アラブ・アラビア

現在のコーランの解釈に誤解はないのか?

聖句の背景についての誤解が、実に悲しいことにコーランに関する後の世の解釈で深刻な事態を招いているのではないでしょうか。

 

勿論、これらの議論はどこまでも推論ですのでそのつもりでお付き合い願います。

 

まず、神の子についてです。

 

現在のイスラムでは、この言葉は神の子について否定していると受け止められています。

 

ユーヌス章

 

マッカ啓示109

 

68.かれらは、「アッラーは一人の子をもうけられた。」と言う。かれに讃えあれ。かれは自足なされる御方。天地の凡てのものは、かれの有である。あなたがたはこれに対して、権威はないのである。アッラーに就いて、自分の知らないことを語るのか。

 

この聖句についての背景が伝わっていないので即断はできないが、アッラーの子を名乗る偽預言者が現れて人々を惑わせようとしていたのかも知れません。

 

だが聖書はこう記しています。

 

ヨハネの第一の手紙 4 9

 

神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。

 

アッラーはマルヤムつまりマリアに御霊によって受胎させ、イエスをこの世につかわしたとコーランは伝えます。

 

イムラーン家章

 

マディーナ啓示 200

 

35.イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え、「主よ、わたしは、この胎内に宿ったものを、あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」

 

36.それから出産の時になって、かの女は(祈って)言った。「主よ、わたしは女児を生みました。」アッラーは、かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします、どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」

 

37.それで主は、恵み深くかの女を嘉納され、かの女を純潔に美しく成長させ、ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤ一が、かの女を見舞って聖所に入る度に、かの女の前に、食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ、どうしてあなたにこれが(来たのか)。」かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。

 

38.そこでザカリーヤーは、主に祈って言った。「主よ、あなたの御許から、無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」

 

39.それからかれがなお聖所で礼拝に立っていた時、天使がかれに呼びかけた。「アッラーからヤヒヤーの吉報をあなたに授ける。その子はアッラーの御言葉の実証者となり、尊貴、純潔で正しい人々の中の預言者となろう。」

 

40.かれは言った。「主よ、どうしてわたしに男の子があり得ましょう。わたしはもう老齢になってしまい、妻は不妊でありますのに。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのことを行われる。」

 

41.そこでかれ(ザカリーヤー)は言った。「主よ、わたしに印を御示し下さい。」かれ(天使)は言った。「あなたは3日の間人間と話すことが出来ず、身振だけで意志を通じさせることになろう。これがあなたに与えられる印である。だから多くあなたの主を念じ、朝にタべに讃えなさい。」

 

42.天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤムよ、誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め、万有の女人を越えて御選びになられた。」

 

43.「マルヤムよ、あなたの主に崇敬の誠を捧げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」

 

44.これは幽玄界の消息の一部であり、われはこれをあなたに啓示する。かれらが籤矢を投げて誰がマルヤムを養育すべきかを決めた時、あなたはかれらの中にいなかった。またかれらが相争った時も、あなたはかれらと一緒ではなかった。

 

45.また天使たちがこう言った時を思え。「マルヤムよ、本当にアッラーは直接ご自身の御言葉で、あなたに吉報を伝えられる。マルヤムの子、その名はマスィーフ・イーサー、かれは現世でも来世でも高い栄誉を得、また(アッラーの)側近の一人であろう。

 

46.かれは揺り籠の中でも、また成人してからも人びとに語り、正しい者の一人である。」

 

47.かの女は言った。「主よ、誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように、アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ、『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」

 

マルヤムすなわちマリアの受胎告知の瞬間が生々しく語られています。

 

イーサーはすなわちイエスはアッラーがもうけられた子ではないが、アッラーの命令によってマルヤムが授かった子であることが告げられているのです。

 

アッラーによって選ばれた乙女はマルヤムただ一人であり、アッラーがイーサー以外にこの世に送られた子は存在しない、よってイーサー以外でアッラーのもうけた子と名乗る者がいればそれは偽物だと告げていると解釈することも可能ではないでしょうか。

 

イエスの時代にもイエスの名をかたって悪霊を払うと称する人々がいたと、聖書に記されています。

 

またイエスは、偽預言者が出てきて人々を惑わすとも警告しています。

 

コーランでは、続く聖句にはこう記されています。

 

69.言ってやるがいい。「アッラーに就いて嘘を捏造する者は、決して栄えないであろう。」

 

アッラーの子を名乗る偽預言者が、ムハンマドの時代にいたとしてもおかしくありません。

 

どこまでも推論なので、断定することはできません。

 

だが、あり得ない話ではないのです。

 

