中国
蓮華座の仏像と陰陽魚太極図。
日本の仏像では、半跏思惟像など一部の例外を除けば台座に腰掛ける姿はほとんどないのです。
日本の仏像はほとんどが蓮華座の上に、表現されます。
日本では仏教は神道と習合しているので、本来は太陽神紋である菊花紋に対応して蓮華座なのかと連想していました。
ところが偶然西上ハルオ著『世界文様事典』を見かけ、さりげなく眺めていてはっとしたのです。
「蓮華は、太陽の恵みをうけて聖なる神を誕生させる」「インドでは聖なる仏陀の座となり、霊力をもつ生命を誕生させる花」とされて、「仏教の場合…蓮華は清浄心、仏尊の功徳、涅槃思想を表すとされ」るのですが、注目したのは“聖なるもの神や霊力をもつ生命を誕生させる花”とされる点です。
蓮華はヒンズー教でも「聖なる神を生む花」「産むことのできる女性の象徴」とされるのですが、ヒンズー教のタントラと神道の陰陽道は極めて似たと言うよりも本質的に同一と言えるほど似ているのです。
日本の仏教は、そう言う神道と習合しているのです。
陰陽道の基本は陰陽合一の思想で、「陰には陽」「陽には陰」を配して、合一して万物を生みだす太極となるのです。
そしてもちろん、生み出す女性に見立てられた蓮華座は陰で生み出された仏は陽に配されているのです。
蓮華座の上の仏は万物を生む陰陽合一の太極を表していた、つまり、陰陽道の象徴である陰陽魚太極図と同じ意味を表していたのです。
陰陽魚太極図を仏教に持ち込んだので日本では仏像は蓮華座が定番となったのかと、気が付いたのです。
偶然の出会いに感謝。
七福神と天の大時計?
面白い本を見つけました。
大修館書店から出ている「星座で読み解く日本神話」です。
別にブックレビューする気は、ありません。
オリオン座からイメージされる形は、S型やX型や*型や砂時計やリボンの形だと著者は言います。
はたと、思いました。
弁財天とも記される弁才天は、琵琶を抱えた姿の他にも八臂弁財天や人頭蛇身の女神だったりします。
弁才天の正体がオリオン座なら、説明が付くのではないでしょうか。
弁才天はまた、宗像三女伸の一人、市杵島姫神と同一視されることも多いのです。
宗像三女神とは、沖津宮に祀られる田心姫神・中津宮に祀られる湍津姫神・辺津宮に祀られる市杵島姫神の事です。
日本から大陸及び古代朝鮮半島への海上交通の平安を守護する玄海灘の神として、大和朝廷によって古くから重視された神々です。
沖ノ島には沖津宮、筑前大島には中津宮、宗像田島には辺津宮、というように海北道中の島々に祀られてきました。
なぜ、宗像三女神は横一列に一か所にまとめて祀られないのでしょう。
航海の安全祈願というだけでは、説明が付きません。
しかし宗像三女神がオリオン座の三ツ星なら、天に縦一列に上がる姿を表したと説明が付きます。
しかも弁才天も宗像三女神も水にまつわる女神だが、オリオン座の近くには天の川があるのです。
弁才天のルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティーで、サラスは「水」を意味し、もともとは西北インドにあった大河の名前を指したというからまさに天の川の傍らに位置するオリオン座はうってつけではないでしょうか。
七福神には、弁才天の他にも恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人がいます。
寿老人もまた、見れば寿命が伸びると伝えられるカノープスの化身とされます。
となると、他にも星や星座に繋がる神はいないのでしょうか。
大黒天は、破壊と創造の神であるシヴァの化身マハーカーラの名は、“マハー”とは大(もしくは偉大なる)、“カーラ”とは時あるいは黒(暗黒)を意味するところから訳された名前です。
シヴァの特徴としては、額の第三の目、首に巻かれた蛇、三日月の装身具、絡まる髪の毛から流れるガンジス川、武器であるトリシューラ(三又の鉾)、ダマル(太鼓)が挙げられます。
ガンジス川下流域においては勾配が少ないことと3大河川が合流することによる流量の巨大さ、さらに主にブラフマプトラ川によるチベット高原からの膨大な量の土砂の堆積によって流路が安定せず、まさに破壊と創造の神シヴァのモデルに相応しいと言えるでしょう。
となると、大黒天のルーツであるシヴァもまた、オリオン座の化身かもしれません。
毘沙門天は戦闘的な印象だが、インドにおいては財宝神とされ戦闘的イメージはほとんどなかったと言うから意外です。
