生物

経済活動と生命活動を対比してみても良いのではないだろうか。

経済行動や経済活動は、生体の営みとある意味似ています。

 

資金の流れは、血液の流れと似ています。

 

血液を全身に送り出すのは心臓、資金の大本である通貨を市場に送り出すのは中央銀行ですよね。

 

だが、血液は送り出されただけじゃ意味を持たないです。

 

通貨も市場に出るだけでは資金ではないニャ。

 

血液は臓器の中で消費されてこそ、血液の役目を果たすのです。

 

通貨はさまざまな経済主体の中で消費されてこそ、資金としての役割を果たすのです。

 

とは言え、資金の流れは血液だけでは例えきれないでしょうね。

 

血液は栄養を全身に運ぶ、資金の流れは単なる通過の流れではないのです。

 

通貨は、流通し、貯蔵されるのです。

 

これは、体内を循環する栄養は時として貯蔵されることに似ているのです。

 

つまり、資金の流れで言う通貨に体内で言えば栄養と見た方が良いのです。

 

そう考えると、内部留保の経済での働きは蓄積された脂肪に相当すると見て良いかもしれません。

 

適正量の脂肪、適正量の内部留保は、体内や企業の健全な営みを支えるために必要だが、行き過ぎた蓄積は健康を害するようになります。

 

蓄積された脂肪の消費は、体内で循環している栄養素で足りない時に起きるはずです。

 

同じように内部留保は必要な資金調達が市場からだけでは間に合わない時、換金性の高いものから消費されるはずです。

 

近年の内部留保の蓄積は急激と言う事は、一時避難的に換金性の高い資産に変換されている可能性が高いです。

 

つまり、経済活動が大いに活性化すれば速やかに換金されて企業の活動に回されることが期待できるでしょう。

 

経済活動の6割は個人消費と言われます。

 

これは、第二の心臓の異名を持つ足腰に相当すると見て良いでしょう。

 

足腰が活発に動けば動くほど、血管内に目まぐるしく栄養は駆け巡るようになります。

 

個人消費が活発になればなるほど、市場で通貨、つまり資金は目まぐるしく流通することになるのではないでしょうか。

 

個人消費と、個々人の生活は切っても切り離せないです。

 

日々の生活で新たな消費が旺盛になれば、市場の中で資金も活発に巡るのです。

 

動物は動くから動物、生活は生きて活動するから生活、違うでしょうか。

 

個人消費が思うように動いていないというなら、個々人の生活の質はどうなっているか調べた方が良いでしょう。

 

かつてのような大量消費が望めないなら、単価をどうすれば上げられるか見れば良いのです。

 

簡単です。

 

収入が増え、その状態が維持できると期待できる状況が実感できればいいのです。

 

量が期待できないなら質を上げその質に見合った価格を設定すればよく、その代金を気前よく払えるだけの生活の維持が期待できる状況が実感できるようにする政治が求められる。でしょう。

 

今の時代、社会には十分な富があるはずです。

 

それが、個々人の生活を力強く支えるために使われるべきと不退転な決意で実行する意思と能力のある政党や政治家を、市民が育てる意思と能力を発揮できるかどうかにかかっているのではないでしょうか。

 

動物は必然となれば、生存に適した場所を命がけで求めて、行動するのです。

 

人間だって、よりよい社会やよりよい政治を本気で必要と思うなら、大胆に行動を起こすことをいとわない方が良いのではないでしょうか。

 

闇雲に動くことはないが、よりよい社会やよりよい政治のために、もっともっと、思考もし、激論も交わす方が良いでしょう。

 

少しでもいいポジションを求めて生物は行動するはずです。

 

人間は、全体でよりよいポジションに進めるように協力協同した方が良いでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

誰が主人か覚えておきましょう。

選挙で棄権しときながら、後で文句言うなって言う声出ますよね。

 

選挙で棄権することは投票に行った人たちへ白紙委任したのとおなじってこと、わかっていないのでしょう。

 

今の政治に文句あるなら、与党の候補選ばなきゃいいだけなんです。

 

後は野党から、少しでもましそうなの選べば良いわけですよ。

 

居ないっていうなら、あなた出なさいよ、そう言ってあげたいですね。

 

選挙、棄権とか言って行かない人いるけれど、それ、はっきり言って責任放棄だよって言いました。

 

民主主義では、国と地方の全ての役人の雇用者は国民であり住民だからなんですよ。

 

