聖書は誰の目線で書かれているか。

聖書に猫が出てこないと言う人もいます。

外典に位置付けられるエレミヤの手紙に、聖書では珍しく猫がでてきます。

エレミヤの手紙はバルク書の第6章として含まれることもあり、哀歌の後続の小編として位置づけられています。

偶像崇拝の馬鹿らしさを述べる文脈の中で、21節に゛その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。゛とあるようにバビロニアにも猫はいました。

ならば、古代のイスラエルやユダの王国に、猫はいなかったのでしょうか。

イスラエルの民は猫が大好きなエジプトに長い事住んでいた以上、猫の存在も、財産を守る猫の大切な役割も、知らなかったはずはありません。

エジプトを去る際、多くの財産とともに出発したことでしょう。

ならば、彼らの傍らに猫がいなかったと考える方が不自然ではないでしょうか。

にも拘らず、聖書にはエレミヤの手紙以外に猫の出番がありません。

しかし、ねずみはレビ記、サムエル記上、イザヤ書、ゼカリヤ書に登場します。

ねずみは地を荒す穢れた生き物として嫌われている事を思えば、大切な祭具や貯えや諸々の道具類を守るために猫を同伴していたか、ヤマネコの来訪を待ち望んでいた可能性があります。

ならば、なぜに猫の出番が聖書で巡ってこないかと言えば、答えはただ一つです。

聖書は歴史の記録書である以前に、聖典だからなのです。

古代イスラエルやユダヤに人たちがどんなに猫の可愛さにぞっこんになろうが、めろめろになろうが、ちゃんとした生活さえできていれば何の問題もないわけです。

これでもし、猫の可愛さにかまけて仕事がおろそかになった人が続出して由々しき事態にまで発展していたなら、神様も猫の構い方について説教をしたことでしょう
今でも猫はマイペースで、邪魔になると思えば自分から落ち着ける居場所を求めて避難します。

まして聖書の時代、猫の一番の任務はねずみ退治であり、猫の生活は縄張りの巡回か寝ているかのどちらかであったし、人々もまた日々の営みで忙しかったことでしょう。

人々の古代からの友として賞賛する人の多い犬でさえ、人々との係わりはほとんど記述はありません。

まして猫はマイペースで、人々のプライベートな寛ぎの時間の遊び相手になることが多いわけです。

町を歩いていて思いがけない場所で出会えれば運が良いと言える存在である猫に、聖書での出番が沢山ある方がおかしいのです。

聖書に猫の出番が少ない理由に、わざわざエジプトの事を持ち出すまでのことなどないと言えるでしょう。

聖書で犬の出番は確かに多いです。

出エジプト記、士師記、サムエル記上、サムエル記下、列王紀上、列王紀下、ヨブ記、詩編、箴言、伝道の書、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、ミカ書、マラキ書、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ピリピ人への手紙、ペテロの第二の手紙、ヨハネの黙示録と、犬の出番のない書を上げた方が早いくらいです。

だが、犬と犬好きに気の毒なくらい、聖書での扱いは芳しいものがありません。

それは、当時の犬は野犬が多く、家畜や旅人にとって危険な存在だったという事情もあるかもしれません。

けれど思い起こしてください。

今の私たちの諺でも、犬が出てくるもので犬の評価が高いものはどれだけあるでしょう。

それに比べれば、猫に関する諺の愉快で笑えるものは多いです。

それは猫が寛ぎの時間の遊び仲間だからでしょう。

出番が多い割に可哀想な扱いの多い犬に対して、エレミヤの手紙以外の出番はないが゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いです。

聖書は、人々に対して神への絶対的な服従を求める書の印象が強いかもしれません。

だが、神は人々にサタンではなく神である私を選びなさいと求めているのです。

神への服従は、神の命令ではなく、神の勧告なのです。

自由な猫と、服従の犬。

そう思って聖書を見れば、人々の自由な選びによる自らへの服従を粘り強く待ち続けておられる神の目線は、果たして猫と犬、どちらに近いでしょう。

コーランの神であるアッラーは、聖書の神と同じですが、古代エジプトの猫神ラーが正体かも知れません。

猫神ラー=アッラー=聖書の神エロヒムの構図に、神の子イエスを並べて見れば、親のエロヒムが猫神ならイエスは子猫ではないでしょうか。

エレミヤの手紙で゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いなのは、猫は別格な神の化身あるいは使者に準えて皮肉られているのではないでしょうか。

猫は象徴ではあっても、神の化身あるいは使者の当人ではないからです。

聖書を選択の自由を説く書として見るなら、自由な存在としての猫目線で書かれているからこそ不自由な選択の余地のない服従の象徴としての犬は可哀想なくらい評価が低いのかもしれません。

聖書が猫目線で書かれた書とすれば、猫の出番が聖書にほとんどないどころか、猫の聖典が実は聖書なのかもしれません。

ヨハネによる福音書1章1節にこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言葉とは、イエスの事です。

面白いことに、実際に猫はイエスのメタファーなのです。

これ、偶然でしょうか。

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猫とイエスと安らぎと。

井出洋一郎の「名画のネコは何でも知っている」を、猫が登場してるだけの理由で、手にしてしまったのです。

作品ナンバー1は、アントネッロ・ダ・メッシーナ作〈聖ヒエロニムス〉。
1
〔Wikipediaより〕
猫は、腰かける聖ヒエロニムスののっている一段高い壇の向かって左端で寛いでいるのです。
建物の外縁、向かって右にはクジャク、左にはおそらくツグミの一種がいるのです。
書斎の右奥には、ライオンがいるのです。
図象の世界では、クジャクはイエスの復活、ツグミはイエスの受難を、それぞれ表すとされます。
ライオンは、砂漠で聖ヒエロニムスに棘を抜かれて懐いてしまったと言うことなようです。
猫はまったりと寛ぎ、作品全体に流れる時間がいかにゆったりとして穏やかであるかを、私たちに伝える役割を果たしているのです。
 でも、それだけじゃあなたはこの作品を紹介しないでしょ。
ライオンは百獣の王として覇者の象徴でしょうね。
その覇者の象徴であるライオンでさえ懐き寛がせてしまう神の威光の象徴として、描きこまれているのかも知れないです。
さらに、イエスは王として十字架に架けられています。
 となると、ライオンは、王としてのイエスの臨在もまた、示している可能性はあるでしょうね。
だが、イエスの象徴はそれだけじゃないのですよ。
 猫はイエスのメタファーでしたね。
寛ぐ猫はただ一匹描きこまれただけで、この作品世界全体を穏やかな癒しで包み込んでしまったのです。
イエスもまた、私たちに安らぎを与えると約束しておられるのです。
マタイによる福音書 11章 28節から30節
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。
寛ぐ1匹の猫がこの作品全体に与えている安らぎは、まさに、イエスの約束された安らぎの具象化として、この作品を包み込んでいるのかも知れないです 。

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古代中国のネコはどこから来た?

