。

 

さらに、猿田彦の異様に高い鼻と、サルタがソルトの転化である可能性をみると、案内されたニニギノミコトも西方出身者であると考える方が自然でしょう。

 

ニニギは、一体何の転化である可能性がある名前なのでしょう。

 

どうも気になります。

 

何とかして、情報を集めてみたいものです。

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日本の皇室と古代エジプト。

興味深い情報がきました。

 

エジプトでは頭が○で下にある十字のアンク十字架があります。

これは正に人型ですね。

じつは皇室も儀式にアンク十字架を使っています。

エジプトの唯一神は太陽神日本の神様も太陽神ですから出エジプトから引き継いでいる物が有りそうです。

 

皇室も儀式にアンク十字架となると、面白いことに、吉村作治教授は神社の原型は古代エジプトのピラミッドコンプレックスではないかとの説を展開しています。

実際、日本の神社とよく似ているのは、古代エジプトや古代イスラエルの神殿です。

ことに賽銭箱は古代イスラエルの神殿と共通の要素です。神話大系は、古代エジプトと日本はよく似ています。

日本には古代中東、取り分け、古代イスラエルと共通の遺伝子があるという事です。

 

さらに言えば、コロンビア大学がマヤ、インカ、ネイティブ・アメリカン、イヌイット、アイヌ、琉球民族のDNAを調べたら皆んな一緒と判明し学会で発表しています。

そして、頭蓋骨に特徴があるインカ骨が共通です。

 

モルモン書には船出して行方不明な人たちがあるが、沖縄の文化や風習は聖書にそっくりなうえに、祖先ははるか東のニライカナイとのことです。

でもこの方角にあるのは、近年日本との関連が注目される南太平洋の島々、さらには、アメリカ大陸です。

そう言えば最近、アメリカ大陸最古の先住民として日本人が最有力候補だそうです。


ついでに言うと、沖縄の人たちにそっくりなアイヌの生活文物も古代イスラエルそっくりなうえに、アメリカ大陸でフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌのご親戚の骨も出ているそうです。

 

もっと言えば、沖縄やアイヌのご先祖様の縄文人は、アジアのどこにも親戚が見つかりません。

でも、アメリカ大陸にご親戚の骨。

面白すぎます。

 

シルクロードの始まりは中東、イスラエルで終わりが日本ですから。

江戸時代の来日した宣教師達が神社をみて日本は過去にキリスト教に感化されたとオランダやイギリスの本部に報告していますから。

日本書紀も古事記も三神が一週間で世界を作り上げていますね。

漢文を訳すと正に創世記の天地創造と同じです。

 

さらに言えば、日本の神々は元は太陽神の一神教であったと指摘する声もあります。

また、日章旗とアテン神の奇妙な類似も面白いですね。

天照大御神の岩戸隠れとイエスの十字架上の死と復活のエピソードの類似も、興味深いですよ。


またしても、日本と古代エジプト、繋がりが見えてきました。

皇室も儀式にアンク十字架、一体どんな儀式に使っているのか気になるところです。


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古代アメリカで日本人のご先祖様は何をしていたのでしょうね。

「紀元前のアメリカ」バリーフェル著喜多迅鷹・元子訳草思社刊

 

私はこの本にしょっぱなから強い衝撃を覚えたのです。

 

アメリカ大陸から、旧大陸のそれもヨーロッパや地中海世界の人達が石に残した碑文がいくつも見つかっているというのです。

 

 「碑文は、ヨーロッパおよび地中海沿岸のさまざまな言語で、今から二五〇〇年も前のアルファベットで記されており、そこから、古代の船の来航ばかりでなく、ケルト人、バスク人、リビア人、さらには、エジプト人までもが、永住の植民地を作っていたことがうかがえる。」

 

さらに本書の中にはこのような記述まであるのです。

「それは、ハロルド・スターリング・グラッドウィンで、その数多い著作の中で、くり返し、文化的様相や客観的資料、とくに陶器に注意を喚起し、アメリカ原住民は旧世界、とりわけ地中海やオリエントと比較的近年に接触を持っていたに違いないと主張した。彼が注目したさまざまな技術様式の特徴は、旧世界と南北アメリカ間に、約紀元前二千年前の古典時代まで、直接の航海がなされていたことを示すものであった。」

 

ハロルド・スターリング・グラッドウィンのこれらの主張は今アメリカで市民権を得つつあるようです。

 

ではなぜ私が衝撃を受けたのか。

 

ケネウイックで見つかった人骨に原因があります。

 

当初、イギリス人の骨発見で事件との関連が疑われたが、この骨はケルト人が多い地域のイギリス人の物と思われたのです。

ところがフランスとスペインの様式の矢じりが一緒に見つかり石器時代の人と判明、さらにアイヌの親戚の骨と判明したのです。

 

ケルト人の多いのはアイルランドだが、日本には家族性アイルランド熱の発症例があります。

フランスとスペインは地中海沿岸だが、これらの国は名前こそ発症例にはないものの、家族性地中海熱の発症例も日本にはあるのです。

 

フランスやスペインによく似た顔の日本人も、少なからずいます。

ある芸能人など、縄文人とフランス人それぞれにそっくりさんがいることが判明しました。

縄文人の顔を復元して書いた人も、まさかこんな展開になるとは予想していなかったことでしょうね。

 

縄文土器とよく似た土器が、南米のエクアドルにあるバルディビアで発見されたのです。

ところがこの土器にエジプトの方が似ているという、異論が出ているといいます。

バルディビアでは、日本の土偶とよく似たものまで見つかっているというのにです。

バルディビア出土の土器にエジプトと似ているという人は、日本の縄文土器を黙って見せたら同じ事言うのか、聞いてみたいものです。

 

