イギリス

粘り強く対話するのが平和への一番の近道だ。

アセアンとヨーロッパの差は、地域の大国と周辺諸国との歴史的な関係の違いがありそうだ。
アジアでは古代から地域の大国である中国と周辺諸国は華夷秩序が作られていたが、ヨーロッパでのロシアは祖国防衛の戦いを通じて大国になったので常に周辺諸国とは緊張関係があったのではないか。

中国の文化や文明は交流の中で育まれ、一定の基準ができたら今度は継承と発展の段階をたどっている。

それは王朝が交代しても続いているが、支配の正当性を主張する手段としてつかわれるからだ。

中原の文化的な優越が、やがて周辺諸国との華夷秩序となっている。

それに対して、ロシアの大国への道は覇権のためと言うよりは防衛線を少しでも遠方に設定することが目的になっている。

周辺諸国との距離を取ることが、安心と安全の確保につながるからだ。

それで、確保した地域の離反には常に警戒をすることになる。

何としてでも、獲得した地域は領土にとどめておきたいのだ。

その結果、これらの地域の動きには神経質にならざるを得ない。

ロシアが常に周辺諸国を軍事行動で威嚇や牽制をするのは、周辺諸国との信頼関係がちゃんと作られてこなかったからだ。
まずは、アセアンを見習って対話の習慣つくりを粘り強く進めるしかないのではないか。

相互の理解には時間がかかるのだから、まずは対話の習慣を根付かせる取り組みを粘り強く続けるしかない。
それには、敵意のないことを態度で示すしかない。
だから、握手やハグなどの挨拶のやり方が生まれたのだ。

まずは、周辺諸国の側からロシアとの信頼関係を築く根気強いアプローチが必要なのだ。

手始めに、ロシアの言い分にじっくりと耳を傾けるところから始めるしかない。

辛抱強く、ひたすら聞くのだ。

どうすればいいのか、ロシアが自分で気が付くまでね。

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日本の家族性アイルランド熱の謎。

日本にはTNF受容体関連周期性症候群(TRAPS)の家族性アイルランド熱の発症例があるんだけど、何か関係あるのだろうか。

考古学的な調査によれば、ストーンヘンジが建設されたのは紀元前2500年から前2000年頃であることが判明している。

先史時代の日本(縄文時代)とイギリスには、「ストーンサークル(環状列石)」を作るという不思議な共通点があるという。

日本は縄文時代だったストーンヘンジが作られたとされる約5000年前、実は私たちの国にも同時期に作られたストーンサークルが存在する。

例えば、秋田県にある「大湯環状列石」や「伊勢堂岱遺跡」だ。

天文に関連するストーンサークルや、死者の遺骨を納めるストーンサークルなど、数千年前のイギリス人と日本人は不思議なほどに似たものを作っているのだ。

もちろん、当時の人たちがお互いに交流したことはないはずだ。

にもかかわらずこの2つの文化はただ島国で暮らしていたという以上に、イデオロギーが似ているのだそうだ。

何千キロも離れているにもかかわらず日本の縄文土器や土偶などの品々が、イギリスと日本のコミュニティ間の類似性についておそらく想像以上にイデオロギー的に近かったと私たちに教えてくれるのは興味をそそられる。

ここで気になるのは、アメリカのケネウィックで見つかっている石器人の骨だ。

顔はケルト人の多い地域のイギリス人に似ているがアイヌの親せきで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さっていたという。

フランスとスペインの様式の矢じりと言うなら、アメリカ大陸とヨーロッパとの間で交流があったとみていい。

近年の研究で、最古のアメリカ大陸先住民は日本人である可能性が高まっている。

縄文文化の環太平洋的な広がりも、確認されつつある。

まさかとは思うけれど、縄文人と古代のイギリス人はどこかで接点があるのだろうか。

彼らが、日本人に家族性アイルランド熱の遺伝子を持ち込んだというのか。

日本人にはそれ以外にも、ヨーロッパと共通している遺伝子由来の病気がある。

イデオロギーの意外なほどの類似も指摘されるとなると、ここには一体何があるのか。

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古代アメリカで日本人のご先祖様は何をしていたのでしょうね。

「紀元前のアメリカ」バリーフェル著喜多迅鷹・元子訳草思社刊

 

私はこの本にしょっぱなから強い衝撃を覚えたのです。

 

アメリカ大陸から、旧大陸のそれもヨーロッパや地中海世界の人達が石に残した碑文がいくつも見つかっているというのです。

 

 「碑文は、ヨーロッパおよび地中海沿岸のさまざまな言語で、今から二五〇〇年も前のアルファベットで記されており、そこから、古代の船の来航ばかりでなく、ケルト人、バスク人、リビア人、さらには、エジプト人までもが、永住の植民地を作っていたことがうかがえる。」

 

