イタリア

モンゴロイド

DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

 そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

 人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
 ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

 日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

これが、後のモンゴロイドです。

モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

 古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

 アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

 アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

 だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

 その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

 古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

 そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

 メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

 フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

 東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

 ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

とはいえ、興味深い遺跡はあります。

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

 縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

 モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

 アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

 精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

 しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
親指が長い他に、足幅が広めな形です。
親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

 つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

 ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

 南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

 そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とユダヤ?

TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とも呼ばれる家族性アイルランド熱については、以前、日本でも発症例があることは触れたが、アイルランドがケルトの多い土地であり、日本とケルトの繋がりが見えることの方に注目したのでした。  

  詳しいことには、あまり踏み込みませんでしたね。

あの時は、家族性地中海熱の方がメインでしたからね。

改めてこの遺伝性疾患に注目したのは、この病気にもユダヤ人が絡んでいるからなのです。

 家族性地中海熱と家族性アイルランド熱、どちらもユダヤ人が絡んでいるなら、日ユ同祖論者は喜んで飛びつきますね。

ただ、ユダヤ人が以外の発症者がいることを、どう見るかですね。

TRAPS患者は、今までのところ日本以外の東南アジア諸国において報告されていないと言います。

報告された最初の症例は、アイルランドとスコットランド系の人種でした。

その後それ以外の人種でも報告があったけどほとんどのTRAPSの患者は北ヨーロッパ系と中東系の人種で、ユダヤ人の名前はその中にあります。

フランス人、イタリア人、スペイン人、アルメニア人、プエルトリコ人、アルメニア人、ユダヤ人、アラブ人、カブール人、アフリカ系アメリカ人です。  

東南アジアどころか、東アジアで見ても、日本だけでしょ。

 家族性地中海熱は、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人だから、イギリスを除けば似た地域ですね。

地中海やアメリカにまで症例が見つかったので今ではTRAPSと略称で呼ばれることが多いが、この遺伝性疾患もまた日本と地中海との繋がりを示すと言えますね。

TRAPSは、常染色体優性遺伝とみられてきました。

優性遺伝性の自己炎症性疾患であろうと思われ、皮疹、腹痛、筋痛、結膜炎、胸痛、関節痛に関連した発熱発作を繰り返すことを特徴とします。

強い腹痛を呈し、腹部手術に至る患者もいます。

遺伝性疾患なので、伝染することはありません。

常染色体優性遺伝は、Autosomal Dominant、ADと略され、常染色体上に存在する1対の遺伝子の一方に異常があれば発症します。

TRAPSの責任遺伝子は、12P13resionと言う12番目の遺伝子上に存在します。

この遺伝子の突然変異により異常なTNFレセプターが誘導され、それが不適当な炎症反応を引き起こします。

この遺伝子に関しては、33カ所の異なった突然変異が特定されています。

TRAPSを発症した子ども達は、胎児期の突然変異ではなく、この病気の遺伝子をTNFレセプター異常の遺伝子のキャリアである両親のどちらかから受け継いでいます。

この突然変異を持っている人は、TRAPSの臨床的な症状を持っているかもしれないし、持っていないかもしれません。

ただ、最近の研究では、TNF遺伝子の突然変異が証明された症例のみTRAPSとして含められるべきであるとされるようになってきているようです。

それと言うのも、常染色体優性の遺伝形式を示すが、家族歴のない孤発例も報告されているからだそうです。

そんなわけで、実は発症のメカニズムがまだ十分に突き止められたとは言えないようなのです。

 遺伝性疾患の可能性は高いが、例外と思える発症例がある以上断定には慎重になっているのですね。

TNF遺伝子のTNFとは、腫瘍壊死因子と呼ばれる白血球の出すサイトカインの一つです。

サイトカインは、特定の生理的調節機能に対して作用する白血球の出す生理活性物質の総称です。

突然変異が証明された場合された症例のみとするとは言え、特定の民族に発症例が集中している以上、遺伝性疾患としての性格を完全には無視しきれないはずです。

TRAPSは、遺伝的には優性遺伝のパターンをしめします。

これは単一家系内にそれぞれの世代に一人以上の患者が見いだされることを意味します。

事実、血族結婚が少しずつ、減少してきていることで、TRAPSのような複雑な疾患の発症は減ってきていると言います。

突然変異が証明された場合された症例のみとするなら、このような傾向を説明できるでしょうか。

この病気は一般的に発症を防ぐ方法はありません。

通常2週間から3週間間隔の弛帳熱で発症し、消化管の通過障害、痛みを伴う赤い発疹、筋肉痛、歯肉の腫脹を伴うことがあります。

常染色体とは、性染色体以外の染色体のことであり、ヒトの体細胞は22対、44本の常染色体を持ちます。 患者の子が同疾患を発症する可能性は、男女を問わず50%です。

TNF受容体関連周期性発熱症候群はごく最近認知され、理解されてきました。 TRAPSの臨床経過は、14パーセントは2次的にアミロイドーシスと呼ばれる腎病変に移行するが、それ以外は良性で自己完結型の疾患です。

良性とは、病気が良好な経過をたどって治癒する性質であること、あるいは,癌性でないことです。

アミロイドーシスとは、「アミロイド」と呼ばれる蛋白が全身の臓器の細胞外に沈着する疾患で、日本では特定疾患いわゆる難病に指定されています。

   どの程度の頻度の病気でしょうか。

TRAPSは確認された患者の数は100人以下の稀な疾患で、日本でもこれまで10例程度が報告されている程度のようですね。

日本の発症数は、推定でも、30人程度とみられています。

本当の疾患の頻度は現在でもよく解っていないが、発症に男女差はなく、発症年齢は年長児や成人に多い傾向があります。

TRAPSの経過には季節や風土は無関係であり、一生のうちどの時期に発症するかは予測できません。

TRAPSはTNFRと呼ばれるタンパク質に起きた遺伝的な異常で引き起こされると言われており、その異常が起きたタンパク質は患者の正常の免疫反応を過剰な方向に誘導すると言われています。

TNFRとはTNF受容体の略で、赤血球を除いた生体内の細胞に広く存在しているタンパク質です。

TNFと呼ばれる炎症性のホルモンは、TNFRで正常にコントロールされない場合、過剰に働き、炎症反応の程度を減少させます。

この欠陥は、発熱、悪寒、痛みなどの患者の不快な症状を説明できます。

感染や外傷、精神的なストレスは疾患を増悪させると言われています。

アミロイドーシスとTRAPSとの共通性はおそらく、どちらも慢性的な炎症性疾患であり遺伝的な要素をもっているということです。

主要な症状は繰り返す2週間から3週間続く発熱発作です。

発熱は悪寒戦慄、体幹部と上肢の筋肉痛を伴います。

典型的な発疹は赤色で皮膚や筋肉の炎症部位に一致した痛みを伴います。

大部分の患者が経験するのは、発作が起こる際の痙攣を伴う深い部位の筋肉痛で、少しずつ痛みは増悪していき、また四肢の他の部分にも広がっていきます。

吐き気と嘔吐を伴う広範な部位の腹痛が通常みられます。

眼瞼結膜と眼窩周囲の腫脹は、TRAPSに特徴的な所見だが、これは例えばアレルギーと言った他の疾患でも認められます。

以上のような特徴的な症状の出現の仕方は、発作期間の長短により異なった表れかたをします。

胸痛もまた、胸膜炎や心外膜炎の結果として出現することがあります。

アミロイドーシスは頻度は稀だがTRAPSの最も重篤な合併症です。

尿中に巨大な蛋白が出現し腎不全を引き起こします。

TRAPSの、症状の出現の仕方は多様です。 すなわち、発症している期間も発作のない時期の期間も症例により異なります。 主要症状の、出現の組み合わせもまた様々です。

