イスラエル・ユダヤ

ロシアとイエスと?

イエス様は復活されたあとにロシアを訪れたのでしょうか?

 

おそらく多くの人たちが、聞けば耳を、見れば目を、疑うであろうこの言葉は、モルモン教jpというサイトにある記事のタイトルです。

 

わたしは目の前の「それ」をじっと見つめていました。そしてようやく「ありがとう。」とつぶやくので精いっぱいでした。誇らしげにわたしの面前に立っているロシア正教祭司に対して贈り物をくれたことへの感謝の気持ちを思うように伝えることができませんでした。19925月、やや大柄なこのロシア正教の司祭はロシアでのバプテスマ1,000周年を記念するレコード盤を贈り物としてくれました。

 

文章はこういう書き出しで始まります。

 

問題はこのレコード盤の表紙にありました。

 

そのレコーダ版の表紙の絵は、ロシア正教の画家、ミハイル・ネステロフが1,900年ごろ描いた『聖なるルーシ』で、レニングラード、今のサンクトペテルブルクのロシア画廊に現在展示されているといいます。

 

 「それは何を描写しているのですか?」

 「わたしたちの救い主が古きロシア、またはルーシを訪れているところです。」…「わたしたち誰もがその話を知っていますよ。」

由来を尋ねると、古代ロシア昔話、イエスが復活後にロシア人を訪れた物語を描いていることを教えてくれたといいます。

 

 「彼の後ろにいる光輪の訪問客はどなたですか?」

  祭司は微笑んで、イゴールの通訳を介して「ネステロフは愚か者ではありませんでした。彼は当時の教会の3人の指導者であったペテロ、ヤコブ、ヨハネが立っている様子を描きました。」

 

著者はメトロポール・ピティリムと呼ばれるロシア正教会の最高権威者、及び教会管理評議会議長である人物にも、この絵について尋ねています。

 

 昼食をすませ、本部のツアーが終わったあとに、わたしは彼にキリストが古代スラブ人を訪れている様子を描いた絵画を知っているか、と尋ねました。彼は知っていると答え、それは特別なレコード盤の表紙に使われており、原画は教会所有の書庫に保管されていることを教えてくれました。私は彼に画家がどこからその場面の構想を得たのかを尋ねました。

 彼は厳かにこのように語りました。「その絵はキリストが死後スラブ人、つまりロシア人の先祖を訪れて福音を伝えたという古代昔話に影響を受けています。キリストに耳を傾けたのは農場や田舎にすむ謙遜で身分の低い人たちです。彼らはキリストの名を受けました。その名はキリル文字ではなくわたしたちの文字ではクリスチャニィと音声表記されます。ロシア語で農民のことをクリスチャニィと呼びます。キリストを信じるものは主の名をその身に受けました。」

 

他の正教会祭司たちからも同じ物語を聞いたというから、ロシアではよく知られた話なのでしょう。

 

著者はメトロポール・ピティリムにキリストが実際に現在のロシアとウクライナの地を訪れたことを信じているか尋ると、こう答えたそうです。

「その可能性は大いにあります。しかしおそらく使徒アンドレが現在のロシアを最終伝道の時に訪れたのではないでしょうか。しかし、絵画のなかに描かれたとおりかもしれませんね。」

 

ようは、昔話の通りかもしれないが、使徒アンドレの話が元になっているのかもしれない、本当のところはよくわからないというのが本音なのですね。

 

アンドレはアンデレとも呼ばれる12使徒のひとりで、小アジアとスキタイで伝道し、黒海に沿ってヴォルガ川まで行ったと伝えられています。そのため、アンデレはルーマニアとロシアの守護聖人になりました。

伝説上ではアンデレはビザンティウムの最初の司教であり、そのため正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁は初代総主教をアンデレとしています。

 

アンドレの布教がいつの間にか、イエスが訪れた話になったと考えるには、現地の人々には記憶が生々しくて無理がある気がします。

 

だが、12使徒のひとりとなると、気になることがあります。

 

何しろイエスは、「異邦人の道に行くな。またサマリヤ人の町にはいるな」と前置きしてこう言っています。

 

マタイによる福音 106

むしろ、イスラエルの家の失われた羊のところに行け。

 

アンデレも12使徒のひとりである以上、その布教先はイエスの指示通りでないといけないはずですよね。

 

となると、これらの地域はイスラエルの家の失われた羊が確かにそこにいると言えないといけないはずです。

 

さらに言えば、昔話通りキリストが訪れたとしたら、どうでしょう。

 

マタイによる福音書 15 24

するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

 

アンドレであろうとイエスであろうと、イスラエルの家の失われた羊以外の者にはいかないと聖書にはあります。

 

スラブ民族はなおのこと、イスラエルの家の失われた羊の可能性が高くなってしまうではないでしょうか。

 

これらの聖句も、同じことを場面に応じて言い換えていると見るべきでしょう。

 

ヨハネによる福音書 10 16

わたしにはまた、この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない。彼らも、わたしの声に聞き従うであろう。そして、ついに一つの群れ、ひとりの羊飼となるであろう。

 

ルカによる福音書 19910

イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」。

 

なぜ私が、ロシア人、実際には祖先であるスラブ人のもとをイエスが訪れたという昔話にこれだけこだわるか。

 

それは、日本語はロシア語、トルコ語、朝鮮語の接触と混交から生まれたと主張している笹谷政子著「日本語の起源」に接したからです。

そして、シベリアにアイヌの親戚にあたる民族がいたり、秋田美人にそっくりな人たちが大勢いるという情報に、以前から接しているからです。

 

さらに言えば、縄文時代のヤマネコの謎を辿ったら、まるで今の中国の版図を挟み込むようにヤマネコ分布が広がっていたが、中東から日本へのルートをなぞっている印象さえ受けたからです。

北回りのルートは、ロシアを横切っています。

 

ロシアについてもっと情報が欲しいと思っていたところで、この本やこの記事に出会ったのです。

 

スラブ人の起源はどこにあるのか、なおさら気になってきました。

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現在のコーランの解釈に誤解はないのか?

