ギリシャ

ケルビムとグリフィンとスフィンクスの正体は?

グリフィンの飛翔~聖獣からみた文化交流~と言う本を、タイトルに惹かれて手にすることにしました。

 

グリフィンの周辺には、どうもユダヤとかイスラエルの匂いを感じていたからです。

本書にはその手掛かりが期待できそうに、感じ取れたのです。

予感は的中しました。

 

グリフィンと聖書のケルブとの関係が考察されていたのです。

 

ケルブとはケルビムの単数形です。

ケルビムって何と言う人には、神輿に乗っている鳳凰みたいなものと言えば、あたらずといえども遠からずというところでしょう。

 

実際、神輿を見て聖書に出てくるアークを連想するユダヤ人は多いそうです。

二本の棒で担がれる金色の箱に羽根の付いた金色の造形物が載っていると言えば、ユダヤ人にとってはアーク以外にあり得ないと思ってたものの、イメージ通りのものが日本にあるわけですから、驚くのも無理はありません。

 

ケルブは、聖書ではたいてい複数のケルビムとして登場します。

筆者がケルビムとグリフィンの関係を疑ったのは、ケルブ、ケルビムをスフィンクスと同一視する説が一般的となりつつあるからだと、指摘します。

実は、聖樹との結びつきはグリフィンもまたスフィンクスに負けず劣らず深いものがあると言うのです。

 

ケルビムは、大事なものを一対で守ると言う役割があります。

そしてケルビムには、大きな翼があります。

聖書に出てくる神殿の記述では、ケルビムとナツメヤシと開いた花が一つの組となって現れます。

78世紀のフェニキアの象牙細工には、グリフィンとナツメヤシと開いた花と一つの組となってしばしばみられるが、スフィンクスとナツメヤシと開いた花と一つの組もよくあるそうです。

つまり、グリフィンとスフィンクスは同じ役割や機能を持ち、交代可能な存在だったと言うのです。

そう言えば、グリフィンとスフィンクスの境目は、獅子頭のグリフィンによって結構あいまいになっています。

 

グリフィンには、基本的には鷲頭と獅子頭の二つのパターンがあります。

実際には蛇頭も入れて三つと言うべきでしょうが、蛇頭はなぜか廃れ、鷲頭と獅子頭の二つが残ったのです。

 

ここで注目したいことは、グリフィンに魔人的な描像があり、スフィンクスにも人頭のパターンがあることです。

グリフィンの描像に出てくるキャラクターは、鷲と獅子と人と蛇の四つ、ここに注目してくださいね。

一方でケルビムの描像に出てくるキャラクターも四つ、鷲と獅子と人と牛です。

蛇と牛が入れ替わっているほかは、ほとんど同じです。

 

グリフィンもまた、大事なものを守る大きな翼をもった存在です。

確かによく似ています。

さらにグリフィンは車をひく役割があったりします。

ケルビムも車輪と深い係わりが聖書に記されています。

筆者はケルブの役割は、神の下僕であると同時に神を乗せる乗り物であったと推察しています。

面白いことに、ローマ時代になるとシリアやパレスチナ周辺でグリフィンと一つの車輪という図像が突然現れると言います。

これらのことから、ケルビムの正体とはグリフィンであったのではないかとして、考察を締めくくっていきます。

 

詳しい説明は本書を読んでいただくとして、私の気になった箇所は実は別の所です。

 

グリフィンもケルビムも、神を乗せる役の神の下僕である、どちらも四つのキャラクターで表現されうる、ここでピンとくる方もおられるかもしれないですね。

そう、神の玉座にして戦車であるメルカバーです。

筆者がカッバーラを知っているわけがないので、この点を指摘してくるとは最初から期待はしてませんでした。

だが、この重大な類似に気付き、指摘してくださっていることには大いに感謝します。

ケルビムとグリフィンとスフィンクスは、メルカバーであったのではないかと示唆してくれたわけですからね。

 

本書の言及している地域に詳しい方、これらの地域のユダヤ人の足跡を探ってみませんか。

興味深いことがわかってくるかもしれません。

 

なお、本書にはまだまだ興味ひかれる記述があるけど、気になる方は御自身で手に取ることをお勧めします。

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日本どれだけ中東の飛び地なんですか。

日本の食卓を覗くと地中海が見える、なんてネタでお話をしたことがありました。

そしたら、こんなコメントが寄せられました。
これまで私が話してきた内容が、この中にかなり入ってるのには、思わずビックリです。
以下、全文紹介します。

エジプトの米は日本の農林1号なんです。
しかもエジプトは古代から米食で、品種改良もしていません。
味噌汁は中東のレンズ豆スープと瓜二つ。
ギリシャ料理には「アジの開き」そっくりにいろんな魚を開きにして、タレに付け込んで焼く、というのがあります。

米はアジアではなく、人類発祥の地であるアフリカが起源です。
雨が少ないナイル川流域で発展したのが灌漑農業。
それなりに雨が降る東アジアではそのころはまだ雨水農業が盛んでした。
そのアジアに米と灌漑農業を持ち込んだのが日本に移住した古代日本人である中東人、と思います。
今でも中国人にとっては米は日本人ほどの重要炭水化物ではありません。
これだけ米が好きなのは世界中探しても日本人だけでしょう。
日本では幼児に「ごはん」と言う時、「マンマ」と言いますよね。
エジプトでも幼児に「ごはん」と言う時、「マン」と言います。
両国とも大人には使わない言葉です。
これは私の推測の域を出ませんが、米が「マナ」なのでは?などと思ってしまいます。

伊勢神宮の話を中東人にした時、「いせシュライン」と言ったら「イーセー?」と驚いていました。
アラビア語で「イーセー」はイエスキリストのことですから。
彼らにとっては預言者ですが。

