陰陽・弁証法

漢字は誰が作ったのか。

漢字は聖書で読み解けるのではないか、そういう議論には何度か出会ってはいました。

何人もの人たちがそう指摘するなら誰かが一冊の本にまとめているのではないか、そう思って探してみたところ、この二冊が見つかりました。

 

旧約聖書は漢字で書かれていた―「創世記」が語る中国古代文明の真実

C.H.カン&エセル.R.ネルソン

 

漢字に秘められた聖書物語

ティモシー.ボイル

 

興味深いことに、著者はいずれも漢字文化圏の人ではありません。

正確に言えば、著者の一部と言うべきですが。

 

「旧約聖書は漢字で書かれていた」の方はオリジナルの研究は中国人牧師だったが、その人と連絡を取り合いながら執筆したのが非漢字文化圏の人でした。聖書と漢字のただならぬ関係に気付いて研究を始めた中国人の仕事に興味ひかれた著者が、協力したと言います。この本はそのようにして集まった数人の人たちが関わったプロジェクトの成果として出されたものです。本書は、この議論が本当に成り立つのかと言う検証に重点を置いているので、その手の話に興味がある人には、こちらをお勧めします。

 

「漢字に秘められた聖書物語」の方は面白いことに、漢字を覚えるのに自分にとって身近な聖書の知識が使えないかとやってみたところ、あまりにも多くの漢字が解釈できてしまうので、どんどん進めてとうとう一冊の本になってしまったと言う事なようです。多くの外国人から漢字学習に使いたいので英語版が欲しいと言う声に応えて、自費出版で英語版まで出してしまったと言うことです。聖書で読み解けると言うなら実例を見せろと仰る方には、解読例の多さでこちらをお勧めします。

 

全く違う動機から漢字を聖書で読み解く仕事をまとめた本が複数執筆されたという事実は、聖書と漢字の関係がただならないものである可能性があると言っているような気がするのです。

 

そこで、白川静の「文字講話」を開いてみました。

 

すると、この記述に目が留まりました。

 

許慎の「説示解字」にこうあると言うのです。

易の八卦を作ったのが文字の起源であると。

 

易は陰陽と深いかかわりがあります。

 

そして、陰陽はタントラなどとならぶ、古代の弁証法思想なのですが、陰陽やタントラとユダヤ教神秘思想であるカッバーラとは、実は深い関連を指摘できるのです。

 

聖書自体の編纂は、漢字の誕生より時代が下ると指摘されます。

 

しかし、やがて聖書に結実することとなる伝承や思想が、その編纂に先立って東方に伝わることは、大いにあり得る事なのです。

ペルシャとインドの民族の起源は極めて近いことは、よく知られていることです。

古代中東の思想がベースとなって、インドではタントラが、中国では陰陽や易が、生まれたことは十分に考えて良い事ではないでしょうか。。

 

日本人の祖先は、東アジアや南アジアの民族が分かれるより前に中東を旅立ち、日本にたどり着きました。

 

実際中国古代の民族の移動を見ると、西方から来た白人的風貌な民がいたことがわかっています。

 

例えば、楼蘭故城の西170㎞で見つかった小河墓です。

集団墓地には眠っていたのは、彫りの深い白人に似た容貌なミイラたちでした。

赤く塗られた棒状の男性を象徴する墓標に女性が、黒く塗られた扇状の女性を象徴する墓標に男性が、葬られているのです。

これは陽の男性原理には陰の女性原理、陰の女性原理には陽の男性原理が配されると言う、陰陽に極めて近い思想が示しています。

大陸内部で彼らの消息を辿ることはできていないが、滅びた痕跡も見つかっていない以上どこかに移住したと見るのは自然であり、その先が日本であることは十分あり得るのです。

 

神道の哲学もまた極めて陰陽に近く、随神(かんながら)の思想は経典こそないがこれまた聖書の教えに奇妙な程似通っているのです。

そして、アイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が、沖縄にいたっては文化と聖書の類似が、指摘されるのです。

 

縄文人のルーツも一筋縄ではいかぬところがあって、複数の集団が合わさっているのではないかと見られています。

そうなれば、そのうちの一つにアジアルートがあると考えるのはごく自然です。

そして、そのルートが古代中東のカッバーラに通じる思想の伝播と深く関わっていたとみても良いのかもしれません。

 

実際、釈迦を生んだ地域と近いチベットも日本人と共通の古代中東の遺伝子が残っているのです。

 

「旧約聖書は漢字で書かれていた」のなかで、キリスト教と驚くほど似通った上帝に注目しています。

もしかすると、この上帝思想も日本の天皇の思想の下敷きになっているかもしれないと考えてみても面白いでしょう。

この上帝思想から、天孫降臨の発想も生まれたのかもしれません。

 

古代中東から東アジア、さらには日本への民族の移動の過程で、やがて聖書に結実することになる伝承が古代中国の地に伝わり、漢字の成立に多くの影響を与えているのかもしれません。

 

彼らは興亡の激しい大陸を逃れ、日本に渡ってきたがやがて自らの出自を忘れ、日本に同化してしまったのかもしれないですね。


漢字を簡単に簡体字に替えてしまった現代中国と、古い字体を伝え続けている日本と台湾。

そう考えてみると、不思議な気がするのです。

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同祖神とタントラと中東?

日本には各地に陰陽石や同祖神があります。

 

道祖神は坂道や村の教会に、悪霊を防ぐために祀られた神です。

最初は巨大な石だったものが、時代が下るにつれ生殖器の形や、男女が寄り添った像になりました。

 

同祖神の祀り方の中には、九州に見られるようなヨーニとリンガの合体をリアルに表現したとしか思えないものもあるのです。

 

ひょっとしたら、タントラのリンガとヨーニの変形かも知れません。

 

タントラでは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガとから、宇宙的エネルギーとしての炎が生じるとされています。

 

日本神話のイザナミとイザナギは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在とは考えてみても面白いかもしれません。

 

現にイザナミは、火の神を生んでいるのです。

 

これは単なる偶然でしょうか。

 

さらに、太陽神であるアマテラスとアマテルも、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在を御霊分けしたのかも知れませんね。

 

アマテラスについては、スサノオとの関係で女神とされた可能性もありえるかもしれません。

 

女性器であるヨーニに当てられたアマテラスと、男性器であるリンガに当てられたスサノオと見るのです。

 