これらの違いは、遺伝要因により説明できると思われます。

専門医は臨床症状と家族歴からTRAPSを疑います。

いくつかの血液検査結果は発作中の炎症反応の程度を検出するのに有効です。

TRAPSの診断の唯一の方法は、突然変異の証拠を遺伝子診断で確定することです。

鑑別診断としては、特に家族性地中海熱や高IgD症候群などが挙げられます。

TRAPSは時として成人スチル病や若年性関節リウマチと症状が類似しており、鑑別が必要となることもあると言います。

類似の症状としては、これらがあげられるそうです。

原因不明の発熱に加えて、同時に腹痛、筋肉痛、皮疹、関節痛、結膜炎・ 眼窩周囲浮腫、胸痛などの症状のうち、いくつかを合併することが多い。

症状は通常5日間以上持続し、長い場合には数カ月続くこともある。

これらの症状が数カ月から数年の周期で出現するという経過を繰り返す。

筋肉痛と皮疹は場所が移動しうる。

鑑別についての詳しくは、医師に尋ねてください。

遺伝性疾患の可能性が高い、このような症状があると紹介するのが、今回の目的ですので。

現在のところ、TRAPSに対する治療はありません。

NSAIDsは発作時の症状を緩和するのに役立ちます。

大量ステロイド療法(ステロイドパルス)はしばしば有効だが、逆に深刻な不利益をもたらすこともあります。

特異的なTNF阻害剤は、発熱発作の初期の患者には有効なことがあることも知られています。

発熱を予防する方法がないので、治療は急性期の症状がある時だけです。

生涯を通じて不定期に反復するのがTRAPSの自然経過です。

最悪の転帰をとるのはごく少数の患者ですが、2次性のアミロイドーシスが危険因子となります。

この危険因子は、遺伝的な要因と環境因子の両方が関係しますので簡単には決めつけられません。

アミロイドーシスは深刻な合併症であり、しばしば腎不全に移行します。

現時点では、この合併症が避けられるものかどうかの判定は誰にもできません。 完全に治癒する可能性は否定されていません。

実際、遺伝子的なTNFRの構造変化は、全身の機能に異常を引き起こしません。

さらに、発熱を引き起こす強力な物質にさらされなくなると、寛解が得られるかもしれません。

治療としては、発作時に副腎皮質ステロイド剤を投与することが多いそうです。

ただし症状の程度 には幅があり、安静や非ステロイド性抗炎症剤(NSAID)のみでコントロールできる症例や、副腎皮質ステロイド剤に抵抗性の症例も存在すると言います。

難治性の場合には、抗TNF製剤(エタネルセプト)が有効な場合もあるそうです。

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秦国と秦氏?

秦では、従来の「王」という称号を採らず、初めてもっと上位の「始皇帝」という肩書きを用いました。

また「朕」という一人称も始皇帝に限る、としました。

秦の始皇帝は、各地域で個別に使われていた文字を統一し、全国どこででも同じ文字が通用するようになりました。

秦の字体は篆(てん)書といいます。

やがてこれから楷書、草書が発展することになります。

秦は、度量衡の統一も行った。

度量衡というものは流通・交易などの価値の交換において、非常に重要な意味を持っている。

また、度量衡を定める・改正するという行為は、暦法を改める事と同様に権力の象徴であり、古代より近世に至るまで、権力者たちによって様々な改訂が行われてきました。

貨幣の統一も、実施しました。

秦の貨幣は穴のあいた環銭で、特にこの時の環銭を半両銭といいます。

馳道(しどう)は始皇帝が首都咸陽から全国に放射状に作られた計画的な軍事道路で幅は約70メートル全長は5000キロ、全長20万キロにも及んだローマ街道に比べると距離は劣りますが道路幅は遥かに広いです。

秦帝国において、道路建設は最も重要な国家事業に位置づけられていた事は明らかです。

交通と言う点では、車軌(しゃき)の統一も遂行しています。

車軌というのは、馬車の車輪と車輪のあいだの長さです。

当時は舗装道路などないから馬車が走れば地面はえぐれ、えぐれた部分がレールみたいになっていくんです。

そこを車軌が違う馬車が走ると車体が傾むいて思うように走れないから、戦国の各国はわざと自国の車軌を他国と違うようにしたのです。

そうすれば敵国の戦車がやって来ても攻めにくいが、天下統一すればこれは不便だから統一しました。

堰地点上流域面積は23,000k㎡という、大規模水利工事を行いました。

その地は、今や都江堰市と称されているといいます。

都江堰は、長江の支川・岷江の主流に紀元前250年頃に建設された大規模な頭首工水利施設です。

これは、秦の強大化を怖れた韓国が、秦の国力疲弊を狙って進言した事業だったが、却って国力の増加を齎すことになりました。

四川省中部にある省都成都市の西北60kmにあり、中国古代三大水利工事のひとつとして中国国内では極めて著名な水利施設です。

洪水防御、灌漑、舟運の効益を兼ね備え、建設以来その効用を失わないばかりか、今日では一層発展し中国国内でも最大級の水利灌漑網を形成しているといいます。

 でも、なんで、国名が秦なのでしょう。

 中国では、ローマ帝国も秦と呼んでいたはず。

支配者が自らを皇帝と呼び、大いに土木をやったといえば、まさにローマ帝国もそうでした。

ただ、ローマが帝国になったのは紀元前27年です。

ローマ自体は伝説によれば、紀元前753年4月21日にギリシャ神話の英雄アイネイアスの子孫である、双子のロムルスとレムスにより建てられたとされます。

それに、中国でローマが秦の名で登場したのは、後漢書の「和帝の永元九年(97年)に西域都護の班超が甘英を使者として大秦に派遣した」大秦の初出であると見られています。

秦は、ローマにならった国造りを狙ったと言う見方もできるが、そもそも、中国の民族ではなかったという声もあるのです。

史記を記した司馬遷など、始皇帝を漢民族かどうか怪しいとしていると言います。

ローマの影響と言えば、新羅(しんら)もそうです。

 新羅(しらぎ)という呼び方は、何時の頃からか、日本でついた名称なようですね。

日本では習慣的に新羅を「しらぎ」と読むが、奈良時代までは「しらき」と清音だったのです。

万葉集(新羅奇)、出雲風土記(志羅紀)にみられる表記の訓はいずれも清音であるといいます。

新羅は紀元356年から935年にかけ、古代の朝鮮半島南東部にあった国家です。

ちなみに新羅という国号は、503年に正式の国号となり、それまでは辰韓と呼ばれていました。

 辰韓は、秦韓とも書かれるでしょ。

 これは偶然でしょうか。

始皇帝は、紀元前259年から紀元前210年の人です。

中国戦国時代の秦で、在位期間は紀元前246年から紀元前221年でした。

姓は嬴(えい)、諱(いみな)は政(せい)と言うから、なるほど、あまり中国的な名前とは言えません。

 中国風に読めば、Yíng zhèngですね。

姓とは、東アジアの漢字文化圏で用いられる血縁集団の名称です。

その範囲は地域や時代によって変動し、氏や名字といった他の血縁集団名と様々な階層関係にありました。

近代以降、ヨーロッパなどの他の文化圏の血縁集団名、家系名の訳語としても用いられています。

忌み名とも書く諱は、中国などの東アジアの漢字圏における人名の一要素で、実名や本名を意味する真名(まな)とも呼ばれます。

秦については、日本に面白いことがあるのです。

『新撰姓氏録』では融通王とも記される弓月君(ゆづきのきみ)は、『日本書紀』に記述された、秦氏の先祖とされる渡来人です。

 秦の帝室の後裔とされる弓月君が、なんと、ユダヤ人キリスト教徒説まである秦氏の先祖なのですね。

弓月君は、『新撰姓氏録』(左京諸蕃・漢・太秦公宿禰の項)によれば、秦始皇帝三世孫、孝武王の後裔だそうです。

孝武王の子の功満王は仲哀天皇8年(199年)に来朝、さらにその子の融通王が別名・弓月君であり、応神天皇14年(283)に来朝したとされます。

佐伯好郎博士の研究によれば、弓月国(Kung-Yueh)は小国であるが、 キリスト教王国であったと言うのです。

そこで、秦をキーワードに見ていくと面白いことになるのです。

 秦=ローマ帝国、秦帝国、弓月国、秦氏の構図ですか。

そして、秦氏にユダヤ人キリスト教徒説があるが、佐伯好郎博士は当初の景教徒説の可能性を最後には諦め、なんと、原始キリスト教徒説に軌道修正したと言います。

 ユダヤ人キリスト教徒であり、原始キリスト教徒となれば、エルサレム教団も当然可能性が出てきますね。

当時、東アジアにまで出てきた可能性があるユダヤ人原始キリスト教徒となれば、エルサレム教団の可能性は高いです。

ローマ帝国への戦いの前に忽然と姿を消し、東方へと向かったのが、エルサレム教団ですから。

 始皇帝と言えば、焚書坑儒でも有名ですが。

紀元前212年、廬生や侯生といった方士や儒者が、始皇帝が独裁者で刑罰を濫発していると非難して逃亡したため、咸陽の方士や儒者460人余りを生き埋めにし虐殺したとされる事件ですね。

