スペイン・ポルトガル

蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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日本の食卓を覗くと地中海が見える?

この前、野菜炒めの残り半分を、ちょっと気分を変えたくてたまたま買ってあったルバーブのジャムであえて見たのですよ。

 同じ食卓の上で、甘い惣菜が他の惣菜と一緒に並ぶってことは、ヨーロッパ、とくに北欧じゃまずないよ。

 まして、せっかく塩コショウで味付けしたのにジャムなんかであえたら、びっくりするからね。

ルバーブは野菜なので、ジャムとは言っても日本の食卓にありがちな甘めに味付けした惣菜に近いと思ったから、やってみたんでして。

野菜同士だから、あんまり、違和感なかったですよ。

それに、甘いものを食べる食文化は、世界中にあるでしょ。

 甘いものを他の惣菜と一緒に出すと、外国人、特に欧米はデザートと食事が同時に食卓に並んだと言って、戸惑うことが多いんだから。

 野菜炒めをジャムであえたりしようもんなら、ものすごくびっくりするからね。

甘いものがほかの惣菜と一緒に食卓にのぼる食文化って言ったら、日本のほかにどこがあるかと言うと…。

 地中海ですよね。

地中海沿岸っていうと、日本人そっくりな顔の人がいっぱいいますよね。

 そうそう、いっぱいなんてもんじゃないよ。

 それは、日本には地中海沿岸の人達そっくりな顔をたくさん見かけるって事にもなるわけね。

 外国の友人から、日本ってアジアの国なのになんでヨーロッパ顔が多いのだ、あなたの顔はアジア的だからアジア人とあってるんだって納得できてほっとする、って言われたよ。

そう言えば、日本はアジアでも珍しい家族性地中海熱の発症例が見つかる国なんですよね。

遺伝性疾患だっていうのに。

 ケネウィックで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さったアイヌや琉球にそっくりな古代人骨が見つかっているんでしたよね。

南米エクアドルのバルディビアからは、縄文土器が見つかったと驚いてる人もいますね。

 エジプトの方が似てるって、言う人もいるけどね。

それを言ったら、日本の縄文土器は古代エジプトの土器に似てることになっちゃうでしょ。

日本人の足で一番多いのは、エジプトタイプだし。

 エジプト考古学の吉村作治は、日本とエジプトは食の好みが似てるから長期滞在でも食べ物で困らないのは助かるって、言ってますよね。

秋田美人の美白の理由の一つに、白人の血が混ざってないとそうはならないって話もありますね。

 秋田犬の血液型のパターンまで、ヨーロッパ犬に似てると聞いた時は驚きましたよ。

秋田って、けっこう、体つきがしっかりした白人的体形、多いですよね。

世界三大美女はクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネなんですよね、世界的には。

クレオパトラとヘレネは、ギリシャ美女なんです。

楊貴妃も白人的な体つきと容貌なことは間違えないので、ギリシャ美女の可能性はありそうです。

そうなると、日本でだけヘレナの代わりに秋田小町をいれてるけど、彼女は秋田美人なんですよね。

 秋田小町は秋田美人で、秋田美人は白人的っていうことは、秋田小町も白人的美人ということかしら。

日本にはギリシャ的な顔の人は結構いるけど、日本人の足でエジプトタイプに次いで多いのはギリシャタイプですからね。

 となると、秋田小町もギリシャ風美女だった可能性ありって事でいいのかしら。

 世界的美女はみんな、ギリシャ風ってこと…。

野菜炒めをルバーブのジャムであえた話から、脱線しまくり…。

 あ、ほんと…。

じゃ、この辺で、この話はいったん切り上げってことで…。

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日本の太鼓はどこまで響く?

日本の太鼓は、神との交流や臨在と深くかかわっています。

それは、ネイティブアメリカンも共通だと言います。

以前から、日本先住民とアメリカ先住民はともに古モンゴロイドであると言われてきたから、驚くには値しないと言う人も多いかもしれないです。

近年、遺伝子レベルでもアメリカ先住民であるインカやマヤと日本との繋がりが証明されるようになってきたです。

さらに、バルビディアからは縄文土器そっくりと指摘される土器も出土しています。

バルビディアの土器については、エジプトの影響を指摘する声もあるが、日本には古代中東の遺伝子もあれば、国民の7割の足はエジプトタイプと言われています。

食の好みも日本とエジプトは近いし、太陽神を中心とした三神構造の動物神を含む八百万の神々が古代エジプトの神殿と似た構造の神社に祭られています。

前方に二本柱の立つ拝殿と本殿の分かれる構造を共有する神祀りの社殿は、日本と古代のエジプトとイスラエルで共通です。

増田義郎吉村作治共著『インカとエジプト』では、インカとエジプトにはもちろん相違点もあるとしながらも多くの共通点を指摘しています。

ちなみに同書では、マヤとメソポタミアとの共通点にも注目しています。

そういえば、ギザのスフィンクスにまつわる神殿跡地にも大ピラミッドの大回廊にも、そして古代アメリカの神域にも階段状のアーチ構造が見られることも共通です。

それはさておき、アメリカからは、ケネウィックやメキシコから日本人の骨が出てきてるのです。

例えばケネウィックはアイヌに似た骨にフランスとスペインの様式の鏃が刺さっていたのです。

 日本先住民とアメリカ先住民の繋がりは、骨・遺伝子・土器の他に宗教にも見られると言うわけですね。

日本とアメリカ先住民と言えば、興味深いのは色と方位を結びつける思想もまた、共有しています。

日本で色と方位と言えば陰陽道を思い浮かべるが、古代アメリカに陰陽道は伝わっていないはずです。

にもかかわらず、共通なのは興味惹かれるが、面白いことにケネウィックの古代人骨は当初イギリス人と勘違いされていたわけです。

似ていた人物は、イギリスの中でもケルトが多い地域の出身者です。

ケルトにも、方位と色を結びつける思想など陰陽とよく似た発想があると指摘されることがあるのです。

ケルトと言えば、武士道との類似を指摘されることもあるのです。

 日本とイギリス、緑茶と紅茶、武士道と騎士道、妖怪と妖精など、似ている点を面白がる人も多いが、背後にはケルトが関係してる可能性もあり得るってことです。

日本とアメリカ先住民は、ケルトで繋がるのか、さらに情報収集の必要はありそうです。

日本先住民であるアイヌと琉球については、アイヌには生活文物に古代イスラエルとの類似が、琉球には文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

