ロシア

余計なお世話、有難迷惑なスパイ防止法。余計な屋上屋になる危険性を考える

余計なお世話、有難迷惑なスパイ防止法――そんな言葉が頭をよぎります。

日本で「スパイ防止法」の制定が議論されるたびに、私は立ち止まって考えます。

本当に必要なのか、と。

結論から言えば、現行法で十分対応可能な以上、むしろ余計な屋上屋になりかねず、有難迷惑な法律になる危険性の方が高いのではないでしょうか。

スパイ防止法より現場と市民意識を重視すべき理由

現行法で十分対応可能

日本では、スパイ行為に対応するための法律や仕組みはすでに整っています。

刑法では、外国勢力に協力して国家に危害を加える行為は、外患罪や外患援助の枠で処罰可能。

特定秘密保護法、不正競争防止法でも:防衛・外交・重要技術などの秘密情報を不正に取得・漏洩した場合も刑事処罰の対象。

現場レベルの運用については、アクセス権限管理、漏洩リスクの物理・電子制御、定期研修や倫理教育の実施。

現行法と仕組みを適切に運用することで、思想や政治的傾向に関係なくスパイ行為に対応可能です。

 

歴史が示す過剰権力の危険性

歴史を見ると、「国家安全」を名目に作られた法律は、恣意的に運用されるリスクがあります。

戦前・戦中の日本の治安維持法の場合、思想的に反体制的な人々が逮捕。学者やジャーナリストも対象。

スターリン時代のソ連の場合、数百万人が「スパイ」や「反革命分子」とされ、逮捕・収容・処刑。

アメリカ・マッカーシズムの場合、俳優やジャーナリストが共産主義者疑惑で職を失う。

ナチス・ドイツの場合、保護拘禁令やゲシュタポにより政治的反対者や少数派が「国家の敵」とされる。

法律や制度の字面よりも権力者の裁量が優先されると、自由や社会の健全性が侵害されるのです。

 

海外の成功事例に学ぶ

過剰な権力に頼らず効果的に運用されている例もあります。

アメリカ・欧州では、アクセス管理や教育、リスク意識向上を中心に、思想や言動の監視なしで情報漏洩防止に成功。

オーストラリア・カナダでも、心理的サポートや倫理教育を組み合わせ、インサイダーリスクの早期発見に注力。

ポイントは、逮捕や処罰を最終手段にし、現場や社会の仕組みで未然防止することです。

 

日本の場合:法律だけでなく仕組みと教育で対応可能

アクセス権限と情報管理によって、特定秘密保護法の運用で、誰がどの情報にアクセスできるかを厳格に管理。

教育・研修の実施で、公務員や関係者への定期研修や倫理教育。

企業や研究機関の内部統制の継続で、営業秘密・技術情報の管理、ITシステムによる監視・制御。

現行法と仕組みだけで、スパイ行為・情報漏洩のリスクを十分にカバーできます。

 

私たち市民に求められること

法律や制度に頼るだけでなく、市民一人ひとりの意識と行動も重要です。

情報リテラシーを高め、情報の信頼性・出所・意図を見極める。

権力の恣意的運用に敏感になって、法律や制度が透明で公正かどうかを見守る。

自己の権利・自由を守り、個人情報や職務上の機密情報を軽々しく漏らさない。

仕組みや教育に協力する社会的責任を果たして、組織や地域で情報管理ルールを理解・遵守する。

 

まとめ:スパイ防止法より現場と市民意識の強化を

現行法で十分対応可能な状況で、新たなスパイ防止法のような強権的立法に頼る必要はありません。

むしろ、次の取り組みに注力する方が、現実的で安全です。

現場の仕組み・アクセス管理・教育の徹底。

社会全体で情報リスク意識を高める市民教育。

権力の透明性をチェックする市民の目。

歴史が示す危険性を踏まえ、私たち市民一人ひとりが意識と行動で支えることこそ、最も確かなスパイ防止策と言えるでしょう。

 

感情的な声や議論に流されそうになる前に、立ち止まって考えてみたいものです。

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巫女舞―比較文化編 「世界各地の類似文化から、日本的特徴を浮かび上がらせる」

巫女舞は、日本の神話や古代祭祀の中で発展してきた神への奉納舞踊ですが、世界の多くの地域にも、神や精霊への奉納、自然現象への祈りと結びついた舞踏が存在します。

その共通点と差異を眺めることで、日本的特徴がより明確になります。

全体として、祭祀や儀礼の舞踏は女性が中心となることが多く、男性が加わる場合もありますが、男性が主役となる例は限定的です。

この性別構造の傾向も比較文化上の共通性・差異を理解する上で重要です。

 