埴輪、を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きます。

日本には「連歌」という文化がありますね。
中東も「連歌」が盛んでした。
彼らは夜キャラバンを率いて砂漠を旅する時、お互いが「連歌」を作りながら楽しく旅をしていたそうです。

目が大きく鼻が高く掘りの深い中東人にとっての「美人」はずばり「平安美人」です。
現代はそこに「金髪碧眼信仰」も加わりますが。
昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」です。
平安時代にそういう顔が美人とされたのは、日本人自体が堀が深い中東顔だったからではないですか?
朝鮮人や中国人が大挙して押し寄せる前の明治維新頃までの日本人には濃い顔が多かったですよね。
実際明治維新頃日本を訪れたヨーロッパ人は本国へのレポートで「日本人は中東顔である」と書いています。
もし千年後に今の日本の漫画が発見されたら、未来人は日本人を「目の大きい人種」と認識するかもしれません。
つまり日本人の民族性は昔も今も、「自分の理想像を描写する」なのかもしれませんね。

古代中東での戦争は、両者が相対しにらみ合いになった時、両者から一人ずつが前に出て、「〇族の〇家の何某!」とお互いが名乗りをあげ、1対1でどちらかが倒れた時に両軍の戦闘が始まる、という、日本の平安時代以前と同じやり方をしていました。

私は中東の歴史ドラマを何度か見たのですが、戦闘のシーンの兵士の持っていた「楯」が日本の「八咫の鏡」と瓜二つだったのには驚きました。
日本ではあれを後生大事にしていますが、映画では兵士全員が持っている消耗品の扱いでした。まー当然ですが。
古代シリア地方を舞台にしたドラマでは戦争中、両者が赤と白のハチマキをして戦っているシーンがありました。サイズも日本のと同じです。

日本語も、古代エジプト語やラテン語、古代ヘブライ語、アラビア語などが混じってますね。こういった事実は、日本を下に組み敷いておきたい中国にとっては抹殺対象なのでしょう。
ひらがな、カタカナのような表音文字が表意文字からつくられるはずがないのです。
漢字から始まったなら簡略化するだけです。
実際、ひらがなとカタカナは古代ヘブライ文字とアラビア文字、しいては古代エジプト文字にそっくりです。
日本という他国の歴史まで「焚書」しようとする中国の傲慢さには反吐がでます。

日本人特有の顔(鼻が高く毛深く甘いマスク)は他の東アジア諸国の特徴的な顔とは全然違います。(当然例外はどこにでもいます。)
顔が違うだけではなく、性格も、他のアジア諸国とは一線を画しています。

長文、失礼しました。

埴輪を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きますの下り、やはりそうでしたかと思わずうなりました。

確かに、滅茶苦茶長く伸ばした前髪や、どう見てもユダヤ人のものと言いたくなる帽子の埴輪を見れば、そりゃ、率直にユダヤかって突っ込みたくもなるでしょう。

わざわざ帽子を埴輪にする時点で、どれだけ大事にしてたんですかって誰だって驚きますよね。

昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」の平安美人顔と言う、指摘にはあらためて驚きました。

そう言えば、天孫一族には古代イスラエル北朝12支族説も出てます。

天皇家の傍系の方々の顔にも、中東顔の指摘があります。

大挙して渡来した秦氏にも原始ユダヤ人キリスト教徒説があるし、平氏の正体にもペルシャ人であると言う声もあるくらい中東の匂いがプンプンしてると言います。

合戦の前に名乗りを上げるところは、このコメントにもあるようにまさに中東のやり方そのものだそうです。

さらに、縄文人自体もアジアとヨーロッパの民族や人種が分かれる以前の人々の子孫とのDNAの解析結果もあります。

言葉についても、ラテン語や古代ヘブル語と共通のルーツと言う説が出るのも、縄文人のせいなんでしょうね。

で、さらに、古代エジプト語やアラビア語ですか。

連歌の文化まで中東と同じですか。

どんだけ、日本って一皮むけば中東が出て来るんですか。

こうなればもう、笑うしかありませんね。

面白い情報満載のコメントにあらためて感謝申し上げます。

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日本の食卓を覗くと地中海が見える?

この前、野菜炒めの残り半分を、ちょっと気分を変えたくてたまたま買ってあったルバーブのジャムであえて見たのですよ。

 同じ食卓の上で、甘い惣菜が他の惣菜と一緒に並ぶってことは、ヨーロッパ、とくに北欧じゃまずないよ。

 まして、せっかく塩コショウで味付けしたのにジャムなんかであえたら、びっくりするからね。

ルバーブは野菜なので、ジャムとは言っても日本の食卓にありがちな甘めに味付けした惣菜に近いと思ったから、やってみたんでして。

野菜同士だから、あんまり、違和感なかったですよ。

それに、甘いものを食べる食文化は、世界中にあるでしょ。

 甘いものを他の惣菜と一緒に出すと、外国人、特に欧米はデザートと食事が同時に食卓に並んだと言って、戸惑うことが多いんだから。

 野菜炒めをジャムであえたりしようもんなら、ものすごくびっくりするからね。

甘いものがほかの惣菜と一緒に食卓にのぼる食文化って言ったら、日本のほかにどこがあるかと言うと…。

 地中海ですよね。

地中海沿岸っていうと、日本人そっくりな顔の人がいっぱいいますよね。

 そうそう、いっぱいなんてもんじゃないよ。

 それは、日本には地中海沿岸の人達そっくりな顔をたくさん見かけるって事にもなるわけね。

 外国の友人から、日本ってアジアの国なのになんでヨーロッパ顔が多いのだ、あなたの顔はアジア的だからアジア人とあってるんだって納得できてほっとする、って言われたよ。

そう言えば、日本はアジアでも珍しい家族性地中海熱の発症例が見つかる国なんですよね。

遺伝性疾患だっていうのに。

 ケネウィックで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さったアイヌや琉球にそっくりな古代人骨が見つかっているんでしたよね。