 アメリカでも、カホキア遺跡で聖書との類似が、指摘され始めているでしょ。

聖書では、特に旧約聖書で、神の臨在と雷鳴に関する記述は多いです。

面白いのは、神の雲の移動に従って幕屋が移動したことです。

日本の神社の注連縄には下がりと紙垂が下がり、それぞれ、雲と雨と雷光と見られていて、参拝者は鈴を鳴らすのです。

つまり、雲と雨と雷光と雷鳴が日本の神社には揃うことになるのです。

 太鼓は、神との交流であるとともに、神の臨在でもあるのよね。

太鼓は雷神とも結びつくように、雷鳴の象徴でもあるのです。

そして、日本には日ユ同祖論があり、秦氏とクリスチャンを結びつける議論を展開する人も少なくないです。

 その日本と、アメリカ先住民は神との交流や神の臨在の象徴としての、太鼓を共有…。

そして、古代イスラエル人の一派がアメリカに渡ったと主張するモルモン書がでたと主張する宗派まで、アメリカから出てきたのです。

思いつくままに語ってきたら、アメリカと日本が古代イスラエルで繋がると言う、落ちになってしまったのです。

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モンゴロイド

DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

 そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

 人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
 ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

 日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

これが、後のモンゴロイドです。

モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

 古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

 アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

 アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

 だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

 その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

 古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

 そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

 メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

 フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

 東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

 ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

とはいえ、興味深い遺跡はあります。

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

 縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

 モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

 アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

 精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

 しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
親指が長い他に、足幅が広めな形です。
親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

 つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

 ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

 南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

 そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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チュロス

チュロスは、スペインではホットチョコレートに浸して食べるのが朝の定番とされている断面が星形の揚げ菓子です。

星形の理由は、チュロを丸い搾り器で形成すると、揚げた際に内部の固まっていない生地が急激に膨張し、爆発を起こし高温の油と共に飛び散る危険が有るからです。
これは、生地を熱湯で練って作るために粘り気が大きく、結果閉じ込められた水分が気化して急激に膨張して水蒸気爆発に近い現象が発生するのが原因です。
それを防ぐため、星形にして表面積を大きくし、油から素早く伝熱することにより均等に固まりやすくすると共に効率よく生地外へ水分を放出・蒸発させ、膨張を回避しているのです。

製法および理由により、断面が円形な一般の揚げドーナツに比べ硬い食感が特徴です。

チュロは、小麦粉と水と少量の砂糖・塩を混ぜた生地を星型の搾り器から搾り出して油で揚げ、ハチミツ、砂糖、シナモンなどをまとわせたもので、形は真っ直ぐなものと湾曲したものがあります。
生地にココアなどを混ぜて味付けすることもあるようです。

正確に言うと、チュロス(Churros)は複数形で単数形はチュロ(Churro)で、スペイン・ポルトガルおよびラテンアメリカ各国で広く食べられている揚げ菓子です。

スペイン語ではチュロのロはrrで巻き舌で発音します。

チュ(Chu)にアクセントがあり少し長く発音されるため、日本語でチューロと表示されることもあるが長音ではないから注意しましょう。

調理には搾り器と揚鍋がセットになった専用の調理機が用いられることもあります。
特に大量に作るチェレリアでは専用の調理機は必需品です。

ちなみにチュレリア(Chureria)とはチュロ屋のことで、作っている職人はチュレロ(churrero)と呼ばれます。
店頭にはしばしば、チュロ(Churro)、ブニュエロ(bunuelos)、ポラ(porras)の表示があります。
ポラはチュロと良く似ているが、ポラとは警棒のことで長い形が連想できると言うことでしょう。
プニュエロは、チュロやポロ以外の揚げ菓子です。
スペインのチュレリアでは、朝食にチュロやポラを、濃くいれたホットチョコレートに浸して食べる姿が多く見られるようです。

チュロの起源については諸説あり、代表的なものはスペイン起源とポルトガル起源です。

ポルトガル起源説は、16世紀初頭に明に到達したポルトガル人により、中国の揚げパン油条が知られることとなり、それを模したものとしてチュロが作られ始め、その後スペインにも広まった

というものです。

スペイン起源説は、スペインの羊飼いが長期に渡る野外生活の中で始めた簡易にできるパンの代用として、チュロが作られ始め、チュロという名前もヒツジのナバホ・チュロの角にこの揚げパ

ンが似ていることから名付けられたというものです。
17世紀にはスペインでチュロ作りが職業として確立されており、1621年の文献にチュレロがチュロの値上げを申請したとの記録が残っているそうです。

面白いことにwikiのスペイン語版では、チュロのルーツについての参考図譜として古代エジプトの、ポラに似ている揚げ菓子作りの図を載せていました。
説明には“Escenas de elaboración de pan y «porras». Tumba de Ramsés III. Valle de los Reyes. Egipto.”と添えてあります。

ポルトガル起源説で指摘される油条とは、は中国式の細長い揚げパンのことです。

食塩、重炭酸アンモニウムを水で混ぜたものに小麦粉(薄力粉)を少しずつ加えながらこねて生地を作ります。

重炭酸アンモニウムの代わりに重曹を使う場合もあるが、発泡が少ないので、パフのような独特の食感を出しにくくなります。

しばらく寝かせた生地をのしてから包丁で 20-30cm ほどの棒状に切って伸ばし、半分に折って、高温の油でキツネ色になるまでさっと揚げます。

中国や香港、台湾などでの朝食に、豆腐脳(zh)、粥や豆乳の添え物としてよく食べられるそうです。
また中国料理の点心や飲茶の際に供されることもある。また、天津煎餅の中に巻いたり、飯糰(ファントゥアン)というおにぎりに包んで食べることも一般的であるといいます。

朝食を提供する食堂などで作られる食品で、パン屋で作られることはないと言うから専門店が出来るスペインを思うとちょっと面白いかも。

日本と英語圏では中華パンの一種として紹介されるが、中華圏では麺包(パン)とは呼ばれないし、その製法からも厳密にはパンの仲間ではありません。

腸粉で包んだものを炸兩(拼音: zha2 liang3, 粤拼: zaa3 loeng5)といい、広東で食べられるそうです。
発音の後の数字は中国語の発音の種類で、順番に平声・上声・去声・入声・軽声のことです。