選挙はね、面接試験みたいなものなんです。

 

有権者が誰を議員に採用するか決める、それが選挙なんです。

 

棄権はね、参加した人たちへの白紙委任とおなじ、そういうことです。

 

犬も役人や議員も、誰が主人かちゃんと示さないと自分が主人にならんとダメと思い込むことがあり得るのです。

 

それを防ぐには、誰が主人か毅然とした態度で示さないとダメなんです。

 

リードは短く持って、おかしな方、行って欲しくない方に行こうとしたら、強く引いて道に戻すの、リードを握るってことは主導権を握るってことですよ。

 

やり方は同じなんですよ。

 

日本人はしばしば、お任せ民主主義になりがちだけと、それって犬で言えば「どうそ権勢症候群になってください」って言ってるようなもんなのです。

 

だから、選挙の後でふんぞり返る議員も出る、そういうことですよ。

 

あれ、犬でいったら権勢症候群ですから。

 

あなたの主人は国民である、住民である私たちと教えること、これ、基本ですよ。

 

社会保障や社会政策をお上の慈悲だのお恵み扱いしてるうちは、必要な充実なんてまず無理ですよ。

 

民主主義国家では、国と地方の政治の担い手を雇ってるのは国民であり住民ですよ。

 

勘違いしてる議員や役人は、権勢症候群にかかったわんこと同じですよ。

 

誰が主人か、教えなきゃダメなのですよ。

 

大体ね、社会保障や社会政策の原点は、治安対策だったんですよ。

 

犯罪や暴動、政府転覆策動を防ぐために始まったと言って良いのです。

 

つまり政府に社会保障や社会政策の充実求めたいなら、デモや集会、野党への投票で圧力かけなきゃダメなんです。

 

今の日本人、大人し過ぎますよね。

 

損してますよ、ほんと。

 

ちなみにアメリカでは、災害の後の生活再建支援も日本よりも手厚いそうですよ。

 

なんたって、不満が暴動に繋がりかねないから、そういう動きを事前に封じるための施策は、日本よりも充実してるってことでしょう。

 

日本人も政治に不満があれば、ドンドン、デモや集会で意思表示すればいいんです。


最低賃金1500円実現をと言うと、払えない小さな企業はどうすると言う声も出てきます。

 

アメリカ合衆国ではすべての事業者に最低賃金の引き上げを実施させるために、大胆な予算を計上して、断行したと言います。

 

格差の深刻なアメリカ、実施にも格差となれば治安上問題出るからでしょう。

 

日本は治安上の問題まで行かないとしても、政権が持たないと言う危機感は持たせるくらいのデモや集会やらなきゃだめですよ。

 

そうでなければ、なめられます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ペンギンと恐竜は同時代?

興味深い記事が、AFPで配信されています。

記事には、これは、両者の最後の共通の祖先がずっと昔、恐竜時代に生息していたことを示しているとあるが、両者とはペンギンと恐竜です。

古代の巨大ペンギン、恐竜と共存 NZで発見の化石で判明

2017年02月24日 06:10 

発信地:パリ/フランス
Img_28fa7969817707bcbc496a3184802db

恐竜時代に生息していた巨大ペンギンを描いた想像図。オタゴ大学地質博物館提供(2017223日提供)。(c)AFP/Geology Museum-University of Otago/Chris GASKIN

 足の化石は、ニュージーランドのワイパラ(Waipara)川近くでアマチュア化石収集家により発掘された。ただ、この化石だけではペンギンと恐竜が共存していたことの証明にはならない。この8センチの骨の年代は、ティラノサウルス・レックス(T・レックス、Tyrannosaurus rex)などが姿を消してからずっと後の約6100万年前のものだった。

 しかしこの周辺では過去に別の巨大ペンギンの化石が見つかっており、これが決定的な証拠となり、2羽の共通の祖先がその何百万年も前に生きていたことが示された。

 論文の主執筆者で、ドイツ・フランクフルト(Frankfurt)のゼンケンベルク研究所(Senckenberg Research Institute)の鳥類学者、ゲラルト・マイヤー(Gerald Mayr)氏はAFPに対し、「この2羽のペンギンは全く同じ場所から発掘されたが、形態学的にはかなり異なる。これは、両者の最後の共通の祖先がずっと昔、恐竜時代に生息していたことを示している」と説明した。