ムハンマドには、イーサーつまりイエスがアッラーのアッラーの独り子であったと言いにくい事情があった可能性は十分にあり得るのです。

 

結果的に父と子と聖霊による神会の存在を、ムハンマドは言い出しづらかったのかも知れません。

 

婦人章(アン・ニサー)

 

マディーナ啓示 176

 

171.啓典の民よ、宗教のことに就いて法を越えてはならない。またアッラーに就いて真実以外を語ってはならない。マルヤムの子マスィーフ・イーサーは、只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり、かれからの霊である。だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。「三(位)」などと言ってはならない。止めなさい。それがあなたがたのためになる。誠にアッラーは唯―の神であられる。かれに讃えあれ。かれに、何で子があろう。天にあり、地にある凡てのものは、アッラーの有である。管理者としてアッラーは万全であられる。

 

なぜ私がこのような推論をするのか、それには理由があります。

 

イーサーの十字架での死を否定したと、受け取られている次の聖句の存在です。

 

コーランはこう記します。

 

婦人章(アン・ニサー)

 

マディーナ啓示 176

 

157.「わたしたちはアッラーの使徒、マルヤムの子マスィーフ(メシア)、イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく、またかれを十字架にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は、それに疑問を抱いている。かれらはそれに就いて(確かな)知識はなく、只臆測するだけである。確実にかれを殺したというわけではなく。

 

コーランのこの記述の背景には、聖書の伝えるこのような事情があったのかも知れません。

 

マタイによる福音書 27 62節~65

 

あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、

 

「長官、あの偽り者がまだ生きていたとき、『三日の後に自分はよみがえる』と言ったのを、思い出しました。

 

ですから、三日目まで墓の番をするように、さしずをして下さい。そうしないと、弟子たちがきて彼を盗み出し、『イエスは死人の中から、よみがえった』と、民衆に言いふらすかも知れません。そうなると、みんなが前よりも、もっとひどくだまされることになりましょう」。

 

ピラトは彼らに言った、「番人がいるから、行ってできる限り、番をさせるがよい」。

 

しかしイエスはよみがえり、弟子達に十字架で受けた傷を確かめさせて十字架で死んだのは身代わりなどではなく自分自身であること、確かに肉体を持ってよみがえっていることを、あかしたことは聖書に記されている通りです。

 

だがかたくなとなったユダヤ人たちがどうしたか、聖書は次のように伝えています。

 

マタイによる福音書 28 11節~15

 

女たちが行っている間に、番人のうちのある人々が都に帰って、いっさいの出来事を祭司長たちに話した。

 

祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、

 

「『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている間に彼を盗んだ』と言え。

 

万一このことが総督の耳にはいっても、われわれが総督に説いて、あなたがたに迷惑が掛からないようにしよう」。

 

そこで、彼らは金を受け取って、教えられたとおりにした。そしてこの話は、今日に至るまでユダヤ人の間にひろまっている。

 

ユダヤ人たちはムハンマドに対しても、イエスの生涯はゴルゴダで終わっていると言い募ったのでしょう。

 

そこでムハンマドは、イエスの生涯はゴルゴダで終わってはいないことや今でもイエスは生きていることを、断定的に言い切る必要があったので、コーランに記された言葉となったのかも知れません。

 

コーランは預言者として召されたムハンマドの言葉を中心に編纂されていて、当時の状況まで記録されていないので、時代背景を調べたうえで推論を展開するしか手がありません。

 

だがコーランが聖典でもある以上、推論を展開するのに許される数少ない手がかりは聖書と言うことになるでしょう。

 

「アッラーは一人の子をもうけられた。」と言う一部の人々の言葉をムハンマドが否定せざるを得なかった裏に、アッラーの子と名乗る偽預言者がいた可能性を推測する理由がここにあります。

 

勿論、あっけなく偽預言者の化けの皮が剝がれ一件落着となって記録に残るまでもなかったのでしょうが、この手の偽物にムハンマドが手を焼いていたことは想像に難くないのです。

 

そうでなければこのような聖句が、コーランに残るでしょうか。

 

だが、こういう疑問を投げかける人もいることでしょう。

 

イエスには、子孫がいたのではないかと。

 

確かに、子と言う言葉には子孫と言う意味もあります。

 

そして、イエスとマグダラのマリアとの間に子があったのではないかと疑う人もいることは、最近でもダビンチコードでネタの一つにされたことで記憶にある方もおられる事でしょう。

 

コーランには、イエスには父はいないという文言もあります。

 

これは、イエスにはしばしば、大工のヨセフの子ではないか、と言う言葉が投げかけていたことに対してアッラーが業を煮やしておっしゃった言葉とも解釈出来るのです。

 