南米エクアドルのバルディビアからは、縄文土器が見つかったと驚いてる人もいますね。

 エジプトの方が似てるって、言う人もいるけどね。

それを言ったら、日本の縄文土器は古代エジプトの土器に似てることになっちゃうでしょ。

日本人の足で一番多いのは、エジプトタイプだし。

 エジプト考古学の吉村作治は、日本とエジプトは食の好みが似てるから長期滞在でも食べ物で困らないのは助かるって、言ってますよね。

秋田美人の美白の理由の一つに、白人の血が混ざってないとそうはならないって話もありますね。

 秋田犬の血液型のパターンまで、ヨーロッパ犬に似てると聞いた時は驚きましたよ。

秋田って、けっこう、体つきがしっかりした白人的体形、多いですよね。

世界三大美女はクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネなんですよね、世界的には。

クレオパトラとヘレネは、ギリシャ美女なんです。

楊貴妃も白人的な体つきと容貌なことは間違えないので、ギリシャ美女の可能性はありそうです。

そうなると、日本でだけヘレナの代わりに秋田小町をいれてるけど、彼女は秋田美人なんですよね。

 秋田小町は秋田美人で、秋田美人は白人的っていうことは、秋田小町も白人的美人ということかしら。

日本にはギリシャ的な顔の人は結構いるけど、日本人の足でエジプトタイプに次いで多いのはギリシャタイプですからね。

 となると、秋田小町もギリシャ風美女だった可能性ありって事でいいのかしら。

 世界的美女はみんな、ギリシャ風ってこと…。

野菜炒めをルバーブのジャムであえた話から、脱線しまくり…。

 あ、ほんと…。

じゃ、この辺で、この話はいったん切り上げってことで…。

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モンゴロイド

DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

 そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

 人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
 ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

 日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

これが、後のモンゴロイドです。

モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

 古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

 アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

 アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

 だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

 その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

 古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

 そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

 メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

 フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

 東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

 ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

とはいえ、興味深い遺跡はあります。

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

 縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

 モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

 アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

 精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

 しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
親指が長い他に、足幅が広めな形です。
親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

 つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

 ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

 南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

 そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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江戸っ子とドイツ人とローマ帝国?

蛇蔵&海野凪子の「日本人の知らない日本語」シリーズ、結構面白いので1から4まで持ってるんだけど、その中にさりげなく面白い話があったのです。


ドイツ人は、「し」と「ち」の区別が苦手だというのです。


日本でも、東京下町の江戸っ子は、「し」と「ひ」の区別が苦手として知られています。


巻き舌でべらんめえ調な下町の人たちが、江戸っ子訛り丸出しで歌ったドイツ語の喜びの歌の発音が実に本格的な発音だと、テレビでも話題になりました。


「し」と「ち」の区別が苦手なドイツ人、「し」と「ひ」の区別が苦手な東京の江戸っ子。


その江戸っ子が訛り丸出しで歌ったドイツ語の喜びの歌が、発音が本格的というのは面白いですね。


ここで気になるのは、ドイツ人が「ち」江戸っ子が「ひ」の発音が苦手と言うことです。


ドイツ語の発音は、ほとんどローマ字読みで大丈夫なことを思えば、そして、巻き舌をドイツ語と江戸弁が共有していることを思えば、ドイツ人と江戸っ子の「し」は似た発声だろうと想像できます。

 

 でも、ドイツ人は「し」と「ひ」の区別は出来てるでしょ。


「し」と「ひ」と「ち」は、いずれもイの段の音、つまり、平唇的な発音なんです。


区別は、口の横への開き具合だけなのです。


同じような巻き舌音でも、江戸っ子とドイツ人では発音の平唇の程度が違うわけですね。


この、発音の時の平唇の程度の差が、「し」と「ち」の区別が苦手なドイツ人と「し」と「ひ」の区別が苦手な江戸っ子の差に、なっているんでしょうね。


さらに興味が惹かれるのは、イタリアの中でもローマはなぜか巻き舌が強い発音なんです。


 巻き舌が繋ぐ、江戸っ子と、ドイツ人と、ローマっ子、面白いですね。


ローマ帝国領になったヨーロッパの地域は他にもあるのに、なぜかドイツが神聖ローマ帝国を名乗るでしょ。


 そして、江戸っ子の発音の癖はドイツ人的でもあるし、ローマっ子的でもある。


ドイツ人はヨーロッパの中でも、日本人に気質が近いと言われます。


スイスも結構、ドイツ語の地域は広いが、スイス人も日本人と気質が近いので親近感を持ち、多国籍な集いでは日本人とスイス人の行動パターンが近いのでとっても気が合うからと恋に落ちるパターンも結構あるのだそうです。


スイス人と日本人はいつも時間通り集まるとか、ほかの民族はみんなさっさと帰ってしまって後片付けはたいていスイス人と日本人だとか、あげれば他にも例はあるだろうが、気が付くと傍にいることが多ければ、それはいつしか、恋に落ちることもあるでしょうね。


もちろん、例外もあるそうなので、あまり、期待しないようにしてください。


交通機関のダイヤの正確さは日本とスイスが一番、似ていると言います。


ドイツも案外遅れるが、何分遅れるかちゃんとアナウンスするあたり、他の国よりは律儀ですがね。


 ドイツって、何分遅れるかアナウンスがあると言っても、平気で遅れてしまうあたり、多少、ラテン的ですね。


ドイツ人にしてみれば、遅れるにもちゃんとわけがあるから仕方ない、何分遅れるかちゃんと言えば問題ないだろということなのでしょうね。


そのドイツが神聖ローマ帝国を名乗ったあたり、そして、周辺国からなんでだとつっこみがなかったあたり、なにかありそうですね。


マケドニア共和国がこの名前を付けるとき、周辺のマケドニア人から、マケドニアと言えばギリシャなんだからなんであなた方はその名を使うのかと、異論が出たこともありましたからね。

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ネコの骨は何を語る?

