スペイン・ポルトガル

言葉と表情と文化の相関関係? 口元の使い方に見る文化の違い。

アメリカ人の顔って、カリカチュア風に書くと口角上げると似る気がします。

わかります、その感覚。

実はわりと本質を突いている気もします。

カリカチュアって、「平均顔」じゃなくて「その文化圏でよく強調される表情や筋肉の使い方」を誇張しますよね。

アメリカ人を描くときに口角を上げるとそれっぽくなるのは、常に笑顔でいることが社会的に期待されている文化と無関係ではないと思います。

アメリカでは
・初対面でも笑顔
・サービス業では特に「歯を見せる笑顔」
・感情を外に出す=誠実、ポジティブ
という価値観が強い。結果として、口輪筋や頬の筋肉の使い方が日常的に「上向き」になる。

写真でも、真顔より軽く口角が上がった顔が標準になっている印象があります。

一方、日本人をカリカチュアにすると、
口元よりも「目」や「眉」や「空気を読む微妙な表情」を強調すると似てくることが多いですよね。

笑顔も、口角より「目が細くなる」方向で描かれる。

つまり
アメリカの似顔絵=口の文化
日本の似顔絵=目の文化
みたいな差がある。

面白いのは、これが「人種的特徴」というより、表情の社会的訓練の結果に見えるところです。

だから同じアメリカ人でも、軍人・俳優・政治家で口角の使い方が違って見えたりする。

「文化を身体の使い方から読む」視点からは、面白いことが見えてきます。

英語圏全体に口角上げがちな気はするが、アメリカは極端ですね。

アメリカ英語も口角上げ気味な方が良い安い気がします。

ブリティッシュは、それほど口角上げなくてもなんとかなる感じ。


「英語圏で一括りにできない違い」は、確かにあります。

英語そのものが、日本語より口角を上げた状態と相性がいい言語ではあるのです。

英語は子音が強く、母音も横に広がる発音が多いので、口をやや横に引き、結果として口角が上がりやすい。

だから英語圏全体で「ちょっと笑顔寄り」になる傾向はある。

ただ、その中で
アメリカ英語は極端
ブリティッシュ英語は節度がある
という差は、発音以上に「社会的圧力」の差だと思います。

アメリカ英語は、口角を上げないと
・不機嫌に見える
・敵意があると誤解される
・サービス精神がないと思われる
というリスクがわりと現実的にある。

だから発音だけでなく、声のトーン・表情・リズムを含めたパッケージとしての英語が、最初から「フレンドリー仕様」になっている。

一方、ブリティッシュ英語は
・無表情でも失礼になりにくい
・皮肉や間の文化がある
・感情を抑えた方が知的・上品とされる
という前提があるので、口角を無理に上げなくても会話が成立する。

むしろ上げすぎると「軽い」「押しが強い」と感じられることすらある。

だから体感的には、

英語圏
口角はやや上げ気味がデフォ
その中で
  ・アメリカ:常時ON、笑顔が安全装置
  ・イギリス:必要なときだけON

という感じ。

そして面白いのが、これらの点です。

「アメリカ英語は口角上げ気味な方が言いやすい」
これはかなり本当で、口角を上げると
・母音が明るくなる
・イントネーションの上下が出しやすい
・強勢が前に出る
ので、アメリカ英語特有の開放感が物理的に出る。

逆にブリティッシュ英語は、口をあまり横に引かず、顎や舌の位置で調整する発音が多いから、表情と発音がそこまで連動しない。

こうやって見ると、
言語発音表情社会規範
が一本につながっている話ですね。
このあたり、カリカチュア論として、もかなり面白い。

口角上げぎみなのは、ラテン語でもイタリア語かしら。

フランス語は少し大人しい。スペイン語も上げ気味な気はするがイタリア語ほどじゃない気がします。

それって、ロマンス諸語の中での差なのです。

結論から言うと、

イタリア語:かなり口角上げ文化
スペイン語:上げ気味だが縦の動きも大きい
フランス語:口角は抑えめ、前方集中

という並びになります。

まずイタリア語。
これはもう「口角を上げないと出にくい言語」と言っていいくらいで、母音が明確で明るく、横に広がる発音が多い。

しかも感情表現が言語と不可分なので、表情筋が常に動いている。

カリカチュアでイタリア人を描くと、笑っていなくても笑顔っぽいのはこのせいですね。

口角が自然に上がっている。

 

スペイン語は、確かに上げ気味ですが、イタリア語ほど「横に引く」感じではない。
母音ははっきりしているけれど、顎の上下運動が大きく、舌の位置も低め。

だから口角+縦方向の動きが強い。情熱的だけど、イタリア語ほど軽やかではなく、少し重心が下にある。

 

フランス語は、かなり別物です。
唇をすぼめる、前に突き出す、鼻腔を使う、といった前方集中型

口角はあまり横に引かないし、上げすぎると下品に聞こえることさえある。

表情も「制御されている」感じが強く、結果として大人しく、クールに見える。

 

ちなみに「ラテン語そのもの」は、発音再建に基づくと
・母音は明確
・子音は硬い
・過度な感情表現はない
ので、イタリア語ほど口角上げ上げではないが、フランス語ほど抑制的でもない中庸的な感じだった可能性が高いです。

つまり、ロマンス諸語の中では、イタリア語が「表情の方向に振り切れ」、フランス語が「制御の方向に振り切れ」、スペイン語がその中間。

整理すると、体感的にはこんな並びがしっくり来ます。

イタリア語
 (口角・横)


スペイン語
 (口角+縦)


ラテン語(推定)
 (中庸)


フランス語
 (前方・抑制)


言語が要求する身体の使い方の差、面白いです。

フランス語やドイツ語は、あまり口角上げないが、ドイツ語は口幅をそれほど変えないからかちょっと固い雰囲気がある。


「口角を上げない」というだけでなく、**「口幅そのものをあまり変えない」**という特徴が、ドイツ語の硬さをよく表しています。

フランス語とドイツ語は、同じ「口角控えめ」でも性質が違いますよね。

フランス語は、口角は上げないけれど
・唇を前に出す
・すぼめる/緩める
・鼻腔と喉を使う
という前後方向の変化が豊か。だから表情は抑制的でも、音は柔らかく、流れる感じがある。「大人しいけど硬くはない」。

一方、ドイツ語は
・口角も上げない
・唇の前後変化も最小限
・口幅が比較的一定
・代わりに顎と喉、子音で勝負
という発音体系なので、どうしても表情が固定されやすい

