アメリカ

アメリカの民主党と共和党をどう見る。



アメリカの民主党に幻想を持たない方が良いでしょうね。

南北戦争では奴隷主の党であったが、敗北によって支持基盤が弱体化したので新たな基盤を有色人種や労働者に乗り換えただけだからですよ。

支持基盤が有色人種や労働者になってはいるが、ヨーロッパの社民とは似て非なる党なのですよ。

一方のアメリカの共和党も、奴隷として雇用市場で流動性がない労働力を自由に使える労働力にしたいから南北戦争を仕掛けたので奴隷解放を掲げたから進歩的に見えるだけなのですよ。

ブルジョワジー主体の体質に取り残された層の反乱が、トランプ旋風なのですよ。

侮らない方が良いでしょうね。

共和党のトランプ旋風に近いのが、民主党のバーニーサンダースの一派です。

なんでバーニーサンダースは民主党でトランプ旋風のようにならないかと言えば、民主党支持層の中では急進左派で少数派だからなのです。

民主党の多数派は緩やかな変化を望む中間派なので、ある意味共和党にも親和性がある層だからです。

もし民主党がバーニーサンダースの一派から大統領候補を出せば、アメリカの政治に地殻変動が起こるかも知れません。

既得権益の勢力が、黙っていない可能性を見た方が良いでしょうね。

ケネディの二の舞もあり得るか、懸念はしています。

共和党の基本的な基盤はブルジョワジーだが、圧倒的多数は労働者層です。

トランプ旋風はブルジョワジー主体の共和党に取り残された層の反乱だから、かなりの範囲で広がっているでしょうね。

トランプ旋風が共和党を乗っ取る勢いがあるのは、そのためでしょうね。

私がトランプ旋風に危惧するのはアメリカ第一を優先し排他的になり、引きこもりになりかねないことなのです。

国際政治のいきなりの空白化は、混乱のもとになるからです。

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熊野の海洋民族も沖縄の民もどこから来た。

熊野の地にいた海洋民族は、故地を海のかなたと見ていたと言う。
その方向は東方であり沖縄でも故地を東方としていることを思えば、熊野の海洋民族も沖縄の民も同じ方向に故地を見ていることにことになる。
そこにあるのは、アメリカ大陸だ。
熊野の海洋民族も沖縄の民も、アメリカ大陸から来たのだろうか。
だが、羽衣伝説はアジアにもあり熊野などの海洋民族はアジアから来たのではと言う説もある。
アメリカ大陸で、羽衣伝説はあるのだろうか。
やはり、沖縄と熊野はルーツの地は違うのか。
謎が多い。
それでいて、沖縄とウタキと呼ばれる祭祀場の文化を共有している。
海沿いに沖縄から来たとしたら、熊野などの海洋民族も沖縄の民もルーツは同じ可能性を見ていいとなる。
羽衣伝説はフランスやカナダや南米のガイアナにもあり、羽衣伝説を共有しているからとアジアばかりにこだわると本来の姿の姿を見失う。
やはり、最初の直感である熊野などの海洋民族と沖縄の民の共通のルーツをアメリカ大陸に見ると言う見方を追求してみるか。

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粘り強く対話するのが平和への一番の近道だ。

アセアンとヨーロッパの差は、地域の大国と周辺諸国との歴史的な関係の違いがありそうだ。
アジアでは古代から地域の大国である中国と周辺諸国は華夷秩序が作られていたが、ヨーロッパでのロシアは祖国防衛の戦いを通じて大国になったので常に周辺諸国とは緊張関係があったのではないか。