その後も秦に仕えた儒者はおり、陳勝・呉広の乱が起きた際に二世皇帝胡亥が儒者の叔孫通に諮問しているというから、どこまで本当なんだかという疑問もあります。

なにしろ、中国で歴史書と言えば、多くは前の国を倒した側が、自らを正当化する目的で記した場合が多いとされます。

そのため、どの程度歴史が歪めて書かれたか検証する学問まであったそうですよ。

 さらに、奇妙なのは、一度渡航に失敗した徐福に、前より多くの援助を与えて再度送り出してますね。

始皇帝は、国の将来が長くないことを覚り、徐福を送り出したと解釈する人もいるようです。

不老不死の妙薬探しは表向きの看板で、実は大切なものを避難させたというのです。

それが、三種の神器だったと見る人もいるようです。

 飛鳥昭雄や三神たけるですね。

 そうなると、始皇帝、あるいは、彼の周辺に預言者がいたのでしょうか。

さあ、どうなのでしょうね。

さらに、始皇帝は、紀元前なので当然、キリスト生誕以前の人物です。

もし、ユダヤ人説を取るとしたら十支族ということになるでしょう。

これについては、秦の伝説に面白い話があります。

陳舜臣著「秦の始皇帝」から引用しましょう。

遠い先祖が周王八代孝王(こうおう)に、おまえは牧畜がうまい、つまり羊を飼うのがうまいからこの辺の土地をやろうといわれてもらった、それが秦のはじまりだというのです。

このことから、秦が牧畜の民であったということがわかります。

 そういえば、イスラエルの民も牧畜の民でしたね。

周は、農業国家で農業信を祀っている活気にあふれた国だったが、だんだんと贅沢になって堕落していきました。

そして、幽王(ゆうおう)の時代に犬戎(けんじゅう)という北方民族に討ち滅ぼされることになります。

秦の祖先については、犬戎に討たれた幽王の子・平王(へいおう)が東の洛陽に都を移したとき、平王の護衛隊長のような役をしていたという話が残っています。

ここから、軍事的な面でも優れていたことがわかります。

 秦(しん)を秦(はた)を見たとして、秦氏はユダヤ人キリスト教徒だったはずでは…。

秦氏については、イエフダーの転訛と言う説もあるが、それは「はた」の読みの語源説です。

秦(しん)には、柵の外、つまり余所者という意味があると言う人もいます。

 秦とは、余所者の国と言う意味があり、彼ら自身も、中国で呼ばれた名前をそのまま受け入れたということでしょうか。

国姓は、始皇帝の姓でもあった嬴(えい)ですよ。

秦(しん)は、通称と見た方が良いでしょうね。

ちなみに、統一時の首都は咸陽でした。

 そうなると、ローマ帝国を大秦と呼んだのも、余所者の大国ってことでしょうか。

東夷西戎南蛮北狄と、周辺国を呼んだ中国ですよ。

古代イスラエルの北王国の首都サマリアは、紀元前721年にはアッシリアによって陥落しました。

アッシリアのサルゴン2世はサマリアのイスラエル人指導層などを奴隷として連れ去りまたは追放して、その土地にメソポタミアなどからの異民族を移住させ、イスラエル王国は滅亡するのです。

このとき故地から引き離されたイスラエル人たちは、後に「失われた十支族」と呼ばれています。

 アッシリアの滅亡は前609年とされるけど、そのとき、故地になぜか、戻らなかったわけですね。

始皇帝は紀元前259年から紀元前210年の人だが、秦と言う国自体は紀元前778年から紀元前206年までありました。

周代、春秋時代、戦国時代にわたって存在し、紀元前221年に中国を統一したが、紀元前206年に滅亡したわけです。

統一から滅亡までの期間である紀元前221年から紀元前206年は秦代と呼ばれます。

アッシリアは、紀元前625年には新バビロニアが独立してその勢いはさらに増し、紀元前612年に新バビロニアやメディアの攻撃を受けて首都ニネヴェが陥落したので、北朝イスラエルの民は、この時までには離れていたのかもしれないですね。

アッシリアは、新バビロニア独立の頃には、王家の内紛や広大な領土・多様な被征服民族を統治するシステムの構造的な問題が噴出したものとも考えられています。

北方からスキタイ等の外敵に圧迫され、領内では各所で続発する反乱を抑える事が出来なくなっていきましたから。

 じゃあ、スキタイなどと一緒に、ニネヴェ陥落前に国外に出ていた。

可能性はありますね。

 だとしたら、十支族による秦の建国は十分にあり得る。

可能性は、否定できないですね。

さらに、情報を集める必要はありますけど。

 嬴(えい)は、“(ヤハウエ)יְהוָה”は”(へー)ה”一文字で表す場合がある事を思えば、”(へー)ה”の転訛という解釈も出来るのでは。

想像は自由だけど、考えても良いかも知れないですね。

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秦氏と古代ローマ?

3世紀ごろ、半島南東部には辰韓十二国があり、その中に斯蘆国がありました。

辰韓の「辰」は斯蘆の頭音で、辰韓とは斯蘆国を中心とする韓の国々の意味と考えられています。

新羅は、この斯蘆国が発展して基盤となって、周辺の小国を併せて発展していき、国家の態をなしたものと見られています。

この新羅は、ローマの影響が大きかったことで知られています。

雅楽は、5世紀前後から中国、朝鮮半島など大陸から儀式用の音楽や舞踊が伝わるようになり、大宝元年の大宝令によってこれらの音楽とあわせて日本古来の音楽や舞踊を所管する雅楽寮が創設されたのが始まりであるとされます。

南アジアについては、736年に大宰府に漂着した林邑(ベトナム)僧から伝えられたとされる舞楽が「林邑楽」と呼ばれ、唐楽に分類されます。

日本における外来音楽の最初の記録は、天皇の崩御に際し、新羅から楽人80名がやって来たという453年の記録だといわれます。

つまり、雅楽の基礎は新羅からの楽人によって据えられたとみてよさそうです。

雅楽で有名な東儀氏は、秦氏から出ました。

 雅楽といえば東儀秀樹の顔、どう見ても東アジアの系統じゃないですね。

古代中国で、ローマ帝国は大秦国と呼ばれ、新羅にローマの影響が大きいと指摘されます。

そして、新羅からの楽人によって雅楽の基礎は出来た可能性があり、雅楽で有名な東儀氏は秦氏の出とされます。

 その東儀氏の一員である東儀秀樹の顔はどう見ても西方的に見えるのは偶然でしょうか。

 日本には結構ローマ人的な顔は多い、映画テルマエロメオのローマ人役は全員日本人で間に合わせたけど、ローマ人から違和感なしの評価でしょ。

東儀秀樹は、ローマ人役やっても違和感小さいと言いたいのですか。

中国資料によると、新羅は古くは辰韓=秦韓と呼ばれ、秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人の国とされます。

日本古代史学者の水谷千秋は、辰韓の民の話す言語は秦の人に似ており、辰韓は秦韓とも呼ばれていたため、実際に中国からの移民と考えて間違いない、と『謎の渡来人秦氏』(2009年文春新書)で述べているそうです。

弓月君の子孫は各地の秦氏の流れへと繋がるが、弓月君の出自については、かつて天山山脈のふもとに三日月国とも弓月国とも呼ばれた国から来たとも呼ばれています。

景教博士である佐伯好郎は晩年、「極東における最初のキリスト教王国弓月、及び、その民族に関する諸問題」という論文を書いているそうです。

佐伯好郎はこの論文で秦氏のルーツを大陸にあり、と論じたと言います。

 だが、弓月国が極東における最初のキリスト教王国とすると、何時頃からどのようにして、キリスト教国になったかですよ。

ここでも、キーワードは秦かも知れないです。

古代中国で秦と言えば、大秦、つまりローマ帝国を指したとしたらどうでしょう。

 東西に分裂したころのローマ帝国は、すでにキリスト教国ですね。

ローマ帝国から、新天地を求めて移動したキリスト教一派があったとしたらどうでしょう。

 自らの信仰を貫くために、ローマ帝国を去って、東方に新天地を求めた人たちがいたと。

そうすれば、弓月国は建国当初からキリスト教国であっても、おかしくないのです。

 佐伯好郎は、秦氏をユダヤ人キリスト教徒であったという説を展開したことで知られますね。

飛鳥昭雄と三神たけるは、晩年の佐伯好郎は景教徒説から原始キリスト教徒説に修正にしていたと指摘しています。

 秦氏が原始キリスト教徒であってみれば、キリスト教の本来の姿を守れる新天地を求めて東進しても不思議ではない。

ただ、問題は、弓月君の帰化の経緯についての『日本書紀』の記録です。

まず応神天皇14年に弓月君が、百済から来朝して窮状を天皇に上奏した。

弓月君は百二十県の民を率いての帰化を希望していたが新羅の妨害によって叶わず、葛城襲津彦の助けで弓月君の民は加羅が引き受けるという状況下にあった。

しかし三年が経過しても葛城襲津彦は、弓月君の民を連れて本邦に帰還することはなかった。

そこで、応神天皇16年8月、新羅による妨害の危険を除いて弓月君の民の渡来を実現させるため、平群木莵宿禰と的戸田宿禰が率いる精鋭が加羅に派遣され、新羅国境に展開した。