アジア

東アジア

中国や朝鮮半島では、古代から宗教儀礼や宮廷儀式における舞踏が存在しました。

中国の周王朝の楽舞や道教儀礼の舞踏は神への奉納や祭祀が目的で、音楽・律動・儀式性という点で巫女舞と共通しています。

ただし、周王朝の楽舞は男性舞踏者が多く、巫女舞とは性別構造が異なります。

南アジア・インド周辺

ヒンドゥー教の神殿舞踏やバリ島の寺院舞踏では、神への奉納、神格化、衣装や装飾の象徴性が巫女舞と通底。

儀礼日や祭祀に合わせた舞が重要で、女性が中心となる例が目立ちます。

東南アジア

タイやカンボジアの宮廷舞踊、シャーマニックな舞踊儀礼では、神霊との交信、自然への奉納、共同体の祈りを体現する要素が巫女舞に近い。

共通するのは「女性による神への奉納」「自然や収穫の祈り」「神格化された舞踏者の存在」です。

中央アジア

遊牧民の儀礼舞や巫術的舞踏では、自然や祖先への奉納、神聖なリズムや音楽との一体化が共通。祭祀的機能が中心で、女性舞踏者が重要な役割を担う例が多く見られます。

西アジア・中東

古代メソポタミアやペルシャ地域の宗教儀礼でも、神や自然への奉納舞踏が行われていました。

音楽や反復的な律動が巫女舞と類似し、女性が神や霊との媒介者として舞う例が多く確認されます。

 

ヨーロッパ・ロシア

 

  1. 女性舞踏者の儀礼的役割

 

・東ヨーロッパのスラブ系祭祀では、女性が神や精霊の媒介者として舞う例が多い。春の祭りや収穫祭に密接。

・西ヨーロッパ(ケルトや古代ゲルマン文化)でも、季節祭での舞踏や歌との融合、自然崇拝との関わりが女性中心で残る。

 

  1. 儀式音楽との結びつき

 

・民間舞踏には独特の反復リズムや歌とセットになった舞があり、巫女舞の「音楽との統合」と共通。

 

  1. ロシア固有の例

 

・古代東スラブの「ロシャンキ(季節儀礼舞)」や宗教前祭祀の民間舞踏では、女性舞踏者が神聖性と共同体の祈りを体現。

 冬至・春分など自然の節目に行われる舞で特徴的。

 

アメリカ大陸

北米

ネイティブ・アメリカンの宗教儀礼や祝祭の舞踏では、女性が中心の舞も多く、男女両方が参加する場合もある。

神聖性の付与、共同体の祈りを体現する点で巫女舞と共通。

中米

マヤやアステカの祭祀舞踏では、神への奉納が高度に儀礼化され、女性舞踏者が神格化される例もある。

「神聖性」「繰り返しの動作」「音楽との一体化」が巫女舞との共通点。

南米

インカ帝国やアンデス地域では、太陽や自然神への奉納が中心で、特定の儀礼日に決まった舞が行われる。

女性が中心的に神聖性を担う例も見られる。

 

アフリカ

 

  1. 地域別の特徴

・西アフリカ:ドラムと統合した精霊舞は共同体参加型で共通。女性主体の例もあり、比較可能。

・中部アフリカ:祖先崇拝やシャーマンの舞踏が中心で、儀礼性・神聖性が強い。

・南部アフリカ:自然や雨の祈り、狩猟成功の舞で、女性の祭祀舞が存在。

 

  1. 性別構造

・男性主導の舞もあるが、女性が神聖性を担う例を補足すると比較の幅が出る。

 

ラテンアメリカ(現代混合文化含む)

伝統祭祀舞では、先住民文化と植民地文化が交わった独自舞踏が存在。神聖性や共同体性の側面で、女性中心性と比較可能。

 

総括

世界各地の祭祀舞踏に共通する特徴は、神や自然への奉納、儀礼化された動作、音楽との統合、共同体の祈りを体現する舞踏です。

全体として女性が中心となることが多く、男性は補助的または限定的な役割にとどまるという性別構造も共通点の一つです。

巫女舞は、こうした普遍性を持ちながら、衣装や動作、神話・祭祀との結びつきにおいて、日本的特徴を鮮明に示しています。

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ロシアとどう向き合うか ――国際法を語れない日本と、対話という唯一の出口

ロシアは周辺諸国から見ると、どうしても「膨張志向の厄介な国」に見える。

国境を力で動かし、歴史や民族を理由に介入し、現状変更をためらわない。

小国にとっては、これ以上警戒すべき相手はないだろう。

 

ロシアからはどう見えるのか

ただ、ここで一度立ち止まって考えてみたい。

ロシア自身の目には、世界はどう映っているのか。

ロシアの歴史を振り返ると、平原からの侵入という記憶が繰り返し刻まれている。

ナポレオン、ドイツ帝国、ナチス・ドイツ。

国境線は「線」ではなく、「幅」で守るものだという感覚が、国家の深層にある。

冷戦後、西側が理念として進めた東方拡大は、ロシアから見れば、安全保障空間が静かに削られていく過程に見えた。

正当化はできないが、なぜ力に訴える選択をしがちなのかは、ここから理解できる。

 

ヨーロッパはどうだろうか

ヨーロッパはこのロシアに対し、国連憲章や国際法を前面に出して対峙している。

これは間違いではない。

ただし、ヨーロッパがその言葉を使うためには、過去への反省という前提条件がある。

植民地主義、勢力圏支配、二度の世界大戦。その重荷を引き受けた上で、「もうその時代には戻らない」という自己規律を課して初めて、法の言語が成立する。

ヨーロッパは、そこを何とか越えてきた、とも言える。

 

中国や南北朝鮮は?

