インド

神道とシンドウとヒンドウ?

「仏教メソポタミア起源説」「『ブッダの謎』─仏教西アジア起源論」と言った興味深い本が出ています。

仏陀と仏教に関する本なのだが、妙な気分になったのです。
日本には古代中東の遺伝子が多く残り、日本語とタミル語は同祖の言語と言う説が唱えられ、日本にはインドや中東と似た顔もよく見られるでしょ。
仏教それ自体の起源は意外と古く、釈尊は歴史の深い仏教における聖者の一人にすぎないともいえますよね。
そして、仏教の起源は西アジアに遡るとなると、気になるのはヒンドウと言う言葉です。
シンドウとも呼ばれるが、濁点を取ればシントウになるでしょう。
日本語は歴史を遡ると、発音のあいまいな二重母音の時代があるのでしたね。
二重母音、特に日本のようなワ行母音に近い二重母音の場合、濁点は落ちやすい訳ですよ。
日本の民族宗教であるシントウの読みが、シンドウの転化だったとしたら、そしてもし、シンドウの民は西アジアに遡るとしたら、どうなりますか。
古代日本の成立期、意外なほど多くのペルシャ人が参加して活躍してるが、古代中東や西アジアの文化が色濃く残る日本で、彼らは自らの理想を実現したかったのだろうかと思えてくるのです。
さらに、ペルシャ人仏教徒が古代日本に多数来ているが、彼らは仏教が少数派となった西アジアを逃れ、安住の地を求めてやってきたのだとしたら、どうなりますか。
ヒンズー教、ヒンヅー教とも呼ばれるヒンドゥー教は、インドやネパールで多数派を占める民族宗教だが、ネパールに近いチベットも日本と同様に古代中東の遺伝子が多く残り、インドもドラビダ語と日本語の近縁性が指摘されるのですよ。
神道はシントウと呼ばれているけれど、シンドウが二重母音の曖昧な発音が原因でそう呼ばれているのに過ぎないとしたら、どうなのでしょうか
考えても見てくださいね、ヒンドウはシンドウとも呼ばれるとしたら、ヒンドゥー教はシンドウ教になまっても良いはずでしょ。
そして、ヒンドゥー教と言う言葉は、他の宗教との比較や区別の必要性から出てきたわけだから、本来の名称はヒンドゥーなわけですよ。
ヒンドゥーの教えに随う民がヒンドゥーであり、神道の教えに随う民が日本人だったと言えるでしょう。
今、日本では多くの宗教が混在しているけれども、八百万の神々を受け入れてそれでいてびくともしないあたり、ある意味、ヒンドゥー教に似ていませんか。
穢れや嫌なことは水に流すと言う言葉があるが、ヒンドゥーの民はまさにいまでも聖なる川で身を清めたいと願っているわけでしょ。
こんなところにも、日本人の西アジア起源の可能性が感じられるのかと、妙な気分になったのでした。

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漢字は誰が作ったのか。

漢字は聖書で読み解けるのではないか、そういう議論には何度か出会ってはいました。

何人もの人たちがそう指摘するなら誰かが一冊の本にまとめているのではないか、そう思って探してみたところ、この二冊が見つかりました。

 

旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実

C.H.カン&エセル.R.ネルソン

 

漢字に秘められた聖書物語

ティモシー.ボイル

 

興味深いことに、著者はいずれも漢字文化圏の人ではありません。

正確に言えば、著者の一部と言うべきですが。

 

「旧約聖書は漢字で書かれていた」の方はオリジナルの研究は中国人牧師だったが、その人と連絡を取り合いながら執筆したのが非漢字文化圏の人でした。聖書と漢字のただならぬ関係に気付いて研究を始めた中国人の仕事に興味ひかれた著者が、協力したと言います。この本はそのようにして集まった数人の人たちが関わったプロジェクトの成果として出されたものです。本書は、この議論が本当に成り立つのかと言う検証に重点を置いているので、その手の話に興味がある人には、こちらをお勧めします。

 

「漢字に秘められた聖書物語」の方は面白いことに、漢字を覚えるのに自分にとって身近な聖書の知識が使えないかとやってみたところ、あまりにも多くの漢字が解釈できてしまうので、どんどん進めてとうとう一冊の本になってしまったと言う事なようです。多くの外国人から漢字学習に使いたいので英語版が欲しいと言う声に応えて、自費出版で英語版まで出してしまったと言うことです。聖書で読み解けると言うなら実例を見せろと仰る方には、解読例の多さでこちらをお勧めします。

 

全く違う動機から漢字を聖書で読み解く仕事をまとめた本が複数執筆されたという事実は、聖書と漢字の関係がただならないものである可能性があると言っているような気がするのです。

 

そこで、白川静の「文字講話」を開いてみました。

 

すると、この記述に目が留まりました。

 

許慎の「説示解字」にこうあると言うのです。

易の八卦を作ったのが文字の起源であると。

 

易は陰陽と深いかかわりがあります。

 

そして、陰陽はタントラなどとならぶ、古代の弁証法思想なのですが、陰陽やタントラとユダヤ教神秘思想であるカッバーラとは、実は深い関連を指摘できるのです。

 

聖書自体の編纂は、漢字の誕生より時代が下ると指摘されます。

 

しかし、やがて聖書に結実することとなる伝承や思想が、その編纂に先立って東方に伝わることは、大いにあり得る事なのです。

ペルシャとインドの民族の起源は極めて近いことは、よく知られていることです。

古代中東の思想がベースとなって、インドではタントラが、中国では陰陽や易が、生まれたことは十分に考えて良い事ではないでしょうか。。

 

日本人の祖先は、東アジアや南アジアの民族が分かれるより前に中東を旅立ち、日本にたどり着きました。

 

実際中国古代の民族の移動を見ると、西方から来た白人的風貌な民がいたことがわかっています。

 