さらに本書の中にはこのような記述まであるのです。

「それは、ハロルド・スターリング・グラッドウィンで、その数多い著作の中で、くり返し、文化的様相や客観的資料、とくに陶器に注意を喚起し、アメリカ原住民は旧世界、とりわけ地中海やオリエントと比較的近年に接触を持っていたに違いないと主張した。彼が注目したさまざまな技術様式の特徴は、旧世界と南北アメリカ間に、約紀元前二千年前の古典時代まで、直接の航海がなされていたことを示すものであった。」

 

ハロルド・スターリング・グラッドウィンのこれらの主張は今アメリカで市民権を得つつあるようです。

 

ではなぜ私が衝撃を受けたのか。

 

ケネウイックで見つかった人骨に原因があります。

 

当初、イギリス人の骨発見で事件との関連が疑われたが、この骨はケルト人が多い地域のイギリス人の物と思われたのです。

ところがフランスとスペインの様式の矢じりが一緒に見つかり石器時代の人と判明、さらにアイヌの親戚の骨と判明したのです。

 

ケルト人の多いのはアイルランドだが、日本には家族性アイルランド熱の発症例があります。

フランスとスペインは地中海沿岸だが、これらの国は名前こそ発症例にはないものの、家族性地中海熱の発症例も日本にはあるのです。

 

フランスやスペインによく似た顔の日本人も、少なからずいます。

ある芸能人など、縄文人とフランス人それぞれにそっくりさんがいることが判明しました。

縄文人の顔を復元して書いた人も、まさかこんな展開になるとは予想していなかったことでしょうね。

 

縄文土器とよく似た土器が、南米のエクアドルにあるバルディビアで発見されたのです。

ところがこの土器にエジプトの方が似ているという、異論が出ているといいます。

バルディビアでは、日本の土偶とよく似たものまで見つかっているというのにです。

バルディビア出土の土器にエジプトと似ているという人は、日本の縄文土器を黙って見せたら同じ事言うのか、聞いてみたいものです。

 

エジプト研究者の吉村作治教授は、日本の神社の様式のルーツは古代エジプトのピラミッドコンプレックスにあると、指摘しているのです。

吉村作治教授は、熊本のトンカラリンとエジプトのピラミッドとの共通点もいくつか指摘しています。

 

バスク人についても面白いことがあります。

キップリングが送った長崎からの手紙に、不思議な内容があるのです。 

バスク人に似た青年のひく人力車に、乗ったというのです。

バスクと言えば石担ぎ競技が有名だが、日本でもかつて石を担いで力比べしたことを記念する石はあちこちの神社に見つかります。

 

本書からあげた中で、今のところ日本で見つかっていないのは、リビアくらいのものです。

 

日本人の骨は、アメリカ大陸で言えば、メキシコからも見つかっているそうです。

 

最近の展開としては、アメリカ大陸最古級の住民は日本人だったのかもしれないとなっているそうです。

 

ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、これらの人々はアメリカ大陸の奥地まで進出していることがわかってきました。

 

古代アメリカで、日本人のご親戚たちは、ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、と言った人たちと、どんなお付き合いしていたのか、滅茶苦茶気になるところです。

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蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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モンゴロイド

DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

 そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

 人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
 ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

 日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

これが、後のモンゴロイドです。

モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

 古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

 アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

 アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

 だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

 その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

 古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

 そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

 メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

 フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

 東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

 ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

とはいえ、興味深い遺跡はあります。

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

 縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

 モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

 アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

 精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

 しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
親指が長い他に、足幅が広めな形です。
親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

 つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

 ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

 南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

 そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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聖書には現代への警鐘と皮肉が込められている。

聖書の宗教、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は人の才能の違いなどがどうしても貧富の差を生じてしまうことを前提としています。

富める者は頑張っているけれども貧しい者を惜しみなく助ける事を、聖書の宗教では神の愛の実践として求めています。

聖書には、神に従うなら貧富はなくなるとあるにもかかわらず、富める者は貧しい者を惜しみなく助ける事を求めています。

神は、御心の実践者を惜しみなく救う方であると、心から信じ実践する者を惜しみなく救うと、聖書にはあります。

ただし救いにも様々な形があるので、自分は本当に救われ、祝福を受けているか不安になることがあるかもしれません。

神を見失っていないなら、やがては、困難は試しであり祝福であったと気づく時が来るとも、聖書にはあります。

聖書の神に従うなら貧富はなくなるとは、富める者も必要以上貪らず、頑張っているけれども貧しい者たちの必要に応じて惜しみなく助ける事によって、貧富の差によって困る者は一人もいなくなる、と言うことなのです。

