生命の樹

五十音図は、ほんとうに「言語の表」だったのか ── 招き猫、樽神輿、陰陽、十干十二支…あれが出そろう幕末に、何が起きていたのか

五十音図について調べていると、あるところで必ず妙な引っかかりに出会います。
「日本語の基本中の基本」と思われているはずのあの表が、実は幕末までは今のように安定していなかった、という事実です。

では、なぜ幕末だったのか。ここでふと、別のものが思い出されます。
招き猫の登場もそのころ。「猫じゃ猫じゃ」が流行し、樽神輿が江戸の町で見せる祭礼として姿を変え始めたのも、ほぼ同時期。

まるで、ある種の象徴体系が幕末に一気に出そろったかのようです。
五十音図までが、そこでようやく今のかたちになる。

そう考えると、五十音図は単なる文字の表ではなく、時代ごとの宇宙観の写し鏡ではなかったか――そう思えてきます。
では、それ以前の日本人は、どんな宇宙観を拠り所にしていたのでしょう。

 

「あ」で始まり、「ん」で終わる――これは本当に偶然なのか?

五十音図に慣れすぎると気づきにくいことがあります。

始点と終点がはっきりと示された音体系というのは、実はかなり特殊だということです。

そして、その始まりが「あ」、終わりが「ん」。
ここで「陰陽だな」と直感する人は、少なくないのではないでしょうか。

なぜなら、日本では 阿吽(あうん) の象徴が、神社から寺院、仁王、狛犬に至るまで深く定着しているから。
阿(A)は開き、吽(Ṃ)は閉じ。天地の開合、始まりと終わり。

これだけで一つの宇宙モデルができます。
なのに学校教育ではひらがなの最初と最後とだけ教わるのだから、どこかもったいないように思えます。

 

五十音の「五」は五行か、それとも五行+もうひとつなのか

構造そのものに視点を移してみると、さらに興味深いことが見えてきます。

動詞の五段活用、あ・い・う・え・おの五母音。
この「五」は偶然ではありません。
ただ、単純な五行対応では説明しきれない点が残ります。

五行(木・火・土・金・水)は本来、相生・相克による循環モデル。
一方で母音は、開音から閉音へ向かう一次元の軸です。

このズレを埋めてくれるのが、五行に陰陽を付した 十干 の構造。

十干は木火土金水を兄(陽)弟(陰)に分ける二重構造を持っています。
そこで五十音図を見ると、どういうわけか行が十。
(あ・か・さ・た・な・は・ま・や・ら・わ)

ここに十干との構造的な韻を見るのは、読みすぎでしょうか。

たとえば、
陽=あ行
陰=わ行
と見立てれば九行になり、九は陰陽道で「完成数」。

そこに「ん」を加えれば十一行となり、十一は密教で重要な数(十一面観音など)。
九=閉じた世界
十一=開いた世界

五十音図は、この閉じ開きの境界に置かれた象徴装置だった――そう考えても、不自然ではありません。

 

「十字切り」という構造
相撲の手刀、門松、賞状の配置が同じ理由

相撲の手刀や門松の節、さらには賞状のレイアウトまで。
なぜ宗教も時代も異なるのに、どれも十の構造を共有しているのでしょう。

縦=天
横=地
交点=人(あるいは神)

この宇宙観は、実は宗派を越えて普遍的に現れるものです。

・相撲の手刀
・門松の3+4+3(=10
・賞状の三層構造
・伊勢神宮の縦横の内院
・キリスト教の十字
・ユダヤ教の生命の樹(10のセフィロト)

どれも、三層構造+十という設計。

だから「門松=アダム・カドモン説」が突飛に見えて実は完全に的外れでもない、というのが面白いところです。
門松や賞状の枠は、人の成就と祝福、端緒を祈る象徴装置としてむしろ理にかなっている。

 

いろは歌――五十音図の前にあった宇宙

五十音図が完成するまで、音を体系化していた大きな柱は「いろは」。
四十七音(+んで四十八)。
四十八という数は、実は仏教的宇宙の全体を象徴しています。

阿弥陀の四十八願。
武芸の四十八手。
四十八=十二の倍数=全体性を示す数。

いろは歌は、仏教宇宙を一首の中に閉じた世界模型
だから奇数で固めて「陽」の世界として整えてあります。

五十音図は、
その仏教的宇宙観(いろは)を超えて、
陰陽五行+十干十二支という、古代東アジアの宇宙の数理を統合したとも見えるのです。

 

百八という最大の謎

ここでもまた、東西の象徴が思いがけない形で重なります。
除夜の鐘もロザリオも、なぜ同じ数なのか

百八は仏教では煩悩の数。
キリスト教ではロザリオの珠の数。
なぜ一致するのかは、歴史的には説明されていません。

ただ数の構造としては、こう読めます。

100(陽=完全)
8
(陰=増殖・末広がり)
→ 108
(陰陽の合成)

しかも
108 = 12 × 9
十二支 × 陰陽の完成数。

仏教もキリスト教も、東西はまったく違う道を歩んだはずなのに、宇宙の構造数だけは共通する。
その一致をどう読むかが、文化史の醍醐味です。

 

五十音図とは何だったのか
――
日本が複数の宇宙観をひとつの盤に統合したときの痕跡

五十音図は、単なる音表ではありませんでした。

いろは歌(仏教宇宙)
陰陽五行(中国)
十干十二支(暦術)
阿吽(寺社)
九字切り・十字切り(呪術)
六芒星・五芒星(陰陽)
十一(顕現)
四十八(全体性)
百八(陰陽の合成)