新羅への牽制は功を奏し、無事に弓月君の民が渡来した。

つまり、新羅ではなく百済経由とされているのです。

だが、弓月君が新羅から来た原始キリスト教徒であってみれば、そして、新羅を逃れた民であったとみればどうでしょう。

 当時の日本と百済の関係を利用して、新羅を牽制した可能性がある。

そうかも、知れないですよ。

 さらに、ユダヤ人原始キリスト教徒としての秦氏がエルサレム教団だったとしたら、ローマ帝国との戦いの前に逃亡してるから、正体を隠す必要もあったでしょうね。

祖国を失ったユダヤ人は、各地に散りましたからね。

遊牧の民は、遊牧の民同士で行動を共にすることが多かったから、紛れ込んで身を隠したでしょね。

 雅楽が東アジアの古楽にルーツを持つのも、秦氏がルーツのカモフラージュをしてるのでしょうか。

そうかも、知れないですよ。

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働くの語源は西方にあり?英語VS日本語 その7

らくと言う言葉について、こう考えてみました。

らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

 一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

ここで、想い起すのは、日本語はかつて二重母音だったことです。

具体的には、ワ行母音と言って良いでしょう。

旧仮名遣いは、今日のア行母音よりもワ行母音の方が発音しやすいのです。

となると、らくもまたワ行母音であったはずです。

発音してみると感じるのです。

英語のワークに、音が似てくるのです。

 ワークは働くと言う意味だから、音も意味も重なるわけですね。

R音は、巻き舌音として音はかすれて聞こえにくくなる傾向があります。

一方、L音は巻き舌音として音は濁って濁音になる傾向があります。

そうなると、頭のR音は欠落して、さらに音はワークに近づくことは容易に想像できます。

 はたらくの「はた」は周囲の意味とすれば、「らく」だけでワークの意味になる。

 じゃ、はためくは、どう解釈するかです。

はためくとは、こういう意味ですね。

布や紙などが風に吹かれてはたはたと動く。

揺れるように鳴り響く。響きわたる。とどろく。

鳥などが羽ばたきをする。

ひるがえる。

ようするに、はた、つまり周辺が激しく揺れ動いて激しく音を立てる様子を表すのが、はためくと解釈できるでしょう。

音を立てるとは、音が出る状態になることであり、音を発生させる主体になることと、言い換えて良いでしょう。

発生させる主体になるとは、メーカーになると考えることもできるはずです。

ならば、めくは英語のメークに当たると言えないでしょうか。

きらめくとは、輝きを作ること。

ひらめくとは、潜在的だったものを顕在化させて新たな考えを作ること。

 きらめくの「き」は、「木(き)」や息の「き」のように細く放射されるような、イメージ。

 ひらめくの「ひ」は、「火(ひ)」のようにひるがえっていくような、イメージ。

 そして、「ら」は包み込む表面のイメージ。

そう見ていくと、実は日本語の中には、もっと欧州の言語と語源を共有するするものがあるように思えてきます。

 これまでにも、日本語と英語との類似を何回か見てきましたね。

 はたも、案外、フロントと語源が近かったりして。

 フロントも、端っこのイメージがあるでしょ。

 最先端といえば、聞こえは良いけど。

R音とD音とT音は、巻き舌音を介して相互に転訛する可能性はあります。

考える余地はありそうですね。

 じゃ、きらはミラー、ひらはフィルムとか。

フィルムは細い糸の意味だけど、細い糸で作ったように薄い膜も指します。

 それじゃあ、はたらくも、はためくも、きらめくも、ひらめくも、英語になってしまう…。

でも「めく」がつく言葉は多いです。

 一度、形容語句を作る接尾辞として定着すれば、後は応用でいくらでも出来るでしょ。

そのことが、かえってこういう構図を見え難くしてるのでしょうね。

 派生したものと、そうでないものをごちゃまぜにして、全部説明できないとだめなんて考えるから、見えてこなかった。

そうかも知れません。

日本は、欧州の遺伝性疾患のアジアにおける飛び地でもあります。

 格助詞である「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのでしたね。

日本語の起源は、ラテン語だったと主張する『ラテン語と日本語の語源的関係 』(サンパウロ出版)のような書も出ています。

ここには、「こころ」「すめら」「さらば」など、日本古来の単語とラテン語の発音の共通性が、700以上列挙されています。

 アメリカのケネウィックから、イギリス人的であると同時にアイヌ的でもある古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃とともに出土してますね。

縄文人の顔を再現したらフランス人のそっくりさんがいる芸能人に、激しく似てました。

映画テルマエロメオでローマ人役を全員日本人で間に合わせたら、ローマっ子から違和感なしとの太鼓判が押されました。

東北弁がフランス語と勘違いされるCMが流され、今は亡きシャンソン歌手淡谷のり子はあまりにひどい東北訛りを逆手にとってシャンソン歌手になったと言います。

秋田美人の典型顔は、ミロのビーナスという指摘もあります。

 もっと、広い視野で日本語の起源は考えられて良いでしょう。

先入観は、捨てるべきでしょうね。

 ユダヤ人は白人的な顔だから日本に来てるわけがない、と言う人には日本人の白人顔のルーツはユダヤ人だと言いたいのかとの反論で、論破できますしね。

面白いのは、ロシア領に秋田美人としか言いようのない女性たちがいることです。

そして、バイカル湖畔こそ、日本人の起源という研究もあります。

 古代中東のYAP遺伝子が日本にあるが、中東はいまだに日本人のルーツ探しの視野にないようですね。

アカデミズムは、人類史上の通過点くらいにしか、中東を見てないようですね。

 遺伝子情報は、中東から西を指してるのですけどねえ。

家族性地中海熱とか、ですよね。

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味の好みでみえる日本のルーツ?

NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版公式サイトに、「行き当たりばったり世界のお菓子探検隊」と言う連載があります。

このなかに、興味を惹かれるタイトルを見つけました。

南米、インドのお菓子に“日本の味”を発見!
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20110614/273942/
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20110614/273956/

日本の菓子で、その国の好みに合うものが輸出されることは良くあります。

だが、その国で生まれたり、食文化交流でいつの間にか持ち込まれて定着した菓子に、日本の味を感じるというのは、面白いですね。

コロンビアの人に大人気というグアバペーストは、見た目は羊羹風。

グアバの果肉を濃縮した感じの美味しさだが、想像したほど甘くもなく、酸味が利いていて梅ゆべしや、中国の山査子(さんざし)を使った菓子にも似ているといいます。

 山査子餅といって、山査子の果実に水や砂糖を加えて固めて、 薄くスライスした菓子ね。

 これも、甘いが酸味の効いた菓子だそうですよ。

山東省の菓子ですね。

 中南米も、インドも、それに山東省も、日本人のルーツ探しをしていたら出てきた地域ですね。

でも多くの日本人は、流石にインド人好みの甘さに閉口するようですね。

「世界で一番甘い菓子」グラブ・ジャムンの甘さは、一工夫して抑えれば、案外いけるそうですけど。

みっちりとした目の細かい生地に、ぎゅっと押さえるととろりと垂れるほどシロップがしみ込んでいるというから、その甘さは半端ではないようです。

けれど、甘くない生クリームと合わせるとインド風サバラン、あるいはサヴァラン、になると言う感想も出てます。

サヴァランは、フランスの焼き菓子です。

 フランスもまた、日本人のルーツ探しで出てきた国ですね。

元々は「ババ」と呼ばれていたが、フランスの有名な食通、ブリア=サヴァランにちなみ改名されたそうです。

ブリオッシュを切って紅茶味のシロップを染み込ませて冷やしたものにラム酒やキルシュをかけ、生クリームや果物で飾りつけたものや、ブリオッシュ生地を直径18〜23cmのドーナツ形の型に入れて発酵させてから焼き、キルシュ風味のシロップをしみ込ませたものがあります。