聖句の背景についての誤解が、実に悲しいことにコーランに関する後の世の解釈で深刻な事態を招いているのではないでしょうか。

 

勿論、これらの議論はどこまでも推論ですのでそのつもりでお付き合い願います。

 

まず、神の子についてです。

 

現在のイスラムでは、この言葉は神の子について否定していると受け止められています。

 

ユーヌス章

 

マッカ啓示109

 

68.かれらは、「アッラーは一人の子をもうけられた。」と言う。かれに讃えあれ。かれは自足なされる御方。天地の凡てのものは、かれの有である。あなたがたはこれに対して、権威はないのである。アッラーに就いて、自分の知らないことを語るのか。

 

この聖句についての背景が伝わっていないので即断はできないが、アッラーの子を名乗る偽預言者が現れて人々を惑わせようとしていたのかも知れません。

 

だが聖書はこう記しています。

 

ヨハネの第一の手紙 4 9

 

神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

 

アッラーはマルヤムつまりマリアに御霊によって受胎させ、イエスをこの世につかわしたとコーランは伝えます。

 

イムラーン家章

 

マディーナ啓示 200

 

35.イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」

 

36.それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは女児を生みました。」アッラーは、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」

 

37.それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。

 

38.そこでザカリーヤーは、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」

 

39.それからかれがなお聖所で礼拝に立っていた時、天使がかれに呼びかけた。「アッラーからヤヒヤーの吉報をあなたに授ける。その子はアッラーの御言葉の実証者となり、尊貴、純潔で正しい人々の中の預言者となろう。」

 

40.かれは言った。「主よ、どうしてわたしに男の子があり得ましょう。わたしはもう老齢になってしまい、妻は不妊でありますのに。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのことを行われる。」

 

41.そこでかれ(ザカリーヤー)は言った。「主よ、わたしに印を御示し下さい。」かれ(天使)は言った。「あなたは3日の間人間と話すことが出来ず、身振だけで意志を通じさせることになろう。これがあなたに与えられる印である。だから多くあなたの主を念じ、朝にタべに讃えなさい。」

 

42.天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤムよ、誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め、万有の女人を越えて御選びになられた。」

 

43.「マルヤムよ、あなたの主に崇敬の誠を捧げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」

 

44.これは幽玄界の消息の一部であり、われはこれをあなたに啓示する。かれらが籤矢を投げて誰がマルヤムを養育すべきかを決めた時、あなたはかれらの中にいなかった。またかれらが相争った時も、あなたはかれらと一緒ではなかった。

 

45.また天使たちがこう言った時を思え。「マルヤムよ、本当にアッラーは直接ご自身の御言葉で、あなたに吉報を伝えられる。マルヤムの子、その名はマスィーフ・イーサー、かれは現世でも来世でも高い栄誉を得、また(アッラーの)側近の一人であろう。

 

46.かれは揺り籠の中でも、また成人してからも人びとに語り、正しい者の一人である。」

 

47.かの女は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」

 

マルヤムすなわちマリアの受胎告知の瞬間が生々しく語られています。

 

イーサーはすなわちイエスはアッラーがもうけられた子ではないが、アッラーの命令によってマルヤムが授かった子であることが告げられているのです。

 

アッラーによって選ばれた乙女はマルヤムただ一人であり、アッラーがイーサー以外にこの世に送られた子は存在しない、よってイーサー以外でアッラーのもうけた子と名乗る者がいればそれは偽物だと告げていると解釈することも可能ではないでしょうか。

 

イエスの時代にもイエスの名をかたって悪霊を払うと称する人々がいたと、聖書に記されています。

 

またイエスは、偽預言者が出てきて人々を惑わすとも警告しています。

 

コーランでは、続く聖句にはこう記されています。

 

69.言ってやるがいい。「アッラーに就いて嘘を捏造する者は、決して栄えないであろう。」

 

アッラーの子を名乗る偽預言者が、ムハンマドの時代にいたとしてもおかしくありません。

 

どこまでも推論なので、断定することはできません。

 

だが、あり得ない話ではないのです。

 

ムハンマドには、イーサーつまりイエスがアッラーのアッラーの独り子であったと言いにくい事情があった可能性は十分にあり得るのです。

 

結果的に父と子と聖霊による神会の存在を、ムハンマドは言い出しづらかったのかも知れません。

 

婦人章(アン・ニサー)

 

マディーナ啓示 176

 

171.啓典の民よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤムの子マスィーフ・イーサーは、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。天にあり、地にある凡てのものは、アッラーの有である。管理者としてアッラーは万全であられる。

 

なぜ私がこのような推論をするのか、それには理由があります。

 

イーサーの十字架での死を否定したと、受け取られている次の聖句の存在です。

 

コーランはこう記します。

 

婦人章(アン・ニサー)

 

マディーナ啓示 176

 

157.「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく、またかれを十字架にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は、それに疑問を抱いている。かれらはそれに就いて(確かな)知識はなく、只臆測するだけである。確実にかれを殺したというわけではなく。

 

コーランのこの記述の背景には、聖書の伝えるこのような事情があったのかも知れません。

 

マタイによる福音書 27 62節~65

 

あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、

 

「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。

 

ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

 

ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。

 

しかしイエスはよみがえり、弟子達に十字架で受けた傷を確かめさせて十字架で死んだのは身代わりなどではなく自分自身であること、確かに肉体を持ってよみがえっていることを、あかしたことは聖書に記されている通りです。

 

だがかたくなとなったユダヤ人たちがどうしたか、聖書は次のように伝えています。

 

マタイによる福音書 28 11節~15

 

女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。

 

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、

 

「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。

 

万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。

 

そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。

 

ユダヤ人たちはムハンマドに対しても、イエスの生涯はゴルゴダで終わっていると言い募ったのでしょう。

 

そこでムハンマドは、イエスの生涯はゴルゴダで終わってはいないことや今でもイエスは生きていることを、断定的に言い切る必要があったので、コーランに記された言葉となったのかも知れません。

 

コーランは預言者として召されたムハンマドの言葉を中心に編纂されていて、当時の状況まで記録されていないので、時代背景を調べたうえで推論を展開するしか手がありません。

 

だがコーランが聖典でもある以上、推論を展開するのに許される数少ない手がかりは聖書と言うことになるでしょう。

 

「アッラーは一人の子をもうけられた。」と言う一部の人々の言葉をムハンマドが否定せざるを得なかった裏に、アッラーの子と名乗る偽預言者がいた可能性を推測する理由がここにあります。

 

勿論、あっけなく偽預言者の化けの皮が剝がれ一件落着となって記録に残るまでもなかったのでしょうが、この手の偽物にムハンマドが手を焼いていたことは想像に難くないのです。

 

そうでなければこのような聖句が、コーランに残るでしょうか。

 

だが、こういう疑問を投げかける人もいることでしょう。

 

イエスには、子孫がいたのではないかと。

 

確かに、子と言う言葉には子孫と言う意味もあります。

 

そして、イエスとマグダラのマリアとの間に子があったのではないかと疑う人もいることは、最近でもダビンチコードでネタの一つにされたことで記憶にある方もおられる事でしょう。

 

コーランには、イエスには父はいないという文言もあります。

 