誤解無いように説明しておくと、腸粉(ちょうふん、広東語 チョンファン cheung2fan2、 北京語 チャンフェン chángfěn)は、コメを原料に作る広東式点心の一種です。
猪腸粉(ちょちょうふん。広東語 ジューチョンファン jyu1cheung2fan2、 北京語 ジューチャンフェン zhūchángfěn)ともいい、中国語では「拉腸」(ラーチャン、lācháng)ともいいます。

別名炸油条、油炸鬼(粤拼: yau4 ja3, ヤウザーグァイ)、油炸檜ともいうそうです。
名前のいわれとして、中国・宋の時代に、敵国であった金と内通して忠臣・岳飛将軍を冤罪で処刑したとされる宰相・秦檜夫婦の不正を憎むあまりに、人々が彼らに見立てて小麦粉で二本の棒を作り、油で揚げて「釜煎りの刑」にすることで恨みを晴らしたためと伝えられているというから、ちょっと怖いですね。

古代中国文明は、最近では長江文明が黄河文明より古いと注目されています。

その古代中国の風習を探ると埋葬形式に古代エジプトを思わせるものがあるなど、興味の惹かれる発見があります。
ひょっとしたら、チュロはエジプトから中国経由でポルトガルに伝わり、民間レベルの交流の中でスペインへと広まったのかも知れません。

これはどこまでも、憶測ですけど。

いずれにせよ新大陸へは、ポルトガル・スペインにより持ち込まれたわけです。

ラテンアメリカ各国では様々に発展し広まっていきました。

小麦粉生地だけのものの他にも、チュロの中にドゥルセ・デ・レチェ(メキシコ、ペルー他)やチョコレート(メキシコ)やチーズ(ウルグアイ)などを詰めたチュロ・レイェノ(Churro relleno)も広く供されているそうです。
アメリカや日本を含めその他の地域でも広まっており、チュロがドーナツ店やカフェ、ほかに遊園地・テーマパークのスタンドや競馬場、映画館、街角の屋台でも売られており、手軽な軽食として利用されています。

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TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とユダヤ?

TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とも呼ばれる家族性アイルランド熱については、以前、日本でも発症例があることは触れたが、アイルランドがケルトの多い土地であり、日本とケルトの繋がりが見えることの方に注目したのでした。  

  詳しいことには、あまり踏み込みませんでしたね。

あの時は、家族性地中海熱の方がメインでしたからね。

改めてこの遺伝性疾患に注目したのは、この病気にもユダヤ人が絡んでいるからなのです。

 家族性地中海熱と家族性アイルランド熱、どちらもユダヤ人が絡んでいるなら、日ユ同祖論者は喜んで飛びつきますね。

ただ、ユダヤ人が以外の発症者がいることを、どう見るかですね。

TRAPS患者は、今までのところ日本以外の東南アジア諸国において報告されていないと言います。

報告された最初の症例は、アイルランドとスコットランド系の人種でした。

その後それ以外の人種でも報告があったけどほとんどのTRAPSの患者は北ヨーロッパ系と中東系の人種で、ユダヤ人の名前はその中にあります。

フランス人、イタリア人、スペイン人、アルメニア人、プエルトリコ人、アルメニア人、ユダヤ人、アラブ人、カブール人、アフリカ系アメリカ人です。  

東南アジアどころか、東アジアで見ても、日本だけでしょ。

 家族性地中海熱は、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人だから、イギリスを除けば似た地域ですね。

地中海やアメリカにまで症例が見つかったので今ではTRAPSと略称で呼ばれることが多いが、この遺伝性疾患もまた日本と地中海との繋がりを示すと言えますね。

TRAPSは、常染色体優性遺伝とみられてきました。

優性遺伝性の自己炎症性疾患であろうと思われ、皮疹、腹痛、筋痛、結膜炎、胸痛、関節痛に関連した発熱発作を繰り返すことを特徴とします。

強い腹痛を呈し、腹部手術に至る患者もいます。

遺伝性疾患なので、伝染することはありません。

常染色体優性遺伝は、Autosomal Dominant、ADと略され、常染色体上に存在する1対の遺伝子の一方に異常があれば発症します。

TRAPSの責任遺伝子は、12P13resionと言う12番目の遺伝子上に存在します。

この遺伝子の突然変異により異常なTNFレセプターが誘導され、それが不適当な炎症反応を引き起こします。

この遺伝子に関しては、33カ所の異なった突然変異が特定されています。

TRAPSを発症した子ども達は、胎児期の突然変異ではなく、この病気の遺伝子をTNFレセプター異常の遺伝子のキャリアである両親のどちらかから受け継いでいます。

この突然変異を持っている人は、TRAPSの臨床的な症状を持っているかもしれないし、持っていないかもしれません。

ただ、最近の研究では、TNF遺伝子の突然変異が証明された症例のみTRAPSとして含められるべきであるとされるようになってきているようです。

それと言うのも、常染色体優性の遺伝形式を示すが、家族歴のない孤発例も報告されているからだそうです。

そんなわけで、実は発症のメカニズムがまだ十分に突き止められたとは言えないようなのです。

 遺伝性疾患の可能性は高いが、例外と思える発症例がある以上断定には慎重になっているのですね。

TNF遺伝子のTNFとは、腫瘍壊死因子と呼ばれる白血球の出すサイトカインの一つです。

サイトカインは、特定の生理的調節機能に対して作用する白血球の出す生理活性物質の総称です。

突然変異が証明された場合された症例のみとするとは言え、特定の民族に発症例が集中している以上、遺伝性疾患としての性格を完全には無視しきれないはずです。

TRAPSは、遺伝的には優性遺伝のパターンをしめします。

これは単一家系内にそれぞれの世代に一人以上の患者が見いだされることを意味します。

事実、血族結婚が少しずつ、減少してきていることで、TRAPSのような複雑な疾患の発症は減ってきていると言います。

突然変異が証明された場合された症例のみとするなら、このような傾向を説明できるでしょうか。

この病気は一般的に発症を防ぐ方法はありません。

通常2週間から3週間間隔の弛帳熱で発症し、消化管の通過障害、痛みを伴う赤い発疹、筋肉痛、歯肉の腫脹を伴うことがあります。

常染色体とは、性染色体以外の染色体のことであり、ヒトの体細胞は22対、44本の常染色体を持ちます。 患者の子が同疾患を発症する可能性は、男女を問わず50%です。

TNF受容体関連周期性発熱症候群はごく最近認知され、理解されてきました。 TRAPSの臨床経過は、14パーセントは2次的にアミロイドーシスと呼ばれる腎病変に移行するが、それ以外は良性で自己完結型の疾患です。