洋酒が入っているため、食べた後に飲酒運転で捕まるケースもあり、食べたら運転しない方が良さそうなお菓子と言います。

円形のサヴァランは、シロップをしみ込ませた後、上に熱したアンズジャムを刷毛で塗り、スライスアーモンド、果物やマラスキーノ・チェリー、アンゼリカなどハーブの砂糖漬け、イチゴやラズベリーで飾ります。

中央の穴にはクレーム・シャンティイ、フランジパーヌ、クレーム・サントノールなどカスタード系のクリーム、または果物を詰めます。

中央に果物を詰める場合は、サヴァランの上部の飾りも果物にし、サヴァランの周りにも果物を盛りつけます。

 アンズジャムもちょっと酸味がありますね。

 なるほど、インド風サバランになる。

サヴァランに詰める果物には、次のようなものが適しています。

マセドワーヌ・ド・フリュイは、生、シロップ煮、または缶詰のサクランボ、ナシ、アンズ、パイナップルなどを刻んで混ぜ合わせたものを用います。

砂糖とキルシュをふりかけたイチゴやラズベリーや、赤ワイン風味のシロップで煮たサクランボも合います。

 アルコール飛ばさないの。

 確かに酔っちゃいそう。

ただし、グラブ・ジャムンの製法にはお酒は入りません。

 じゃ、運転手には、インド風サヴァランで満足してもらえば良いかしら。

牛乳にレモン汁を加えて煮詰めてこしたものに、少量の小麦粉を加えてお団子を作って揚げて、大量の砂糖とインドお菓子の定番香辛料とされるカルダモンのはいったシロップに漬け込むのです。

 なかなか、手間のかかるデザートですね。

グラブ・ジャムンは、カルダモンを生地にも入れる場合も多いようです。

ローズウォーターを入れるように書いてあるものもあが、そもそも「グラブ」はバラ、「ジャムン」はフルーツの一種を意味するそうなので、こちらの方が製法としては古いのかも知れないですね。

確かめる必要はありますけど。

インドのスナック類、緑豆を揚げたというやさしい塩味のスナックから、ジャガイモなどが原料の“極細麺”を揚げたぴり辛味のもの、干しブドウやナッツ、豆などをミックスした辛くて甘酸っぱいスナック、ちょっと甘いのにぴり辛で、ものすごくスパイシーなクッキー風の菓子など、結構味は多彩だそうです。

 もっと、カレー風の味が多いかと思ってた。

カレーと言う名前の料理は、本来、インドには無いようですね。

スパイスの効いた料理が、全体として多いので、外国人から見ればインド料理はカレーだらけと思えるかもしれないですけど。

そもそも、カレーという呼び方は西洋人が始めたようですね。

「カレー」の語源には諸説あるが、インド南部の方言であるタミル語のkari(カリ)がなまったもの、という説が有力なようです。

タミル語でkariとは、「ソース、汁」という意味で、もともとは辛い食べ物ではなかったようです。

辛いスパイスの代表格「唐辛子」は中南米が原産で、インドに伝わったのは17世紀に入ってからです。

唐辛子が伝わる以前は、インド地方でとれるさまざまなスパイスで肉や魚を煮た料理だったようです。

 スパイスを用いた料理がインドのふるさとの味だから、菓子もスパイスの効いたものが多いのね。

そうかも。

 どれも、日本人の好みに合いそう。

 輸入品と言っても、インド人がふるさと味恋しさにやってる場合もあるでしょ。

 それが、日本人の好みにも合いそうなのは、面白いですね。

これらのスナックは、インド語で塩を意味するナマクからナムキンと呼ばれ、豆を揚げて塩味を付けたものが一番オーソドックスなのだそうです。

バラエティーに富むナムキンの具材だが、基本はひよこ豆などの豆類を加工したものやナッツ類だそうです。

ひよこ豆の粉のペーストを極細麺状にして揚げたブジア・セブというスナックは、サラダなどインド料理のトッピングとして使うこともあるといいます。

ブジア・セブに似ているのが、アロー・ブジアというジャガイモやひよこ豆からできたスナックです。

アローは、ジャガイモの意味です。

バターを塗ったパンの上にかけることもあるといいます。

 じゃがバターを思えば、十分にあるでしょ。

甘いお菓子というのは、インドでは特別なもので、毎日家で食べるものではないというけれど、本来そういうものでしょうね。

 日本でも、砂糖が豊富に入ってくるまでは、素材本来の甘みを、塩などで引き出してましたね。

神様に供物として捧げたり、お客さんが来たときに出したり、たまに行くレストランで食べるものなのだと言います。

 そういえば、菓子はもともと、果実の事ですね。

 甘いものが欲しければ、果物を食べるしかない。

 だから、干し柿とか、生まれてきた…。

インドスイーツは、材料によって上等なもの、そうではないものに分かれるそうです。

一番贅沢なのはドライフルーツ。

次が牛乳を使ったもので、最後の廉価菓子の材料がひよこ豆なんだそうです。

 ひよこ豆、エジプトの料理でも良く出てくるようだけど、インドでも民衆の味なのですね。

ソアン・パプディというひよこ豆が原料のお菓子は、無数の細い糸をまとめたような生地の中に、アーモンドやピスタチオが入っています。

口に入れると、すぐにふわぁっと溶けて綿あめのようで、やっぱりカルダモンが香ります。

ナッツが入ってちょっぴり上等だけど、やっぱり庶民の菓子といいます。

 綿あめのルーツ、どこでしょうね。

はっきりしないですね。

18世紀の記録にあるというこえもあれば、15世紀のイタリアという指摘もあります。

なかには、北米にはメープルシロップで作るものがあると、記す場合もあったりします。

 何らかのシロップ状のものが手に入る地域で、始まったことだけは確かでしょうね。

 15世紀イタリア説は、興味がありますね。

 当時のイタリアと言えば、ローマ帝国時代でしょ。

舎利別と当て字されることがあるシロップは、濃厚な糖液の総称でしばしば粘稠性を伴います。

 かき氷や清涼飲料水の味付けなどに用いられますね。

語源は、アラビア語で「飲み物、ジュース」を意味する「シャラーブ」(شراب; sharāb)とこれを基にしたラテン語の「シロプス」(siropus)に由来し、シラップとも音訳されます。

砂糖を同量程度の水に溶かして、とろみが出るまで熱したものが一般的です。

粘性の高さは糖に含まれるヒドロキシ基(-OH)と水の間の水素結合に起因し、工業的には、水に砂糖を溶かし、煮詰めて製造します。

シロップには、香料などを加えるものと加えないものがあります。

水に溶かした砂糖のほかに、天然の蜜や果汁を煮詰めたもの、砂糖液にアラビアガムを加えて煮てより粘稠性を増したガムシロップのようなものもあります。

フルーツシロップは、もともと果実の搾り汁を加えて果物の香りや色調を与えていました。

近現代では、人工着色料や香料を加えることが多くなったようですね。

 インドとペルシャの、繋がりに強さから見ると、ソアン・パプディの起源は中東にまで、遡るとみて良いのかしら。

エジプトやシリアには、「少女の紡ぎ糸」と言う意味のガズルバナートと言う菓子があり、日本の綿菓子とよく似ているが、綿と言うよりは、繊維に近く、1本1本がしっかりしています。

食べ方は、そのまま手で軽くほぐしながらだとか。

砂糖の他に、油脂なども使われている為か、口に入れた瞬間は綿菓子より若干堅く感じられるが、スーッと溶けてしまうのは日本の綿菓子と同じようです。

また、このお菓子はお茶請けとしてお客様にも出す事があるそうで、子供のおやつよりは1ランク上ですね。

ちなみに、子どもの綿菓子という、日本の綿菓子に当たるものもあり、色鮮やかなものが多いが、こちらは客には出さないようです。

 もともと、シロップの加工品だった事を思えば、色鮮やかな方が当たり前だったのでしょうね。

こうしてみると、庶民の味としての綿菓子は中東からイタリアを経てヨーロッパやアメリカへ、少々高級品となったガズルバナートはインドでひよこ豆を原料とするソアン・バブティとなって庶民に定着したのかもしれないですね。