中国や南北朝鮮も、形は違えど似た構造を持つ。

歴史的被害意識や体制の問題を抱えながらも、自分たちはこういう立場で世界を見ている、という物語を一貫して語ることはできる。

賛同できるかどうかは別として、論理の土台は明確だ。

 

厄介な日本とアメリカ

一方で、もっと厄介なのが日本とアメリカである。

アメリカは国連憲章と国際法を掲げながら、例外を自らに許してきた国だ。

戦勝国としての特権、覇権国としての裁量。

この二つを同時に抱えたまま、アメリカは戦後秩序を運営してきた。

それを正面から認めれば秩序は揺らぎ、否定すれば自らの行動を説明できなくなる。

この矛盾を、力で覆ってきた。

日本は、そのアメリカが設計した戦後秩序に乗ることで、平和と繁栄を手に入れた国だ。

ここに、日本特有のジレンマがある。

サンフランシスコ講和条約第2(c)で、日本は千島列島を放棄した。

この条項は、1875年に平和的に確定していた日ロ国境を、敗戦という結果を理由に曖昧な形で処理したものでもある。

国連憲章や国際法の理念から見れば、説明を要する部分が多い。

しかし日本は、この条項を正面から問題化できない。

なぜなら、サンフランシスコ体制そのものが、日米安保と一体になっているからだ。

ここに手を付ければ、安全保障の基盤そのものが揺らぐ。

結果として日本は、「国際法を守れ」と言いながら、自分の足元の条文については語りきれない立場に置かれた。

この構造のまま、ロシアと国境問題を真正面から解こうとすると、必ず話はこじれる。

法理を出せば日米関係に触れる。

安保を守ろうとすれば法理が曖昧になる。

まさにジレンマだ。

では出口はどこにあるのか。

 

カギを握るのが対話だ

それは、問題を解決しようとしないことにある。

少なくとも、力や正義で一気に片を付けようとしないことだ。

代わりに必要なのは、ASEANが長年やってきたような、「対話を続けるための枠組み」を広げることだと思う。

中国、ロシア、アメリカ、日本、そしてカナダなど周辺諸国も含めた、東アジア・環太平洋の対話の場。

そこにもちろん南北朝鮮も入れる。

台湾は国家としてではなく、オブザーバー、あるいは機能的な参加にとどめる。

主権問題を扱わない。

事故防止、海上交通、災害対応、経済と人命に関わる部分だけを扱う。

これは理想論ではない。

解けない問題を、爆発させないための技術だ。

 

対話により解決を日本が取るべき理由

日本がこの枠組みを主導すべき理由は明確だ。

日本は覇権国ではない。

裁く立場にもない。

だが、秩序を壊さず調整する経験と資質を持っている。

そして何より、自分が国際法を語りきれない立場にあることを、内心ではよく分かっている。

だからこそ、日本が選ぶべき道は、正しさを叫ぶことではなく、場を作り続けることだ。

成果を急がず、派手な結論を出さず、同じテーブルに座り続ける。

その粘り強さが、最悪の選択肢を遠ざける。

ロシアとどう向き合うか。

その答えは、ロシアを説得することではない。
日本自身の立ち位置を過信せず、対話という細い出口を、ブレずに守り続けることなのだと思う。

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ヨーロッパが作ったロシア像 ― 脅威の歴史的構造

いまのヨーロッパとロシアの相互不信を見ていると、どちらが悪い、どちらが正しいという単純な話ではないように思える。
むしろ、その奥には、長い時間をかけて積み重なってきた「ヨーロッパからロシアへのまなざし」の偏りがあるのではないか。
ヨーロッパの歴史をたどると、「ロシアの脅威」という言葉の影に、実は「ロシアへの脅威」としてのヨーロッパの側面がずっと存在してきたことに気づく。

 

  1. 東西教会の断絶「異端」としての東方

1054年の東西教会分裂。
キリスト教世界が、西のローマ・カトリックと東のギリシア正教に分かれたこの出来事は、単なる神学論争ではなかった。
西のローマにとって、東方の信仰形態は「正統からの逸脱」であり、「文明の中心」から外れた存在と見なされるようになっていく。

ロシアがキエフ公国の時代にビザンツから正教を受け継いだのはこの分裂の後。
つまり、ロシアは西欧から見れば、すでに「異端の側」にいた。
ここで、「文明と野蛮」「正統と異端」という線が引かれた。
それは、のちのちまでヨーロッパの深層心理に残り続ける境界線となった。

 

  1. 啓蒙と帝国の時代「未開の巨大国家」という幻想

18世紀、啓蒙の時代。
ヨーロッパは自らを「理性と進歩の旗手」として描き出したが、その自己像を支えるためには、外部に「非理性的」「専制的」「後進的」な存在が必要だった。
その役割を、ロシアは見事に押しつけられることになる。