例えば、楼蘭故城の西170㎞で見つかった小河墓です。

集団墓地には眠っていたのは、彫りの深い白人に似た容貌なミイラたちでした。

赤く塗られた棒状の男性を象徴する墓標に女性が、黒く塗られた扇状の女性を象徴する墓標に男性が、葬られているのです。

これは陽の男性原理には陰の女性原理、陰の女性原理には陽の男性原理が配されると言う、陰陽に極めて近い思想が示しています。

大陸内部で彼らの消息を辿ることはできていないが、滅びた痕跡も見つかっていない以上どこかに移住したと見るのは自然であり、その先が日本であることは十分あり得るのです。

 

神道の哲学もまた極めて陰陽に近く、随神(かんながら)の思想は経典こそないがこれまた聖書の教えに奇妙な程似通っているのです。

そして、アイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が、沖縄にいたっては文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

 

縄文人のルーツも一筋縄ではいかぬところがあって、複数の集団が合わさっているのではないかと見られています。

そうなれば、そのうちの一つにアジアルートがあると考えるのはごく自然です。

そして、そのルートが古代中東のカッバーラに通じる思想の伝播と深く関わっていたとみても良いのかもしれません。

 

実際、釈迦を生んだ地域と近いチベットも日本人と共通の古代中東の遺伝子が残っているのです。

 

「旧約聖書は漢字で書かれていた」のなかで、キリスト教と驚くほど似通った上帝に注目しています。

もしかすると、この上帝思想も日本の天皇の思想の下敷きになっているかもしれないと考えてみても面白いでしょう。

この上帝思想から、天孫降臨の発想も生まれたのかもしれません。

 

古代中東から東アジア、さらには日本への民族の移動の過程で、やがて聖書に結実することになる伝承が古代中国の地に伝わり、漢字の成立に多くの影響を与えているのかもしれません。

 

彼らは興亡の激しい大陸を逃れ、日本に渡ってきたがやがて自らの出自を忘れ、日本に同化してしまったのかもしれないですね。


漢字を簡単に簡体字に替えてしまった現代中国と、古い字体を伝え続けている日本と台湾。

そう考えてみると、不思議な気がするのです。

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同祖神とタントラと中東?

日本には各地に陰陽石や同祖神があります。

 

道祖神は坂道や村の教会に、悪霊を防ぐために祀られた神です。

最初は巨大な石だったものが、時代が下るにつれ生殖器の形や、男女が寄り添った像になりました。

 

同祖神の祀り方の中には、九州に見られるようなヨーニとリンガの合体をリアルに表現したとしか思えないものもあるのです。

 

ひょっとしたら、タントラのリンガとヨーニの変形かも知れません。

 

タントラでは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガとから、宇宙的エネルギーとしての炎が生じるとされています。

 

日本神話のイザナミとイザナギは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在とは考えてみても面白いかもしれません。

 

現にイザナミは、火の神を生んでいるのです。

 

これは単なる偶然でしょうか。

 

さらに、太陽神であるアマテラスとアマテルも、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在を御霊分けしたのかも知れませんね。

 

アマテラスについては、スサノオとの関係で女神とされた可能性もありえるかもしれません。

 

女性器であるヨーニに当てられたアマテラスと、男性器であるリンガに当てられたスサノオと見るのです。

 

アマテラスのヨーニは、機織り女が飛び樋に女陰を突かれたとあるのがそれでしょう。

 

日本書紀には一書にいわくとして、アマテラスの隠れを死と記す記録もあると指摘していると言います。

 

スサノオのリンガは、逆剥けの馬とあるのがそれでしょう。

 

「飛び樋」を「飛び火」と見ると、宇宙的エネルギーとしての炎の事でしょう。

 

日本語では、よく掛詞をするが早い話駄洒落ってことです。

 

ついでに言うと、アマテラス=機織り女=織姫とすれば、スサノオ=牛頭権現=牽牛となるでしょう。

 

二人の出会う7月7日は、女のメノラーと男のメノラーが重なる日なのでしょうね。

 

メノラーとは七枝の燭台のことで、ユダヤ教のシンボルです。

 

それと、聖にして、生にして、性なる炎こそが、聖火の正体ではないのでしょうか。

 

そして、モーゼが見た神の炎も、この聖火かも知れません。


タントラと陰陽道とカッバーラは、見た目は一見違っています。


でも、よくよく吟味すると実はよく似ている思想であることに気が付くのです。


インドには、古代ペルシアから分かれた人々が移動したことが知られています。


古代中東の思想が伝わっていても不思議ではありません。


そして、古代中国と古代中東もまた、今日の私たちが想像する以上に繋がっている可能性があるのです。


そして、日本はその延長線上にあるのではないでしょうか。


日本古代史と中東の繋がりは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。

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日本にもシヴァ崇拝が息づいている?

「諏訪神社七つの謎 古代史の扉を開く」皆神山すさ著。

今読んでいる本の一部だけれど、気になった箇所がいくつかあります。

 

たとえば、ここです。

 

国史大系本では「大神社」を「オホムハノ」と訓み、『神名帳考証』では「ヲホムハノ」、九条家本、武田本では「オホノ」と訓をつけている。

 

「ノ」は後に続く「ヤシロ」との接続詞とみれば、「大神」の訓は「オホムハ」「ヲホムハ」「オホ」ということになります。

 

さらに「ハ」は「オホ」についてないところから、丸唇で発音したために聞こえてしまったおまけの音が名前の一部と勘違いされて定着したとみて良いでしょう。

 

そうなると、「大神」の訓は「オホム」「ヲホム」「オホ」ということになります。

 

「オホ」で「ム」が欠落しているのは閉口音であるために聞き取りにくいためとみれば、もとは「オホム」であったものがどこかで、あるいは過去の段階で、転化したとみなせるでしょう。

 

つまり「大神」の訓は「大神」の訓は「オホム」「ヲホム」ということになります。

 

「オホム」「ヲホム」「オホ」とは何でしょう。

 

よく似た音に、ヨガで唱えるマントラ『オーム(OM)』があります。

オームという言葉は、インドでは聖なる音として崇拝されています。

言霊には霊的な力が宿るといわれるように、ヨガでは最も神聖なマントラ(呪文)が、このオームとされています。

オームとは、宇宙の始まりの音とされているのです。

 