これらすべての象徴体系がひとつの盤に統合されたとき、その形として現れたのが五十音図だった――そう読むことができるのです。

そして、幕末にそれが定まったという事実。
招き猫が現れ、樽神輿がシンボルとなり、猫じゃ猫じゃが流行し、五十音図が安定する。

あれらはすべて、
日本の象徴体系がいったん揺れ、そののち再統合された時代
の痕跡だったのかもしれません。

こうして見ると、五十音図は「複数の宇宙観が混ざり合ったとき」に姿を現すことがわかります。

では、それらがいちどきに揃った時代とは、いつだったのでしょうか。

 

■ 幕末は「表記・象徴・制度」が一斉に流動化した時代

 

なぜ五十音図が幕末に安定し、

なぜ招き猫・樽神輿・歌舞伎の見せ物化のような“象徴装置”が同時に現れるのか。

 

そこには、幕末特有の「二つの地殻変動」があります。

 

① 国学・仏教・陰陽道・洋学が同時に混線した時代だった

 

江戸中期までは、

・寺社仏閣=仏教的宇宙観

・陰陽寮=五行・干支

・国学=古典の読み直し

のように、象徴体系がそれぞれ別々に動いていた。

 

ところが幕末になると、

ペリー来航→洋学流入→文献学の刷新→国学ブーム→「古語・古音とは何か」の再編

という連鎖が起きて、

それまで別々だった宇宙観が、ひとつの“場”に流れ込んだ。

 

五十音図が整えられたのも、

まさにこの「表記をもう一度作り直す」作業の真っただ中です。

 

② 都市の大衆文化が見せるものへと変質した

 

嘉永・安政のころ、江戸では

・見世物小屋

・寺社の縁日

・商品広告

・祭礼の大衆化

が一気に進む。

 

すると、言葉・音・イメージ・シンボルが

“読み書き”から“視覚化”へとシフトする。

 

樽神輿が登場したのも、

五十音図が「見える表」になったのも、

招き猫が急に広まったのも、

実は **「江戸の視覚文化の成熟」**という同じ線のなかで説明できる。

 

■ 五十音図が幕末に固まったのは、象徴体系が再配置されたから

 

仏教(いろは)

陰陽道(五行・十干・十二支)

国学(古語研究)

儒学(音韻研究)

洋学(ローマ字・発音法)

 

これらが、幕末の混乱で一度すべてテーブルに載せられ、

「じゃあ日本語の音の全体像をどう再構成するか」

という作業が求められた。

 

五十音図は、その再統合の産物。

 

だからこそ、

・十行という構造

・あ〜んの“宇宙的”配置

・五母音の軸

が、ただの表記ではなく“象徴体系の結晶”として見えてくる。

 