中国の文化や文明は交流の中で育まれ、一定の基準ができたら今度は継承と発展の段階をたどっている。

それは王朝が交代しても続いているが、支配の正当性を主張する手段としてつかわれるからだ。

中原の文化的な優越が、やがて周辺諸国との華夷秩序となっている。

それに対して、ロシアの大国への道は覇権のためと言うよりは防衛線を少しでも遠方に設定することが目的になっている。

周辺諸国との距離を取ることが、安心と安全の確保につながるからだ。

それで、確保した地域の離反には常に警戒をすることになる。

何としてでも、獲得した地域は領土にとどめておきたいのだ。

その結果、これらの地域の動きには神経質にならざるを得ない。

ロシアが常に周辺諸国を軍事行動で威嚇や牽制をするのは、周辺諸国との信頼関係がちゃんと作られてこなかったからだ。
まずは、アセアンを見習って対話の習慣つくりを粘り強く進めるしかないのではないか。

相互の理解には時間がかかるのだから、まずは対話の習慣を根付かせる取り組みを粘り強く続けるしかない。
それには、敵意のないことを態度で示すしかない。
だから、握手やハグなどの挨拶のやり方が生まれたのだ。

まずは、周辺諸国の側からロシアとの信頼関係を築く根気強いアプローチが必要なのだ。

手始めに、ロシアの言い分にじっくりと耳を傾けるところから始めるしかない。

辛抱強く、ひたすら聞くのだ。

どうすればいいのか、ロシアが自分で気が付くまでね。

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日本の家族性アイルランド熱の謎。

日本にはTNF受容体関連周期性症候群(TRAPS)の家族性アイルランド熱の発症例があるんだけど、何か関係あるのだろうか。

考古学的な調査によれば、ストーンヘンジが建設されたのは紀元前2500年から前2000年頃であることが判明している。

先史時代の日本(縄文時代)とイギリスには、「ストーンサークル(環状列石)」を作るという不思議な共通点があるという。

日本は縄文時代だったストーンヘンジが作られたとされる約5000年前、実は私たちの国にも同時期に作られたストーンサークルが存在する。

例えば、秋田県にある「大湯環状列石」や「伊勢堂岱遺跡」だ。

天文に関連するストーンサークルや、死者の遺骨を納めるストーンサークルなど、数千年前のイギリス人と日本人は不思議なほどに似たものを作っているのだ。

もちろん、当時の人たちがお互いに交流したことはないはずだ。

にもかかわらずこの2つの文化はただ島国で暮らしていたという以上に、イデオロギーが似ているのだそうだ。

何千キロも離れているにもかかわらず日本の縄文土器や土偶などの品々が、イギリスと日本のコミュニティ間の類似性についておそらく想像以上にイデオロギー的に近かったと私たちに教えてくれるのは興味をそそられる。

ここで気になるのは、アメリカのケネウィックで見つかっている石器人の骨だ。

顔はケルト人の多い地域のイギリス人に似ているがアイヌの親せきで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さっていたという。

フランスとスペインの様式の矢じりと言うなら、アメリカ大陸とヨーロッパとの間で交流があったとみていい。

近年の研究で、最古のアメリカ大陸先住民は日本人である可能性が高まっている。

縄文文化の環太平洋的な広がりも、確認されつつある。

まさかとは思うけれど、縄文人と古代のイギリス人はどこかで接点があるのだろうか。

彼らが、日本人に家族性アイルランド熱の遺伝子を持ち込んだというのか。

日本人にはそれ以外にも、ヨーロッパと共通している遺伝子由来の病気がある。

イデオロギーの意外なほどの類似も指摘されるとなると、ここには一体何があるのか。

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お互いを知ろうとする忍耐と寛容のいる取り組みを馬鹿にして平和が作れるわけがないと気が付く方が良い。