これは、イエスにはしばしば、大工のヨセフの子ではないか、と言う言葉が投げかけていたことに対してアッラーが業を煮やしておっしゃった言葉とも解釈出来るのです。

 

実際マルヤムは、地上の男性をだれ一人知ることもなくイエスを身ごもっているのです。

 

地上の男性にイエスと血のつながった父はいるはずがないので、この言葉には嘘はありません。

 

一方でイエスは常に天の神を父と呼んでいます。

 

だがコーランには、アッラーは子をなしていないとあるではないかと、反論があるかもしれません。

 

地上に今もアッラーの子孫がいると言いふらす人達に対して、アッラーはきっぱりと否定する必要あったと解釈できます。

 

余計な議論に深入りしない方法は、誤解を恐れずに端的に言い切るしかないのです。

 

地上にアッラーの子孫などはいないのだと、きっぱり言い切るしかないのです。

 

コーランには、当時の状況を書き記す説明書きは一切ありません。

 

ムハンマドにアッラーからもたらされた言葉が、記されているだけなのです。

 

コーランは何よりもまず、ムハンマドが聖典に対する正しい理解を守るためにいかに戦ったかの記録の書であったからなのでしょう。

 

記憶が生々しいうちはそれでも良かったが、時代が下り記憶は薄れていくとそうはいきません。

 

ムハンマドは繰り返し聖書を読むことを指示していたと言います。

 

コーランの記録に対する解釈に誤解が出ることを、恐れたからかもしれません。

 

コーランは実践的な指導書であると同時に、論争の記録書でもある以上正しい理解に聖書の学びは欠かせません。

 

だが、コーランの一般的解釈としてイスラム社会に一度広まってしまったものは、軌道修正は容易ではないでしょう。

 

とは言え、解釈に誤解が生まれない為には、絶えず検証していくことが必要ではないでしょうか。

 

そして、それで正しいかどうかは、神に祈って答えを求めるしかないでしょう。

 

聖書にはこうあります。

 

ヤコブの手紙 1 5

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

今回の議論の内容に、もし間違えがあるとすれば、神の声を聞き違えてしまった私に責任があるので、気がついた方は教えて頂ければ幸いです。
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    法輪を考えてみた。

    法輪は、仏教の教義、特に釈迦が説いた四諦・八正道の別称です。

     

    法輪は、仏教の教義を示す物として八方向に教えを広める車輪形の法具として具現化されました。

    卍と共に仏教のシンボルとして信仰され、寺院の軒飾りにも使用されました。

    中国では道教にも取り入れられ、教義を示す用語として使用されています。

     

    法輪の「輪」とは古代インドの投擲武器であるチャクラムを指すと見られています。

     

    チャクラムは、古代インドで用いられた投擲武器の一種です。

    チャクラムは、日本では戦輪、飛輪や、円月輪とも呼ばれ忍者が使用したものです。

    ちなみにチャクラとはサンスクリットで「輪」を意味する中性名詞の語幹です。

    チャクラムは、投擲武器としては珍しく斬ることを目的としています。

    チャクラムの直径は1230cm程で、真ん中に穴のあいた金属製の円盤の外側に刃が付けられています。

     

    投げ方は二通りあり、円盤の中央に指をいれて回しながら投擲する方法と、円盤を指で挟み投擲する方法です。

    ヒンドゥー教の神であるヴィシュヌも右腕にこの円盤をもつとされています。

     

    人々の煩悩が僧侶から説かれた仏教の教義を信じることによって打ち消されるさまを、転輪聖王の7種の宝具の1つであるチャクラムに譬えた表現であるとされます。

     

    そこから、仏教では教義である法輪を他人に伝えることすなわち転を転法輪と言うようになりました。

    転法輪は別名、転梵輪ともいいます。

     

    だが、法輪については、釈尊が説法して人々の迷いを砕く有様を戦車が進んでいって敵を破ることにたとえたものと言う見方もあります。

     

    つまり、実際のところ正体が不明なので、古代インドにあった武器で印象の似ているものを、恐らくこれであろうと推論が述べられているのに過ぎないわけです。

     

    ならば、新たな説を唱える余地もあると言うことです。

     

    実は釈尊には、中東系の可能性があるのです。

    何しろ、こんな本が出るくらいです。

    「仏教メソポタミア起源説」「『ブッダの謎』─仏教西アジア起源論」。

    そうなると、法輪のイメージとして釈尊の思い描いていたものは、中東由来の可能性は否定できないのです。

     

    聖書の創世記に、この記述があります。

     

    創世記 3 24

    神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の木の道を守らせられた。

     

    神は、言いつけに背いて知恵の木の実を食べた結果として死を知る必要が出てきたアダムとイブが罪を得たままで命の木の実を食べて永遠の命を得ることが無いよう、ケルビムと、回る炎のつるぎとで命の木への道を守らせたわけです。

     

    このケルビムも輪と関係があります。

    エゼキエル書 10 6

    彼が亜麻布を着ている人に、「回る車の間、ケルビムの間から火を取れ」。と命じた時、その人ははいって、輪のかたわらに立った。

     

    そしてこのケルビムの正体として、グリフィンとスフィンクスが候補に挙がってきたのです。

     

    スフィンクスはすでにおなじみでしょうから、グリフィンについて紹介します。

     

    グリフィンはグリフォン、グライフ、グリュプスとも呼ばれる伝説上の生物です。

    一般的には、鷲あるいは鷹の翼と上半身、ライオンの下半身をもつとされるが、ライオンの頭で表現される場合もあります。

     

    グリフィンには車をひく役割があるとされるほか、面白いことに、ローマ時代になるとシリアやパレスチナ周辺でグリフィンと一つの車輪という図像が突然現れると言います。

     

    問題は、ケルビムと炎が深い関係があることです。

     

    古代から中東には王家の象徴として太陽をかたどった紋章がありました。

    その形はなんと、日本の天皇の象徴である菊花紋とそっくりなのです。

     

    エジプトでは宗教改革でアメン神からアテン神へと崇拝の対象が切り換えられたことがあったが、そのアテン神の姿は太陽円盤の周囲に放射線を描くものです。

     

    この宗教改革はアクエンアテン一代で挫折したが、アテン神は中東で古来から崇拝の対象であった太陽神と主張されていたのです。

     

    もしこの主張が正しかったなら、菊花紋そっくりの太陽神の紋章の正体はアテン神だった可能性が出てきます。

     

    現在ではトルコのイスタンブールで博物館となっているアヤソフィアは、東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、トルコがイスラム圏になってからはモスクに転用されたこともあった建築です。

     