 まさか、麺文化の起源も綿あめにあるとか。

それは、想像のし過ぎでしょ。

 だって、ガズルバナートはインドに渡ってひよこ豆を原料とするソアン・バブティとなったと見れば、他の材料で作れば、まるっきり麺でしょ。

 素材の差から、製法や食感は、まるっきり違ってしまったけれど。

 麺状スナックをふりかけた軽食だって、あるわけでしょ。

さらなる、調査が必要ですね。

ちなみに、ジャレビという、小麦粉と牛乳から作った生地をプレッツェルのような形にして油で揚げた新しい菓子も、登場してるようです。

シロップに浸してある、甘いけれど、さくっとした食感で、そこはかとなく、かりんとうを彷彿とさせる菓子だとか。

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三菱重工業もこれを研究している。

特開2007-322202 凝集系核反応の予測方法およびその予測装置、凝集系核反応を予測するプログラム、ならびに核種変換後の物質の検出方法

これ、どこが出願した特許だかわかりますか。

公開日
2007-12-13
出願人
三菱重工業株式会社
東京都港区港南二丁目16番5号 出願人代表名: 三菱重工業
現権利者-出願人
三菱重工業株式会社
MITSUBISHI HEAVY INDUSTRIES,LTD.
発明者
伊藤 岳彦 発明者評価表示
神奈川県横浜市金沢区幸浦一丁目8番地1 三菱重工業株式会社先進技術研究センター内
岩村 康弘 発明者評価表示
神奈川県横浜市金沢区幸浦一丁目8番地1 三菱重工業株式会社先進技術研究センター内
出願番号
特願2006-151335
出願日
2006-05-31
公開番号
特開2007-322202
国際特許分類 (IPC) G21B-003/00 G21B-001/00      FI G21B-001/00 Y   G21B-001/00 Z

凝集系核反応は、固体内核反応とも呼ばれる、常温核反応のことです。

常温とは、常に一定した温度や恒温つまり変化の無いまたは少ない温度、および特に冷やしたり、熱したりしない温度、平常の温度、一年中の平常の温度などを表す言葉です。

これらは常の字と温度の温の字の組み合わせからの一般的な解釈としての意味であり、人間の感覚的な捉え方において、標準的な温度と思えるものを指します。

室温が、同様な意味で使われる場合もあります。

そしてここでいう常温とは、室温とほぼ同じ意味で使われています。

要約

【課題】 高い確度で核反応を予測することができる凝集系核反応の予測方法を提供する。

【解決手段】 凝集系構造体に対して核種変換を施す物質を接触させ、凝集系構造体に対して重水素を流して、核種変換を施す物質に核反応を生じさせる凝集系核反応の予測方法であって、核種変換を施す物質の原子番号を2n(nは自然数)加えるとともに、質量数を2n加えた物質を、核種変換後の物質と予測する。

この後に、請求の範囲 詳細な説明 利用分野 従来の技術 発明の効果 課題 手段 図の説明 図面と続くけど、気になる方は特許検索サイトで見てください。

研究開発費、相当かかっているはずでしょ。

いくら資本金自体大きくても、経費も大きいわけだから、無駄使いはできないはず。

それを、了承しているわけです。

さらに、技術開発だって、着々とやってます。

Pd多層膜の重水素透過による元素変換の観測
http://www.mhi.co.jp/atrc/project/pdtamakuso/

技術の特徴(1) 世界に先駆け当社で発見  新しい元素変換 常温・常圧の重水素ガスを元素を添加した独自の反応膜に流すだけで元素変換可能。

技術の特徴(2) 独自のナノ構造反応膜

波及効果 学術的、社会的にパラダイムチェンジを引き起こす潜在力
(1)学術的波及効果
物性物理と核物理という異分野が融合した、フロンティア領域の学問分野を創成

(2)工学的/社会的波及効果
A:日本で産出しない戦略的貴重元素の生成
産業に不可欠だが輸入依存度の高い貴重元素(白金等)の創成
B:有害元素の変換処理
医療用・発電用放射性廃棄物処理による社会負担軽減
C:新エネルギー源
化石燃料の百万倍(原子炉相当)のエネルギー獲得

発表の反響 当社発見の注目度・信頼度上昇中
2002.7 当社論文が評価の高い学会誌(JJAP)に掲載
2002.9 米国NRLから共同研究の打診
2003.4 当社結果等の検証を目的とした原子力学会研究専門委員会「サブkeVエネルギー領域での凝集系核現象」設立
2003.8 ボストンの国際会議で発表 最も重要な発表と評価
2003.10 伊物理学会で当社発表内容の紹介が表彰受け
2004.3 イタリアINFN(核物理研)で招待講演
2004.3 国際凝集系核科学学会からGiuliano Preparata賞授与
2004.3 原子力学会総合講演で発表

再現実験 阪大・静岡大・伊INFN(核物理研) 再現実験成功

      理研・NRL               生成物Pr検出取り組み中  再現実験準備中

連携先は国内だけでなく、外国もあるので見てください。

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ファラオの顔。

ファラオについて私が見たとき、Wikipediaでは、この記述に要出典の突込みを入れていたのです。

ファラオのDNAの調査報告において、人種は公表されていない。

しかし、ファラオの彫像から、その面立ちの8割以上が、前頭骨眼窩部の隆起が少なく眉から瞼にかけての傾斜がコーカソイドやネグロイドよりも平坦で、また、頬骨に対して涙骨の窪みが目立ち、モンゴロイドの特徴を呈していることが、知られている。

特に、モンゴロイドの特徴を呈していることが、知られているという部分に、出展明示を求めているように思えるのです。

だが、思い起こしてほしいのです。

日本人女性の多くが、先の尖ったローマンタイプの靴で外反母趾になるのは、6割から7割がエジプト型タイプの足のせいと言われているのです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

さらに、味の好みまで似ているのです。

身体的特徴と、味の好みまで近い日本人とエジプト人なら、ファラオの顔にモンゴロイドの特徴があっても、おかしくないのです。

 そういえば、宗教も動物を含む八百万の神々を信仰し、しかも中心は太陽神であり、それも三神構造ということまでそっくりよね。

神殿さえも、拝殿と本殿を分ける構造ばかりか、オベリスクと鳥居という二本柱を前に立てることまで似ているのです。

 違いと言えば、日本では偶像の代わりに賽銭箱があることと、石の代わりに木で出来ていることくらいね。

 そうそう、身体的といえば、日本人の濃い顔の人にそっくりなイタリア人多いよね。

 テルマエロメオという漫画の実写版作成の際、ローマ人男性役の俳優、全部日本人で間に合わせたのに、ローマで上映したら、ローマ人そっくりと現地の人に言われたそうね。

 そして、エジプトも濃い顔が多いそうよ。

ローマ帝国は地中海を制圧したはずなのに、エジプトはアフリカの地中海沿岸のどの地域より、濃い顔が多いようですね。

 ローマ帝国におけるエジプトの重要性だけでは、説明はつかないよね。

イタリア料理も、日本人好みだし、日本の食材でイタリアンに売り込めそうなもの結構あるのですからね。

顔と味の好みが見ているイタリア同様、濃い顔の人がいて、6割から7割がエジプト型タイプの足とくれば、顔が似てない訳がないですよ。

実際、わざわざ歴代ファラオの彫刻や絵の写真から、顔の部分だけ集めて比較した人がいるのです。
エジプトのファラオ一覧
http://park.geocities.jp/j_con4/Z08/pl248.html