良性とは、病気が良好な経過をたどって治癒する性質であること、あるいは,癌性でないことです。

アミロイドーシスとは、「アミロイド」と呼ばれる蛋白が全身の臓器の細胞外に沈着する疾患で、日本では特定疾患いわゆる難病に指定されています。

   どの程度の頻度の病気でしょうか。

TRAPSは確認された患者の数は100人以下の稀な疾患で、日本でもこれまで10例程度が報告されている程度のようですね。

日本の発症数は、推定でも、30人程度とみられています。

本当の疾患の頻度は現在でもよく解っていないが、発症に男女差はなく、発症年齢は年長児や成人に多い傾向があります。

TRAPSの経過には季節や風土は無関係であり、一生のうちどの時期に発症するかは予測できません。

TRAPSはTNFRと呼ばれるタンパク質に起きた遺伝的な異常で引き起こされると言われており、その異常が起きたタンパク質は患者の正常の免疫反応を過剰な方向に誘導すると言われています。

TNFRとはTNF受容体の略で、赤血球を除いた生体内の細胞に広く存在しているタンパク質です。

TNFと呼ばれる炎症性のホルモンは、TNFRで正常にコントロールされない場合、過剰に働き、炎症反応の程度を減少させます。

この欠陥は、発熱、悪寒、痛みなどの患者の不快な症状を説明できます。

感染や外傷、精神的なストレスは疾患を増悪させると言われています。

アミロイドーシスとTRAPSとの共通性はおそらく、どちらも慢性的な炎症性疾患であり遺伝的な要素をもっているということです。

主要な症状は繰り返す2週間から3週間続く発熱発作です。

発熱は悪寒戦慄、体幹部と上肢の筋肉痛を伴います。

典型的な発疹は赤色で皮膚や筋肉の炎症部位に一致した痛みを伴います。

大部分の患者が経験するのは、発作が起こる際の痙攣を伴う深い部位の筋肉痛で、少しずつ痛みは増悪していき、また四肢の他の部分にも広がっていきます。

吐き気と嘔吐を伴う広範な部位の腹痛が通常みられます。

眼瞼結膜と眼窩周囲の腫脹は、TRAPSに特徴的な所見だが、これは例えばアレルギーと言った他の疾患でも認められます。

以上のような特徴的な症状の出現の仕方は、発作期間の長短により異なった表れかたをします。

胸痛もまた、胸膜炎や心外膜炎の結果として出現することがあります。

アミロイドーシスは頻度は稀だがTRAPSの最も重篤な合併症です。

尿中に巨大な蛋白が出現し腎不全を引き起こします。

TRAPSの、症状の出現の仕方は多様です。 すなわち、発症している期間も発作のない時期の期間も症例により異なります。 主要症状の、出現の組み合わせもまた様々です。

これらの違いは、遺伝要因により説明できると思われます。

専門医は臨床症状と家族歴からTRAPSを疑います。

いくつかの血液検査結果は発作中の炎症反応の程度を検出するのに有効です。

TRAPSの診断の唯一の方法は、突然変異の証拠を遺伝子診断で確定することです。

鑑別診断としては、特に家族性地中海熱や高IgD症候群などが挙げられます。

TRAPSは時として成人スチル病や若年性関節リウマチと症状が類似しており、鑑別が必要となることもあると言います。

類似の症状としては、これらがあげられるそうです。

原因不明の発熱に加えて、同時に腹痛、筋肉痛、皮疹、関節痛、結膜炎・ 眼窩周囲浮腫、胸痛などの症状のうち、いくつかを合併することが多い。

症状は通常5日間以上持続し、長い場合には数カ月続くこともある。

これらの症状が数カ月から数年の周期で出現するという経過を繰り返す。

筋肉痛と皮疹は場所が移動しうる。

鑑別についての詳しくは、医師に尋ねてください。

遺伝性疾患の可能性が高い、このような症状があると紹介するのが、今回の目的ですので。

現在のところ、TRAPSに対する治療はありません。

NSAIDsは発作時の症状を緩和するのに役立ちます。

大量ステロイド療法(ステロイドパルス)はしばしば有効だが、逆に深刻な不利益をもたらすこともあります。

特異的なTNF阻害剤は、発熱発作の初期の患者には有効なことがあることも知られています。

発熱を予防する方法がないので、治療は急性期の症状がある時だけです。

生涯を通じて不定期に反復するのがTRAPSの自然経過です。

最悪の転帰をとるのはごく少数の患者ですが、2次性のアミロイドーシスが危険因子となります。

この危険因子は、遺伝的な要因と環境因子の両方が関係しますので簡単には決めつけられません。

アミロイドーシスは深刻な合併症であり、しばしば腎不全に移行します。

現時点では、この合併症が避けられるものかどうかの判定は誰にもできません。 完全に治癒する可能性は否定されていません。

実際、遺伝子的なTNFRの構造変化は、全身の機能に異常を引き起こしません。

さらに、発熱を引き起こす強力な物質にさらされなくなると、寛解が得られるかもしれません。

治療としては、発作時に副腎皮質ステロイド剤を投与することが多いそうです。

ただし症状の程度 には幅があり、安静や非ステロイド性抗炎症剤(NSAID)のみでコントロールできる症例や、副腎皮質ステロイド剤に抵抗性の症例も存在すると言います。

難治性の場合には、抗TNF製剤(エタネルセプト)が有効な場合もあるそうです。

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働くの語源は西方にあり?英語VS日本語 その7

らくと言う言葉について、こう考えてみました。

らくとは、手伝うとか、協力や協働が、元の意味であったのではないか。

  手伝い、協力や協働しあうから、負担は軽くなって心身に苦痛などがなく、快く安らかになるし、一人では大変でもたやすいこと、簡単なことになるし、結果として 生計が豊かにもなる。