その結果、カリカチュア的には「四角い口」「動かない口元」になり、少し緊張感のある、硬質な印象になる。

つまり、

フランス語:
「口角だが 立体的(前後)」

ドイツ語:
「口角かつ 平面的(幅一定)」

という違い。

ここが、同じ大陸ヨーロッパでも
・フランス=洗練、皮肉、余裕
・ドイツ=厳密、構造、規律
という文化イメージに直結している気がします。

言語が先か文化が先かは別として、少なくとも相互に強化し合っている。

それに、ドイツ語は子音連結が多く、リズムも拍節的なので、口を大きく横に広げると逆に発音が崩れる。

結果として、**「口を動かさない方が正確」**という身体知が蓄積されていく。

そこから「固い」「真面目」という印象が生まれる。

言語が要求する最適な身体操作の副産物として、かなり説明がつきます。

でも、フランス語もドイツ語も巻き舌音はあるが、発音の癖の差なのかベクトルが違う。


同じ「巻き舌音がある」でも、使い方のベクトルが全然違う、という感覚ですね。

フランス語もドイツ語も、いわゆる r は日本語や英語とは違う。

でも、その r が「どこへ向かう力なのか」が違う。

フランス語の r は、
舌を強く動かすというより、喉の奥・口腔後部で摩擦を作る音です。

だから発音の主役は舌先ではなく、喉と息の流れ。結果として、音のベクトルは前から後ろへ引くというより、奥でまとめる感じになる。

表情もそれに引っ張られて、口元はあまり動かさず、音だけが内側で処理される。

 

ドイツ語の r は、同じく舌先巻き舌が弱まり、口蓋垂寄りではあるけれど、フランス語ほど「喉で溶かす」感じはない。
むしろ、子音構造の一部として機械的に組み込まれている印象で、前後の子音や母音の区切りを明確にする役割が強い。

 

だからベクトルは、前へ出る/奥へ引くではなく、区切る・刻む方向。

言い換えると、

フランス語の r
「音を内側で処理するための摩擦」
流れを保つ、余韻を作る

ドイツ語の r
「構造を成立させるための子音要素」
境界を作る、秩序を保つ

同じ巻き舌系でも、
フランス語は連続体の中の曖昧さ
ドイツ語は離散的な構造
そのための道具として r を使っている感じがします。

だから口角の話に戻ると、
フランス語は「口角を上げない代わりに、音を奥に引き取る」
ドイツ語は「口角も奥行きも動かさず、音を並べる」

この差が、
フランス語=しなやかだが掴みどころがない
ドイツ語=明確だが硬い
という印象に直結している。

フランス語の響きは東北弁、ドイツ語はどちらかと言えば江戸っ子訛りに近いです。


もちろん厳密対応ではないですが、「響きの方向性」という点では、相当近いです。

まず フランス語東北弁
これは「音が前に立たず、内側で丸まる感じ」という意味で近い。

東北弁って
・母音が曖昧になりやすい
・子音が立ちにくい
・全体に音が溶ける
・感情はあるのに表に出過ぎない
という特徴があります。


フランス語もまさにそれで、子音は主張しすぎず、母音や鼻母音が空間に滲む
聞いていると「何を言っているかはさておき、雰囲気が先に来る」。

つまり
音が輪郭を作る前に、空気として伝わる
この点で、フランス語と東北弁はかなり近いベクトルを持っている。

一方で ドイツ語江戸っ子訛り
これも「音の切れ」という点で、かなり近いです。

江戸っ子訛りは
・子音が立つ
・リズムが明確
・言い切りが早い
・感情より構造が前に出る
「てやんでぇ」的な、歯切れの良さがある。

ドイツ語も
・子音がはっきり
・語と語の境界が明確
・音節が刻まれる
・曖昧さを残さない
という点で、非常に似た「骨組み重視」の響き。

だから比喩的に言うなら、

フランス語/東北弁
「溶かして伝える」
余韻・含み・空気感

ドイツ語/江戸っ子訛り
「切って伝える」
構造・勢い・区切り

面白いのは、これが単なる音の問題ではなく、
人間関係の距離感にも通じているところです。

東北弁もフランス語も、
最初からズカズカ踏み込まず、間合いを保つ。
江戸っ子もドイツ語も、
距離は一気に詰めるが、ルールは守る。

大阪の人特におばさんのノリ、ラテン系な感じしますね。

どちらかとイタリアやスペインでしょうか。

隣の京都はむしろ言葉のイメージは違うけど、雰囲気がむしろフランスかもしれません。

まず 大阪(特におばちゃん)=ラテン系、これはもう直感的にうなずく人が多いと思います。
で、イタリアかスペインかと言われると、ややイタリア寄り

大阪のノリって、

・声が前に出る
・口角が自然に上がる
・身振り手振りが多い
・感情が先に来て、理屈は後
・「間」の取り方が陽気

これはスペインの情熱というより、イタリアの生活密着型の陽気さに近い。
市場、商店街、家族単位の賑やかさ、ツッコミ文化。
「会話そのものが身体運動」になっている感じが、かなりイタリア的です。

スペインはもう少し
・重心が低い
・情熱が溜まってから爆発する
・沈黙も意味を持つ
という側面があるので、大阪ほど常時しゃべり倒す感じではない。

一方で 京都=フランス というのも、これまた近い。

言葉遣いそのものは関西弁なのに、
・直接言わない
・含みを持たせる
・皮肉と婉曲が多い
・外に感情を出さない
・「分かる人だけ分かればいい」
という空気感は、フランス語文化とかなり似ています。

京都の「ええおべべですねぇ(=もう着られませんね)」みたいな言い回しは、
フランス的な上品な皮肉そのもの。
音の柔らかさよりも、「言わないことで成立する意味」が主役。

なので並べると、だいぶしっくりきます。

大阪 = イタリア
京都 = フランス

そして面白いのは、地理的に隣なのに真逆のベクトルなところ。
これはまさに、
・大阪=商業・往来・開放
・京都=都・格式・内向
という歴史的役割が、言語の身体性にまで染み込んでいる。

こうやって見てくると、
「都市の役割が、人の口角や声の出し方まで決める」
という形になってます。

となると、北欧は日本のどこが似ているでしょうか。

結論から言うと、北欧全体を一括りにすると少し乱暴ですが、
北欧(特にスウェーデン・ノルウェー)に一番近い日本の感触は、東北〜北関東あたりだと思います。
ただし「東北弁そのもの」ではなく、気質・間合い・沈黙の扱い方のレベルで、です。