見て思うのは、顔の部分だけ見せてどこの人か当てさせたら、まず、十中八九、アジア、それもキルギスなど中央アジアや日本を連想するだろうということです。

 一部、中国を連想できそうな人もいるが、韓国や朝鮮を連想できる顔は一人もいませんね。

後半になるとギリシャ系ファラオもいるけど、ギリシャ的な顔の人も日本にはいるのですからね。

 足の形でもエジプトタイプについで多いのがギリシャタイプだし、秋田美人の典型はミロのビーナスという指摘もあったのね。

ええ、典型的な秋田美人の顔は、その輪郭・目鼻立が、ミロのビーナスに瓜二つと言うのです。

ことに秋田美人は、肌は白人並みに白く艶があり、長身でスタイルが良いので有名です。

 或化粧品メーカーが、県南部、つまり大曲・角館・横手・湯沢周辺の平均的な女性を選んで調べた結果だったね。

神話も、ギリシャとの類似を指摘する人は多いですよ。

和裁の鋏も、ギリシャタイプなわけですし。

東北には、いわゆる瓜実顔と言われる顔の美人が目立つのです。

瓜実形の特徴は、面長で奥二重、頬から顎にかけてすんなりした優しい線です。

鼻筋が通っており、目は一般にすがすがしいと言われるすっと横長に伸びた形です。

大陸・白人系の血を引いているからではないか、と言う調査結果もあるのです。

今でも「先祖がえり」というか、青い眼の子供が生まれると聞くのです。

 秋田犬も血液型を調べたら、ヨーロッパタイプでしたね。

さらに、犬や猫、特に犬を指すアイヌ語とエジプト語の類似には改めて驚いたのです。

 猫のチャペについては、転化の形を比べていくとオッタからの変化である可能性が見えてきたのでしたね。

余談だが、ネコの語源については、先ほどのファラオの顔を集めていたサイトでは王朝の都に猫の神殿を作ったりしたネコ2世の名前がそうではないかと言う説を立ててるのです。

ネコというのは古代ギリシャ読みで、正確にはネカウ(Nekau)と言うそうです。

もちろんネコ1世もいて祖父にあたるのです。

ネコ2世の統治するエジプトを攻略するのに、ペルシャ軍は猫を使ったというくらい猫にまつわるエピソードのあるファラオなので、そういう連想をされても仕方がない所はあるのです。

飛ぶ鳥の「あすか」から、飛ぶ鳥と書いて飛鳥(あすか)となったように、猫を祀るネコ2世の神殿からネコの神殿と綽名がついた可能性はありそうですから。

古代エジプト語のネカウ(Nekau)がどういう意味かは、わからないです。

ただ、アラブ語やペルシャ語、ヘブル語にはneko(ネコ)とか、neku(ネキー)と読める言葉があるのです。

ヘブル語では、こういう意味です。

勝つ、勝利する。(音楽で)指揮する。
永遠、不滅なものにする、永久に記念する。
輝き、光輝、栄光。
永遠、永久、不滅。

ファラオの名前の意味としては、いかにもふさわしそうですね。

なお、ペルシャ語ではこういう意味だそうです。

敬虔(父母や長上に対する)、敬服、恭敬の態度。
貧しい者に対する惜しまざる施し。慈悲心に富む事。
誠実・正直。他人に対して悪評を下さない事。
善。善行、恩恵。
美しさ、優雅さ。

こちらも、ファラオの名前の意味としては、ありそうです。

じゃ、イヌのほうはどうかというと、この種の話はまだ知らないです。

良く調べれば、何か面白い説もあるでしょうね。

それはさておき、ファラオは地上の太陽神ラーとされ、天皇は太陽神の子孫とされるから、ここでも似通っているのです。

皇室の祖先神天照は、もともとは男神の天照国照彦とする解釈もあり、これが正しければさらに似てくることになるのです。

ついでに言えば、ラーは猫神で天皇の尊称も根子であるばかりか天皇を指す隠語は猫という指摘まであるから、面白いですね。

 先ほどのサイトだけど、ファラオの目、二重ですかね。

はっきりわかり難いのもあるが、そう見えるのも結構あるのですね。

 エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士も、二重だったよね。

 この人の顔も、日本に似た顔の人いそうな気がするね。

 エジプトの大統領と言えば、ナセル大統領がいたのね。

ガマール・アブドゥル=ナーセルがフルネームですね。

日本ではナセルという表記が一般的であるが、ナセルあるいはナーセルは父の名アブドゥルナーセルの後ろ半分で、姓ではないですよ。

汎アラブ主義を主張し、1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任した事で知られるのですね。

 日本ではナセル大統領で知られる彼の顔も、日本で見かけそうよね。

 ふと思ったけど、エジプト考古学の吉村作治教授の顔、エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士の顔、ナセル大統領の顔、どことなく傾向が似てませんか。

 吉村作治教授、親近感を覚えてエジプトにのめり込んだのかしら。

言われてみれば、なんとなく似てるかも…です。

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猫と犬に引かれた先はエジプト?

これまでにも、何回か触れてきたけどアイヌ語では猫を“チャペ”と呼ぶようです。

“チャペ”は、ローマ字だと“Chape”となるのでないでしょうか。

これを“Chap”と書き換えて見ます。

こう書いてみると、妙なことに気づくのです。

猫は、英語で“Cat”、フランス語で“Chat”、ドイツ語で“Katze”、オランダ語で“Katten”、ロシア語で“Koshika”、イタリア語で“Gatto”、スペイン語やポルトガル語で“Gato”、ハンガリー語で“Macska”などです。

 以前、フランス語との類似に注目したけど、綴りだけ見れば英語の“Cat”も何となく似てますね。

“ねこ”の呼び方はヨーロッパ全体を通して、明らかに一つの語源から、展開しているのが見て取れるでしょ。

 そういえば、エジプトでは、猫を“マウ”とも“オッタ”とも呼んでましたね。

今ではもっぱら、“オッタ”を使うようですね。

 ということは、“マウ”の方が古いのでしょうかね。

エジプシャンマウという、ネコ種の名前に名残をとどめているだけのようですね。

 そうなると、“オッタ”と猫を呼んでいた人たちが、ヨーロッパにもたらし、転化によって各国語に変化したと見て取れますね。

驚くほど、発音の雰囲気や綴りが似てますからね。

 こうやってみると、アイヌ語の“チャペ”はフランス語に近いことがよくわかりますね。

そういえば東北弁なまりまくりのシャンソン歌手、今は亡き淡谷のり子は、ある番組で、なんでシャンソンでなまらないのかと訊かれるとこう答えると言ってましたね。

“東北弁とフランス語は発音が似ている”と…。

 でも、語順は似てないのは、面白いですね。

語順まで似ていたら、もっと早くみんなが気が付いたでしょうけどね。

 英語も、アイヌ語の“チャペ”に綴りだけ見ると微妙に似てるけど。

こうしてくらべてみると、改めて、アメリカのケネウィックから出たアイヌとイギリスに二股かけた古代人骨とともにフランスやスペインの様式の鏃が出た意味が、大きいとわかりますね。

 特徴を抑えて書いた縄文人の顔が、フランス人女性にそっくりさんがいる男性タレントに激しく似ていて、しかもその縄文人も女性の顔でしたね。

男の顔は母親に似ることが多いとは聞くけど、描かれた似た顔がどちらも女性って、出来過ぎでしょ。

 でも、アイヌの生活文物が古代イスラエルに似ていて、イスラエル人は一時エジプトにいたでしょ。

“ねこ”は、エジプト語で“オッタ”、フランス語で“Chat”、アイヌ語で“チャペ”ですね。

 丸唇音から平唇音への変化が原因で、発音が変化したと見て、エジプト語からフランス語への転化は説明できそうですね。

フランス語からアイヌ語へは、こうしてみると、わずかな差に見えますね。

それに対しアイヌ語の犬は“セタ”で、ローマ字表記は“Seta”ですね。

面白いことに、古代エジプト語で犬は“セセム”だったそうです。

 現代エジプト語では、どうなのでしょ。

さあ、そういえば。

 調べてない。

うかつでしたね。

 でも、“セタ”と“セセム”、こうやって見るとほとんど変わってないことに驚きますね。

犬は、英語で“Dog”、フランス語で“Chien”、ドイツ語で“Hund”、オランダ語で“Hond”、ロシア語で“Sobachka”、イタリア語で“Cane”、スペイン語やポルトガル語で“Perro”、ハンガリー語で“kutya”などです。

つまり、ヨーロッパの言葉で言うと西欧の言葉に案外近い呼び方なのです。

 犬の呼び方でも、フランス語は比較的近くないですか。

 よくみると、“いぬ”のほうも“セセム”から転化していったと感じられそうですね。

 新人と呼ばれるクロマニヨンの名称が、発見されたフランスの地名に由来することをあわせて考えると、興味深いですね。

クロマニヨンも後期旧石器時代だから、ケネウィック人とともに見つかったフランスとスペインの様式の石器と、基本的には矛盾しないと見て良いでしょうね。

 定説で考えている時期との差の問題があるから、猫や犬との間に見える接点は偶然にしか感じ取れないかも、知れないけど。

特に問題となるのは、猫でしょうね。

ただ、2004年8月、キプロス島のシルロカンボス遺跡(shillourokambos)からおよそ9500年前の、人間の遺骨から距離が40センチしか離れていない猫の遺骨が発見されている点は注目して良いでしょう。