実際マルヤムは、地上の男性をだれ一人知ることもなくイエスを身ごもっているのです。

 

地上の男性にイエスと血のつながった父はいるはずがないので、この言葉には嘘はありません。

 

一方でイエスは常に天の神を父と呼んでいます。

 

だがコーランには、アッラーは子をなしていないとあるではないかと、反論があるかもしれません。

 

地上に今もアッラーの子孫がいると言いふらす人達に対して、アッラーはきっぱりと否定する必要あったと解釈できます。

 

余計な議論に深入りしない方法は、誤解を恐れずに端的に言い切るしかないのです。

 

地上にアッラーの子孫などはいないのだと、きっぱり言い切るしかないのです。

 

コーランには、当時の状況を書き記す説明書きは一切ありません。

 

ムハンマドにアッラーからもたらされた言葉が、記されているだけなのです。

 

コーランは何よりもまず、ムハンマドが聖典に対する正しい理解を守るためにいかに戦ったかの記録の書であったからなのでしょう。

 

記憶が生々しいうちはそれでも良かったが、時代が下り記憶は薄れていくとそうはいきません。

 

ムハンマドは繰り返し聖書を読むことを指示していたと言います。

 

コーランの記録に対する解釈に誤解が出ることを、恐れたからかもしれません。

 

コーランは実践的な指導書であると同時に、論争の記録書でもある以上正しい理解に聖書の学びは欠かせません。

 

だが、コーランの一般的解釈としてイスラム社会に一度広まってしまったものは、軌道修正は容易ではないでしょう。

 

とは言え、解釈に誤解が生まれない為には、絶えず検証していくことが必要ではないでしょうか。

 

そして、それで正しいかどうかは、神に祈って答えを求めるしかないでしょう。

 

聖書にはこうあります。

 

ヤコブの手紙 1 5

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

今回の議論の内容に、もし間違えがあるとすれば、神の声を聞き違えてしまった私に責任があるので、気がついた方は教えて頂ければ幸いです。
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    ケルビムとグリフィンとスフィンクスの正体は?

    グリフィンの飛翔~聖獣からみた文化交流~と言う本を、タイトルに惹かれて手にすることにしました。

     

    グリフィンの周辺には、どうもユダヤとかイスラエルの匂いを感じていたからです。

    本書にはその手掛かりが期待できそうに、感じ取れたのです。

    予感は的中しました。

     

    グリフィンと聖書のケルブとの関係が考察されていたのです。

     

    ケルブとはケルビムの単数形です。

    ケルビムって何と言う人には、神輿に乗っている鳳凰みたいなものと言えば、あたらずといえども遠からずというところでしょう。

     

    実際、神輿を見て聖書に出てくるアークを連想するユダヤ人は多いそうです。

    二本の棒で担がれる金色の箱に羽根の付いた金色の造形物が載っていると言えば、ユダヤ人にとってはアーク以外にあり得ないと思ってたものの、イメージ通りのものが日本にあるわけですから、驚くのも無理はありません。

     

    ケルブは、聖書ではたいてい複数のケルビムとして登場します。

    筆者がケルビムとグリフィンの関係を疑ったのは、ケルブ、ケルビムをスフィンクスと同一視する説が一般的となりつつあるからだと、指摘します。

    実は、聖樹との結びつきはグリフィンもまたスフィンクスに負けず劣らず深いものがあると言うのです。

     

    ケルビムは、大事なものを一対で守ると言う役割があります。

    そしてケルビムには、大きな翼があります。

    聖書に出てくる神殿の記述では、ケルビムとナツメヤシと開いた花が一つの組となって現れます。

    78世紀のフェニキアの象牙細工には、グリフィンとナツメヤシと開いた花と一つの組となってしばしばみられるが、スフィンクスとナツメヤシと開いた花と一つの組もよくあるそうです。

    つまり、グリフィンとスフィンクスは同じ役割や機能を持ち、交代可能な存在だったと言うのです。

    そう言えば、グリフィンとスフィンクスの境目は、獅子頭のグリフィンによって結構あいまいになっています。

     

    グリフィンには、基本的には鷲頭と獅子頭の二つのパターンがあります。

    実際には蛇頭も入れて三つと言うべきでしょうが、蛇頭はなぜか廃れ、鷲頭と獅子頭の二つが残ったのです。

     

    ここで注目したいことは、グリフィンに魔人的な描像があり、スフィンクスにも人頭のパターンがあることです。

    グリフィンの描像に出てくるキャラクターは、鷲と獅子と人と蛇の四つ、ここに注目してくださいね。

    一方でケルビムの描像に出てくるキャラクターも四つ、鷲と獅子と人と牛です。

    蛇と牛が入れ替わっているほかは、ほとんど同じです。

     