ネコが人と暮らし始めたのは約4000年前のエジプトであったと言う定説が、8000年前のキプロスの遺跡で疑問視され、さらにそれに追い打ちをかける報告が出ました。

ネコの家畜化、餌で裏付け=5500年前の骨分析―穀類多く食べる・中国の遺跡

時事通信 12月17日(火)5時9分配信

中国陝西省の遺跡で発掘された5500~5300年前のネコの骨を分析したところ、アワやキビなどの穀類を多く食べ、人間に飼われていた可能性が高いことが分かった。中国科学院と米ワシントン大の研究チームがネコの家畜化の過程を裏付ける最古の証拠として発表した。論文は17日以降、米科学アカデミー紀要電子版に掲載される。 

2013年12月17日 13時10分13秒

イエネコの起源が5300年前の古代中国であるという証拠が中国の農村から発見される

By Kenny (zoompict) Teo

犬と並んで世界中でペットとして暮らしているイエネコの発祥はいつ・どこからなのか?という説には、「約4000年前の古代エジプト起源説」や、さらに古くは「約8000年前の古代キプロス起源説」といったものもあります。そんな中、ワシントン大学が、5300年前の古代中国の農村があった場所から、人間と猫が共生関係にあったことを示すイエネコの骨が発見されたことを発表しました。

Cat domestication traced to Chinese farmers 5,300 years ago | Newsroom | Washington University in St. Louis
https://news.wustl.edu/news/Pages/26273.aspx

これまで、「いつからどこでヤマネコが家畜化されてイエネコになったのか」ということは定かではありませんでしたが、ワシントン大学で考古学を研究するフィオナ・マーシャル教授によると、ASUの中国調査チームのSongmei Hu氏たちによって、5300年前の古代中国の農村があった場所から世界で初めてイエネコ発祥の直接的な証拠となりうる、2匹以上の猫の骨格が発見されたとのこと。

発見された猫の骨格に対して放射性炭素年代測定法および炭素・窒素を用いたアイソトープ分析を行ったところ、耕作物を食べるげっ歯類を食べていたことが判明。また、2匹の猫のうち一方は高齢だったこともわかっており、穀物を狙うげっ歯類に引き寄せられて、少なくとも人間の村の近くで食物をとっていたことを示唆しています。

さらに、同時代の穀物の貯蔵穴が穴を掘るげっ歯類を防ぐ設計であったため、古代の農民がげっ歯類に対して問題を抱えていたことを表しており、猫をネズミなどげっ歯類の対策として飼っていた可能性も考えられます。

近年のDNA研究から、世界に6億匹存在するイエネコのほとんどは「近東由来のリビアヤマネコ」の子孫であることがわかっており、今回猫の骨格が発見された中国の農村エリアにはリビアヤマネコの亜種は生息していなかったため、イエネコ起源の証拠としては確定的とまでは言えませんが、今後この猫が近東由来のリビアヤマネコに近い子孫であることが判明すれば、イエネコ起源中国説はより確実となると考えられます。

今回の記事はイエネコに関するものです。

日本でも縄文の遺跡からネコの骨は出ているが、ヤマネコと見なされているために、たとえ人里に出没していても、一緒に暮らしていたとか、飼われていたとは見做されていないわけです。