 このあらゆるペンギンの祖先は子孫である2羽よりも500万~1000万年前に生息していたとみられ、恐竜の繁栄が続いていた白亜紀後期にはすでに存在していたことになるという。この研究結果をまとめた論文は科学誌サイエンス・オブ・ネイチャー(Science of Nature)に掲載された。

 原始ペンギンは、餌が陸でなく海にあったため、壊滅的被害をもたらした小惑星衝突による衝撃波やその後の気候変動を生き延びたとみられる。これとは対照的に陸生だった恐竜は、その後何十年も続いた冬の間に餓死してしまったのだろうと、研究チームは推測している。

 ワイパラ川周辺で化石が見つかった巨大ペンギンは、体高が最低でも150センチあった。これは成人女性の平均身長を若干下回る程度で、南極大陸を主とする南半球のみに生息する現生ペンギン17種のうちの最大種であるコウテイペンギンよりも頭1つ分高い。

 絶滅種の中では唯一、3300万~4500万年前の南極大陸に生息していたアンスロポルニス・ノルデンスクジョルディ(別名ノルデンショルトジャイアントペンギン)が、ワイパラのペンギンよりも大きかった。(c)AFP/Marlowe HOOD

ペンギンの祖先は、恐竜の繁栄が続いていた白亜紀後期にはすでに存在していたことになる、と言うことは恐竜を爬虫類と鳥類を繋ぐ存在として位置付ける展開になりつつある恐竜研究に見直しを迫ることになるのでしょうか。

今後どういう議論になっていくか、気になるところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原始爬虫類の腹に胎児?

興味深い記事がAFPで配信されていました。

原始爬虫類の腹に胎児 「進化史書き換える」化石、中国で発見

2017年02月15日 06:04 発信地:パリ/フランス科学・技術

Img_c8042ebcd4eefdd680b73cd80d37f87

魚を捕食する妊娠中の原始爬虫類ディノケファロサウルスの想像図。ネイチャー誌提供(2017年2月9日提供)。(c)AFP/NATURE/DINGHUA YANG/JUN LIU/HEFEI UNIVERSITY OF TECHNOLOGY

【2月15日 AFP】2億4500万年前に生息していた非常に首の長い海生爬虫(はちゅう)類が、卵生ではなく胎生だったことを示す化石を発見したとする論文が14日、英科学誌ネイチャー・コミュニケーションズ(Nature Communications)に発表された。恐竜や鳥類、ワニを含む主竜形類の仲間で胎生が確認された唯一の種だという。

 中国南西部の雲南(Yunnan)省で見つかった雌のディノケファロサウルスの化石を調査した研究チームは、腹部に胎児の化石を発見した。論文の共同執筆者、中国・合肥工業大学(Hefei University of Technology)の劉俊(Jun Liu)氏は、「生殖器系の進化についてのわれわれの理解を書き換える発見だ」と述べている。

 ディノケファロサウルスと同じ主竜形類に属する恐竜や鳥類、ワニ、そして近縁のカメはいずれも卵生だが、トカゲやヘビを含む爬虫類の仲間である鱗竜類の中には、ウミヘビやボア、スキンク、ヒメアシナシトカゲなどの胎生動物も存在する。胎生は主に哺乳類の特徴とされ、卵生はより原始的な動物が行うと考えられている。

 ディノケファロサウルスは首の長さが胴体の2倍近くもある奇妙な姿をした海洋生物で、体長は3~4メートルに達する。化石で見つかった胎児の大きさは、母親の10分の1ほどだったという。

 AFPの取材に対し、電子メールで回答した劉氏は、当初「この胎児化石が母親の最後の食事だったのか、あるいは生まれる前の胎児なのか分からなかった」と語った。

 しかし劉氏によると、通常頭からのみ込まれる獲物とは異なり、腹腔内の胎児は前方を向いていた。さらに、卵の殻が時間の経過と共に消失した可能性も排除されたという。

 劉氏は、胎児が「脊椎動物の胎児に典型的な、身を丸める姿勢」をとっていたと同時に、石灰化した卵殻の破片も見つかっていないと説明している。(c)AFP/Mariëtte Le Roux

もし本当に胎児とすれば、胎生は主に哺乳類の特徴とされると言う解釈によって、またしても爬虫類と哺乳類の境目が危うくなることにならないでしょうか。

すでに、単弓類と言う、哺乳類型爬虫類から爬虫類型哺乳類に分類されなおした前例があることを思えば、今後の展開は要注目といえましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

単弓類をめぐって爬虫類はどうなっていく?