エジプト研究者の吉村作治教授は、日本の神社の様式のルーツは古代エジプトのピラミッドコンプレックスにあると、指摘しているのです。

吉村作治教授は、熊本のトンカラリンとエジプトのピラミッドとの共通点もいくつか指摘しています。

 

バスク人についても面白いことがあります。

キップリングが送った長崎からの手紙に、不思議な内容があるのです。 

バスク人に似た青年のひく人力車に、乗ったというのです。

バスクと言えば石担ぎ競技が有名だが、日本でもかつて石を担いで力比べしたことを記念する石はあちこちの神社に見つかります。

 

本書からあげた中で、今のところ日本で見つかっていないのは、リビアくらいのものです。

 

日本人の骨は、アメリカ大陸で言えば、メキシコからも見つかっているそうです。

 

最近の展開としては、アメリカ大陸最古級の住民は日本人だったのかもしれないとなっているそうです。

 

ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、これらの人々はアメリカ大陸の奥地まで進出していることがわかってきました。

 

古代アメリカで、日本人のご親戚たちは、ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、と言った人たちと、どんなお付き合いしていたのか、滅茶苦茶気になるところです。

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預言者について考えてみた。

神は常に、人の力ではなし得ない業を世に表し続けられました。

 

 

モーセ、アブラハム、イサク、ヤコブ、イエス。

 

ここまではほとんどのキリスト教の教会が認めるでしょう。

 

 

私は、敢えてここに、ムハンマド、更には、ジャンヌダルクも付け加えて考えたいのです。

 

 

それだけではないと言う声も、あるいはあるでしょうが。

 

 

ジャンヌダルクがあれだけの力を出し得たのは、神の後ろ盾以外あるでしょうか。

 

 

神は、ありとあらゆる場面を用いて自らの力を示されます。

 

 

ジャンヌダルクをイングランドは異端として退けたが、ジャンヌダルクを認めてしまうなら、イングランドは神の力を見ながら神の御前にへりくだり、全てを神の采配に委ねないとならなくなるでしょう。

 

ジャンヌダルクはフランス王を戴冠させることで神の力を示すため、神に召された女性だったのでしょうか。

 

 

もしジャンヌダルクが神に召されていたならば、人々を裁くために地上で神の采配が振るわれるときに、その場で采配を振るうために神の代理に召されるのはいったい誰か。

 

神の采配のために召されるのがたとえ誰であっても、神の采配を振るうために神に召された彼らは果たして周囲の人々に受け入れられたか。

 

ジャンヌダルクを処刑した人々は、現世の秩序維持を最優先させるため、処刑を実行したのではないか。

 

その意味では、ジャンヌダルクの死は、イエスの死のリフレィンだった。

 

 

私は、そんな気がしてなりません。

 

 

ジャンヌダルクは、あの段階で死んだが、あるいはそれは神の慈悲だったかも知れません。

当時の情勢から見て、ジャンヌダルクは、政争に巻き込まれ、遅かれ早かれ、命を落とすことになったでしょうから。

 

そして、死後も彼女の評価は、政争の具にされてしまったことでしょう。

 

あの段階で死ぬことで、彼女は純粋なままでいられたのかも知れません。

 

 国王の戴冠の時点でジャンヌダルクの役割は終わっていたにもかかわらず、勝利の女神として期待されてパリの奪還にまで駆り出されたが、神はジャンヌダルクがこれ以上政争に巻き込まれてしまわないために、身元に召してしまった。

 

そう思いたくなるような、タイミングですね。

 

世の多くのキリスト教の教会は、ムハンマドが神の力を借りられたからこそ、大きな力を発揮出来たことを認めたくないでしょう。

 

ムハンマドは、ユダヤ教やキリスト教に原点回帰を求める神のメッセージを伝え、神の力を借りて多くの困難な戦いに勝利しました。

 

 ムハンマドは戦いに勝利しただけでなく、人々を治める上でも神の導きによって多くのことを成し遂げていますね。

ここでは、それにいちいち触れることはしないけど、神の助けがないとまず無理と言えることを、数々行っているようです。

 

ユダヤ教やキリスト教にとって、ムハンマドの原点回帰の呼びかけを認めることは、自分たちの堕落を認めてしまうだけでなく、聖書の時代を超えて神がこの世に預言者を召されることを認めることになるでしょう。

 

 ムハンマドの原点回帰の呼びかけが正当性を満たすためには、それが神の召しに基づく言葉である必要がありますからね。

しかも、イサク、ヤコブの系譜以外からさえも、預言者は召されるかも知れないこともムハンマドを認めるなら受け入れることになるでしょう。

 

 ムハンマドはアブラハムの子孫ではあっても、イサク・ヤコブの系譜ではないですからね。

 

ムハンマドを預言者として評価することは、預言者にはどういう人達が召されるかという問題を、突き付けてくるでしょう。

 

 どういう系譜の人達であっても、神はふさわしいと思われる人達を、預言者に召されるかもしれないということですね。

 

残念ながら、聖人までは受け入れられるが、聖人とされた彼らは預言者として評価されることはないでしょう。

 

だが、聖人として評価された多くの人たちが、もしも人の力だけでなし得ないことをなし得たなら、そこには神の力を認めないわけにいかないでしょう。

 

そして、その延長線上に預言者はいます。

 

だが今、この世の多くの教会には預言者がいません。

 

とは言え預言者は、なりたいからと言ってなれません。

 

 仮に、自らを預言者と名乗ったり、私たちの組織には預言者がいると言ってみても、常に正しい判断に基づく行動や発言をしなければいけないと言う重責がのしかかっていますからね。

