アラブ・アラビア
イスラム法の背景を考えてみた。
イスラム社会はイスラム法を持つが、それは拠点を持った共同体を守る必要があったからなのです。
ユダヤ教に宗教的規範はあっても法がないのは、離散したのでユダヤ人としての連帯はあっても拠点を持った共同体がなかったからです。
キリスト教法学がないのは、救いの教えに徹し教団はあるが共同体がなかったからです。
キリスト教徒の共同体が営まれた時期や地域はあるが、それはむしろ例外なのです。
教団は政治的には中立を保つか、一部地域のように教会が世俗権力と癒着するか、いずれにしてもキリスト教徒自身による共同体は一般化しなかったので、キリスト教法学はできなかったのです。
イスラム法は彼らの社会の置かれた状況を反映して成立したが、聖書やコーランの教えに基づいて作られたのです。
だからイスラム法に基づいて運営されるイスラム社会は、聖書とコーランに比較的忠実な社会なのです。
運用の現実はアラブ社会の慣習によって歪められた部分もあるのは、残念な現実ではあります。
イスラム社会にしばしばみられる問題があるからと、イスラムの教えを誤解しないで欲しいのです。
コーランや聖書の教えと、アラブ社会の旧弊が入り混じったのが現実のイスラム社会なのですからね。
キリスト教社会だって、それぞれの社会の旧弊を少なからず引きずって歪められた側面があります。
キリスト教社会にもその歪められた側面だけ見て、キリスト教を邪教と勘違いしている人達が少なからずいる残念な現実があるのです。
聖典を正しく理解するのは大事だけど、容易ではないのです。
イスラム法の背景を考えてみた。
イスラム社会はイスラム法を持つが、それは拠点を持った共同体を守る必要があったからなのです。
ユダヤ教に宗教的規範はあっても法がないのは、離散したのでユダヤ人としての連帯はあっても拠点を持った共同体がなかったからです。
キリスト教法学がないのは、救いの教えに徹し教団はあるが共同体がなかったからです。
キリスト教徒の共同体が営まれた時期や地域はあるが、それはむしろ例外なのです。
教団は政治的には中立を保つか、一部地域のように教会が世俗権力と癒着するか、いずれにしてもキリスト教徒自身による共同体は一般化しなかったので、キリスト教法学はできなかったのです。
イスラム法は彼らの社会の置かれた状況を反映して成立したが、聖書やコーランの教えに基づいて作られたのです。
だからイスラム法に基づいて運営されるイスラム社会は、聖書とコーランに比較的忠実な社会なのです。
運用の現実はアラブ社会の慣習によって歪められた部分もあるのは、残念な現実ではあります。
イスラム社会にしばしばみられる問題があるからと、イスラムの教えを誤解しないで欲しいのです。
コーランや聖書の教えと、アラブ社会の旧弊が入り混じったのが現実のイスラム社会なのですからね。
キリスト教社会だって、それぞれの社会の旧弊を少なからず引きずって歪められた側面があります。
キリスト教社会にもその歪められた側面だけ見て、キリスト教を邪教と勘違いしている人達が少なからずいる残念な現実があるのです。
聖典を正しく理解するのは大事だけど、容易ではないのです。
猿田彦は塩の神様だったのでしょうか。
天孫降臨で、天照大御神が地上に遣わした人物の名ニニギノミコトも日本語としては意味をなさない名前だが、ニニギノミコトを案内した猿田彦も同じように日本語としては意味をなさない名前ではないでしょうか。
しかも、猿田彦は猿田彦神社の祭神とされるが、神社に伝わる猿田彦の顔は日本人としては異様なまでに鼻が高いのです。
日本語は時代を遡ると二重母音になるが、旧仮名遣いをみるとワ行母音に近かったと思われます。
そうなると、サルタヒコのサルタはソルトに近くなりはしないかと想像しました。
伊勢志摩は思った通り、塩の産地なようです。
時代をどこまでさかのぼれるのか、興味がそそられます。
猿田彦と塩の繋がりについて検索をかけたら、面白い情報が出ました。
日南海岸の野島神社の塩筒大神(塩槌翁)と猿田彦(白髭大明神)の複合が肥後にも、見えると言うのです。
猿田彦を祭る神社の名前に、塩の付くものが結構あるのです。
塩釜神社、塩浜神社、塩屋神社、中之塩屋大神宮、など思った通りサルタ彦はソルト彦の転化である可能性が見えてきたのです。
猿田彦崇拝は、九州から伊勢志摩に製塩技術と共にもたらされたのかもしれません。
そう言えば熊野神社は、九州にもあります。
熊野と猿田彦と塩で調べていくと、何か面白いことが見えてくるかもしれません。
さらに、猿田彦の異様に高い鼻と、サルタがソルトの転化である可能性をみると、案内されたニニギノミコトも西方出身者であると考える方が自然でしょう。
ニニギは、一体何の転化である可能性がある名前なのでしょう。
どうも気になります。
何とかして、情報を集めてみたいものです。
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預言者について考えてみた。
神は常に、人の力ではなし得ない業を世に表し続けられました。
モーセ、アブラハム、イサク、ヤコブ、イエス。
ここまではほとんどのキリスト教の教会が認めるでしょう。
私は、敢えてここに、ムハンマド、更には、ジャンヌダルクも付け加えて考えたいのです。
それだけではないと言う声も、あるいはあるでしょうが。
ジャンヌダルクがあれだけの力を出し得たのは、神の後ろ盾以外あるでしょうか。
神は、ありとあらゆる場面を用いて自らの力を示されます。
ジャンヌダルクをイングランドは異端として退けたが、ジャンヌダルクを認めてしまうなら、イングランドは神の力を見ながら神の御前にへりくだり、全てを神の采配に委ねないとならなくなるでしょう。
ジャンヌダルクはフランス王を戴冠させることで神の力を示すため、神に召された女性だったのでしょうか。
もしジャンヌダルクが神に召されていたならば、人々を裁くために地上で神の采配が振るわれるときに、その場で采配を振るうために神の代理に召されるのはいったい誰か。
神の采配のために召されるのがたとえ誰であっても、神の采配を振るうために神に召された彼らは果たして周囲の人々に受け入れられたか。
ジャンヌダルクを処刑した人々は、現世の秩序維持を最優先させるため、処刑を実行したのではないか。