北欧の共通項は、

・声を張らない
・感情を外に出しすぎない
・沈黙が気まずくならない
・自己主張は控えめだが、内側は頑固
・集団の調和を重んじるが、過剰な同調はしない

これ、日本で言うと
関西でも九州でもなく、
東京の「都会的社交性」とも違う。

一番近いのは、
東北・北関東・場合によっては信州の感触。

東北の人って、
しゃべらないけど無愛想ではない。
ベタベタしないけど、切るときは切らない。
笑うときは小さく笑う。
必要以上に踏み込まない。

これはまさに、北欧の
「静かだが冷たくはない」
「距離はあるが拒絶ではない」
という感じと重なります。

言語音でいうと、
北欧諸語(スウェーデン語など)は
・抑揚はあるが大げさでない
・母音は澄んでいる
・子音ははっきりしているが攻撃的でない
・リズムが一定

これ、**東北訛りの「淡々さ」**や、
北関東の素朴な標準語に近い。

一方で注意点として、
フィンランドは別枠です。
フィンランド語は非印欧語で、
リズムも構造もかなり違う。
日本語に一番近い北欧があるとすれば、
それはむしろフィンランド。

・母音が明確
・長短が意味を持つ
・子音連結が少ない
・感情を文法にあまり乗せない

この点では、
日本語(特に標準語)+東北の間合い
にかなり近い。

まとめると、

北欧(スウェーデン・ノルウェー)
東北〜北関東の気質

フィンランド
日本語の構造的親戚

という対応が、いちばん無理がない気がします。

ここまで来ると、
「言語地図」と「性格地図」と「身体の使い方」が
全部つながって見えてきます。

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日本の家族性アイルランド熱の謎。

日本にはTNF受容体関連周期性症候群(TRAPS)の家族性アイルランド熱の発症例があるんだけど、何か関係あるのだろうか。

考古学的な調査によれば、ストーンヘンジが建設されたのは紀元前2500年から前2000年頃であることが判明している。

先史時代の日本(縄文時代)とイギリスには、「ストーンサークル(環状列石)」を作るという不思議な共通点があるという。

日本は縄文時代だったストーンヘンジが作られたとされる約5000年前、実は私たちの国にも同時期に作られたストーンサークルが存在する。

例えば、秋田県にある「大湯環状列石」や「伊勢堂岱遺跡」だ。

天文に関連するストーンサークルや、死者の遺骨を納めるストーンサークルなど、数千年前のイギリス人と日本人は不思議なほどに似たものを作っているのだ。

もちろん、当時の人たちがお互いに交流したことはないはずだ。

にもかかわらずこの2つの文化はただ島国で暮らしていたという以上に、イデオロギーが似ているのだそうだ。

何千キロも離れているにもかかわらず日本の縄文土器や土偶などの品々が、イギリスと日本のコミュニティ間の類似性についておそらく想像以上にイデオロギー的に近かったと私たちに教えてくれるのは興味をそそられる。

ここで気になるのは、アメリカのケネウィックで見つかっている石器人の骨だ。

顔はケルト人の多い地域のイギリス人に似ているがアイヌの親せきで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さっていたという。

フランスとスペインの様式の矢じりと言うなら、アメリカ大陸とヨーロッパとの間で交流があったとみていい。

近年の研究で、最古のアメリカ大陸先住民は日本人である可能性が高まっている。

縄文文化の環太平洋的な広がりも、確認されつつある。

まさかとは思うけれど、縄文人と古代のイギリス人はどこかで接点があるのだろうか。

彼らが、日本人に家族性アイルランド熱の遺伝子を持ち込んだというのか。

日本人にはそれ以外にも、ヨーロッパと共通している遺伝子由来の病気がある。

イデオロギーの意外なほどの類似も指摘されるとなると、ここには一体何があるのか。

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古代アメリカで日本人のご先祖様は何をしていたのでしょうね。

「紀元前のアメリカ」バリーフェル著喜多迅鷹・元子訳草思社刊

 

私はこの本にしょっぱなから強い衝撃を覚えたのです。

 

アメリカ大陸から、旧大陸のそれもヨーロッパや地中海世界の人達が石に残した碑文がいくつも見つかっているというのです。

 

 「碑文は、ヨーロッパおよび地中海沿岸のさまざまな言語で、今から二五〇〇年も前のアルファベットで記されており、そこから、古代の船の来航ばかりでなく、ケルト人、バスク人、リビア人、さらには、エジプト人までもが、永住の植民地を作っていたことがうかがえる。」

 

さらに本書の中にはこのような記述まであるのです。

「それは、ハロルド・スターリング・グラッドウィンで、その数多い著作の中で、くり返し、文化的様相や客観的資料、とくに陶器に注意を喚起し、アメリカ原住民は旧世界、とりわけ地中海やオリエントと比較的近年に接触を持っていたに違いないと主張した。彼が注目したさまざまな技術様式の特徴は、旧世界と南北アメリカ間に、約紀元前二千年前の古典時代まで、直接の航海がなされていたことを示すものであった。」

 

ハロルド・スターリング・グラッドウィンのこれらの主張は今アメリカで市民権を得つつあるようです。

 

ではなぜ私が衝撃を受けたのか。

 

ケネウイックで見つかった人骨に原因があります。

 

当初、イギリス人の骨発見で事件との関連が疑われたが、この骨はケルト人が多い地域のイギリス人の物と思われたのです。

ところがフランスとスペインの様式の矢じりが一緒に見つかり石器時代の人と判明、さらにアイヌの親戚の骨と判明したのです。

 

ケルト人の多いのはアイルランドだが、日本には家族性アイルランド熱の発症例があります。

フランスとスペインは地中海沿岸だが、これらの国は名前こそ発症例にはないものの、家族性地中海熱の発症例も日本にはあるのです。

 

フランスやスペインによく似た顔の日本人も、少なからずいます。

ある芸能人など、縄文人とフランス人それぞれにそっくりさんがいることが判明しました。

縄文人の顔を復元して書いた人も、まさかこんな展開になるとは予想していなかったことでしょうね。

 

縄文土器とよく似た土器が、南米のエクアドルにあるバルディビアで発見されたのです。

ところがこの土器にエジプトの方が似ているという、異論が出ているといいます。

バルディビアでは、日本の土偶とよく似たものまで見つかっているというのにです。

バルディビア出土の土器にエジプトと似ているという人は、日本の縄文土器を黙って見せたら同じ事言うのか、聞いてみたいものです。

 