ヴォルテールはピョートル大帝を称えながらも「ロシアは文明化の途上」と評し、カントも「ヨーロッパの東端」としてロシアをほぼアジア扱いした。
啓蒙思想の中でロシアは他者化され、ヨーロッパの理性の鏡に映る「未完成な自分の影」として固定されてしまったのである。

 

  1. ナポレオン戦争と「東方の耐性」

19世紀初頭、ナポレオンのロシア遠征。
ヨーロッパの理性と秩序を自負したフランス軍が、ロシアの広大な大地と極寒に敗れたとき、そこには新しいロシア像が生まれた。

「恐るべき東方」「野蛮だがしぶとい巨体」。
それは、軽蔑と畏怖がないまぜになったイメージだった。

ロシアの側から見れば、このとき初めて「西からの全体的侵攻」を体験した。
そしてこの記憶は、のちのナチス・ドイツの侵攻とともに「西への根源的警戒心」としてロシアのDNAに刻まれていく。

 

  1. クリミア戦争と「ヨーロッパ秩序」からの排除

1850年代のクリミア戦争。
このときイギリスとフランスが手を組み、「ヨーロッパの秩序」を守るという名目でロシアを包囲した。

だがその実、ロシアはヨーロッパの秩序の外側に置かれる存在とされていた。
ウィーン体制の平和も、自由主義運動の波も、ロシアにとっては「自分抜きのヨーロッパ」の物語でしかなかった。

その排除の構図は、冷戦後のNATO拡大にも重なる。
形式は違っても、ロシアから見れば「またヨーロッパが自分たちを包囲しようとしている」という既視感が拭えない。

 

  1. 「脅威」と「被害」の鏡像関係

こうして見ると、「ロシアは脅威だ」という言葉の背後には、ヨーロッパが作り上げた「自己正当化の物語」が潜んでいる。
ヨーロッパが自らの戦争の歴史と向き合うことを避けたとき、その負の歴史は外に投影され、「脅威」としてロシア像を作り上げる。

つまり、ヨーロッパにとってロシアは他者であると同時に、自分の影でもある。
そこに気づかない限り、相互不信の構造は繰り返されるだろう。

 

  1. いま必要なのは、鏡を見ること

ロシアが変わるべきだという声は多い。
だがその前に、ヨーロッパ自身が「進歩」と「秩序」の名のもとに、どれほどの暴力を内包してきたかを見つめること。
それこそが、本当の意味での対話の第一歩になるはずだ。

ヨーロッパがロシアを理解不能な存在として排除してきた歴史を思い出すとき、
実はその排除の中にこそ、ヨーロッパの無意識の恐れ――「自分の内部にある野蛮」への恐れ――が潜んでいるのではないか。

この視点で見れば、いまの国際情勢もまた、単なる政治的対立ではなく、
「文明が自らの影と向き合う過程」として浮かび上がってくる。

 

  1. 攻めなければ守れないロシアが学ばされた現実主義

ロシアの脅威は、単純な攻撃性ではなく「安全保障への強迫観念」の裏返しでもある。
ロシアの戦略文化には、攻めなければ守れないという悲しい論理が沁みついている。
それは誇りではなく、むしろ「繰り返し裏切られ、攻め込まれた記憶」から生まれた防衛反応なのだ。

ロシアは広大な平原の国であり、天然の防壁がほとんどない。
そのため、歴史の中で何度も西から攻め込まれてきた。
ナポレオンがモスクワを焼いた1812年も、ヒトラーの軍がレニングラードを包囲した1941年も、いずれも「西の文明」が東へ迫った瞬間だった。

国土を焦土にしながら退けた記憶が、ロシアに刻まれた。
「次こそは、こちらが先に防がねばならない」と。
つまり、攻めなければ守れないという苦い学習が、ロシアの安全保障観の根底にある。

さらに、ロシアには切実な地理的事情がある。
それが不凍港の問題だ。
冬でも使える港を持たないということは、貿易も海軍も常に制約を受けるということ。
黒海やバルト海への出口を確保することは、ロシアにとって単なる野望ではなく、生存のための条件だった。

だが、その「出口」を求めるたびに、ヨーロッパ諸国は「ロシアの南下政策」や「帝国的膨張」と呼んで警戒した。
ロシアから見れば、自分たちの最小限の安全保障行動が、ヨーロッパには脅威の拡大として映る。
このずれこそが、長い不信の根っこにある。

結局、ロシアはヨーロッパから学ばされたのだ。
国際法や条約ではなく、力によってしか国境は守れないという現実を。
外交よりも軍事、約束よりも抑止――それが、ヨーロッパの歴史がロシアに教えた唯一の教訓だった。

そして皮肉なことに、その「防衛のための現実主義」が、またヨーロッパの目には「脅威」として映る。
互いの歴史的記憶が鏡のように反射しあい、いまの相互不信を強化している。

 