オームはもともと、仏教の「唵」、キリスト教の「アーメン」という言葉と同じものを指しているという説もあるようです。

「阿吽(あ・うん)の呼吸」もオームからきていると言う説もあります。

 

オームという音はアルファベットにすると、「a」・「u」・「m」に分けられ、ヨガでは維持・破壊・創造を象徴していると考えられています。

維持・破壊・創造を象徴している神と言えばシヴァです。

ヒンズーでは創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊神ではないかと思う方もいると思うが、バラモン教では神々の上に立つ最高神とされ、「自らを創造したもの(スヴァヤンブー)」「生類の王(プラジャーパティ)」と呼ばれます。

創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァの三位一体崇拝とよく言われるが、実際は三神による一神界をシヴァが代表する形と見た方が実態に合っているように見えます。

 

シヴァは大黒天に転じ、大黒天は大国主命と神仏習合して出来た神道の神ともなりました。

大国主といえば、大神神社の祭神で大己貴神や大物主とも習合されている神です。

 

三輪山の神のエピソードの中に蛇が登場するが、シヴァにも蛇は欠かせない存在となっていて、ここでも重なり合います。

 

日本にシヴァ信仰をもたらした一団が来たのでしょうか。

 

そういえば、日本語とインドの一方言であるドラビダ語との繋がりが指摘されたこともあるし、インドはペルシャとの繋がりがあるが、日本には中東やインドを連想できる顔の人も結構いるし、日本建国には多くのイラン人が参加しています。

 

インドの神々も元を辿れば、その多くは中東の神であり、日本に多くの古代中東の遺伝子が残る事を思えば、日本は古代中東の神々を今でも崇拝していることと合わせ、非常に面白い国ということになりそうです。

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モンゴロイド

DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

 そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

 人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
 ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

 日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

これが、後のモンゴロイドです。

モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

 古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

 アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

 アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

 だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

 その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

 古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

 そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

 メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

 フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

 東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

 ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

とはいえ、興味深い遺跡はあります。

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

 縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

 モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

 アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

 精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

 しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
親指が長い他に、足幅が広めな形です。
親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

 つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

 ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

 南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

 そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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三星堆遺跡はだれが作った?

週刊プレイボーイ2014年2月16日号の表紙に驚いて思わずレジに走ったのです。

御目当ては、「中国共産党と考古学会が大論争!四川省5000年前宇宙人遺跡現地ルポ」。

四川省は、三星堆遺跡のある省ですよ。

三星堆遺跡は、三国志の劉備玄徳や諸葛孔明で有名な蜀の都があったことで知られる四川省の西都から北へ30kmほど離れた広漢市の外れに点在する遺跡群の総称です。

三星堆の名は、月型の大地に寄り添うような3つの円丘と言う地形から、「太古の時代に3つの星が落ちてきた」という伝説が生まれたことに由来します。

三星人という、独自な技術や文化、“7つの符合”を用いる人々が暮らしていたと言います。

日本の稲作の起源として近年注目されている長江文明のある省です。

 そこで宇宙人遺跡って、ちょっと待ってください。

これは、すごく気になったのです。

かえってさっそく、そのページを開きました。

問題の場所は、胸騒ぎが的中で、 三星堆遺跡に考古学者や労働者が集められているというのです。

放射性同位元素年代測定で、古い物では5000年以上前とさえ言われる調査結果まで出ているからです。

中国4000年と言われてきたのは、漢民族が黄河領域に興した夏王朝から数えてのことで、長らく伝説と見られてきた夏王朝が実在すると見られる証拠が出始めたと注目されています。

ところがそこへ、古くからチベット系少数民族が多く住んできた長江上流の四川の奥地で5000年以上前とさえみられる高度文明が見つかったのです。

日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種です。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名 です。

世界的にも、チベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 もし、チベット人の文明であるなら、三星堆は日本人の親戚が作ったことになるでしょう。

 いくら、起源についてはっきりしていない漢民族とは言え、チベット系ではないのでこの文明は果たしてどの民族のものか、いそいで調べる必要があるということでしょう。

ドイツやフランスも本格的調査に乗り出す動きを示しています。

長江文明は黄河文明より先に存在したことはほぼ確実で、夏王朝に1000年以上古い古蜀王朝の遺跡の可能性が高いからです。

  蜀の字は目と屈んだ姿と虫で、 「聖なる神権の鍵の言葉」を象徴するホルスの目を差し出すとされる 蛇神ネヘブカウが連想できます。

 そして三星人とくれば、ギザの三大ピラミッドにオリオンの三星説を唱える人もいる事を思えば、興味惹かれます。

古代エジプトと三星堆の類似は、結構面白いです。

 宇宙人遺跡かどうかで、考古学会と中国共産党が激論ってどういうことでしょう。

中国共産党は漢民族による中国支配を正当化したいから、中華文明の発祥は少数民族となるのは、非常に困るからと見られています。

 宇宙人遺跡というなら、その宇宙人はどこから来てどこへ行ったのか、論じないといけなくなるはずなのに、そこまでして中華文明少数民族起源説を否定したいのでしょうか。

彼等の街は、今でも 三面を6m近い高さのある城壁で一面を川に囲まれ、王宮や工房など4エリアに分かれていたようです。

精巧な青銅器や5000年も形をとどめる土塀の技術、黄河文明とは大きく異なる文字のような記号である符合、これらはどこから来たのかと言うことになります。

三星堆博物館のメイン展示の一つは、有名な青銅器である目の大胆に飛び出た大型縦目仮面です。

大型縦目仮面は古蜀の蚕叢(さんそう)がモデルと言うのが通説です。

蚕叢は天文に通じていたと見られています。

飛び出た目と巨大な耳と口、天文に関する伝説に加え、硬い石や球を切ったり穴をあける技術は、フランスの学者も指摘する、古代エジプトやマヤの神々の遺構と共通する特徴です。