中央アジアを経て中国に伝わる過程で武神としての信仰が生まれ、四天王の一尊たる武神・守護神とされるようになったのです。
帝釈天の配下として、仏の住む世界を支える須弥山の北方、水精埵の天敬城に住み、或いは古代インドの世界観で地球上にあるとされた4つの大陸のうち北倶盧洲(ほっくるしゅう)を守護すると言う事ですが、水精埵と言う名前が気になります。
まさかまた、オリオン座の化身なんて言うわけではないでしょうね。
福禄寿はもともと福星・禄星・寿星の三星をそれぞれ神格化した、三体一組の神です。
中国において明代以降広く民間で信仰され、春節には福・禄・寿を描いた「三星図」を飾る風習があります。
寿星は南極老人星(カノープス)とされ、容貌は時期によって諸説あるが近代以降は禿げた長大な頭に白ひげをたくわえた老人とされることが多く、また厳密にはもともとこの寿星(南極老人)が単独で日本に伝わったのが寿老人なので、これまた星や星座に関係ある神です。
しかし、カノープスは単独の星なはず、まさかまた、オリオン座の三ツ星と関係があるのでしょうか。
同時に見える事はあるけれど、近いような近くないような、距離なのですが。
恵比寿は七福神の中で唯一の日本の神です。
狩衣姿で、右手に釣竿を持ち、左脇に鯛を抱える姿が一般的です。
何やら、またぞろオリオン座ですか見たいな雰囲気が漂うが、何やら様子が変です。
神格化された漁業の神としてのクジラの事だとの声もあるのです。
クジラと言えば、くじら座があるけれどギリシャ神話では、生贄のアンドロメダ姫を食べようとする巨大な海の怪物ケートスとして登場し、メドゥーサを倒した後たまたま通りかかった勇者ペルセウスによってメドゥーサの首を突きつけられ石にされてしまうとされるからどう見てもつながりませんね。
だって、恵比寿は古くから漁業や商いの神として祀られているのですから。
神無月では地元にとどまる留守神ともされています。
恵比寿が釣り人姿なのは事代主神と混同されたのは、大国主神の使者が事代主に天津神からの国譲りの要請を受諾するかを尋ねるために訪れたとき、事代主が釣りをしていたとされることからきています。
また、事代主の父である大国主命が大黒天と習合したことにより、えびすと大黒は親子ともされるようになりました。
またまた、オリオン座つながりなのでしょうか。
布袋は、唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的な仏僧、弥勒菩薩の化身と言う伝説まで持っているとされます。
弥勒菩薩は、遠い未来に人々を救うことが約束されている釈迦を継ぐ者と言うから、星や星座とは一見無関係に見えますが、実は星や星座は天の大時計として昔から人々に用いられてきたので全く無関係とはない、のかもしれませんね。
ちなみに七福神は船に乗ります。
船の星座もあったのですよ。
あまりの大きさに、りゅうこつ座、ほ座、とも座の3つに分割されたアルゴ座です。
その名称はギリシャ神話に登場する船、アルゴーにちなんでいます。
寿老人はカノープスの化身とされるが、カノープスはりゅうこつ座のα星の事です。
七福神が乗っているのは、天空を航海しているアルゴーなのでしょうか。
どう思いますか。
雲南省の少数民族の気になる食文化。
中国の雲南省、日本の発酵食品のルーツがあるとされる地域です。
中国雲南省の少数民族、味噌とも納豆ともつかない大豆の発酵食品があるのです。
ここから、味噌や醤油や納豆が分かれたのでしょうか。
豆腐も、カビさせたまるでチーズのようなものがあるのです。
豆腐は、家畜の乳が手に入らない条件下でやむを得ず作られたチーズの代用品だったのでしょうか。
豚足で作られた、豚節としか言いようのない食品があるのです。
鰹節などは、豚節の代用品だったのでしょうか。
なれ鮨も、魚ばかりか牛肉のものもあるのです。
なれ鮨はこの土地の保存食だが、蛋白質の発酵食品と言う点ではチーズの延長線上にあるのでしょうか。
それと、地面に埋めて発酵されたお茶を食べる文化もあるのです。
日本ではお茶ではなくて、納豆が地面に埋めて作られる地域があるのです。
何でそうなったのでしょう。
焼酎の発酵も、最も原始的な製造法が残っているのです。
原始的な蒸留の酒粕は栄養がまだたっぷり残っているが、豚の餌になるのです。
そして豚の排泄物から作られた肥料は、焼酎の材料となる作物に使われるのです。
雲南省の少数民族である彼等のルーツが、気になるのです。
なぜ、卑弥呼と邪馬台国が日本の史書にないのか?
