なんで古代日本にペルシャ人? ――さまよえる古代仏教徒の引っ越し大作戦!?
え? 古代日本にペルシャ人?
しかも仏教徒?
この話、最初に聞いたときは、正直言ってかなり違和感がありました。
古代ペルシャといえば、拝火教やゾロアスター教のイメージ。
そして今はイスラム文化圏。
それなのに、古代ペルシャから仏教徒が来たと言われても…。
距離が遠すぎる。
時代が早すぎる。
常識的に考えて無理がある。
でも、調べていくと、完全には否定しきれない「痕跡」が、あちこちに残っている。
正倉院に収められたガラス器。
明らかに東アジア製ではない文様。
西域風の顔立ちをした人物像。
出自のよく分からない渡来系の僧や技術者たち。
「シルクロード経由で伝わった」で片づけるには、どこか生々しすぎる。
そもそも、ここで一度立ち止まりたくなる。
当時の移動は、観光でも留学でもない。
ほぼ命がけだ。途中で死ぬ確率の方が高い。
それでも来た。
では、なぜ来たのか。
鍵になるのは、「布教」でも「交易」でもなく、
居場所を探す移動だったのではないか、という視点だ。
仏教はインドで生まれ、
中央アジアを経て中東にも広がった。
しかしその後、ゾロアスター教、キリスト教、イスラム教が台頭し、
仏教は次第に居場所を失っていく。
宗教史を冷静に見ると、
勝った宗教は定住し、
負けた宗教は移動する。
迫害され、押し出され、
それでも教えを捨てきれなかった人たちは、
より「遠く」「干渉の少ない」場所を目指す。
そこで、地図の端に引っかかるのが日本だったのではないか。
当時の日本は、文明的に未成熟だったが、
同時に、異様に懐が深い社会だった。
信仰を一つに決めろとは言わない。
出自を細かく詮索しない。
大事なのは、「何ができるか」。
文字を知っている。
医療を知っている。
天文や暦を知っている。
建築や金属加工の技術がある。
宗教は、その人が持ってきた「荷物の一つ」にすぎない。
こういう社会は、
居場所を失った人たちの目には、
チャンスに見えただろう。
では、日本の風土はどうだったのか。
中東の自然は厳しい。
乾燥し、水は貴重で、
生き延びるために共同体の規律は強くなる。
戒律は、人を縛るためではなく、
生き残るための装置だった。
一方、日本の自然はどうか。
災害は多いが、
水はあり、森は深く、
食べ物は比較的手に入る。
自然は優しいが、気まぐれだ。
だから日本の社会は、
厳密なルールよりも、
その場の融通と空気で回る。
同じ「人に優しい社会」でも、
中東は厳しさで守り、
日本は受け入れで守る。
この違いは、
逃れてきた人たちには、
救いに見えたかもしれない。
近年、人類史の研究は、
古代人の行動範囲を、私たちの想像以上に広く描き直している。
縄文人は、鬼界カルデラ噴火という壊滅的危機を経験し、
太平洋沿岸に広く展開した可能性がある。
貝輪一つを得るために、
命がけで海を渡った人たちがいた。
「女性を喜ばせるためなら危険を冒す」
そんな動機すら、人を遠くへ運ぶ。
となれば、
信仰と居場所を守るために、
地の果てを目指した人たちがいても、
不思議ではない。
もしかすると日本は、
古代世界の中で、
最後まで開いていた「逃げ場」だったのかもしれない。
古代中東の精神文化の、
完全なコピーではないが、
どこか響き合う感覚が残っている理由。
それは、
わざわざ遠回りして辿り着いた人たちの、
静かな痕跡なのかもしれない。
――さまよえる古代仏教徒の引っ越し大作戦。
荒唐無稽に見えて、
案外、人間らしい話ではないだろうか。
でも、シルクロードって一体いつからあって、どうできて、なにがあったのか、かえって気になることが増えました。
でも、今のところは、このあたりにしておきましょう。


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