ここで注意しないといけないのは、努力をしたのに貧しい者は救いに値するが努力をしないならば持っているものまで取り上げられ富める者に与えられてしまうとあることです。

救いを求めていると行為で表す者が、救われるのです。

イエスは、あなたの信仰があなたを救った、と言う言葉を何度も繰り返します。

しかし、主よ主よとこれみよがしに叫ぶのではなく、御心を信じ実践する者に対して、この言葉は語られているのです。

残念なことに、多くの人は自分たちの給与が上がらないのに、公務員の給与は上がると、怒るようです。

公務員の給与が上がることを怒るより、自分たちの給与が上がらないことの方を怒るべきと思うのです。

一般の国民同士が対立して、政府が仲介者として振る舞う構図、どこかで見たことありませんか。

まさに教科書に書いていた、植民地支配の構図そっくりでしょ。

欧米などは、最低賃金を引き上げるときには中小企業にもちゃんと配慮してるのを知っていますか。

日本政府がそれをしないのは、国民がなめられている証拠だと気付いていますか。

もっと怒らんと、さらに馬鹿にされてもっとむしり取られますよ。

現に、消費税増税分と大企業への減税分はこれまでの額を見ればわかるようにほぼ等しく、一方で社会保障や社会福祉は削られ続けたではないですか。

今や、社会保障や社会福祉の充実は、広範な国民と国内に基盤を置く経営者や企業が手を組んで、充実と前進を戦いとる時が来たと思いませんか。

柔軟性を持った新しい世代の育成は企業の未来を切り開くために必要だし、福祉は国内市場の確保の観点から重要であると思いませんか。

新しい社会への視野を持った社会保障や社会福祉の必要が言われるようになった背景には、社会の変化が急速になったために尻拭い的なものとして社会保障や社会福祉をとらえる立場が時代遅れになったことがあるのです。

尻拭い、つまり、努力してきたのに報いられていない人たちを後追い的に助けるのではなく、まっとうに努力しているなら、彼らの努力が報いられるように常に彼らが求める助けに応じていくことが、変化のドンドン早くなる今、必要なのです。

いいですか、社会保障や社会福祉は、犯罪の予防や、政府批判をするものから国民を切り離す目的でもともとは始まったのですよ。

社会保障や社会福祉の充実がおざなりにされているなら、国民は犯罪の犠牲になっても構わん、どうせ逆らわないと舐められているってことですよ。

犯罪の取り締まりは、国民の不満のガス抜きに過ぎないってことですよ。

だから、生活保護に対するヤッカミが放置され、そのとばっちりを生活保護を本当に切実に必要とする人が受けにくい社会になっていくのです。

子育て支援が、本当に切実に必要とする人が受けにくい社会になっていくのです。

聖書には、与えられたタラントが一番少なかったものが使わずにいたと主人に報告したら取り上げられて一番増やした者に与えられた話が出てきます。

そして、持っているものを使わないなら持っているものまで取り上げられて、もっとも持っているものに与えられると説きます。

自らの主権者としての力を信ぜずに、自分の力は小さいと諦めている国民は、持っているものまで取り上げられてもっとも富んでいるものに分け与えられると考えたらどうですか。