エジプト研究者の吉村作治教授は、日本の神社の様式のルーツは古代エジプトのピラミッドコンプレックスにあると、指摘しているのです。

吉村作治教授は、熊本のトンカラリンとエジプトのピラミッドとの共通点もいくつか指摘しています。

 

バスク人についても面白いことがあります。

キップリングが送った長崎からの手紙に、不思議な内容があるのです。 

バスク人に似た青年のひく人力車に、乗ったというのです。

バスクと言えば石担ぎ競技が有名だが、日本でもかつて石を担いで力比べしたことを記念する石はあちこちの神社に見つかります。

 

本書からあげた中で、今のところ日本で見つかっていないのは、リビアくらいのものです。

 

日本人の骨は、アメリカ大陸で言えば、メキシコからも見つかっているそうです。

 

最近の展開としては、アメリカ大陸最古級の住民は日本人だったのかもしれないとなっているそうです。

 

ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、これらの人々はアメリカ大陸の奥地まで進出していることがわかってきました。

 

古代アメリカで、日本人のご親戚たちは、ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、と言った人たちと、どんなお付き合いしていたのか、滅茶苦茶気になるところです。

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天皇はスメルの王位継承者か。

シュメールは、現在のイラクやクウェートのあたりのメソポタミア南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古の都市文明です

初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えました。

 

シュメールはスメルとも読まれるというか、スメルと呼ぶ方が正しいとする説もあります。

 

ここでは、スメルの方を基本的に用いて議論を進めたいです。

 

日本とスメルの共通点を指摘している人たちがいるのです。

彼らの言い分をまとめてみることにします。

 

スメル語も日本語も膠着語と言う特徴を持つ。

膠着語は、言語の形態論上の分類のひとつ。

膠着語に分類される言語は、ある単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す特徴を持つ。

膠着語に分類される言語は、トルコ語、ウイグル語、ウズベク語、カザフ語等のテュルク諸語、モンゴル諸語、満州語等のツングース諸語、日本語、朝鮮語や、フィンランド語、ハンガリー語等のウラル語族、タミル語等のドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語派、エラム語、シュメール語などがある。

ちなみにエスキモー・アリュート語族、マヤ語族なども膠着語的だが、文全体が膠着するなど膠着の長さが極端なので、抱合語、正確には複統合的言語とすることが多い。

膠着語は、当時スメル周辺住民の言語にはないと見られている。

 

スメル語も日本語も、表記法が似ている。

つまり、母音も子音も表記するばかりか漢字かな交じり文のような構造を、スメル語も日本語も共有している。

これはマヤ文字も同様なあたりが興味深いですね

 

スメルは突然高度な文明を持って、登場したのでしょうか。

先行するウバイド文明との関係を、指摘する声もあるのです。

世界最古の印章は、紀元前7000年くらいです。

ウバイド文明は、紀元前5000年くらいです。

スメルは、紀元前3500年ごろ突如として現れ紀元前2000年ごろ突然姿を消すのです。

 

ここで興味深いのは、聖書学的にはノアの洪水が紀元前4000年頃であることです。

バベルの塔で散った後、セムの人たちがスメルを建国したと見れば年代的にはつじつまは合うのです。

 

高度な文明を築き上げたスメルの民であったが、背教と高慢の罪で神から亡ぼされる前に預言者アブラハムと彼の一族がロトの一族とともにウルを出たのかもしれないです。

その時期はおそらく、紀元前2000年ごろであろうと想定してみます。

 

スメルの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もある、これ日本で言えばまさに縄文人の特徴です。

 

だが、その一方でセム的とも言い難い容貌の像もまたあると言うが、通商などで友好関係にある地の女性を娶ることもあり得たなら、非セム的な容貌の人たちがいてもおかしくはないでしょう。

聖書にも、共に住む地の人々の娘を娶ったり、あるいは彼らに娘を嫁がせることはしばしばあったことを証言すると思われる記述があるのです。

 

スメルの時代にも、同じようなことは当然のことのように一般的にほとんどの部族や民族の間で行われていたと思われるのです。

 

だが、聖書の民イスラエルは異教徒とどんなに交易などの交流はしても婚姻関係をもって異教の風習が入り込む事態は避けるよう神から命じられていました。

 

もし、スメルの民もまた、イスラエルの民のように異教徒との婚姻を禁じられていたとしたらどうでしょうか。

 

にもかかわらず、スメルの民は異教徒と婚姻関係を持っていたとしたらどうでしょうか。

 

そのことがついに神の怒りをかって、スメルの国が滅ぼされたのだとしたらどうでしょうか。

 

スメルの文明はかなり高度であったことが知られているのです。

神の祝福によって高度文明を得られていたスメルの民が、高慢の罪や異教徒との婚姻で異教の風習に染まっていってしまい、神の怒りをかって亡ぼされ、長い間歴史から存在が消されていたとしたらどうでしょうか。

 

アブラハムの子や孫の名前を見てみると、奇妙なことに気が付くのです。

 

イシュマエル、イサク、ヤコブ、イスラエル。

 

少なくとも、イシュマエル、イサク、イスラエルの名は、スメルの転化であるように思えるのです。

 

スメルはシュメールとも読まれます。

シュメールは、容易にイシュマエルやイスラエルに転化し得るし、イサクはコーランではイスハークなので案外これもまたシュメールに転化出来そうです。

アブラハムさえもコーランではイブラーヒームだが、これさえももし当時発音のあいまいな二重母音であった可能性を考えると、イシュマエルやイスラエルに転化しえないとは言いきれない気はするのです。

ヤコブが改名させられたのも、スメルの転化音で名前を揃えて、スメルの継承者である事を明らかにするためだったのかもしれないです。

 

そうみると、天皇がかつて、「スメ」「スメラ」と何故呼ばれる必要があったかの謎も解けるかもしれません。

 

天皇を指す古語、「スメ」「スメラ」とスメル語の「スメ」「スメル」はともに「神」を指すというのです。

そして、「スメラギ」は「スメル」の複数形だというのです。

 

「ミコト」「ミカド」もまた、「天降る開拓者」を意味するスメルの「ミグド」の転化であるらしいです。

 

十六八重菊花紋とそっくりな古代スメルの王家の紋章がある謎も、解けるかもしれません。

 