中国は意味よりも音を優先させて、自らの史書に記したことは多いにあり得ることなのに、日本の史家は日中の発音の差を無視しまくっているのではないでしょうか。
「日本」は中国語の発音では「リーペン」、当然ながら「巫女」も中国人が言えば発音が変わるはずです。 「日巫女」を中国人が言いやすいように音訳したのが、「卑弥呼」なのでしょう。 「邪馬台」国は音の近さから「ヤマト」国であろうとされてきたが、類推の範囲をでなかったのです。 言語学研究の到達点からやむを得なかったと言えるが、昔と今では到達点が違います。 古代の日本語は、二重母音であったことが、明らかになっています。 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、中国人は当時の日本人の発音に近い中国語の文字を探して音訳したと考えるのが、自然なはずです。 「大和(ヤマト)」も当時の日本は二重母音なので強いて言えば「ヤマタィ」に聞こえてもおかしくないから、「邪馬台」国と中国人聞こえてその通りに記したとみる方が自然なのです。
「日巫女」は役職名なので、それを担当したと思われる女性を探せば良いのではないでしょうか。 太陽神の言葉を地上に取り次ぐ巫女である「日巫女」に就任できるのは、一人だけだったことでしょう。 中国人が「日巫女」を個人の名と取り違えても、無理はなかったでしょう。
当時の日本は「日巫女」空位の混乱を、トヨの「日巫女」就任によって収拾したと見ても良いでしょう。 「邪馬台国」も「卑弥呼」も、「大和国」や「日巫女」を中国人が呼びやすいように音訳した名前なので、真に受けて探すだけ時間の無駄なのです。 日本はもっと、歴史的な研究や考察を学際的に行うことが、当たり前になって欲しいものです。
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どういう立場に立って各国の位置関係を見ると良いのか考えてみた方が良い。
北朝鮮がアメリカに対して挑発的行動を取り続けているのです。
北朝鮮に圧力をかけて態度を変えさせようとして、いくつかの国々が動いています。
北朝鮮が態度を変えないなら、石油の全面的な禁輸も辞さないと言う強硬論も出ています。
だがロシアは、それに異を唱えているのです。
対話の道を模索し、進めていくべきだとしているのです。
それに対して、様々な推測や憶測が当然のように出てきています。
しかし、ロシアにどのような思惑があろうと、その背景にはどういう事情があるか考えた方が良いでしょう。
その結果、ロシアに対してどのような働きかけを選択するにしてもです。
まず考えられるのは、ロシアは北朝鮮と陸続きだから、もし北朝鮮の民衆に何かあれば、難民問題など厄介な事態を抱える可能性が大いにあると言う事です。
だが、影響はそんな段階で留まるはずはないと考えるのは自然なはずです。
ロシアは北朝鮮が陸続きの隣国である以上、どんなに可能性が小さかろうと最悪の事態回避に動くのは当たり前ではないでしょうか。
そこを理解すべきなのです。
仮に北朝鮮へ石油輸出を全面的に止めたとします。
ロシアは最も近い産油国なのです。
輸出再開を力づくでも迫ってくることは、当然想定の範囲でしょう。
もし、どちらから業を煮やして戦端が開かれた場合、核で威嚇しあう事態になり、北朝鮮がロシアに核を使いかねないと最悪の事態を想定し全力で回避行動をとるのは当たり前ではないでしょうか。
北朝鮮への石油禁輸を実施したらABCD包囲網で石油禁輸された日本が真珠湾奇襲をしたような行動を北朝鮮は取るかと言う問いに、ロシアはないとは言い切れないと懸念している可能性は否定しない方が良いと思うのです。
そして実際に、最悪の事態の事態はあり得るとの判断を示し、各国の理解を得たいと願っているではないですか。
北朝鮮がアメリカ・ロシア・中国の三国を翻弄出来るのは、緩衝地帯としての地政学的な位置にあるからです。
北朝鮮は自覚しているか否かに関係なく、やらざるを得ないし出来るからやっているのでしょう。
アメリカ・ロシア・中国の三国の緩衝地帯としての地政学的位置にあるにもかかわらず、韓国や日本がそれをやっていないからですよ。
だが韓国や日本は恐らく、自らの地政学的立場を理解していないし、利用してもいないようにみえるのです。