その意味では、ジャンヌダルクの死は、イエスの死のリフレィンだった。
私は、そんな気がしてなりません。
ジャンヌダルクは、あの段階で死んだが、あるいはそれは神の慈悲だったかも知れません。
当時の情勢から見て、ジャンヌダルクは、政争に巻き込まれ、遅かれ早かれ、命を落とすことになったでしょうから。
そして、死後も彼女の評価は、政争の具にされてしまったことでしょう。
あの段階で死ぬことで、彼女は純粋なままでいられたのかも知れません。
国王の戴冠の時点でジャンヌダルクの役割は終わっていたにもかかわらず、勝利の女神として期待されてパリの奪還にまで駆り出されたが、神はジャンヌダルクがこれ以上政争に巻き込まれてしまわないために、身元に召してしまった。
そう思いたくなるような、タイミングですね。
世の多くのキリスト教の教会は、ムハンマドが神の力を借りられたからこそ、大きな力を発揮出来たことを認めたくないでしょう。
ムハンマドは、ユダヤ教やキリスト教に原点回帰を求める神のメッセージを伝え、神の力を借りて多くの困難な戦いに勝利しました。
ムハンマドは戦いに勝利しただけでなく、人々を治める上でも神の導きによって多くのことを成し遂げていますね。
ここでは、それにいちいち触れることはしないけど、神の助けがないとまず無理と言えることを、数々行っているようです。
ユダヤ教やキリスト教にとって、ムハンマドの原点回帰の呼びかけを認めることは、自分たちの堕落を認めてしまうだけでなく、聖書の時代を超えて神がこの世に預言者を召されることを認めることになるでしょう。
ムハンマドの原点回帰の呼びかけが正当性を満たすためには、それが神の召しに基づく言葉である必要がありますからね。
しかも、イサク、ヤコブの系譜以外からさえも、預言者は召されるかも知れないこともムハンマドを認めるなら受け入れることになるでしょう。
ムハンマドはアブラハムの子孫ではあっても、イサク・ヤコブの系譜ではないですからね。
ムハンマドを預言者として評価することは、預言者にはどういう人達が召されるかという問題を、突き付けてくるでしょう。
どういう系譜の人達であっても、神はふさわしいと思われる人達を、預言者に召されるかもしれないということですね。
残念ながら、聖人までは受け入れられるが、聖人とされた彼らは預言者として評価されることはないでしょう。
だが、聖人として評価された多くの人たちが、もしも人の力だけでなし得ないことをなし得たなら、そこには神の力を認めないわけにいかないでしょう。
そして、その延長線上に預言者はいます。
だが今、この世の多くの教会には預言者がいません。
とは言え預言者は、なりたいからと言ってなれません。
仮に、自らを預言者と名乗ったり、私たちの組織には預言者がいると言ってみても、常に正しい判断に基づく行動や発言をしなければいけないと言う重責がのしかかっていますからね。
預言者と名乗ったり呼ばれたりしている人達は、その重責に常に耐えられる人でないと務まりません。
軽々しく、名乗ったりできない立場が、預言者なのですね。
祈ることによって、神から支えられることになるでしょう。
しかし、一年中、しかも、24時間、祈りを忘れない人でない限り、精神的に耐えられることは無理でしょう。
だから、預言者を名乗ったり預言者と呼ばれたりしている人がいる組織は、非常に少ないわけですね。
神からの御霊によって支え続けられないと、まず、耐えられないでしょう。
預言者は、基本的には、神に認められ、神に召されないとなれないのです。
しかも、それは神から一方的になされるのです。
当然、そのような預言者が召されている教会はそう多くないはずです。
大半の教会は、人の力で作られ、人の力で運営されています。
祈りによって導きを求めてはいるでしょう。
だが、それをどう生かすかは最終的には人の選択と判断によるのです。
果たして、今の時代にも預言者はいるのか。
いるとするならば、それは何処なのか。
逆にいないなら、どうしたら神は預言者をあたえてくださるのか。
その問いに答えてくれている聖句があります。
ヤコブの手紙 1章 5節
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
この聖句が、私たちの答えを得る手掛かりを与えてくれるのかも知れません。
私たちにだって、歴史上の人物たちほどではないにしても、自分の力を超えることを神は可能にして下さるかもしれないですからね。
聖書にはこうあります。
マタイによる福音書 7章 7~8節
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
答えを、諦めないで求めてみましょう。
どんな答えが来るか、それは一人一人の求め方次第でしょうけど。
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天皇はスメルの王位継承者か。
シュメールは、現在のイラクやクウェートのあたりのメソポタミア南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古の都市文明です。
初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えました。
シュメールはスメルとも読まれるというか、スメルと呼ぶ方が正しいとする説もあります。
ここでは、スメルの方を基本的に用いて議論を進めたいです。
日本とスメルの共通点を指摘している人たちがいるのです。
彼らの言い分をまとめてみることにします。
スメル語も日本語も膠着語と言う特徴を持つ。
膠着語は、言語の形態論上の分類のひとつ。
膠着語に分類される言語は、ある単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す特徴を持つ。
膠着語に分類される言語は、トルコ語、ウイグル語、ウズベク語、カザフ語等のテュルク諸語、モンゴル諸語、満州語等のツングース諸語、日本語、朝鮮語や、フィンランド語、ハンガリー語等のウラル語族、タミル語等のドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語派、エラム語、シュメール語などがある。