    グリフィンもまた、大事なものを守る大きな翼をもった存在です。

    確かによく似ています。

    さらにグリフィンは車をひく役割があったりします。

    ケルビムも車輪と深い係わりが聖書に記されています。

    筆者はケルブの役割は、神の下僕であると同時に神を乗せる乗り物であったと推察しています。

    面白いことに、ローマ時代になるとシリアやパレスチナ周辺でグリフィンと一つの車輪という図像が突然現れると言います。

    これらのことから、ケルビムの正体とはグリフィンであったのではないかとして、考察を締めくくっていきます。

     

    詳しい説明は本書を読んでいただくとして、私の気になった箇所は実は別の所です。

     

    グリフィンもケルビムも、神を乗せる役の神の下僕である、どちらも四つのキャラクターで表現されうる、ここでピンとくる方もおられるかもしれないですね。

    そう、神の玉座にして戦車であるメルカバーです。

    筆者がカッバーラを知っているわけがないので、この点を指摘してくるとは最初から期待はしてませんでした。

    だが、この重大な類似に気付き、指摘してくださっていることには大いに感謝します。

    ケルビムとグリフィンとスフィンクスは、メルカバーであったのではないかと示唆してくれたわけですからね。

     

    本書の言及している地域に詳しい方、これらの地域のユダヤ人の足跡を探ってみませんか。

    興味深いことがわかってくるかもしれません。

     

    なお、本書にはまだまだ興味ひかれる記述があるけど、気になる方は御自身で手に取ることをお勧めします。

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    日本どれだけ中東の飛び地なんですか。

    日本の食卓を覗くと地中海が見える、なんてネタでお話をしたことがありました。

    そしたら、こんなコメントが寄せられました。
    これまで私が話してきた内容が、この中にかなり入ってるのには、思わずビックリです。
    以下、全文紹介します。

    エジプトの米は日本の農林1号なんです。
    しかもエジプトは古代から米食で、品種改良もしていません。
    味噌汁は中東のレンズ豆スープと瓜二つ。
    ギリシャ料理には「アジの開き」そっくりにいろんな魚を開きにして、タレに付け込んで焼く、というのがあります。

    米はアジアではなく、人類発祥の地であるアフリカが起源です。
    雨が少ないナイル川流域で発展したのが灌漑農業。
    それなりに雨が降る東アジアではそのころはまだ雨水農業が盛んでした。
    そのアジアに米と灌漑農業を持ち込んだのが日本に移住した古代日本人である中東人、と思います。
    今でも中国人にとっては米は日本人ほどの重要炭水化物ではありません。
    これだけ米が好きなのは世界中探しても日本人だけでしょう。
    日本では幼児に「ごはん」と言う時、「マンマ」と言いますよね。
    エジプトでも幼児に「ごはん」と言う時、「マン」と言います。
    両国とも大人には使わない言葉です。
    これは私の推測の域を出ませんが、米が「マナ」なのでは?などと思ってしまいます。

    伊勢神宮の話を中東人にした時、「いせシュライン」と言ったら「イーセー?」と驚いていました。
    アラビア語で「イーセー」はイエスキリストのことですから。
    彼らにとっては預言者ですが。

    埴輪、を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きます。

    日本には「連歌」という文化がありますね。
    中東も「連歌」が盛んでした。
    彼らは夜キャラバンを率いて砂漠を旅する時、お互いが「連歌」を作りながら楽しく旅をしていたそうです。

    目が大きく鼻が高く掘りの深い中東人にとっての「美人」はずばり「平安美人」です。
    現代はそこに「金髪碧眼信仰」も加わりますが。
    昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」です。
    平安時代にそういう顔が美人とされたのは、日本人自体が堀が深い中東顔だったからではないですか?
    朝鮮人や中国人が大挙して押し寄せる前の明治維新頃までの日本人には濃い顔が多かったですよね。
    実際明治維新頃日本を訪れたヨーロッパ人は本国へのレポートで「日本人は中東顔である」と書いています。
    もし千年後に今の日本の漫画が発見されたら、未来人は日本人を「目の大きい人種」と認識するかもしれません。
    つまり日本人の民族性は昔も今も、「自分の理想像を描写する」なのかもしれませんね。

    古代中東での戦争は、両者が相対しにらみ合いになった時、両者から一人ずつが前に出て、「〇族の〇家の何某!」とお互いが名乗りをあげ、1対1でどちらかが倒れた時に両軍の戦闘が始まる、という、日本の平安時代以前と同じやり方をしていました。