東南アジア諸国は軍事ブロックを解消したばかりか中国も含む対話の枠組みを作りそれなりに維持しているのに対し、ヨーロッパ諸国は軍事ブロックを残しロシアも含む対話の枠組みを作りながら形骸化させてしまったのはなぜだろうか。
考えてみたい。
面白いのは東アジアでは古代に政治的にも経済的にも中華文化圏があったが、ヨーロッパではスラブ文化圏という形はあったが政治的や経済的なロシア文化圏は古代から現代まで一度もなくロシア大国主義との距離を模索する歴史ばかりだったように見える事だ。
そしてスラブ文化圏は、ほぼ東欧圏と重なる。
ロシア大国主義の厄介なところは、ロシア民族はスラブの民族の一部である事、ある意味政治的に切り取られた国土の産物という側面がある事だろう。
ロシア民族とは、輪郭線が非常に曖昧な民族と言える。
そのために周辺諸国と軋轢を生みやすいともいえるが、だから絶え間ない対話でガス抜きがいる。
ロシアとヨーロッパの平和は、絶え間ない相互理解のための対話でしか確保できない。
聞きたい事があれば間髪入れないで質問出来る関係は、絶え間ない対話の場があってこそ可能だ。
軍事的な意図が無いならば、平和的で開放的な施設や設備であると相互の交流を受け入れて示さなければならない。
ロシアから見れば、アメリカとの軍事同盟であるNATOと事実上一体に感じられるEUの拡大は、アメリカの銃が目の前に突き付けられたのと大差ないのだ。
平和を望むなら、ヨーロッパとロシアは対話の場を一切の条件抜きで作るしかない。
誤解を解くための、終わりなき対話の継続だけが平和を作る。
信頼して欲しいなら、疑いを晴らすための努力を惜しまない事しかない。
納得できると言うのは相手の判断であり、自分ではない。
説明は、あなたが信頼できるとわかった疑って悪かったと相手が言うまでやめてはならない。
平和とは、忍耐と寛容の産物なのだ。
一方戦争は、不信と不寛容の産物だ。
そもそも、人と人は過去の歴史も経験も違う以上完全に分かり合えるなんて幻想に過ぎない。
忍耐と寛容で相互の信頼を築き合った関係の中でこそ、平和的な関係は作れる。
国と国も、基本は同じだ。
背景となる歴史も文化も言語も違うから、相互の理解がより難しくなっているだけなのだ。

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猫は侮れません。

今回は、ちょっと寄り道です。
興味のある方だけ、どうぞ。
欧米で猫をイエスのメタファーと見る文化があるのを、ご存知でしょうか。
Jesus cat で検索すると結構色々出てきます。
メタファーとは、あるものの性質を丸ごと使って例える事です。
古代エジプトで猫は、様々な形で最高神とされた太陽神ラーと結び付けられました。
聖書の神エロヒムのヘブライ語の綴りはアラーとも読めますが、コーランではアラーは唯一神とされます。
これ、偶然でしょうか。
ちなみにイスラム圏で猫は大事にされるが、ムハンマドが大のネコ好きだっだからだそうです。
それはさておき、聖書での犬に関する記述は芳しくないものが多いのにお気付きでしょうか。
イエスのメタファーが猫なら、御父は親猫って事になりませんか。
そう思って読むと、なるほどねと妙に頷きそうになります。
口語訳聖書を使っている皆さんは知らないでしょうけど、聖書協会から出ている共同訳や新共同訳には旧約聖書続編として「エレミヤの手紙」が収録されています。
その中で猫は、「猫さえ」「猫まで」と記されます。
事態の及ぶ範囲がある限界にまで達することを表すのが、「さえ」や「まで」です。
偶像崇拝の場に様々な動物が登場しますが、その最高位として猫が現れるのです。
旧約聖書続編扱いという事は、この文章の時点ではイエスはまだ明かされていないでしょうから「神の言葉としての」つまり預言者としてのイエスのメタファーとなるでしょう。
もちろん、このイエスの代理に成りすました猫は偽預言者となるでしょうが最高位の預言者の成りすましである点に注目です。
黙示録には獣とありますが、その獣はイエスに匹敵する大預言者に成りすましたとんでもない輩です。
エレミヤの手紙に出てくる獣は皆、メタファーです。
黙示録の偶像崇拝の場面は、ひょっとしたらこんな光景なんでしょうか。
お暇な方や、興味のある方は、図書館やネットで「エレミヤの手紙」読んでみてください。
短いので、すぐ読めます。