ちなみにエスキモー・アリュート語族、マヤ語族なども膠着語的だが、文全体が膠着するなど膠着の長さが極端なので、抱合語、正確には複統合的言語とすることが多い。
膠着語は、当時スメル周辺住民の言語にはないと見られている。
スメル語も日本語も、表記法が似ている。
つまり、母音も子音も表記するばかりか漢字かな交じり文のような構造を、スメル語も日本語も共有している。
これはマヤ文字も同様なあたりが興味深いですね。
スメルは突然高度な文明を持って、登場したのでしょうか。
先行するウバイド文明との関係を、指摘する声もあるのです。
世界最古の印章は、紀元前7000年くらいです。
ウバイド文明は、紀元前5000年くらいです。
スメルは、紀元前3500年ごろ突如として現れ紀元前2000年ごろ突然姿を消すのです。
ここで興味深いのは、聖書学的にはノアの洪水が紀元前4000年頃であることです。
バベルの塔で散った後、セムの人たちがスメルを建国したと見れば年代的にはつじつまは合うのです。
高度な文明を築き上げたスメルの民であったが、背教と高慢の罪で神から亡ぼされる前に預言者アブラハムと彼の一族がロトの一族とともにウルを出たのかもしれないです。
その時期はおそらく、紀元前2000年ごろであろうと想定してみます。
スメルの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もある、これ日本で言えばまさに縄文人の特徴です。
だが、その一方でセム的とも言い難い容貌の像もまたあると言うが、通商などで友好関係にある地の女性を娶ることもあり得たなら、非セム的な容貌の人たちがいてもおかしくはないでしょう。
聖書にも、共に住む地の人々の娘を娶ったり、あるいは彼らに娘を嫁がせることはしばしばあったことを証言すると思われる記述があるのです。
スメルの時代にも、同じようなことは当然のことのように一般的にほとんどの部族や民族の間で行われていたと思われるのです。
だが、聖書の民イスラエルは異教徒とどんなに交易などの交流はしても婚姻関係をもって異教の風習が入り込む事態は避けるよう神から命じられていました。
もし、スメルの民もまた、イスラエルの民のように異教徒との婚姻を禁じられていたとしたらどうでしょうか。
にもかかわらず、スメルの民は異教徒と婚姻関係を持っていたとしたらどうでしょうか。
そのことがついに神の怒りをかって、スメルの国が滅ぼされたのだとしたらどうでしょうか。
スメルの文明はかなり高度であったことが知られているのです。
神の祝福によって高度文明を得られていたスメルの民が、高慢の罪や異教徒との婚姻で異教の風習に染まっていってしまい、神の怒りをかって亡ぼされ、長い間歴史から存在が消されていたとしたらどうでしょうか。
アブラハムの子や孫の名前を見てみると、奇妙なことに気が付くのです。
イシュマエル、イサク、ヤコブ、イスラエル。
少なくとも、イシュマエル、イサク、イスラエルの名は、スメルの転化であるように思えるのです。
スメルはシュメールとも読まれます。
シュメールは、容易にイシュマエルやイスラエルに転化し得るし、イサクはコーランではイスハークなので案外これもまたシュメールに転化出来そうです。
アブラハムさえもコーランではイブラーヒームだが、これさえももし当時発音のあいまいな二重母音であった可能性を考えると、イシュマエルやイスラエルに転化しえないとは言いきれない気はするのです。
ヤコブが改名させられたのも、スメルの転化音で名前を揃えて、スメルの継承者である事を明らかにするためだったのかもしれないです。
そうみると、天皇がかつて、「スメ」「スメラ」と何故呼ばれる必要があったかの謎も解けるかもしれません。
天皇を指す古語、「スメ」「スメラ」とスメル語の「スメ」「スメル」はともに「神」を指すというのです。
そして、「スメラギ」は「スメル」の複数形だというのです。
「ミコト」「ミカド」もまた、「天降る開拓者」を意味するスメルの「ミグド」の転化であるらしいです。
十六八重菊花紋とそっくりな古代スメルの王家の紋章がある謎も、解けるかもしれません。
故フセインは腕輪の紋章についてヨーロッパの記者から日本の皇室との関係を聞かれた時「もっと古代ンメソポタミアのことを勉強して欲しいですね。この紋章は、世界最古の文明を築いた私達の祖先、シュメール王朝時代の王族の紋章ですよ」と応えていたと言います。
天皇はずばり、スメルの王家の継承者なのである、そう言って良いでしょうか。
日本の三種の神器とスメルやバビロニアの三種の神器を比較してみようと思います。
草薙剣に対して武神のシンボルの剣、八咫鏡に対して日像鏡、八尺瓊勾玉に対して月像の首飾り、と見事に対応して見えるのです。
スメルと日本の神話にも、興味深い類似が見られるのです。
日本には、八つの首の八岐大蛇退治と草薙の剣の神話があるのです。
スメルにも、七つの首の龍の退治と剣の神話があるのです。
モチーフがあまりにも似ているのです。
日本はかつて、豊葦原瑞穂中国と自らをよんでいました。
スメルは自らの国を「キエンギ」と呼んでいたが、「葦の主の国」という意味があるそうです。
「葦の国」と日本もスメルも共に名乗っていたことになります。
他の類似を思えば、偶然ではすまされないだろうと思います。
建国神話にも、類似が見られるのです。
日本は、天孫降臨、すなわち天から来た神々が日本列島を作り下りたって日本を建国と語り継いでいる。
スメルはと言えば、ニビルと言う星から来たアナンヌキという人達が人類を作り地球に文明を興したと記している。
細かいところはともかく、構図は似ているのではないでしょうか。
日本にもペトログリフが、岩に刻まれた絵や文字の事だが、見つかっているといいます。
99%はスメルの文字であるらしいです。
写真をヨーロッパの研究者に見せると第一印象は、ヨーロッパのどこだ、だそうだが日本と言うと一様に驚きの声を上げると言うのです。
それくらい、日本で見つかるペトログリフはヨーロッパのものと似ているということなのでしょうか。
アメリカのケネウイックからはアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているのです。
つまり、アイヌのご先祖にヨーロッパ在住の時代があったと言う事になるでしょう。