    アヤソフィアの四角い建物に丸いドームが載っている形は、円で象徴される天と四角で象徴される地をそれぞれ表しています。

     

    円で象徴される天の中心に太陽円盤の周囲に放射線を描くアテン神を配すると、見た目は車輪のような形になります。

     

    法輪は、八方向に教えを広めるさまを表現する車輪形の法具とされるが、アテン神の周囲に光を放つ太陽神のイメージを重ね合わせることはできないでしょうか。

     

    密教では、最高神は太陽の光の象徴とされる大日如来とされています。

     

    もし、大日如来の正体はアテン神だとしたらどうでしょう。

     

    そして、ケルビムやグリフィンに関係深い輪の正体もまたアテン神だとしたら…。

     

    ケルビムもグリフィンも、神の守護者とされています。

     

    法輪は、アテン神であり、ケルビムやグリフィンと関係があるのでしょうか。

    釈尊中東説がもしも成り立つのであれば、このような解釈もあり得るのではないか、そう思ってまだまだ、証拠集めと検証が必要であることを承知で今回の議論となりました。

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    ケルビムとグリフィンとスフィンクスの正体は?

    グリフィンの飛翔~聖獣からみた文化交流~と言う本を、タイトルに惹かれて手にすることにしました。

     

    グリフィンの周辺には、どうもユダヤとかイスラエルの匂いを感じていたからです。

    本書にはその手掛かりが期待できそうに、感じ取れたのです。

    予感は的中しました。

     

    グリフィンと聖書のケルブとの関係が考察されていたのです。

     

    ケルブとはケルビムの単数形です。

    ケルビムって何と言う人には、神輿に乗っている鳳凰みたいなものと言えば、あたらずといえども遠からずというところでしょう。

     

    実際、神輿を見て聖書に出てくるアークを連想するユダヤ人は多いそうです。

    二本の棒で担がれる金色の箱に羽根の付いた金色の造形物が載っていると言えば、ユダヤ人にとってはアーク以外にあり得ないと思ってたものの、イメージ通りのものが日本にあるわけですから、驚くのも無理はありません。

     

    ケルブは、聖書ではたいてい複数のケルビムとして登場します。

    筆者がケルビムとグリフィンの関係を疑ったのは、ケルブ、ケルビムをスフィンクスと同一視する説が一般的となりつつあるからだと、指摘します。

    実は、聖樹との結びつきはグリフィンもまたスフィンクスに負けず劣らず深いものがあると言うのです。

     

    ケルビムは、大事なものを一対で守ると言う役割があります。

    そしてケルビムには、大きな翼があります。

    聖書に出てくる神殿の記述では、ケルビムとナツメヤシと開いた花が一つの組となって現れます。

    78世紀のフェニキアの象牙細工には、グリフィンとナツメヤシと開いた花と一つの組となってしばしばみられるが、スフィンクスとナツメヤシと開いた花と一つの組もよくあるそうです。

    つまり、グリフィンとスフィンクスは同じ役割や機能を持ち、交代可能な存在だったと言うのです。

    そう言えば、グリフィンとスフィンクスの境目は、獅子頭のグリフィンによって結構あいまいになっています。

     

    グリフィンには、基本的には鷲頭と獅子頭の二つのパターンがあります。

    実際には蛇頭も入れて三つと言うべきでしょうが、蛇頭はなぜか廃れ、鷲頭と獅子頭の二つが残ったのです。

     

    ここで注目したいことは、グリフィンに魔人的な描像があり、スフィンクスにも人頭のパターンがあることです。

    グリフィンの描像に出てくるキャラクターは、鷲と獅子と人と蛇の四つ、ここに注目してくださいね。

    一方でケルビムの描像に出てくるキャラクターも四つ、鷲と獅子と人と牛です。

    蛇と牛が入れ替わっているほかは、ほとんど同じです。

     

    グリフィンもまた、大事なものを守る大きな翼をもった存在です。

    確かによく似ています。

    さらにグリフィンは車をひく役割があったりします。

    ケルビムも車輪と深い係わりが聖書に記されています。

    筆者はケルブの役割は、神の下僕であると同時に神を乗せる乗り物であったと推察しています。

    面白いことに、ローマ時代になるとシリアやパレスチナ周辺でグリフィンと一つの車輪という図像が突然現れると言います。

    これらのことから、ケルビムの正体とはグリフィンであったのではないかとして、考察を締めくくっていきます。

     

    詳しい説明は本書を読んでいただくとして、私の気になった箇所は実は別の所です。

     

    グリフィンもケルビムも、神を乗せる役の神の下僕である、どちらも四つのキャラクターで表現されうる、ここでピンとくる方もおられるかもしれないですね。

    そう、神の玉座にして戦車であるメルカバーです。

    筆者がカッバーラを知っているわけがないので、この点を指摘してくるとは最初から期待はしてませんでした。

    だが、この重大な類似に気付き、指摘してくださっていることには大いに感謝します。

    ケルビムとグリフィンとスフィンクスは、メルカバーであったのではないかと示唆してくれたわけですからね。

     

    本書の言及している地域に詳しい方、これらの地域のユダヤ人の足跡を探ってみませんか。

    興味深いことがわかってくるかもしれません。

     

    なお、本書にはまだまだ興味ひかれる記述があるけど、気になる方は御自身で手に取ることをお勧めします。

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    日本どれだけ中東の飛び地なんですか。

    日本の食卓を覗くと地中海が見える、なんてネタでお話をしたことがありました。

    そしたら、こんなコメントが寄せられました。
    これまで私が話してきた内容が、この中にかなり入ってるのには、思わずビックリです。
    以下、全文紹介します。

    エジプトの米は日本の農林1号なんです。
    しかもエジプトは古代から米食で、品種改良もしていません。
    味噌汁は中東のレンズ豆スープと瓜二つ。
    ギリシャ料理には「アジの開き」そっくりにいろんな魚を開きにして、タレに付け込んで焼く、というのがあります。

    米はアジアではなく、人類発祥の地であるアフリカが起源です。
    雨が少ないナイル川流域で発展したのが灌漑農業。
    それなりに雨が降る東アジアではそのころはまだ雨水農業が盛んでした。
    そのアジアに米と灌漑農業を持ち込んだのが日本に移住した古代日本人である中東人、と思います。
    今でも中国人にとっては米は日本人ほどの重要炭水化物ではありません。
    これだけ米が好きなのは世界中探しても日本人だけでしょう。
    日本では幼児に「ごはん」と言う時、「マンマ」と言いますよね。
    エジプトでも幼児に「ごはん」と言う時、「マン」と言います。
    両国とも大人には使わない言葉です。
    これは私の推測の域を出ませんが、米が「マナ」なのでは?などと思ってしまいます。