興味深い記事を見つけました。

泉湖村と呼ばれる地域は、浙江省や湖南省にもあるが、本文にある泉湖村は、おそらく、甘肃省酒泉市肃州区と思われます。

甘肃省は中国大陸の北西に位置し、西に新疆ウイグル自治区、青海省、北に寧夏回族自治区、内モンゴル自治区、南に四川省、東に陝西省と接しています。

黄河が省中央部を横断し、省域は西北に向かって長く延び、これを河西回廊といいます。

河西回廊は中国から西域への通路であり、唐代には中国の領域は嘉峪関で尽きるとされました。

嘉峪関は嘉峪関市の南西6kmに位置する河西回廊西寄りの最も狭隘な地にあります。

そこは2つの丘に挟まれた土地で一つは嘉峪山といいます。

城壁の一部はゴビ砂漠を横切っています。

嘉峪関市は中華人民共和国甘肅省西北部に位置する地級市で、市名は嘉峪関から命名されました。

嘉峪関の南は祁連山脈、北は龍首山と馬鬃山に面し、その地理的特色から秦漢代以後の歴代王朝はこの地域に兵力を集中させました。

甘粛省の辺りは、地理的にはシルクロードに沿った地域であり、5,300年前の中国に西方からネコとともに人々が来ていたことを示す興味深い資料となります。

 そうなると、この遺跡のイヌも当然、西方由来と考えられますね。

甘肃省は寧夏と同様、イスラム教徒の回族が多く、最大の都市である省都の蘭州はイスラム都市の観を呈しています。

チベット人の自治州が南部に、自治県が西北部にあります。

 チベットは日本とともに、古代中東の遺伝子であるYAP遺伝子があるのですよね。

この文章では、泉湖村のネコについては血統を突き止められるだけのDNAを見つけることができなかったとして、時期的には可能性があるとしながらもリビアヤマネコの血統に属していたという確信は得られていないと述べています。

だが、古代中東の遺伝子を持つ民族の地である以上、リビアヤマネコに属するネコの骨が今後見つかるかも知れません。

イヌについても、DNAを調べてもらいたいものです。

2013.12.18 WED

5,300年前の中国遺跡で「飼いネコ」を発見

ネコが人間に飼われるようになったプロセスを示す最古の証拠とされるものが、中国で見つかった。

老齢になるまで人間がエサを与えていたネコもいたようだ。

TEXT BY AKSHAT RATHI
TRANSLATION BY RYO OGATA/GALILEO

ARS TECHNICA (US)

http://wired.jp/wp-content/uploads/2013/12/a67f656d105df5e2e7f7746a6a54cf47.jpg

イエネコの祖先とされるリビアヤマネコ。画像はWikimedia Commons

ネコと人間の結びつきを示す最古の記録は、地中海のキプロス島で見つかっている。

キプロスで約9,500年前、幼いヤマネコが人間と一緒に埋葬されていたのだ。

また、エジプトの芸術作品やネコのミイラから、4,000年前までにはネコが人間の大事なペットになっていたことがわかっている。

しかし、それがどのように行われていたかを示す直接的な証拠はこれまでなかった。

「特にネコのような、単独で行動し、遺跡で発見されるのが極めてまれな動物については、人間に飼われるようになったプロセスを明らかにすることがこれまではできなかった」と、

ワシントン大学の研究者フィオーナ・マーシャルは語る。

同氏は、このほど中国中央部の遺跡である泉湖村(Quanhucun)で、その過程を示す証拠を見つけたと発表した研究チームのひとりだ。

マーシャル氏が中国科学院のヤオウー・フーらとともに『PNAS』に発表した論文によると、泉湖村では、約6,000年前から人間が定住していた。

考古学者らはここで、住居や貯蔵穴、陶器、そして植物や動物などの痕跡を発見した。

動物は、ネコやイヌ、シカなどだった。

骨の中の同位体から、その骨がどのくらい前のものであるかがわかる。

さらに、炭素と窒素の同位体の割合から、その動物の食生活がわかる。

見つかった骨は約5,300年前のものだった。

そして、食生活の分析から、イヌ、ブタ、およびネズミはもっぱら穀類を食べており、ネコは、穀類を食べる動物を狩っていたことがわかった(おそらくネズミだろう)。

遺跡の発掘では、ネズミが貯蔵穴の近くに住んでいたことがわかった。

これは、農民がネズミ問題を抱えていたということであり、その問題には、ネコたちが役に立ったかもしれない。

狩りよりも穀類で栄養を得ていたことを示すネコの骨も見つかっている。

これは、人間がネコに餌を与えていたと考えることができる。

また、老齢まで生き延びたネコの骨も見つかっている。

これもまた、人間がネコの世話をしていて、だから野生のネコよりも長く生きたということを示すと見られる。

現在のネコは、基本的にリビアヤマネコ(学名:Felis silvestris lybica)の子孫だとされている。

しかし、泉湖村のネコについては、血統を突き止められるだけのDNAを見つけることができなかったため、彼らがこの血統に属していたという確信は得られていない。

※米英独等の国際チームによる2007年の研究では、世界のイエネコ計979匹をサンプルとしたミトコンドリアDNAの解析結果により、イエネコの祖先は約13万1,000年前に中東の砂漠などに生息していたリビアヤマネコだとされた。

現在のリビアヤマネコは、アフリカ北部、中近東、アラル海までの西アジアに生息している。

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ネコの骨は何を語る?

ネコが人と暮らし始めたのは約4000年前のエジプトであったと言う定説が、8000年前のキプロスの遺跡で疑問視され、さらにそれに追い打ちをかける報告が出ました。

ネコの家畜化、餌で裏付け=5500年前の骨分析―穀類多く食べる・中国の遺跡

時事通信 12月17日(火)5時9分配信

中国陝西省の遺跡で発掘された5500~5300年前のネコの骨を分析したところ、アワやキビなどの穀類を多く食べ、人間に飼われていた可能性が高いことが分かった。中国科学院と米ワシントン大の研究チームがネコの家畜化の過程を裏付ける最古の証拠として発表した。論文は17日以降、米科学アカデミー紀要電子版に掲載される。 

2013年12月17日 13時10分13秒

イエネコの起源が5300年前の古代中国であるという証拠が中国の農村から発見される

By Kenny (zoompict) Teo

犬と並んで世界中でペットとして暮らしているイエネコの発祥はいつ・どこからなのか?という説には、「約4000年前の古代エジプト起源説」や、さらに古くは「約8000年前の古代キプロス起源説」といったものもあります。そんな中、ワシントン大学が、5300年前の古代中国の農村があった場所から、人間と猫が共生関係にあったことを示すイエネコの骨が発見されたことを発表しました。