爬虫類をめぐって、興味深いことになっています。

鳥と恐竜の境目はどんどんあいまいなって来ていて、もふもふな鳥のようなT-REXの表現も許容範囲になってきたこと、さらに、鳥と哺乳類の境目も授乳能力をめぐって揺らぐかもしれないことを話していたら、こんな反応がありました。

 

側頭窓の数で分類されるので境界が揺らぐことはないと思います。恐竜は双弓類、哺乳類は単弓類です。

 

こういう指摘だけれど、単弓類は古くは哺乳類型爬虫類に分類されていたのですよ。

 

単弓類は、爬虫類と見れば哺乳類に、哺乳類と見れば爬虫類に、似ているところが気になってしまう大変悩ましい存在なのです。

 

爬虫類型哺乳類に分類されなおしたのは、研究史上極めて最近の事です。

 

つまり、単弓類をどうとらえるかで、哺乳類と爬虫類の境目は簡単に移動するのです。

 

そして爬虫類の中での恐竜の位置付けも、大変に悩ましいことになってきているのです。

 

恐竜は、魚類、両生類、爬虫類、鳥類、哺乳類などのうち、どの部類に属するのですか?と言う問いかけに対し、答えは混乱したのですよ。


魚類に分類と言うのは、流石になかったようですけどね。

 

恐竜は単独で分類した方が良いとか、もはや鳥類で良いとか、まだ爬虫類で分類しておくべきだなど、答えがバラバラで、かえって質問者は頭を抱えてしまったのです。

 

恐竜は、爬虫類と鳥類の境目を引っ掻き回す存在となっているのです。

 

そして今や恐竜は鳥と区別がつかないのではないかとなっているのです。

 

一応、爬虫類と鳥類を繋ぐ中間に位置付けてはいますけど。

 

鳥と哺乳類の境目は、かつてはカモノハシが揺るがしたが、決め手となった授乳能力が当てにならない可能性があります。

 

ミルクを作る能力のある素嚢(そのう)は鳥類の特徴の一つだし、鳥類の中には素嚢以外を用いてミルクをだす種もある以上、授乳能力もまた、鳥類の一般的能力に加わるかもしれないわけです。

その素嚢は恐竜にもあるので、素嚢をめぐる議論は当然、恐竜も巻き込んでしまうことになってしまうのです。

 

鳥と恐竜の境目が揺らぎ、鳥と哺乳類の境目が揺らぎ、爬虫類と哺乳類のどちらに分類して良いか悩ましい単弓類があるわけです。

 

今後、恐竜と鳥と哺乳類の境目をめぐる混乱は、さらに深刻になるであろうと言う展望が、近年の進展なのです。

 

爬虫類は哺乳類との単弓類をめぐる混乱だけでなく、恐竜と鳥類の分類の混乱にも巻き込まれていくことになって行きそうなのですよ。

 

面白いことになってきました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

新しい恐竜のイメージはすでに広まりつつあることをご存知でしょうか。

もふもふな鳥のようなT-REXを描くと、T-REXのイメージ壊すなと言う人も多いと思うけど、鳥と恐竜の境目はどこにあるかわからないと言うことが最新研究です。

 

つまり、もふもふな鳥のようなT-REXも解釈としてはありなのです。

実際、すでに鳥のようなもふもふな恐竜を表現した展示は、外国では始まっているそうです。

 

まだまだ、企画展の段階だとしても、いやむしろ企画展のような最新研究の成果を知らせる場だからこそ、鳥のようなもふもふな恐竜のイメージが表現されるともいえますけどね。

 

ひょっとすると、皆さんの中にはもふもふな鳥のようなT-REXの展示をすでに見たことがある方もおられるかもしれないですね。

 

恐竜の足跡は最初見つかった時、あまりにも鳥のものと似ていたので、巨大な鳥のものと想像されていたと言います。

 

全身骨格が見つかるに及び爬虫類説が登場し、恐竜と言う呼び名が生まれることになりました。

 

だが研究が進むと再び鳥と恐竜の境目があいまいになり、イメージは振り出しに戻った感があります。

 

そもそも、恐竜の足の付き方は爬虫類よりも鳥類や哺乳類に近いので、爬虫類に分類する方がむしろ無理が大きかったと言えます。

 