アマテラスのヨーニは、機織り女が飛び樋に女陰を突かれたとあるのがそれでしょう。

 

日本書紀には一書にいわくとして、アマテラスの隠れを死と記す記録もあると指摘していると言います。

 

スサノオのリンガは、逆剥けの馬とあるのがそれでしょう。

 

「飛び樋」を「飛び火」と見ると、宇宙的エネルギーとしての炎の事でしょう。

 

日本語では、よく掛詞をするが早い話駄洒落ってことです。

 

ついでに言うと、アマテラス=機織り女=織姫とすれば、スサノオ=牛頭権現=牽牛となるでしょう。

 

二人の出会う7月7日は、女のメノラーと男のメノラーが重なる日なのでしょうね。

 

メノラーとは七枝の燭台のことで、ユダヤ教のシンボルです。

 

それと、聖にして、生にして、性なる炎こそが、聖火の正体ではないのでしょうか。

 

そして、モーゼが見た神の炎も、この聖火かも知れません。


タントラと陰陽道とカッバーラは、見た目は一見違っています。


でも、よくよく吟味すると実はよく似ている思想であることに気が付くのです。


インドには、古代ペルシアから分かれた人々が移動したことが知られています。


古代中東の思想が伝わっていても不思議ではありません。


そして、古代中国と古代中東もまた、今日の私たちが想像する以上に繋がっている可能性があるのです。


そして、日本はその延長線上にあるのではないでしょうか。


日本古代史と中東の繋がりは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。

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花と節句と陰陽と?

春、梅に始まり、桃、桜と続いた赤い花のリレーは、つつじに引き継がれます。

比較的高いところで咲いてきた赤い花は一気に、下界へと舞い降ります。
そのさまはまるで、死の世界であった冬を、まず空で浄め、継いで、地を浄めると言いたげにさえ思えてきます。
この季節はまた、落葉樹たちが芽吹く季節でもあります。
緑は、青とも呼ばれ、一方では黒に準えられる色でもあります。
こう見てくると、五行の青(緑)・紅(赤)・黄・白・玄(黒)のうち、青(緑)・紅(赤)・玄(黒)までが揃うことが見て取れます。
春に咲くのは、赤い花ばかりではないです。
菜の花や山吹、地味ではあるがタンポポもまた、黄色の花を咲かせます。
春に咲く白い花も、こぶし、やまなしのほか、意外と多いです。
春は、植物だけで五行の色が出そろう季節でもあります。
秋もまた、植物だけで五行の色が出そろう季節です。
常緑の青(緑)に混ざって、紅葉や黄葉が彩を添え、さまざまなバリエーションがあるとはいえ緑が目立った山里は、鮮やかな色彩の競演の舞台となります。
葉の色だけで、五行の青(緑)・紅(赤)・黄・白・玄(黒)のうち、青(緑)・紅(赤)・黄・玄(黒)までが揃うことが見て取れます。
唯一揃わない白は、花が提供してくれています。
9月9日の重陽は、菊の節句として知られていたが、新暦のこの頃は菊の季節から外れてしまったので廃れてしまったようです。
実はこの菊こそ、葉の色で唯一揃えられない白だったからこそ、9月9日の重陽は菊の節句だったのではないでしょうか。
こうやって見ると、面白い事に気が付くのです。
1月1日は元旦なので7日にずらされて人日(じんじつ)となって、「七草粥」を食べる日として覚えられているが、花の節句ではないので、今回の考察からは省きます。
3月3日は上巳(じょうし)で、3月の最初の「巳の日」という意味です。
「禊ぎをして穢れを祓い、身代りの人形に汚れをうつして河川・海などへ流す」風習などがあったが、おそらく巳つまり蛇の脱皮にあやかって、汚れを払う縁起が担がれたものと思われます。
冬は、木々も葉を落とし、いくら咲いて彩を添えようと花が頑張ってみても死と眠りの季節の印象は拭えないです。
そして死は穢れともされた事を思えば、汚れの季節から生命の季節である春への脱皮の呪術の流し雛がこの日に行われるのもうなづけます。
流し雛の風習は、江戸時代以降「雛祭り」に姿を変え庶民の間に定着しました。
この日が「桃の節句」でもあるのは、この季節が桃の季節だからでしょう。
桃は赤い花であり、陽の色である赤は炎の色として上巳で脱ぎ捨てた汚れを焼き払う呪術であったのかも知れないです。
5月5日は端午(たんご)で、5月最初の「午の日」という意味です。
古くは「薬草摘みの日」であり薬草としての菖蒲(しょうぶ)が「尚武」の音に通じるとして、男子の立身出世を願う行事へ転化したと見られ、別名「菖蒲の節句」として知られます。
7月7日の(しちせき)の、「笹の節句」とともに、花の節句ではないです
なぜ笹なのかは定かではないです。
中国の「織り姫(織女星)と彦星(牽牛星)」の伝説と、日本の「棚機つ女(たなばたつめ)」の伝説があわさって七夕伝承が生まれたのはよく知られている話です。
9月9日は重陽(ちょうよう)で、「九」という数字は、易によれば「陽数の極」にあたり、これが重なるので非常にめでたいとされました。
中国の風習である、この日に菊の花を飾り、邪気を祓って長寿を祈るというものが元になっており、宮中では重要な節句として位置付けられ、菊を用いることから別名「菊の節句」とも呼ばれます。
白は、陰陽五行では、方位としては西、陰陽としては陰に配されます。
一年と四季の終わりの陰の季節である冬に、同じく陰に配される白の花である菊を対置することでように転化させて、重陽と合わせて幾重にも陽を重ねて邪気を祓って長寿を祈る呪術にしたものでしょう。
もしかすると、菊花紋は古代中東の太陽紋によく似てるから、数ある冬になく花の中から陽の花として菊が選ばれた可能性を考えても面白いです。
こうしてみると、花の節句はたんに美しい花を愛でる日である以上に、汚れや邪気を払いたいという切なる願いの呪術であることがはっきりします。
1月から3月にかけて咲く梅の紅白はかつては、花見の主流であったし、今も多くの人が梅園で花を愛でます。
梅の紅白は、呪術で言えば陽の赤と陰の白で陰陽太極となり、ここから万物が生成するとされる事を思えば、この花が咲く時期が一年の初めの1月に定められたのはただの偶然ではないかもしれないです。
陰陽はカッバーラだとする人たちは、自然界にまでカッバーラが仕掛けられていると言い出すのかも知れないです。

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特異点は避けられるか?