幕末は、国学・仏教・陰陽道・洋学が一斉に混線し、江戸の視覚文化が成熟した時代だった。

象徴体系が流動化したからこそ、五十音図という“新しい宇宙の盤”が必要になったのではないでしょうか。

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山の神と生命の樹――身体と世界をつなぐ垂直の道

私たちはなぜ、山に神を感じるのでしょう。

それは、山が単なる地形ではなく、「上」と「下」という二つの方向を、同時に私たちに意識させるからです。

上へ登るとき、私たちは息を整え、身体を内へと閉じていきます。

一歩一歩、地面との接点を確かめるたび、呼吸のリズムが自然と祈りに近づいていく。

そして、頂に着いたとき、空は近く、視界は広がり、自分が「ひとつの点」に戻ったように感じる。

下るときは逆に、目は足元へ、手は岩や根をつかみ、身体の重みが地へ引かれていく。

登りは「統合」の方向、下りは「分解」の方向――この感覚の往復こそが、古代人にとって「世界の秩序」そのものだったのではないでしょうか。

山の神は、そうした垂直の感覚を司る存在でした。

日本の各地で、春になると「山から田へ降りてくる神」、秋になると「山へ帰る神」という形で祀られます。

これは、単なる農耕儀礼ではありません。

山と田を結ぶ往復運動そのものが、命の循環をあらわしていたのです。

山の神が降りるとは、生命のエネルギーが地上に流れ出すこと。

神が山へ帰るとは、使い果たしたエネルギーが再び源へと還ること。

この往復が途切れない限り、世界は生き続ける。

だから春祭りと秋祭りは、人々にとって「世界の息づかい」を確認する年中行事でもあったのです。

一方で、山に生きる人々――木こりや猟師、炭焼きなど――にとっては、山は「帰る場所」ではなく「暮らす場所」でした。

彼らにとって山の神は、日常とともにある存在。

ときに怒り、ときに恵みを与える、生きた人格としての神です。

この山の神が「十二の子」を持つと伝えられるのは、単なる神話の飾りではありません。

十二という数は、月の満ち欠け、季節のめぐり、人の寿命、あらゆる「周期のリズム」を示す象徴でした。

つまり、山の神の子らは時間そのものであり、世界を動かす目に見えない歯車たちなのです。

もうひとつ、山と深く関わるのが修験者たちでした。

彼らにとって山は修行の場であり、神そのものでした。

白装束をまとい、鈴を鳴らしながら登るその姿は、単なる儀礼ではなく「身体による哲学」でした。

彼らは上りながら俗世の垢を落とし、頂上で神と一体となり、下りながらその力を人の世界へ持ち帰る。

それはちょうど、天と地を結ぶ導線のような運動。

登ることで精神が解き放たれ、下ることで現実に根を張る。

この往復の中にこそ、「悟り」と「奉仕」が一つに結ばれていたのです。

こうした三つの視点――農民、山民、修験者――を並べてみると、ひとつの構図が浮かび上がります。

それは「上昇・下降・循環」という三つの運動が重なり合う、生命の三角形。

山はその頂点であり、神はその循環を維持する中心点。

西洋の神秘主義で言えば、ケテル・コクマー・ビナーの三角。

ユダヤの生命の樹でも、上から流れる光が左右に分かれ、また中央へと戻ってくる。

それは、山の字の形にそっくりです。

中心の峰が主神をあらわし、左右の峰がそれを支える二つの力。

日本語の「山」という文字の中に、すでに神話の構造が隠されているのかもしれません。

では、この「縦の軸」に「時間」が重なったらどうなるでしょう。

山の神の十二の子が、月のように一年をめぐり、春夏秋冬を運ぶ。

その運動の中で、生命は芽吹き、枯れ、また蘇る。

時間の円環が、垂直の軸を包み込む。

これが、「生命の樹」の構造です。

上からは光が降り、下からは水が湧く。

光と水が幹の中で出会うとき、世界が息づく。

その仕組みを、古代の人々は神話と儀礼で表現したのです。

興味深いことに、この構造は世界各地に共通して現れます。

北欧ではユグドラシルが、根で冥界と結び、枝で天を支える。

インドではヒマラヤが聖なる軸とされ、修行者がその斜面で悟りを得る。

マヤの世界では、世界樹が宇宙の中心に立ち、天・地・冥界を貫く。

日本の山岳信仰もまた、この「垂直の想像力」の一つの形だったのです。

人間の身体が重力のもとで立ち、歩き、登り、下る限り、この構造は世界のどこでも生まれる――そう考えると、宗教も神話も、最初は身体の記憶から始まったのかもしれません。

現代に生きる私たちは、もう山を登らなくても日常を送れます。

けれども、心のどこかで「登りたい」「還りたい」という衝動を感じるときがある。

それはきっと、身体の奥底に残された古い記憶が、まだ息づいているからでしょう。

神社の参道を歩くとき、長い階段を上がるとき、誰もがほんの少しだけ無言になります。

その沈黙の中に、かつて山の神と呼ばれた「垂直の精神」が、今も静かに宿っているのです。

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那智の火祭りはイエス臨在の清めの儀式か。

那智の扇祭りとも呼ばれる那智の火祭では、12の大松明と扇神輿が現れる。
これは、十二支に対応して季節と方位を表すとともに扇神輿は神々の依り代であろう。
扇神輿は、門松と同様に生命樹の表現でもあろう。

だが、大松明は火戸であるとともに御陰、陰所、女陰の字を宛てることが多い「ほと」の隠喩であり、扇神輿は陽根の隠喩とみることもできる。
隠しながら見せて見せながら隠すのが、陰陽のやり方である。

扇は陰陽では御陰の象徴としても扱われるが、扇神輿は金地に朱の日の丸を描いた開いた扇を9カ所に取り付ける。

9も開いた扇も陽を表し陽を重ねて強めることで陽根の生命力を高め、燃え盛る勢いのある火戸とともに豊かな恵みと実りの祈願と感謝を奉納している。

舞の奉納も巫女や稚児や若者なのは、これもまた生命力の表れと継承の祈願と感謝の奉納となっている。

神への食の奉納と田植の所作もまた、豊かな実りへの祈願と感謝の奉納となっている。

ここまでが、陰陽による解釈になる。

12はイスラエルの12支族であるとともに扇神輿は生命樹であるとしたら、どうなるか。

実はユダヤ教でシンボルとして用いられるメノラーも、生命樹の表現の一つである。

つまり12の扇神輿は12のメノラーとなり、日本には12支族がすでに集合していると宣言しているとみたらどうだ。

扇神輿は大松明の炎で清められるが、聖書では御霊による清めは火による清めと表現されている。

扇神輿が生命樹としたら、御霊による清められた人々の霊の象徴として祀りの場に顕現していることになり御霊による清めがされた霊を神に奉納する儀式が那智の火祭りということになる。

目の前の滝は、清められた霊が登って神のもとに向かう道の象徴なのかもしれない。

そうなると稚児は、永遠の幼児と表わされるイエスの象徴なのだろう。

だとしたら、捧げられた食は自らを命のパンと言ったイエスの象徴なのだろう。

田植えは稲荷を表しているとみれば、INARIはINRIすなわち、イエス・キリストの磔刑においてその十字架の上に掲げられた罪状書きの頭字語となりラテン語のIESVS NAZARENVS REX IVDAEORVMである。

日本語では、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と訳される。

これは、もしカッバーラがこの祭りに隠されているとしたらこう見えるかもしれないと言うことだ。

真相は、神のみぞ知る。

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那智大社はなぜこの地でなければならないのか。

熊野那智大社・飛瀧神社で、火祭りが行われるがそこに扇神輿が担がれる。
恐らく、火は命の象徴であり扇神輿の開いた扇と勢いよくほとばしる滝は一対で陰陽を象徴している。
滝が陽で扇が陰なのだが、陰の扇が開かれ滝から放たれる陽と一体化して陰陽合一の太極が祀りの場に顕現していることを示している。
芸能を奉納するのも子どもや若者というのは、旺盛な生命を象徴し那智の滝や扇神輿や火と呼応している。
御田植式は、豊穣を祈願する生命の象徴に満ちた祀りの結節点に当たるのだろう。
まさにこの祀りこそ、熊野那智大社・飛瀧神社がなぜこの地に祀られるかを雄弁に物語る儀式だと感じる。
この空間は、この儀式にふさわしい聖なる胎内ともいえる場なのだ。