 家畜化されたネコの起源としてはそうでしょうね。

 でも、日本のヤマネコがどれくらい人になついていたか、人を警戒していなかったか、気になりますね。

死体が人の手で処理された以上、ネズミを狙って頻繁に人里に出没し、大いに感謝されていた可能性は高かったと思いますよ。

 縄文は現代の我々が考える以上に、経済的に発展していましたからね。

ネコは体が弱ると人目を避けて隠れ、そのまま死んでしまう場合が多い事を思えば、どこでどのように死んだネコの骨か、と言うことはもっと気にされて良いはずです。

もしも、人に見とられて死んだネコの骨であったなら、たとえ飼われていなかったとしても、限りなく現代の地域ネコに近かったかもしれないからです。

少なくとも、人に見つかる可能性が高いところで死んでいた可能性が高い以上、このヤマネコたちは人をあまり警戒してなかったことになりませんか。

 地域ネコであってさえ、死に際を見とれる可能性が低い事を思えば、人の手で処理されたネコの骨があることの意味は、もっと注目されて良い。

そう思いますね。

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働くの語源は西方にあり?英語VS日本語 その7

らくと言う言葉について、こう考えてみました。

らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

 一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

ここで、想い起すのは、日本語はかつて二重母音だったことです。

具体的には、ワ行母音と言って良いでしょう。

旧仮名遣いは、今日のア行母音よりもワ行母音の方が発音しやすいのです。

となると、らくもまたワ行母音であったはずです。

発音してみると感じるのです。

英語のワークに、音が似てくるのです。

 ワークは働くと言う意味だから、音も意味も重なるわけですね。

R音は、巻き舌音として音はかすれて聞こえにくくなる傾向があります。

一方、L音は巻き舌音として音は濁って濁音になる傾向があります。

そうなると、頭のR音は欠落して、さらに音はワークに近づくことは容易に想像できます。

 はたらくの「はた」は周囲の意味とすれば、「らく」だけでワークの意味になる。

 じゃ、はためくは、どう解釈するかです。

はためくとは、こういう意味ですね。

布や紙などが風に吹かれてはたはたと動く。

揺れるように鳴り響く。響きわたる。とどろく。

鳥などが羽ばたきをする。

ひるがえる。

ようするに、はた、つまり周辺が激しく揺れ動いて激しく音を立てる様子を表すのが、はためくと解釈できるでしょう。

音を立てるとは、音が出る状態になることであり、音を発生させる主体になることと、言い換えて良いでしょう。

発生させる主体になるとは、メーカーになると考えることもできるはずです。

ならば、めくは英語のメークに当たると言えないでしょうか。

きらめくとは、輝きを作ること。

ひらめくとは、潜在的だったものを顕在化させて新たな考えを作ること。

 きらめくの「き」は、「木(き)」や息の「き」のように細く放射されるような、イメージ。

 ひらめくの「ひ」は、「火(ひ)」のようにひるがえっていくような、イメージ。

 そして、「ら」は包み込む表面のイメージ。

そう見ていくと、実は日本語の中には、もっと欧州の言語と語源を共有するするものがあるように思えてきます。

 これまでにも、日本語と英語との類似を何回か見てきましたね。

 はたも、案外、フロントと語源が近かったりして。

 フロントも、端っこのイメージがあるでしょ。

 最先端といえば、聞こえは良いけど。

R音とD音とT音は、巻き舌音を介して相互に転訛する可能性はあります。

考える余地はありそうですね。

 じゃ、きらはミラー、ひらはフィルムとか。

フィルムは細い糸の意味だけど、細い糸で作ったように薄い膜も指します。

 それじゃあ、はたらくも、はためくも、きらめくも、ひらめくも、英語になってしまう…。

でも「めく」がつく言葉は多いです。

 一度、形容語句を作る接尾辞として定着すれば、後は応用でいくらでも出来るでしょ。

そのことが、かえってこういう構図を見え難くしてるのでしょうね。

 派生したものと、そうでないものをごちゃまぜにして、全部説明できないとだめなんて考えるから、見えてこなかった。

そうかも知れません。

日本は、欧州の遺伝性疾患のアジアにおける飛び地でもあります。

 格助詞である「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのでしたね。

日本語の起源は、ラテン語だったと主張する『ラテン語と日本語の語源的関係 』(サンパウロ出版)のような書も出ています。

ここには、「こころ」「すめら」「さらば」など、日本古来の単語とラテン語の発音の共通性が、700以上列挙されています。

 アメリカのケネウィックから、イギリス人的であると同時にアイヌ的でもある古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃とともに出土してますね。

縄文人の顔を再現したらフランス人のそっくりさんがいる芸能人に、激しく似てました。

映画テルマエロメオでローマ人役を全員日本人で間に合わせたら、ローマっ子から違和感なしとの太鼓判が押されました。

東北弁がフランス語と勘違いされるCMが流され、今は亡きシャンソン歌手淡谷のり子はあまりにひどい東北訛りを逆手にとってシャンソン歌手になったと言います。

秋田美人の典型顔は、ミロのビーナスという指摘もあります。

 もっと、広い視野で日本語の起源は考えられて良いでしょう。

先入観は、捨てるべきでしょうね。

 ユダヤ人は白人的な顔だから日本に来てるわけがない、と言う人には日本人の白人顔のルーツはユダヤ人だと言いたいのかとの反論で、論破できますしね。

面白いのは、ロシア領に秋田美人としか言いようのない女性たちがいることです。

そして、バイカル湖畔こそ、日本人の起源という研究もあります。

 古代中東のYAP遺伝子が日本にあるが、中東はいまだに日本人のルーツ探しの視野にないようですね。

アカデミズムは、人類史上の通過点くらいにしか、中東を見てないようですね。

 遺伝子情報は、中東から西を指してるのですけどねえ。

家族性地中海熱とか、ですよね。

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古代アメリカに日本と中東の接点は見えるか?

YAP遺伝子は、古代中東との繋がりが指摘されます。

琉球人とアイヌは共にYAPプラスの遺伝子が見つかり、アメリカのケネウィックからアイヌの親戚としか思えない古代人骨が出ています。

そして、アイヌと琉球人は顔立ちが似ているから、ケネウィック古代人骨は琉球人の親戚の骨と見ることもできるでしょう。

 ケネウィック古代人骨はスペインやフランスの様式の鏃を伴っていたことを合わせると、アイヌや琉球人の親戚は地中海世界にいたことになりますね。

さらに、琉球人には古代アメリカと同様な紐を使った記録法の文化があります。

また、沖縄からは煙が立ち上る階段ピラミッドを連想できる古代の絵が見つかっているが、アメリカの階段ピラミッド遺跡の上でも火が焚かれていた痕跡が確認できたそうです。

 ハワイにも、YAPプラスの遺伝子を持つ人々がいるようですね。

こうしてみると、YAPプラスの遺伝子は、古代中東から地中海、そして、アメリカ大陸を経て、太平洋を渡って、日本に来て今日に至るという、道筋を考えてみても面白くなりますね。

 アイヌの生活文物と、古代イスラエルとの類似を指摘する人もいますね。

そして、興味深いことには、沖縄では故郷の伝承や文化と聖書の類似を比較した本が出てます。

那覇出版社の「沖縄の風習と聖書」です。

なんとこの本、那覇出版社自らが編集し、発行してます。

それから、北海道出身で東京在住の筆者と沖縄県民共著の本が、これまた球陽出版と言う沖縄の出版社から出てます。

その名も、「おきなわルーツ紀行聖書でひも解く沖縄の風習」といいます。

 ついでにいうと、沖縄はキリスト教の信徒も多いそうですね。

米軍占領時代があったとしても、一応琉球政府という形で、アメリカとは別扱いされてはいたようですけど。

背景には、キリスト教にたいして、さほど違和感がなかったことも挙げられるかもしれません。

 アメリカからは、縄文土器も出ていますね。

遺伝子からみても、古代において、日本とアメリカの先住民の繋がりは指摘できます。

寄生虫から見ても、太平洋の中ほどに古代の日本とアメリカの交流ルートがあったと指摘できるようです。

 こうしてみると、間に挟まれたアメリカ大陸に、古代中東文化の痕跡を見出さない方が、不自然ですね。

これについても、注目したい本が出てます。

岩波新書の「インカとエジプト」という、増田義郎・吉村作治共著です。

冒頭にこうあります。

エジプトはインカにひどく似た点が多いことに気づかされます。…メソポタミアの状況は…三-九世紀の古典期マヤ文明や、一三世紀以後のメキシコ中央高原の政治状況に似ています。…エジプトをインカと比較し、メソポタミアをメキシコやマヤと比較することは、大変興味深いテーマとなるでしょう。