特異点とは、ある基準の下で、その基準が適用できない点です。
特異点は基準があって初めて認識され、特異点という言葉は、数学と物理学の両方で用いられます。
アインシュタインの時空に関する方程式から、宇宙の初めの特異点が避けられないと言うが、アインシュタイン自身は自らの理論を破綻から救うために宇宙定数を導入したのです。
宇宙定数によってアインシュタインの式は、救われたのです。
ところが、ハッブル定数が見つかり、その解釈として膨張宇宙論が提起されると、アインシュタインは原因不明な宇宙定数を膨張宇宙に置き換えてしまったのでした。
だがその結果、膨張を遡れば始まりの特異点が出てしまうことになるのです。
膨張宇宙論に逃げ込んでも、瞬時に潰れてしまう宇宙の運命の瞬間を引き延ばしただけなのです。
解釈を変えても、無数の解釈の迷宮と言う無限地獄に迷い込むことになります。
アインシュタインの式から膨張宇宙を追い出し、再び、宇宙定数を復活させるしかないのではないでしょうか。
アインシュタインの時空論では、質量があれば時空が歪みます。
なら、どうやって質量は時空を歪めるのでしょう。
無重力下で質量をどこに置こうと、時空は歪むのでしょうか。
重力のある地上で二次元空間上に質量を置けばその二次元時空は歪むが、無重力下でおかれた質量は二次元時空を歪められないのではないでしょうか。
重力と加速度は識別不能なら、無重力と等速運動は識別不能なはずです。
置くと言うことは、速度ゼロなはずです。
たとえ相対的な静止であっても、速度ゼロは無重力と識別不能なはずです。
だが、質量はゼロ点振動を持つを想定すれば、そのゼロ点振動によって時空を歪めることができ、重力は生まれるはずです。
このゼロ点振動がもたらしている斥力こそ、アインシュタインの導入した宇宙定数の正体であるとすれば、限りなく潰れて生まれる特異点の困難は避けられるのではないでしょうか。
とはいえ、最初に質量を組織してこの宇宙を生み出したのはどのような力なのかと言う問いは、相変わらず残りますが。

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高御座をどうみる?

京都御所には、天皇が即位に使う玉座である高御座があります。

金で飾られた造形で、八角形が特色です。

八は四方八方の八で、世界を表現すると思われがちだが、それだけではないのです。

八は一桁では最大の偶数だが、偶数は陰陽では陰に配されて霊の世界の象徴でもあります。

つまり、八は霊の最高位としての神の象徴でもあるわけです。

高御座は移動可能であり、言ってみれば移動可能な神殿である神輿なのです。

高御座の移動は、神の移動に他ならないといえましょう。

天皇の座す場所は赤く縁どられるが、赤は陰陽では地に配されます。

柱は貝の象嵌で飾られ内側の真珠質の輝きで彩られるが、貝は海に通じ水は陰陽では天に配されます。

高御座の屋根には、徳の高い支配が行われると現れるとされる鳳凰が飾られています。

高御座は、地上における神の声として、天皇が即位することを内外に宣明する場所であるとその形で示しているといえましょう。

地上における神の声とは、天皇が預言者であることを示しているということでしょう。

だが、日ユ同祖論だの、カッバーラだの、振りかざす人たちの手にかかれば、高御座の解釈はこうなってしまうのです。

のっけから、八はヤーを表し、ヤーとはヤハウエのことだとなるわけです。

さらに、鳳凰はケルビムに準えられ、移動可能な高御座は移動神殿であるがケルビムの載るアークもまた移動可能な神殿であります。

高御座の周囲は、アークほどではないにしても、金で覆われているのです。

ケルビムに準えられる鳳凰の載る高御座は、まさしく、アークなのでしょうか。

アークは神の声である十戒石を収めるが、石は神の国の礎の象徴でもあります。

高御座に座す天皇は、地上における神の国の礎の象徴でもあるとなるでしょう。

聖書には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。」(ヨハネによる福音書1章1節2節)とあります。

言(ことば)はイエスを表し、天皇は地上における最高位の預言者、すなわち、イエスに準ずる位置付けの預言者となるわけです。

かつてザビエルは、大日をイエスの訳として用いようとして慌てて撤回しました。

それは、大日は皇祖神アマテラスと同位の神であり、地上におけるイエスの代理の最高位としての天皇を認めることになってバチカンにいる教皇の立場がなくなってしまうからです。

だが皮肉にも、高御座は、まさしく、地上におけるイエスの代理の最高位としての天皇の象徴でもあると言ってるように解釈できてしまいます。

これをどう受け止めるかは、あなた次第ですけどね。

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宇宙の果てについて考えてみる。

宇宙の果てについて、諸説出ながら、絞り込めないと言うのはどうしたことでしょう。

GPSで位置を特定するには、少なくとも3つの衛星が必要とされます。

宇宙の果てについて有力な説が絞り込めないのは、絞り込む決め手になる視点が欠けているのではないでしょうか。

宇宙の膨張と収縮は、同時に起きていると考えなければおかしいと言う、問いかけが出てるようですね。

だとしたら、その条件をどうやったら満たせるか、文字通りに考える必要はないでしょうか。

アインシュタインは、自らの宇宙モデルが一瞬にして潰れてしまうことに気づき、宇宙定数を導入しました。

宇宙定数とは、引力と大きさが同じで方向が反対な力として、想定されたのです。

引力が宇宙を収縮させるなら、宇宙定数は宇宙を膨張させます。

引力と宇宙定数が釣り合って宇宙は安定すると言うのが、アインシュタインの出した答えです。

膨張宇宙と言いながら宇宙は同時に収縮していると、 宇宙の膨張と収縮は同時に起きていると言う命題を言い換えたらどうでしょう。

宇宙を膨張させているのは宇宙が誕生以来膨張しているのだから当たり前と見れば、宇宙を収縮させる力を探せばいいでしょう。

宇宙を収縮させている力は、アインシュタインが指摘したように、引力なはずです。

つまり、膨張と収縮が同時に起きているということを承認せよと言う理論上の要請は、複数の解釈を入れる余地はないと見ていいのではないでしょうか。

宇宙は光の中から生まれ、光の中で終わり、再び光の中から生まれていくと見るのが、自然ではないかと思われます。

もっとも私は、宇宙が膨張せて見えているのは、宇宙定数の悪戯だとみていますけどね。

光には質量がないと言うのは、真っ赤な嘘ではないでしょうか。

光は常に等速直線運動をしています。

重力で進路は曲がって見えても、空間が曲がっているのでそう見えているだけです。

重力と加速度は区別できないと言うことは、無重力と等速直線運動もまた区別できないのではないでしょうか。

無重力は重力をキャンセルする方向に加速度を加えても得られるが、実は、 等速直線運動でも得られるというわけです。

重量は、重力加速度でその物体がどの程度加速されているか、あるいは、その物体を動かすためにどの程度の加速度が必要か、または、その物体の運動を止めた場合どのくらいの大きさの加速度を受け取ることになるか、調べれば測定できるはずです。