世界の古代遺跡の神々と似ているが、中国では三星堆で初めて見つかったと言います。

  マヤやインカの人々と言えば、遺伝子的にも日本人の親戚筋の当たることが確かめられています。

日本人の辿った道は、相当、世界的な広がりを持っているということでしょう。

宇宙人遺跡という議論の元になっているのが、宇宙服や宇宙人を連鎖させる青銅器の数々です。

首の部分頭を通すような穴の開いた胴体の像、後ろにチャックのような模様のあるヘルメット形、アーモンド形の大きな目の青銅人面具、などがそれです。

青銅器や土器には、漢字のルーツと言うより、古代エジプトの神聖文字であるヒエログリフや、メソポタミアのスメルの象形文字に近い文字が刻まれています。

 そうみてくると、蜀の字が 「聖なる神権の鍵の言葉」を象徴するホルスの目を差し出すとされる 蛇神ネヘブカウを連想できるのは、偶然どころか意図的に採用された文字に見えてきます。

ただ、文字については、インダス文明のインダス文字に似ていると言う声もあります。

インダス文明とは、ドラヴィダ人が現在のパキスタンやインドやアフガニスタンの辺りで営んでいた文明のことで、メソポタミア、エジプト、インダスの各文明は互いに距離も近く、交流もあったことが 分かっています。

北回帰線の南北に沿って連なる乾燥地帯に位置し、大河の氾濫を利用した灌漑農業など、共通点も多いと指摘されています。

 マヤ、長江、スメル、そしてインド、いずれも日本人や日本の文化の起源で注目されてきた地域が並ぶのは、非常に興味深いです。

太陽崇拝の民と文化は、エジプトからメソポタミア、インダスと渡り、チベットを超えて四川へと辿り着いた可能性が見えてきます。

 そして長江は、日本の稲作文化の起源と見られ、チベット人と日本人は Y染色体DNAのD系統を中近東の人々と共有している。

 ここを利用して、日ユ同祖論やスメル渡来説を唱える人が出てるわけです。

日ユ同祖論は聖書も引用しまくってますけどね。

2001年には、成都近郊の金沙(きんさ)村で約3000年前とされる金沙遺跡が発見され、土器や青銅器の多くに三星堆遺跡と同じ符号が刻まれていると言います。

金沙遺跡では、数万店の出土品の中に、太陽を鳥が運ぶ姿が描かれた黄金の太陽神鳥が太陽信仰の証拠として見つかったというのです。

漢民族の黄河文明には、太陽信仰を示すような痕跡は今までの時点では見つかっていません。

古代エジプトの太陽の船にも鳥が乗っている事を見ても、 太陽神鳥の発見は三星堆文明と古代エジプト文明との繋がりを物語ると言えるでしょう。

ついでにいうと、金沙遺跡博物館の驚くべき展示の中に、何千頭もの象の牙や骨があるそうです。

金沙遺跡博物館は、遺跡を丸ごと120×63mの巨大な屋根に覆われたドームです。

かつてこの地にたくさんの象がいた証拠だが、今居ないのは、三星人が象を食べつくしたからと言う伝説も残っているらしい。

いくらなんでも、気候変動でいなくなったと思いたいが、実際、当時の成都の気候は今より4℃程高かったようで、今も四川の山岳部には手つかずの原生林が残っています。

現在はインドやタイに生息する象が、当時は四川辺りまで来ていたとなると、三星人はエジプトやインドからの移住民族の可能性は否定できなくなるなるでしょう。

 チベット人中近東起源は十分にありえ、日本人の世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統も、その延長線上で説明可能にあるかも知れないです。

青銅器の年代にしても、海外の研究者の鑑定では5000年以上となっているが、中国側はすべて一緒くたに5000年前としているから、中国の起源をなんとしても漢民族にしたがっていると思われてしまうのでしょう。

さて、この記事のタイトルの宇宙人説だが、嬉々として話すのは漢民族だそうです。

少数民族に歴史を塗り替えられるくらいなら宇宙人のほうがまし、とでも思っているのだろうか、その背後には中国共産党が歴史的発見にフタをしたがってるのか、と言うのがこの記事の落ちでした。

科学や歴史の雑誌じゃない週刊プレイボーイがこの手の記事を書くには、それなりの切り口が欲しいんでしょうね。

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シヴァ神とタコ?

友人が、興味深い情報を教えてくれました。

眉毛と目が描かれた頭巾か袋に足が生えたような不思議な姿をしている、『エジプトの死者の書』に描かれた謎の神がいます。

 お化けのQ太郎から、頭の3本の毛と口と手を省いたような感じですね。

目をもっと、リアルに描きますけどね。

 そういえば、お化けのQ太郎には、眉毛は描いてなかったかな…。

バンダナを巻いていたり、花瓶のような姿、男根のような姿、オシリスの頭部を収める容器のような姿でも描かれることがあるそうです。

 バンダナを巻いていたり、花瓶のような姿というから、なんともコミカルですね。

その神の名は、メジェドと言います。

 その神の名前が、友人のくれた情報ですか。

それと、特徴についての話ですね。

アルファベット表記は「Medjed」で、その名は「打ち倒す者(The Smiter)」を意味するといいます。

オシリスの館に住まい、オシリスの敵を目によって滅ぼすというその名にふさわしい権能を持つ神です。

オシリスの丘や、葬儀用の壷に隠れた姿であるといい、人の心臓を喰らい、死者の肉体を聖別する、という「死」と縁の深い神です。

太陽神ホルスが地平線から現れる前の相とも言われ、不可視の存在とされます。

 男根のような姿で描かれることもある、「打ち倒す者」を意味する名前の神と言うと、どことなくシヴァ神も連想できますね。

シヴァ神はリンガと呼ばれる男根をシンボルとする、破壊神ですからね。

バンダナを巻いて描かれたり、男根のような姿で描かれたりする、この当たりも女陰であるヨーニとペアで表現されることの多いシヴァ神を連想できそうですよ。

 創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌに対してシヴァ神は破壊を司るでしょ。

 メジェド神は太陽神ホルスが地平線から現れる前の相とも言われる、奇妙な対応が見られますね。

でも、メジェド神は踊らないが、シヴァ神は踊る神ですね。

 シヴァ神の世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れるという点は、メジェド神の人の心臓を喰らいという点に、微妙に重なる気はしますが…。