アイヌのご先祖が縄文人とされるが、沖縄の人たちも縄文人の血を強く受け継いでいるのです。
そして、アイヌと沖縄はともに古代イスラエルの文化を引き継いでいることがわかっているのです。
もし、イスラエルの名がスメルの転化であるとしたら、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者となるだろう。
日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字と言う事実と、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者の可能性を重ねると、縄文人もまたスメル文化の継承者と見るべきとなるかもしれません。
スメル人と縄文人の容貌の類似が見られ、日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字となれば、天皇がスメルの王位継承者であってもおかしくはないし、むしろ自然とさえ思えてくるのです。
さらに情報を求める検証していきたいです。
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古代アメリカのイスラエル人は日本人のご親戚?
アメリカ先住民に十支族末裔説が出ていたことを、どれだけの人が知っているでしょうか。
南北アメリカの歴史に、よほどの興味を持って調べた人でなければ、まず知らない人の方が多いだろうと思います。
アメリカ先住民と日本先住民は親戚にあたると長年言われてきたが、近年、遺伝子によってもそれが裏付けられているのです。
それどころじゃないですよ。
アメリカの最古級の先住民に、日本人説が急浮上してきていると言うのです。
そのアメリカ先住民に、トンデモ扱いされているとはいえ、十支族末裔説が出されたことがあったのだから穏やかじゃないですね。
アイヌの生活文物に古代イスラエルとの類似が指摘され、沖縄の文化や伝承に聖書との類似が指摘され、彼らと日本先住民である縄文人との近縁が指摘されています。
その縄文人のご親戚に十支族末裔説が出ていたのですよ。
なにしろ、遺伝病までもが、日本人とユダヤ人は無縁じゃないと証言しているわけです。
日本人とユダヤ人の関係はたんなる親戚なんて生易しいものじゃないことは、明らかでしょう。
「家族性地中海熱」
この病気はどのような人に多いのですか
この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東(ユダヤ人、トルコ人・アルメニア人)に多い疾患ですが、日本でも患者さんがいることがわかっています。
言語でも、日本語とヘブライ語には多くの共通語彙があると言う指摘もあるのです。
その一部を紹介します。
神言語ヘブライ語と日本語の共通点多すぎ!!日本人のルーツは“失われたイスラエル10支族”ユダヤ人なのか!?籠目文、鳥居、君が代、共通点他にも多数… |
古代イスラエル人がどのようにして日本に来たかの一考察も紹介します。
全てに同意できるわけではないが、よく調べられていることには敬意を表したいです。
アイヌと縄文人、琉球人と縄文人、程度の差こそあれ極めて近い位置にある人々であることはよく知られています。
そのアイヌにこういう考察があることは、縄文人が何者であったかを考えるうえで興味深いです。
淡路島に残るイスラエルの足跡
アイヌ人は言語的にいってイスラエル人に通ずると言う指摘は、縄文人はイスラエルに言語的に通じていると言っているのとどこが違うのでしょう。
アイヌはコーカソイドによく似ていることを思えば、エジプトから来たハガルの血を引くアラブの系統ではないと考える方が自然と思うのですが。
アイヌ民族はユダヤ人?それともアラブ人?日本人に存在する地中海沿岸の DNA
アイヌの生活文物は古代イスラエルのものに似ているが、沖縄の文化や伝承も聖書にあまりにも似すぎているのです。
彼らと日本先住民縄文人との近縁なことは有名です。
その縄文人のご親戚アメリカ先住民に十支族末裔説があり、古代アメリカのカホキア遺跡が北米のエルサレムと例えられているのです。
調べてみればわかる事だから、自分で調べて見てください。
アメリカ先住民の十支族末裔説はトンデモ説と一笑に付されるが、ならばこの譬えはどうなのだと言う気になるのです。
単なる偶然でしょうか。
Cahokia as “a North American Jerusalem,”カホキアは「北米のエルサレム」
この譬えとアメリカ先住民十支族末裔説を重ね、アメリカ先住民と日本先住民が親戚と言う事実と突き合わせると日本先住民は十支族のご親戚となってしまうではないでしょうか。
日ユ同祖論なんてもんじゃないでしょう。
モルモン書は、古代イスラエルの民がアメリカ先住民となったと言っているのです。
翻訳したとされるジョセフスミスには、古代アメリカや古代イスラエルの知識はほとんどないです。
古代イスラエルについて知ってるのは聖書に書いてある範囲なはずです。
ところが彼の翻訳の原書となった金版には複数の証言者がいるし、翻訳についても当時の学者の証言があると言うのです。
文学上の学識があることで広く知れているチャールズ・アンソン教授
は、この翻訳は正確であり、エジプト語から翻訳されたものでこれほど正確なのを見たことがないと述べたと言います。
まだ翻訳されていないものについてもそれらはエジプト語、カルデア語、アッシリア語、およびアラビア語で、それらはほんとうの文字である指摘。そして、それらが本当の文字であることと、それから翻訳されたものの翻訳も正確であることを証明したとのことです。
ちなみにミッチェル教授もアンソン教授の指摘に同意したと言うのです。
(末日聖徒イエス・キリスト教会の歴史書からの抜粋による。)
モルモン書を訳したとされるジョセフスミスはもちろん、アメリカ先住民に対して失われた十支族の末裔説があることなど知ってはいないでしょう。
アメリカ先住民十支族末裔説を出した人物も、当然ながらモルモン書のことなど知らないはずです。
カホキアは「北米のエルサレム」と言った人物はおそらく、とんでも扱いされているアメリカ先住民十支族末裔説のことなど聞いたこともないでしょう。