 こうしてみると、日本人の足指にエジプトタイプが多いのは、自然に思えてきますね。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

親指が長い他に、足幅が広めな形です。

親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

ちなみに、足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型のほかには、ギリシャタイプと、スクエアタイプがあげられます。

ギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。

ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。

ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

日本人の足にエジプトタイプが多いことや、日本神話の構造も古代エジプトと似ていることは、むしろ、当たり前に見えて来ますね。

 太陽神を中心に三神構造を持ち、動物神を含む八百万の神ですものね。

縄文人が地中海世界を含む西方世界を経由していることは、ヨーロッパと共通の遺伝性疾患、秋田美人の肌の白さ、そのうえ、秋田犬の血液型パターンまでもが、指し示しているといって、良さそうですね。

 こうなってくると、古代アメリカの遺跡や遺物から、日本との繋がりや共通性が見えるものは、これからもっと出てきそうですね。

可能性は、ありますね。

 もちろん、古代アメリカと古代中東との、繋がりや共通性を物語る遺跡や遺物も、あるでしょうね。

可能性は、ありますね。

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大福とエジプト?

大福餅(だいふくもち)とも呼ばれる大福(だいふく)は、小豆でできた餡を餅で包んだ和菓子の一種です。

餅に豆やヨモギを加えたものや、餡の代わりにイチゴやカスタードクリームを入れたものなどさまざまなバリエーションが存在します。

そのまま食べることが多いが、好みによって焼いたり、汁粉に入れたりします。

大福に使われる餅はきめ細かくつかれているものを使い、餡の量は餅と同量以上であることが多いです。

また、食用の粉をまぶしてあることも多いです。

大福を自宅で作る際は、餅に砂糖を混ぜておくと硬くなりにくいといいます。

工場で生産され、流通経路を介して販売される製品も同様の傾向があるそうです。

大福は、江戸時代初期に生まれた鶉餅(うずらもち)が1771年(明和8年)に江戸・小石川の未亡人により小形化され、餡に砂糖を加えられたものが始まりとされます。

大福は、丸くてふっくらしていたので鶉餅と呼ばれたと、されます。

腹持ちがよいことから腹太餅(はらぶともち)、大腹餅(だいふくもち)と呼ばれていたものが、吉字を使った大福餅に変化したといいます。

寛政の改革時には、行商が焼きながら売り歩く熱い大福が流行したそうです。

もっとも、鶉餅については、もっと起源は古いと言う声もあります。

室町後期にまで遡ると、言うのです。

ただ、これについては、まだ裏が取れていないので断言はできません。

鶉餅は、長野県千曲市八幡にある武水別神社の境内に営まれるうずらやと言う店が、元祖らしいです。

この地で茶屋をはじめて200年になるといいます。

看板には、《八幡宮名物元祖うずらもち》とあります。

この店の鶉餅は、丸くてふっくらというより、そこはかとなく鶉に似せた形です。

しおりにはこうあるそうです。

天保十三年に武水別神社八幡宮が消失し、嘉永三年に再建されました。

当時御社の東側の千曲河原は葦藪で、うずらが群棲しておりました。

その群れ遊ぶ姿を、立川和四郎富昌により、本殿の大黒柱の両側に四羽ずつ彫刻されました。

このように、神社とうずらとの関係が深きことから、初代武井音兵衛が創始したのが「うづら餅」です…。

ただし、鶉餅は歴史が古いだけに形も様々と言うから、この店も起源の一つと見た方が良いのかも知れません。

それというのも、鶉餅は別名を鶉焼きと言うのです。

なぜなら、一般的な鶉餅は、もち米で作った薄皮の中に小豆の塩餡を包み、鶉の斑紋のような焦げ目をつけて焼いたものとされるからです。

うずらやの鶉餅は、もち米で作った薄皮の中に小豆の塩餡を包み込んでいるだけで、焼いてあるようには見えません。

 より、鶉に似せるために、他の店が鶉の斑紋のような焦げ目をつけて焼いた鶉餅を始めた可能性もあるのでは。

それは、ありえますね。

また、日持ちをさせるために、どうせ焼くならと鶉の斑紋のような焦げ目をつけて焼いたのかも知れません。

 鶉で思い出すのは、聖書の記述ですよね。

出エジプト記16章ですね。

11節 主はモーセに仰せになった。

12節 「わたしは、イスラエルの人々の不平を聞いた。彼らに伝えるがよい。『あなたたちは夕暮れには肉を食べ、朝にはパンを食べて満腹する。あなたたちはこうして、わたしがあなたたちの神、主であることを知るようになる』と。」