 

預言者と名乗ったり呼ばれたりしている人達は、その重責に常に耐えられる人でないと務まりません。

 

 軽々しく、名乗ったりできない立場が、預言者なのですね。

祈ることによって、神から支えられることになるでしょう。

しかし、一年中、しかも、24時間、祈りを忘れない人でない限り、精神的に耐えられることは無理でしょう。

 だから、預言者を名乗ったり預言者と呼ばれたりしている人がいる組織は、非常に少ないわけですね。

神からの御霊によって支え続けられないと、まず、耐えられないでしょう。

 

預言者は、基本的には、神に認められ、神に召されないとなれないのです。

 

しかも、それは神から一方的になされるのです。

当然、そのような預言者が召されている教会はそう多くないはずです。

 

大半の教会は、人の力で作られ、人の力で運営されています。

 

祈りによって導きを求めてはいるでしょう。

 

だが、それをどう生かすかは最終的には人の選択と判断によるのです。

 果たして、今の時代にも預言者はいるのか。

 

 いるとするならば、それは何処なのか。

 

 逆にいないなら、どうしたら神は預言者をあたえてくださるのか。

 

 

その問いに答えてくれている聖句があります。

 

ヤコブの手紙 1 5

 

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

 

この聖句が、私たちの答えを得る手掛かりを与えてくれるのかも知れません。

 

私たちにだって、歴史上の人物たちほどではないにしても、自分の力を超えることを神は可能にして下さるかもしれないですからね。

 

 

聖書にはこうあります。

 

マタイによる福音書 778

 

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 

 

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

答えを、諦めないで求めてみましょう。

 

どんな答えが来るか、それは一人一人の求め方次第でしょうけど。

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天皇はスメルの王位継承者か。

シュメールは、現在のイラクやクウェートのあたりのメソポタミア南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古の都市文明です

初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えました。

 

シュメールはスメルとも読まれるというか、スメルと呼ぶ方が正しいとする説もあります。

 

ここでは、スメルの方を基本的に用いて議論を進めたいです。

 

日本とスメルの共通点を指摘している人たちがいるのです。

彼らの言い分をまとめてみることにします。

 

スメル語も日本語も膠着語と言う特徴を持つ。

膠着語は、言語の形態論上の分類のひとつ。

膠着語に分類される言語は、ある単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す特徴を持つ。

膠着語に分類される言語は、トルコ語、ウイグル語、ウズベク語、カザフ語等のテュルク諸語、モンゴル諸語、満州語等のツングース諸語、日本語、朝鮮語や、フィンランド語、ハンガリー語等のウラル語族、タミル語等のドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語派、エラム語、シュメール語などがある。

ちなみにエスキモー・アリュート語族、マヤ語族なども膠着語的だが、文全体が膠着するなど膠着の長さが極端なので、抱合語、正確には複統合的言語とすることが多い。

膠着語は、当時スメル周辺住民の言語にはないと見られている。

 

スメル語も日本語も、表記法が似ている。

つまり、母音も子音も表記するばかりか漢字かな交じり文のような構造を、スメル語も日本語も共有している。

これはマヤ文字も同様なあたりが興味深いですね

 

スメルは突然高度な文明を持って、登場したのでしょうか。

先行するウバイド文明との関係を、指摘する声もあるのです。

世界最古の印章は、紀元前7000年くらいです。

ウバイド文明は、紀元前5000年くらいです。

スメルは、紀元前3500年ごろ突如として現れ紀元前2000年ごろ突然姿を消すのです。

 

ここで興味深いのは、聖書学的にはノアの洪水が紀元前4000年頃であることです。

バベルの塔で散った後、セムの人たちがスメルを建国したと見れば年代的にはつじつまは合うのです。

 

高度な文明を築き上げたスメルの民であったが、背教と高慢の罪で神から亡ぼされる前に預言者アブラハムと彼の一族がロトの一族とともにウルを出たのかもしれないです。

その時期はおそらく、紀元前2000年ごろであろうと想定してみます。

 

スメルの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もある、これ日本で言えばまさに縄文人の特徴です。

 

だが、その一方でセム的とも言い難い容貌の像もまたあると言うが、通商などで友好関係にある地の女性を娶ることもあり得たなら、非セム的な容貌の人たちがいてもおかしくはないでしょう。

聖書にも、共に住む地の人々の娘を娶ったり、あるいは彼らに娘を嫁がせることはしばしばあったことを証言すると思われる記述があるのです。

 

スメルの時代にも、同じようなことは当然のことのように一般的にほとんどの部族や民族の間で行われていたと思われるのです。

 

だが、聖書の民イスラエルは異教徒とどんなに交易などの交流はしても婚姻関係をもって異教の風習が入り込む事態は避けるよう神から命じられていました。

 

もし、スメルの民もまた、イスラエルの民のように異教徒との婚姻を禁じられていたとしたらどうでしょうか。

 

にもかかわらず、スメルの民は異教徒と婚姻関係を持っていたとしたらどうでしょうか。

 

そのことがついに神の怒りをかって、スメルの国が滅ぼされたのだとしたらどうでしょうか。

 

スメルの文明はかなり高度であったことが知られているのです。

神の祝福によって高度文明を得られていたスメルの民が、高慢の罪や異教徒との婚姻で異教の風習に染まっていってしまい、神の怒りをかって亡ぼされ、長い間歴史から存在が消されていたとしたらどうでしょうか。

 

アブラハムの子や孫の名前を見てみると、奇妙なことに気が付くのです。

 

イシュマエル、イサク、ヤコブ、イスラエル。

 