協力や協働は、分業や協業の結果、一人一人の労力は軽くなる。

 一人一人の労力の軽くなる分業や協業を行うことが、本来のらくであった。

ここで、想い起すのは、日本語はかつて二重母音だったことです。

具体的には、ワ行母音と言って良いでしょう。

旧仮名遣いは、今日のア行母音よりもワ行母音の方が発音しやすいのです。

となると、らくもまたワ行母音であったはずです。

発音してみると感じるのです。

英語のワークに、音が似てくるのです。

 ワークは働くと言う意味だから、音も意味も重なるわけですね。

R音は、巻き舌音として音はかすれて聞こえにくくなる傾向があります。

一方、L音は巻き舌音として音は濁って濁音になる傾向があります。

そうなると、頭のR音は欠落して、さらに音はワークに近づくことは容易に想像できます。

 はたらくの「はた」は周囲の意味とすれば、「らく」だけでワークの意味になる。

 じゃ、はためくは、どう解釈するかです。

はためくとは、こういう意味ですね。

布や紙などが風に吹かれてはたはたと動く。

揺れるように鳴り響く。響きわたる。とどろく。

鳥などが羽ばたきをする。

ひるがえる。

ようするに、はた、つまり周辺が激しく揺れ動いて激しく音を立てる様子を表すのが、はためくと解釈できるでしょう。

音を立てるとは、音が出る状態になることであり、音を発生させる主体になることと、言い換えて良いでしょう。

発生させる主体になるとは、メーカーになると考えることもできるはずです。

ならば、めくは英語のメークに当たると言えないでしょうか。

きらめくとは、輝きを作ること。

ひらめくとは、潜在的だったものを顕在化させて新たな考えを作ること。

 きらめくの「き」は、「木(き)」や息の「き」のように細く放射されるような、イメージ。

 ひらめくの「ひ」は、「火(ひ)」のようにひるがえっていくような、イメージ。

 そして、「ら」は包み込む表面のイメージ。

そう見ていくと、実は日本語の中には、もっと欧州の言語と語源を共有するするものがあるように思えてきます。

 これまでにも、日本語と英語との類似を何回か見てきましたね。

 はたも、案外、フロントと語源が近かったりして。

 フロントも、端っこのイメージがあるでしょ。

 最先端といえば、聞こえは良いけど。

R音とD音とT音は、巻き舌音を介して相互に転訛する可能性はあります。

考える余地はありそうですね。

 じゃ、きらはミラー、ひらはフィルムとか。

フィルムは細い糸の意味だけど、細い糸で作ったように薄い膜も指します。

 それじゃあ、はたらくも、はためくも、きらめくも、ひらめくも、英語になってしまう…。

でも「めく」がつく言葉は多いです。

 一度、形容語句を作る接尾辞として定着すれば、後は応用でいくらでも出来るでしょ。

そのことが、かえってこういう構図を見え難くしてるのでしょうね。

 派生したものと、そうでないものをごちゃまぜにして、全部説明できないとだめなんて考えるから、見えてこなかった。

そうかも知れません。

日本は、欧州の遺伝性疾患のアジアにおける飛び地でもあります。

 格助詞である「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのでしたね。

日本語の起源は、ラテン語だったと主張する『ラテン語と日本語の語源的関係 』(サンパウロ出版)のような書も出ています。

ここには、「こころ」「すめら」「さらば」など、日本古来の単語とラテン語の発音の共通性が、700以上列挙されています。

 アメリカのケネウィックから、イギリス人的であると同時にアイヌ的でもある古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃とともに出土してますね。

縄文人の顔を再現したらフランス人のそっくりさんがいる芸能人に、激しく似てました。

映画テルマエロメオでローマ人役を全員日本人で間に合わせたら、ローマっ子から違和感なしとの太鼓判が押されました。

東北弁がフランス語と勘違いされるCMが流され、今は亡きシャンソン歌手淡谷のり子はあまりにひどい東北訛りを逆手にとってシャンソン歌手になったと言います。

秋田美人の典型顔は、ミロのビーナスという指摘もあります。

 もっと、広い視野で日本語の起源は考えられて良いでしょう。

先入観は、捨てるべきでしょうね。

 ユダヤ人は白人的な顔だから日本に来てるわけがない、と言う人には日本人の白人顔のルーツはユダヤ人だと言いたいのかとの反論で、論破できますしね。

面白いのは、ロシア領に秋田美人としか言いようのない女性たちがいることです。

そして、バイカル湖畔こそ、日本人の起源という研究もあります。

 古代中東のYAP遺伝子が日本にあるが、中東はいまだに日本人のルーツ探しの視野にないようですね。

アカデミズムは、人類史上の通過点くらいにしか、中東を見てないようですね。

 遺伝子情報は、中東から西を指してるのですけどねえ。

家族性地中海熱とか、ですよね。

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クローン病は日本のどんな姿を浮かび上がらせる?

日本とアメリカやヨーロッパの繋がりは、アメリカのケネウィックで見つかったイギリスとアイヌの特徴を持った古代人骨が、フランスとスペインの様式の鏃を伴っていたことから、情報を集めていました。

 すると、家族性地中海熱という遺伝性疾患を持っている人から、こういう情報がありましたね。

 日本人である私と私の親族の遺伝子の中にセファルディ系ユダヤ人、北アフリカのアラブ人をはじめとする地中海沿岸部に暮らす民族と同じ劣性遺伝子が確実に存在している。

地中海沿岸と言う点では、フランスやスペインはまさしく面していますね。

似通った遺伝性疾患として、ヨーロッパ人、特にアイルランド人、スコットランド人に多い家族性アイルランド熱があり、日本にも発症例が報告されています。

 アイルランドやスコットランドといえばケルトの多い地域、ケネウィック人もケルトの多い地域出身のイギリス人との類似が指摘されていたでしょ。

ここで、ケネウィック人に見られたイギリスとフランスやスペインが、遺伝性疾患によって日本と繋がることが見えてきました。

日本とヨーロッパの遺伝性疾患から見える繋がりを見ていたら、高IgD症候群はドイツ、フランス、およびその他の北ヨーロッパ諸国に先祖をもつ小児に集中しており、オランダにも報告例があるようですね。