だが、授乳能力をめぐって鳥類と哺乳類の境目も揺らぐ可能性は否定できないのです。

まだまだ、恐竜自体のイメージは変わるかも知れないわけです。

 

多くの恐竜に、鳥と同じような素嚢(そのう)が見つかっているが、何種類かの鳥はこの器官をミルクのためにも使っている事がわかっているのです。

 

素嚢とは消化管の一部分で、膨らんだ形状をしているうえに管壁が厚くなっており、消化に先立って食べたものを一時的に貯蔵しておくための器官です。

 

素嚢で作られるミルクは、素嚢乳と呼ばれています。

 

素嚢乳は主に鳩類で見つかっていたので英語ではピジョン・ミルク(pigeon milk、鳩乳の意)とも呼ばれます。

 

素嚢乳は、いまではフラミンゴ・インコ・オウムでも確認されています。

 

鳥が素嚢でミルクを作るとなると、恐竜もまた素嚢でミルクを作って与えて子育てしていた可能性は否定できないのです。

 

ペンギンのような別のメカニズムでミルクを与えている場合も含め、ミルク状の栄養を与えている種はまだまだ、鳥類の中に見つかるかもしれません。

 

仮に授乳能力がほとんどの鳥類で確認できる事態になれば、鳥類と哺乳類をひとまとめにする新しい分類が提案される場合だって無いとは言い切れないのです。

 

その素嚢が恐竜にもあるわけだから、まるで鳥のようなモフモフT-REXをイメージが違うなどと思わない方が良いでしょう。

 

もっとも、日本でまるで鳥のようなモフモフT-REXをイメージが定着するころには、恐竜の最先端のイメージはさらに変化しているかも知れませんけどね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

聖書は誰の目線で書かれているか。

聖書に猫が出てこないと言う人もいます。

外典に位置付けられるエレミヤの手紙に、聖書では珍しく猫がでてきます。

エレミヤの手紙はバルク書の第6章として含まれることもあり、哀歌の後続の小編として位置づけられています。

偶像崇拝の馬鹿らしさを述べる文脈の中で、21節に゛その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。゛とあるようにバビロニアにも猫はいました。

ならば、古代のイスラエルやユダの王国に、猫はいなかったのでしょうか。

イスラエルの民は猫が大好きなエジプトに長い事住んでいた以上、猫の存在も、財産を守る猫の大切な役割も、知らなかったはずはありません。

エジプトを去る際、多くの財産とともに出発したことでしょう。

ならば、彼らの傍らに猫がいなかったと考える方が不自然ではないでしょうか。

にも拘らず、聖書にはエレミヤの手紙以外に猫の出番がありません。

しかし、ねずみはレビ記、サムエル記上、イザヤ書、ゼカリヤ書に登場します。

ねずみは地を荒す穢れた生き物として嫌われている事を思えば、大切な祭具や貯えや諸々の道具類を守るために猫を同伴していたか、ヤマネコの来訪を待ち望んでいた可能性があります。

ならば、なぜに猫の出番が聖書で巡ってこないかと言えば、答えはただ一つです。

聖書は歴史の記録書である以前に、聖典だからなのです。

古代イスラエルやユダヤに人たちがどんなに猫の可愛さにぞっこんになろうが、めろめろになろうが、ちゃんとした生活さえできていれば何の問題もないわけです。

これでもし、猫の可愛さにかまけて仕事がおろそかになった人が続出して由々しき事態にまで発展していたなら、神様も猫の構い方について説教をしたことでしょう
今でも猫はマイペースで、邪魔になると思えば自分から落ち着ける居場所を求めて避難します。

まして聖書の時代、猫の一番の任務はねずみ退治であり、猫の生活は縄張りの巡回か寝ているかのどちらかであったし、人々もまた日々の営みで忙しかったことでしょう。

人々の古代からの友として賞賛する人の多い犬でさえ、人々との係わりはほとんど記述はありません。

まして猫はマイペースで、人々のプライベートな寛ぎの時間の遊び相手になることが多いわけです。

町を歩いていて思いがけない場所で出会えれば運が良いと言える存在である猫に、聖書での出番が沢山ある方がおかしいのです。

聖書に猫の出番が少ない理由に、わざわざエジプトの事を持ち出すまでのことなどないと言えるでしょう。

聖書で犬の出番は確かに多いです。

出エジプト記、士師記、サムエル記上、サムエル記下、列王紀上、列王紀下、ヨブ記、詩編、箴言、伝道の書、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、ミカ書、マラキ書、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ピリピ人への手紙、ペテロの第二の手紙、ヨハネの黙示録と、犬の出番のない書を上げた方が早いくらいです。