    伊勢神宮の話を中東人にした時、「いせシュライン」と言ったら「イーセー?」と驚いていました。
    アラビア語で「イーセー」はイエスキリストのことですから。
    彼らにとっては預言者ですが。

    埴輪、を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きます。

    日本には「連歌」という文化がありますね。
    中東も「連歌」が盛んでした。
    彼らは夜キャラバンを率いて砂漠を旅する時、お互いが「連歌」を作りながら楽しく旅をしていたそうです。

    目が大きく鼻が高く掘りの深い中東人にとっての「美人」はずばり「平安美人」です。
    現代はそこに「金髪碧眼信仰」も加わりますが。
    昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」です。
    平安時代にそういう顔が美人とされたのは、日本人自体が堀が深い中東顔だったからではないですか?
    朝鮮人や中国人が大挙して押し寄せる前の明治維新頃までの日本人には濃い顔が多かったですよね。
    実際明治維新頃日本を訪れたヨーロッパ人は本国へのレポートで「日本人は中東顔である」と書いています。
    もし千年後に今の日本の漫画が発見されたら、未来人は日本人を「目の大きい人種」と認識するかもしれません。
    つまり日本人の民族性は昔も今も、「自分の理想像を描写する」なのかもしれませんね。

    古代中東での戦争は、両者が相対しにらみ合いになった時、両者から一人ずつが前に出て、「〇族の〇家の何某!」とお互いが名乗りをあげ、1対1でどちらかが倒れた時に両軍の戦闘が始まる、という、日本の平安時代以前と同じやり方をしていました。

    私は中東の歴史ドラマを何度か見たのですが、戦闘のシーンの兵士の持っていた「楯」が日本の「八咫の鏡」と瓜二つだったのには驚きました。
    日本ではあれを後生大事にしていますが、映画では兵士全員が持っている消耗品の扱いでした。まー当然ですが。
    古代シリア地方を舞台にしたドラマでは戦争中、両者が赤と白のハチマキをして戦っているシーンがありました。サイズも日本のと同じです。

    日本語も、古代エジプト語やラテン語、古代ヘブライ語、アラビア語などが混じってますね。こういった事実は、日本を下に組み敷いておきたい中国にとっては抹殺対象なのでしょう。
    ひらがな、カタカナのような表音文字が表意文字からつくられるはずがないのです。
    漢字から始まったなら簡略化するだけです。
    実際、ひらがなとカタカナは古代ヘブライ文字とアラビア文字、しいては古代エジプト文字にそっくりです。
    日本という他国の歴史まで「焚書」しようとする中国の傲慢さには反吐がでます。

    日本人特有の顔(鼻が高く毛深く甘いマスク)は他の東アジア諸国の特徴的な顔とは全然違います。(当然例外はどこにでもいます。)
    顔が違うだけではなく、性格も、他のアジア諸国とは一線を画しています。

    長文、失礼しました。

    埴輪を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きますの下り、やはりそうでしたかと思わずうなりました。

    確かに、滅茶苦茶長く伸ばした前髪や、どう見てもユダヤ人のものと言いたくなる帽子の埴輪を見れば、そりゃ、率直にユダヤかって突っ込みたくもなるでしょう。

    わざわざ帽子を埴輪にする時点で、どれだけ大事にしてたんですかって誰だって驚きますよね。

    昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」の平安美人顔と言う、指摘にはあらためて驚きました。

    そう言えば、天孫一族には古代イスラエル北朝12支族説も出てます。

    天皇家の傍系の方々の顔にも、中東顔の指摘があります。

    大挙して渡来した秦氏にも原始ユダヤ人キリスト教徒説があるし、平氏の正体にもペルシャ人であると言う声もあるくらい中東の匂いがプンプンしてると言います。

    合戦の前に名乗りを上げるところは、このコメントにもあるようにまさに中東のやり方そのものだそうです。

    さらに、縄文人自体もアジアとヨーロッパの民族や人種が分かれる以前の人々の子孫とのDNAの解析結果もあります。

    言葉についても、ラテン語や古代ヘブル語と共通のルーツと言う説が出るのも、縄文人のせいなんでしょうね。

    で、さらに、古代エジプト語やアラビア語ですか。

    連歌の文化まで中東と同じですか。

    どんだけ、日本って一皮むけば中東が出て来るんですか。

    こうなればもう、笑うしかありませんね。

    面白い情報満載のコメントにあらためて感謝申し上げます。

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    欧米のキリスト教のイスラム感を考えて見た。

    もっともっと、日本人も宗教に関心を持って欲しいのですけど。

    世界の中で宗教にまったく無関心な人は、実は少数派ではないでしょうか。

    中国だって一皮むけば、昔からの宗教に関心持って暮らしている人の方が多数派と聞いています。

    熱心に信仰しているかどうかは、別ですけどね。

    日本がイスラム過激派の怒りのターゲットに晒されないためには、欧米のキリスト教圏とイスラムとの歴史的な諍いから距離を置くことが大事ではないでしょうか。

     イスラームが正しい発音だそうですが。

    ここでは一般的なイスラムで通します。

    せっかくイスラムの人たちから信頼されているのだから、この立ち位置を活用しようとしないならはっきり言って、大馬鹿ものですね。

    イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会の人たちとの、ネットを通じての交流で、堕落した欧米のキリスト教に見切りをつけた若者を中心とした人たちが案外簡単に改宗するのはなぜなのか真剣に考えない限り、欧米のキリスト教世界はイスラム過激派の怒りのターゲットに晒され続けるでしょうね。

    フリードリッヒ・ニーチェの『アンチクリスト』に示されるところまで堕落したからこそ、ムハンマドやジョセフスミスジュニアが原点回帰を呼び掛けるように聖書の神から召され、欧米のキリスト教圏の人たちから、イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗が出るわけですね。

     既存のキリスト教会は、そこがわかってないってことね。

    欧米のキリスト教圏の人たちのイスラムに対する反発の裏には、ユダヤ教やキリスト教が堕落したので原点回帰を呼び掛けるべく聖書の神からムハンマドが召されたというイスラム側の言い分にもあるかもしれないですよ。

    ムハンマドが啓示を受けた西暦610年代には、西欧がすでにキリスト教化しているわけですから。

    313年にミラノ勅令は、当時は西方正帝であったローマ皇帝コンスタンティヌス1世と同じく東方正帝であったリキニウスの連名で発布されたと言われているのです。

    一般に、全帝国市民の信教の自由を保障した内容とされるこの勅令は、実在そのものや、真の起草者について疑問視する研究者もいる代物ではありますけど。

    勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発したのです。

    これを受け当時西方正帝でのちに単独皇帝となるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布したものです。