少なくとも、イシュマエル、イサク、イスラエルの名は、スメルの転化であるように思えるのです。

 

スメルはシュメールとも読まれます。

シュメールは、容易にイシュマエルやイスラエルに転化し得るし、イサクはコーランではイスハークなので案外これもまたシュメールに転化出来そうです。

アブラハムさえもコーランではイブラーヒームだが、これさえももし当時発音のあいまいな二重母音であった可能性を考えると、イシュマエルやイスラエルに転化しえないとは言いきれない気はするのです。

ヤコブが改名させられたのも、スメルの転化音で名前を揃えて、スメルの継承者である事を明らかにするためだったのかもしれないです。

 

そうみると、天皇がかつて、「スメ」「スメラ」と何故呼ばれる必要があったかの謎も解けるかもしれません。

 

天皇を指す古語、「スメ」「スメラ」とスメル語の「スメ」「スメル」はともに「神」を指すというのです。

そして、「スメラギ」は「スメル」の複数形だというのです。

 

「ミコト」「ミカド」もまた、「天降る開拓者」を意味するスメルの「ミグド」の転化であるらしいです。

 

十六八重菊花紋とそっくりな古代スメルの王家の紋章がある謎も、解けるかもしれません。

 

故フセインは腕輪の紋章についてヨーロッパの記者から日本の皇室との関係を聞かれた時「もっと古代ンメソポタミアのことを勉強して欲しいですね。この紋章は、世界最古の文明を築いた私達の祖先、シュメール王朝時代の王族の紋章ですよ」と応えていたと言います。

 

天皇はずばり、スメルの王家の継承者なのである、そう言って良いでしょうか。

 

日本の三種の神器とスメルやバビロニアの三種の神器を比較してみようと思います。

 

草薙剣に対して武神のシンボルの剣、八咫鏡に対して日像鏡、八尺瓊勾玉に対して月像の首飾り、と見事に対応して見えるのです。

 

スメルと日本の神話にも、興味深い類似が見られるのです。

 

日本には、八つの首の八岐大蛇退治と草薙の剣の神話があるのです。

スメルにも、七つの首の龍の退治と剣の神話があるのです。

モチーフがあまりにも似ているのです。

 

日本はかつて、豊葦原瑞穂中国と自らをよんでいました。

スメルは自らの国を「キエンギ」と呼んでいたが、「葦の主の国」という意味があるそうです。

「葦の国」と日本もスメルも共に名乗っていたことになります。

他の類似を思えば、偶然ではすまされないだろうと思います。

 

建国神話にも、類似が見られるのです。

 

日本は、天孫降臨、すなわち天から来た神々が日本列島を作り下りたって日本を建国と語り継いでいる。

 

スメルはと言えば、ニビルと言う星から来たアナンヌキという人達が人類を作り地球に文明を興したと記している。

 

細かいところはともかく、構図は似ているのではないでしょうか。

 

日本にもペトログリフが、岩に刻まれた絵や文字の事だが、見つかっているといいます。

99%はスメルの文字であるらしいです。

写真をヨーロッパの研究者に見せると第一印象は、ヨーロッパのどこだ、だそうだが日本と言うと一様に驚きの声を上げると言うのです。

それくらい、日本で見つかるペトログリフはヨーロッパのものと似ているということなのでしょうか。

 

アメリカのケネウイックからはアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているのです。

つまり、アイヌのご先祖にヨーロッパ在住の時代があったと言う事になるでしょう。

アイヌのご先祖が縄文人とされるが、沖縄の人たちも縄文人の血を強く受け継いでいるのです。

そして、アイヌと沖縄はともに古代イスラエルの文化を引き継いでいることがわかっているのです。

 

もし、イスラエルの名がスメルの転化であるとしたら、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者となるだろう。

 

日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字と言う事実と、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者の可能性を重ねると、縄文人もまたスメル文化の継承者と見るべきとなるかもしれません。

 

スメル人と縄文人の容貌の類似が見られ、日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字となれば、天皇がスメルの王位継承者であってもおかしくはないし、むしろ自然とさえ思えてくるのです。

 

さらに情報を求める検証していきたいです。

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古代エジプトの縄文人?

秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山は、「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされます。
 
この黒又山に、ピラミッドだという説があるのです。
レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明したのです。
ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されています。
このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があったのです。
また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっています。
エジプトの三大ピラミッドは化粧石で覆われていたが、黒又山は礫で覆われていたことになります。
三大ピラミッドも黒又山も、かつて、陽の光を浴びて光っていたことでしょう。

縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡、二つの縄文遺跡と黒又山を結ぶと、82キロの緯線を底辺とする巨大な二等辺三角形が出来上がります。
そして、黒又山自体にも縄文人の儀式の痕跡が見つかります。

これは、縄文人の文化にピラミッドに代表される古代エジプトと似通った要素がある可能性をほのめかしていることになりはしないでしょうか。

アイヌの生活文物に古代イスラエルのものとの類似が指摘されるが、イスラエルの民はエジプトにいたことを思えば、祖先とされる縄文人の土器にもエジプトの影響が見つからないとおかしいとなります。

そして、南米エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというが、これに対して古代エジプトの土器の方こそ似ていると言っている学者たちもいると言います。
土器の模様は九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていると指摘されるにも拘らず、むしろ古代エジプトの方が似ていると異論が出ているのです。
西日本の縄文土器に、古代エジプトの土器と似た文様が見つかると言われているに等しい展開だが、そうなると面白い遺跡が熊本にあります。
トンカラリンです。
古代エジプトの研究者吉村作治教授は、トンカラリンの内部構造に込められた思想はまさにギザの大ピラミッドとそっくりと主張します。