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投票権行使しないのは権利喪失の危険を招く愚かな選択。

歴史から教訓を学ぶも学ばないも、その人の勝手だがその結果はその人の責任です。

権利行使をめぐる争いの原体験は、子どもの頃のおもちゃの奪い合いにあります。

奪い合いに参加しなかった子には、いつまでたっても使う順番は回ってこないのです。

そのおもちゃで遊びたかったなら、奪い合いに参加することです。

後で遊ぼうと思っても、時間が来て片付けられたら後の祭りです。

「憲法」とは、「constitution」の訳語です。

「constitution」には、構成、組織、構造、体質、体格、気質、性質、憲法、政体、国体などの意味はあるが、自民党が言う理想と言う意味はないのです。

「憲法」とは、その国のあり方についての国民が交し合った契約と言うのが近代法による理解です。

従って、「憲法」の制定や改定の発議の権限は国民にあり権力の側にはないのです。

「憲法」とは、その国のあり方を定めた契約なので権力はその契約に従って行使されるものでなければならないからです。

投票とは、その契約の行使を誰に委ねるかの意思表示であり棄権や白紙投票は私は多数派の決定に従うと言う意思表示と見なされます。

つまり発言権の行使の放棄とみなされる、という事です。

アメリカ合衆国では有権者登録が選挙の度にあるが、投票権行使の意思表示でもあります。

日本のように一定年齢に達した国民に投票券が送られる国家では、投票権行使を国が保障していると見なせるのです。

棄権や白紙投票は、権利行使の放棄なのです。

投票権行使するもしないもその人の自由だが、もったいないのです。

権利行使をしないと言う選択は、権利放棄の選択と紙一重なのです。

使われない権利はやがて空文化し、廃止の対象にされる可能性が出てくるのです。

そうなってから文句を言っても、手遅れな場合さえあるのです。

大政翼賛会はある意味選択の自由と権利のはく奪であったが、文句を言う人達への弾圧容認の帰結と言えます。

自由と権利の獲得と拡充は、諸国民の命懸けの戦いの成果だからです。

日本国民は弾圧を恐れ、自由と権利の獲得と拡充のための命懸けの戦いを放棄したのです。

戦前戦中の自由と権利の喪失は、国民の選択の当然の帰結と言えるでしょう。

それが嫌なら、投票権行使しましょう。

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声を大にして言いたい!塩とミネラルをもっと見直した方が良い!

2020年から世界は、SARS-CoV-2(新型コロナウイルス)に感染して発症するCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)の対策で大変な事態になっています。