従来の大国のパワーバランス理論の束縛から、出られないからでしょう。
近視眼的なリアリズムが、邪魔しているのです。
日本を中心とした世界地図を見て欲しいのです。
日本が、アメリカ・ロシア・中国の緩衝地帯としてこの三国を翻弄出来る地政学的位置を理解して欲しいのです。
仮に半島が中国とロシアのどちらにつこうとも、日本のアメリカ・ロシア・中国の緩衝地帯としての地位は揺るがないはずです。
しかも経済力もあるではないですか。
かつてより順位は落ちたかもしれないが、それでも十分な高さと大きさがあります。
北朝鮮がロシアと中国を翻弄出来るのは、北朝鮮の緩衝地帯としての地政学的位置をロシアも中国もわかっているからだ。
中国もロシアも、北朝鮮を相手に取られたくないが追いやりたくもないのです。
そして、北朝鮮は中国やロシアとアメリカとの緩衝地帯でもあるのです。
それは、アメリカも十分意識しているはずです。
これらの事情を一番理解できていないのは、悲しいかな、日本ではないですか。
真っ只中にいて翻弄される立場にあるから、多くの国民がそのことに十分理解できていないのかもしれません。
もう一度言います。
日本を中心とした世界地図を眺めてください。
思い描いてください。
日本が、中国やロシアとアメリカの緩衝地帯であり、これらの国々に対してイニシアティブを握れる地政学的位置にあることを、理解してください。
一番良いのは、半島と日本の中立化だと私は思うのです。
そして、中国やロシアとアメリカの緩衝地帯としての地政学的位置にある利点を最大限に利用し活用する政治のリアリズムを徹底的に理解し生かして欲しいのです。
世界が平和と安定の中で、持続可能な対等平等・相互互恵な社会をつくり上げていくイニシアティブを大いに発揮して欲しいのです。
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吉備団子を食べると何が香ってくるだろうか?
岡山県の旧吉備国地域の土産として有名な餅菓子の一種に、吉備団子(きびだんご)があります、
この吉備団子は江戸時代末期に考案にも拘らず、桃太郎の吉備団子と同一視される経緯があるといいます。
桃太郎に結びつくには、それなりの起源の古さがないとおかしいが、現在のような餅菓子の一種になったのは江戸時代末期の事らしいです。
現在に至る改良製品は、餅米の粉を混ぜて求肥を作り、これを整形して小さく平な碁石形の円形に仕上げるのです。
黍の粉を混ぜて風味づけするものもあるが、使わないものもあると言います。
風味付けに黍粉を使うことがあるのは、元々の原料が黍であることに由来する可能性もあるが、定かではないです。
安政年間(1856年頃)に広栄堂により考案されたとされるが、郷土史家の研究によると団子の起源としては年代が合わないと言うのです。
求肥式の製品考案も明治のことだというから、桃太郎の時代からこのような形でなかったことは確かであるでしょう。
吉備団子のルーツを、岡山の吉備津神社で黍団子がふるまわれたり、境内で飴が売られていた故事に求める声もあるらしいです。
飴と団子では違いがありすぎて少々無理がありそうなので、名前から言っても、製法から言っても、起源を黍団子に求める方が自然に思えるのです。
吉備団子と桃太郎の結びつきも、明治時代に菓子製造者が桃太郎のきびだんごと称して販売促進に利用したことに由来するものか、はたまた、昔からの伝承にあやかったものか、定かではないです。
昭和にはいると、桃太郎は吉備津神社の主祭神吉備津彦に由来するとの説がおこる。
それには、この地に伝わる温羅退治が深く関わっているのです。
餅菓子の一種である岡山の吉備団子に黍粉による風味付けがあるのは、元々黍団子だったからと言う説が出てくるのは、黍団子の材料となる黍が「もち黍」だったことによるのです。
「もち黍」は、団子や餅の原料とされます。
黍には「うるち黍」もあるが、こちらはもっぱら菓子の原料とされる。黍団子(きびだんご)は、文字通り「黍」(きび)を粉にしてこしらえた団子で、遅くとも15世紀末には用例が見つかるとされます。
桃太郎のおとぎ話では犬・キジ・猿に「きびだんご」を与えてお供を得ることが知られるが、元禄の頃までは「きびだんご」ならず「とう団子」等だった見る議論も展開されています。