日本人には家族性地中海熱の発症が見られるが、本来ならば地中海沿岸の民族の遺伝病のはずです。
家族性地中海熱は地中海沿岸域の人々や、中近東のユダヤ人、トルコ人・アルメニア人に多い疾患と言われています。
日本人には地中海沿岸やトルコの人たちと似た顔が見つかるし、古代イスラエルの生活文物とアイヌの生活文物は似ています。
沖縄の文化や伝承にいたっては、聖書とあまりにも似たものがいっぱいあるのです。
ヤップ遺伝子などは、古代イスラエルと日本くらいしか見つからないとさえ言われているのです。

そして、イスラエルの民は長年にわたってエジプトで暮らしていたわけです。

日本人の足も大半はエジプトタイプだし、日本人とエジプト人は味の好みも近いそうです。
動物を含む太陽神を中心とした八百万の神々が三神構造の構図で祀られていることなども、共通しています。
二本の柱を通って拝殿から本殿にいたる神社の構造は、古代エジプトの神殿に似ているのです。
吉村作治教授などは、スフインクスこそは狛犬のルーツであり、ピラミッドコンプレックス(ピラミッド複合体)こそは神社の原型だとしているのです。

そう言えば、古い時代の神社は山の前に拝殿があったです。
問題はエジプトと日本を繋ぐルートです。

南米エクアドルからはエジプトと縄文、両方に似た土器が出ています。
日本先住民縄文人とアメリカ先住民が親戚であることは、遺伝子も証明済みです。
アメリカの最古級の先住民にさえも、日本人の可能性が指摘される展開になっているのです。
さらに、アメリカのケネウイックからはフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌの親戚の骨が出ているのです。

フランスとスペインの様式の矢じり、家族性地中海熱、これらは日本人の祖先が中東から地中海沿岸を経てアメリカを横切って海を渡ってやってきたというルートの存在を示していないでしょうか。

南太平洋の島々もまた、近年、日本人の祖先がたどったルートとして注目されているのです。

しかも沖縄には、遥か東のニライカナイが祖先が来た方向という伝承があるのです。

さらに天皇の紋章は、古代スメルの王族の紋章そのものずばりなのです。

アフリカの人たちも、アフリカ的と思っていた名前が日本にもあると驚いたことがあるし、アフリカにも日本の小鼓と、形も演奏の仕方もそっくりなものがあるのです。
 
アフリカと日本の繋がりも、情報を集める必要がありそうです。

日本人の祖先にまつわる謎は、まだまだ多いです。

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アイヌのご先祖はヨーロッパで住んでいた?

縄文人の親戚をアジアで探すことは困難を極めているのです。

アジアのどこにもいない人たちを見つけてしまった、これが縄文人の遺伝子を調べた人たちの率直な感想だと言います。

 

様々なルートで日本に来た人たちが日本でミックスされて生まれたのが縄文人、そうとしか言いようがないと言います。

 

そうであるなら、もっと広く視野を広げる必要があります。

 

日本人のルーツをたどってみると、実はヨーロッパからアメリカ経由というとんでもないルートが浮かび上がってきました。

アメリカのケネウイックからフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌのご親戚の骨が出ているのです。

なんとアイヌのご先祖は地中海世界で暮らしていた可能性があるのです。

 

日本人のルーツをたどるとアジアとヨーロッパに人種や民族の別れる以前にまでさかのぼる可能性が見えてきます。

日本人、特に縄文人の遺伝子はとてもヨーロッパに近いのです。

遺伝病も日本人にはヨーロッパと共通なものが複数ありますよ。

家族性地中海熱、家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病などヨーロッパの遺伝性疾患が確認される日本はアジアにおけるヨーロッパの飛び地的存在と言えます。

 

中でも、家族性地中海熱のアジアにおける発症例の飛び地である日本の遺伝子の特殊性はもっと注目されて良いはずです。

公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センター

「家族性地中海熱」

この病気はどのような人に多いのですか

この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東(ユダヤ人、トルコ人・アルメニア人)に多い疾患ですが、日本でも患者さんがいることがわかっています。

http://www.nanbyou.or.jp/entry/4447

 

この中でも、どうしても注目が集まってしまうのがユダヤとの関係です。

例を上げましょう。

 

日本語とヘブライ語の共通点 http://sekainoura.net/nihon-kyoutu.html

 

神言語ヘブライ語と日本語の共通点多すぎ!!日本人のルーツは“失われたイスラエル10支族”ユダヤ人なのか!?籠目文、鳥居、君が代、共通点他にも多数… | http://xanadu.xyz/post-623/

 

縄文人とのつながりの強さが指摘されるアイヌや沖縄の人々の文化と、古代イスラエルのつながりの強さがしばしば挙げられることと重ねれば、日本語とヘブル語の繋がりを言う人たちを笑う事は控えることが適切な対応でしょう。

 

さらに、アメリカには気になる遺跡があるのです。

アメリカ先住民に失われたイスラエルの十支族末裔説が出ていたことと合わせて見ると、笑ってばかりもいられない気持ちになるのです。

Cahokia as “a North American Jerusalem,”カホキアは「北米のエルサレム」https://www.jw.org/en/publications/magazines/g20030308/The-Mystery-of-Cahokia/

この譬えとアメリカ先住民十支族末裔説を重ね、アメリカ先住民と日本先住民が親戚と言う事実と突き合わせると日本先住民は十支族のご親戚となってしまうのです。

日ユ同祖論なんてもんじゃないです。

縄文人の正体は、古代イスラエルの十支族なのかと言う可能性があることになります。

 