物体を載せて量る場合は、 重力加速度でその物体がどの程度加速されているかを測定してることになります。

物体を押し出すために必要な力を量る場合は、 その物体を動かすためにどの程度の加速度が必要かを測定していることになります。

物体を受け止めるために必要な力を量る場合は、 その物体の運動を止めた場合どのくらいの大きさの加速度を受け取ることになるかを測定していることになります。

光の圧力で、水車や風車のように回転を起こしたり、帆船のように推進力を得ることが出来ます。

光電効果は、光の運動エネルギーが電子に移転して起こる現象です。

波長の長い光は圧力が弱く、波長の短い光は圧力が強いのです。

波長はあたかも、光の質量として振る舞っているのです。

波長は運動量、つまりエネルギー量の大きさを表し、エネルギーと質量の同等式によって、光の質量は光を止めることで測定可能なはずなのです。

光の高密度な状態の場合、光の重ね合わせによる見かけ上の増幅や見かけ上の消滅が大規模に起こるはずです。

そして、巨大な増幅は巨大なエネルギーを産み、巨大なエネルギーは巨大な質量として振る舞い、巨大な重力を発生させることでしょう。

エネルギーと質量の同等式によって、エネルギから物質への転換もエネルギーの集積が言って段階に達した時、起こる事でしょう。

物質に重さという意味で質量を与える特別な粒子は必要ないが、質量を表面化させる力としての重力は必要であり、ヒッグス場の正体はあるいは重力場なのかもしれないのです。

光の密度が下がれば、宇宙は晴れ上がる事でしょう。

宇宙のインフレーションの正体は、光の物質化=物体化の過程なのかも知れません。

そして、その後に続く宇宙膨張の正体は、宇宙定数の悪戯であったのかも知れません。

宇宙には、果てなどなく、どこまでも続いているのかも知れません。

ただし、認識できる範囲は限られているので、認識の限界という意味でなら、宇宙の果てはあるのかも知れません。

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泣き相撲

普段は、氏神さまの境内で村の若者が豊作を祈願して草相撲として行われる宮相撲が毎年行われていました。

やがて職業相撲集団となり、四股名を付けることも生まれました。
かつては山や川にちなんだ四股名が多かったのは、生命力を励ます行事だからです。
もともとは男子のものであった子供の相撲としては、小中学生による草相撲もあります。
少年は、五行では滅びと生成を司り循環促す土気です。
大地の生産力を励ます意図があったものですが。
 神の嬰児イエスが下敷きにあるのでしょうかね。
草は草冠、日、十字で、草冠は元は並び立つ三叉で描かれ陰陽の生命の樹、日は太陽、十字は生命を育む太陽の光で、転じて生命力を表します。
一応相撲の起源は古く紀元前、垂仁天皇の御代に大和の国において当麻蹴速と野見宿禰が力競いをし、野見宿禰が勝ち、後の世に相撲の神と仰がれます。
また平安時代には宮廷で相撲節会が行われるようになり、五穀豊穣を祈る儀式ともなりました。
 国家安泰も併せて祈願されたようですね。
時代が下がって武家の時代になると、大名が力士を集め上覧相撲を行いました。
江戸時代には社寺の建立のため、寺社奉行の許可を受けて勧進相撲としての興行相撲が行われました。
勧進相撲は、正保2年6月(1645)京都の、下鴨神社の名で知られる賀茂御祖神社に関係のある糺森においておこなわれた、公許勧進相撲(京都勧進相撲)になりそうですね。
ちなみに、一般に蚕ノ社と呼ばれる木島坐天照御魂神社に元糺森があり、この社は三柱鳥居が有名です。
それに対して今のような泣き相撲は、宝永年間あたりまでしか、さかのぼれないようですね。
あるいは、起源はもっと古いものもあるかも知れませんけど。
と言いますのも、幼児が赤いふんどしを締めて、各々行事役の氏子総代に抱かれて土俵の上で一勝一敗になるように土俵の土をつけてもらい、子供の健康を祈願するとされる行事があります。
これが、土に付けられた子供がたいてい泣き出すところから、『泣き相撲』として親しまれている行事の元祖のようです。
赤いふんどしは火気、男子の子供は土気で、相生関係の火生土が前提にありそうですので、おそらくは男子が主に土俵に上がったかも。
 まあ、人自体も土気ですので、女子も可なんでしょうか。
実際、女子の参加する泣き相撲もありますね。
古来からかどうかは、情報の欲しいところですけど。
 ここには、人は土から出来たと言う、聖書の記述とともに、滅びと生成の太陽神の子孫とする古事記の反映もあるのでしょうね。
現在各地の神社には、古来から泣く子は育つとの意味に因んだとして、泣きすもうが行われています。
 でも、元は土に付けていたと言う伝承も古いとこには見えます。
今ではたいてい、役員氏子がまわし姿の力士に扮し、東西の土俵から幼児同志を抱きかかえ掛け声と共に、頭上高く振り上げて取組ませ、先に泣いたほうを勝とする行事になっています。
笑いが火なのに対し、泣きは水と思われます。
水は北に当たります。
でも火のついたように泣くというように、激しい泣きは火、つまり南に当たります。
北を正面、南を向う正面とし、東西の力士が対戦する、土俵の作りが反映され、少年は、五行では滅びと生成を司り循環促す土にあたりますから、大地の生産力を励ます意図が見て取れます。
農業に欠かせない水に困らないようにとの呪術でもあったので、泣き相撲には泣くと勝ちのところが多いのです。
水の多過ぎも困るので、ところによっては泣くと負けのところもあるようですけど。  
でも、どうも、この形になったのは、どうも宝永の頃みたいですね。
ここでも、泣きの水もまた禊の水、火は聖霊による禊に通じるのです。
 さて、泣き相撲で涙とくると、涙を流す慈悲の神イエスが連想されますねえ。
 涙の神の像がないと思ったら、こんな形で祭られていたのですかね。
さすが、偶像崇拝を禁じた教義もシンボルまでは。
 泣き相撲の原型が赤ふんどしの幼子を土に付けるものであったことは、義の太陽神イエスこそ、人類の親であると宣言しているのに等しいでしょ。
それは、考えすぎでは。

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相撲は踊りだった?