まるで、どこかの国にいる、しらけて立ち上がろうとしない人々が嘆いている現実そのものではないですか。

自らを卑下することと、へりくだる事は違います。

自らの非力を自覚したうえで、どうしたらそれを乗り越えられるかと自らに真剣に問いかけようとする事が必要なのです。

どうしたら救いに辿り着けるか、素直な心で現実を見つめ、答えを求めるものが道を見出すのです。

そして、助けが必要なら、素直に助けを乞い、助言を受け入れる謙虚さが大切です。

本気で助けを求めてないと思える人を、本気で助けたいと思えますか。

へりくだり仕える者となることをいとわない心が、求められているのです。

イスラム教にはジハードの思想があるが、これは、神に従うことへの内なる妨げとの戦いをさします。

神の妨げをするものが、聖書でいうサタン、コーランでいうシャィターンです。

聖書とは、内なる妨げであるサタンあるいはシャィターンとの戦いに神の愛の実践によって勝利するための導きの書と言えます。

だから、たとえばマタイによる福音書の16章23節にこうあるのです。

 イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」

これはペトロをサタンと同一視しているのではなく、神の計画を妨げるような言動をするなと戒めているのです。

聖書やコーランには、外なる敵との戦いも記されるが、これらの戦いは実は内なる妨げとの戦いの延長線上にあります。

だが、現世的利害での敵に過ぎないなら神の愛の実践によって、対立を乗り越えて平和を築くことを、聖書の神は求めています。

ムスリムの寛容はここに由来します。

寛容な社会は、イスラム社会の特質などではなく、本来、キリスト教社会にもあってしかるべきなのです。

さらに、キリストの教えと仏教に類似を言う人もいます。

もしそうなら、神道の国であるだけでなく、仏教の国でもある日本も、また、寛容な社会であって良いはずではないですか。

今の日本、ちょっとせちがらくなってきてませんか。

宗教を、神なんていない、そんなもんは人が考え出したに過ぎないと鼻先で笑う前に、先人の知恵の宝庫として、見直してみた方が良いのではないですか。

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働くの語源は西方にあり?英語VS日本語 その7

らくと言う言葉について、こう考えてみました。

らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

 一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

ここで、想い起すのは、日本語はかつて二重母音だったことです。

具体的には、ワ行母音と言って良いでしょう。

旧仮名遣いは、今日のア行母音よりもワ行母音の方が発音しやすいのです。

となると、らくもまたワ行母音であったはずです。

発音してみると感じるのです。

英語のワークに、音が似てくるのです。

 ワークは働くと言う意味だから、音も意味も重なるわけですね。

R音は、巻き舌音として音はかすれて聞こえにくくなる傾向があります。

一方、L音は巻き舌音として音は濁って濁音になる傾向があります。

そうなると、頭のR音は欠落して、さらに音はワークに近づくことは容易に想像できます。

 はたらくの「はた」は周囲の意味とすれば、「らく」だけでワークの意味になる。

 じゃ、はためくは、どう解釈するかです。

はためくとは、こういう意味ですね。

布や紙などが風に吹かれてはたはたと動く。

揺れるように鳴り響く。響きわたる。とどろく。

鳥などが羽ばたきをする。

ひるがえる。

ようするに、はた、つまり周辺が激しく揺れ動いて激しく音を立てる様子を表すのが、はためくと解釈できるでしょう。

音を立てるとは、音が出る状態になることであり、音を発生させる主体になることと、言い換えて良いでしょう。

発生させる主体になるとは、メーカーになると考えることもできるはずです。

ならば、めくは英語のメークに当たると言えないでしょうか。

きらめくとは、輝きを作ること。

ひらめくとは、潜在的だったものを顕在化させて新たな考えを作ること。

 きらめくの「き」は、「木(き)」や息の「き」のように細く放射されるような、イメージ。

 ひらめくの「ひ」は、「火(ひ)」のようにひるがえっていくような、イメージ。

 そして、「ら」は包み込む表面のイメージ。

そう見ていくと、実は日本語の中には、もっと欧州の言語と語源を共有するするものがあるように思えてきます。

 これまでにも、日本語と英語との類似を何回か見てきましたね。

 はたも、案外、フロントと語源が近かったりして。

 フロントも、端っこのイメージがあるでしょ。

 最先端といえば、聞こえは良いけど。

R音とD音とT音は、巻き舌音を介して相互に転訛する可能性はあります。

考える余地はありそうですね。

 じゃ、きらはミラー、ひらはフィルムとか。

フィルムは細い糸の意味だけど、細い糸で作ったように薄い膜も指します。

 それじゃあ、はたらくも、はためくも、きらめくも、ひらめくも、英語になってしまう…。

でも「めく」がつく言葉は多いです。

 一度、形容語句を作る接尾辞として定着すれば、後は応用でいくらでも出来るでしょ。

そのことが、かえってこういう構図を見え難くしてるのでしょうね。

 派生したものと、そうでないものをごちゃまぜにして、全部説明できないとだめなんて考えるから、見えてこなかった。

そうかも知れません。

日本は、欧州の遺伝性疾患のアジアにおける飛び地でもあります。

 格助詞である「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのでしたね。

日本語の起源は、ラテン語だったと主張する『ラテン語と日本語の語源的関係 』(サンパウロ出版)のような書も出ています。

ここには、「こころ」「すめら」「さらば」など、日本古来の単語とラテン語の発音の共通性が、700以上列挙されています。

 アメリカのケネウィックから、イギリス人的であると同時にアイヌ的でもある古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃とともに出土してますね。

縄文人の顔を再現したらフランス人のそっくりさんがいる芸能人に、激しく似てました。

映画テルマエロメオでローマ人役を全員日本人で間に合わせたら、ローマっ子から違和感なしとの太鼓判が押されました。

東北弁がフランス語と勘違いされるCMが流され、今は亡きシャンソン歌手淡谷のり子はあまりにひどい東北訛りを逆手にとってシャンソン歌手になったと言います。

秋田美人の典型顔は、ミロのビーナスという指摘もあります。

 もっと、広い視野で日本語の起源は考えられて良いでしょう。

先入観は、捨てるべきでしょうね。

 ユダヤ人は白人的な顔だから日本に来てるわけがない、と言う人には日本人の白人顔のルーツはユダヤ人だと言いたいのかとの反論で、論破できますしね。

面白いのは、ロシア領に秋田美人としか言いようのない女性たちがいることです。

そして、バイカル湖畔こそ、日本人の起源という研究もあります。

 古代中東のYAP遺伝子が日本にあるが、中東はいまだに日本人のルーツ探しの視野にないようですね。

アカデミズムは、人類史上の通過点くらいにしか、中東を見てないようですね。

 遺伝子情報は、中東から西を指してるのですけどねえ。

家族性地中海熱とか、ですよね。

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クローン病は日本のどんな姿を浮かび上がらせる?