人間と共に埋葬されたこと、貝殻や磨かれた火打ち石、斧などの人工装飾品も同じ場所に埋められていたことなどから、この猫は偶然人間の墓場に迷い込んだのではなく、意図的に埋葬されたものだと考えられています。

後期旧石器時代は4万から1万3千年前と見れられているけれど、およそ9500年前となるとどちらも推定の域を出ない年代である事を思えば、ほぼ重なると言って良いかもしれないですよ。

ちなみに発掘された猫の遺骨は、現代のイエネコよりはリビアヤマネコに近い骨格をしていたといいます。

クロマニヨンは、主流派の学説ではそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとされています。

そして、現代人、特に欧州の人種とよく似ていると言うから、キプロス島の遺骨をクロマニヨンでなかったと判断する方が困難でしょう。

縄文時代は、年代でいうと今から約1万6,500年前というから紀元前145世紀から約3,000年前つまり紀元前10世紀、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代です。

約1万6,500年前から約3,000年前といえば、クロマニヨンとも十分重なります。

世界史では、中石器時代ないし新石器時代に相当する時代なので、後期旧石器時代は直前に当たり、日本でさらに発展させたと見ても問題はないでしょう。 

 味の好みは、日本とエジプトはほとんど変わらない。

 宗教の基本的構図も、太陽神を中心とした三神構造で、しかも動物神を含む多神教であることまで似てる。

 日本人の足で最も多いのは、エジプトタイプ。

さらに、犬や猫の呼び方まで、アイヌとエジプトで似ている可能性があるでしょ。

 特に犬。

顔立ちまで、濃い顔の人たちは日本とそっくりな可能性が大きいとくれば、日本とエジプトを親戚関係ありと見ないわけにいかないですね。

 トンカラリン遺跡と、大ピラミッドの内部構造の類似まで、吉村作治教授は指摘してますよね。

日本の神社建築は、建築様式を秦氏が持ち込んだとはいえ、あまりに古代エジプトに構成が似てます。

宗教の基本的構造の類似から言っても、違和感は全くない。

強いて言えば、偶像を置いてないくらいでしょうね。

建築素材の差を除けば。

 それと、賽銭箱もでしょ。

そうでしたね。

 日本の天皇さえも、地上の太陽神という構図はそっくりですよ。

天皇即位の儀式に立ち会う女性が居るけれど、古代エジプトのファラオの即位にも女性の存在が欠かせなかったでしょ。

 こうしてみると、古代エジプトから引っ越してきた人々が、日本人の祖先に見えてきますね。

日本とエジプトの親戚論まで、言いたくなりますね。

追記

津軽弁でも猫は “チャペ” と言うとの、情報を戴きました。

残念なことに、若い人はあまり使わないとか。

こうやって、貴重な言葉の情報は消えていくのですね。

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灰かぶり猫について改めて考えてみた。

ペローやグリムの残した『シンデレラ』よりも以前の17世紀の南イタリアで書かれた『Cenerentola(灰かぶり猫)』という作品もありましたね。

なおシンデレラは、ゼゾッラの名で登場します。

シンデレラは、ドイツ語のAschenputtelのほか、英語でCinderella、フランス語でCendrillon、イタリア語でCenerentola、などの名前で呼ばれています。

英語のcinder、フランス語のcendre、ドイツ語のAsche、イタリア語のcenere などはいずれも「燃え殻」「灰」を意味します。

なぜ灰かぶりと呼ばれるかについては、マタイによる福音書11章に、気になる記述があることに気づいたことも話しました。

灰をかぶることに関する、イエスの言葉が出てくるのです。

繰り返しになるけれど、少々長いが20節から24節を引用します。

20それからイエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。

21「コラジン、お前は不幸だ。ベトサイダ、お前は不幸だ。お前たちのところで行われた奇跡が、ティルスやシドン行われていれば、これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。

22しかし、言っておく。裁きの日にはティルスやシドンのほうが、お前たちよりまだ軽い罰で済む。

23また、カフェルナウム、お前は天にまで上げられると思っているのか。陰府(よみ)にまで落とされるのだ。お前のところでなされた奇跡が、ソドムで行われていれば、あの町は今日まで無事だったにちがいない。

24しかし、言っておく。裁きの日にはソドムの地の方が、お前たちよりまだ軽い罰で済むのである。」

私たちの知っているシンデレラの物語では、継母に虐げられてもじっと堪えているところから話は始まります。

 ところが、灰かぶり猫のゼゾッラは裁縫の先生は共謀して、ゼゾッラと不仲であった最初の継母を殺害する。

 十戒には、あなたは殺してはならない、とありますね。

 モーセは、事故で死なせたら罪に問われん無いが、恨みで殺したら死ななければならないと、戒めていたことを思い出しました。

 逃れの町について、民数記35章、申命記19章、ヨシュア記20章などにあるけれど、わざとではないのに死なせた場合だけ、逃れてよいはずですよ。

 本当に、マタイによる福音書による解釈で、良いんですかねえ。  

 不安になってきました。

カインとアベルの話を、覚えていますか。

 カインはアベルを殺しましたね。

神はアベルの供物に目を留めカインの供物は無視したので、カインは嫉妬してアベルを殺したのでしたね。

 ゼゾッラは、不仲であった継母を恨んで、裁縫の先生は共謀して殺してますね。

 細かいところに違いはあるけれど、動機は似ている。

創世記4章から、振り返ってみましょう。

9主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

10主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。

11今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。

12あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。

13カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。

14あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

15主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

主は、カインの言葉に神の怒りに対する恐れを感じ取られたのでしょう。

「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。

神の罰を恐れていなかったら、カインはとぼけたでしょうか。

 自分の行為を当然と思えば、開き直ったでしょうね。

 そして、神の怒りによって殺された。

けれど、カインは神に殺されると思って、必死に逃れようとした。

「わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。

死を覚悟したカインを憐れんだ神は、こう告げましたね。

「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。

一方ゼゾッラは、不仲であった継母は殺したが、共謀しながら裏切った裁縫の教師の仕打ちには堪えました。

 復讐の機会を狙っていた、それとも、自業自得とあきらめた。

それは、わかりません。

言えることは、ゼゾッラが堪えるものとなったさまを灰かぶり猫と呼んだと、読める事だけです。

「これらの町はとうの昔に粗布をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない。」

この記述に、裏切り者となった裁縫教師の仕打ちに堪えたゼゾッラが重ねられたと見なければ、彼女にもたらされた救いは理解できないでしょうね。

妖精の鳩に貰ったナツメの木は実は魔法の木で、彼女は木の魔法によってきれいに着飾ってお祭りに参加して国王に注目される。

国王の従者に追いかけられたゼゾッラは、履いていたピァネッレを落としてしまう。

ピァネッレとは、17世紀のイタリアで履かれていた木靴のことです。

ゼゾッラは、魔法が祭りに参加するための一時的なものであり、時が来れば解けることを知っていたので焦ったわけです。

 魔法がばれたら、全てを告白しないといけない。

そのとき、自分たちに訪れる破局を、恐れたのでしょうね。

嘘に嘘を重ねて、その場を取り繕っても、発覚すれば更なる悲劇が待っていると知っていたのでしょう。

 神は、ゼゾッラはとことん神を恐れるものとなったと、理解していた。

おそらく、そうでしょう。

そうでなければ、ゼゾッラにとってのハッピーエンドはこの物語にないでしょうから。

 ゼゾッラは、何事もなかったかのように、元の日常に戻ったのでしょうね。

おそらく、そうでしょう。

そして、もと、裁縫教師であたった二人目の継母の仕打ちに堪えたのでしょう。

悔い改めたゼゾッラは、大公の娘としての気品とへりくだった者の持つやさしさを兼ね備えた美しい娘となって、国王の目に留まったのでしょう。

 悔い改めとへりくだりのたいせつさこそ、灰かぶり猫という題に込められたメッセージであった。

主人公の罪を犯した場面を除かれてしまったシンデレラの話は、へりくだりの大切さと堪えることの美徳を説く物語に変質してしまったといえるでしょうね。

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