    特にキリスト教を挙げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認したわけです。

    392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされたのです。

     で、これ以降、欧州世界のキリスト教化が進むことになるわけね。

    そして、キリスト教は主に欧州世界を中心に広まっていくのですよね。

    つまり西暦610年代ムハンマドが原点回帰を呼び掛けた堕落したキリスト教とは、まさしく欧州キリスト教にほかならないってことです。

    そもそも、ミラノ勅令はキリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって発布されたわけです。

    欧州世界での拡大と定着は権力と言わば二人三脚で進んでいったと言え、キリスト教の堕落はローマ帝国のころから実質的に始まっていたとみて良いのかもしれないですね。

    しかし、ほとんどの欧州キリスト教の人たちには自分たちが教えを堕落させた自覚はほとんどないってことで、彼らにとってムハンマドははっきり言って邪魔者だったかもしれないです。

    欧米のキリスト教圏の人たちから見れば、ムハンマドはアブラハムの系譜かも知れないけど、イサクとヤコブの系譜ではないわけです。

    傍系イシュマエルの子孫であるムハンマドの預言者としての正当性を、彼らは認めたくないのかもしれないですね。

     認めれば、改宗せざるを得ないでしょうからね。

    ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会のジョセフスミスジュニアも、御父と御子からじきじきに、今のキリスト教宗派は全て間違っているからイエスの時代の教会を復活させるように召されたと主張しているのです。

    そのために、既成のキリスト教からは、末日聖徒イエス・キリスト教会も煙たがられているのです。

    末日聖徒イエス・キリスト教会の教説には、既存のキリスト教に真っ向から異を唱える内容が並んでいるのです。

    御父と御子と聖霊は三位一体ではなく個別の存在であり一心同体となり一致団結して人々の救いと導きに日夜心を砕いておられるとか、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのも原罪ではなく人類が選択の自由を用いて神の道を選んで再び成長して帰ってもらいたいという御父の願いによるものであったとか、御父の救いの計画は生者だけではなく死者にも及ぶとかです。

     これらの言い分を認めたら、既存のキリスト教は末日聖徒イエス・キリスト教会に合流するしかなくなるわけだから煙たいわけね。

    アダムとイブについていえば、裸で嘆きながらエデンの園を追われる絵があまりにも有名だけれど、聖書には神は彼らに皮の衣を着せたことがちゃんと書かれているのですよ。

     絵で一目でエデンの園からの追放とわかるために、裸で追われる構図にしたのかもしれないけど、嘘は嘘よねえ。

    余談ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会には、職業としての聖職者はいないです。

    イスラムにも職業としての聖職者は、恐らくいないです。

    イスラムで聖職者に当たるのはウラマーと呼ばれる人々ですが、イスラムの建前としては神と人との間に仲介役を入れる、あるいは信徒間に階級差を設けることを嫌う傾向があり、ウラマーは聖職者ではない、とか、イスラムには聖職者はいない、と主張されてるのです。

    一方、既成のキリスト教では、大抵の教会で職業としての聖職者がいるのです。

     イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会を選んだら、既成のキリスト教の聖職者の職探しは大変ね。

    末日聖徒イエス・キリスト教会には職探しやその間の生活を支える仕組みがあるし、イスラムにも助け合いによって支えてくれる体制があることでしょうから、全てを神の御心に委ねて祈るなら道は開けることでしょうね。

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    漢字は誰が作ったのか。

    漢字は聖書で読み解けるのではないか、そういう議論には何度か出会ってはいました。

    何人もの人たちがそう指摘するなら誰かが一冊の本にまとめているのではないか、そう思って探してみたところ、この二冊が見つかりました。

     

    旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実

    C.H.カン&エセル.R.ネルソン

     

    漢字に秘められた聖書物語

    ティモシー.ボイル

     

    興味深いことに、著者はいずれも漢字文化圏の人ではありません。

    正確に言えば、著者の一部と言うべきですが。

     

    「旧約聖書は漢字で書かれていた」の方はオリジナルの研究は中国人牧師だったが、その人と連絡を取り合いながら執筆したのが非漢字文化圏の人でした。聖書と漢字のただならぬ関係に気付いて研究を始めた中国人の仕事に興味ひかれた著者が、協力したと言います。この本はそのようにして集まった数人の人たちが関わったプロジェクトの成果として出されたものです。本書は、この議論が本当に成り立つのかと言う検証に重点を置いているので、その手の話に興味がある人には、こちらをお勧めします。

     

    「漢字に秘められた聖書物語」の方は面白いことに、漢字を覚えるのに自分にとって身近な聖書の知識が使えないかとやってみたところ、あまりにも多くの漢字が解釈できてしまうので、どんどん進めてとうとう一冊の本になってしまったと言う事なようです。多くの外国人から漢字学習に使いたいので英語版が欲しいと言う声に応えて、自費出版で英語版まで出してしまったと言うことです。聖書で読み解けると言うなら実例を見せろと仰る方には、解読例の多さでこちらをお勧めします。

     

    全く違う動機から漢字を聖書で読み解く仕事をまとめた本が複数執筆されたという事実は、聖書と漢字の関係がただならないものである可能性があると言っているような気がするのです。

     

    そこで、白川静の「文字講話」を開いてみました。

     

    すると、この記述に目が留まりました。

     

    許慎の「説示解字」にこうあると言うのです。

    易の八卦を作ったのが文字の起源であると。

     

    易は陰陽と深いかかわりがあります。

     

    そして、陰陽はタントラなどとならぶ、古代の弁証法思想なのですが、陰陽やタントラとユダヤ教神秘思想であるカッバーラとは、実は深い関連を指摘できるのです。

     

    聖書自体の編纂は、漢字の誕生より時代が下ると指摘されます。

     

    しかし、やがて聖書に結実することとなる伝承や思想が、その編纂に先立って東方に伝わることは、大いにあり得る事なのです。

    ペルシャとインドの民族の起源は極めて近いことは、よく知られていることです。

    古代中東の思想がベースとなって、インドではタントラが、中国では陰陽や易が、生まれたことは十分に考えて良い事ではないでしょうか。。

     

    日本人の祖先は、東アジアや南アジアの民族が分かれるより前に中東を旅立ち、日本にたどり着きました。

     

    実際中国古代の民族の移動を見ると、西方から来た白人的風貌な民がいたことがわかっています。

     