 ドイツについては、ストーンサークルから繋がりが見えそうな予感がしてきたでしょ。

日本には、ゲルマンの血が流れてると言う人もいるくらい、親近感を感じている人もいるようですね。

 ドイツ人と言っても、いろいろいるから、そうでもなかったと言う声も聞くことはありますけどね。

でも、ヨーロッパや地中海、アメリカなど、日本人のルーツとして興味深いにもかかわらず一般にあまり注目されてこなかった地域が多いでしょ。

日本とアメリカやヨーロッパの繋がりの強さを裏付ける可能性のある遺伝性疾患として、今回注目するのはクローン病です。

1932年に、ニューヨークのマウントサイナイ病院の内科医クローン先生らによって限局性回腸炎としてはじめて報告されました。

クローン病(Crohn's Disease)は、報告者クローン医師の名にちなんだ名前です。

クローン病は、炎症性腸疾患のひとつです。

略称をIBDと呼ぶことの多いD炎症性腸疾患(Inflammatory Bowel Disease)とは、大腸及び小腸の粘膜に慢性の炎症または潰瘍をひきおこす原因不明の疾患の総称です。

世界的にみると地域的には先進国に多く、北米やヨーロッパで高い発症率を示します。

食生活の欧米化によって患者数が増えているといわれ、食物中の物質や微生物が抗原となって異常反応を引き起こすことが、原因のひとつと考えられています。

環境因子、食生活が大きく影響し、動物性タンパク質や脂肪を多く摂取し、生活水準が高いほどクローン病にかかりやすいと考えられています。

喫煙をする人は、喫煙をしない人より発病しやすいと言われています。

とはいえ、クローン病を引き起こす原因と人種や地域によって発症する頻度が異なり、また家系内発症もみとめられることから、遺伝性であることは確かです。

最近の研究では、なんらかの遺伝子の異常を背景にもち、異物を処理する細胞やある種のリンパ球などの免疫を担当する細胞の異常反応が明らかになってきているといいます。

何らかの外来の抗原、つまり食事の成分、異物、病原体などの侵入とそれに対する免疫系の反応異常が想定されています。

 家系内発症も認められる以上、発症しやすい民族は絞れるかもしれないですね。

どの民族に発症しやすいか、気になるところです。

複数の遺伝性疾患が、日本と欧米の遺伝的近さを示しているので、クローン病もその一つに数え上げられるかもしれないのです。

欧米に多く、日本では比較的少ない疾患と見られてきたが、最近患者数が増えています。

現在のところ、単一の遺伝子異常だけで発症するのではなく、いくつかの遺伝子異常と環境因子などが複雑に絡み合って発症していると考えられています。

 アジアの各国と比べるのは、難しいでしょうか。

先進国に多いとなると、比べられる国は少ないのが現状ですね。

とはいえ、興味深いデータもあります。

韓国では、潰瘍性大腸炎についてみると、患者数・有病率共に日本より少ないとはいえ、二桁です。

ところが、クローン病は患者数・有病率共に日本よりはるかに少なく、一桁です。

 これは食生活の差か、遺伝子の差か、どちらでしょう。

様子を見る必要はあるが、日本の方が遺伝性疾患でみる限りでは欧米の飛び地の性格は強いので、遺伝子の差の可能性は考えてもいい気はします。

 世界的に発症が増えているとも言われるので、逆に言えば、その人の家系はどの民族の要素が強いかが、浮かび上がる展開も予想できますね。

 古代イスラエルの民は、世界に散ったでしょ。

 彼らとの血の繋がりの濃さの差が、発症しやすさの差に繋がっているなんてことは…。

可能性としては面白いけど、証拠をさらに集めていく必要はありますからねえ。

クローン病は20代に最も多く発症しているが、ほかの年代にもみられます。

口腔にはじまり肛門にいたるまでの消化管のどの部位にも炎症や潰瘍が起こりえるが、小腸の末端部が好発部位で、非連続性の病変が特徴です。

それらの病変により腹痛や下痢、血便、体重減少などが生じる病気です。

潰瘍とは粘膜が欠損すること、病変とは病変と病変の間に正常部分が存在することを、言います。

 クローン病とはどんな病気でしょうか。

小腸、大腸を中心とする消化管に炎症を起こし、びらん、つまり、ただれや潰瘍を生じる慢性の疾患です。

症状は、腹痛、下痢、下血、体重減少、発熱などです。

潰瘍性大腸炎と似ている点も多く、2つをまとめて炎症性腸疾患と呼びます。

症状としては、下痢、腹痛、発熱、体重減少、全身倦怠感(けんたいかん)がよくみられると言います。

血便はあまりはっきりしないこともあり、下痢や下血が軽度の場合、なかなか診断がつかないことがあるので医師の診断を訊いたが良いでしょう。

口腔粘膜にアフタ(有痛性小円形潰瘍)や小潰瘍がみられたり、痔、とくに痔瘻(じろう)や肛門周囲膿瘍(のうよう)といわれる難治性の肛門疾患を合併したりすることがあります。

また消化管以外の症状として、関節炎、結節性紅斑、壊疽性膿皮症(えそせいのうひしょう)など皮膚症状、虹彩炎、ぶどう膜炎など眼症状を合併することがあります。

潰瘍性大腸炎と異なるのは、炎症は口腔から肛門までの消化管全体に起こりえることといいます。

最も病変が生じやすいのは、回盲部(かいもうぶ)と呼ばれる小腸と大腸のつながるところの付近だそうです。

病変が小腸のみにある小腸型、大腸のみにある大腸型、両方にある小腸大腸型に分類されます。

クローン病の病変は、非連続性といわれ、正常粘膜のなかに潰瘍やびらんがとびとびにみられます。

また、 消化管の縦方向に沿ってできる細長い縦走(じゅうそう)潰瘍が特徴的です。

組織を顕微鏡で見ると、非乾酪性類上皮細胞肉芽腫(ひかんらくせいるいじょうひさいぼうにくげしゅ)といわれる特殊な構造がみられます。

大腸内視鏡検査、小腸造影検査、上部消化管内視鏡検査などを行い、このような病変が認められれば診断がつくそうです。

血液検査では炎症反応上昇や貧血、低栄養状態がみられます。

診断はまず、症状からクローン病を疑い、一般的な血液検査、糞便検査、さらに消化管X線造影検査、内視鏡検査をすることによってなされます。

その中でも消化管の病変を見つけだすのに注腸造影、小腸造影などのX線造影検査、大腸内視鏡検査といった消化管の検査が重要です。

クローン病の治療は、いまだ原因が不明であるために根本的な治療法がないのが現状です。

ただし、治療を受けている本人がクローン病を正しく理解し、治療を受ければ多くの場合は「寛解」状態になり、それを維持することが可能とのことです。

寛解とは永続的であるか一時的であるかを問わず、病気による症状が好転または、ほぼ消失し、臨床的にコントロールされた状態を指す言葉です。

一般的な意味で完治せずとも、臨床的に「問題ない程度」にまで状態がよくなる、あるいはその状態が続けば寛解したと見なすわけです。

その基本はあくまでも腸管に生じた炎症を抑えて症状を和らげ、かつ栄養状態を改善するために、急性期や増悪期には栄養療法と薬物療法を組み合わせた内科的治療が主体となります。