だが、犬と犬好きに気の毒なくらい、聖書での扱いは芳しいものがありません。

それは、当時の犬は野犬が多く、家畜や旅人にとって危険な存在だったという事情もあるかもしれません。

けれど思い起こしてください。

今の私たちの諺でも、犬が出てくるもので犬の評価が高いものはどれだけあるでしょう。

それに比べれば、猫に関する諺の愉快で笑えるものは多いです。

それは猫が寛ぎの時間の遊び仲間だからでしょう。

出番が多い割に可哀想な扱いの多い犬に対して、エレミヤの手紙以外の出番はないが゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いです。

聖書は、人々に対して神への絶対的な服従を求める書の印象が強いかもしれません。

だが、神は人々にサタンではなく神である私を選びなさいと求めているのです。

神への服従は、神の命令ではなく、神の勧告なのです。

自由な猫と、服従の犬。

そう思って聖書を見れば、人々の自由な選びによる自らへの服従を粘り強く待ち続けておられる神の目線は、果たして猫と犬、どちらに近いでしょう。

コーランの神であるアッラーは、聖書の神と同じですが、古代エジプトの猫神ラーが正体かも知れません。

猫神ラー=アッラー=聖書の神エロヒムの構図に、神の子イエスを並べて見れば、親のエロヒムが猫神ならイエスは子猫ではないでしょうか。

エレミヤの手紙で゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いなのは、猫は別格な神の化身あるいは使者に準えて皮肉られているのではないでしょうか。

猫は象徴ではあっても、神の化身あるいは使者の当人ではないからです。

聖書を選択の自由を説く書として見るなら、自由な存在としての猫目線で書かれているからこそ不自由な選択の余地のない服従の象徴としての犬は可哀想なくらい評価が低いのかもしれません。

聖書が猫目線で書かれた書とすれば、猫の出番が聖書にほとんどないどころか、猫の聖典が実は聖書なのかもしれません。

ヨハネによる福音書1章1節にこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言葉とは、イエスの事です。

面白いことに、実際に猫はイエスのメタファーなのです。

これ、偶然でしょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

科学者ならもっと事実の前に素直になって欲しい。

科学者が言っているからと、鵜呑みは禁物と思っています。

宇宙で遠くを見ることは過去を見る事だと言っておきながら遠方で赤方偏移が大きいのを見ればやがて宇宙の膨張は膨張は加速すると言うが、遠方を見る事からわかるのは過去であり未来であるって、矛盾しているでしょう。
温故知新、故きを温ねて新しきを知るとは言うけれど、遠方の赤方偏移がより大きいってことは、過去の宇宙の膨張は大きかったが次第に減速して今はほとんど膨張は測定不能なほど小さくなったと解釈する方が一貫性があると考えてないのでしょうか。
宇宙の膨張は時代が下るほど減速していると見る方が一貫性があるのに、アインシュタインの宇宙定数を入れた式の方が観測にあっていると言うのは、明らかに解釈の矛盾です。
アインシュタインはもともと定常宇宙を想定して宇宙定数を入れたわけだし、遠くを見る事は過去を見る事なはずなのにそこで赤方偏移が大きくなっていることが未来の出来事とすり替わってしまうって勝手すぎませんか。
近年の太陽光の研究で、太陽の重力による赤方偏移が理論的に説明可能になりつつあります。
長年、波長による赤方偏移のばらつきのために太陽の重力による赤方偏移は検出不能と見られてきたのです。
重力による赤方偏移検出の目途が立ちつつあることで、太陽以外の恒星の光も調査の対象にする計画も立てられようとしていると言うので、展開に注目です。
ニュートリノが光より60ナノ秒(1億分の6秒)速く進むことを観測したと発表されたことがあります。

スイスのジュネーブ郊外にある欧州合同原子核研究所(CERN)から発射したニュートリノが、約730キロ離れたグランサッソ国立研究所の検出器に到達するまでの時間と距離を測定した結果です。

3年以上にわたり1万5000回も実験しないと再現性のないという事実を無視して、短期間の検証で再現できなかったことで否定しようとしたり、誤差やミスで説明できるのではと疑って見たりしてます。