    例えば、楼蘭故城の西170㎞で見つかった小河墓です。

    集団墓地には眠っていたのは、彫りの深い白人に似た容貌なミイラたちでした。

    赤く塗られた棒状の男性を象徴する墓標に女性が、黒く塗られた扇状の女性を象徴する墓標に男性が、葬られているのです。

    これは陽の男性原理には陰の女性原理、陰の女性原理には陽の男性原理が配されると言う、陰陽に極めて近い思想が示しています。

    大陸内部で彼らの消息を辿ることはできていないが、滅びた痕跡も見つかっていない以上どこかに移住したと見るのは自然であり、その先が日本であることは十分あり得るのです。

     

    神道の哲学もまた極めて陰陽に近く、随神(かんながら)の思想は経典こそないがこれまた聖書の教えに奇妙な程似通っているのです。

    そして、アイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が、沖縄にいたっては文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

     

    縄文人のルーツも一筋縄ではいかぬところがあって、複数の集団が合わさっているのではないかと見られています。

    そうなれば、そのうちの一つにアジアルートがあると考えるのはごく自然です。

    そして、そのルートが古代中東のカッバーラに通じる思想の伝播と深く関わっていたとみても良いのかもしれません。

     

    実際、釈迦を生んだ地域と近いチベットも日本人と共通の古代中東の遺伝子が残っているのです。

     

    「旧約聖書は漢字で書かれていた」のなかで、キリスト教と驚くほど似通った上帝に注目しています。

    もしかすると、この上帝思想も日本の天皇の思想の下敷きになっているかもしれないと考えてみても面白いでしょう。

    この上帝思想から、天孫降臨の発想も生まれたのかもしれません。

     

    古代中東から東アジア、さらには日本への民族の移動の過程で、やがて聖書に結実することになる伝承が古代中国の地に伝わり、漢字の成立に多くの影響を与えているのかもしれません。

     

    彼らは興亡の激しい大陸を逃れ、日本に渡ってきたがやがて自らの出自を忘れ、日本に同化してしまったのかもしれないですね。


    漢字を簡単に簡体字に替えてしまった現代中国と、古い字体を伝え続けている日本と台湾。

    そう考えてみると、不思議な気がするのです。

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    同祖神とタントラと中東?

    日本には各地に陰陽石や同祖神があります。

     

    道祖神は坂道や村の教会に、悪霊を防ぐために祀られた神です。

    最初は巨大な石だったものが、時代が下るにつれ生殖器の形や、男女が寄り添った像になりました。

     

    同祖神の祀り方の中には、九州に見られるようなヨーニとリンガの合体をリアルに表現したとしか思えないものもあるのです。

     

    ひょっとしたら、タントラのリンガとヨーニの変形かも知れません。

     

    タントラでは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガとから、宇宙的エネルギーとしての炎が生じるとされています。

     

    日本神話のイザナミとイザナギは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在とは考えてみても面白いかもしれません。

     

    現にイザナミは、火の神を生んでいるのです。

     

    これは単なる偶然でしょうか。

     

    さらに、太陽神であるアマテラスとアマテルも、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在を御霊分けしたのかも知れませんね。

     

    アマテラスについては、スサノオとの関係で女神とされた可能性もありえるかもしれません。

     

    女性器であるヨーニに当てられたアマテラスと、男性器であるリンガに当てられたスサノオと見るのです。

     

    アマテラスのヨーニは、機織り女が飛び樋に女陰を突かれたとあるのがそれでしょう。

     

    日本書紀には一書にいわくとして、アマテラスの隠れを死と記す記録もあると指摘していると言います。

     

    スサノオのリンガは、逆剥けの馬とあるのがそれでしょう。

     

    「飛び樋」を「飛び火」と見ると、宇宙的エネルギーとしての炎の事でしょう。

     

    日本語では、よく掛詞をするが早い話駄洒落ってことです。

     

    ついでに言うと、アマテラス=機織り女=織姫とすれば、スサノオ=牛頭権現=牽牛となるでしょう。

     

    二人の出会う7月7日は、女のメノラーと男のメノラーが重なる日なのでしょうね。

     

    メノラーとは七枝の燭台のことで、ユダヤ教のシンボルです。

     

    それと、聖にして、生にして、性なる炎こそが、聖火の正体ではないのでしょうか。

     

    そして、モーゼが見た神の炎も、この聖火かも知れません。


    タントラと陰陽道とカッバーラは、見た目は一見違っています。


    でも、よくよく吟味すると実はよく似ている思想であることに気が付くのです。


    インドには、古代ペルシアから分かれた人々が移動したことが知られています。


    古代中東の思想が伝わっていても不思議ではありません。


    そして、古代中国と古代中東もまた、今日の私たちが想像する以上に繋がっている可能性があるのです。


    そして、日本はその延長線上にあるのではないでしょうか。


    日本古代史と中東の繋がりは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。

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    こってり油を絞られ苦汁を嘗め苦渋の決断をした人としてのイエス?

    「油を絞る」とは、過ちや失敗を厳しく責める、とか、ひどい苦労をする、という意味です。

    「手ひどく油を絞られる」と言うと、悪い行いをしてきつく叱られること、の意味になります。

    「手ひどく油を絞られる」に似た言い回しとして、「みっちり油を絞られる」「こってり油を絞られる」「手ひどく怒られる」「大目玉をくらう」があります。

    「油を絞る」の語源や由来としては、菜種や椿の実などから油を採取するするとき、古くはしめ木にかけて押しつぶしたことから、と解釈されています。

    江戸時代には、無理やりにあるいは苦労を重ねて財産や利益を手に入れる、また、他の者さんざん苦労させて、その利益を自分のものにする意味で用いられていたそうです。

    面白いことに、手ひどく油を絞られた有名人が実は聖書に登場するのです。

    パレスチナ地方の古都エルサレム東部のオリーブ山西麓の園はゲツセマネの名で知られますが、ゲツセマネとはアラム語で「オリーブの油搾り」、または「オリーブの酒舟」を意味するとされます。

    このゲッセマネでのイエスの祈りは、「ゲツセマネの祈り」として知られています。

    救世主イエス・キリストが、オリーブ山のふもとにあるゲツセマネの園で、十字架刑に処せられる前夜祈った祈りです。

    ゲツセマネの祈りは、「オリーブ山の祈り」とも呼ばれ、4福音書すべてに記されています。

    ゲツセマネの祈りの時のイエスは、ルカによる福音書22章42節から44節には、このようであったと記されています。

    「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」
    〔すると、天使が天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえ、いよいよ切に祈られた。汗が血の滴るように地面に落ちた。〕

    イエスが「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」と思わず口にしてしまった杯は、苦い汁、つまり苦汁の杯と考えられています。