Cat domestication traced to Chinese farmers 5,300 years ago | Newsroom | Washington University in St. Louis
https://news.wustl.edu/news/Pages/26273.aspx

これまで、「いつからどこでヤマネコが家畜化されてイエネコになったのか」ということは定かではありませんでしたが、ワシントン大学で考古学を研究するフィオナ・マーシャル教授によると、ASUの中国調査チームのSongmei Hu氏たちによって、5300年前の古代中国の農村があった場所から世界で初めてイエネコ発祥の直接的な証拠となりうる、2匹以上の猫の骨格が発見されたとのこと。

発見された猫の骨格に対して放射性炭素年代測定法および炭素・窒素を用いたアイソトープ分析を行ったところ、耕作物を食べるげっ歯類を食べていたことが判明。また、2匹の猫のうち一方は高齢だったこともわかっており、穀物を狙うげっ歯類に引き寄せられて、少なくとも人間の村の近くで食物をとっていたことを示唆しています。

さらに、同時代の穀物の貯蔵穴が穴を掘るげっ歯類を防ぐ設計であったため、古代の農民がげっ歯類に対して問題を抱えていたことを表しており、猫をネズミなどげっ歯類の対策として飼っていた可能性も考えられます。

近年のDNA研究から、世界に6億匹存在するイエネコのほとんどは「近東由来のリビアヤマネコ」の子孫であることがわかっており、今回猫の骨格が発見された中国の農村エリアにはリビアヤマネコの亜種は生息していなかったため、イエネコ起源の証拠としては確定的とまでは言えませんが、今後この猫が近東由来のリビアヤマネコに近い子孫であることが判明すれば、イエネコ起源中国説はより確実となると考えられます。

今回の記事はイエネコに関するものです。

日本でも縄文の遺跡からネコの骨は出ているが、ヤマネコと見なされているために、たとえ人里に出没していても、一緒に暮らしていたとか、飼われていたとは見做されていないわけです。

 家畜化されたネコの起源としてはそうでしょうね。

 でも、日本のヤマネコがどれくらい人になついていたか、人を警戒していなかったか、気になりますね。

死体が人の手で処理された以上、ネズミを狙って頻繁に人里に出没し、大いに感謝されていた可能性は高かったと思いますよ。

 縄文は現代の我々が考える以上に、経済的に発展していましたからね。

ネコは体が弱ると人目を避けて隠れ、そのまま死んでしまう場合が多い事を思えば、どこでどのように死んだネコの骨か、と言うことはもっと気にされて良いはずです。

もしも、人に見とられて死んだネコの骨であったなら、たとえ飼われていなかったとしても、限りなく現代の地域ネコに近かったかもしれないからです。

少なくとも、人に見つかる可能性が高いところで死んでいた可能性が高い以上、このヤマネコたちは人をあまり警戒してなかったことになりませんか。

 地域ネコであってさえ、死に際を見とれる可能性が低い事を思えば、人の手で処理されたネコの骨があることの意味は、もっと注目されて良い。

そう思いますね。

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縄文のネコは海を渡ったか?

日本のネコは、縄文時代にまで遡れることは、貝塚から見つかる骨によってわかっています。

問題は、この縄文のネコはどうやって日本に来たかなのです。

日本が大陸から分かれる前からいたか、日本が大陸から分かれた後に来たか、考えなければならないことが分かれてくるのです。

 日本のネコが大陸から分かれる前からいたのであれば、当然野生のネコもいたことになるが、今現在残っている野生のネコは西表と対馬の二島にいるだけですね。

そうなると、西表と対馬の二島のネコははたして、大陸から分かれる前からいたのかとなるわけです。

ならば、日本が大陸から分かれた後に来たかとなるが、厄介な問題が生じます。

ネコの中にも泳ぐ仲間はいるが、ネコは基本的には泳ぐことは好きではありません。

つまり、日本が大陸から分かれた後に来たとすれば、誰かに連れてこられる必要があるのです。

 縄文時代の貝塚からネコの骨が見つかっているが、ヤマネコ、それも、オオヤマネコの可能性があるのでしたね。

現在の日本には対馬と西表の二島にヤマネコはいるが、オオヤマネコは確認されていません。

野生化したネコの捕獲と飼育の報告例もあるが、オオヤマネコではないようです。

 ヨーロッパとアメリカのオオヤマネコは近縁と見られているので、もし、日本の貝塚のネコの骨がこれらのオオヤマネコと近縁なら、面白いですがね。

オオヤマネコでも、アメリカ経由でヨーロッパとの繋がりが証明できますからね。

縄文人が地中海世界を含む西方世界を経由していることは、ヨーロッパと共通の遺伝性疾患、秋田美人の肌の白さ、そのうえ、秋田犬の血液型パターンまでもが、指し示していることも、見てきました。

琉球人とアイヌは共にYAP(+)遺伝子が見つかり、アメリカのケネウィックからアイヌの親戚としか思えない古代人骨が出ています。

 アイヌと琉球人は顔立ちが似ているから、ケネウィック古代人骨は琉球人の親戚の骨と見ることもできるのでしたね。

 ケネウィック古代人骨はスペインやフランスの様式の鏃を伴っていたことを合わせると、アイヌや琉球人の親戚は地中海世界にいたことになりますね。

 人だけなら、島伝いであれば、丸太舟やアウトリガーで来た可能性も考えられますねね。

ただ、ネコとなると、丸太舟やアウトリガーで来たと見ると、かなり無理があります。

 ネコが小さな舟に、大人しく乗ってくれるとは、とても思えないですよ。

舟にある程度の大きさがないと、ネコの移動には無理があります。

空間はある程度狭くても良いが、ネコには高低差と隠れる場所が必要なのです。

 少人数の小舟ではなく、ある程度人や荷を運べる船舶と呼びたくなるような大きさがいる…。

地中海世界からアメリカ、さらに、アメリカから日本への、ある程度の大きさの船が旅立ったと見える記述は、またしてもモルモン書にあるのです。

 問題は、定説とされる縄文時代の始まった時期と、モルモン書の記載が示す時期の差でしょ。

そうなんですね。

 縄文人の一部ならともかく、全部となると…。

しかし、そこをあえて目をつぶって比較すると、説としては面白い話が展開できてしまうわけです。

アイヌの生活文物と古代イスラエルとの類似、沖縄の伝承や文化と聖書の類似が指摘されています。

 太平洋の中ほどに古代の日本とアメリカの交流ルートがあったと、縄文土器や遺伝子、寄生虫から見ても、指摘できましたね。

琉球人には古代アメリカと同様なを使った記録法の文化があり、沖縄からは煙が立ち上る階段ピラミッドを連想できる古代の絵が見つかっているが、アメリカの階段ピラミッド遺跡の上でも火が焚かれていた痕跡が確認できています。