無症状感染者からの感染も指摘され、PCR検査の拡充も課題となりました。

薬やワクチンの開発も、求められました。

人間の世界では薬やワクチンなどがあるのですが、野生動物の世界にはもちろんありません。

でも、野生動物だって治癒力や免疫力を維持したり高めたりしないわけにはいきません。

薬草になる植物は、どこにでもあるものではありません。

それにネコ科の肉食動物は、腸を整えるために草を食べることもあるけど基本的には肉が主食です。

ネコも人と暮らしていると、パンやご飯やパスタやトウモロコシや海苔なども食べるようにはなりますけどね。

自然環境では、肉食動物は植物由来の栄養の大半を草食動物経由で摂るのが普通です。

薬草はどこにでもあるわけではないとなると、動物は草食だろうが肉食だろうが食事で薬になる成分を口にするのは至難の業です。

では、どうすればいいのでしょうか。

動物が共通して口にしているのは、空気と水と塩とミネラルなのです。

塩とミネラルは、それが豊富にある土から摂ります。

昔から家畜と共に生きる人たちは、塩の摂取が少ない家畜の腸と皮は破れやすくて使い物にならないと知っていました。

塩とミネラルの効果はてきめんで、荒れている皮や腸も少量摂るだけで短時間で整うのです。

おそらく塩とミネラルで細胞のレベルから、調子が整うのでしょう。

治癒能力を速やかに体から引き出すだけではなく、免疫力も高めるのかもしれません。

免疫力を担っているのも、細胞だからです。

塩とミネラルで気になる情報が、2018年2月10日放送の「世界ふしぎ発見!」でありました。

『チョコレート 世界をHAPPYにするあま~い魔法』がタイトルの回で、主役はチョコレートです。

私が驚いたのは、長寿で生活習慣病知らずのパナマのクナ族です。

クナ族の方たちは、ガン、高血圧、認知症の患者がほとんどなく、また脳卒中、心臓病、糖尿病などにかかる人も極めて低く、尚且つ長寿であることで注目されています。かつてそれは遺伝的なことだと考えられていましたが、近年それはカカオの影響ではないかと言われているのです。バックナンバー|TBSテレビ:日立 世界ふしぎ発見!

この番組では、カカオばかりに注目していました。

無理もありません。

何しろカカオは、腸内をきれいにし便通を改善して肥満防止や大腸がん予防に役立つ食物繊維、活性酸素を除去する抗酸化作用で知られるポリフェノールが豊富なばかりか、カカオのポリフェノールは特にコレステロールの酸化を防いで動脈硬化などの生活習慣病の予防に効果的な上に癌の予防効果やストレスへの抵抗力を高める効果まで注目されているのです。

さらにカカオには、大脳を刺激して集中力や記憶力そして思考力を高めて気力をUPさせるばかりか自律神経を調節する作用もあるテオブロミン、脳にとって最も効率の良い栄養であり脳の神経伝達物質アセチルコリン生成の手助けするブドウ糖、ビタミンEやナイアシンなどのビタミン類や、カルシウム、マグネシウム、亜鉛、リンなどのミネラルも含まれていて特にカルシウムとマグネシウムのバランスが良いのが注目なのです。

なので、この番組ではカカオ大絶賛です。

一方で塩と言えば、体に必要とされながらも取り過ぎに注意しましょうとされ、最近あまり良いイメージがありません。

この番組では、完璧にカカオの引き立て役扱いです。

でも、私は言いたいのです。

結構だらけに見えるチョコレートなのに、大好きな国にも病院はありますよね。

ところがこのパナマのクナ族と来たら、医者に行くのは健康診断の時だけなのです。

健康であることを確認するだけのために医者に行く人々って、すごくありませんか。

パナマのクナ族、摂っている塩の分量は半端じゃないのです。

それでもなお健康なのは、カカオにバランス良く含まれているミネラルのおかげでしょう。

毎日チョコレートドリンクを1リットルも飲めば、どっさりの塩と釣り合うだけのミネラルが摂取出来ているのではないでしょうか。

再度言いますよ。

野生動物には、病院はありません。

その野生動物の健康維持に貢献しているのは、塩とミネラル以外にありますか。

パナマのクナ族の健康に対するカカオの貢献は、確かに大きいでしょう。

でも、陰の主役は塩とミネラルなのではないでしょうか。

新型コロナウイルスで大変な今、パナマのクナ族は要注目な人達です。

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アメリカ合衆国と社会政策と社会主義と聖書と…。

申命記 15章
7 あなたの神、主が賜わる地で、もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。
8 必ず彼に手を開いて、その必要とする物を貸し与え、乏しいのを補わなければならない。
アメリカは合衆国大統領が就任の宣誓の際に、聖書の上に手を置いて誓うはずですよね。
ならば、あれこれと屁理屈をこねて自分達の地域や合衆国にいる貧しい人々に無条件で手を広げようとしない人はいても少数派じゃないと、おかしくないでしょうか。
ところが実際には、あれこれと理由を並べ立ててそれを拒む人、アメリカ合衆国に多くないでしょうか。
聖書の神は、「もしあなたの兄弟で貧しい者がひとりでも、町の内におるならば、その貧しい兄弟にむかって、心をかたくなにしてはならない。また手を閉じてはならない。」と人々に諭しています。