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三星堆と日本はつながるのか。

1986年に中国の四川省徳陽市広漢県の三星堆で発見された三星堆遺跡は、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つである。

三星堆遺跡とその文化は紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属し、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである。

 

三星堆を営んでいた人達の祖先は、治水の道具として竹籠石を用いているが日本にも竹籠龍と呼ばれるそっくりなものがある。

彼らは鵜飼の風習を持っていたが、日本にも鵜飼の風習がある。

鬼や邪鬼を払う曹がい(「がい」は羊と皿を縦に合わせた文字)と言う面を作るが、どこか鬼瓦を連想出来る。

十日神話と言う十の太陽が十羽の鳥に運ばれる神話を、三星堆を営んでいた人達は持っていた。

日本で神への奉納舞に使われる伝統的な衣装も、鳥の装飾がある。

神聖な木の思想も、御神木を思わせる。

西に若木と東に扶桑の神樹を配するのも、鹿の角を神樹に見立て神獣にしたことが連想出来る。

 

三星堆と日本のつながり、何かありそうだ。

気になる。

 

十日神話では十羽の鳥が十の太陽を運ぶとされるが、古代エジプトでは太陽の船の先頭に鳥が乗る。

十羽の鳥は十の枝の神樹にとまるが、この神樹は恐らく西方の世界樹や宇宙樹や生命の樹に連なる。

そして生命の樹は、メノラーと言う聖なる燭台にも連なる。

そして蜀の地に住むのは、偶然ではない。

三星堆では、太陽神の目をかたどる遺物が見られる。

 

古代エジプトでも、ホルスの目が作られている。

太陽と月は古代エジプトでは非常に古い時代から、ハヤブサの姿あるいは頭部を持つ天空神ホルスの左右それぞれの目と考えられてきた。

やがて二つの目は区別され、左目である「ウアジェト(ウジャト)の目」は月の象徴、右目である「ラーの目」は太陽の象徴とされた。

 

三星堆の太陽神の目は、この太陽神ラーの目を連想させる。

 

そして蜀の字は、ウアジェトの目を連想させる。

ウアジェトは、コブラの姿、あるいは、頭上にコブラをつけた女性の姿で描かれる、下エジプトの守護女神である。

蜀の字は、頭をもたげたウアジェトをかたどったように見えるのだ。

蛇の神聖視は、日本の文化にもある。

しめ縄は、日本神話の天岩戸隠れがはじまりといわれている。

神話では、「尻久米縄(しりくめなわ)」と呼ばれていた。

この他にもしめ縄に使われた漢字も何通りかあり、蛇が関わっている説もある。

さらに古く格式の高い神社には、その御神体や神様そのものが蛇だという「蛇神」が多く存在している。

偶然だろうか。

三星堆の表現様式は、古代の西方から来たとしか言えない。

シュメールの文物を連想出来るところさえあり、彼らの文化の起源を示唆している。

指導者のシンボルの杖も、遊牧民を連想出来る。

何か、匂う。

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陰陽だけで説明していいですか。

七支刀も蛇行剣も祭祀に使われたのは明らかだけど、問題はどういう理由が考えられるかだ。
恐らく、陰陽思想が関係あるだろうがそれだけではない。
七支刀の七は、まず思い浮かぶのが北斗七星だ。
北斗七星は中国で「天帝の乗る車であり、四方を司る神」とされそこから発展して、北斗七星は人々の長寿や豊かさを司ると考えられた。
陰陽道でもその考えを取り入れ、「属星祭」という祭として北斗七星に対する信仰が行われるようになる。
蛇行剣は、蛇をその長さから息や声の象徴としてとらえて神の言葉を地上におろす儀式に使われたのかもしれない。
陰陽が表の顔とすれば、裏の顔がカッバーラとの関わりだ。
七支刀はその形からメノラーの変形の可能性があるし、蛇行剣も聖書の癒しの青銅の蛇と関わりを疑ってもいいかもしれない。
何しろ日本の文化は一皮むけば、聖書を連想出来るものがいろいろあるという指摘もある。
イスラエルで失われた十支族を探している組織があるが、シルクロードに沿って分布しているという。
その東の端に、日本がある。
失われた十支族の大半が、日本にきたかもしれないという声もある。
あなたはどう見るか。

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菅原氏。

菅原氏について調べてみる気になったのは、ひょっとしたら祭司の家系ではないかと言う気になったからです。

菅原氏の祖とされる天穂日命は日本神話に登場する男神で、天之菩卑能命、天菩比神などとも書かれます。

天照大神とスサノオが誓約をしたときに、天照大神の右のみずらに巻いた勾玉から成った神とされます。

物事のタネとなるものをさす物実(ものざね)の持ち主である天照大神の第二子とされ、アメノオシホミミの弟神にあたります。

ちなみにアメノオシホミミのフルネームであるマサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミは、正勝吾勝勝速日天忍穂耳命、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、正哉吾勝々速日天押穂耳尊などの表記があります。