十団子(とうだんご)は和菓子の一種で、団子または類するものを紐や串でつなげたものである。同名の別菓子が複数あるが、元をたどると江戸時代にさかのぼるらしいです。
一つは、今も地元で作る現在の静岡県静岡市にある東海道の宇津ノ谷で売られた団子です。
もう一つは、かつて宮城県塩竈市の名物として作られたあられもちです。
また、十団子は愛知県名古屋市の熱田神宮にゆかりの藤団子の別名でもあります。
黍団子については、昔、麦粉や黍などの雑穀の粉を蒸してついた食物は「餅(べい)」と称していたという考察が、江戸期の暁鐘成の随筆にあります。
「餅」の読みについては「ぺい」の可能性が高いが、実際のところは定かではないらしいです。
また、江戸期の暁鐘成の随筆によれば今の餅は、本来「餐(さん)」と呼ばれていたといいます。
餐とは、「食べること」あるのは「食べるもの」のことなので、地域によっては黍団子は古来から主要な食品であったことがわかります。
吉備国、特に吉備津神社と「黍団子」という食べ物のとあいだには、少なくとも17世紀初頭までにはなにかしらのゆかりができていたようです。
岡山県は、桃太郎に出てくるきびだんごは吉備団子だとして、温羅退治とも結びつけて、うちこそがご当地である名乗りを上げています。
だが、皮肉なことに桃太郎の話を遡ると団子は、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前が上がる一方で、初期のころのには「きびだんご」の名はみえないといいます。
「とう団子」についてはすでに見たので、「大仏餅」「いくよ餅」についてみていきます。
「大仏餅」は、大仏の形を焼き印で押した餅菓子です。
江戸時代、京都の誓願寺門前や方広寺大仏殿前の餅屋で売り出したのが始めと言います。
奈良名物のものは東大寺にまつわり、鎌倉時代から伝わります。
「いくよ餅」は、江戸両国の名物餅で餅をさっと焼いて餡を付けたものです。
元禄(1688~1704)の頃、小松屋喜兵衛が妻幾世の名をつけて売り出しました。
こう見てみると、「とう団子(十団子)」、「大仏餅」、「いくよ餅」などの名前は江戸時代よりもさかのぼることはできないでしょう。
一方、特定の団子の名前が作中に見えないと言う事は、それぞれの土地の団子をそこに当てはめて物語をその土地に結びつけていったと見る事ができるでしょう。
我こそは桃太郎のご当地であると名乗りを上げている土地は複数あります。
岡山県岡山市・総社市
香川県高松市
愛知県犬山市
奈良県磯城郡田原本町
これら、名乗りを上げている土地にもいろいろ言い分はあると思うが、桃太郎の姿が、日の丸の鉢巻に陣羽織、幟を立てた姿になり、犬や鳥、猿が「家来」になったのも明治時代からであるといいます。
それまでは戦装束などしておらず、動物達も道連れであって、上下関係などはないです。
また、団子も、黍団子以外にも、粟・稗の団子の設定などバリエーションがあることや、桃太郎の話自体にも先に挙げたほかにもいくつもの変形があることだけ、触れておきます。
吉備団子についての考察なので、今回は桃太郎にこれ以上踏み込ません。
吉備団子の吉備の名も、黍の収穫量が多かった事に由来する地名だと言われています。
粟に由来する阿波国や木の国が転じて紀伊国となった例などもあり、吉備=黍の転じたものであろうと考えられているわけです。
黍は、イネ科の一年草で、穀物の1種で、日本では五穀の1つとされます。
秋に花が咲き、実が黄色であることから、「黄実(きみ)」→「きび」となったとするのが有力な語源説です。
「うるち黍」「もち黍」の二種があり、黍団子には「もち黍」が使われているのは、すでに見た通りです。
アワより少し大きい実を、そのまま炊いて粥にして食用にしたり、粉にして餅や団子などにしたりします。
黍はインドが原産と推定されるが、原種になった野生植物が発見されておらず詳しい事はまだわかっていないのです。
中国の華北地方では、アワとともに古代の主要穀物でした。
日本には縄文時代に渡来したアワより遅く、弥生時代に渡来したと考えられています。
生長すると1メートル程度になり、夏から秋にかけて茎の先に20センチメートル程度の穂ができ、垂れ下がる。現在では、お菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないです。