  1. 開店休業の対話機構信頼の制度が止まったとき

いま、ヨーロッパとロシアの間には、名目上は「対話と協力」のための制度が存在している。
だが、実際にはその多くが機能していない。いわば開店休業の状態だ。

1990年代、冷戦の終結とともに、EUとロシアは新しい関係を築こうとしていた。

1975年に「ヘルシンキ宣言」とともに、「ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE: Conference on Security and Cooperation in Europe)」が設立された。

その後、「ヨーロッパ安全保障協力会議(CSCE)」は冷戦終結を受けて1990年代に常設機構化され、1994年に「欧州安全保障協力機構(OSCE)」として正式に制度化された。

1994年に締結された「パートナーシップ・協力協定(PCA)」は、貿易や法制度、政治対話の基礎となる枠組みだった。
さらに2003年には、「共通空間(Common Spaces)」という概念が導入され、
経済、自由・安全保障、外部関係、研究・教育といった分野で協力のロードマップが描かれた。
当時のヨーロッパは、ロシアを「統合すべき周辺」としてではなく、「対話可能な隣人」として扱おうとしたのだ。

ところが、その「対話の制度」は長くもたなかった。
その結果、ロシアは“攻めなければ守れない”という学びを身につけた。

2008年のグルジア紛争の際のロシアの行動とヨーロッパの対応も、相互の認識のギャップによって相互不信を増長する結果を招いた。

こうした事例は、歴史が繰り返す鏡像効果の一端を示している。

そして2014年のクリミア併合を境に、EUはロシアとの公式協議を凍結。
議会間の協力機関も停止され、科学・教育・経済など民生分野の枠組みまで、
制裁と不信の空気に包まれていった。
いまもその制度の多くは、看板こそ残っているが実質的には動いていない。

興味深いのは、この「開店休業」の状態が象徴しているものだ。
それは、対話の意志ではなく、対話の制度が失われたということ。
制度とは、言葉を交わすための「形」でもある。
その形がなくなったとき、対話は容易に「安全保障」や「制裁」という語彙に吸収されてしまう。
ヨーロッパにとっては「ルールの秩序」の維持であり、
ロシアにとっては「また締め出された」という既視感の再演だ。

ロシア側から見れば、この制度停止は単なる外交問題ではない。
「ヨーロッパは自分たちを対等なパートナーとして見ていない」という確信を裏づける出来事だった。
一方、ヨーロッパにとっても、制度を止めることは「脅威を排除する安全策」として合理的に見えた。
だがその結果、互いの語彙の間には沈黙だけが広がっていった。

もしこの「開店休業の対話機構」をもう一度動かすとすれば、
それは単に政治的交渉を再開するという意味ではない。
むしろ、制度をとしてもう一度見直すことだろう。
制度は、相手を信頼していた時代の記憶でもある。

OSCEのような枠組みも、結局は歴史的記憶と相互不信の鏡像を映し出す一つの舞台となってしまった。
その記憶を思い出すことが、相互不信をほぐす小さな入口になるのかもしれない。

結び鏡としてのヨーロッパとロシア

ロシアを「脅威」と呼ぶたびに、ヨーロッパは自分の過去を少しずつ忘れていく。
かつて自らが外へ向かって築いてきた「秩序」や「進歩」の名のもとに、どれほどの支配と排除を正当化してきたのか。
それを思い出さないまま、ロシアを責めるのは容易い。
だが、それではいつまでたっても同じ歴史が繰り返されるだけだ。

ロシアの現実主義は冷たく見えるが、実のところは「生き延びるための知恵」でもある。
ヨーロッパの理性はまぶしく見えるが、その影に「自らの野蛮さへの恐れ」を隠してきた。
二つは対立しているようでいて、実は互いを映す鏡のような関係にある。

ヨーロッパがロシアを通して見ているのは、他ならぬ「自分の過去の姿」、あるいは「自分が忘れたい記憶」なのかもしれない。
そしてロシアがヨーロッパに感じている不信もまた、「約束よりも力が支配する世界」を何度も見せつけられた、深い記憶の反射だ。

本当の意味での対話は、相手を変えることではなく、
自分の歴史と向き合うことからしか始まらない。
ヨーロッパがその鏡をのぞき込み、ロシアもまた、自らの傷ついた誇りを越えてその鏡を見つめ返すことができたとき、
はじめて「脅威」という言葉の外側に、共に生きる未来の輪郭が見えてくるのではないだろうか。

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日本人の顔の多様さは、古代中東の記憶を映す鏡

鏡の中の日本人の顔。

彫りの深い人、丸顔の人、南方のような柔らかい目元の人――。

どうしてこんなに違うのだろう。

この問いの向こうに、人類の長い旅の記憶が眠っている。

 

古代中東の響きを残す遺伝子

人のY染色体には系統がある。

その中に「ハプログループD」という系統がある。

これは、中央アジアから西アジアで生まれた古い枝のひとつ。

世界の多くの地域では姿を消したが、なぜか日本列島には今も生きている。

とくにアイヌや琉球の人びとに多い。

まるで、古代中東の遺伝的な響きが、海の彼方にまで届いて残ったようだ。

このD系統を持つ人々こそ、旧石器時代の末に日本に到達した最初の住人。

そののち、東方へ旅した人々――のちの縄文人たちがやって来て、彼らと混ざり合う。

争いの痕跡は少なく、むしろ共存の痕が残る。

食べられる木の実、危ないキノコ――土地の知恵を伝えたのは、旧石器の末裔だったのかもしれない。

 