天穂日命は葦原中国平定のために出雲の大国主神の元に遣わされたが、大国主神を説得するうちに心服して地上に住み着き、3年間高天原に戻らなかったのです。

その後、出雲にイザナミを祭る神魂神社(島根県松江市)を建て、子の建比良鳥命は出雲国造らの祖神となったとされます。

菅原氏の直接の祖とされるのは、天穂日命の子孫で、大相撲の祖として知られる野見宿禰を先祖とする土師氏です。

 大相撲自体すでに神事として営まれているでしょ。

菅原氏は祭祀に関与した一族である可能性が高いですね。

 その上菅原氏は土師氏の流れをくむとなれば、さらに可能性が出てきます。

大相撲の祖とされる野見宿禰はまた、殉死者の代用品である埴輪を発明したことでも知られそれがきっかけで第11代天皇である垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」を、曾孫の身臣は仁徳天皇より改めて土師連姓を与えられたと言われているから、祭祀に関わる一族であると言えるでしょう。

 殉死の代わりに土で作った埴輪で差し支えないと、説得力をもって説き伏せてしまう。

相当神事の奥義に通じていないとできないはずですね。

野見宿禰、かなりの神仙思想の使い手である技能に通じた人物であったと言えそうです。

神仙思想に詳しい技能者と言う事は、メーソンを連想できますね。

メーソンの関与を連想できる遺跡としては、酒船石遺跡があります。

酒船石遺跡とは、酒船石と平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および周辺の遺構を含めての総称です。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工による工作物、という指摘がされた遺跡ですね。

神仙思想に詳しい腕の立つ石工とは、まさにメーソンの説明そのものにほかならないです。

 野見宿禰がもしメーソンだったとしたら、相撲にその証拠を見ることができますね。

土俵は四角で、そこに蛇の目を指し示す俵の円があります。

つまり、四角の中に円、定規とコンパスはメーソンのシンボルです。

さりげなく見せながら隠すのが、奥義なのです。

メーソンとくればカッバーラだけど、カッバーラとはユダヤ教神秘主義のことですよね。

あなたは土から生まれたから土にかえる、あなたは塵から生まれたから塵にかえる。

有名は聖書の一節ですよ。

野見宿禰がメーソンでありカッバーラの使い手であったなら、あり得る話ですね。

でもこれは、当時の日本のトップにいた人たちが聖書を知っている事が前提ですね。

初代神武天皇からして、実はユダヤだったとしたら、どうでしょうか。

少なくとも神武天皇のバックにいた可能性が高い徐福についてはユダヤ人であったと言う説があります。

日本人のルーツのうちで、どこまでがユダヤ人と言えるかについては、諸説あるようです。

 少なくとも天孫一族については、ユダヤ人説があるでしょ。

 縄文、弥生となると、どうでしょうね。

皇室やその周辺はユダヤ人だった可能性は、見ても良いかもしれないですね。

縄文や弥生についても、可能性は否定しない方が良いでしょうね。

土師氏のうち平安時代初期に大和国菅原邑に住んでいた一族が、以降、菅原氏を名乗ることとなります。

土師氏から分かれた一族としては、菅原氏のほかに大江氏や秋篠氏があります。

菅原古人の子清公、および孫の是善を含め、大江氏と並んで子孫は代々、紀伝道すなわち文章道を家業として朝廷に仕えていました。

そして、古代には政(まつりごと)は祭り事(まつりごと)でもあったから、菅原氏は文章道を家業としていたなら相当に祭祀に通じていた家系であると言えるでしょう。

菅原氏、少なくとも菅原道真は天神を篤く崇拝していたと言います。

天神は雷神として知られるが、菅原氏の祖は天穂日命で、どこでどうやって雷神としての天神と結びつくのかが、謎めいています。

だが、雷神と言えば雷鳴、つまり、雷です。

「かみなり」は「神鳴り」や「神成り」に通じた音と言う事は、雷鳴を神の声と言い換えても良くなるはずでしょう。

地上に神の声を下す存在として雷神を見ると、神にお伺いを立てることを菅原氏は本来生業としていたと見ても良いでしょうね。

相撲もまた、神託伺いの神事の側面があると言えるでしょう。

力士は祭司、あるいは、神の依り代の役を担う存在であったのかもしれないです。

その力士の祖を起源としている菅原氏は、やはり、祭司一族と見て差し支えなさそうです。

とは言え、菅原氏を考察していたら、まともに日ユ同祖論にぶつかってしまったのは興味深いですね。

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同祖神とタントラと中東?

日本には各地に陰陽石や同祖神があります。

 

道祖神は坂道や村の教会に、悪霊を防ぐために祀られた神です。

最初は巨大な石だったものが、時代が下るにつれ生殖器の形や、男女が寄り添った像になりました。

 

同祖神の祀り方の中には、九州に見られるようなヨーニとリンガの合体をリアルに表現したとしか思えないものもあるのです。

 

ひょっとしたら、タントラのリンガとヨーニの変形かも知れません。

 

タントラでは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガとから、宇宙的エネルギーとしての炎が生じるとされています。

 

日本神話のイザナミとイザナギは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在とは考えてみても面白いかもしれません。

 

現にイザナミは、火の神を生んでいるのです。

 

これは単なる偶然でしょうか。

 

さらに、太陽神であるアマテラスとアマテルも、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在を御霊分けしたのかも知れませんね。

 

アマテラスについては、スサノオとの関係で女神とされた可能性もありえるかもしれません。

 

女性器であるヨーニに当てられたアマテラスと、男性器であるリンガに当てられたスサノオと見るのです。

 

アマテラスのヨーニは、機織り女が飛び樋に女陰を突かれたとあるのがそれでしょう。

 

日本書紀には一書にいわくとして、アマテラスの隠れを死と記す記録もあると指摘していると言います。

 