内科的には治療できない腸閉塞、穿孔、大量出血などが生じた場合は手術が行われます。

薬物療法として、サラゾピリン、ペンタサなどの5‐アミノサリチル酸製剤、副腎皮質ステロイドや6-MPやアザチオプリンなどの免疫調節薬が用いられます。

寛解を維持するために、5-アミノサリチル酸製剤や免疫調節薬が使われます。

最近では瘻孔合併などの難治の症状がある場合、抗TNFα受容体拮抗薬が比較的早期の段階で使用されるようになってきているそうです。

薬物治療以外では、血球成分除去療法が行われることもあります。

食べ物が原因のひとつとして考えられているため、栄養療法も重要で、最も重症の時には絶食と中心静脈栄養が必要です。

少しよくなってきたら、成分栄養剤(エレンタール)という脂肪や蛋白質を含まない流動食を開始します。

成分栄養剤は栄養状態改善のためにも有効です。

炎症が改善し普通食に近いものが食べられるようになっても、脂肪のとりすぎや食物繊維の多い食品は避けます。

栄養療法には、経腸栄養と完全中心静脈栄養があります。

経腸栄養療法は、抗原性を示さないアミノ酸を主体として脂肪をほとんど含まない成分栄養剤と少量のタンパク質と脂肪含量がやや多い消化態栄養剤やカゼイン、大豆タンパクなどを含む半消化態栄養剤があります。

完全中心静脈栄養は高度な狭窄がある場合、広範囲な小腸病変が存在する場合、経腸栄養療法を行えない場合などに用いられます。

病気の活動性や症状が落ち着いていれば、通常の食事が可能となるが、食事による病態の悪化を避けることが最も重要なことです。

一般的には低脂肪・低残渣の食事が奨められているが、一人一人の病変部位や消化吸収機能が異なっているため、主治医や栄養士と相談しながら自分にあった食品を見つけていくことが大事です。

症状が安定している時には、通常の社会生活が可能です。

腸に狭窄や腸管と腸管、腸管と皮膚などがつながって内容物がもれ出てしまう状態である瘻孔(ろうこう)を生じたり、腸閉塞、穿孔(せんこう)、膿瘍などを合併したりした場合、手術が必要となることがあります。

 内科的治療でコントロールできない場合には、手術が必要となるわけですね。

手術はできるだけ腸管を温存するために、小範囲切除や狭窄形成術が行われます。

インフリキシマブ(レミケード)は、抗TNF‐α抗体製剤といわれる薬剤で、高い活動性が続く場合や瘻孔を合併している場合にとくに有効だそうです。

アザチオプリン(イムラン)などの免疫調節薬も、使用することがあります。

長期にわたって慢性に経過する病気であり、治療を中断しないことが大切です。

近年、抗TNF-α抗体が開発され、その有効性が高いことが明らかにされて以来、クローン病の病態に基づく治療薬の開発が欧米を中心に精力的に進められているといいます。

特にクローン病ではTリンパ球がTh1型に傾き炎症反応を引き起こす物質が過剰に産生されていることから、これを是正するために、インターロイキン12やインターフェロンγなどの抗体の開発が始まっています。

また、抗TNF-α抗体も、抗体反応を起こさないことを期待して、完全ヒト型の抗体製剤アダリムマブ(ヒュミラ)が使用されるようになっています。

 どういう経過をたどるのですか。

再燃・再発を繰り返し慢性の経過をとります。

 再燃とは、どういう状態かと言うと。

一時的または長い期間引き続いて軽快または消失していた疾病が、再び悪化または出現してくることをさします。

再燃は完全には治っていなかったものが悪くなる場合をいい、再発はいったんは完全に治癒したものが悪化した場合をいいます。

現実には、再燃と再発は、必ずしも明確に分けられないことが多いようですね。

クローン病は、完全な治癒は困難であり、症状が安定している時期、つまり寛解をいかに長く維持するかが重要となります。

長い経過の間で手術をしなければならない場合も多く、手術率は発症後5年で33.3%、10年で70.8%と報告されています。

また、定期的に検査を受けることも必要となります

厚生労働省の特定疾患に指定されており、申請すると医療費の補助が受けられます。

 クローン病何て言うから、クローン生物の方を連想していました。

人命由来の病名には、そういうわかり難さが付きまとうのが難点ですね。

 原因が突きとめられたら、もっと分かり易い名前に変わるでしょうけど。

何時の事ですかね。

 でも、背後に何らかの民族名は浮かび上がるかもしれないのでしょ。

他の遺伝性疾患同様、なんらかの民族名は浮かび上がるでしょうね。

このクローン病については、中国語で庫隆氏症(クーロンスーヂェン)と言う名前が付くように、まだまだ、国境を越えて広がる様相を見せているので、注意と注目は必要と感じていますが…。

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再び古代日本語と古代英語の差を想ってみた。英語VS日本語 その6