マハーカーラ(大いなる暗黒)とも呼ばれ、漢訳仏典では大自在天と訳されマヘーシュヴァラとも呼ばれる点は、メジェド神とは対応が見えません。

だが、面白いことがあります。

シヴァ神は、しばしば、複数の腕をくねらせながら踊る姿で表現されます。

 複数の腕をくねらせて踊る姿で描かれる、大いなる暗黒とも呼ばれる、大自在天と訳されることもあるシヴァ神…。

ここに、バンダナを巻いたメジェド神のイメージを重ねると、妙な気分になるのです。

 日本人にはお馴染みの、鉢巻をして踊るタコの八ちゃんですか。

タコは、墨を吐き暗黒を作り、自在に姿を変えるでしょ。

 タコと破壊と言えば、クラーケン伝承がありますね。

クラーケンは、その多くが巨大なタコやイカのような頭足類の姿で描かれる、北欧伝承の海の怪物です。

中世から近世にかけて、ノルウェー近海やアイスランド沖に出現したとされています。

19世紀のアフリカ南部はアンゴラ沖に現れた海の怪物も、クラーケンでなかったかと言われているのです。

クラーケンの姿や大きさについては、諸説があるが、巨大なタコやイカといった頭足類の姿で描かれることが多いです。

ほかにも、怪物としての大海蛇であるシーサーペントやドラゴンの一種、エビ、ザリガニなどの甲殻類、クラゲやヒトデ等々、様々に描かれてきました。

姿がどのようであれ一貫して語られるのは、その驚異的な大きさです。

「島と間違えて上陸した者がそのまま海に引きずり込まれるように消えてしまう」といった種類の伝承が数多く残っています。

日本で伝承される赤鱏(あかえい)の島も、これに似ているのでクラーケンの一種として論じられることもあります。

赤鱏は、江戸時代後期の天保12年(1841年)に刊行された奇談集『絵本百物語』に見える巨大魚です。

原典には「赤ゑいの魚(あかえいのうお)」の名で記載されています。

 多彩な姿で語られるクラーケンは、自在に姿を変えるタコのイメージに重なりますね。

欧米文化圏では、タコはデビルフィッシュと呼ばれ、長らくあまり良い印象を持たれませんでした。

 欧州でタコを食べる文化は、地中海沿岸に限られてきましたね。

 近年でこそ、タコの消費量は欧州でも増えてきたようですけど。

日本ではユーモラスに見られてきたタコも、欧州文化圏ではグロテスクと見られて気持ち悪がられてきたようです。

ここにクラーケン伝承も加われば、なお、良い印象とは言えないでしょうね。

 メジェド神やシヴァ神と、タコとクラーケンですか…。

鉢巻をして踊るタコの八ちゃんのイメージ、起源は何かと不思議に思っていたけれど、メジェド神の情報を貰った時、あれっと感じました。

そして、そこにシヴァ神を重ねると、面白い展開が見えるのです。

 シヴァ神のシンボルである男根(リンガ)の起源と、メジェド神の男根のような姿。

 リンガで表現されたシヴァ神のヨーニとペアの姿と、バンダナを巻いたメジェド神の姿。

 破壊神としてのシヴァ神の姿と、人の心臓を喰らい打ち倒す者を意味する名を持つメジェド神の姿。

そこに、クラーケン伝承が重なると、どうなります。

 メジェド神=シヴァ神=クラーケン=タコ、と言う構図ですか。

 鉢巻のタコとバンダナを巻いたメジェド神、足の数は違うが、見た目はどことなく似てますね…。

でしょ。

どこまでも、連想に過ぎないので、もっと情報を集める必要はありますけどね。

でも、日本の神話と古代エジプトの神話の、太陽神を中心にした三神構造を動物神を含む八百万の神が囲む構図はそっくりでしょ。

 日本人の足は大半がエジプトタイプで、味の好みも日本とエジプトは似てる…。

 歴代ファラオの顔と日本人の顔の意外な類似や、日本とチベットに残る古代中東のYAP遺伝子…。

そう見ていくと、メジェド神の姿と、鉢巻をしたタコの八ちゃんの奇妙な類似は、何とも不思議な気分になるのです。

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味の好みでみえる日本のルーツ?

NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版公式サイトに、「行き当たりばったり世界のお菓子探検隊」と言う連載があります。

このなかに、興味を惹かれるタイトルを見つけました。

南米、インドのお菓子に“日本の味”を発見!
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20110614/273942/
http://nationalgeographic.jp/nng/article/20110614/273956/

日本の菓子で、その国の好みに合うものが輸出されることは良くあります。

だが、その国で生まれたり、食文化交流でいつの間にか持ち込まれて定着した菓子に、日本の味を感じるというのは、面白いですね。

コロンビアの人に大人気というグアバペーストは、見た目は羊羹風。

グアバの果肉を濃縮した感じの美味しさだが、想像したほど甘くもなく、酸味が利いていて梅ゆべしや、中国の山査子(さんざし)を使った菓子にも似ているといいます。

 山査子餅といって、山査子の果実に水や砂糖を加えて固めて、 薄くスライスした菓子ね。

 これも、甘いが酸味の効いた菓子だそうですよ。

山東省の菓子ですね。

 中南米も、インドも、それに山東省も、日本人のルーツ探しをしていたら出てきた地域ですね。

でも多くの日本人は、流石にインド人好みの甘さに閉口するようですね。

「世界で一番甘い菓子」グラブ・ジャムンの甘さは、一工夫して抑えれば、案外いけるそうですけど。

みっちりとした目の細かい生地に、ぎゅっと押さえるととろりと垂れるほどシロップがしみ込んでいるというから、その甘さは半端ではないようです。

けれど、甘くない生クリームと合わせるとインド風サバラン、あるいはサヴァラン、になると言う感想も出てます。

サヴァランは、フランスの焼き菓子です。

 フランスもまた、日本人のルーツ探しで出てきた国ですね。

元々は「ババ」と呼ばれていたが、フランスの有名な食通、ブリア=サヴァランにちなみ改名されたそうです。

ブリオッシュを切って紅茶味のシロップを染み込ませて冷やしたものにラム酒やキルシュをかけ、生クリームや果物で飾りつけたものや、ブリオッシュ生地を直径18〜23cmのドーナツ形の型に入れて発酵させてから焼き、キルシュ風味のシロップをしみ込ませたものがあります。