日本とアメリカやヨーロッパの繋がりは、アメリカのケネウィックで見つかったイギリスとアイヌの特徴を持った古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃を伴っていたことから、情報を集めていました。

 すると、家族性地中海熱という遺伝性疾患を持っている人から、こういう情報がありましたね。

 日本人である私と私の親族の遺伝子の中にセファルディ系ユダヤ人、北アフリカのアラブ人をはじめとする地中海沿岸部に暮らす民族と同じ劣性遺伝子が確実に存在している。

地中海沿岸と言う点では、フランスやスペインはまさしく面していますね。

似通った遺伝性疾患として、ヨーロッパ人、特にアイルランド人、スコットランド人に多い家族性アイルランド熱があり、日本にも発症例が報告されています。

 アイルランドやスコットランドといえばケルトの多い地域、ケネウィック人もケルトの多い地域出身のイギリス人との類似が指摘されていたでしょ。

ここで、ケネウィック人に見られたイギリスとフランスやスペインが、遺伝性疾患によって日本と繋がることが見えてきました。

日本とヨーロッパの遺伝性疾患から見える繋がりを見ていたら、高IgD症候群はドイツ、フランス、およびその他の北ヨーロッパ諸国に先祖をもつ小児に集中しており、オランダにも報告例があるようですね。

 ドイツについては、ストーンサークルから繋がりが見えそうな予感がしてきたでしょ。

日本には、ゲルマンの血が流れてると言う人もいるくらい、親近感を感じている人もいるようですね。

 ドイツ人と言っても、いろいろいるから、そうでもなかったと言う声も聞くことはありますけどね。

でも、ヨーロッパや地中海、アメリカなど、日本人のルーツとして興味深いにもかかわらず一般にあまり注目されてこなかった地域が多いでしょ。

日本とアメリカやヨーロッパの繋がりの強さを裏付ける可能性のある遺伝性疾患として、今回注目するのはクローン病です。

1932年に、ニューヨークのマウントサイナイ病院の内科医クローン先生らによって限局性回腸炎としてはじめて報告されました。

クローン病(Crohn's Disease)は、報告者クローン医師の名にちなんだ名前です。

クローン病は、炎症性腸疾患のひとつです。

略称をIBDと呼ぶことの多いD炎症性腸疾患(Inflammatory Bowel Disease)とは、大腸及び小腸の粘膜に慢性の炎症または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称です。