    私は中東の歴史ドラマを何度か見たのですが、戦闘のシーンの兵士の持っていた「楯」が日本の「八咫の鏡」と瓜二つだったのには驚きました。
    日本ではあれを後生大事にしていますが、映画では兵士全員が持っている消耗品の扱いでした。まー当然ですが。
    古代シリア地方を舞台にしたドラマでは戦争中、両者が赤と白のハチマキをして戦っているシーンがありました。サイズも日本のと同じです。

    日本語も、古代エジプト語やラテン語、古代ヘブライ語、アラビア語などが混じってますね。こういった事実は、日本を下に組み敷いておきたい中国にとっては抹殺対象なのでしょう。
    ひらがな、カタカナのような表音文字が表意文字からつくられるはずがないのです。
    漢字から始まったなら簡略化するだけです。
    実際、ひらがなとカタカナは古代ヘブライ文字とアラビア文字、しいては古代エジプト文字にそっくりです。
    日本という他国の歴史まで「焚書」しようとする中国の傲慢さには反吐がでます。

    日本人特有の顔(鼻が高く毛深く甘いマスク)は他の東アジア諸国の特徴的な顔とは全然違います。(当然例外はどこにでもいます。)
    顔が違うだけではなく、性格も、他のアジア諸国とは一線を画しています。

    長文、失礼しました。

    埴輪を見た外人はその全員が「ユダヤ人だ!」と驚きますの下り、やはりそうでしたかと思わずうなりました。

    確かに、滅茶苦茶長く伸ばした前髪や、どう見てもユダヤ人のものと言いたくなる帽子の埴輪を見れば、そりゃ、率直にユダヤかって突っ込みたくもなるでしょう。

    わざわざ帽子を埴輪にする時点で、どれだけ大事にしてたんですかって誰だって驚きますよね。

    昔から中東人が好きなのは「色白、ふっくら、目も鼻も口も小さく、ストレートの長い髪」の平安美人顔と言う、指摘にはあらためて驚きました。

    そう言えば、天孫一族には古代イスラエル北朝12支族説も出てます。

    天皇家の傍系の方々の顔にも、中東顔の指摘があります。

    大挙して渡来した秦氏にも原始ユダヤ人キリスト教徒説があるし、平氏の正体にもペルシャ人であると言う声もあるくらい中東の匂いがプンプンしてると言います。

    合戦の前に名乗りを上げるところは、このコメントにもあるようにまさに中東のやり方そのものだそうです。

    さらに、縄文人自体もアジアとヨーロッパの民族や人種が分かれる以前の人々の子孫とのDNAの解析結果もあります。

    言葉についても、ラテン語や古代ヘブル語と共通のルーツと言う説が出るのも、縄文人のせいなんでしょうね。

    で、さらに、古代エジプト語やアラビア語ですか。

    連歌の文化まで中東と同じですか。

    どんだけ、日本って一皮むけば中東が出て来るんですか。

    こうなればもう、笑うしかありませんね。

    面白い情報満載のコメントにあらためて感謝申し上げます。

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    欧米のキリスト教のイスラム感を考えて見た。

    もっともっと、日本人も宗教に関心を持って欲しいのですけど。

    世界の中で宗教にまったく無関心な人は、実は少数派ではないでしょうか。

    中国だって一皮むけば、昔からの宗教に関心持って暮らしている人の方が多数派と聞いています。

    熱心に信仰しているかどうかは、別ですけどね。

    日本がイスラム過激派の怒りのターゲットに晒されないためには、欧米のキリスト教圏とイスラムとの歴史的な諍いから距離を置くことが大事ではないでしょうか。

     イスラームが正しい発音だそうですが。

    ここでは一般的なイスラムで通します。

    せっかくイスラムの人たちから信頼されているのだから、この立ち位置を活用しようとしないならはっきり言って、大馬鹿ものですね。

    イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会の人たちとの、ネットを通じての交流で、堕落した欧米のキリスト教に見切りをつけた若者を中心とした人たちが案外簡単に改宗するのはなぜなのか真剣に考えない限り、欧米のキリスト教世界はイスラム過激派の怒りのターゲットに晒され続けるでしょうね。

    フリードリッヒ・ニーチェの『アンチクリスト』に示されるところまで堕落したからこそ、ムハンマドやジョセフスミスジュニアが原点回帰を呼び掛けるように聖書の神から召され、欧米のキリスト教圏の人たちから、イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗が出るわけですね。