洋酒が入っているため、食べた後に飲酒運転で捕まるケースもあり、食べたら運転しない方が良さそうなお菓子と言います。

円形のサヴァランは、シロップをしみ込ませた後、上に熱したアンズジャムを刷毛で塗り、スライスアーモンド、果物やマラスキーノ・チェリー、アンゼリカなどハーブの砂糖漬け、イチゴやラズベリーで飾ります。

中央の穴にはクレーム・シャンティイ、フランジパーヌ、クレーム・サントノールなどカスタード系のクリーム、または果物を詰めます。

中央に果物を詰める場合は、サヴァランの上部の飾りも果物にし、サヴァランの周りにも果物を盛りつけます。

 アンズジャムもちょっと酸味がありますね。

 なるほど、インド風サバランになる。

サヴァランに詰める果物には、次のようなものが適しています。

マセドワーヌ・ド・フリュイは、生、シロップ煮、または缶詰のサクランボ、ナシ、アンズ、パイナップルなどを刻んで混ぜ合わせたものを用います。

砂糖とキルシュをふりかけたイチゴやラズベリーや、赤ワイン風味のシロップで煮たサクランボも合います。

 アルコール飛ばさないの。

 確かに酔っちゃいそう。

ただし、グラブ・ジャムンの製法にはお酒は入りません。

 じゃ、運転手には、インド風サヴァランで満足してもらえば良いかしら。

牛乳にレモン汁を加えて煮詰めてこしたものに、少量の小麦粉を加えてお団子を作って揚げて、大量の砂糖とインドお菓子の定番香辛料とされるカルダモンのはいったシロップに漬け込むのです。

 なかなか、手間のかかるデザートですね。

グラブ・ジャムンは、カルダモンを生地にも入れる場合も多いようです。

ローズウォーターを入れるように書いてあるものもあが、そもそも「グラブ」はバラ、「ジャムン」はフルーツの一種を意味するそうなので、こちらの方が製法としては古いのかも知れないですね。

確かめる必要はありますけど。

インドのスナック類、緑豆を揚げたというやさしい塩味のスナックから、ジャガイモなどが原料の“極細麺”を揚げたぴり辛味のもの、干しブドウやナッツ、豆などをミックスした辛くて甘酸っぱいスナック、ちょっと甘いのにぴり辛で、ものすごくスパイシーなクッキー風の菓子など、結構味は多彩だそうです。

 もっと、カレー風の味が多いかと思ってた。

カレーと言う名前の料理は、本来、インドには無いようですね。

スパイスの効いた料理が、全体として多いので、外国人から見ればインド料理はカレーだらけと思えるかもしれないですけど。

そもそも、カレーという呼び方は西洋人が始めたようですね。

「カレー」の語源には諸説あるが、インド南部の方言であるタミル語のkari(カリ)がなまったもの、という説が有力なようです。

タミル語でkariとは、「ソース、汁」という意味で、もともとは辛い食べ物ではなかったようです。

辛いスパイスの代表格「唐辛子」は中南米が原産で、インドに伝わったのは17世紀に入ってからです。

唐辛子が伝わる以前は、インド地方でとれるさまざまなスパイスで肉や魚を煮た料理だったようです。

 スパイスを用いた料理がインドのふるさとの味だから、菓子もスパイスの効いたものが多いのね。

そうかも。

 どれも、日本人の好みに合いそう。

 輸入品と言っても、インド人がふるさと味恋しさにやってる場合もあるでしょ。

 それが、日本人の好みにも合いそうなのは、面白いですね。

これらのスナックは、インド語で塩を意味するナマクからナムキンと呼ばれ、豆を揚げて塩味を付けたものが一番オーソドックスなのだそうです。

バラエティーに富むナムキンの具材だが、基本はひよこ豆などの豆類を加工したものやナッツ類だそうです。

ひよこ豆の粉のペーストを極細麺状にして揚げたブジア・セブというスナックは、サラダなどインド料理のトッピングとして使うこともあるといいます。

ブジア・セブに似ているのが、アロー・ブジアというジャガイモやひよこ豆からできたスナックです。

アローは、ジャガイモの意味です。

バターを塗ったパンの上にかけることもあるといいます。

 じゃがバターを思えば、十分にあるでしょ。

甘いお菓子というのは、インドでは特別なもので、毎日家で食べるものではないというけれど、本来そういうものでしょうね。

 日本でも、砂糖が豊富に入ってくるまでは、素材本来の甘みを、塩などで引き出してましたね。

神様に供物として捧げたり、お客さんが来たときに出したり、たまに行くレストランで食べるものなのだと言います。

 そういえば、菓子はもともと、果実の事ですね。

 甘いものが欲しければ、果物を食べるしかない。

 だから、干し柿とか、生まれてきた…。

インドスイーツは、材料によって上等なもの、そうではないものに分かれるそうです。

一番贅沢なのはドライフルーツ。

次が牛乳を使ったもので、最後の廉価菓子の材料がひよこ豆なんだそうです。

 ひよこ豆、エジプトの料理でも良く出てくるようだけど、インドでも民衆の味なのですね。

ソアン・パプディというひよこ豆が原料のお菓子は、無数の細い糸をまとめたような生地の中に、アーモンドやピスタチオが入っています。

口に入れると、すぐにふわぁっと溶けて綿あめのようで、やっぱりカルダモンが香ります。

ナッツが入ってちょっぴり上等だけど、やっぱり庶民の菓子といいます。

 綿あめのルーツ、どこでしょうね。

はっきりしないですね。

18世紀の記録にあるというこえもあれば、15世紀のイタリアという指摘もあります。

なかには、北米にはメープルシロップで作るものがあると、記す場合もあったりします。

 何らかのシロップ状のものが手に入る地域で、始まったことだけは確かでしょうね。

 15世紀イタリア説は、興味がありますね。

 当時のイタリアと言えば、ローマ帝国時代でしょ。

舎利別と当て字されることがあるシロップは、濃厚な糖液の総称でしばしば粘稠性を伴います。

 かき氷や清涼飲料水の味付けなどに用いられますね。

語源は、アラビア語で「飲み物、ジュース」を意味する「シャラーブ」(شراب; sharāb)とこれを基にしたラテン語の「シロプス」(siropus)に由来し、シラップとも音訳されます。