13節 夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。

 神社は、古代イスラエルの幕屋に似てると言われますよね。

周囲と区別された境内の中に、拝殿と本殿を分けた社があり、前に二本の柱が立ち、賽銭箱がある。

二本の棒で担がれることを基本とする、金で覆われ、羽の付いた像が上に載る輿がある。

裾に房の付いた衣装を纏う神職が、塩で浄め、祓いをする。

その神社の境内に、鶉餅の元祖を名乗る店があるって、出来過ぎでしょ。

 しかも、八幡の語源にはユダヤからイエフダ―、ヤハダ、ヤハタと転訛した説があるでしょ。

こうなると、鶉餅は起源がどこまで遡れるかより、ユダヤと聖書の関係を連想できる場所が元祖を名乗ってること自体が、面白いですね。

 それと、何故鶉だったかですよ。

イスラエルの民は、エジプトで鶉になじんでいたからでしょうね。

紀元前3000年頃のメレルカ王の石室墳墓に彫刻されているものに、古代エジプトのファラオ王朝時代の農民が麦畑で野生の鶉を捕獲している情景が、伝わっています。

これには、網を使って捕獲している様子までが鮮やかに刻まれています。

さらに古代エジプト第6代王朝の頃には、プタヒルクの壁に、現代の句読点にあたるものと解釈される象徴文字として鶉が登場するまでになっています。

その古代エジプト文字のヒエログリフでは、鶉の雛を象り『u』を意味して、フェニックス=不死鳥という伝説も残っているそうです。

日本の神話と類似が指摘されるギリシャ神話には、女神アストリアが、鶉に姿を変えウズラ島となり、太陽神アポロンと月の女神アルテミスの郷となったと伝えられています。

古代中国では、鶉が怪鳥化して鳳凰や不死鳥になったという伝説を残しています。

めでたい事があった時にだけ姿を現す『端鳥』であると、中国最古の辞書に載っているそうですよ。

「鳳」と「凰」はつがいで、仲睦まじく「平和」「善政」「愛」の象徴とされてきました。

日本においても、鶉は古くから重宝されていて、鳴き声が『御吉兆(ゴキッチョー)』と聞こえることから、戦国時代には鶉が出陣前の縁起担ぎに用いられたりしていました。

万葉集にも、鶉についての歌があります。

鶉鳴く 古りにし里の 秋萩を 思ふ人どち 相見つるかも 巻8-1558  沙弥尼等

人言(ひとごと)を 繁みと君を 鶉鳴く 人の古家(ふるへ)に 語らひて遣(や)りつ 巻11‐2799 作者未詳

鶉鳴く 古しと人は思へれど 花橘の にほふこのやど 巻17‐3920 大伴家持

その後も、鶉は歌われてきたが、長くなるので省きます。

鶉自体も、日本へはエジプトから渡来したと見られているのです。

鶉は、キジ目キジ科ウズラ属に分類される鳥類です。

キジ科の中でも個体が小さい鶉は、日本(主に本州中部以北)、モンゴル東部、朝鮮半島、シベリア南部、中華人民共和国北東部などで繁殖し、冬季になると日本(本州中部以南)、中華人民共和国南部、東南アジアなどへ南下し越冬する鳥です。

全長20センチメートル、翼長9.1-10.4センチメートル、上面の羽衣は淡褐色です。

繁殖期のオスは顔や喉、体側面の羽衣が赤褐色で、冬季になると羽衣が淡色がかります。

草原、農耕地などに生息する[4]。秋季から冬季にかけて5-50羽の小規模から中規模の群れを形成することもあります。

和名は「蹲る(うずくまる》」「埋る(うずる》」のウズに接尾語「ら」を付け加えたものとする説があります。

食性は雑食で、種子、昆虫などを食べます。

繁殖形態は卵生で、配偶様式は一夫一妻です。

5-10月に植物の根元や地面の窪みに枯れ草を敷いた巣に、7-12個の卵を産み、メスのみが抱卵し、抱卵期間は16-21日です。

雛は孵化してから20日で飛翔できるようになり、1-2か月で独立する[4]。生後1年以内に性成熟します。

 鶉、何時頃どうやって、日本に来たのでしょうね。

まさか、エジプトから飛んできたとも思えないから、シルクロードでしょう。

徐福や神武か、少なくとも、古事記や日本書紀、万葉集よりは前、どうゆうルートか、気になる鳥ですね。

 まさか、大福から、エジプトに話が飛ぶとは…。

 エジプトから鶉が来なかったら、大福はなかったのかしら。

餅と肉の食感の類似から、何か動物が関係するとは思ってましたが。

鶉とは、ちょっと意外でした。

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ファラオの顔。

ファラオについて私が見たとき、Wikipediaでは、この記述に要出典の突込みを入れていたのです。

ファラオのDNAの調査報告において、人種は公表されていない。

しかし、ファラオの彫像から、その面立ちの8割以上が、前頭骨眼窩部の隆起が少なく眉から瞼にかけての傾斜がコーカソイドやネグロイドよりも平坦で、また、頬骨に対して涙骨の窪みが目立ち、モンゴロイドの特徴を呈していることが、知られている。

特に、モンゴロイドの特徴を呈していることが、知られているという部分に、出展明示を求めているように思えるのです。

だが、思い起こしてほしいのです。

日本人女性の多くが、先の尖ったローマンタイプの靴で外反母趾になるのは、6割から7割がエジプト型タイプの足のせいと言われているのです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

さらに、味の好みまで似ているのです。

身体的特徴と、味の好みまで近い日本人とエジプト人なら、ファラオの顔にモンゴロイドの特徴があっても、おかしくないのです。

 そういえば、宗教も動物を含む八百万の神々を信仰し、しかも中心は太陽神であり、それも三神構造ということまでそっくりよね。

神殿さえも、拝殿と本殿を分ける構造ばかりか、オベリスクと鳥居という二本柱を前に立てることまで似ているのです。

 違いと言えば、日本では偶像の代わりに賽銭箱があることと、石の代わりに木で出来ていることくらいね。

 そうそう、身体的といえば、日本人の濃い顔の人にそっくりなイタリア人多いよね。

 テルマエロメオという漫画の実写版作成の際、ローマ人男性役の俳優、全部日本人で間に合わせたのに、ローマで上映したら、ローマ人そっくりと現地の人に言われたそうね。

 そして、エジプトも濃い顔が多いそうよ。

ローマ帝国は地中海を制圧したはずなのに、エジプトはアフリカの地中海沿岸のどの地域より、濃い顔が多いようですね。

 ローマ帝国におけるエジプトの重要性だけでは、説明はつかないよね。

イタリア料理も、日本人好みだし、日本の食材でイタリアンに売り込めそうなもの結構あるのですからね。

顔と味の好みが見ているイタリア同様、濃い顔の人がいて、6割から7割がエジプト型タイプの足とくれば、顔が似てない訳がないですよ。

実際、わざわざ歴代ファラオの彫刻や絵の写真から、顔の部分だけ集めて比較した人がいるのです。
エジプトのファラオ一覧
http://park.geocities.jp/j_con4/Z08/pl248.html