つまり、お互いが知る由もない人達が、古代アメリカにイスラエルを見たことになるでしょう。
これを偶然と笑って良いのでしょうか。
どっちに転んでも、遺伝子でも確かめられているように、アメリカ先住民は日本先住民のご親戚なのです。
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現在のコーランの解釈に誤解はないのか?
聖句の背景についての誤解が、実に悲しいことにコーランに関する後の世の解釈で深刻な事態を招いているのではないでしょうか。
勿論、これらの議論はどこまでも推論ですのでそのつもりでお付き合い願います。
まず、神の子についてです。
現在のイスラムでは、この言葉は神の子について否定していると受け止められています。
ユーヌス章
マッカ啓示109節
68.かれらは、「アッラーは一人の子をもうけられた。」と言う。かれに讃えあれ。かれは自足なされる御方。天地の凡てのものは、かれの有である。あなたがたはこれに対して、権威はないのである。アッラーに就いて、自分の知らないことを語るのか。
この聖句についての背景が伝わっていないので即断はできないが、アッラーの子を名乗る偽預言者が現れて人々を惑わせようとしていたのかも知れません。
だが聖書はこう記しています。
ヨハネの第一の手紙 4章 9節
神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。
アッラーはマルヤムつまりマリアに御霊によって受胎させ、イエスをこの世につかわしたとコーランは伝えます。
イムラーン家章
マディーナ啓示 200節
35.イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」
36.それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは女児を生みました。」アッラーは、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」
37.それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。
38.そこでザカリーヤーは、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」
39.それからかれがなお聖所で礼拝に立っていた時、天使がかれに呼びかけた。「アッラーからヤヒヤーの吉報をあなたに授ける。その子はアッラーの御言葉の実証者となり、尊貴、純潔で正しい人々の中の預言者となろう。」
40.かれは言った。「主よ、どうしてわたしに男の子があり得ましょう。わたしはもう老齢になってしまい、妻は不妊でありますのに。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのことを行われる。」
41.そこでかれ(ザカリーヤー)は言った。「主よ、わたしに印を御示し下さい。」かれ(天使)は言った。「あなたは3日の間人間と話すことが出来ず、身振だけで意志を通じさせることになろう。これがあなたに与えられる印である。だから多くあなたの主を念じ、朝にタべに讃えなさい。」
42.天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤムよ、誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め、万有の女人を越えて御選びになられた。」
43.「マルヤムよ、あなたの主に崇敬の誠を捧げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」
44.これは幽玄界の消息の一部であり、われはこれをあなたに啓示する。かれらが籤矢を投げて誰がマルヤムを養育すべきかを決めた時、あなたはかれらの中にいなかった。またかれらが相争った時も、あなたはかれらと一緒ではなかった。
45.また天使たちがこう言った時を思え。「マルヤムよ、本当にアッラーは直接ご自身の御言葉で、あなたに吉報を伝えられる。マルヤムの子、その名はマスィーフ・イーサー、かれは現世でも来世でも高い栄誉を得、また(アッラーの)側近の一人であろう。
46.かれは揺り籠の中でも、また成人してからも人びとに語り、正しい者の一人である。」
47.かの女は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」
マルヤムすなわちマリアの受胎告知の瞬間が生々しく語られています。
イーサーはすなわちイエスはアッラーがもうけられた子ではないが、アッラーの命令によってマルヤムが授かった子であることが告げられているのです。
アッラーによって選ばれた乙女はマルヤムただ一人であり、アッラーがイーサー以外にこの世に送られた子は存在しない、よってイーサー以外でアッラーのもうけた子と名乗る者がいればそれは偽物だと告げていると解釈することも可能ではないでしょうか。
イエスの時代にもイエスの名をかたって悪霊を払うと称する人々がいたと、聖書に記されています。
またイエスは、偽預言者が出てきて人々を惑わすとも警告しています。
コーランでは、続く聖句にはこう記されています。
69.言ってやるがいい。「アッラーに就いて嘘を捏造する者は、決して栄えないであろう。」
アッラーの子を名乗る偽預言者が、ムハンマドの時代にいたとしてもおかしくありません。
どこまでも推論なので、断定することはできません。
だが、あり得ない話ではないのです。
ムハンマドには、イーサーつまりイエスがアッラーのアッラーの独り子であったと言いにくい事情があった可能性は十分にあり得るのです。
結果的に父と子と聖霊による神会の存在を、ムハンマドは言い出しづらかったのかも知れません。
婦人章(アン・ニサー)
マディーナ啓示 176節
171.啓典の民よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤムの子マスィーフ・イーサーは、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。天にあり、地にある凡てのものは、アッラーの有である。管理者としてアッラーは万全であられる。