スサノオのリンガは、逆剥けの馬とあるのがそれでしょう。

 

「飛び樋」を「飛び火」と見ると、宇宙的エネルギーとしての炎の事でしょう。

 

日本語では、よく掛詞をするが早い話駄洒落ってことです。

 

ついでに言うと、アマテラス=機織り女=織姫とすれば、スサノオ=牛頭権現=牽牛となるでしょう。

 

二人の出会う7月7日は、女のメノラーと男のメノラーが重なる日なのでしょうね。

 

メノラーとは七枝の燭台のことで、ユダヤ教のシンボルです。

 

それと、聖にして、生にして、性なる炎こそが、聖火の正体ではないのでしょうか。

 

そして、モーゼが見た神の炎も、この聖火かも知れません。


タントラと陰陽道とカッバーラは、見た目は一見違っています。


でも、よくよく吟味すると実はよく似ている思想であることに気が付くのです。


インドには、古代ペルシアから分かれた人々が移動したことが知られています。


古代中東の思想が伝わっていても不思議ではありません。


そして、古代中国と古代中東もまた、今日の私たちが想像する以上に繋がっている可能性があるのです。


そして、日本はその延長線上にあるのではないでしょうか。


日本古代史と中東の繋がりは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。

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日本ではなぜ蓮の台座で差し支えなかった?

十一面観音は、国宝、重要文化財等の指定名称で、大光普照(だいこうふしょう)観音とも、十一面観音菩薩、十一面観世音菩薩など様々な呼び方があります。

「救わで止まんじ」の誓願を持つがゆえに、大悲闡提とも呼ばれます。

頭上の11面のうち、前後左右の10面は、菩薩修行の階位である十地を表し、最上部の仏面は仏果を表すとされます。

通例、頭頂に仏面、頭上の正面側に菩薩面(3面)、左側(向かって右)に瞋怒面(3面)、右側(向かって左)に狗牙上出面(3面)、拝観者からは見えない背面に大笑面(1面)を表します。

頭上の11面は全体では、衆生の十一品類の無明煩悩を断ち、仏果を開かしめる功徳を表すわけです。

六道それぞれの衆生を救う6体の観音を、六観音といいます。

密教では、修羅道に十一面観音を配します。

残りは、地獄道に聖(しょう)観音、餓鬼道に千手観音、畜生道に馬頭観音、人間道に准胝(じゅんでい)または不空羂索(ふくうけんじゃく)観音、天道に如意輪観音となります。

十一面観音は密教の尊格であり、密教経典(金剛乗経典)の十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経(不空訳)、仏説十一面観世音神咒経、十一面神咒心経(玄奘訳)に説かれています。

十一面観自在菩薩心密言念誦儀軌経によれば、10種類の現世での利益(十種勝利)と4種類の来世での果報(四種功徳)をもたらすと言われます。

十種勝利

離諸疾病(病気にかからない)

一切如來攝受(一切の如来に受け入れられる)

任運獲得金銀財寶諸穀麥等(金銀財宝や食物などに不自由しない)

一切怨敵不能沮壞(一切の怨敵から害を受けない)

國王王子在於王宮先言慰問(国王や王子が王宮で慰労してくれる)

不被毒藥蠱毒。寒熱等病皆不著身(毒薬や虫の毒に当たらず、悪寒や発熱等の病状がひどく出ない。)

一切刀杖所不能害(一切の凶器によって害を受けない)

水不能溺(溺死しない)

火不能燒(焼死しない)

不非命中夭(不慮の事故で死なない)

四種功德

臨命終時得見如來(臨終の際に如来とまみえる)

不生於惡趣(悪趣、すなわち地獄・餓鬼・畜生に生まれ変わらない)

不非命終(早死にしない)

從此世界得生極樂國土(今生のあとに極楽浄土に生まれ変わる)

また、この十一面はあまねく方位を見るためともされます。

 あまねく方位と言いながら、十一では数が合わないでしょ。

全方位に守りを固めるため、十二神将が配されるくらいですからね。

金毘羅童子、宮比羅とも呼ばれる宮毘羅(くびら、こんぴら)大将の本地仏は弥勒菩薩で、亥神に配されます。

金剛力士とも呼ばれる伐折羅(ばさら)大将の本地仏は勢至菩薩で、戌神に配されます。

迷企羅(めきら)大将の本地仏は阿弥陀如来で、酉神に配されます。

安底羅(あんちら、あんていら)大将本地仏は観音菩薩で、申神に配されます。

頞儞羅(あにら)大将の本地仏は如意輪観音で、未神に配されます。

珊底羅(さんちら、さんていら)大将の本地仏は虚空蔵菩薩で、午神に配されます。

帝釈天とも呼ばれる因達羅(いんだら)大将の本地仏は地蔵菩薩で、巳神に配されます。

波夷羅(はいら)大将の本地仏は文殊菩薩で、辰神に配されます。

摩睺羅伽(マホーラガ)とも呼ばれる摩虎羅(まこら)大将の本地仏は大威徳明王で、卯神に配されます。

緊那羅(キンナラ)とも呼ばれる真達羅(しんだら)大将の本地仏は普賢菩薩で、寅神に配されます。

招杜羅(しょうとら)大将の本地仏は大日如来で、丑神に配されます。

毘伽羅とも記される毘羯羅(びから)大将の本地仏は釈迦如来で、子神に配されます。

間際らしいのが、十二天です。

十二天とは、仏教を守護する12の天尊のことです。

四方・四維の八天、上・下の二天、日・月の二天からなります。

帝釈天(たいしゃくてん)(東)・火天(南東)・閻魔天(えんまてん)(南)・羅刹天(らせつてん)(南西)・水天(西)・風天(北西)・毘沙門天(びしゃもんてん)(北)・伊舎那天(いしゃなてん)(北東)、梵天(ぼんてん)(上)・地天(下)、日天(日)・月天(月)。