見て思うのは、顔の部分だけ見せてどこの人か当てさせたら、まず、十中八九、アジア、それもキルギスなど中央アジアや日本を連想するだろうということです。

 一部、中国を連想できそうな人もいるが、韓国や朝鮮を連想できる顔は一人もいませんね。

後半になるとギリシャ系ファラオもいるけど、ギリシャ的な顔の人も日本にはいるのですからね。

 足の形でもエジプトタイプについで多いのがギリシャタイプだし、秋田美人の典型はミロのビーナスという指摘もあったのね。

ええ、典型的な秋田美人の顔は、その輪郭・目鼻立が、ミロのビーナスに瓜二つと言うのです。

ことに秋田美人は、肌は白人並みに白く艶があり、長身でスタイルが良いので有名です。

 或化粧品メーカーが、県南部、つまり大曲・角館・横手・湯沢周辺の平均的な女性を選んで調べた結果だったね。

神話も、ギリシャとの類似を指摘する人は多いですよ。

和裁の鋏も、ギリシャタイプなわけですし。

東北には、いわゆる瓜実顔と言われる顔の美人が目立つのです。

瓜実形の特徴は、面長で奥二重、頬から顎にかけてすんなりした優しい線です。

鼻筋が通っており、目は一般にすがすがしいと言われるすっと横長に伸びた形です。

大陸・白人系の血を引いているからではないか、と言う調査結果もあるのです。

今でも「先祖がえり」というか、青い眼の子供が生まれると聞くのです。

 秋田犬も血液型を調べたら、ヨーロッパタイプでしたね。

さらに、犬や猫、特に犬を指すアイヌ語とエジプト語の類似には改めて驚いたのです。

 猫のチャペについては、転化の形を比べていくとオッタからの変化である可能性が見えてきたのでしたね。

余談だが、ネコの語源については、先ほどのファラオの顔を集めていたサイトでは王朝の都に猫の神殿を作ったりしたネコ2世の名前がそうではないかと言う説を立ててるのです。

ネコというのは古代ギリシャ読みで、正確にはネカウ(Nekau)と言うそうです。

もちろんネコ1世もいて祖父にあたるのです。

ネコ2世の統治するエジプトを攻略するのに、ペルシャ軍は猫を使ったというくらい猫にまつわるエピソードのあるファラオなので、そういう連想をされても仕方がない所はあるのです。

飛ぶ鳥の「あすか」から、飛ぶ鳥と書いて飛鳥(あすか)となったように、猫を祀るネコ2世の神殿からネコの神殿と綽名がついた可能性はありそうですから。

古代エジプト語のネカウ(Nekau)がどういう意味かは、わからないです。

ただ、アラブ語やペルシャ語、ヘブル語にはneko(ネコ)とか、neku(ネキー)と読める言葉があるのです。

ヘブル語では、こういう意味です。

勝つ、勝利する。(音楽で)指揮する。
永遠、不滅なものにする、永久に記念する。
輝き、光輝、栄光。
永遠、永久、不滅。

ファラオの名前の意味としては、いかにもふさわしそうですね。

なお、ペルシャ語ではこういう意味だそうです。

敬虔(父母や長上に対する)、敬服、恭敬の態度。
貧しい者に対する惜しまざる施し。慈悲心に富む事。
誠実・正直。他人に対して悪評を下さない事。
善。善行、恩恵。
美しさ、優雅さ。

こちらも、ファラオの名前の意味としては、ありそうです。

じゃ、イヌのほうはどうかというと、この種の話はまだ知らないです。

良く調べれば、何か面白い説もあるでしょうね。

それはさておき、ファラオは地上の太陽神ラーとされ、天皇は太陽神の子孫とされるから、ここでも似通っているのです。

皇室の祖先神天照は、もともとは男神の天照国照彦とする解釈もあり、これが正しければさらに似てくることになるのです。

ついでに言えば、ラーは猫神で天皇の尊称も根子であるばかりか天皇を指す隠語は猫という指摘まであるから、面白いですね。

 先ほどのサイトだけど、ファラオの目、二重ですかね。

はっきりわかり難いのもあるが、そう見えるのも結構あるのですね。

 エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士も、二重だったよね。

 この人の顔も、日本に似た顔の人いそうな気がするね。

 エジプトの大統領と言えば、ナセル大統領がいたのね。

ガマール・アブドゥル=ナーセルがフルネームですね。

日本ではナセルという表記が一般的であるが、ナセルあるいはナーセルは父の名アブドゥルナーセルの後ろ半分で、姓ではないですよ。

汎アラブ主義を主張し、1958年、エジプトとシリアから成るアラブ連合共和国を建国してその初代大統領に就任した事で知られるのですね。

 日本ではナセル大統領で知られる彼の顔も、日本で見かけそうよね。

 ふと思ったけど、エジプト考古学の吉村作治教授の顔、エジプトの考古学者ザヒ・ハワス博士の顔、ナセル大統領の顔、どことなく傾向が似てませんか。

 吉村作治教授、親近感を覚えてエジプトにのめり込んだのかしら。

言われてみれば、なんとなく似てるかも…です。

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