なぜ私がこのような推論をするのか、それには理由があります。
イーサーの十字架での死を否定したと、受け取られている次の聖句の存在です。
コーランはこう記します。
婦人章(アン・ニサー)
マディーナ啓示 176節
157.「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく、またかれを十字架にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は、それに疑問を抱いている。かれらはそれに就いて(確かな)知識はなく、只臆測するだけである。確実にかれを殺したというわけではなく。
コーランのこの記述の背景には、聖書の伝えるこのような事情があったのかも知れません。
マタイによる福音書 27章 62節~65節
あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、
「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。
ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。
ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。
しかしイエスはよみがえり、弟子達に十字架で受けた傷を確かめさせて十字架で死んだのは身代わりなどではなく自分自身であること、確かに肉体を持ってよみがえっていることを、あかしたことは聖書に記されている通りです。
だがかたくなとなったユダヤ人たちがどうしたか、聖書は次のように伝えています。
マタイによる福音書 28章 11節~15節
女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。
祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、
「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。
万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。
そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。
ユダヤ人たちはムハンマドに対しても、イエスの生涯はゴルゴダで終わっていると言い募ったのでしょう。
そこでムハンマドは、イエスの生涯はゴルゴダで終わってはいないことや今でもイエスは生きていることを、断定的に言い切る必要があったので、コーランに記された言葉となったのかも知れません。
コーランは預言者として召されたムハンマドの言葉を中心に編纂されていて、当時の状況まで記録されていないので、時代背景を調べたうえで推論を展開するしか手がありません。
だがコーランが聖典でもある以上、推論を展開するのに許される数少ない手がかりは聖書と言うことになるでしょう。
「アッラーは一人の子をもうけられた。」と言う一部の人々の言葉をムハンマドが否定せざるを得なかった裏に、アッラーの子と名乗る偽預言者がいた可能性を推測する理由がここにあります。
勿論、あっけなく偽預言者の化けの皮が剝がれ一件落着となって記録に残るまでもなかったのでしょうが、この手の偽物にムハンマドが手を焼いていたことは想像に難くないのです。
そうでなければこのような聖句が、コーランに残るでしょうか。
だが、こういう疑問を投げかける人もいることでしょう。
イエスには、子孫がいたのではないかと。
確かに、子と言う言葉には子孫と言う意味もあります。
そして、イエスとマグダラのマリアとの間に子があったのではないかと疑う人もいることは、最近でもダビンチコードでネタの一つにされたことで記憶にある方もおられる事でしょう。
コーランには、イエスには父はいないという文言もあります。
これは、イエスにはしばしば、大工のヨセフの子ではないか、と言う言葉が投げかけていたことに対してアッラーが業を煮やしておっしゃった言葉とも解釈出来るのです。
実際マルヤムは、地上の男性をだれ一人知ることもなくイエスを身ごもっているのです。
地上の男性にイエスと血のつながった父はいるはずがないので、この言葉には嘘はありません。
一方でイエスは常に天の神を父と呼んでいます。
だがコーランには、アッラーは子をなしていないとあるではないかと、反論があるかもしれません。
地上に今もアッラーの子孫がいると言いふらす人達に対して、アッラーはきっぱりと否定する必要あったと解釈できます。
余計な議論に深入りしない方法は、誤解を恐れずに端的に言い切るしかないのです。
地上にアッラーの子孫などはいないのだと、きっぱり言い切るしかないのです。
コーランには、当時の状況を書き記す説明書きは一切ありません。
ムハンマドにアッラーからもたらされた言葉が、記されているだけなのです。
コーランは何よりもまず、ムハンマドが聖典に対する正しい理解を守るためにいかに戦ったかの記録の書であったからなのでしょう。
記憶が生々しいうちはそれでも良かったが、時代が下り記憶は薄れていくとそうはいきません。
ムハンマドは繰り返し聖書を読むことを指示していたと言います。
コーランの記録に対する解釈に誤解が出ることを、恐れたからかもしれません。
コーランは実践的な指導書であると同時に、論争の記録書でもある以上正しい理解に聖書の学びは欠かせません。
だが、コーランの一般的解釈としてイスラム社会に一度広まってしまったものは、軌道修正は容易ではないでしょう。
とは言え、解釈に誤解が生まれない為には、絶えず検証していくことが必要ではないでしょうか。
そして、それで正しいかどうかは、神に祈って答えを求めるしかないでしょう。
聖書にはこうあります。
ヤコブの手紙 1章 5節
あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。
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ケルビムとグリフィンとスフィンクスの正体は?