古代中東の遺伝子とされるものに、YAP遺伝子があることは、これまでにも触れてきました。

そして、ユダヤ人、正確にはユダヤ人の男子に、YAP(-)遺伝子があると言われます。

しばしば、YAP(-)遺伝子とはYAP遺伝子がないと誤解する人がいるが、余分な遺伝子があるYAP(+)遺伝子に対して余分な遺伝子がないからYAP(-)遺伝子なのです。

現在YAP遺伝子を持っていると確認されているのは、ユダヤ人と日本人とチベット人だけとされます。

そして、YAP(-)遺伝子があるのはユダヤ人とチベット人、そして大半の日本人の男子です。

大半の日本人の男子といったのは、アイヌや琉球民族はYAP(+)遺伝子なのです。

 ハワイにも、YAP(+)遺伝子を持つ人々がいるので、古代中東から地中海、そして、アメリカ大陸を経て、大西洋を渡って、日本に来て今日に至る道筋を考えられることも見たのですよね。

 こうしてみると、間に挟まれたアメリカ大陸に、古代中東文化の痕跡を見出さない方が、不自然ですね。

アメリカから来た一団が、縄文人の上に君臨し同化したとみれば矛盾は消えるが、縄文人の起源と見るとどうなるかとなるわけです。

 遺伝子的には、アメリカから来た一団こそ縄文人の起源と見た方が無理はない…。

以前から、アメリカと日本の先住民は同祖とされ、近年、遺伝学的にも裏付けられてきたわけですから。

 定説とされる縄文時代の始まった時期と、モルモン書との時間差を埋めようとすれば、4000年程前と聖書学的にはされているノアの洪水を史実としないと、辻褄が合わなくなる…。

 それも、ノアの洪水を地球的な規模の水没と見ない事には、現代の科学との整合性が取れない…。

モルモン書の記述を史実と認めると、ノアの洪水の水は、どこから来たかとなります。

聖書には洪水後に初めて虹が出たとあり、寿命も洪水の前後の異なることから、相当分厚い雲で地上が覆われていたと想定することになります。

 聖書の言う地の水と分けられた天の水とは、分厚い雲だったとみれば、確かに雲は天の水ですね。

では、その分厚い雲はなぜに突然、大雨を降らせたかも、解明しないといけなくなり、歴史は大きく塗り替わることになります。

 アメリカの先住民の文化の解明に大きな貢献が期待できるカホキア遺跡に大規模な洪水跡が見つかったが、モルモン書にはあたかもこの事件を記録したかのような記載があるのでしたね。

もしこの遺跡の研究が、モルモン書の記述を裏付けることになれば、その他の記述の信憑性の検証も必要になるわけです。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっていますからね。

 古代エルサレムを彷彿とさせる作りの町や、祭政一致の社会などですね。

でしょ。

こういう社会を作ってきた人たちが、縄文人の起源と関係が深いのは面白いですね。

 ここで注目したいのは、失われた10支族を探しているイスラエルの機関であるアミシャブは、インドのカシミール族、ミャンマーのカレン族、シンルン族、中国のチャンミン族とも呼ばれる羌(きょう)族などを特定したとするが、いずれもチベット系少数民族ですよね。

日本語は、チベット語やビルマ語と似ていると指摘されます。

日本語、チベット語、朝鮮語、チュルク語は主語・目的語・述語の順です。

一方、中国語は、英語などと同じ、主語・述語・目的語の順なのです。

それで言語学者の中には、チベット語が日本語のルーツと主張する人もいます。

そのチベット系少数民族が、アミシャブによって10支族の末裔と特定されたなら、チベット族が10支族の末裔と特定されたに等しいと言えますね。

 そして、チベット語に日本語のルーツ説が出てる…。

これは言い換えれば、日本に来る途中何らかの理由で離脱した集団がチベット人のルーツと言ってるのと同じことになりませんか。

 何らかの理由で旅に耐えきれない幼子や妊婦を抱えた一族が、この地に留まっってそのまま定住し、チベット族になったということでしょうか。

チベット族の先祖は遊牧の民であったとされます。

この地に何らかの理由で留まる選択をする人々がいても、不思議はないですね。

 東京大学の江上波夫名誉教授が唱えた騎馬民族征服王朝説と重ね合わせると、面白いですね。

騎馬民族征服王朝説は、北アジアの諸民族に影響を与えたスキタイ文化の流れが、朝鮮半島から日本にまで及ぶことを背景に展開されたのですよ。

江上波夫名誉教授は、後に高句麗や百済を建国することになる東北アジアの騎馬民族の扶余の一部が、紀元前4世紀、朝鮮半島から日本に侵入し先住民族を支配して大和朝廷を築き、王族は天皇家の先祖となったと言う説を展開したのですよ。

チベットはむしろ南方なので、騎馬民族征服王朝説と結びつけるには無理があります。

 騎馬民族なので、一族自体は広くアジア一帯に展開した可能性は見ても良いかも知れないですね。

シルクロードは、実際には一本ではなく、アジア全体に展開していた交易路の総称なので複数形のシルクローズと言う方がむしろ実態には合っていますから。

 そして、これまでアミシャブによって10支族の末裔と特定された民族を地図上に落とすと、見事にシルクロードが浮かび上がるのですよね。

さらに、日本の神社の構造や神職の服装、さらには塩による清めや植物による祓いまでも古代イスラエルに似てるなどの事実が日ユ同祖論で指摘されてきました。

 正月の鏡餅と過ぎ越しの祭りの種入れぬパンの類似や、諏訪大社の御頭祭とモリヤ山でのアブラハムとイサクの故事の類似、相撲の起源など、いろいろ指摘されますね。

これらの類似の起源が、縄文にまで遡る可能性はあるのです。

 縄文から弥生、古墳時代に至るまで断続的と見るには連続性が強いとは、何度となく言われてきたことですね。

そうなると、アイヌの生活文物と古代イスラエルとの類似、沖縄の伝承や文化と聖書の類似も、日ユ同祖論の延長線上に乗ってきますね。

 縄文人は、地中海世界からアメリカ、アメリカから日本と、ネコと一緒に海を渡ったのでしょうか。

少なくとも、それを可能にする技術は持っていたことになりますね。

縄文のオオヤマネコが、ヨーロッパやアメリカに由来したとすればの話ですけどね。

 その船が、モルモン書に記載されたものと同じかどうかですね。

もし同じとしたら、歴史の教科書は大改訂が必要になりますよ。

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何故にドラ?