吉備の国の国名の由来にまでなった黍も、今ではお菓子の材料や小鳥の餌として利用される程度の用途しか用いられていないのは、少々残念な気がするのです。
どうやら、吉備団子はもともとは「もち黍」を原料にした黍団子であったものが、「もち米」を用いた「餅菓子」に風味付けとして黍粉をまぶしたものに簡素化され、ついには黍粉さえまぶされなくなった「(吉備で作られた団子だから)吉備団子」にまで変質していったものと思われます。
古来、高い技術力を持っていた吉備の国、その国名の由来となった黍を原料としたところに名の由来があるであろう吉備団子から黍の要素が薄れていくのは、なんとも寂しい気がするが、これもまた時の流れでしょうか。
吉備の国の基礎を築いた民は、どこから来たのかと言う、古代のロマンに思いをはせながら、せめて黍粉で風味付けされた吉備団子を味わってみたいがするのです。
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原始爬虫類の腹に胎児?
興味深い記事がAFPで配信されていました。
原始爬虫類の腹に胎児 「進化史書き換える」化石、中国で発見
2017年02月15日 06:04 発信地:パリ/フランス
魚を捕食する妊娠中の原始爬虫類ディノケファロサウルスの想像図。ネイチャー誌提供(2017年2月9日提供)。(c)AFP/NATURE/DINGHUA YANG/JUN LIU/HEFEI UNIVERSITY OF TECHNOLOGY
【2月15日 AFP】2億4500万年前に生息していた非常に首の長い海生爬虫(はちゅう)類が、卵生ではなく胎生だったことを示す化石を発見したとする論文が14日、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ( )に発表された。恐竜や鳥類、ワニを含む主竜形類の仲間で胎生が確認された唯一の種だという。
中国南西部の雲南(
)省で見つかった雌のディノケファロサウルスの化石を調査した研究チームは、腹部に胎児の化石を発見した。論文の共同執筆者、中国・合肥工業大学( )の劉俊( )氏は、「生殖器系の進化についてのわれわれの理解を書き換える発見だ」と述べている。ディノケファロサウルスと同じ主竜形類に属する恐竜や鳥類、ワニ、そして近縁のカメはいずれも卵生だが、トカゲやヘビを含む爬虫類の仲間である鱗竜類の中には、ウミヘビやボア、スキンク、ヒメアシナシトカゲなどの胎生動物も存在する。胎生は主に哺乳類の特徴とされ、卵生はより原始的な動物が行うと考えられている。
ディノケファロサウルスは首の長さが胴体の2倍近くもある奇妙な姿をした海洋生物で、体長は3~4メートルに達する。化石で見つかった胎児の大きさは、母親の10分の1ほどだったという。
AFPの取材に対し、電子メールで回答した劉氏は、当初「この胎児化石が母親の最後の食事だったのか、あるいは生まれる前の胎児なのか分からなかった」と語った。
しかし劉氏によると、通常頭からのみ込まれる獲物とは異なり、腹腔内の胎児は前方を向いていた。さらに、卵の殻が時間の経過と共に消失した可能性も排除されたという。
劉氏は、胎児が「脊椎動物の胎児に典型的な、身を丸める姿勢」をとっていたと同時に、石灰化した卵殻の破片も見つかっていないと説明している。(c)AFP/Mariëtte Le Roux
もし本当に胎児とすれば、胎生は主に哺乳類の特徴とされると言う解釈によって、またしても爬虫類と哺乳類の境目が危うくなることにならないでしょうか。
すでに、単弓類と言う、哺乳類型爬虫類から爬虫類型哺乳類に分類されなおした前例があることを思えば、今後の展開は要注目といえましょう。
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日本どれだけ中東の飛び地なんですか。
日本の食卓を覗くと地中海が見える、なんてネタでお話をしたことがありました。
エジプトの米は日本の農林1号なんです。
しかもエジプトは古代から米食で、品種改良もしていません。
味噌汁は中東のレンズ豆スープと瓜二つ。