     既存のキリスト教会は、そこがわかってないってことね。

    欧米のキリスト教圏の人たちのイスラムに対する反発の裏には、ユダヤ教やキリスト教が堕落したので原点回帰を呼び掛けるべく聖書の神からムハンマドが召されたというイスラム側の言い分にもあるかもしれないですよ。

    ムハンマドが啓示を受けた西暦610年代には、西欧がすでにキリスト教化しているわけですから。

    313年にミラノ勅令は、当時は西方正帝であったローマ皇帝コンスタンティヌス1世と同じく東方正帝であったリキニウスの連名で発布されたと言われているのです。

    一般に、全帝国市民の信教の自由を保障した内容とされるこの勅令は、実在そのものや、真の起草者について疑問視する研究者もいる代物ではありますけど。

    勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発したのです。

    これを受け当時西方正帝でのちに単独皇帝となるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布したものです。

    特にキリスト教を挙げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認したわけです。

    392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされたのです。

     で、これ以降、欧州世界のキリスト教化が進むことになるわけね。

    そして、キリスト教は主に欧州世界を中心に広まっていくのですよね。

    つまり西暦610年代ムハンマドが原点回帰を呼び掛けた堕落したキリスト教とは、まさしく欧州キリスト教にほかならないってことです。

    そもそも、ミラノ勅令はキリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって発布されたわけです。

    欧州世界での拡大と定着は権力と言わば二人三脚で進んでいったと言え、キリスト教の堕落はローマ帝国のころから実質的に始まっていたとみて良いのかもしれないですね。

    しかし、ほとんどの欧州キリスト教の人たちには自分たちが教えを堕落させた自覚はほとんどないってことで、彼らにとってムハンマドははっきり言って邪魔者だったかもしれないです。

    欧米のキリスト教圏の人たちから見れば、ムハンマドはアブラハムの系譜かも知れないけど、イサクとヤコブの系譜ではないわけです。

    傍系イシュマエルの子孫であるムハンマドの預言者としての正当性を、彼らは認めたくないのかもしれないですね。

     認めれば、改宗せざるを得ないでしょうからね。

    ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会のジョセフスミスジュニアも、御父と御子からじきじきに、今のキリスト教宗派は全て間違っているからイエスの時代の教会を復活させるように召されたと主張しているのです。

    そのために、既成のキリスト教からは、末日聖徒イエス・キリスト教会も煙たがられているのです。

    末日聖徒イエス・キリスト教会の教説には、既存のキリスト教に真っ向から異を唱える内容が並んでいるのです。

    御父と御子と聖霊は三位一体ではなく個別の存在であり一心同体となり一致団結して人々の救いと導きに日夜心を砕いておられるとか、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのも原罪ではなく人類が選択の自由を用いて神の道を選んで再び成長して帰ってもらいたいという御父の願いによるものであったとか、御父の救いの計画は生者だけではなく死者にも及ぶとかです。

     これらの言い分を認めたら、既存のキリスト教は末日聖徒イエス・キリスト教会に合流するしかなくなるわけだから煙たいわけね。

    アダムとイブについていえば、裸で嘆きながらエデンの園を追われる絵があまりにも有名だけれど、聖書には神は彼らに皮の衣を着せたことがちゃんと書かれているのですよ。

     絵で一目でエデンの園からの追放とわかるために、裸で追われる構図にしたのかもしれないけど、嘘は嘘よねえ。

    余談ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会には、職業としての聖職者はいないです。

    イスラムにも職業としての聖職者は、恐らくいないです。

    イスラムで聖職者に当たるのはウラマーと呼ばれる人々ですが、イスラムの建前としては神と人との間に仲介役を入れる、あるいは信徒間に階級差を設けることを嫌う傾向があり、ウラマーは聖職者ではない、とか、イスラムには聖職者はいない、と主張されてるのです。

    一方、既成のキリスト教では、大抵の教会で職業としての聖職者がいるのです。

     イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会を選んだら、既成のキリスト教の聖職者の職探しは大変ね。

    末日聖徒イエス・キリスト教会には職探しやその間の生活を支える仕組みがあるし、イスラムにも助け合いによって支えてくれる体制があることでしょうから、全てを神の御心に委ねて祈るなら道は開けることでしょうね。

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    同祖神とタントラと中東?