砂糖を同量程度の水に溶かして、とろみが出るまで熱したものが一般的です。

粘性の高さは糖に含まれるヒドロキシ基(-OH)と水の間の水素結合に起因し、工業的には、水に砂糖を溶かし、煮詰めて製造します。

シロップには、香料などを加えるものと加えないものがあります。

水に溶かした砂糖のほかに、天然の蜜や果汁を煮詰めたもの、砂糖液にアラビアガムを加えて煮てより粘稠性を増したガムシロップのようなものもあります。

フルーツシロップは、もともと果実の搾り汁を加えて果物の香りや色調を与えていました。

近現代では、人工着色料や香料を加えることが多くなったようですね。

 インドとペルシャの、繋がりに強さから見ると、ソアン・パプディの起源は中東にまで、遡るとみて良いのかしら。

エジプトやシリアには、「少女の紡ぎ糸」と言う意味のガズルバナートと言う菓子があり、日本の綿菓子とよく似ているが、綿と言うよりは、繊維に近く、1本1本がしっかりしています。

食べ方は、そのまま手で軽くほぐしながらだとか。

砂糖の他に、油脂なども使われている為か、口に入れた瞬間は綿菓子より若干堅く感じられるが、スーッと溶けてしまうのは日本の綿菓子と同じようです。

また、このお菓子はお茶請けとしてお客様にも出す事があるそうで、子供のおやつよりは1ランク上ですね。

ちなみに、子どもの綿菓子という、日本の綿菓子に当たるものもあり、色鮮やかなものが多いが、こちらは客には出さないようです。

 もともと、シロップの加工品だった事を思えば、色鮮やかな方が当たり前だったのでしょうね。

こうしてみると、庶民の味としての綿菓子は中東からイタリアを経てヨーロッパやアメリカへ、少々高級品となったガズルバナートはインドでひよこ豆を原料とするソアン・バブティとなって庶民に定着したのかもしれないですね。

 まさか、麺文化の起源も綿あめにあるとか。

それは、想像のし過ぎでしょ。

 だって、ガズルバナートはインドに渡ってひよこ豆を原料とするソアン・バブティとなったと見れば、他の材料で作れば、まるっきり麺でしょ。

 素材の差から、製法や食感は、まるっきり違ってしまったけれど。

 麺状スナックをふりかけた軽食だって、あるわけでしょ。

さらなる、調査が必要ですね。

ちなみに、ジャレビという、小麦粉と牛乳から作った生地をプレッツェルのような形にして油で揚げた新しい菓子も、登場してるようです。

シロップに浸してある、甘いけれど、さくっとした食感で、そこはかとなく、かりんとうを彷彿とさせる菓子だとか。

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日本は面白い。

サイボーグ009、仮面ライダー、デビルマン、正義のヒーローが悪の手で与えられた力を悪に向かって使うのです。

イエスは堕落したユダヤ教徒に十字架に架けられるが、復活して悪と戦うヒーローとしてやがて再臨するのです。

ウルトラマン、光の国から来たヒーロー。

イエスは弟子に光る姿を見せ、天使たちも光に包まれてくる。

言い換えれば、光の国から来たヒーロー。

どっちも、悪を倒して人々を救う。

なに、この奇妙な類似。

他の国のヒーローに、こんなイエスとの類似を感じることあるのでしょうか。

宗教でなら、古代エジプトのホルスや、ヒンズー教のクリシュナに、イエスと似た神話があると指摘されますけど。

もっとも、どちらの国も、日本人のルーツを考える上で避けて通れない国です。

古代エジプトの宗教と日本の神道は、神界の構造がそっくりな上に偶像と賽銭箱の有無や建築素材の差を除けば神殿と神社の構造がそっくりです。

おまけに、日本人の足で最も多いのは、エジプトタイプ。

インドも、タミル語に日本語の起源を求める説が出たり、似た顔の人がいます。

フランダースの犬のネロを負け犬と見る西欧に対し、逆境でも愛を貫くひたむきさを日本人は愛するのです。

このネロの姿は、愛を貫いて殉教したイエスや聖人たちに近いものを感じるのです。

聖書から見れば、セントネロではないでしょうか。

東日本大震災で、被災者たちのパニックになるどころか、支援物資にお行儀よく並ぶ様子は世界を驚かせたのです。

彼らが言うには、大抵は先を争ってパニックになるらしいのです。

聖書は、隣人愛を説くのです。

面白いことに、かつて、フランシスコザビエルは、日本の精神文化に聖書、特に、キリスト教的なものを感じて、自分は二番手だったのかと気になって調べたことがあると言うのです。

結局、先客の存在は見つけられなかったそうなのです。

この日本に、古代中東の遺伝子が残り、旧約聖書を連想できる風習が残り、へブル文字と形と表現する音の似たカタカナがあり、呆れるほどの古代イスラエルの幕屋や神殿と類似がみられる神社が祀られるのです。

これじゃ、失われた十支族を探すイスラエルのアミシャブが日本を気にしても仕方がないのです。

日本のものに、やたらと自国起源を言いたがる韓国には、アミシャブが関心を持った話は一向に聞かないのです。

日本には、中国に似た顔の方が、韓国朝鮮に似た顔より多い気がするのは、私だけでしょうか。

韓国朝鮮には、シルクロードを連想できる顔を見ないが、日本にはいるのです。

日本にはおまけに、中東や地中海世界を連想できる顔までいるのです。

中東や地中海世界を連想できる顔を、私は韓国朝鮮に知らないのです。

つくづく、日本は面白い国なのです。

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改めて日本人を遺伝子から見てみた。

2012年11月1日、このような記事が各種報道で伝えられました。

これは、中国新聞のものです。

縄文・弥生混血説を裏付け 日本人の遺伝子解析

 日本列島の先住民である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人とが混血を繰り返して現在の日本人になったとする「混血説」を裏付ける遺伝子解析の結果を、総合研究大学院大(神奈川県)などのチームがまとめ、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表した。