世界的にみると地域的には先進国に多く、北米やヨーロッパで高い発症率を示します。

食生活の欧米化によって患者数が増えているといわれ、食物中の物質や微生物が抗原となって異常反応を引き起こすことが、原因のひとつと考えられています。

環境因子、食生活が大きく影響し、動物性タンパク質や脂肪を多く摂取し、生活水準が高いほどクローン病にかかりやすいと考えられています。

喫煙をする人は、喫煙をしない人より発病しやすいと言われています。

とはいえ、クローン病を引き起こす原因と人種や地域によって発症する頻度が異なり、また家系内発症もみとめられることから、遺伝性であることは確かです。

最近の研究では、なんらかの遺伝子の異常を背景にもち、異物を処理する細胞やある種のリンパ球などの免疫を担当する細胞の異常反応が明らかになってきているといいます。

何らかの外来の抗原、つまり食事の成分、異物、病原体などの侵入とそれに対する免疫系の反応異常が想定されています。

 家系内発症も認められる以上、発症しやすい民族は絞れるかもしれないですね。

どの民族に発症しやすいか、気になるところです。

複数の遺伝性疾患が、日本と欧米の遺伝的近さを示しているので、クローン病もその一つに数え上げられるかもしれないのです。

欧米に多く、日本では比較的少ない疾患と見られてきたが、最近患者数が増えています。

現在のところ、単一の遺伝子異常だけで発症するのではなく、いくつかの遺伝子異常と環境因子などが複雑に絡み合って発症していると考えられています。

 アジアの各国と比べるのは、難しいでしょうか。

先進国に多いとなると、比べられる国は少ないのが現状ですね。

とはいえ、興味深いデータもあります。

韓国では、潰瘍性大腸炎についてみると、患者数・有病率共に日本より少ないとはいえ、二桁です。

ところが、クローン病は患者数・有病率共に日本よりはるかに少なく、一桁です。

 これは食生活の差か、遺伝子の差か、どちらでしょう。

様子を見る必要はあるが、日本の方が遺伝性疾患でみる限りでは欧米の飛び地の性格は強いので、遺伝子の差の可能性は考えてもいい気はします。

 世界的に発症が増えているとも言われるので、逆に言えば、その人の家系はどの民族の要素が強いかが、浮かび上がる展開も予想できますね。

 古代イスラエルの民は、世界に散ったでしょ。

 彼らとの血の繋がりの濃さの差が、発症しやすさの差に繋がっているなんてことは…。

可能性としては面白いけど、証拠をさらに集めていく必要はありますからねえ。

クローン病は20代に最も多く発症しているが、ほかの年代にもみられます。

口腔にはじまり肛門にいたるまでの消化管のどの部位にも炎症や潰瘍が起こりえるが、小腸の末端部が好発部位で、非連続性の病変が特徴です。

それらの病変により腹痛や下痢、血便、体重減少などが生じる病気です。

潰瘍とは粘膜が欠損すること、病変とは病変と病変の間に正常部分が存在することを、言います。

 クローン病とはどんな病気でしょうか。

小腸、大腸を中心とする消化管に炎症を起こし、びらん、つまり、ただれや潰瘍を生じる慢性の疾患です。

症状は、腹痛、下痢、下血、体重減少、発熱などです。

潰瘍性大腸炎と似ている点も多く、2つをまとめて炎症性腸疾患と呼びます。

症状としては、下痢、腹痛、発熱、体重減少、全身倦怠感(けんたいかん)がよくみられると言います。

血便はあまりはっきりしないこともあり、下痢や下血が軽度の場合、なかなか診断がつかないことがあるので医師の診断を訊いたが良いでしょう。

口腔粘膜にアフタ(有痛性小円形潰瘍)や小潰瘍がみられたり、痔、とくに痔瘻(じろう)や肛門周囲膿瘍(のうよう)といわれる難治性の肛門疾患を合併したりすることがあります。

また消化管以外の症状として、関節炎、結節性紅斑、壊疽性膿皮症(えそせいのうひしょう)など皮膚症状、虹彩炎、ぶどう膜炎など眼症状を合併することがあります。

潰瘍性大腸炎と異なるのは、炎症は口腔から肛門までの消化管全体に起こりえることといいます。

最も病変が生じやすいのは、回盲部(かいもうぶ)と呼ばれる小腸と大腸のつながるところの付近だそうです。

病変が小腸のみにある小腸型、大腸のみにある大腸型、両方にある小腸大腸型に分類されます。

クローン病の病変は、非連続性といわれ、正常粘膜のなかに潰瘍やびらんがとびとびにみられます。

また、 消化管の縦方向に沿ってできる細長い縦走(じゅうそう)潰瘍が特徴的です。

組織を顕微鏡で見ると、非乾酪性類上皮細胞肉芽腫(ひかんらくせいるいじょうひさいぼうにくげしゅ)といわれる特殊な構造がみられます。

大腸内視鏡検査、小腸造影検査、上部消化管内視鏡検査などを行い、このような病変が認められれば診断がつくそうです。

血液検査では炎症反応上昇や貧血、低栄養状態がみられます。

診断はまず、症状からクローン病を疑い、一般的な血液検査、糞便検査、さらに消化管X線造影検査、内視鏡検査をすることによってなされます。

その中でも消化管の病変を見つけだすのに注腸造影、小腸造影などのX線造影検査、大腸内視鏡検査といった消化管の検査が重要です。

クローン病の治療は、いまだ原因が不明であるために根本的な治療法がないのが現状です。

ただし、治療を受けている本人がクローン病を正しく理解し、治療を受ければ多くの場合は「寛解」状態になり、それを維持することが可能とのことです。

寛解とは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指す言葉です。

一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なすわけです。

その基本はあくまでも腸管に生じた炎症を抑えて症状を和らげ、かつ栄養状態を改善するために、急性期や増悪期には栄養療法と薬物療法を組み合わせた内科的治療が主体となります。

内科的には治療できない腸閉塞、穿孔、大量出血などが生じた場合は手術が行われます。

薬物療法として、サラゾピリン、ペンタサなどの5‐アミノサリチル酸製剤、副腎皮質ステロイドや6-MPやアザチオプリンなどの免疫調節薬が用いられます。

寛解を維持するために、5-アミノサリチル酸製剤や免疫調節薬が使われます。

最近では瘻孔合併などの難治の症状がある場合、抗TNFα受容体拮抗薬が比較的早期の段階で使用されるようになってきているそうです。

薬物治療以外では、血球成分除去療法が行われることもあります。

食べ物が原因のひとつとして考えられているため、栄養療法も重要で、最も重症の時には絶食と中心静脈栄養が必要です。

少しよくなってきたら、成分栄養剤(エレンタール)という脂肪や蛋白質を含まない流動食を開始します。

成分栄養剤は栄養状態改善のためにも有効です。

炎症が改善し普通食に近いものが食べられるようになっても、脂肪のとりすぎや食物繊維の多い食品は避けます。

栄養療法には、経腸栄養と完全中心静脈栄養があります。

経腸栄養療法は、抗原性を示さないアミノ酸を主体として脂肪をほとんど含まない成分栄養剤と少量のタンパク質と脂肪含量がやや多い消化態栄養剤やカゼイン、大豆タンパクなどを含む半消化態栄養剤があります。

完全中心静脈栄養は高度な狭窄がある場合、広範囲な小腸病変が存在する場合、経腸栄養療法を行えない場合などに用いられます。

病気の活動性や症状が落ち着いていれば、通常の食事が可能となるが、食事による病態の悪化を避けることが最も重要なことです。

一般的には低脂肪・低残渣の食事が奨められているが、一人一人の病変部位や消化吸収機能が異なっているため、主治医や栄養士と相談しながら自分にあった食品を見つけていくことが大事です。