縄文という保存庫

縄文人のDNAを解析すると、驚くことに、どの現代人にも単純に当てはまらない。

アジアでもヨーロッパでもなく、むしろ両者をつなぐ古層のようなモザイク構造をしている。

言い換えれば――失われた旧世界の遺伝子の保存庫

しかも、遺伝子だけではない。

黒曜石、貝輪、土器文様。

それらはシベリアや満洲、朝鮮半島を経由した文化の伝播を示している。

血の記憶と文化の記憶が、二重写しになって列島の中に残ったのだ。

 

なぜか違和感のない“再会の島”

そして――ここが面白いところ。

古代にペルシャ人が来ても、

時代を下って白系ロシア人が来ても、

朝鮮半島からの渡来人がやって来ても、

なぜか日本では大きな違和感がない。

ユダヤやシュメールの神話が、日本神話の奥で響くのも偶然ではないだろう。

みんな、大もとは旧石器時代にユーラシアを横断した“原型人類”の枝葉なのだから。

 

鏡に映る古代

日本列島とは、混血のるつぼというより――

古代ユーラシアの記憶を保存した天然のリザーバー(貯蔵庫)

だから外見の多様さも、民族の融合の柔らかさも、

突き詰めれば、みんな「再会の物語」なのだ。

遠い親戚が、時代を経て訪ねてきた――

それが、この列島の歴史の本質だったのかもしれない。

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日本が世界を動かすチャンスを潰さないで欲しい。

ロシア大統領のウラジーミル・プーチンはソビエト連邦の元諜報員であり、ソ連国家保安委員会(KGB)での最終階級は中佐という経歴の持ち主である。
情報戦や心理戦じゃトランプ大統領はかなうわけがないのは、素直に考えたらわかるはずだ。
トランプ大統領はビジネスの世界では駆け引きを巧みにやって乗り切ったのだろうが、今度の場合は策士策に溺れるとしか言いようのない展開しか見えてこない。
これまでアメリカ合衆国は国連憲章や国際法を良いようにイチジクの葉に使ってきたが、則っていたわけじゃない。
だから国連憲章や国際法で解決というとブーメランになるから、トランプ大統領には駆け引きしかない。
プーチン大統領はその足元見切っているから、良いようにあしらわれたのはトランプ大統領の方だ。
事態の打開には国連憲章や国際法という誰も逆らえない建前を、前面に押し出すしかない。
民主党は価値観外交である意味手詰まりになり威嚇しかできなかったが、プーチン大統領はその足元も見切っていたから動じなかったと言える。
バーニーサンダースの一派でどう変わるかは未知数なので気になるところだが、民主党がそこまで吹っ切れるか見ものではある。
ロシアは安保理では、常任理事国の一つである。
つまり、国連憲章や国際法をもっとも守るべき立場であるはずだ。
だが、アメリカ合衆国もヨーロッパも力の支配の論理にとらわれている。
ビスマルクは列強が国際法を自分の都合のいいように使うことしか考えていないと、かつて日本に警告している。
ヨーロッパは、いまだにその感覚から抜け切れていないのだ。
先例や前例に捕らわれるのは、どこの国や地域も大差がないということだ。
だとしたら、今の状態は愚か者は見えない服を着ていると騙された裸の王様とシチュエーションは似ている。
問題は、誰が王様は裸だと、叫ぶかだ。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と前文で謳っている日本が、それをやって存在感を発揮するチャンスなのだ。
総選挙でそれをやれる政府ができる機会があったが、駆け引きで潰れた。
参議院選挙で野党が圧勝、特に与党延命に手を貸した勢力も含めた議席を野党が大きく上回る、なら再び機会は巡ってくる。
問題は、日本国民がそれに気がついて行動するかどうかだ。
あまり期待はしていないが、注目はしていきたい。

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粘り強く対話するのが平和への一番の近道だ。

アセアンとヨーロッパの差は、地域の大国と周辺諸国との歴史的な関係の違いがありそうだ。
アジアでは古代から地域の大国である中国と周辺諸国は華夷秩序が作られていたが、ヨーロッパでのロシアは祖国防衛の戦いを通じて大国になったので常に周辺諸国とは緊張関係があったのではないか。

中国の文化や文明は交流の中で育まれ、一定の基準ができたら今度は継承と発展の段階をたどっている。

それは王朝が交代しても続いているが、支配の正当性を主張する手段としてつかわれるからだ。

中原の文化的な優越が、やがて周辺諸国との華夷秩序となっている。

それに対して、ロシアの大国への道は覇権のためと言うよりは防衛線を少しでも遠方に設定することが目的になっている。

周辺諸国との距離を取ることが、安心と安全の確保につながるからだ。

それで、確保した地域の離反には常に警戒をすることになる。

何としてでも、獲得した地域は領土にとどめておきたいのだ。

その結果、これらの地域の動きには神経質にならざるを得ない。

ロシアが常に周辺諸国を軍事行動で威嚇や牽制をするのは、周辺諸国との信頼関係がちゃんと作られてこなかったからだ。
まずは、アセアンを見習って対話の習慣つくりを粘り強く進めるしかないのではないか。