 これまでも同様の研究結果はあったが、今回は1人当たり最大約90万カ所のDNA変異を解析し、結果の信頼性は非常に高いとしている。

 チームはこれまで公開されている本土出身者(主に関東居住者)、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ民族と沖縄出身者の計71人分を新たに加えて解析した。

その結果、アイヌ民族と遺伝的に最も近いのは沖縄出身者で、次が本土出身者と判明した。

本土出身者は韓国人とも近かった。

 この結果は、日本人全般が縄文人の遺伝子を受け継いでいる一方、本土出身者は弥生人との混血の度合いが大きく、混血しながら北海道や沖縄方面に広がっていったと解釈できるという。

 日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也(さいとう・なるや)教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。

 チームは今後、縄文遺跡で見つかる人骨のDNAを分析するなどし、日本人のルーツの解明を進める。

本土出身者は韓国人とも近かったと解釈されているが、その一方で興味深い調査結果も出ています。

モンゴロイドはお酒に弱い アルコール代謝の個人差 酒は、なによりも、適量です。
http://www.suntory.co.jp/arp/main/candrink/index2.html

飲酒と体の基礎知識
アルコール代謝の個人差
モンゴロイドはお酒に弱い

ALDH2の不活性な人は、実はモンゴロイド系の人々の間にしか存在しません。

この不活性型は、アメリカ大陸の先住民のなかにもいますから、彼らがアジアから大移動して行ったはるか以前に、突然変異が起こり、その遺伝子が、世界に広がっていったのでしょう。

ちなみに、白人や黒人の間には、この不活性型はみられません。

ALDH2の低活性型+不活性型の割合

日本                 44%
中国                 41%
韓国                 28%
インド                  5%
アメリカ先住民 2~4%
ハンガリー           2%
西ヨーロッパ        0%
中東                   0%
アフリカ               0%

原田勝二・Journal of the Anthropological Society of Nippon,Vol 99.NO.2.1991より改変

ALDH2とは、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)の2型のことです。

2型というからには、当然、1型もあります。

アルコールが体内に入ると、まずアセトアルデヒドに分解されます。

ちなみに、アセトはacetic acid、即ち、酢酸から誘導される物質であることを表しており、炭素数2の有機物であることを示すそうです。

Aceticは、ラテン語で「酢」を表す"acetum"から来ているといいます。

アセトアルデヒドは極めて毒性が強く、顔面の紅潮、頭痛、吐き気、頻脈などの不快な症状を引き起こします。

このアセトアルデヒドを分解するのが、アルデヒドデヒドロゲナーゼ(ALDH)なのです。

アルデヒドデヒドロゲナーゼは、アルデヒド脱水素酵素ともアルデヒド分解酵素とも呼ばれます。

アルデヒドデヒドロゲナーゼには、高濃度になって働くALDH1と、低濃度から働くALDH2があります。

両方備わっていなければ、アルコールの分解によって生じたアセトアルデヒドを着々と分解することはできません。

日本人の場合、約40%の人がALDH2の働きが弱い「低活性型」でお酒に弱く、4%が全くない「不活性型」で全くお酒を飲めない人だと言われています。

面白いことに、このALDH2の低活性型+不活性型の比率に近いのは韓国より中国なのです。

そして、お酒に強いのが、縄文人の血を引く人々と言われます。

 そういえば、北海道、東北、九州、沖縄に酒豪が、中部、近畿に下戸が多いと指摘されますね。

中華人民共和国山東省淄博市の市轄区の臨淄(りんし)区で行われた、調査に注目したことがありました。

 2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から、日本への大規模な人類が移動があったとしか思えない内容でしたね。

調査対象となった山東省は、徐福で知られる土地でもあります。

 徐福が日本に来たとみられる2300年前と言えば、日本では縄文時代後期から弥生時代にあたりますね。

そして神武がいたとすれば、弥生時代になると言われ続けてきました。

まさに、徐福が来た時代と弥生時代、そして、2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から日本への大規模な人類が移動があった可能性がある時期は、大きく重なります。

 さらに、徐福伝説は済州島など朝鮮半島の地域にもありますね。

縄文時代については、類似の土器がアメリカ大陸から出土したばかりか、フランスやスペインの様式の鏃とともにイギリス人にもアイヌにも似た古代人骨もアメリカから出ています。

 アメリカ先住民の下戸の割合は、比較的インドに近いですね。

 彼らがインド人と勘違いされたことと合わせると、奇妙な気がします。

インドも、日本人のルーツ探しで注目された土地ですからね。

 そしてインドとペルシャは近縁であり、日本にはインドやペルシャの人々から同郷人と勘違いされるほどそっくりな人もいますよね。

トルコも似た人が結構いるし、エジプトも日本と似た顔の人は多そうですよ。

 やはり、中東から地中海を経てアメリカさらに日本へと来た縄文人と、中国から朝鮮経由の弥生人という構図のようですね。

それと、日本に弥生人が来たころと今とでは、朝鮮半島では大幅な人類の入れ替わりがあった可能性も見えますね。

 中国も、大勢が日本に渡った後、人類入れ替えのあった可能性はありそうですね。

この、朝鮮や韓国に後から来た見られる人々は、どこから来たのかも気になるところですね。

今後の調査が、待たれます。

追記

中華人民共和国山東省淄博市の市轄区の臨淄(りんし)区で行われた調査については、ここで触れたので良かったら見てください。

古代中国の日本人?
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-c0cf.html

追記2

総合研究大学院大学
プレスリリース概要
『日本列島3人類集団の遺伝的近縁性』
http://www.soken.ac.jp/news_all/2719.html

このプレスリリースには、韓国人や朝鮮人は集団としては本土人と同じクラスターに属するとあります。

いいかえれば、ルーツは近縁ではあるが、人種としては別系統ということになり、下戸の比率の差から見ても、そのことは裏付けられています。

記事は明らかに、同じクラスターに属すると言う言葉の意味を勘違いしていることになります。

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