日本語とヘブル語の類似、日本にある古代中東の遺伝子、特にヤップ遺伝子と古代イスラエルの繋がりを見れば、無視できない可能性なのです。

 

さらに衝撃的としか言いようのないのが、古代イスラエルのヤコブの子孫がアメリカ先住民となったと主張するモルモン書です。

何度も船出して行方不明になった人たちがいると記しているのです。

 

聖書とあまりにそっくりな伝承や文化を持っている沖縄の人たちは、遥か東のニライカナイが故郷の地だと言います。

 

沖縄の遥か東、そこにある大陸は、日本先住民縄文人のご親戚の土地であるアメリカなのです。

 

時代が違いすぎると言う声が出るのは承知です。

 

だがもっともっと衝撃的なのは4000年前とされるノアの洪水を前提として議論を組み立てれば全てつじつまがあってしまう事なのです。

 

そしてアイヌのご先祖がヨーロッパの人たちのご先祖でもあるクロマニョン人と、ご近所さんだったかもしれないのです。

 

日本がヨーロッパの遺伝病のアジアの飛び地、この背景には何があるのかもっと調べた方がよさそうです。

なにしろ、日本人の先祖が古代イスラエルの支族の血をヨーロッパでばら撒いた原因の一つかもしれないと言う疑いが、かかっていますからね。

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古代アメリカのイスラエル人は日本人のご親戚?

アメリカ先住民に十支族末裔説が出ていたことを、どれだけの人が知っているでしょうか。

南北アメリカの歴史に、よほどの興味を持って調べた人でなければ、まず知らない人の方が多いだろうと思います。

 

アメリカ先住民と日本先住民は親戚にあたると長年言われてきたが、近年、遺伝子によってもそれが裏付けられているのです。

それどころじゃないですよ。

アメリカの最古級の先住民に、日本人説が急浮上してきていると言うのです。

 

そのアメリカ先住民に、トンデモ扱いされているとはいえ、十支族末裔説が出されたことがあったのだから穏やかじゃないですね

 

アイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が指摘され、沖縄の文化や伝承に聖書との類似が指摘され、彼らと日本先住民である縄文人との近縁が指摘されています。

 

その縄文人のご親戚に十支族末裔説が出ていたのですよ。

 

なにしろ、遺伝病までもが、日本人とユダヤ人は無縁じゃないと証言しているわけです。

日本人とユダヤ人の関係はたんなる親戚なんて生易しいものじゃないことは、明らかでしょう。

公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センター

「家族性地中海熱」

この病気はどのような人に多いのですか

この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東(ユダヤ人、トルコ人・アルメニア人)に多い疾患ですが、日本でも患者さんがいることがわかっています。

 

言語でも、日本語とヘブライ語には多くの共通語彙があると言う指摘もあるのです。

その一部を紹介します。

神言語ヘブライ語と日本語の共通点多すぎ!!日本人のルーツは“失われたイスラエル10支族”ユダヤ人なのか!?籠目文、鳥居、君が代、共通点他にも多数… |

ヘブライ語対照表 | 日本とユダヤのハーモニー

日本語とヘブライ語の共通点

 

古代イスラエル人がどのようにして日本に来たかの一考察も紹介します。

全てに同意できるわけではないが、よく調べられていることには敬意を表したいです。

古代イスラエル系民族の日本列島への移動について

アイヌと縄文人、琉球人と縄文人、程度の差こそあれ極めて近い位置にある人々であることはよく知られています。

そのアイヌにこういう考察があることは、縄文人が何者であったかを考えるうえで興味深いです。

淡路島に残るイスラエルの足跡 
アイヌ人は言語的にいってイスラエル人に通ずると言う指摘は、縄文人はイスラエルに言語的に通じていると言っているのとどこが違うのでしょう。

 

アイヌはコーカソイドによく似ていることを思えば、エジプトから来たハガルの血を引くアラブの系統ではないと考える方が自然と思うのですが。

アイヌ民族はユダヤ人?それともアラブ人?日本人に存在する地中海沿岸の DNA

 

アイヌの生活文物は古代イスラエルのものに似ているが、沖縄の文化や伝承も聖書にあまりにも似すぎているのです。

彼らと日本先住民縄文人との近縁なことは有名です。

その縄文人のご親戚アメリカ先住民に十支族末裔説があり、古代アメリカのカホキア遺跡が北米のエルサレムと例えられているのです。

調べてみればわかる事だから、自分で調べて見てください。

 

アメリカ先住民の十支族末裔説はトンデモ説と一笑に付されるが、ならばこの譬えはどうなのだと言う気になるのです。

単なる偶然でしょうか。

 

The Mystery of Cahokia

Cahokia as “a North American Jerusalem,”カホキアは「北米のエルサレム」

この譬えとアメリカ先住民十支族末裔説を重ね、アメリカ先住民と日本先住民が親戚と言う事実と突き合わせると日本先住民は十支族のご親戚となってしまうではないでしょうか。

日ユ同祖論なんてもんじゃないでしょう。

 

モルモン書は、古代イスラエルの民がアメリカ先住民となったと言っているのです。

翻訳したとされるジョセフスミスには、古代アメリカや古代イスラエルの知識はほとんどないです。

古代イスラエルについて知ってるのは聖書に書いてある範囲なはずです。

ところが彼の翻訳の原書となった金版には複数の証言者がいるし、翻訳についても当時の学者の証言があると言うのです。

文学上の学識があること広く知れているチャールズ・アンソン教授は、この翻訳正確あり、エジプト語から翻訳されたものこれほど正確な見たことない述べたと言います。

 まだ翻訳されていないもの​についてもそれらエジプト語、カルデア語、アッシリア語、およびアラビア語で、それらほんとう文字ある指摘。そして、それら本当文字であることと、それから翻訳されたもの翻訳正確であることを証明したとのことです。