症状が安定している時には、通常の社会生活が可能です。

腸に狭窄や腸管と腸管、腸管と皮膚などがつながって内容物がもれ出てしまう状態である瘻孔(ろうこう)を生じたり、腸閉塞、穿孔(せんこう)、膿瘍などを合併したりした場合、手術が必要となることがあります。

 内科的治療でコントロールできない場合には、手術が必要となるわけですね。

手術はできるだけ腸管を温存するために、小範囲切除や狭窄形成術が行われます。

インフリキシマブ(レミケード)は、抗TNF‐α抗体製剤といわれる薬剤で、高い活動性が続く場合や瘻孔を合併している場合にとくに有効だそうです。

アザチオプリン(イムラン)などの免疫調節薬も、使用することがあります。

長期にわたって慢性に経過する病気であり、治療を中断しないことが大切です。

近年、抗TNF-α抗体が開発され、その有効性が高いことが明らかにされて以来、クローン病の病態に基づく治療薬の開発が欧米を中心に精力的に進められているといいます。

特にクローン病ではTリンパ球がTh1型に傾き炎症反応を引き起こす物質が過剰に産生されていることから、これを是正するために、インターロイキン12やインターフェロンγなどの抗体の開発が始まっています。

また、抗TNF-α抗体も、抗体反応を起こさないことを期待して、完全ヒト型の抗体製剤アダリムマブ(ヒュミラ)が使用されるようになっています。

 どういう経過をたどるのですか。

再燃・再発を繰り返し慢性の経過をとります。

 再燃とは、どういう状態かと言うと。

一時的または長い期間引き続いて軽快または消失していた疾病が、再び悪化または出現してくることをさします。

再燃は完全には治っていなかったものが悪くなる場合をいい、再発はいったんは完全に治癒したものが悪化した場合をいいます。

現実には、再燃と再発は、必ずしも明確に分けられないことが多いようですね。

クローン病は、完全な治癒は困難であり、症状が安定している時期、つまり寛解をいかに長く維持するかが重要となります。

長い経過の間で手術をしなければならない場合も多く、手術率は発症後5年で33.3%、10年で70.8%と報告されています。

また、定期的に検査を受けることも必要となります

厚生労働省の特定疾患に指定されており、申請すると医療費の補助が受けられます。

 クローン病何て言うから、クローン生物の方を連想していました。

人命由来の病名には、そういうわかり難さが付きまとうのが難点ですね。

 原因が突きとめられたら、もっと分かり易い名前に変わるでしょうけど。

何時の事ですかね。

 でも、背後に何らかの民族名は浮かび上がるかもしれないのでしょ。

他の遺伝性疾患同様、なんらかの民族名は浮かび上がるでしょうね。

このクローン病については、中国語で庫隆氏症(クーロンスーヂェン)と言う名前が付くように、まだまだ、国境を越えて広がる様相を見せているので、注意と注目は必要と感じていますが…。

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再び古代日本語と古代英語の差を想ってみた。英語VS日本語 その6