相互の理解には時間がかかるのだから、まずは対話の習慣を根付かせる取り組みを粘り強く続けるしかない。
それには、敵意のないことを態度で示すしかない。
だから、握手やハグなどの挨拶のやり方が生まれたのだ。

まずは、周辺諸国の側からロシアとの信頼関係を築く根気強いアプローチが必要なのだ。

手始めに、ロシアの言い分にじっくりと耳を傾けるところから始めるしかない。

辛抱強く、ひたすら聞くのだ。

どうすればいいのか、ロシアが自分で気が付くまでね。

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お互いを知ろうとする忍耐と寛容のいる取り組みを馬鹿にして平和が作れるわけがないと気が付く方が良い。

東南アジア諸国は軍事ブロックを解消したばかりか中国も含む対話の枠組みを作りそれなりに維持しているのに対し、ヨーロッパ諸国は軍事ブロックを残しロシアも含む対話の枠組みを作りながら形骸化させてしまったのはなぜだろうか。
考えてみたい。
面白いのは東アジアでは古代に政治的にも経済的にも中華文化圏があったが、ヨーロッパではスラブ文化圏という形はあったが政治的や経済的なロシア文化圏は古代から現代まで一度もなくロシア大国主義との距離を模索する歴史ばかりだったように見える事だ。
そしてスラブ文化圏は、ほぼ東欧圏と重なる。
ロシア大国主義の厄介なところは、ロシア民族はスラブの民族の一部である事、ある意味政治的に切り取られた国土の産物という側面がある事だろう。
ロシア民族とは、輪郭線が非常に曖昧な民族と言える。
そのために周辺諸国と軋轢を生みやすいともいえるが、だから絶え間ない対話でガス抜きがいる。
ロシアとヨーロッパの平和は、絶え間ない相互理解のための対話でしか確保できない。
聞きたい事があれば間髪入れないで質問出来る関係は、絶え間ない対話の場があってこそ可能だ。
軍事的な意図が無いならば、平和的で開放的な施設や設備であると相互の交流を受け入れて示さなければならない。
ロシアから見れば、アメリカとの軍事同盟であるNATOと事実上一体に感じられるEUの拡大は、アメリカの銃が目の前に突き付けられたのと大差ないのだ。
平和を望むなら、ヨーロッパとロシアは対話の場を一切の条件抜きで作るしかない。
誤解を解くための、終わりなき対話の継続だけが平和を作る。
信頼して欲しいなら、疑いを晴らすための努力を惜しまない事しかない。
納得できると言うのは相手の判断であり、自分ではない。
説明は、あなたが信頼できるとわかった疑って悪かったと相手が言うまでやめてはならない。
平和とは、忍耐と寛容の産物なのだ。
一方戦争は、不信と不寛容の産物だ。
そもそも、人と人は過去の歴史も経験も違う以上完全に分かり合えるなんて幻想に過ぎない。
忍耐と寛容で相互の信頼を築き合った関係の中でこそ、平和的な関係は作れる。
国と国も、基本は同じだ。
背景となる歴史も文化も言語も違うから、相互の理解がより難しくなっているだけなのだ。

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千島問題の解決は歴史が指し示す方向に従うのが一番の近道。

北方4島と政府は言うが、千島樺太交換条約の前は樺太は日露雑居です。
 
4島言うなら樺太雑居も言わないと一貫性がないのです。
 
千島樺太交換条約は樺太雑居を解消のため、樺太をロシアに譲り北千島全島が日本領とすることを平和的に決めたのです。
 
連合国側が日本に放棄を迫れるのは戦争絡みで取得した領土だけです

連合国側が日本に千島放棄を迫るのは、自ら定めていた終戦処理原則に反するのです。
 
日本はそれを論拠にサンフランシスコ講和2条C項の千島放棄に関する部分の撤回を、関係国に求められるはずです。
 
憲法前文と9条に忠実な国ならできたはずで、千島放棄を迫る根拠は連合国にないはずです。
 
日米安保条約を日米の平和的な友好関係のための条約に変え、日本は外交と自衛隊で自国の領土領空領海を守り切る決意を固めるのです。
 
そうすれば、仮に返還された千島に自衛隊が配備されようとロシアがとやかく言う筋合いはないです。
 
北東アジアの海の平和と安全を、協力して守れば良いのです。
 
外交も憲法に従おうではありませんか。
 
ロシアが千島への自衛隊配備にとやかく言わないようにする必要があります。
 
ロシアに文句言わせないためには、個別的自衛権行使に徹し普段は災害救援隊として活躍した従来の姿に戻って、憲法前文と9条に則った運用をすれば良いだけの話です。
 
何も難しいことはないではありませんか。
 
安倍政権以前のどの政権もやってきたことではありませんか。
 
歴史と憲法を踏まえた外交に、保守も革新もないです。
 
その気になれば野党連立政権で実現実行が可能なはずではありませんか。
 
それをやってくれる野党連立政権が、早くできて欲しいです。
 
それは拉致問題解決前進にも、役立つはずです。
 

野党はできない理由を四の五の言わず、早く結束して政権交代して欲しいのです。
私は何か無理な注文をしているでしょうか。

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日本の食文化の起源はどこ?