ちなみにミッチェル教授もアンソン教授の指摘に同意したと言うのです。

(末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史書からの抜粋による。)

 

モルモン書を訳したとされるジョセフスミスはもちろん、アメリカ先住民に対して失われた十支族の末裔説があることなど知ってはいないでしょう。

アメリカ先住民十支族末裔説を出した人物も、当然ながらモルモン書のことなど知らないはずです。

カホキアは「北米のエルサレム」と言った人物はおそらく、とんでも扱いされているアメリカ先住民十支族末裔説のことなど聞いたこともないでしょう。

 

つまり、お互いが知る由もない人達が、古代アメリカにイスラエルを見たことになるでしょう。

これを偶然と笑って良いのでしょうか。

どっちに転んでも、遺伝子でも確かめられているように、アメリカ先住民は日本先住民のご親戚なのです。

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日本の食文化の起源はどこ?

知り合いの人達が近くまで来たのでと言って、夕食を一緒に食べないかと誘ってきました。

 

そこで行きつけの店に行ったのです。

 

定食のセットで夕食となったのだがご飯と主菜に味噌汁と漬物の組み合わせに、話は思いがけない方向に進んだのです。

 

ブレッドとメインディッシュにスープとピクルスに差し替えれば洋食のセットになってなってしまう、と言うと外国人の方は、確かにと頷きました。

 

そこから話はさらに食文化の比較になったのです。

 

丼はご飯におかずが乗るがご飯をブレッドに変えればオープンサンドになると、彼らは面白がったのです。

 

ピザとお好み焼きも作り方に違いはあるが、やっていることは似ています。

 

トッピングは、ピザは削ったチーズだが、お好み焼きはかつお節、ところがかつお節もまた発酵食品です。

 

豆腐をスライスしてフライした油揚げは皮に食感が似ている、厚揚げはさしずめ皮つき肉と言うところでしょうか。

 

これ以外にも日本の食卓に並ぶ料理には、洋食と見た目は違ってもやっていることは案外近いものが意外とあるのです。

 

地中海沿岸には日本人好みの料理が結構あるらしいが、日本には家族性地中海熱のようにヨーロッパと共有な遺伝病は複数あり、しかもアジアでの飛び地であることは興味をそそります。

 

アメリカではアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているが、アイヌは日本の先住民である縄文人の子孫と見られています。

アイヌは沖縄の人たちとよく似ているが、沖縄の文化や風習には聖書と似たものが多くあると沖縄の人達自身も面白がっているのです。

その沖縄に、先祖は東のニライカナイから来たという言い伝えを持っています。

東には南太平洋の島々があり、その先はアメリカ大陸です。

アイヌの人々の生活文物もまた、古代イスラエルと似ていると言う指摘があるのです。

日本とアメリカ大陸の先住民は親戚と以前から言われてきたが、遺伝子でも確かめられてきました。

ところが、アメリカではアメリカの先住民は古代イスラエルの民の一部が渡った人達と主張し、何度も船出して最後に行方不明になった人たちの記録があるのです。

 

これは、偶然でしょうか。

 

日本に来たユダヤ人は、日本の正月の風習に興味を持つのです。

日本人も過ぎ越しの祭りをするのかと気になるわけです。

鏡餅は彼らの供える種入れぬパンを積み重ねる風習と似ていると面白がっています。

七日間という長さや、餅や七草のような食べているものの類似、ともに神を迎える行事であることです。

 

日本の神社と似ているのは、古代イスラエルや古代エジプトの神殿であるのです。

特に日本古来の山岳信仰と古代エジプトのピラミッドコンプレックスつまりピラミッド複合体を対比して、ピラミッドを御神体とする拝殿とその前に配されるスフインクスが山をご神体として拝殿や狛犬が配される神社の古い形の原型と吉村作治教授は指摘しています。

 

アメリカ大陸を船出した人々がヨーロッパやアフリカに行っていれば、彼らは記録や伝承に残しているはずだが、残っている話は聞いたことがないです。

一方、沖縄にはニライカナイと言う東方の地を祖先が旅立った場所と語る伝承があるのです。

 

そして、日本には古代中東の遺伝子があるのです。

 

日本は、中東で発生した人類が東回りと西回りで進んできて再び合流した土地としかかんがえられないです。

何しろ、シベリアにもアイヌの親戚がいるし、シベリアのバイカル湖畔に住むブリヤート人には秋田美人にそっくりな人達が多くいます。

こんな風に、日本には世界各地の人たちと似た顔があるのです。

言い換えれば、世界各地に日本人と似た顔の人が住んでいるのです。

中東が人々の発祥の地と見られているが、東回りと西回りで移動して来た人達は世界各地に人を散らばしながら、日本にやって来たと見る方が自然でしょう。

 

歴史学者とクリスチャンの違いは、それを一万年単位の昔と見るか、ノアの箱舟の後のバベルの塔の頃と見るかの差です。

アブラハムやイサクやヤコブの子孫が日本に来ている可能性がありと見るかどうかの差も、面白いです。

 

彼らは、そうだよね、確かにそうだと、頷きながら聞いてくれました。

私が一方的に話過ぎたことを詫びると、面白い話をきけて楽しかったと言って、にこやかに握手の手を差し出してくれました。

 

私も笑顔で握り返してその晩の久々の語らいは終わりました。

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ロシアとイエスと?

イエス様は復活されたあとにロシアを訪れたのでしょうか?