日本人の起源と中東について探っていると、いろいろと面白いコメントを戴きます。

この前は、こういう声をかけてくれました。

ベリーダンスを習っているものです。

興味深いお話をありがとうございました。

以前、YouTubeでアイヌのフッタレチュイ(黒髪の踊り)を見て、アラビア半島の踊り、ハリージと酷似しているのを見つけました。

ハリージはベリーダンスを習っていると、民族舞踊ということで習うスタジオもあります。

日本舞踊に対する、盆踊りみたいなものです。

両方とも、長い髪をブンブン振り回したりするハードな踊りです。

衣装も似てるし、踊りも似ている。

何より驚いたのは、ザガリートと言って、おめでたい時や楽しい時に、発する勧声です。

レレレレレレ…とか舌を高速で左右に動かします。

アイヌの人達も踊りを盛り上げるために、ザガリートをしていました。

エジプト人や中東の人と同じです。

古代中東の人とアイヌは共通の遺伝子があるとのことです。

アイヌのウフィというミイラを作ることも、エジプトや中東から受け継いだものではないかと思います。

中尊寺の藤原三代のミイラといい…。

何よりアイヌの人達の彫りの深い濃い顔は、中東の血が入っているのだろうと思わせるに十分です。

吉田大洋著『謎の出雲帝国』によると、出雲族以前に、日本にアイヌはいたそうです。

主人の祖母はニサタイに広大な土地を持っていた家の出身だそうです。

馬が下駄代わりだったそうです。

ナニャトヤラ大会もあります。

本来、ベリーダンスは自由な踊りです。

何をしても可だそうです。

基本はありますけど、エジプトのダンサーは自分の流儀で踊っています。

シュシュも腰をつきだして、身体を深くS字にしてするものもあります。

S字をキープしたまま足を激しく細かく踏んで移動もします。

身体を真っ直ぐにしたままのシュシュだけではありません。

身体を後ろにかなりそらすこともあります。

横に反らす動きをすることもあります。

踵で床をドンドン踏みな鳴らすこともします。

今やってる曲はエジプト人の振り付け師の曲で、踵でドンドンする振りがあります。

ズンズンと地面に轟かせながらするターンもあります。

ピポットターンの変形です。

バンと床を蹴ってジャンプもします。

ジャンプはあまりしないけど、おおっ飛んだとエジプト人は喜ぶそうです。

左右足を踏みかえる時に、バンと跳んだりもします。

ステップやターンで激しく踏むこともありますが、基本、裸足ですので、あまり音はしません。

でも、激しくジャンプもしますし、激しくステップも踏みます。

ダウンキックという動作も、エジプト人は前方まで腰をひねり上げ激しく捻り下ろしますが、日本人の先生は、腰をほんのちょっとアップするだけの先生もいらっしゃいます。

日本人の先生でも、知らなかったりする方も沢山いらっしゃいます。

ハッガーラは歩く時に、腰を捻り上げ、足をドスンと落とします。

これで普通の速度で歩くと、激しく腰が動いて激しくステップを踏んでいるように見えます。

エジプト人の講習を受けたりするとわかります。

ハリージも激しく前後左右に上半身や首を振りまわします。

バンと頭を振り下ろし、振り上げます。

フッタレチュイとそっくりです。

ハリージはステップ踏んで移動します。

エジプト人がステップ踏んで移動すると、豊満な身体がブルンブルン揺れます。

日本人は豊満でないので、腰を動かしてカバーしますが。

ベリーダンスもハリージも豊満な人が踊っただけで、踏み轟かし、あめのうずめのようになります。

ようはベリーダンスはもともと、自由でなんでもありなんです。

映画の陰陽師で、あめのうずめの踊りの場面では、左手に扇、右手に鈴を持って踊ってましたが、古代エジプトのバステト女神は左手に籠状のもの、右手にシストルム(シンバルを並べたような楽器)を持ってたとか。