日本とイギリス、ともにユーラシア大陸の外れの島国であるが、類似はそれだけにとどまらないのです。

 武士道と騎士道、緑茶と紅茶、妖怪と妖精、さらには、イギリスにもケルトの時代から続く陰陽に似た文化があるのでしたね。

政治的にも、立憲君主制を採用したことまで似ているでしょ。

面白いことに、日本に日ユ同祖論があるように、イギリスにもブリティッシュイスラエルを言う人たちがいますね。

 アメリカからも、ケネウィックから興味深い古代人骨が出ていましたね。

ケルトが多い地域のイギリス男性によく似ていたけど、実はアイヌの親戚筋だったことがわかりましたね。

 伴っていた矢じりは、フランスやスペインの様式だったけど。

幕末のころ日本に来た西洋人からは、ブリティッシュ的な顔の人を見たと言う声も上がってましたね。

 単語にも、日本語と英語には、偶然というには似ているものが多く見つかりますね。

ただ、文法だけが、どうしても壁になっていました。

でも、日本の古文、特に時代を遡った文章になればなるほど、文法の差が縮まって見えます。

例えば、古文における格助詞の使い方で、現代日本語と一番明らかに違う用法としては、格助詞の省略が指摘できます。

有名なところで、枕草子を例に挙げましょう。

 春はあけぼの。

 やうやう白くなりゆく山際(ぎは)、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

 夏は夜。

 月の頃はさらなり。

 闇もなほ、蛍のおほく飛びちがひたる。

 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。

 雨など降るもをかし。

 秋は夕暮れ。

 夕日のさして山の端(は)いと近うなりたるに、烏の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、

 二つ三つなど飛び急ぐさへあはれなり。

 まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。

 日入り果てて、風の音(おと)、虫の音(ね)など、はた言ふべきにあらず。

 冬はつとめて。

 雪の降りたるは言ふべきにもあらず、

 霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、

 火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。

 昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶(ひをけ)の火も、白い灰がちになりてわろし。

文法の差ももちろんだけれど、発音も差があります。

 平唇音より、丸唇音の方が、言い易いですね。

ア行母音よりワ行母音の方が言い易いでしょ。

 英語も丸唇を基本にした方が、イントネーションを表現し易かったですね。

英語にはシラブルがありますからね。

 古文も、シラブルとまではいわないけど、どこか似てますね。

「てにをは」は、日本語における格助詞4つです。

活用語尾とかは、関係ないです。

外国語には見られない日本語特有のもので、日本語の基礎です。

今では「が」も格助詞扱いされてはいます。

ところが、古文では、「てにをは」は時代を遡るほど省略されるのです。

 その理由の一つが、ワ行母音、つまり、丸唇音ですか。

言い換えれば、「てにをは」を省けるということは、日本語最大の特徴が古文、特に太古の古文にはないと言うことなのです。

 つまり、日本語と英語の間の決定的な壁が、消えてしまう。

そうなりますね。

英語の 来る は come でしょ。

日本でも古代は 来(こ)む ですよ。

また、英語の 行く は go でしょ。

日本でも古代は 行(い)かむ ですよ。

ただし、丸唇音だから実際の発音は 行(い)こむ に近かったはずで、さらに巻き舌音でK音は聞きようによってはG音にも思えたでしょうね。

 行(い)かむ は 行(い)がむ とか 行(い)ぐ 、もっと昔にはさらに go に近い発音だったかも知れない。

可能性はあり得るでしょ。

古代日本語では、私は わ、あなたは な、第三者は か、でしょ。

英語では、、私は I、あなたは you、第三者は he とか she、でしょ。

h音は容易にk音に、逆に、k音は容易にh音に、転訛しますよ。

 そうやって見ていくと、古代の日本語と英語の境はあいまいに成って行く。

 転訛の後を、実証的に辿れたら、面白いことになるでしょうね。

実は以前、日本語と英語は転訛で繋がるという説を展開した本が、出ていたことがあったのです。  

もう二十年か三十年も前のことです。

 国会図書館なら、あるかも知れない。

膨大だから、簡単に見つかるかどうか。

転訛の理論とか、そういう副題がついていた記憶はありますが。

 可能性を頭ごなしに否定しないで、誰か検証してくれないかしら。

私の手には、負いかねます。

 あなたにやって何て、言ってません。

言われてしまいました。

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古代日本語と古代英語の差は大きかったのか。英語VS日本語 その5

日本語と英語を比べていて、ふと思ったのです。

be動詞やdo動詞は、どうなのだろうとです。

am are is などと変化するけど、これらはみなbe動詞とよばれるのです。

 言い換えれば、be の変化形と言うことでしょうか。

もしそうなら、be が いる とか ある に転訛することはあり得るかと、考えることになるでしょうね。

be は意外と丸唇的発音で、平唇化すると いる に容易に転訛するのです。

そして ある も丸唇から平唇への中間の口の形で、 be から容易に転訛するのです。

「てにをは」は、日本語における格助詞4つです。

活用語尾とかは、関係ないです。

外国語には見られない日本語特有のもので、日本語の基礎です。

今では「が」も格助詞扱いされているのです。

ところが、古文では、「てにをは」は時代を遡るほど省略されるのです。

 古代の日本語は、英語との間の敷居が想像以上に低かった。

そうなると、気になるのはdo動詞ですよ。

 d は t の巻き舌音化によって濁音化したと、見て良いでしょうか。

t と s は容易に相互に転訛することは、良く知られているのです。

ここに巻き舌音が加われば、r音も簡単にくっつくのです。

 そうなると、do から する への転訛や、その反対も簡単に起きるのね。

古代日本語では、私は わ、あなたは な、第三者は か、です。

英語では、、私は I、あなたは you、第三者は he とか she、ですよ。

h音は容易にk音に、逆に、k音は容易にh音に、転訛するのですから。

わ は I に、な は you に、か は he とか sh に、容易にしてしまうとは、思えないかです。

過去の時代には、この反対の事が、おそらく起きていたことでしょうね。

 古代日本語は、今以上に丸唇音で発音していたから、大いにあり得ると…。

私の手元に、king James version の聖書があるのです。

綴りが今の英語とは多少違うので、読むのにいくらか難儀してるのです。

そこで感じるのは、king James version の時代の英語は、今以上に丸唇音化していたのではないかと、いうことです。

 古代、日本語も英語も、今以上に今以上に丸唇音化していた。

現代の私たちが思っているよりはるかに、日本語と英語の間の境目はあいまいだった時代があったことは、十分に想像できるのです。

ただし、その段階は日本人の祖先が大陸にいる間に、過ぎてしまったでしょうね。

 ここに、アメリカのケネウィックで見つかった、イギリス人を連想できるアイヌの親戚の骨を重ね合わせると、面白いね。

伴っていた矢じりは、フランスとスペインの様式ですけどね。

 幕末の日本を訪れた西洋人は、ブリティッシュ的な顔の日本人がいると証言していたし。

縄文人は、アジアよりむしろ、古代のアメリカや地中海周辺地域との繋がりを考えた方が良いように見えるのですからね。

日本人にも、西洋人と同じ遺伝子病が発症する事を思えば、もっと、日本人のルーツ探しの目を広く世界に向ける方が良いでしょうね。

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