グリフィンの飛翔~聖獣からみた文化交流~と言う本を、タイトルに惹かれて手にすることにしました。
グリフィンの周辺には、どうもユダヤとかイスラエルの匂いを感じていたからです。
本書にはその手掛かりが期待できそうに、感じ取れたのです。
予感は的中しました。
グリフィンと聖書のケルブとの関係が考察されていたのです。
ケルブとはケルビムの単数形です。
ケルビムって何と言う人には、神輿に乗っている鳳凰みたいなものと言えば、あたらずといえども遠からずというところでしょう。
実際、神輿を見て聖書に出てくるアークを連想するユダヤ人は多いそうです。
二本の棒で担がれる金色の箱に羽根の付いた金色の造形物が載っていると言えば、ユダヤ人にとってはアーク以外にあり得ないと思ってたものの、イメージ通りのものが日本にあるわけですから、驚くのも無理はありません。
ケルブは、聖書ではたいてい複数のケルビムとして登場します。
筆者がケルビムとグリフィンの関係を疑ったのは、ケルブ、ケルビムをスフィンクスと同一視する説が一般的となりつつあるからだと、指摘します。
実は、聖樹との結びつきはグリフィンもまたスフィンクスに負けず劣らず深いものがあると言うのです。
ケルビムは、大事なものを一対で守ると言う役割があります。
そしてケルビムには、大きな翼があります。
聖書に出てくる神殿の記述では、ケルビムとナツメヤシと開いた花が一つの組となって現れます。
前7~8世紀のフェニキアの象牙細工には、グリフィンとナツメヤシと開いた花と一つの組となってしばしばみられるが、スフィンクスとナツメヤシと開いた花と一つの組もよくあるそうです。
つまり、グリフィンとスフィンクスは同じ役割や機能を持ち、交代可能な存在だったと言うのです。
そう言えば、グリフィンとスフィンクスの境目は、獅子頭のグリフィンによって結構あいまいになっています。
グリフィンには、基本的には鷲頭と獅子頭の二つのパターンがあります。
実際には蛇頭も入れて三つと言うべきでしょうが、蛇頭はなぜか廃れ、鷲頭と獅子頭の二つが残ったのです。
ここで注目したいことは、グリフィンに魔人的な描像があり、スフィンクスにも人頭のパターンがあることです。
グリフィンの描像に出てくるキャラクターは、鷲と獅子と人と蛇の四つ、ここに注目してくださいね。
一方でケルビムの描像に出てくるキャラクターも四つ、鷲と獅子と人と牛です。
蛇と牛が入れ替わっているほかは、ほとんど同じです。
グリフィンもまた、大事なものを守る大きな翼をもった存在です。
確かによく似ています。
さらにグリフィンは車をひく役割があったりします。
ケルビムも車輪と深い係わりが聖書に記されています。
筆者はケルブの役割は、神の下僕であると同時に神を乗せる乗り物であったと推察しています。
面白いことに、ローマ時代になるとシリアやパレスチナ周辺でグリフィンと一つの車輪という図像が突然現れると言います。
これらのことから、ケルビムの正体とはグリフィンであったのではないかとして、考察を締めくくっていきます。
詳しい説明は本書を読んでいただくとして、私の気になった箇所は実は別の所です。
グリフィンもケルビムも、神を乗せる役の神の下僕である、どちらも四つのキャラクターで表現されうる、ここでピンとくる方もおられるかもしれないですね。
そう、神の玉座にして戦車であるメルカバーです。
筆者がカッバーラを知っているわけがないので、この点を指摘してくるとは最初から期待はしてませんでした。
だが、この重大な類似に気付き、指摘してくださっていることには大いに感謝します。
ケルビムとグリフィンとスフィンクスは、メルカバーであったのではないかと示唆してくれたわけですからね。
本書の言及している地域に詳しい方、これらの地域のユダヤ人の足跡を探ってみませんか。
興味深いことがわかってくるかもしれません。
なお、本書にはまだまだ興味ひかれる記述があるけど、気になる方は御自身で手に取ることをお勧めします。
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日本どれだけ中東の飛び地なんですか。
日本の食卓を覗くと地中海が見える、なんてネタでお話をしたことがありました。
エジプトの米は日本の農林1号なんです。
しかもエジプトは古代から米食で、品種改良もしていません。
味噌汁は中東のレンズ豆スープと瓜二つ。
ギリシャ料理には「アジの開き」そっくりにいろんな魚を開きにして、タレに付け込んで焼く、というのがあります。
米はアジアではなく、人類発祥の地であるアフリカが起源です。
雨が少ないナイル川流域で発展したのが灌漑農業。
それなりに雨が降る東アジアではそのころはまだ雨水農業が盛んでした。
そのアジアに米と灌漑農業を持ち込んだのが日本に移住した古代日本人である中東人、と思います。
今でも中国人にとっては米は日本人ほどの重要炭水化物ではありません。
これだけ米が好きなのは世界中探しても日本人だけでしょう。