野良猫と、ドラ猫っていいますね。

 二通りの言葉があるのは、当然、それなりの理由がある。

野良は、野良猫、野良犬、野良仕事と、それほど悪い意味はないです。

 野にいると言う意味では、野巫(やぶ)という言葉がありますね。

野にいるとは、特にどこかに仕えているわけではない、どこかに所属しているわけではない、という意味もあります。

 野良猫、野良犬、野巫は、どこかに所属しているわけではない、ということですね。

それ以上の意味はないです。

 後は、屋内ではないという意味での、野。

だから、野良仕事という使い方もあるのでしょうね。

 野党は、屋内にいますけど。

この場合の野は、権力の座にいないとか、民間に降ったと言う意味ですから。

ただし、野猫(やねこ)というと野生化したイエネコのことをさすので、単に飼い主がいない場合には野良猫というべきでしょう。

また、野犬(やけん)というと飼い主のいない犬であるが、単に野犬というと野生化した犬を含むので、飼い主がいないと言いたいだけなら野良犬と言いましょう。

ところが、ドラは、ドラ猫、ドラ息子と、どうもあまり良い意味で使われないです。

さらに、野良と違って、ドラ犬とは言いません。

このドラに、銅鑼が語源という説が出るのは、興味ありますね。

 ドラ猫のドラは銅鑼が語源というけど、寺と神社の見分けがつきにくい場合、銅鑼があるのが寺、鈴があるのが神社でしょ。

 なぜ、ドラ猫というと、あまり良い印象がないのでしょうね。

僧兵といって、日本の古代後期から中世、近世初頭にかけて存在した僧形の武者がいました。

その名で連想できるように、主に寺社勢力に所属する武装集団です。

僧兵は、法師武者あるいは武装した僧侶を僧衆、悪僧と同時代でいうが、それを江戸時代以降呼称した言葉です。

ちなみに悪僧の「悪」は悪党の悪と同じで「強い」という意味合いがあります。

ちなみにこれに対し、神社に所属する武装集団を神人(じにん)といいました。

 そういえば、神社系の武士集団出身とみられる武将もいましたね。

今回は深入りしないけど、結構いますね。

日本以外にも、嵩山少林寺のように僧兵として武装集団を組織する仏教僧の集団がいました。

僧兵は、広義には武装した宗教集団を指すこともあって、その場合はヨーロッパの騎士修道会も含まれることがあります。

僧兵や神人が活躍した時代は、社会が乱れる一方でした。

広大な寺領・神領を有して経済的に豊かであった寺社は盗賊のみならず、さまざまな勢力によって狙われる危険性が生じたのです。

このため、こうした動きから寺社を防衛する武力を保持する必要が出てきます。

一見矛盾するように見える「寺院・神社の武装化」は、このような時代背景のもとに推進される事になるのです。

とはいえ、僧兵の横暴が朝廷の不安要素であったことがうかがえる出来事もありました。

京都・奈良の大寺院の雑役に服する大衆である堂衆が、自衛武装した僧兵が居ました。

堂衆が自衛武装した僧兵は、平安時代末期には強大な武力集団となり、興福寺・延暦寺・園城寺、東大寺などの寺院を拠点として、寺院同士の勢力争いや、朝廷や摂関家に対して強訴をくりかえします。

以仁王の挙兵では、平家とも争い、『平家物語』の武蔵坊弁慶などにも、その描写がみられます。

特に、南都の興福寺は衆徒あるいは奈良法師、北嶺の延暦寺は山法師と呼ばれました。

白河法皇は、天下の三不如意、つまり自分の意のままにならないものとして「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山の僧兵)」を挙げています。

中央から離れた地域でも有力寺社は軍事力を持ったり地元軍事力と結びつき、当時のパワーバランスに大きな影響を及ぼしていました。

源平の争乱の時には、熊野水軍を取り仕切っていた熊野別当にたいし双方から政治的な取引がなされた例などがよくしられています。

室町時代に、かつて義円と名乗り天台座主だった足利義教が、僧兵の軍事力と粗暴さを熟知しているため、延暦寺討伐に動き出して大規模の弾圧を実施しました。

 後年の織田信長も延暦寺の焼き討ちををやっていますね。

このような歴史があって、厄介な、持て余す、手を焼く、という意味で寺の事を遠回しに銅鑼と言ったのかも知れないですね。

 ドラ猫、ドラ息子と言って、犬には言わないですね。

困りものではあるが、余り邪険にも出来ない相手に使ったからでしょう。

 野犬が、野生に戻った犬だけでなく、飼い犬ではない場合を含むのは、危険を感じるので即座に処分も仕方がないと言う意味も込められている。

 だから、ドラを困りものの野良犬には使わない。

そうかも知れないですね。

どら息子のドラには、ほかにも、道楽、野良が訛ったという説もあります。

働き手、さらには跡取りとしての期待さえあったので、簡単には邪険にはできないだろうということで、今回は銅鑼語源説をとりました。

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出雲童歌「ネコにゃんにゃん」とナニャドラヤ?

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」について、どんな些細な情報でも良いから欲しいと、聞きまわっていました。

すると、こんな感想が寄せられました。

イスラエルの民謡の特徴の一つは 同じフレーズを繰り返すことらしいですよ。

ネコにゃんにゃんは繰り返していますから、やはりイスラエル縁の民謡でしょうね。

そして、埴輪の中にユダヤ人の特徴的身なりとよく似たものがあると、指摘してくれました。

それは、大きな丸いつばのついた帽子をかぶり長いもみあげを垂らした男性像です。

オクマン山古墳出土埴輪鷹匠と、説明には書いてありました。

これは現在、新田荘歴史資料館に展示されています。

大きな丸いつばのついた帽子をかぶり長いもみあげを垂らせばユダヤ人男性の特徴というので、ハロウィンのコスプレ用グッズにも、ぺオートと呼ばれる独特なもみあげ付き帽子が売られているのを検索で見つけました。