 

おそらく多くの人たちが、聞けば耳を、見れば目を、疑うであろうこの言葉は、モルモン教jpというサイトにある記事のタイトルです。

 

わたしは目の前の「それ」をじっと見つめていました。そしてようやく「ありがとう。」とつぶやくので精いっぱいでした。誇らしげにわたしの面前に立っているロシア正教祭司に対して贈り物をくれたことへの感謝の気持ちを思うように伝えることができませんでした。19925月、やや大柄なこのロシア正教の司祭はロシアでのバプテスマ1,000周年を記念するレコード盤を贈り物としてくれました。

 

文章はこういう書き出しで始まります。

 

問題はこのレコード盤の表紙にありました。

 

そのレコーダ版の表紙の絵は、ロシア正教の画家、ミハイル・ネステロフが1,900年ごろ描いた『聖なるルーシ』で、レニングラード、今のサンクトペテルブルクのロシア画廊に現在展示されているといいます。

 

 「それは何を描写しているのですか?」

 「わたしたちの救い主が古きロシア、またはルーシを訪れているところです。」…「わたしたち誰もがその話を知っていますよ。」

由来を尋ねると、古代ロシア昔話、イエスが復活後にロシア人を訪れた物語を描いていることを教えてくれたといいます。

 

 「彼の後ろにいる光輪の訪問客はどなたですか?」

  祭司は微笑んで、イゴールの通訳を介して「ネステロフは愚か者ではありませんでした。彼は当時の教会の3人の指導者であったペテロ、ヤコブ、ヨハネが立っている様子を描きました。」

 

著者はメトロポール・ピティリムと呼ばれるロシア正教会の最高権威者、及び教会管理評議会議長である人物にも、この絵について尋ねています。

 

 昼食をすませ、本部のツアーが終わったあとに、わたしは彼にキリストが古代スラブ人を訪れている様子を描いた絵画を知っているか、と尋ねました。彼は知っていると答え、それは特別なレコード盤の表紙に使われており、原画は教会所有の書庫に保管されていることを教えてくれました。私は彼に画家がどこからその場面の構想を得たのかを尋ねました。

 彼は厳かにこのように語りました。「その絵はキリストが死後スラブ人、つまりロシア人の先祖を訪れて福音を伝えたという古代昔話に影響を受けています。キリストに耳を傾けたのは農場や田舎にすむ謙遜で身分の低い人たちです。彼らはキリストの名を受けました。その名はキリル文字ではなくわたしたちの文字ではクリスチャニィと音声表記されます。ロシア語で農民のことをクリスチャニィと呼びます。キリストを信じるものは主の名をその身に受けました。」

 

他の正教会祭司たちからも同じ物語を聞いたというから、ロシアではよく知られた話なのでしょう。

 

著者はメトロポール・ピティリムにキリストが実際に現在のロシアとウクライナの地を訪れたことを信じているか尋ると、こう答えたそうです。

「その可能性は大いにあります。しかしおそらく使徒アンドレが現在のロシアを最終伝道の時に訪れたのではないでしょうか。しかし、絵画のなかに描かれたとおりかもしれませんね。」

 

ようは、昔話の通りかもしれないが、使徒アンドレの話が元になっているのかもしれない、本当のところはよくわからないというのが本音なのですね。

 

アンドレはアンデレとも呼ばれる12使徒のひとりで、小アジアとスキタイで伝道し、黒海に沿ってヴォルガ川まで行ったと伝えられています。そのため、アンデレはルーマニアとロシアの守護聖人になりました。

伝説上ではアンデレはビザンティウムの最初の司教であり、そのため正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁は初代総主教をアンデレとしています。

 

アンドレの布教がいつの間にか、イエスが訪れた話になったと考えるには、現地の人々には記憶が生々しくて無理がある気がします。

 

だが、12使徒のひとりとなると、気になることがあります。

 

何しろイエスは、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな」と前置きしてこう言っています。

 

マタイによる福音 106

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

 

アンデレも12使徒のひとりである以上、その布教先はイエスの指示通りでないといけないはずですよね。

 

となると、これらの地域はイスラエルの家の失われた羊が確かにそこにいると言えないといけないはずです。

 

さらに言えば、昔話通りキリストが訪れたとしたら、どうでしょう。

 

マタイによる福音書 15 24

するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

 

アンドレであろうとイエスであろうと、イスラエルの家の失われた羊以外の者にはいかないと聖書にはあります。

 

スラブ民族はなおのこと、イスラエルの家の失われた羊の可能性が高くなってしまうではないでしょうか。

 

これらの聖句も、同じことを場面に応じて言い換えていると見るべきでしょう。

 

ヨハネによる福音書 10 16

わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 

ルカによる福音書 19910

イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

 

なぜ私が、ロシア人、実際には祖先であるスラブ人のもとをイエスが訪れたという昔話にこれだけこだわるか。

 

それは、日本語はロシア語、トルコ語、朝鮮語の接触と混交から生まれたと主張している笹谷政子著「日本語の起源」に接したからです。

そして、シベリアにアイヌの親戚にあたる民族がいたり、秋田美人にそっくりな人たちが大勢いるという情報に、以前から接しているからです。

 

さらに言えば、縄文時代のヤマネコの謎を辿ったら、まるで今の中国の版図を挟み込むようにヤマネコ分布が広がっていたが、中東から日本へのルートをなぞっている印象さえ受けたからです。

北回りのルートは、ロシアを横切っています。

 

ロシアについてもっと情報が欲しいと思っていたところで、この本やこの記事に出会ったのです。

 

スラブ人の起源はどこにあるのか、なおさら気になってきました。

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