彼らにとってアメリカ合衆国とは、「あなたの神、主が賜わる地」じゃなくて私や私の先祖が選んだ土地だからでしょうか。
自分達の今生きているのは自分達の努力の結果であってそれ以外の何物でもない、だから神は関係ないというのでしょうか。
考えたくはないけれどもしそうならば、アメリカ合衆国の人々の多くはこの聖句を思い出した方が良いでしょう。
イザヤ書 29章
13 主は言われた、「この民は口をもってわたしに近づき、くちびるをもってわたしを敬うけれども、その心はわたしから遠く離れ、彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、そらで覚えた人の戒めによるのである。
14 それゆえ、見よ、わたしはこの民に、再び驚くべきわざを行う、それは不思議な驚くべきわざである。彼らのうちの賢い人の知恵は滅び、さとい人の知識は隠される」。
アメリカ合衆国でクリスチャンと名乗る人の多くは、日曜日に教会で聞く聖職者の説教で聖書を学んだ気になっているのでしょう。
様々な出自の人々が共有している数少ない共通点の一つがクリスチャンであることだとすれば、自分達の通っている教会で聞く聖職者の話に少しでも疑問を持つならば、たちまち拠り所となるコミュニティを失いかねないからなのでしょうか。
ここで疑問がわきます。
この教義は聖書の教えの中でも、極めて基本的で大切なものではないでしょうか。
それなのに彼らが拒否反応を示すなら、何かわけがあるはずです。
この教えの実践は、まさに社会政策そのものです。
そして彼らの故郷の地で社会政策は、特権階級の保身としておこなれた性格が強いのです。
彼らは特権階級無き社会を求めて新天地に渡った人達の子孫だとすれば、社会政策の必要性を認める事はすなわち特権階級の存在を前提とした社会に自分達はいると認める事になりはしないかという感情があるのかもしれません。
そして近代民主主義社会で社会政策の充実を誰よりも求めて行動する人々は、社会主義者だったのです。
彼らは特権階級のアメリカ合衆国での存在を否定したいあまり、特権階級の存在を思い起こさせる社会政策に生理的に拒否反応を示すのでしょうか。
若い世代はそのような過去のトラウマより今の自分たちの置かれた状況を解決する方が先なので、社会政策の実行が社会主義なら社会主義は素晴らしいではないかと思うようになったのでしょう。
今後の展開に要注目ですね。

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一筋縄ではいかぬアメリカの共和党と民主党。

日本人はアメリカの共和党や民主党を日本やヨーロッパの政党と似たようなもんだと思っているが、それではこれらの党の本質を見失うのです。

アメリカの二大政党である共和党にも民主党にも、党首はいないのです。

党首がいないという事は、党の路線について激論を交わす党大会も党首選挙も無いという事でもあるのです。

極端な話、アメリカの共和党も民主党も、大統領選挙などの選挙を戦うための互助会的な寄り合い所帯と見たらまず間違えないです。

共和党は主に保守派で民主党は主にリベラル派になっているが、それぞれの党が辿ってきたいきさつの結果に過ぎないのです。

共和党は北部で民主党は南部で強いが、背景にアメリカを二分した南北戦争があるです。

アメリカの統一を守るために大統領の周りに結集した共和党、南部の独自性を守るために結集した民主党。

共和党と民主党に党首がいないのは、この成立の過程とその後の歴史に原因があるのです。

アメリカの南北戦争は奴隷制が争点のように見えるが、実際はアメリカを資本主義一色で染めるか否かの戦いです。

南部は奴隷制があったために、奴隷解放の旗印で切り崩されて敗北したとも言えるのです。

戦況では南部が優先だったが、北部は奴隷解放の旗印を掲げて劣勢を挽回し勝利したのです。

共和党と民主党の戦いは、資本主義とそれに対する批判勢力の戦いと言う側面が強いように見えます。

しかし一方で、それぞれ進歩的工場ブルジョアジーと保守的農村地主層の戦いの中で生まれた党と言う歴史的ルーツもあるのです。

一筋縄ではいかないのが、アメリカの二大政党なのです。

追記

この記事は、アメリカの共和党と民主党になぜ党首選挙が無いのだろう。 の続編でもあります。

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