故フセインは腕輪の紋章についてヨーロッパの記者から日本の皇室との関係を聞かれた時「もっと古代ンメソポタミアのことを勉強して欲しいですね。この紋章は、世界最古の文明を築いた私達の祖先、シュメール王朝時代の王族の紋章ですよ」と応えていたと言います。

 

天皇はずばり、スメルの王家の継承者なのである、そう言って良いでしょうか。

 

日本の三種の神器とスメルやバビロニアの三種の神器を比較してみようと思います。

 

草薙剣に対して武神のシンボルの剣、八咫鏡に対して日像鏡、八尺瓊勾玉に対して月像の首飾り、と見事に対応して見えるのです。

 

スメルと日本の神話にも、興味深い類似が見られるのです。

 

日本には、八つの首の八岐大蛇退治と草薙の剣の神話があるのです。

スメルにも、七つの首の龍の退治と剣の神話があるのです。

モチーフがあまりにも似ているのです。

 

日本はかつて、豊葦原瑞穂中国と自らをよんでいました。

スメルは自らの国を「キエンギ」と呼んでいたが、「葦の主の国」という意味があるそうです。

「葦の国」と日本もスメルも共に名乗っていたことになります。

他の類似を思えば、偶然ではすまされないだろうと思います。

 

建国神話にも、類似が見られるのです。

 

日本は、天孫降臨、すなわち天から来た神々が日本列島を作り下りたって日本を建国と語り継いでいる。

 

スメルはと言えば、ニビルと言う星から来たアナンヌキという人達が人類を作り地球に文明を興したと記している。

 

細かいところはともかく、構図は似ているのではないでしょうか。

 

日本にもペトログリフが、岩に刻まれた絵や文字の事だが、見つかっているといいます。

99%はスメルの文字であるらしいです。

写真をヨーロッパの研究者に見せると第一印象は、ヨーロッパのどこだ、だそうだが日本と言うと一様に驚きの声を上げると言うのです。

それくらい、日本で見つかるペトログリフはヨーロッパのものと似ているということなのでしょうか。

 

アメリカのケネウイックからはアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているのです。

つまり、アイヌのご先祖にヨーロッパ在住の時代があったと言う事になるでしょう。

アイヌのご先祖が縄文人とされるが、沖縄の人たちも縄文人の血を強く受け継いでいるのです。

そして、アイヌと沖縄はともに古代イスラエルの文化を引き継いでいることがわかっているのです。

 

もし、イスラエルの名がスメルの転化であるとしたら、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者となるだろう。

 

日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字と言う事実と、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者の可能性を重ねると、縄文人もまたスメル文化の継承者と見るべきとなるかもしれません。

 

スメル人と縄文人の容貌の類似が見られ、日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字となれば、天皇がスメルの王位継承者であってもおかしくはないし、むしろ自然とさえ思えてくるのです。

 

さらに情報を求める検証していきたいです。

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古代エジプトの縄文人?

秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山は、「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされます。
 
この黒又山に、ピラミッドだという説があるのです。
レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明したのです。
ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されています。
このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があったのです。
また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっています。
エジプトの三大ピラミッドは化粧石で覆われていたが、黒又山は礫で覆われていたことになります。
三大ピラミッドも黒又山も、かつて、陽の光を浴びて光っていたことでしょう。

縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡、二つの縄文遺跡と黒又山を結ぶと、82キロの緯線を底辺とする巨大な二等辺三角形が出来上がります。
そして、黒又山自体にも縄文人の儀式の痕跡が見つかります。

これは、縄文人の文化にピラミッドに代表される古代エジプトと似通った要素がある可能性をほのめかしていることになりはしないでしょうか。

アイヌの生活文物に古代イスラエルのものとの類似が指摘されるが、イスラエルの民はエジプトにいたことを思えば、祖先とされる縄文人の土器にもエジプトの影響が見つからないとおかしいとなります。

そして、南米エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというが、これに対して古代エジプトの土器の方こそ似ていると言っている学者たちもいると言います。
土器の模様は九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていると指摘されるにも拘らず、むしろ古代エジプトの方が似ていると異論が出ているのです。
西日本の縄文土器に、古代エジプトの土器と似た文様が見つかると言われているに等しい展開だが、そうなると面白い遺跡が熊本にあります。
トンカラリンです。
古代エジプトの研究者吉村作治教授は、トンカラリンの内部構造に込められた思想はまさにギザの大ピラミッドとそっくりと主張します。

日本人には家族性地中海熱の発症が見られるが、本来ならば地中海沿岸の民族の遺伝病のはずです。
家族性地中海熱は地中海沿岸域の人々や、中近東のユダヤ人、トルコ人・アルメニア人に多い疾患と言われています。
日本人には地中海沿岸やトルコの人たちと似た顔が見つかるし、古代イスラエルの生活文物とアイヌの生活文物は似ています。
沖縄の文化や伝承にいたっては、聖書とあまりにも似たものがいっぱいあるのです。
ヤップ遺伝子などは、古代イスラエルと日本くらいしか見つからないとさえ言われているのです。

そして、イスラエルの民は長年にわたってエジプトで暮らしていたわけです。

日本人の足も大半はエジプトタイプだし、日本人とエジプト人は味の好みも近いそうです。
動物を含む太陽神を中心とした八百万の神々が三神構造の構図で祀られていることなども、共通しています。
二本の柱を通って拝殿から本殿にいたる神社の構造は、古代エジプトの神殿に似ているのです。
吉村作治教授などは、スフインクスこそは狛犬のルーツであり、ピラミッドコンプレックス(ピラミッド複合体)こそは神社の原型だとしているのです。

そう言えば、古い時代の神社は山の前に拝殿があったです。
問題はエジプトと日本を繋ぐルートです。

南米エクアドルからはエジプトと縄文、両方に似た土器が出ています。
日本先住民縄文人とアメリカ先住民が親戚であることは、遺伝子も証明済みです。
アメリカの最古級の先住民にさえも、日本人の可能性が指摘される展開になっているのです。
さらに、アメリカのケネウイックからはフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌの親戚の骨が出ているのです。

フランスとスペインの様式の矢じり、家族性地中海熱、これらは日本人の祖先が中東から地中海沿岸を経てアメリカを横切って海を渡ってやってきたというルートの存在を示していないでしょうか。