    「苦汁を嘗める」とは、つらくて嫌な思いをする、とか、にがい経験をする、ということですが、イエスが取りのけてくださいと口走ってしまった杯には、古今東西のありとあらゆる人々の苦しみや悲しみが凝縮されていたことでしょうから、その苦さや渋さは、並大抵ではなかったはずです。

    贖罪の仔羊としての役目を果たすべく現世に生を受けたイエスと言えども、「苦汁を嘗める」のは、文字通り「苦渋の決断」だったことでしょう。

    一説には、汗が血の滴るようにどころか、実際に血が混ざっていたとされます。

    もし血が毛穴と言う毛穴からにじみ出たと言うなら、毛穴に通う毛細血管から血がにじみ毛穴から出てきたことになるわけで、想像を超えた力がイエスの全身にかかっていたことになるでしょう。

    まさに、「オリーブの油搾り」「オリーブの酒舟」を意味するゲツセマネの名にふさわしい状態に、イエスはあったことになります。

    「しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」とすぐに言い直したとはいえ、神の御子であるイエスが「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。」と天の神である御父に背く発言をした以上、イエスは相当な決意を込めた懺悔をしなければ示しがつかなかったことでしょう。

    ゲツセマネでのイエスの祈りは、古今東西全ての人のための許しの執り成しの祈りであったとともに、たとえ一瞬であっても神の思いから逃げ出そうという心の迷いにとらわれてしまったイエスの心の底からの懺悔でもあったのかも知れません。

    イエスのこの懺悔の祈りと、十字架での贖罪の死によって、全ての人にあらゆる罪の許しへの扉が開かれたのです。

    天の神である御父は、イエスの祈りを見て良しとされたからです。

    そうでなければ、どうして天使をイエスの励ましのために送られるでしょう。

    イエスの一瞬の気の迷いさえ心からの悔い改めによって天の神である御父に許されたわけだから、人々の過ちや罪の類などは悔い改めによって何度でも許されるわけです。

    よほどの大罪でないかぎり神から退けられることはないという保証が取り付けられたことによって、人々は安心して、神の道の導き手であるイエスについていかれるわけです。

    イエスは一人の脱落者も出ることを望まず迷える人々を探し出して神の道へと導きたいと心から願うので、良き羊飼いに準えられるのです。

    そして、三日後のイエスの復活によって、全ての人に、復活への希望がもたらされたのです。

    この、ゲツセマネの祈りは、ゴルゴダの十字架と同じか、あるいは、それ以上の重要さを持って語られます。

    聖書の救いの教えの、中核をなす部分だからです。

    神の子とされるイエスの、人間臭い面と神の子の役割に徹しようとする意志の強さの両面がみられる点でも、ゲツセマネの祈りは興味深いと言えるでしょう。

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    日本の太鼓はどこまで響く?

    日本の太鼓は、神との交流や臨在と深くかかわっています。

    それは、ネイティブアメリカンも共通だと言います。

    以前から、日本先住民とアメリカ先住民はともに古モンゴロイドであると言われてきたから、驚くには値しないと言う人も多いかもしれないです。

    近年、遺伝子レベルでもアメリカ先住民であるインカやマヤと日本との繋がりが証明されるようになってきたです。

    さらに、バルビディアからは縄文土器そっくりと指摘される土器も出土しています。

    バルビディアの土器については、エジプトの影響を指摘する声もあるが、日本には古代中東の遺伝子もあれば、国民の7割の足はエジプトタイプと言われています。

    食の好みも日本とエジプトは近いし、太陽神を中心とした三神構造の動物神を含む八百万の神々が古代エジプトの神殿と似た構造の神社に祭られています。

    前方に二本柱の立つ拝殿と本殿の分かれる構造を共有する神祀りの社殿は、日本と古代のエジプトとイスラエルで共通です。

    増田義郎吉村作治共著『インカとエジプト』では、インカとエジプトにはもちろん相違点もあるとしながらも多くの共通点を指摘しています。

    ちなみに同書では、マヤとメソポタミアとの共通点にも注目しています。

    そういえば、ギザのスフィンクスにまつわる神殿跡地にも大ピラミッドの大回廊にも、そして古代アメリカの神域にも階段状のアーチ構造が見られることも共通です。

    それはさておき、アメリカからは、ケネウィックやメキシコから日本人の骨が出てきてるのです。

    例えばケネウィックはアイヌに似た骨にフランスとスペインの様式の鏃が刺さっていたのです。

     日本先住民とアメリカ先住民の繋がりは、骨・遺伝子・土器の他に宗教にも見られると言うわけですね。

    日本とアメリカ先住民と言えば、興味深いのは色と方位を結びつける思想もまた、共有しています。

    日本で色と方位と言えば陰陽道を思い浮かべるが、古代アメリカに陰陽道は伝わっていないはずです。

    にもかかわらず、共通なのは興味惹かれるが、面白いことにケネウィックの古代人骨は当初イギリス人と勘違いされていたわけです。

    似ていた人物は、イギリスの中でもケルトが多い地域の出身者です。

    ケルトにも、方位と色を結びつける思想など陰陽とよく似た発想があると指摘されることがあるのです。

    ケルトと言えば、武士道との類似を指摘されることもあるのです。

     日本とイギリス、緑茶と紅茶、武士道と騎士道、妖怪と妖精など、似ている点を面白がる人も多いが、背後にはケルトが関係してる可能性もあり得るってことです。

    日本とアメリカ先住民は、ケルトで繋がるのか、さらに情報収集の必要はありそうです。

    日本先住民であるアイヌと琉球については、アイヌには生活文物に古代イスラエルとの類似が、琉球には文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

     アメリカでも、カホキア遺跡で聖書との類似が、指摘され始めているでしょ。

    聖書では、特に旧約聖書で、神の臨在と雷鳴に関する記述は多いです。

    面白いのは、神の雲の移動に従って幕屋が移動したことです。

    日本の神社の注連縄には下がりと紙垂が下がり、それぞれ、雲と雨と雷光と見られていて、参拝者は鈴を鳴らすのです。

    つまり、雲と雨と雷光と雷鳴が日本の神社には揃うことになるのです。

     太鼓は、神との交流であるとともに、神の臨在でもあるのよね。

    太鼓は雷神とも結びつくように、雷鳴の象徴でもあるのです。

    そして、日本には日ユ同祖論があり、秦氏とクリスチャンを結びつける議論を展開する人も少なくないです。

     その日本と、アメリカ先住民は神との交流や神の臨在の象徴としての、太鼓を共有…。

    そして、古代イスラエル人の一派がアメリカに渡ったと主張するモルモン書がでたと主張する宗派まで、アメリカから出てきたのです。

    思いつくままに語ってきたら、アメリカと日本が古代イスラエルで繋がると言う、落ちになってしまったのです。

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