日本では幼児に「ごはん」と言う時、「マンマ」と言いますよね。
エジプトでも幼児に「ごはん」と言う時、「マン」と言います。
両国とも大人には使わない言葉です。
これは私の推測の域を出ませんが、米が「マナ」なのでは?などと思ってしまいます。
伊勢神宮の話を中東人にした時、「いせシュライン」と言ったら「イーセー?」と驚いていました。
アラビア語で「イーセー」はイエスキリストのことですから。
彼らにとっては預言者ですが。
埴輪、を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きます。
日本には「連歌」という文化がありますね。
中東も「連歌」が盛んでした。
彼らは夜キャラバンを率いて砂漠を旅する時、お互いが「連歌」を作りながら楽しく旅をしていたそうです。
目が大きく鼻が高く掘りの深い中東人にとっての「美人」はずばり「平安美人」です。
現代はそこに「金髪碧眼信仰」も加わりますが。
昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」です。
平安時代にそういう顔が美人とされたのは、日本人自体が堀が深い中東顔だったからではないですか?
朝鮮人や中国人が大挙して押し寄せる前の明治維新頃までの日本人には濃い顔が多かったですよね。
実際明治維新頃日本を訪れたヨーロッパ人は本国へのレポートで「日本人は中東顔である」と書いています。
もし千年後に今の日本の漫画が発見されたら、未来人は日本人を「目の大きい人種」と認識するかもしれません。
つまり日本人の民族性は昔も今も、「自分の理想像を描写する」なのかもしれませんね。
古代中東での戦争は、両者が相対しにらみ合いになった時、両者から一人ずつが前に出て、「〇族の〇家の何某!」とお互いが名乗りをあげ、1対1でどちらかが倒れた時に両軍の戦闘が始まる、という、日本の平安時代以前と同じやり方をしていました。
私は中東の歴史ドラマを何度か見たのですが、戦闘のシーンの兵士の持っていた「楯」が日本の「八咫の鏡」と瓜二つだったのには驚きました。
日本ではあれを後生大事にしていますが、映画では兵士全員が持っている消耗品の扱いでした。まー当然ですが。
古代シリア地方を舞台にしたドラマでは戦争中、両者が赤と白のハチマキをして戦っているシーンがありました。サイズも日本のと同じです。
日本語も、古代エジプト語やラテン語、古代ヘブライ語、アラビア語などが混じってますね。こういった事実は、日本を下に組み敷いておきたい中国にとっては抹殺対象なのでしょう。
ひらがな、カタカナのような表音文字が表意文字からつくられるはずがないのです。
漢字から始まったなら簡略化するだけです。
実際、ひらがなとカタカナは古代ヘブライ文字とアラビア文字、しいては古代エジプト文字にそっくりです。
日本という他国の歴史まで「焚書」しようとする中国の傲慢さには反吐がでます。
日本人特有の顔(鼻が高く毛深く甘いマスク)は他の東アジア諸国の特徴的な顔とは全然違います。(当然例外はどこにでもいます。)
顔が違うだけではなく、性格も、他のアジア諸国とは一線を画しています。
長文、失礼しました。
埴輪を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きますの下り、やはりそうでしたかと思わずうなりました。
確かに、滅茶苦茶長く伸ばした前髪や、どう見てもユダヤ人のものと言いたくなる帽子の埴輪を見れば、そりゃ、率直にユダヤかって突っ込みたくもなるでしょう。
わざわざ帽子を埴輪にする時点で、どれだけ大事にしてたんですかって誰だって驚きますよね。
昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」の平安美人顔と言う、指摘にはあらためて驚きました。
そう言えば、天孫一族には古代イスラエル北朝10支族説も出てます。
天皇家の傍系の方々の顔にも、中東顔の指摘があります。
大挙して渡来した秦氏にも原始ユダヤ人キリスト教徒説があるし、平氏の正体にもペルシャ人であると言う声もあるくらい中東の匂いがプンプンしてると言います。
合戦の前に名乗りを上げるところは、このコメントにもあるようにまさに中東のやり方そのものだそうです。
さらに、縄文人自体もアジアとヨーロッパの民族や人種が分かれる以前の人々の子孫とのDNAの解析結果もあります。
言葉についても、ラテン語や古代ヘブル語と共通のルーツと言う説が出るのも、縄文人のせいなんでしょうね。
で、さらに、古代エジプト語やアラビア語ですか。
連歌の文化まで中東と同じですか。
どんだけ、日本って一皮むけば中東が出て来るんですか。
こうなればもう、笑うしかありませんね。
面白い情報満載のコメントにあらためて感謝申し上げます。
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