持ち物が似てます。

イシス女神もシストルムの名手だったとか。

女性神官が神々を懐柔するために鳴らしたそうです。

あめのうずめの鈴と同じです。

元々、ベリーダンスは女性神官が神人合一したときの身体の動き(アンジュレーション、シミー)が踊りに入っています。

あと、尾てい骨を引っ込め、骨盤を真っ直ぐに立てる基本姿勢は、気功と同じです。

足も左右ほぼ平行が基本で、エネルギーの出し入れがしやすい姿勢は気功と同じです。

踊りがエネルギーワークでもあります。

他のダンス共通ですが、ツーステップと言うステップが反べい?禹歩ですか?と似ています。

右足に左足を引き付け、右足をちょっとずらし、次は左足を出し、左足に右足を引き付け、左足を少し出し…を繰り返し斜めにジグザグ進みます。

ボックスステップなんて四角く踏むステップもあります。

あめのうずめは鉾に 鈴を付けていたそうですが、ベリーダンスでもアサヤと言うステッキを振り回したり、ガンと地面に叩きつけたりします。

威嚇や魔除けです。

男性は武器の棒を持って踊る踊りもあります。

ベリーダンスはオリエンタルの踊り時は、踵を上げて踊りますが、砂漠の民ベドウィンの踊りはベタ足で、ズンズン踊ります。

ベタ足でないと砂に埋もれるからです。

それを床でやったら、踏み轟きます。

フラメンコもベリーダンスと共通する部分があります。

それで、フラメンコ風の踊りも時々習います。

フラメンコについては詳しくありませんので。

失礼しました。

この人の話にあるニサタイとは、岩手県二戸市仁左平地区のことです。

 ナニャトヤラ大会で、それくらい見当つきますよ。

 ナニャトヤラといえば、ユダヤ語説のある不思議な歌詞で有名ですよね。

実際にエジプト人の先生に倣って踊っている人からの、こういう情報はありがたいです。

特にアイヌの音楽文化と中東音楽文化の類似を、自分自身の踊りの体験から語って戴けるのは、貴重な情報で助かります。

 フラメンコはやはり、ベリーダンスと共通の起源なのでしょうね。

フラメンコもベリーダンスと共通する部分があるので、フラメンコ風の踊りも時々習うとのことですからね。

アイヌの音楽文化と中東音楽文化の類似があり、フラメンコもベリーダンスと共通する部分があるとなると、興味深いことになります。

近縁である琉球の伝統的な振り付けがどこかフラメンコに近いのも、中東音楽文化の類似ということになるからです。

 カチャーシーですね。

 フラメンコにどことなく、似てると言えば似てる…。

 聖書世界に近い琉球の文化にとってみれば、音楽文化も中東に近いのは当然と言えば当然ですけどね。

アイヌの人達の彫りの深い濃い顔は、中東の血が入っているのだろうと思わせるに十分ということは、琉球民族の顔も中東的と言って良いわけですね。

興味を惹かれるのは、禹歩に似たステップですね。

禹歩というのは道家の行う技法で、現代でも行われている呪術の一種です。

この禹歩は、古代の聖天子禹の歩きかたをかたどったものと伝えられます。

入山や病気治療などに際して特別なステップを踏む事で、主に身の安全の確保や病気治療などの効果を得ようとするものです。

実は、相撲の四股もこの禹歩に起源があるというのです。

威嚇や魔除けとして禹歩という独特のステップがあるが、四股も威嚇や魔除けとしての所作なのです。

さらに興味を惹かれるのは、男性は武器の棒を持って踊る踊りもあるということです。

四股を踏みつつ弓を振り回すさまは、ツーステップと言うステップを踏みながら武器の棒を持って踊る振り付けそのものではないですか。

アマノウズメの踊りに巫女舞の起源を探ったことはあるけど、まさか、弓取り式の起源をアマノウズメの踊りに見るとは思っても見ませんでした。

 ベリーダンスが女性だけでなく、男性の踊りでもある事を思えば、男性の神前の舞が残っていても当然だけど、弓取り式とは意表を突かれましたね。

となると、相撲は一見競技のようだけど、本質は神前の奉納儀式ですよ。

 土俵の正体は、屋根を見ればわかるように神社でしたね。

砂漠の民ベドウィンの踊りはベタ足で、ズンズン踊るということですね。

 ベタ足でないと砂に埋もれるからですね。

ベリーダンスはもともと、自由でなんでもありということは、舞踏に武闘の動きが入っても良いのではないでしょうか。

 そうしてみると、意外な展開になりますね。

相撲は実は、ベリーダンスの男性の舞に起源を持つ奉納舞だったのでしょうか。

 そう言えば、神社の奉納の舞にも男性の舞はありますね。

相撲は、右舞と左舞の代わりに、東西の取り組みとなったのでしょうか。

 相撲が東西南北にこだわるのも、ツーステップと言う禹歩に似た威嚇や魔除けのステップを踏む奉納舞の場だからと見れば、妙に納得できますね。

 相撲も、神社の奉納舞も、あめのうずめの踊りを経由して日本に定着した、ベリーダンスだったとは…。

こういう面白い展開があるから、歴史を探るのは止められないのですねえ。

追記

なお巫女舞についてはここで触れたので、良かったら見てください。

巫女舞http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-8caa.html

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八卦よい古墳?

少々前の記事だが、やはりどうも気になります。

野口王墓古墳:5段構造の八角形墳
http://mainichi.jp/feature/news/20130525k0000m040059000c.html

毎日新聞 2013年05月24日 21時11分(最終更新 05月24日 23時50分)

1961年調査の資料写真にある野口王墓古墳の切り石。

八角形の角度に合わせて並べられている=牽牛子塚古墳発掘調査報告書より
拡大写真

宮内庁の研究者がまとめた野口王墓古墳の想定図=奈良県明日香村教委の牽牛子塚古墳発掘調査報告書より
拡大写真

 天武・持統天皇合葬陵とされる奈良県明日香村の野口王墓古墳(7世紀後半)について、宮内庁が過去の調査を基に「5段構造の八角形墳」と結論付けた報告が、村教委が24日発表した「牽牛子塚(けんごしづか)古墳発掘調査報告書」に掲載された。

天皇陵は7世紀中ごろから八角形墳が採用され、野口王墓も文献などから八角形とされていたが、宮内庁が調査結果を公表するのは初めて。

 陵墓は原則として一般の研究者は調査できない。

野口王墓古墳が1235年に盗掘されたと記した文献「阿不幾乃山陵記(あおきのさんりょうき)」には、「八角形」との記述があるが、全体像は分かっていなかった。

近年、情報公開請求が相次ぎ、福尾正彦陵墓調査官が斉明天皇陵と確定的になった牽牛子塚古墳の発掘調査報告書に論文を寄稿した。

 福尾調査官は1959年と61年に行われた宮内庁の現況調査と、奈良県立橿原考古学研究所の所長だった故・末永雅雄氏らによる75年の立ち入り調査などを基にまとめた。

 それによると、野口王墓は、墳丘の測量結果などから5段構造の八角形と判明した。

高さは全体が約7.7メートル、最上段は他の段の倍の約3メートルあり、墳丘全面に加工した凝灰岩を貼り付けてストゥーパ(仏塔)のように見せていたと分析。最下段の1辺の長さは約16メートルあり、その周囲に幅約3メートルの石敷きがあったと推測した。

 大王墓は6世紀までは前方後円墳や方墳だったが、7世紀に即位した舒明天皇(天武の父)から八角形になったとされる。

中国古代思想や国土の四方八方を天皇が支配するという思想を視覚化したという説などがある。

 舒明天皇陵とされる段ノ塚古墳(奈良県桜井市)や天智天皇(天武の兄)陵とされる御廟野(ごびょうの)古墳(京都市)は墳丘の八角形部分が2段で、大型で色の異なる岩が使われている。