埴輪の時代には、わざわざユダヤ人の格好に扮して遊んだ人もいないだろうから、ユダヤ人を模ったとしか見えなくなりました。

 出雲と東日本、離れてますね。

でも、思い出してください。

松本清張の「砂の器」では、出雲の辺りと東日本では似た言葉が話されていると話題にしていました。

 でも、問題はネコでしょ。

 しかも、踊っている。

それについても、興味深い情報をくれました。

ナニャドヤラは、にゃん にゃんと聞こえるので、猫歌というみたいですね。

 猫歌と呼ばれるとは興味深いですね。

ナニャドヤラとは、「ナニャトヤラ」とも言われる青森県南部から岩手県北部にかけての地域及び秋田県鹿角地方の旧南部藩領内に伝わる盆踊りです。

踊りに定型はなく、地域によって、あるいはひとつの地域に何種類も伝わっているそうです。

ナニャドヤラは盆踊りでの「はやし歌」の歌詞からとられた名称です。

長い間、さまざまに解釈されてきたナニャドヤラの歌詞は、歌の中でのはやし言葉として現れるといいます。

歌詞は地域によってもばらつきがあり、さらに、研究者が方言を聞き取って表記したため、さまざまな文献によって表記が異なるらしいです。

現在行われている「ナニャドヤラ大会」で見られる歌詞は以下の通りです。

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ

ナニャドヤレ ナサレデ ノーオ ナニャドヤレ

ナニャドヤラヨー ナニャド ナサレテ サーエ ナニャド ヤラヨー

ナニャド ナサレテ ナニャドヤラ ナニャド

南部地方以外の人にはニャンニャンと聞こえたため、「南部の猫唄」と呼ばれていたといいます。

土地の老若男女が夜を徹して踊りながら歌い、この晩だけは普段思い合っている男女が夜陰にまぎれて思いを遂げることを許されていたというのです。

出雲の童歌「ネコにゃんにゃん」と「バステトの大祭」と比べたことがありました。

バステト女神は、古代エジプトのネコの頭部と、女性の身体をしたエジプト神話の、喜びと、豊穣、性愛、音楽とダンスを好む踊りの陽気な女神です。

人間を病気や邪悪な霊から守る、慈愛に満ちた女神でもあります。

ちなみに、バステトという名前そのものは、「軟膏壷の婦人」という意味だそうです。

壷の軟膏は、薬であったと考えられます。

バステトの大祭では、猫と踊りと太陽と愛の神様でもあるので、ワインやビールを飲み交わし、飲んで歌って騒いで大騒ぎをします。

バステトは性愛の女神でもあるから、普段思い合っている男女が夜陰にまぎれて思いを遂げたこともあったかもしれません。

古代エジプトは、結婚は決められた相手としなければならない代わりに、恋愛はかなり大らかだったそうです。

恋愛について女性が残した文章の中には、水浴びを見せて欲しいと言われたい、というのもあるといいます。

吉村作治教授によると、結婚は、年齢によってカップリングになるかどうかが変わってきますので、年齢制限のようなものはありませんでした。
http://www.yugakusha.net/study/yoshimura_egypt/200510/200510-5.html

男性で15歳、女性で13歳にもなれば、結婚はできたそうです。

 水浴びを見せて欲しいと言われたいと書き残した女性は、10代半ばだったのかしら。

ナニャドヤラには、さまざまな説が出ています。

柳田国男の恋の歌説。

青森県八戸市の中里義美氏の道歌説。

南北朝時代、長慶天皇が足利氏に追われ、三戸郡名久井岳の近くに隠れ住んだ際に、味方に無事を知らせる内容を里人に唄わせたという梵語説。

そして、岩手県一戸町出身の神学博士・川守田英二が大正時代に唱えたヘブル語説。

川守田英二によると、「ナギャド」は、「前方へ」という副詞と「指導者」という名詞になっているというのです。

また、「ナサレ」は「掃蕩」と解釈でき、「ナギアドナサレ」は、「前方を掃蕩する」という意味だといいます。

そこでナニャドヤラは進軍歌であり、「御前に聖名をほめ讃えん 御前に毛人を討伐して 御前に聖名をほめ讃えん」という意味だと発表したのです。

川守田英二の解釈で良いかどうかはさておき、ナニャドヤラがヘブル語とすれば、少なくとも中東には遡れる可能性は見えてきます。

 そういえば、古代イスラエル人は長年エジプトにいた。

 ナニャドヤラが仮に中東の言葉として訳せるとしたら…。

バステトの大祭が連想できるネコにゃんにゃんの起源は、ナニャドヤラに遡れるかも知れないと考えても良さそうに見えてきますね。

南部地方以外の人にはニャンニャンと聞こえたため、「南部の猫唄」と呼ばれていたというのは、気になります。

ネコにゃんにゃんの歌詞には、こういう部分もあるからです。

にゃんにゃんのん にゃんにゃん にゃんにゃんのん ・・・
にゃん にゃん にゃん にゃん にゃん にゃん

このニャンニャンと歌われた箇所は、実はナニャドヤラだったのでしょうか。

 ナニャドヤラは踊られ、しかも、「南部の猫唄」と呼ばれていた…。

そうなると、出雲にネコがいーたそうな、というのはどういうことなのでしょう。

 ネコの正体、なにかしら。

なにでしょうね。

追記

出雲童歌「ネコにゃんにゃん」の歌詞はここに収めました。

この歌についての情報募集中です
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_78ef.html

バステトの大祭とはここで比べました。

出雲の童歌「ネコにゃんにゃん」と「バステトの大祭」?
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-b403.html

出雲と東日本はここで比べました。

出雲と関東
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-a70a.html

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少子化で、人格形成にも影響が出ていないか想ってみた。

猫や犬は、大勢と暮らせる子に育つにはどうしたら良いと思いますか。

生まれてからすぐ家族から離れた子は、大勢と暮らすのが苦手です。

少なくとも四ヶ月くらいまで、家族の下で兄弟姉妹とじゃれあいながら過ごした子は、大勢と暮らすのはそれほど苦手ではないです。

人間には、最近きれる子が多いと聞きます。

かつては、“きれる”というと“頭がきれる”、つまり、いろいろとよく気がつくということだったでしょ。

いまは、“きれる”ということは“堪忍袋の緒がきれる”、つまり、変化についていけずストレスがたまりやすいということだそうですよ。

こどもは、大勢の仲間とじゃれたり駆け引きしたりすることで、変化に機敏に反応したり、感情を上手に操ったり、じっとこらえたりする訓練ができるのですよね。

近頃の人間の子は、少子化で兄弟姉妹はいないは、近所の遊び仲間はいないは、思いっきりじゃれるに家は狭いは、空き地はないは、小さいときから塾通いだは、一人遊びが多いは、でしょ。