誤差やミスで何度も同じ数値が出る方が不自然だから、ニュートリノの超光速が観測できた可能性があると発表されました。

あり得ないはずの超光速が何度も同じ数値で出た以上、何で誤差やミス以外の可能性があると考えられないのでしょうね。

最も可能性があり得るのは波長の悪戯じゃないかと何故疑わないの、数値が一定なんですから。

ニワトリの指に恐竜の名残 鳥類・獣脚類説を裏付けと言う話題があったが、報道に気になるところがありました。

2011年2月11日の共同通信の記事にはこうあります。

鳥類は四肢動物に属し、翼が前脚に相当、指の骨が3本ある。

一方、獣脚類は前脚に5本の指があったが、進化の過程で薬指と小指が退化。

3本の指となったことが化石から分かっていた。

チームは、卵の中でニワトリの指が形成される過程を、3本のうち最も外側の指に着目して詳しく調べた。

指のもととなる軟骨が、初期には薬指の位置にあるが、発達とともに次第にずれ、どの指になるかが決定する段階では中指の位置に移動することを発見した。

さらにこの指は、マウスの中指の作られ方と一致することも判明。

3本は中指と、人さし指、親指と判断した。

記事には、この指はマウスの中指の作られ方と一致することも判明とあるわけで、鳥類と恐竜と哺乳類の関係が示唆された研究結果と注目する研究者はいなかったのでしょうか。

右回りのコマの重さの測定値が小さくなったと言う報告では、摩擦も真空度も限りなく零にする必要があると指摘されたのに、追試と称した実験でコマを風で回すって馬鹿ですか。

羽根を、装置の外で回せば摩擦が、装置の中で回せば真空度が、限りなく零にする必要があるのに実現が絶望的に不可能なこと、小学生でもわかるのではないですか。

絶対条件とされた項目を頭ごなしに馬鹿にして気に入らないから無視って、大人げないでしょ。

しかも、コマの重量の測定された数値の変化が報告されたので、それ以上でも以下でもないのに、実験装置全体の重量の測定値の変化を測ったって何考えてるのでしょうね。

重量の測定値の変化=質量の測定値の変化と勝手に読み替えて、測定値に変化がなかったって絶句ですよ。

せっかく、報告通りの装置を作っておきながら、報告にはない実験装置全体の重量の値の変化の測定値をして、報告にあったコマの重量の値の変化は頭から無視って溜息しか出ません。