大阪府立近つ飛鳥博物館の白石太一郎館長は「切り石で全面を化粧しており、それ以前にはない形式が、天武天皇から始まったことが分かる。

古墳の変遷を考える上で重要だ」と評価した。

 報告書は1冊6300円で25日から販売される。

問い合わせは明日香村地域振興公社(0744・54・4577)。【矢追健介】

復元想像図は、どう見ても、八卦爻(はっけこう)に似ているのです。

爻(こう)は、易の卦を構成する基本記号です。

長い横棒(─)と真ん中が途切れた2つの短い横棒(--)の、2種類があります。

経では、前者を剛、後者を柔と呼びます。

 軽とは、経書(けいしょ)のことで、儒教でとくに重視される文献の総称ですね。

経典(儒家経典)ともいいます。

儒教において規範として尊ばれる先秦典籍のことで、儒家経典の五経、十三経などをさします。

一方、伝では陽、陰とします。

 伝(旧字体は傳 でん)とは、儒教の基本経典となる六経に対する注釈書ですね。

記(き)と呼ばれるものもあり、合わせて伝記(でんき)ともいます。

陽爻と陰爻は、対立する二面性を表します。

陽爻は男性・積極性などを、陰爻は女性・消極性などを表すのです。

これらを3つ組み合わせた三爻により八卦ができ、六爻により六十四卦が作られます。

易では、事物のさまざまな側面を、このように陽爻と陰爻を組み合わせることにより説明します。

朱子学系統の易学、宋易において爻を2つ組み合わせてできるものを、四象といいます。

四象とは、太陽・少陰・少陽・太陰のことです。

経には、六十四卦の爻ごとに爻題と爻辞が付されています。

爻題は必ず2字で構成され、1字は爻の順序を表し、もう1字は爻の性質、すなわち剛(陽)か柔(陰)かを表すのです。

爻の順序は、下から上とされます。

1番下の爻から、初・二・三・四・五・上、と名付けられます。

一方、爻の性質は、数字によって表されます。

陽爻には九、陰爻には六が用いられるのです。

卦は、爻と呼ばれる記号を3つ組み合わた三爻によりできたものです。

爻には、─陽(剛)と--陰(柔)の2種類があります。

─陽(剛)と--陰(柔)の組み合わせにより、八卦ができます。

なお八爻の順位は下から上で、下爻・中爻・上爻の順です。

また八卦を2つずつ組み合わせることにより、六十四卦が作られます。

 八卦や易もまた、陰陽と関係があるのでしたね。

古墳は、さまざまな形があるが、その多くは、陰陽が連想できるものです。

日本の古墳には、基本的な形の円墳・方墳をはじめ、八角墳(天武・持統天皇陵)・双方中円墳(櫛山古墳・楯築古墳)・上円下方墳・双方中方墳(明合古墳)・帆立貝形古墳(乙女山古墳) などの種類があります。

 前方後円墳・前方後方墳・双円墳(金山古墳)・双方墳などの山が二つある古墳もありますね。

主要な古墳は、山が二つあるタイプの古墳であることが多いようです。

 双方というが、三角を両方から挿した形にも見えますね。

双方中円墳や双方中方墳は、それぞれ、三角と丸、三角と方形と見て解釈した方が良さそうに見えます。

 円天方地角人、つまり、円が天、方が地、三角が人を表す象徴図形ですね。

 仏教、特に禅でよく使うのでは。

でも、陰陽は神道と仏教で共通ですからね。

 だから、神仏混交も可能になった。

おそらくそうでしょう。

 卑弥呼の鬼道を陰陽と解釈すれば、古墳時代にも陰陽は引き継がれた。

当然、卑弥呼の時代、弥生時代、古墳時代、さらには中世以降にも、陰陽は日本文化の底流として、引き継がれたとみて良いでしょうね。

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改めて女媧と伏羲を考えてみた。

伏羲と女媧が手に持つ物に、注目してみましょう。

 女媧がコンパス、伏羲が曲尺を持っています。

 向かって左がコンパスで女媧。

 向かって右が曲尺で伏羲。

陰の天、陽の地、つまり、円天方地を指しています。。

 前方後円墳は、 神前の儀式に用いた壺を模ったとするなら、丸いほうが下です。

 一般的には、大地は、母で女性です。

陰陽では、陰陽合一で太極となるように、組み合わされます。

そして、陰陽入れ子が無限に続くのです。

陰には陽、陽には陰が配され、太極となるのです。

相生と相克もまた、陰陽の原則です。

合一した陰陽は、常に相生相克の中で、ゆらぎ、移ろい、転化していきます。

天が御父であるからこそ陰が配され、地が母だからこそ陽が配され、合一して大極となるのです。

太極は、大いなる無=玄となり、存在や現象の森羅万象はこの玄から生じます。

無限陰陽入れ子は、科学や哲学では、世界の階層性として認識されています。

数学では、フラクタルが階層性を反映した理論となります。

 カッバーラは陰陽を理解しないと解けないのでしたね。

そして、陰陽合一や相生相克と、矛盾との差異を正しく捉えられないと詭弁に堕落します。

 陰陽では、円天方地でしたよね。

聖書に登場するマナの壺が天の代理の象徴たりえるのは、天の象徴たる円が地の位置にあるからです。

 そして、地の象徴たる方は天の位置にある。

つまり、マナの壺は天と地を繋ぐ階(きざはし)の象徴でもあるのです。

天皇は陛下、すなわち階の下に居られるお方。

天の神が地に降りてこられる代わりを、天皇は果たしておられる。

 これが、マナの壺を擬した前方後円のメッセージ。

陰に陽を、陽に陰を、一対になるように配して太極になるようにするのが陰陽の基本ですよ。

そしてまた、コンパスと曲尺はメーソンの象徴でもあります。

 メーソンの象徴は、こう見えますよ。

 コンパスは、円の外周を描いているだけでなく、中心を突き刺している。

 直角定規は、円の中心を突き刺していない。

 突くほうが男で陽なのでは?