南太平洋の島々もまた、近年、日本人の祖先がたどったルートとして注目されているのです。

しかも沖縄には、遥か東のニライカナイが祖先が来た方向という伝承があるのです。

さらに天皇の紋章は、古代スメルの王族の紋章そのものずばりなのです。

アフリカの人たちも、アフリカ的と思っていた名前が日本にもあると驚いたことがあるし、アフリカにも日本の小鼓と、形も演奏の仕方もそっくりなものがあるのです。
 
アフリカと日本の繋がりも、情報を集める必要がありそうです。

日本人の祖先にまつわる謎は、まだまだ多いです。

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改めて日本人のルーツがたどった道を考えてみた。

ハプログループDは、日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原で高頻度に観察されるほかはアジアの極めて限られた地域でしか見つかっていません。

ハプログループとは、単一の一塩基多型 (SNP) 変異をもつ共通祖先をもつような、よく似たハプロタイプの集団のことで、単倍群とも訳されます。

ハプロタイプ(haplotype)とは、"haploid genotype"(半数体の遺伝子型)の略で、単倍型とも訳されます。

地球上でハプログループDが人口比に対して高頻度で見つかるのは日本・チベット・ヤオ族・アンダマン諸島などです。

 

YAP変異をもつ系統はハプログループEとハプログループDに限られます。

限られると言うより、ハプログループDEYAPという変異で定義されると言う方がより正確です。

YAP (ヤップ)とはY-chromosome Alu Polymorphismの略で、Y染色体の長腕部「DYS287 Yq11」上にある約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型のことを言います。

Alu配列とはたんぱく質をコードする配列を全く含まず、制限酵素Aluで認識されるためこの名がつけられました。

YAP変異と言うこの古代に起きた「M1」と定義される変異の痕跡(SNP)をY染色体上に持つのは、本来ならばtRNArRNAなどの核内低分子RNAに転写されるべきものが、何らかの要因によってY染色体上のDNA配列に挿入されてしまったもので、生体内での働きについては未解明です。

 

現生人類の共通祖先発祥の地、東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に約6.5万年前に住んでいた一人の男性にこの変異が起こりこれが、父系で遺伝するY染色体の特定のSNPを持つ集団(Y染色体ハプログループ)のうち「YAPM1)」と呼ばれるSNPを持つハプログループDE系統を生み出しました。

その後6万年程前にこれが更に2つ集団(ハプログループ)DEに分岐しました。

なお、ハプログループDEは系統樹からも分かるように、全ユーラシア人の最近共通祖先であるハプログループCTから早期に分岐したため、他のユーラシア系統とは分岐から7万年以上もの年月を経ています。

アフリカに留まり(又は出戻り)アフリカ大陸全土や一部は地中海地域やヨーロッパなどに父系を通じて広がった集団がハプログループEです。

分岐後出アフリカを経て東方に向かい、チベット・アンダマン諸島・ヤオ族・フィリピンのマクタン島・グアム島・日本列島などに父系を通じて広がったのがハプログループDです。

 

そして、このハプログループをもたらしたのが縄文人であり、日本人のDNAを全体としてヨーロッパ寄りしてしまった原因を作った人達です。

だが、縄文人の来たルートには謎が多いのです。

少なくともアジアには、ここから来たと特定できるような場所が見当たらないのです。

恐らくは複数のルートをたどってきた集団が、日本で混ざり合って縄文人の集団が形作られたと見られています。

 

アジアで来たルートが特定できないなら、ヨーロッパやアメリカ経由のルートを考えても良いはずです。

日本には家族性地中海熱など地中海沿岸の遺伝病のほかにも、ヨーロッパと共通の遺伝病が見つかっています。

家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることはもっと注目されても良いでしょう。

これらはほとんどが、アジアでは日本に集中しているのです。

アメリカではフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に、アイヌの骨が出ているのです。

近年、最古級のアメリカ先住民として日本人がクローズアップされつつあると言う。

今後の研究の展開が楽しみです。

 

このハプログループDは、今より約6万年前にアフリカ-イラン-中央アジアのいずれかにおいてハプログループDEから分岐し、内陸ルートを通って東アジアへ向かったと考えられています。

ハプログループDは、現在の日本や中国、朝鮮、東南アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは分岐から7万年以上の隔たりがあり、非常に孤立的な系統となっています。

 

D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できるが、一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられています。

そのため形質人類学的には古モンゴロイド(アイノイド)の分布と相関しているようです。

 

古モンゴロイドは、アジアのモンゴロイドを形質的特長から新・古に分けた概念です。

寒冷地適応を経ているか否かの違いを表した分類で、進化の新旧とは関係ないので注意が必要でしょう。

氷河期時代の北アジアで寒冷適応した結果、凹凸の少ない顔立ち、一重まぶたにみられる蒙古ひだなどの体質的特徴を有する新モンゴロイドに比べると、一般には彫りが深く、比較的小柄で、二重のまぶたや、厚い唇、湿った耳垢、多毛などの特徴を持っているとされました。

 

日本においては、縄文時代の住民(縄文人)は主に古モンゴロイド系であったと言われるが、その後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。

遺伝子解析の結果、日本人(琉球人、本土人、アイヌ人)は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

 

この現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成によって、日本人の遺伝子は全体としてヨーロッパ寄りになっているわけです。

 

古モンゴロイドは、新モンゴロイドと比較して低めの身長、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪などの形質を持つと考えられています。

古モンゴロイドに属すアイヌは、彫が深い、毛深いなど和人とは異質の特徴から、かつてはコーカソイドと考えられたこともあったが、これはコーカソイド特有の形質ではなく、新モンゴロイド以外の多くの人種に共通する形質だといいます。

 

遺伝的には古モンゴロイドは新モンゴロイドに近く、他の人種とは隔たりが大きいとされているが、このように古モンゴロイドの形質が他人種と共通する部分が少なくないのは、コーカソイドやオーストラロイドと分岐した直後の状態を長く保持している、つまり、新モンゴロイドの固有派生形質を獲得していないためです。

すなわち多くの人種と古モンゴロイドの共通点は共有原始形質です。

 

ちなみにオーストラロイドも分類上厄介な存在で、遺伝的には広い意味でのモンゴロイドに入れるべきと言う意見や外見上はコーカソイドに近いとする見解もあります。

私は古モンゴロイドに近いグループに入れた方がすっきりすると思うのです。

アイヌなど古モンゴロイドに分類されているが、見た目は思いっきりコーカソイドに近いからです。

 

ここに、日本人に世界各地の人種や民族と似た顔が見つかる事実を重ねると興味深いことになります。

実は蒙古斑は、モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイドのいづれにも見つかることがわかっています。

コーカソイドは色が薄いため、ネグロイドは地肌の色が濃いため、長い間気付かなかっただけなのです。

日本人に世界各地の人種や民族と似た顔が見つかるという事は、世界各地に日本人と似た顔が見つかると言う事でもあります。

 

もしも、中東を出発し、西に東に旅を続けて、日本で再度出会った石器時代人が古モンゴロイドであったとしたら、クロマニョン人とは時代が重なるのではないでしょうか。

しかもアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に、アメリカで見つかっているのです。

クロマニョンの名はフランスの地名にちなんでいるが、アイヌの親戚はご先祖がフランスやスペインで石器時代を過ごしている可能性があります。

彼らがクロマニョン人と出会っていないと見る方が、不自然ではないでしょうか。

 

さらに情報を集めてみたいです。

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日本の食文化の起源はどこ?