十一面観音は、十一の数が生命の樹のダートを含めたセフィロトの数と同じなので、生命の樹を表すという解釈も出来ます。

だが、それでは、あまねく方位という説明の裏付けにはなりません。

陰陽では北は天に配されるので、十二方位の残りの十一方位とすれば、あまねく方位の説明となるのではないでしょうか。

 十一面観音の、方位のことだけ言いたかったのですか。

日本の仏教では、仏は蓮に乗った姿が定番でしょ。

 初期のころは、椅子のような四角の台座があったと思いますが。

なぜ、四角の台座が日本では廃れたと思いますか。

半跏思惟のような姿は、蓮の台座よりは椅子のような台座の方が、表現しやすいはずでしょ。

さらに言えば、交脚姿勢の仏像は日本では半跏思惟像以外ないでしょ。

 交脚姿勢の表現を諦めてまで、蓮の台座にこだわった…。

神仏混交本地垂迹では、大日を本地とすれば天照が垂迹でしょう。

 天照は、皇祖神ですね。

天皇には、三五の桐紋もあるが、有名なのは菊花紋でしょ。

そして、天照は太陽神だから、菊花紋は太陽神の象徴でもあるわけですよね。

 一方、仏の象徴は蓮ですね。

神道では全ての神は天照の化身、仏教では全ての仏は大日の化身ですね。

 主仏は皆、大日に帰することを一目で見てわかるようにする必要があった。

さらにいえば、幕末から明治にかけて日本に来た欧米人は、皇族の顔を見て中東起源と感じたそうですよ。

日本には、古代中東のYAP遺伝子が濃く残るが、これは最も古いD系統に属するとされています。

 皇族の率いた天孫一族は大陸から来たが、皇族の顔は彫の深い中東系…。

今は亡き、イラクのフセイン大統領はヨーロッパの記者からの腕輪の紋章は皇室と関係あるかとの問いに、中東古来の王家の紋章だと一笑しましたね。

 日本では菊花紋と呼ばれるが、中東では太陽の象徴ですよね。

大陸渡来の皇族は、当然、菊花紋が太陽の象徴であることを承知で、太陽神天照の末裔と称する自らの紋章にしたと見る方が、自然でしょ。

 本地垂迹は、象徴の花にまで、徹底した…。

だが、なぜ、交脚の仏像は作られたのでしょう。

 逆に言えば、交わる、つまり、クロスを表現できさえすれば、足の位置にこだわることはない…。

さらにいえば、立像では交脚は不可能ではないが、不自然でしょ。

 交差さえ表現できれば、足にさえこだわらなくて良い…。

仏の坐像、良く見てください。

 両足の裏が見えている場合が、多い…。

足を交差させないと、そうはならないでしょう。

さらに、衣に注目してください。

背面も、含めて…。

 さりげない交差が、表現される様式ですね。

交差、つまり、クロスですよね。

もろもろの仏は、大日の化身です。

 ザビエルたちは、大日をイエスの訳としようとしたが、断念してますよね。

太陽神信仰をイエス信仰に摩り替えて、現地の宗教を乗っ取ろうとしてきた布教作戦は、日本では採用できなかったのは、神仏混交本地垂迹だったからですよ。

 そうでなければ、大日をイエスの訳として日本仏教を乗っ取る作戦は、成功したかもしれない。

大乗仏教成立の背後には、キリスト教がありました。

 大日をイエスの本地として割り込んでしまえば、乗っ取りは容易だった…。

それが断念されたのは、日本では天皇が地上における大日の代理であり、天照の末裔だったからです。

 天皇がイエスの末裔であることは否定できても、イエス直系のキリスト教団の末裔である可能性までは否定できない…。

バチカンと言えども、エルサレム教団の全てが帰ってきているとは言ってないでしょ。

 大陸のどこを探してもない以上、そして、神が作りたもうたエルサレム教団が滅びるわけがない以上、どこかにないといけない…。

さらに、東にプレスタージョン率いる強大なキリスト教国あると言い伝えられているのに、大陸のどこにもないでしょ。

大日をイエスと置けば、天皇はエルサレム教団のトップとしてキリスト教国日本を率いる構図になるとは、言えませんか。

 日本が、プレスタージョン率いる強大なキリスト教国と認めざるを得ない展開さえ、予想されますね。

それはさておき、クロスを象徴とする太陽神となると、思い出しませんか。

 古代アメリカの太陽神も、クロスを象徴としていましたね。

そして、アメリカ先住民は日本先住民の親戚であることは、遺伝子、土器、寄生虫によっても裏付けられました。

 日本には、古来からクロスを太陽神の象徴とする文化があった。

だから、クロスさえ表現できさえすれば、交脚にこだわらなかったと言えないでしょうか。

 ザビエルは、日本の精神文化のキリスト教徒の類似に驚いて先客を探したが、見つからなかった…。

先住民の末裔であるアイヌや琉球の民には、古代イスラエルの生活文物や、聖書に似た伝承や風習が残っているのは、偶然でしょうか。

アメリカ先住民は、愛と悔い改めを説いた白い神が再臨を約して去って行った伝承もありますよ。

 アメリカでの先住民への布教は、十字を象徴とする太陽神をイエスと置くと再臨を約した白い神の扱いに困り、逆では太陽神の扱いに困る…。

だから結局、イエスはイエスのまま、布教したはずです。

 クロスを象徴とする神は、イエスと見て良いか…。