知り合いの人達が近くまで来たのでと言って、夕食を一緒に食べないかと誘ってきました。

 

そこで行きつけの店に行ったのです。

 

定食のセットで夕食となったのだがご飯と主菜に味噌汁と漬物の組み合わせに、話は思いがけない方向に進んだのです。

 

ブレッドとメインディッシュにスープとピクルスに差し替えれば洋食のセットになってなってしまう、と言うと外国人の方は、確かにと頷きました。

 

そこから話はさらに食文化の比較になったのです。

 

丼はご飯におかずが乗るがご飯をブレッドに変えればオープンサンドになると、彼らは面白がったのです。

 

ピザとお好み焼きも作り方に違いはあるが、やっていることは似ています。

 

トッピングは、ピザは削ったチーズだが、お好み焼きはかつお節、ところがかつお節もまた発酵食品です。

 

豆腐をスライスしてフライした油揚げは皮に食感が似ている、厚揚げはさしずめ皮つき肉と言うところでしょうか。

 

これ以外にも日本の食卓に並ぶ料理には、洋食と見た目は違ってもやっていることは案外近いものが意外とあるのです。

 

地中海沿岸には日本人好みの料理が結構あるらしいが、日本には家族性地中海熱のようにヨーロッパと共有な遺伝病は複数あり、しかもアジアでの飛び地であることは興味をそそります。

 

アメリカではアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているが、アイヌは日本の先住民である縄文人の子孫と見られています。

アイヌは沖縄の人たちとよく似ているが、沖縄の文化や風習には聖書と似たものが多くあると沖縄の人達自身も面白がっているのです。

その沖縄に、先祖は東のニライカナイから来たという言い伝えを持っています。

東には南太平洋の島々があり、その先はアメリカ大陸です。

アイヌの人々の生活文物もまた、古代イスラエルと似ていると言う指摘があるのです。

日本とアメリカ大陸の先住民は親戚と以前から言われてきたが、遺伝子でも確かめられてきました。

ところが、アメリカではアメリカの先住民は古代イスラエルの民の一部が渡った人達と主張し、何度も船出して最後に行方不明になった人たちの記録があるのです。

 

これは、偶然でしょうか。

 

日本に来たユダヤ人は、日本の正月の風習に興味を持つのです。

日本人も過ぎ越しの祭りをするのかと気になるわけです。

鏡餅は彼らの供える種入れぬパンを積み重ねる風習と似ていると面白がっています。

七日間という長さや、餅や七草のような食べているものの類似、ともに神を迎える行事であることです。

 

日本の神社と似ているのは、古代イスラエルや古代エジプトの神殿であるのです。

特に日本古来の山岳信仰と古代エジプトのピラミッドコンプレックスつまりピラミッド複合体を対比して、ピラミッドを御神体とする拝殿とその前に配されるスフインクスが山をご神体として拝殿や狛犬が配される神社の古い形の原型と吉村作治教授は指摘しています。

 

アメリカ大陸を船出した人々がヨーロッパやアフリカに行っていれば、彼らは記録や伝承に残しているはずだが、残っている話は聞いたことがないです。

一方、沖縄にはニライカナイと言う東方の地を祖先が旅立った場所と語る伝承があるのです。

 

そして、日本には古代中東の遺伝子があるのです。

 

日本は、中東で発生した人類が東回りと西回りで進んできて再び合流した土地としかかんがえられないです。

何しろ、シベリアにもアイヌの親戚がいるし、シベリアのバイカル湖畔に住むブリヤート人には秋田美人にそっくりな人達が多くいます。

こんな風に、日本には世界各地の人たちと似た顔があるのです。

言い換えれば、世界各地に日本人と似た顔の人が住んでいるのです。

中東が人々の発祥の地と見られているが、東回りと西回りで移動して来た人達は世界各地に人を散らばしながら、日本にやって来たと見る方が自然でしょう。

 

歴史学者とクリスチャンの違いは、それを一万年単位の昔と見るか、ノアの箱舟の後のバベルの塔の頃と見るかの差です。

アブラハムやイサクやヤコブの子孫が日本に来ている可能性がありと見るかどうかの差も、面白いです。

 

彼らは、そうだよね、確かにそうだと、頷きながら聞いてくれました。

私が一方的に話過ぎたことを詫びると、面白い話をきけて楽しかったと言って、にこやかに握手の手を差し出してくれました。

 

私も笑顔で握り返してその晩の久々の語らいは終わりました。

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