知り合いの人達が近くまで来たのでと言って、夕食を一緒に食べないかと誘ってきました。

 

そこで行きつけの店に行ったのです。

 

定食のセットで夕食となったのだがご飯と主菜に味噌汁と漬物の組み合わせに、話は思いがけない方向に進んだのです。

 

ブレッドとメインディッシュにスープとピクルスに差し替えれば洋食のセットになってなってしまう、と言うと外国人の方は、確かにと頷きました。

 

そこから話はさらに食文化の比較になったのです。

 

丼はご飯におかずが乗るがご飯をブレッドに変えればオープンサンドになると、彼らは面白がったのです。

 

ピザとお好み焼きも作り方に違いはあるが、やっていることは似ています。

 

トッピングは、ピザは削ったチーズだが、お好み焼きはかつお節、ところがかつお節もまた発酵食品です。

 

豆腐をスライスしてフライした油揚げは皮に食感が似ている、厚揚げはさしずめ皮つき肉と言うところでしょうか。

 

これ以外にも日本の食卓に並ぶ料理には、洋食と見た目は違ってもやっていることは案外近いものが意外とあるのです。

 

地中海沿岸には日本人好みの料理が結構あるらしいが、日本には家族性地中海熱のようにヨーロッパと共有な遺伝病は複数あり、しかもアジアでの飛び地であることは興味をそそります。

 

アメリカではアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているが、アイヌは日本の先住民である縄文人の子孫と見られています。

アイヌは沖縄の人たちとよく似ているが、沖縄の文化や風習には聖書と似たものが多くあると沖縄の人達自身も面白がっているのです。

その沖縄に、先祖は東のニライカナイから来たという言い伝えを持っています。

東には南太平洋の島々があり、その先はアメリカ大陸です。

アイヌの人々の生活文物もまた、古代イスラエルと似ていると言う指摘があるのです。

日本とアメリカ大陸の先住民は親戚と以前から言われてきたが、遺伝子でも確かめられてきました。

ところが、アメリカではアメリカの先住民は古代イスラエルの民の一部が渡った人達と主張し、何度も船出して最後に行方不明になった人たちの記録があるのです。

 

これは、偶然でしょうか。

 

日本に来たユダヤ人は、日本の正月の風習に興味を持つのです。

日本人も過ぎ越しの祭りをするのかと気になるわけです。

鏡餅は彼らの供える種入れぬパンを積み重ねる風習と似ていると面白がっています。

七日間という長さや、餅や七草のような食べているものの類似、ともに神を迎える行事であることです。

 

日本の神社と似ているのは、古代イスラエルや古代エジプトの神殿であるのです。

特に日本古来の山岳信仰と古代エジプトのピラミッドコンプレックスつまりピラミッド複合体を対比して、ピラミッドを御神体とする拝殿とその前に配されるスフインクスが山をご神体として拝殿や狛犬が配される神社の古い形の原型と吉村作治教授は指摘しています。

 

アメリカ大陸を船出した人々がヨーロッパやアフリカに行っていれば、彼らは記録や伝承に残しているはずだが、残っている話は聞いたことがないです。

一方、沖縄にはニライカナイと言う東方の地を祖先が旅立った場所と語る伝承があるのです。

 

そして、日本には古代中東の遺伝子があるのです。

 

日本は、中東で発生した人類が東回りと西回りで進んできて再び合流した土地としかかんがえられないです。

何しろ、シベリアにもアイヌの親戚がいるし、シベリアのバイカル湖畔に住むブリヤート人には秋田美人にそっくりな人達が多くいます。

こんな風に、日本には世界各地の人たちと似た顔があるのです。

言い換えれば、世界各地に日本人と似た顔の人が住んでいるのです。

中東が人々の発祥の地と見られているが、東回りと西回りで移動して来た人達は世界各地に人を散らばしながら、日本にやって来たと見る方が自然でしょう。

 

歴史学者とクリスチャンの違いは、それを一万年単位の昔と見るか、ノアの箱舟の後のバベルの塔の頃と見るかの差です。

アブラハムやイサクやヤコブの子孫が日本に来ている可能性がありと見るかどうかの差も、面白いです。

 

彼らは、そうだよね、確かにそうだと、頷きながら聞いてくれました。

私が一方的に話過ぎたことを詫びると、面白い話をきけて楽しかったと言って、にこやかに握手の手を差し出してくれました。

 

私も笑顔で握り返してその晩の久々の語らいは終わりました。

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蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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日本の食卓を覗くと地中海が見える?

この前、野菜炒めの残り半分を、ちょっと気分を変えたくてたまたま買ってあったルバーブのジャムであえて見たのですよ。

 同じ食卓の上で、甘い惣菜が他の惣菜と一緒に並ぶってことは、ヨーロッパ、とくに北欧じゃまずないよ。

 まして、せっかく塩コショウで味付けしたのにジャムなんかであえたら、びっくりするからね。

ルバーブは野菜なので、ジャムとは言っても日本の食卓にありがちな甘めに味付けした惣菜に近いと思ったから、やってみたんでして。

野菜同士だから、あんまり、違和感なかったですよ。

それに、甘いものを食べる食文化は、世界中にあるでしょ。

 甘いものを他の惣菜と一緒に出すと、外国人、特に欧米はデザートと食事が同時に食卓に並んだと言って、戸惑うことが多いんだから。

 野菜炒めをジャムであえたりしようもんなら、ものすごくびっくりするからね。

甘いものがほかの惣菜と一緒に食卓にのぼる食文化って言ったら、日本のほかにどこがあるかと言うと…。

 地中海ですよね。

地中海沿岸っていうと、日本人そっくりな顔の人がいっぱいいますよね。

 そうそう、いっぱいなんてもんじゃないよ。

 それは、日本には地中海沿岸の人達そっくりな顔をたくさん見かけるって事にもなるわけね。

 外国の友人から、日本ってアジアの国なのになんでヨーロッパ顔が多いのだ、あなたの顔はアジア的だからアジア人とあってるんだって納得できてほっとする、って言われたよ。

そう言えば、日本はアジアでも珍しい家族性地中海熱の発症例が見つかる国なんですよね。

遺伝性疾患だっていうのに。

 ケネウィックで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さったアイヌや琉球にそっくりな古代人骨が見つかっているんでしたよね。