私が気が付いただけでもこうです。

恐らく、もっとあるでしょう。

学者や専門家が言ってるからと、鵜呑みしない方が良いと思います。

時間が無い、暇じゃ無い、それで良いのでしょうか。

ちょっとでも気になったものがあったら、今はネットでいくらでも情報が手に入ります。

皆さんもやってみてください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ラスコー壁画と鳥人。

フランスの世界遺産の一つに、クロマニョン人が残した壁画で有名なラスコー洞窟があります。

この壁画自体も何が目的なのかという謎があるのですが、描かれている物にも謎があります。
何を意味するのか分からない記号などもそうだが、壁画唯一の人物が鳥頭の男性と言うのも、謎の一つです。
鳥人と思える鳥頭の男性が、何のために描かれているのか不明なのです。
ラスコー洞窟壁画の鳥人が、何のために描かれているか謎になってしまったのは、研究者たちがラスコー付近の住民の文化の範囲内で解釈を探しているからでしょう。
古代社会は、もっともっとグローバルな世界だったはずなんですけどね。
そこで、視野を広げると答えが見えてくるはずです。
鳥人の傍らには、傷ついて腸がはみ出ているように見えるバイソンがいます。
これは何らかの祭祀を行っているシャーマンではないかと見ることも、できるようです。
すぐそばに描かれている二本の投槍器のうち一つは、頭に鳥の形が付いています。
この絵で連想できるのは、鳥がしばしば天と地を繋ぐ存在として宗教では位置付けられていることです。
この鳥頭の男性は、裸体に見えます。
そして、男性器は勃起した状態で描かれています。
裸体表現は、その人は地上ではなく霊や神々の世界の住民であることを示すことがよくあります。
ギリシャ神話の神々もたいてい裸体で表現されるし、ブラジルのカーニバルも本来は人が神や霊の世界の存在との交流のために共に踊る儀式として裸体で行う行事だったようです。
ブラジルのカーニバルは観光資源化してしまったために衣装を着ることになったが、上級者になればなるほど肌の露出が増えるのも、かつて裸体でおこなれていた時代の名残なようです。
つまり、裸形で鳥頭の男性は、天と地を繋ぐ霊会の使者としてバイソンを屠っているのかもしれません。
牛は聖獣として扱われることが多い動物です。
牛は、聖獣であるがゆえに、神への捧げものとして屠られることも多く、その証拠に犠牲と言う字には牛偏が付いています。
ラスコー壁画唯一の人物である鳥人は、神に日頃の恵みへの感謝とこれからもよろしくお願いしますという気持ちを届ける犠牲として聖獣であるバイソンを屠る儀式をしている可能性はあり得ます。
鳥人に扮した裸形の男性が男性器を勃起させて描かれているのも、自然の豊かな恵みへの感謝と子孫繁栄祈願として、牛屠りの儀式を行っていると見れば、納得できるのではないでしょうか。
ラスコー洞窟は、神聖な儀式の場として用いられていた聖なる空間だったのかも知れません。
そう言えば、古代中東のミトラス神はフリジア帽とも呼ばれるフリギア帽がトレードマークの牛屠りの神だが、ひょっとしたらあの帽子は鳥の変形なのかしらと、ふと思ってしまいました。
もちろん、恵みへの感謝と子孫繁栄を祈願してバイソンを屠っている鳥頭のシャーマンと、太陽神で世界創造の業のために聖なる牛を屠っているフリギア帽のミトラス神と、設定は違います。
けれど、ミトラス神は起源はわからないくらい古い時代からの神ですからね。
牛屠りの鳥人祭祀の意味が忘れられて、フリギア帽と着衣のミトラス神に代わってしまった可能性はないのでしょうか。
一つ疑問が解けたと思ったら、新たな疑問が、浮かんでしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

恐竜と哺乳類、何が運命を分けたのか?

ギズモード・ジャパンで興味ひかれる記事が配信されました。

事実ならこれまでの進化の定説が書き換えられることになるとともに、どうしてこうなったか新たな説明が求められることになるでしょう。

哺乳類、実は恐竜の絶滅以前から繁栄していたとする新説が発表

2016.06.12 12:43

Dd198e7f8c4dfbc0a677f1ade5b9b381851

恐竜とともに生きていた?

 

なぜ長らく地球を牛耳ってきた恐竜が絶滅してしまったのか? その理由をめぐっては諸説あるものの、6600万年前に現在のメキシコのあたりに衝突した、直径10kmにもおよぶ巨大な小惑星が地球を変えてしまったとの説が有力です。この衝突を契機として、地球規模の大嵐や大規模な火山活動が続き、その後の凍りつくような地球寒冷化現象によって恐竜は滅んだと考えられてきました。

 

しかしながら、この恐竜の絶滅によって哺乳類の繁栄の道は開かれ、現在にいたるとの流れを何度も耳にしてきました。恐竜がいた時代、哺乳類はまったく存在していなかったわけではないものの、その陰におびえるように、小さな原始哺乳動物が細々と生きていたのみ。それが、みごとに小惑星衝突後の気候大変動を生き延びて、哺乳類の新時代を切り開いたとの説が一般的です。

 

このほど英学術専門誌のProceedings of the Royal Society Bに、サウサンプトン大学およびシカゴ大学の博士課程の学生たちによる、定説を覆す論文が掲載。なんと哺乳類は、これまでに考えられていたよりも前から、恐竜たちがいた時代から大々的に生息してきた可能性が高いと発表されていますよ!


近年の化石の研究により、大きいものでは犬ほどの大きさになる初期の有蹄類が、恐竜絶滅の10002000万年前に生息していたことが判明。恐竜とともに生きていた哺乳類の最大の特徴は、さまざまなものを食べる、食の多様性だったそうです。そして恐竜と同じように、数千万年のあいだ多種多様な哺乳類が生息してきたはずで、6600万年前の小惑星の衝突後にその多くが滅びてしまったと考えられています。

 

またこの論文の執筆者であるDavid Grossnickle氏は、恐竜はすべて死に絶えたのに、同じ時代を生きていた哺乳類のなかに生き延びた種が存在した理由を追究することから、今後やってくるであろう気候変動による新たな大量絶滅の危機を乗り越えるヒントがあるとしていますよ。まだまだいろんな新発見が飛び出してくるのかもしれませんよね~。

source: BBC

(湯木進悟)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