 指金の90度は四角を意味し、天から降りてくるメルカバの象徴かもしれない。

 そしてコンパスは、三角を表す。

 四角と三角の合わせた形である、ピラミッドの形は、メルカバを象徴している。

通常なら、陽に上・前・右、陰に下・後・左ですよね。

にもかかわらず、天地と対応させると、陽に東・南(地)、陰に西・北(天)となります。

よって、円天方地では、円に対応するコンパスは陰の左に配される女媧(女)が、方に対応する曲尺は陽の右に配される伏羲(男)が、手にすることになるのでしょう。

興味深いことに、古代エジプトでは、天空神はヌウトやヌートとも表記される女神ヌト、大地神は男神ゲブ、ゲブとヌトは夫婦とされます。

ヘリオポリス神話では、大気の神シューと湿気の神テフヌトの子とされます。

大気神シューは天空神ヌトと大地神ゲブの間に割って入り、ヌトを支える形で示されます。

陰陽で天を女と同じく陰に地を男と同じく陽に配する事を思えば、生者の地を東に死者の地を西に配したことと合わせれば、古代エジプトは陰陽を知っていたと見た方が良くなります。

 コンパスは、円の中心を針が刺すではないですか。

たしかに、その通りです。

 円の中心を刺す構図は、ヨーニと常に対となって表現されるリンガと似てますね。

 まさに、女媧の正体を示唆しているのが、リンガとみえますね。

リンガは男神シヴァの象徴でありながら、常に女性の象徴であるヨーニと一体で表現されます。

 女媧は女性の姿で陰の位置である左に配されているが、正体は男だと暗示しているように思えますね。

そう見ると、女神天照の正体は男神天照国照彦であることに、似てきますね。

 これは、やがて再臨され陽となるイエスが天にお隠れ、つまり陰であることをも、示唆しているのでしょうか。

ややこしいですか。

陰陽の理屈は極めて単純です。

だが、理屈の基礎を理解していないと、ややこしく感じることでしょう。

 リンガは、あたかも大地から生えているように見えます。

そして、円天方地の天が陰で地が陽なので、陽である地のリンガのようにさえ見えます。

だが、リンガは女性の象徴であるヨーニと常に一体。

これは、地が実は陰の女性であると示唆していることになるでしょう。

だが、地が陰では霊の世界になってしまうので、受肉してはいるが堕落した我々に対応するために陰陽では陽を配して陰を封じているのかも知れません。

神の霊に満たされ包まれる来たるべき世界では、天は陽で地は陰となるのかも知れないです。

そのとき神の国に入れた人たちは霊の高み(陰)にいるので、地が陰であっても一向に差し支えないのかも。

 卍は曲尺をいくつ合わせたモノかな?

卍ですか。

曲尺四つでは?

シヴァは創造のブラフマーや維持のヴィシュヌと共に唯一神界を構成します。

つまり、シヴァは創造・維持・破壊の神と見てもよくなります。

 これは、イエスと似ているでしょ。

そこで、女媧=シヴァ=イエスと見ても面白いでしょうね。

さらに、伏羲にも、包犠や伏儀のような綴りもあるのです。

女媧と伏羲では、二人とも人頭蛇身で描かれることもあれば、伏羲は伏犧とも記されるように牛の頭で描かれることもあるのです。

 伏羲には、人頭蛇身のほかにも牛頭の姿もあるのですね。

 偏に現れる、牛や人に、暗示された意味がある。

神に奉げられる犠牲の代表が牛なので、偏は牛なのです。

儀で人に変わるのは、人が義とされるために儀式があることも、勿論、指します。

だが、人が義とされるための犠牲として自らを捧げた人の存在も、指しているのです。

 贖罪の仔羊と、しばしば言われるイエスの事ですね。

そこで、伏羲=イエスの構図も浮かび上がります。

 女媧=伏羲、そして、コンパスと曲尺となれば、メーソンの象徴。

ピポケパロスに描かれたエニシ・ゴ・オン・ドシは、実は、女媧と伏羲でもあるのです。

 ピポケパロスは、ピポケファロスとも呼ばれますね。

作られていたのはプトレマイオス王朝の頃です。

プトレマイオス王朝は、紀元前305年から紀元前30年まで、ギリシャ人によってほぼ300年の間がエジプトを統治された時代です。

ヒポケパロスはエリートのミイラの頭部の下に、おかれていたのです。

ヒポケパロスは、パピルス、しっくいの塗られた亜麻布、青銅、金、木、または粘土で造られた小さな円盤状の物で、古代エジプト人はこれを死者の頭の下に敷きました。

ヒポケパロスには、古代エジプトの文字であるヒエログリフで文章が書かれていました。

文章の目的は、死者の頭部の下で生気を与える象徴的な炎や輝きを発することでした。

ヒポケパロスの発する象徴的な炎や輝きで、ミイラの頭部や体が魔法のように包まれるようになることを、故人が神聖になると信じられていたのです。

ヒポケパロス自体は、ラーまたはホルス、すなわち太陽神の目を象徴しており、そこに描かれている場面は古代エジプト人の死後の生活と復活の概念を物語っています。

またヒポケパロスは太陽が空を巡る世界の象徴でもあり、上半円は人間世界を照らす真昼の空を、下半円は地下世界、すなわち死後の世界を覆う夜空を表しています。

そこを太陽が昇り沈みする様が、古代エジプト人に死と復活を連想させました。

ヒポケパロスはヨーロッパや中東、アメリカなどの幾つかの博物館で発見されており、100種類以上が存在しています。

 エジプト人は、エニシ・ゴ・オン・ドシに何を描いていたのですか。

左に女神ウジャト、右に女神ハトホルです。

ウジャトとは「ホルスの目」という意味であり、古代エジプトでは月の象徴とされています。

ウジャトが手に持っている蓮は再生の象徴であり、月の満ち欠けを暗示します。

ウジャトは古代エジプトの王や太陽神の額に付けられたコブラの擬人化であり、神の目から吹き出る炎の化身でもあります。

右に描かれるのは、慈愛の女神ハトホルです。

角に挟まれた日輪に2枚の羽を付けた冠をかぶって描かれています。

ハトホルは「ホルスの家」という意味で、天空の神ホルスの住む太陽を指しています。

首飾りはメニトを呼ばれ、誕生や再生の儀式に用いられた祭具です。

輪の先に丸い頭と胴体の付いた重りがあり、女性的な体形が強調されています。

 女神というけれど、雄牛ではないですか。

ここで重要なのは、ハトホルが描かれたヒポケパロスの下半円は夜空であり、この死の世界から太陽が再び昇ると陰から陽へと変わり、本来の男神の姿へと戻るのです。

 ハトホルの正体は、復活の主イエス・キリストなのですか。

雄牛の姿で表されるハトホルの後には、女神ウジャトが配されているでしょ。

 ウジャトを蛇と見ると、確かに人頭蛇身の女媧の変形となりますね。

そして、本来のハトホルは男神であることが、陽に配される右に描かれることでも、実は暗示されているのです。

雄牛は、イスラエル十二支族の象徴でもあります。

 そうなると、伏羲と女媧はイスラエルの滅びと再生を象徴していたとか。

ひょっとしたら、もっと大きな滅びと再生かも知れないですよ。

 脅かさないでくださいな。

可能性だけは、考えた方が良いと思いますがねえ。

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