南米エクアドルのバルディビアからは、縄文土器が見つかったと驚いてる人もいますね。

 エジプトの方が似てるって、言う人もいるけどね。

それを言ったら、日本の縄文土器は古代エジプトの土器に似てることになっちゃうでしょ。

日本人の足で一番多いのは、エジプトタイプだし。

 エジプト考古学の吉村作治は、日本とエジプトは食の好みが似てるから長期滞在でも食べ物で困らないのは助かるって、言ってますよね。

秋田美人の美白の理由の一つに、白人の血が混ざってないとそうはならないって話もありますね。

 秋田犬の血液型のパターンまで、ヨーロッパ犬に似てると聞いた時は驚きましたよ。

秋田って、けっこう、体つきがしっかりした白人的体形、多いですよね。

世界三大美女はクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネなんですよね、世界的には。

クレオパトラとヘレネは、ギリシャ美女なんです。

楊貴妃も白人的な体つきと容貌なことは間違えないので、ギリシャ美女の可能性はありそうです。

そうなると、日本でだけヘレナの代わりに秋田小町をいれてるけど、彼女は秋田美人なんですよね。

 秋田小町は秋田美人で、秋田美人は白人的っていうことは、秋田小町も白人的美人ということかしら。

日本にはギリシャ的な顔の人は結構いるけど、日本人の足でエジプトタイプに次いで多いのはギリシャタイプですからね。

 となると、秋田小町もギリシャ風美女だった可能性ありって事でいいのかしら。

 世界的美女はみんな、ギリシャ風ってこと…。

野菜炒めをルバーブのジャムであえた話から、脱線しまくり…。

 あ、ほんと…。

じゃ、この辺で、この話はいったん切り上げってことで…。

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日本の太鼓はどこまで響く?

日本の太鼓は、神との交流や臨在と深くかかわっています。

それは、ネイティブアメリカンも共通だと言います。

以前から、日本先住民とアメリカ先住民はともに古モンゴロイドであると言われてきたから、驚くには値しないと言う人も多いかもしれないです。

近年、遺伝子レベルでもアメリカ先住民であるインカやマヤと日本との繋がりが証明されるようになってきたです。

さらに、バルビディアからは縄文土器そっくりと指摘される土器も出土しています。

バルビディアの土器については、エジプトの影響を指摘する声もあるが、日本には古代中東の遺伝子もあれば、国民の7割の足はエジプトタイプと言われています。

食の好みも日本とエジプトは近いし、太陽神を中心とした三神構造の動物神を含む八百万の神々が古代エジプトの神殿と似た構造の神社に祭られています。

前方に二本柱の立つ拝殿と本殿の分かれる構造を共有する神祀りの社殿は、日本と古代のエジプトとイスラエルで共通です。

増田義郎吉村作治共著『インカとエジプト』では、インカとエジプトにはもちろん相違点もあるとしながらも多くの共通点を指摘しています。

ちなみに同書では、マヤとメソポタミアとの共通点にも注目しています。

そういえば、ギザのスフィンクスにまつわる神殿跡地にも大ピラミッドの大回廊にも、そして古代アメリカの神域にも階段状のアーチ構造が見られることも共通です。

それはさておき、アメリカからは、ケネウィックやメキシコから日本人の骨が出てきてるのです。

例えばケネウィックはアイヌに似た骨にフランスとスペインの様式の鏃が刺さっていたのです。

 日本先住民とアメリカ先住民の繋がりは、骨・遺伝子・土器の他に宗教にも見られると言うわけですね。

日本とアメリカ先住民と言えば、興味深いのは色と方位を結びつける思想もまた、共有しています。

日本で色と方位と言えば陰陽道を思い浮かべるが、古代アメリカに陰陽道は伝わっていないはずです。

にもかかわらず、共通なのは興味惹かれるが、面白いことにケネウィックの古代人骨は当初イギリス人と勘違いされていたわけです。

似ていた人物は、イギリスの中でもケルトが多い地域の出身者です。

ケルトにも、方位と色を結びつける思想など陰陽とよく似た発想があると指摘されることがあるのです。

ケルトと言えば、武士道との類似を指摘されることもあるのです。

 日本とイギリス、緑茶と紅茶、武士道と騎士道、妖怪と妖精など、似ている点を面白がる人も多いが、背後にはケルトが関係してる可能性もあり得るってことです。

日本とアメリカ先住民は、ケルトで繋がるのか、さらに情報収集の必要はありそうです。

日本先住民であるアイヌと琉球については、アイヌには生活文物に古代イスラエルとの類似が、琉球には文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

 アメリカでも、カホキア遺跡で聖書との類似が、指摘され始めているでしょ。

聖書では、特に旧約聖書で、神の臨在と雷鳴に関する記述は多いです。

面白いのは、神の雲の移動に従って幕屋が移動したことです。

日本の神社の注連縄には下がりと紙垂が下がり、それぞれ、雲と雨と雷光と見られていて、参拝者は鈴を鳴らすのです。

つまり、雲と雨と雷光と雷鳴が日本の神社には揃うことになるのです。

 太鼓は、神との交流であるとともに、神の臨在でもあるのよね。

太鼓は雷神とも結びつくように、雷鳴の象徴でもあるのです。

そして、日本には日ユ同祖論があり、秦氏とクリスチャンを結びつける議論を展開する人も少なくないです。

 その日本と、アメリカ先住民は神との交流や神の臨在の象徴としての、太鼓を共有…。

そして、古代イスラエル人の一派がアメリカに渡ったと主張するモルモン書がでたと主張する宗派まで、アメリカから出てきたのです。

思いつくままに語ってきたら、アメリカと日本が古代イスラエルで繋がると言う、落ちになってしまったのです。

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