おまけに、近所の大人とのコミュニケーションも商店街や地域の人間関係の崩壊で途絶えがちではないでしょうか。

これって、無人島向きの人を量産中ってことでしょうか。

 犬猫もペットショップで売れるのは2ヶ月くらいの子がいいとかで、はやく母離れさせることが多いそうですよ。

 そうすると情緒不安定で虚弱な子が多いそうです。

こどもにとって何がいいか、大人はもっと成長しないと、いけないようですね。

 犬猫は集団で生活するための協調性を養うために、すこし大きくなるまで親や兄弟と一緒にいるほうがいいってのも聞いたことあります。

 一緒に遊ぶ中で学ぶことは多いはず。

 犬も猫も人間もそれは同じことですね。

どうしたらいいか、もっと多くの人が考えるようになる方がいいでしょうね。

 最近は小さい頃からコミュニケーションを取る相手が限られてる感じですよね。

 昔は近所の子と空き地で遊んでたんですが、だんだんとそういう姿を見かけることもなくなっちゃうんでしょうか…。

空き地そのものがほとんどないか、入れなくされてるのではないでしょうか。

 最近は、空き地でなんかあったら、責任問題とかになったりしちゃいますからね。

 大人は、責任のなすり合いですからね。

 あとあと問題になりそうなことは、最初からやらせない…。

 いいんでしょうかね。。

責任能力の低下、なのでしょうかねえ。

 ふんふんと納得しながら聞いてました。

 うちの犬も1ヶ月半でデパートのペットショップにいましたが、見知らぬ犬や人と全然仲良く出来ないので当ってます。

 まあ犬だしほとんど外出しないんで人様に迷惑はかけてないけど、これが人間だと確かに困りますね。

でも、人間関係がうまく結べないで困ったり、周囲とトラブルになったりしてる人、最近多いようですねえ。

 幼い頃から近所の大人や老人など年上ばかり回りにいる中で育っていると、同年齢の世代とどう付き合ったらよいか勘所がつかみきれないで悩む人がますます増えるでしょうね。

やはり、少子化対策は、ちゃんときめ細かくやって欲しいですねえ。

社会を支える世代の減少ばかりが注目されるけど、人格形成にも深く関わってきますからねえ。

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猫と犬に引かれた先はエジプト?

これまでにも、何回か触れてきたけどアイヌ語では猫を“チャペ”と呼ぶようです。

“チャペ”は、ローマ字だと“Chape”となるのでないでしょうか。

これを“Chap”と書き換えて見ます。

こう書いてみると、妙なことに気づくのです。

猫は、英語で“Cat”、フランス語で“Chat”、ドイツ語で“Katze”、オランダ語で“Katten”、ロシア語で“Koshika”、イタリア語で“Gatto”、スペイン語やポルトガル語で“Gato”、ハンガリー語で“Macska”などです。

 以前、フランス語との類似に注目したけど、綴りだけ見れば英語の“Cat”も何となく似てますね。

“ねこ”の呼び方はヨーロッパ全体を通して、明らかに一つの語源から、展開しているのが見て取れるでしょ。

 そういえば、エジプトでは、猫を“マウ”とも“オッタ”とも呼んでましたね。

今ではもっぱら、“オッタ”を使うようですね。

 ということは、“マウ”の方が古いのでしょうかね。

エジプシャンマウという、ネコ種の名前に名残をとどめているだけのようですね。

 そうなると、“オッタ”と猫を呼んでいた人たちが、ヨーロッパにもたらし、転化によって各国語に変化したと見て取れますね。

驚くほど、発音の雰囲気や綴りが似てますからね。

 こうやってみると、アイヌ語の“チャペ”はフランス語に近いことがよくわかりますね。

そういえば東北弁なまりまくりのシャンソン歌手、今は亡き淡谷のり子は、ある番組で、なんでシャンソンでなまらないのかと訊かれるとこう答えると言ってましたね。

“東北弁とフランス語は発音が似ている”と…。

 でも、語順は似てないのは、面白いですね。

語順まで似ていたら、もっと早くみんなが気が付いたでしょうけどね。

 英語も、アイヌ語の“チャペ”に綴りだけ見ると微妙に似てるけど。

こうしてくらべてみると、改めて、アメリカのケネウィックから出たアイヌとイギリスに二股かけた古代人骨とともにフランスやスペインの様式の鏃が出た意味が、大きいとわかりますね。

 特徴を抑えて書いた縄文人の顔が、フランス人女性にそっくりさんがいる男性タレントに激しく似ていて、しかもその縄文人も女性の顔でしたね。

男の顔は母親に似ることが多いとは聞くけど、描かれた似た顔がどちらも女性って、出来過ぎでしょ。

 でも、アイヌの生活文物が古代イスラエルに似ていて、イスラエル人は一時エジプトにいたでしょ。

“ねこ”は、エジプト語で“オッタ”、フランス語で“Chat”、アイヌ語で“チャペ”ですね。

 丸唇音から平唇音への変化が原因で、発音が変化したと見て、エジプト語からフランス語への転化は説明できそうですね。

フランス語からアイヌ語へは、こうしてみると、わずかな差に見えますね。

それに対しアイヌ語の犬は“セタ”で、ローマ字表記は“Seta”ですね。

面白いことに、古代エジプト語で犬は“セセム”だったそうです。

 現代エジプト語では、どうなのでしょ。

さあ、そういえば。

 調べてない。

うかつでしたね。

 でも、“セタ”と“セセム”、こうやって見るとほとんど変わってないことに驚きますね。

犬は、英語で“Dog”、フランス語で“Chien”、ドイツ語で“Hund”、オランダ語で“Hond”、ロシア語で“Sobachka”、イタリア語で“Cane”、スペイン語やポルトガル語で“Perro”、ハンガリー語で“kutya”などです。

つまり、ヨーロッパの言葉で言うと西欧の言葉に案外近い呼び方なのです。

 犬の呼び方でも、フランス語は比較的近くないですか。

 よくみると、“いぬ”のほうも“セセム”から転化していったと感じられそうですね。

 新人と呼ばれるクロマニヨンの名称が、発見されたフランスの地名に由来することをあわせて考えると、興味深いですね。

クロマニヨンも後期旧石器時代だから、ケネウィック人とともに見つかったフランスとスペインの様式の石器と、基本的には矛盾しないと見て良いでしょうね。

 定説で考えている時期との差の問題があるから、猫や犬との間に見える接点は偶然にしか感じ取れないかも、知れないけど。

特に問題となるのは、猫でしょうね。

ただ、2004年8月、キプロス島のシルロカンボス遺跡(shillourokambos)からおよそ9500年前の、人間の遺骨から距離が40センチしか離れていない猫の遺骨が発見されている点は注目して良いでしょう。

人間と共に埋葬されたこと、貝殻や磨かれた火打ち石、斧などの人工装飾品も同じ場所に埋められていたことなどから、この猫は偶然人間の墓場に迷い込んだのではなく、意図的に埋葬されたものだと考えられています。

後期旧石器時代は4万から1万3千年前と見れられているけれど、およそ9500年前となるとどちらも推定の域を出ない年代である事を思えば、ほぼ重なると言って良いかもしれないですよ。

ちなみに発掘された猫の遺骨は、現代のイエネコよりはリビアヤマネコに近い骨格をしていたといいます。

クロマニヨンは、主流派の学説ではそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとされています。

そして、現代人、特に欧州の人種とよく似ていると言うから、キプロス島の遺骨をクロマニヨンでなかったと判断する方が困難でしょう。

縄文時代は、年代でいうと今から約1万6,500年前というから紀元前145世紀から約3,000年前つまり紀元前10世紀、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代です。