クロスを象徴とする太陽とされる神、どう見てもイエスでしょ。

 モルモン書は、アメリカ先住民はイスラエル人の一派であると記していますね。

アメリカ先住民は、古代中東の遺伝子を持つアイヌや琉球の民と親戚である以上、古代中東の民の末裔でないとおかしいでしょ。

 日本の仏像の造形には、古代中東から連綿と伝わるクロスを象徴とする太陽とされる神の思想が反映していた…。

そう見ては、おかしいでしょうか。

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神社の構造について考えてみました。

街中で見かける神社と寺の見分け方として、よく言われるのは次の点です。

 そう言えば、見た目が似通っていて、どう区別するかわからないことはありますね。

外見としては、瓦葺きでないなら神社で、瓦葺きなら寺と、思えば大抵区別はつきます。

 天平の甍と言いますね。

 甍は、瓦の事で、仏教とともに伝来したのでした。

一方、神社は茅葺が普通です。

 神社は、瓦の伝来以前の建築ですからね。

もっとも、中にはどちらも屋根に銅版が葺いてあったりして区別しにくい場合もあります。

そういう時は、多少近寄らないとならないが、鈴なら神社で、銅鑼なら寺です。

だが、古い歴史を持つ神社は、たいてい、一目で区別がつきます。

神社建築、特に本殿の特徴として以下の点が指摘されています。

屋根に妻を持つこと

床を高く張ること

瓦を用いないこと

土壁を用いないこと

装飾の質素なこと

もっとも日光東照宮のように、装飾だらけの神社も、なかにはあるが、これは例外中の例外です。

古来からの神社には、いくつかの様式があります。

大社造

住吉造

春日造

神明造

流造

八幡造

どうして、これだけの様式が分かれたか、それはわかりません。

だが、神社でなぜ、屋根に妻が付くかと言うと、それには理由があります。

神社建築では、長さは何間あろうが、妻の方は基本は必ず柱が三本なのです。

 八幡造では、屋根を伸ばすためにわざわざ妻をもう一つ造りますね。

 神の三柱と、関係があるのでしょうか。

おそらく、そうでしょう。

歴史のある神社では、本殿までの鳥居はたいてい三つです。

これも、神を三柱とする思想が背景にあるようです。

ついでに言うと、妻の方に階段があるかないかと言う区別もあります。

妻の方に階段があるのは、大社造、住吉造、春日造です。

神明造、流造、八幡造は、階段は妻の方にありません。

神社の基本構造は、出雲大社の有名な設計図である金輪の造営にみられるように、九本柱と思われます。

 出雲大社だけでなく、伊勢の神宮も、九本柱ではないですか。

周囲に廻らされた回廊でわかりにくいが、そのような印象は受けますね。

 九本柱が基本としたら、金輪の造営について、生命の樹を連想したが、神社は生命の樹を表すことになりますね。

興味深いのは、八幡造で、建物を支える柱は十三本に見えるのです。

 母屋の真ん中の一本は大黒柱として、勘定から外して良ければ十二本。

 八幡(はちまん)は通称で、正式には八幡(やはた)ですよね。

八幡(やはた)に対しては、ユダヤを表すイエフダーの転化と言う説がありますね。

 八幡(やはた)がユダヤであるなら、十二はイスラエルの支族の数となりますね。

 大黒柱は、天の神である御父を表すのではないでしょうか。

なお、本殿の大きさは、正面から見たときの柱間の数で表されます。

例えば、正面に柱が四本立っていて柱と柱の間が三つであれば、三間社と呼びます。

その場合の間は、柱間が一尺であろうと十尺であろうとすべて一間と数えるのです。 

実際の神社では、圧倒的に多く全体の九割以上を占めるのは、一間社だそうです。

残りは、ほとんど三間社で、偶数の間数は社寺ともに嫌われるので、二間社や四間社の例は、希にしかないようですね。

五間社以上の大型本殿の例も少なく、長大な例では、京都府の石清水八幡宮、山梨県の窪八幡神社の十一間社があります。

 軒下が大半、一間と言うことは、大社造や春日造と、関係はあるのでしょうか。

そうかも知れません。

二間社や四間社の例は希にしかないが、偶数は陰の数であり、陰は鬼の語源ともされることも理由としてあるのかも知れません。

 十一間社の十一は、十一面観音でもしばしば言われるけれど、生命の樹の節の数ですよね。

面白いのは、本殿ではないが、諏訪大社の十間廊と言う建物は、大きさだけでなく形と方角や使い方が全部、古代イスラエルの幕屋と同じであるという指摘があります。

なお、十間廊は古くは神原廊(ごうばらろう)とも呼ばれたようですね。

 こうしてみると、神社は、拝殿と本殿を分け、前方に二本柱を持つ構造は古代エジプトや古代イスラエルの神殿と類似ですよね。

 賽銭箱があり、神域を持ち、裾に房のある衣装の神職が清めの塩を用いるばかりか祓いをすることまで、古代イスラエルの神殿と類似。

こうしてみると、神社と古代中東は、やはり何か、ありそうですね。

 でも、神社の構造については、専門家から、指摘が来るのでは。

その時は、素直に教えを乞いますよ。

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