日本とイギリス、ともにユーラシア大陸の外れの島国であるが、類似はそれだけにとどまらないのです。

 武士道と騎士道、緑茶と紅茶、妖怪と妖精、さらには、イギリスにもケルトの時代から続く陰陽に似た文化があるのでしたね。

政治的にも、立憲君主制を採用したことまで似ているでしょ。

面白いことに、日本に日ユ同祖論があるように、イギリスにもブリティッシュイスラエルを言う人たちがいますね。

 アメリカからも、ケネウィックから興味深い古代人骨が出ていましたね。

ケルトが多い地域のイギリス男性によく似ていたけど、実はアイヌの親戚筋だったことがわかりましたね。

 伴っていた矢じりは、フランスやスペインの様式だったけど。

幕末のころ日本に来た西洋人からは、ブリティッシュ的な顔の人を見たと言う声も上がってましたね。

 単語にも、日本語と英語には、偶然というには似ているものが多く見つかりますね。

ただ、文法だけが、どうしても壁になっていました。

でも、日本の古文、特に時代を遡った文章になればなるほど、文法の差が縮まって見えます。

例えば、古文における格助詞の使い方で、現代日本語と一番明らかに違う用法としては、格助詞の省略が指摘できます。

有名なところで、枕草子を例に挙げましょう。

 春はあけぼの。

 やうやう白くなりゆく山際(ぎは)、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。

 月の頃はさらなり。

 闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。

 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。

 雨など降るもをかし。

 秋は夕暮れ。

 夕日のさして山の端(は)いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、

 二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。

 まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。

 日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。

 冬はつとめて。

 雪の降りたるは言ふべきにもあらず、

 霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、

 火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。

 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひをけ)の火も、白い灰がちになりてわろし。

文法の差ももちろんだけれど、発音も差があります。

 平唇音より、丸唇音の方が、言い易いですね。

ア行母音よりワ行母音の方が言い易いでしょ。

 英語も丸唇を基本にした方が、イントネーションを表現し易かったですね。

英語にはシラブルがありますからね。

 古文も、シラブルとまではいわないけど、どこか似てますね。

「てにをは」は、日本語における格助詞4つです。

活用語尾とかは、関係ないです。

外国語には見られない日本語特有のもので、日本語の基礎です。

今では「が」も格助詞扱いされてはいます。

ところが、古文では、「てにをは」は時代を遡るほど省略されるのです。

 その理由の一つが、ワ行母音、つまり、丸唇音ですか。

言い換えれば、「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのです。

 つまり、日本語と英語の間の決定的な壁が、消えてしまう。

そうなりますね。

英語の 来る は come でしょ。

日本でも古代は 来(こ)む ですよ。

また、英語の 行く は go でしょ。

日本でも古代は 行(い)かむ ですよ。

ただし、丸唇音だから実際の発音は 行(い)こむ に近かったはずで、さらに巻き舌音でK音は聞きようによってはG音にも思えたでしょうね。

 行(い)かむ は 行(い)がむ とか 行(い)ぐ 、もっと昔にはさらに go に近い発音だったかも知れない。

可能性はあり得るでしょ。

古代日本語では、私は わ、あなたは な、第三者は か、でしょ。

英語では、、私は I、あなたは you、第三者は he とか she、でしょ。

h音は容易にk音に、逆に、k音は容易にh音に、転訛しますよ。

 そうやって見ていくと、古代の日本語と英語の境はあいまいに成って行く。

 転訛の後を、実証的に辿れたら、面白いことになるでしょうね。

実は以前、日本語と英語は転訛で繋がるという説を展開した本が、出ていたことがあったのです。  

もう二十年か三十年も前のことです。

 国会図書館なら、あるかも知れない。

膨大だから、簡単に見つかるかどうか。

転訛の理論とか、そういう副題がついていた記憶はありますが。

 可能性を頭ごなしに否定しないで、誰か検証してくれないかしら。

私の手には、負いかねます。

 あなたにやって何て、言ってません。

言われてしまいました。

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古代日本語と古代英語の差は大きかったのか。英語VS日本語 その5

日本語と英語を比べていて、ふと思ったのです。

be動詞やdo動詞は、どうなのだろうとです。

am are is などと変化するけど、これらはみなbe動詞とよばれるのです。

 言い換えれば、be の変化形と言うことでしょうか。

もしそうなら、be が いる とか ある に転訛することはあり得るかと、考えることになるでしょうね。

be は意外と丸唇的発音で、平唇化すると いる に容易に転訛するのです。

そして ある も丸唇から平唇への中間の口の形で、 be から容易に転訛するのです。

「てにをは」は、日本語における格助詞4つです。

活用語尾とかは、関係ないです。

外国語には見られない日本語特有のもので、日本語の基礎です。

今では「が」も格助詞扱いされているのです。

ところが、古文では、「てにをは」は時代を遡るほど省略されるのです。

 古代の日本語は、英語との間の敷居が想像以上に低かった。

そうなると、気になるのはdo動詞ですよ。

 d は t の巻き舌音化によって濁音化したと、見て良いでしょうか。

t と s は容易に相互に転訛することは、良く知られているのです。

ここに巻き舌音が加われば、r音も簡単にくっつくのです。

 そうなると、do から する への転訛や、その反対も簡単に起きるのね。

古代日本語では、私は わ、あなたは な、第三者は か、です。

英語では、、私は I、あなたは you、第三者は he とか she、ですよ。

h音は容易にk音に、逆に、k音は容易にh音に、転訛するのですから。

わ は I に、な は you に、か は he とか sh に、容易にしてしまうとは、思えないかです。

過去の時代には、この反対の事が、おそらく起きていたことでしょうね。

 古代日本語は、今以上に丸唇音で発音していたから、大いにあり得ると…。

私の手元に、king James version の聖書があるのです。

綴りが今の英語とは多少違うので、読むのにいくらか難儀してるのです。

そこで感じるのは、king James version の時代の英語は、今以上に丸唇音化していたのではないかと、いうことです。

 古代、日本語も英語も、今以上に今以上に丸唇音化していた。

現代の私たちが思っているよりはるかに、日本語と英語の間の境目はあいまいだった時代があったことは、十分に想像できるのです。

ただし、その段階は日本人の祖先が大陸にいる間に、過ぎてしまったでしょうね。

 ここに、アメリカのケネウィックで見つかった、イギリス人を連想できるアイヌの親戚の骨を重ね合わせると、面白いね。

伴っていた矢じりは、フランスとスペインの様式ですけどね。

 幕末の日本を訪れた西洋人は、ブリティッシュ的な顔の日本人がいると証言していたし。

縄文人は、アジアよりむしろ、古代のアメリカや地中海周辺地域との繋がりを考えた方が良いように見えるのですからね。

日本人にも、西洋人と同じ遺伝子病が発症する事を思えば、もっと、日本人のルーツ探しの目を広く世界に向ける方が良いでしょうね。

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