約1万6,500年前から約3,000年前といえば、クロマニヨンとも十分重なります。

世界史では、中石器時代ないし新石器時代に相当する時代なので、後期旧石器時代は直前に当たり、日本でさらに発展させたと見ても問題はないでしょう。 

 味の好みは、日本とエジプトはほとんど変わらない。

 宗教の基本的構図も、太陽神を中心とした三神構造で、しかも動物神を含む多神教であることまで似てる。

 日本人の足で最も多いのは、エジプトタイプ。

さらに、犬や猫の呼び方まで、アイヌとエジプトで似ている可能性があるでしょ。

 特に犬。

顔立ちまで、濃い顔の人たちは日本とそっくりな可能性が大きいとくれば、日本とエジプトを親戚関係ありと見ないわけにいかないですね。

 トンカラリン遺跡と、大ピラミッドの内部構造の類似まで、吉村作治教授は指摘してますよね。

日本の神社建築は、建築様式を秦氏が持ち込んだとはいえ、あまりに古代エジプトに構成が似てます。

宗教の基本的構造の類似から言っても、違和感は全くない。

強いて言えば、偶像を置いてないくらいでしょうね。

建築素材の差を除けば。

 それと、賽銭箱もでしょ。

そうでしたね。

 日本の天皇さえも、地上の太陽神という構図はそっくりですよ。

天皇即位の儀式に立ち会う女性が居るけれど、古代エジプトのファラオの即位にも女性の存在が欠かせなかったでしょ。

 こうしてみると、古代エジプトから引っ越してきた人々が、日本人の祖先に見えてきますね。

日本とエジプトの親戚論まで、言いたくなりますね。

追記

津軽弁でも猫は “チャペ” と言うとの、情報を戴きました。

残念なことに、若い人はあまり使わないとか。

こうやって、貴重な言葉の情報は消えていくのですね。

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灰かぶり猫について改めて考えてみた。

ペローやグリムの残した『シンデレラ』よりも以前の17世紀の南イタリアで書かれた『Cenerentola(灰かぶり猫)』という作品もありましたね。

なおシンデレラは、ゼゾッラの名で登場します。

シンデレラは、ドイツ語のAschenputtelのほか、英語でCinderella、フランス語でCendrillon、イタリア語でCenerentola、などの名前で呼ばれています。

英語のcinder、フランス語のcendre、ドイツ語のAsche、イタリア語のcenere などはいずれも「燃え殻」「灰」を意味します。

なぜ灰かぶりと呼ばれるかについては、マタイによる福音書11章に、気になる記述があることに気づいたことも話しました。

灰をかぶることに関する、イエスの言葉が出てくるのです。

繰り返しになるけれど、少々長いが20節から24節を引用します。

20それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドン行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンのほうが、お前たちよりまだ軽い罰で済む。

23また、カフェルナウム、お前は天にまで上げられると思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。

24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前たちよりまだ軽い罰で済むのである。」

私たちの知っているシンデレラの物語では、継母に虐げられてもじっと堪えているところから話は始まります。

 ところが、灰かぶり猫のゼゾッラは裁縫の先生は共謀して、ゼゾッラと不仲であった最初の継母を殺害する。

 十戒には、あなたは殺してはならない、とありますね。

 モーセは、事故で死なせたら罪に問われん無いが、恨みで殺したら死ななければならないと、戒めていたことを思い出しました。

 逃れの町について、民数記35章、申命記19章、ヨシュア記20章などにあるけれど、わざとではないのに死なせた場合だけ、逃れてよいはずですよ。

 本当に、マタイによる福音書による解釈で、良いんですかねえ。  

 不安になってきました。

カインとアベルの話を、覚えていますか。

 カインはアベルを殺しましたね。

神はアベルの供物に目を留めカインの供物は無視したので、カインは嫉妬してアベルを殺したのでしたね。

 ゼゾッラは、不仲であった継母を恨んで、裁縫の先生は共謀して殺してますね。

 細かいところに違いはあるけれど、動機は似ている。

創世記4章から、振り返ってみましょう。

9主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

11今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。

12あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。

14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

15主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

主は、カインの言葉に神の怒りに対する恐れを感じ取られたのでしょう。

「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

神の罰を恐れていなかったら、カインはとぼけたでしょうか。

 自分の行為を当然と思えば、開き直ったでしょうね。

 そして、神の怒りによって殺された。

けれど、カインは神に殺されると思って、必死に逃れようとした。

「わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

死を覚悟したカインを憐れんだ神は、こう告げましたね。

「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。

一方ゼゾッラは、不仲であった継母は殺したが、共謀しながら裏切った裁縫の教師の仕打ちには堪えました。

 復讐の機会を狙っていた、それとも、自業自得とあきらめた。

それは、わかりません。

言えることは、ゼゾッラが堪えるものとなったさまを灰かぶり猫と呼んだと、読める事だけです。

「これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。」

この記述に、裏切り者となった裁縫教師の仕打ちに堪えたゼゾッラが重ねられたと見なければ、彼女にもたらされた救いは理解できないでしょうね。

妖精の鳩に貰ったナツメの木は実は魔法の木で、彼女は木の魔法によってきれいに着飾ってお祭りに参加して国王に注目される。

国王の従者に追いかけられたゼゾッラは、履いていたピァネッレを落としてしまう。

ピァネッレとは、17世紀のイタリアで履かれていた木靴のことです。

ゼゾッラは、魔法が祭りに参加するための一時的なものであり、時が来れば解けることを知っていたので焦ったわけです。

 魔法がばれたら、全てを告白しないといけない。

そのとき、自分たちに訪れる破局を、恐れたのでしょうね。

嘘に嘘を重ねて、その場を取り繕っても、発覚すれば更なる悲劇が待っていると知っていたのでしょう。

 神は、ゼゾッラはとことん神を恐れるものとなったと、理解していた。

おそらく、そうでしょう。

そうでなければ、ゼゾッラにとってのハッピーエンドはこの物語にないでしょうから。

 ゼゾッラは、何事もなかったかのように、元の日常に戻ったのでしょうね。

おそらく、そうでしょう。

そして、もと、裁縫教師であたった二人目の継母の仕打ちに堪えたのでしょう。

悔い改めたゼゾッラは、大公の娘としての気品とへりくだった者の持つやさしさを兼ね備えた美しい娘となって、国王の目に留まったのでしょう。

 悔い改めとへりくだりのたいせつさこそ、灰かぶり猫という題に込められたメッセージであった。

主人公の罪を犯した場面を除かれてしまったシンデレラの話は、へりくだりの大切さと堪えることの美徳を説く物語に変質してしまったといえるでしょうね。

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