ギリシャ料理には「アジの開き」そっくりにいろんな魚を開きにして、タレに付け込んで焼く、というのがあります。
米はアジアではなく、人類発祥の地であるアフリカが起源です。
雨が少ないナイル川流域で発展したのが灌漑農業。
それなりに雨が降る東アジアではそのころはまだ雨水農業が盛んでした。
そのアジアに米と灌漑農業を持ち込んだのが日本に移住した古代日本人である中東人、と思います。
今でも中国人にとっては米は日本人ほどの重要炭水化物ではありません。
これだけ米が好きなのは世界中探しても日本人だけでしょう。
日本では幼児に「ごはん」と言う時、「マンマ」と言いますよね。
エジプトでも幼児に「ごはん」と言う時、「マン」と言います。
両国とも大人には使わない言葉です。
これは私の推測の域を出ませんが、米が「マナ」なのでは?などと思ってしまいます。
伊勢神宮の話を中東人にした時、「いせシュライン」と言ったら「イーセー?」と驚いていました。
アラビア語で「イーセー」はイエスキリストのことですから。
彼らにとっては預言者ですが。
埴輪、を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きます。
日本には「連歌」という文化がありますね。
中東も「連歌」が盛んでした。
彼らは夜キャラバンを率いて砂漠を旅する時、お互いが「連歌」を作りながら楽しく旅をしていたそうです。
目が大きく鼻が高く掘りの深い中東人にとっての「美人」はずばり「平安美人」です。
現代はそこに「金髪碧眼信仰」も加わりますが。
昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」です。
平安時代にそういう顔が美人とされたのは、日本人自体が堀が深い中東顔だったからではないですか?
朝鮮人や中国人が大挙して押し寄せる前の明治維新頃までの日本人には濃い顔が多かったですよね。
実際明治維新頃日本を訪れたヨーロッパ人は本国へのレポートで「日本人は中東顔である」と書いています。
もし千年後に今の日本の漫画が発見されたら、未来人は日本人を「目の大きい人種」と認識するかもしれません。
つまり日本人の民族性は昔も今も、「自分の理想像を描写する」なのかもしれませんね。
古代中東での戦争は、両者が相対しにらみ合いになった時、両者から一人ずつが前に出て、「〇族の〇家の何某!」とお互いが名乗りをあげ、1対1でどちらかが倒れた時に両軍の戦闘が始まる、という、日本の平安時代以前と同じやり方をしていました。
私は中東の歴史ドラマを何度か見たのですが、戦闘のシーンの兵士の持っていた「楯」が日本の「八咫の鏡」と瓜二つだったのには驚きました。
日本ではあれを後生大事にしていますが、映画では兵士全員が持っている消耗品の扱いでした。まー当然ですが。
古代シリア地方を舞台にしたドラマでは戦争中、両者が赤と白のハチマキをして戦っているシーンがありました。サイズも日本のと同じです。
日本語も、古代エジプト語やラテン語、古代ヘブライ語、アラビア語などが混じってますね。こういった事実は、日本を下に組み敷いておきたい中国にとっては抹殺対象なのでしょう。
ひらがな、カタカナのような表音文字が表意文字からつくられるはずがないのです。
漢字から始まったなら簡略化するだけです。
実際、ひらがなとカタカナは古代ヘブライ文字とアラビア文字、しいては古代エジプト文字にそっくりです。
日本という他国の歴史まで「焚書」しようとする中国の傲慢さには反吐がでます。
日本人特有の顔(鼻が高く毛深く甘いマスク)は他の東アジア諸国の特徴的な顔とは全然違います。(当然例外はどこにでもいます。)
顔が違うだけではなく、性格も、他のアジア諸国とは一線を画しています。
長文、失礼しました。
埴輪を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きますの下り、やはりそうでしたかと思わずうなりました。
確かに、滅茶苦茶長く伸ばした前髪や、どう見てもユダヤ人のものと言いたくなる帽子の埴輪を見れば、そりゃ、率直にユダヤかって突っ込みたくもなるでしょう。
わざわざ帽子を埴輪にする時点で、どれだけ大事にしてたんですかって誰だって驚きますよね。
昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」の平安美人顔と言う、指摘にはあらためて驚きました。
そう言えば、天孫一族には古代イスラエル北朝10支族説も出てます。
天皇家の傍系の方々の顔にも、中東顔の指摘があります。
大挙して渡来した秦氏にも原始ユダヤ人キリスト教徒説があるし、平氏の正体にもペルシャ人であると言う声もあるくらい中東の匂いがプンプンしてると言います。
合戦の前に名乗りを上げるところは、このコメントにもあるようにまさに中東のやり方そのものだそうです。
さらに、縄文人自体もアジアとヨーロッパの民族や人種が分かれる以前の人々の子孫とのDNAの解析結果もあります。
言葉についても、ラテン語や古代ヘブル語と共通のルーツと言う説が出るのも、縄文人のせいなんでしょうね。
で、さらに、古代エジプト語やアラビア語ですか。
連歌の文化まで中東と同じですか。
どんだけ、日本って一皮むけば中東が出て来るんですか。
こうなればもう、笑うしかありませんね。
面白い情報満載のコメントにあらためて感謝申し上げます。
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同祖神とタントラと中東?
日本には各地に陰陽石や同祖神があります。
道祖神は坂道や村の教会に、悪霊を防ぐために祀られた神です。
最初は巨大な石だったものが、時代が下るにつれ生殖器の形や、男女が寄り添った像になりました。
同祖神の祀り方の中には、九州に見られるようなヨーニとリンガの合体をリアルに表現したとしか思えないものもあるのです。
ひょっとしたら、タントラのリンガとヨーニの変形かも知れません。
タントラでは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガとから、宇宙的エネルギーとしての炎が生じるとされています。
日本神話のイザナミとイザナギは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在とは考えてみても面白いかもしれません。
現にイザナミは、火の神を生んでいるのです。
これは単なる偶然でしょうか。
さらに、太陽神であるアマテラスとアマテルも、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在を御霊分けしたのかも知れませんね。
アマテラスについては、スサノオとの関係で女神とされた可能性もありえるかもしれません。
女性器であるヨーニに当てられたアマテラスと、男性器であるリンガに当てられたスサノオと見るのです。
アマテラスのヨーニは、機織り女が飛び樋に女陰を突かれたとあるのがそれでしょう。
日本書紀には一書にいわくとして、アマテラスの隠れを死と記す記録もあると指摘していると言います。
スサノオのリンガは、逆剥けの馬とあるのがそれでしょう。
「飛び樋」を「飛び火」と見ると、宇宙的エネルギーとしての炎の事でしょう。
日本語では、よく掛詞をするが早い話駄洒落ってことです。
ついでに言うと、アマテラス=機織り女=織姫とすれば、スサノオ=牛頭権現=牽牛となるでしょう。
二人の出会う7月7日は、女のメノラーと男のメノラーが重なる日なのでしょうね。
メノラーとは七枝の燭台のことで、ユダヤ教のシンボルです。
それと、聖にして、生にして、性なる炎こそが、聖火の正体ではないのでしょうか。
そして、モーゼが見た神の炎も、この聖火かも知れません。
タントラと陰陽道とカッバーラは、見た目は一見違っています。
でも、よくよく吟味すると実はよく似ている思想であることに気が付くのです。
インドには、古代ペルシアから分かれた人々が移動したことが知られています。
古代中東の思想が伝わっていても不思議ではありません。
そして、古代中国と古代中東もまた、今日の私たちが想像する以上に繋がっている可能性があるのです。
そして、日本はその延長線上にあるのではないでしょうか。
日本古代史と中東の繋がりは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。
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