    日本には各地に陰陽石や同祖神があります。

     

    道祖神は坂道や村の教会に、悪霊を防ぐために祀られた神です。

    最初は巨大な石だったものが、時代が下るにつれ生殖器の形や、男女が寄り添った像になりました。

     

    同祖神の祀り方の中には、九州に見られるようなヨーニとリンガの合体をリアルに表現したとしか思えないものもあるのです。

     

    ひょっとしたら、タントラのリンガとヨーニの変形かも知れません。

     

    タントラでは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガとから、宇宙的エネルギーとしての炎が生じるとされています。

     

    日本神話のイザナミとイザナギは、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在とは考えてみても面白いかもしれません。

     

    現にイザナミは、火の神を生んでいるのです。

     

    これは単なる偶然でしょうか。

     

    さらに、太陽神であるアマテラスとアマテルも、女性器であるヨーニと、男性器であるリンガの、人格神化された存在を御霊分けしたのかも知れませんね。

     

    アマテラスについては、スサノオとの関係で女神とされた可能性もありえるかもしれません。

     

    女性器であるヨーニに当てられたアマテラスと、男性器であるリンガに当てられたスサノオと見るのです。

     

    アマテラスのヨーニは、機織り女が飛び樋に女陰を突かれたとあるのがそれでしょう。

     

    日本書紀には一書にいわくとして、アマテラスの隠れを死と記す記録もあると指摘していると言います。

     

    スサノオのリンガは、逆剥けの馬とあるのがそれでしょう。

     

    「飛び樋」を「飛び火」と見ると、宇宙的エネルギーとしての炎の事でしょう。

     

    日本語では、よく掛詞をするが早い話駄洒落ってことです。

     

    ついでに言うと、アマテラス=機織り女=織姫とすれば、スサノオ=牛頭権現=牽牛となるでしょう。

     

    二人の出会う7月7日は、女のメノラーと男のメノラーが重なる日なのでしょうね。

     

    メノラーとは七枝の燭台のことで、ユダヤ教のシンボルです。

     

    それと、聖にして、生にして、性なる炎こそが、聖火の正体ではないのでしょうか。

     

    そして、モーゼが見た神の炎も、この聖火かも知れません。


    タントラと陰陽道とカッバーラは、見た目は一見違っています。


    でも、よくよく吟味すると実はよく似ている思想であることに気が付くのです。


    インドには、古代ペルシアから分かれた人々が移動したことが知られています。


    古代中東の思想が伝わっていても不思議ではありません。


    そして、古代中国と古代中東もまた、今日の私たちが想像する以上に繋がっている可能性があるのです。


    そして、日本はその延長線上にあるのではないでしょうか。


    日本古代史と中東の繋がりは、もっと注目されて良いのではないでしょうか。

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    モンゴロイド

    DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

    人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

     そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

    黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
    人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
    現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

    肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
    肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

     人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
     ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

    モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
    ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
    コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

    黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
    ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

    近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
    モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

     日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

    世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

     日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

    日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
    近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

    名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
    原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

    そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

    各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

    近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

    ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
    またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

    20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
    その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

    中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

    さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

    ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

    しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

    これが、後のモンゴロイドです。

    モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
    アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

    ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

     古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

    モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

    DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

    ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
    ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

    現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

    遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

    遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

     アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

     アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

     だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

     その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

    古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

    中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

     古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

    日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

    古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
    他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

    なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

     そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

     メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

    ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

     フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

    それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

     東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

    家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

    このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

    中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

     ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

    ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
    ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

    人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
    日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
    日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

     主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

    16のDNAパターンは、以下の通り。

    A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

    現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

    今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

    これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

    2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

    日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
    古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

    近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

    また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

    そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

    骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

    けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

    面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

    科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

    とはいえ、興味深い遺跡はあります。

    カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

    ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

    北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

    カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

    さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

     縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

    そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

    場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

     モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

    もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

     アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

    たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

     精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

    一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

    新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
    さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
    一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
    また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

    新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

    紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
    遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

    遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

    シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
    南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

    日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

     しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

    バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

    足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

    エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

    最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

    日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

    エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
    親指が長い他に、足幅が広めな形です。
    親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

     つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

    太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

    ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

    日本では、エジプト型に次いで多いです。

    足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
    ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
    ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

    スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

    日本人では珍しい足です。

    幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

    古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
    遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

    近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
    その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

    東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

    またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
    アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

     ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

    インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

    なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
    かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
    ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

    モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

    また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

     南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

    現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

    ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

    ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

     そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

    調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

    モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

    さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

    途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

    ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

    特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

    彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

    その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

    特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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    TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とユダヤ?

    TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とも呼ばれる家族性アイルランド熱については、以前、日本でも発症例があることは触れたが、アイルランドがケルトの多い土地であり、日本とケルトの繋がりが見えることの方に注目したのでした。  

      詳しいことには、あまり踏み込みませんでしたね。

    あの時は、家族性地中海熱の方がメインでしたからね。

    改めてこの遺伝性疾患に注目したのは、この病気にもユダヤ人が絡んでいるからなのです。

     家族性地中海熱と家族性アイルランド熱、どちらもユダヤ人が絡んでいるなら、日ユ同祖論者は喜んで飛びつきますね。

    ただ、ユダヤ人が以外の発症者がいることを、どう見るかですね。

    TRAPS患者は、今までのところ日本以外の東南アジア諸国において報告されていないと言います。

    報告された最初の症例は、アイルランドとスコットランド系の人種でした。

    その後それ以外の人種でも報告があったけどほとんどのTRAPSの患者は北ヨーロッパ系と中東系の人種で、ユダヤ人の名前はその中にあります。

    フランス人、イタリア人、スペイン人、アルメニア人、プエルトリコ人、アルメニア人、ユダヤ人、アラブ人、カブール人、アフリカ系アメリカ人です。  

    東南アジアどころか、東アジアで見ても、日本だけでしょ。

     家族性地中海熱は、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人だから、イギリスを除けば似た地域ですね。

    地中海やアメリカにまで症例が見つかったので今ではTRAPSと略称で呼ばれることが多いが、この遺伝性疾患もまた日本と地中海との繋がりを示すと言えますね。

    TRAPSは、常染色体優性遺伝とみられてきました。

    優性遺伝性の自己炎症性疾患であろうと思われ、皮疹、腹痛、筋痛、結膜炎、胸痛、関節痛に関連した発熱発作を繰り返すことを特徴とします。

    強い腹痛を呈し、腹部手術に至る患者もいます。

    遺伝性疾患なので、伝染することはありません。

    常染色体優性遺伝は、Autosomal Dominant、ADと略され、常染色体上に存在する1対の遺伝子の一方に異常があれば発症します。

    TRAPSの責任遺伝子は、12P13resionと言う12番目の遺伝子上に存在します。

    この遺伝子の突然変異により異常なTNFレセプターが誘導され、それが不適当な炎症反応を引き起こします。

    この遺伝子に関しては、33カ所の異なった突然変異が特定されています。

    TRAPSを発症した子ども達は、胎児期の突然変異ではなく、この病気の遺伝子をTNFレセプター異常の遺伝子のキャリアである両親のどちらかから受け継いでいます。

    この突然変異を持っている人は、TRAPSの臨床的な症状を持っているかもしれないし、持っていないかもしれません。

    ただ、最近の研究では、TNF遺伝子の突然変異が証明された症例のみTRAPSとして含められるべきであるとされるようになってきているようです。

    それと言うのも、常染色体優性の遺伝形式を示すが、家族歴のない孤発例も報告されているからだそうです。

    そんなわけで、実は発症のメカニズムがまだ十分に突き止められたとは言えないようなのです。

     遺伝性疾患の可能性は高いが、例外と思える発症例がある以上断定には慎重になっているのですね。

    TNF遺伝子のTNFとは、腫瘍壊死因子と呼ばれる白血球の出すサイトカインの一つです。

    サイトカインは、特定の生理的調節機能に対して作用する白血球の出す生理活性物質の総称です。

    突然変異が証明された場合された症例のみとするとは言え、特定の民族に発症例が集中している以上、遺伝性疾患としての性格を完全には無視しきれないはずです。

    TRAPSは、遺伝的には優性遺伝のパターンをしめします。

    これは単一家系内にそれぞれの世代に一人以上の患者が見いだされることを意味します。

    事実、血族結婚が少しずつ、減少してきていることで、TRAPSのような複雑な疾患の発症は減ってきていると言います。

    突然変異が証明された場合された症例のみとするなら、このような傾向を説明できるでしょうか。

    この病気は一般的に発症を防ぐ方法はありません。

    通常2週間から3週間間隔の弛帳熱で発症し、消化管の通過障害、痛みを伴う赤い発疹、筋肉痛、歯肉の腫脹を伴うことがあります。

    常染色体とは、性染色体以外の染色体のことであり、ヒトの体細胞は22対、44本の常染色体を持ちます。 患者の子が同疾患を発症する可能性は、男女を問わず50%です。

    TNF受容体関連周期性発熱症候群はごく最近認知され、理解されてきました。 TRAPSの臨床経過は、14パーセントは2次的にアミロイドーシスと呼ばれる腎病変に移行するが、それ以外は良性で自己完結型の疾患です。

    良性とは、病気が良好な経過をたどって治癒する性質であること、あるいは,癌性でないことです。

    アミロイドーシスとは、「アミロイド」と呼ばれる蛋白が全身の臓器の細胞外に沈着する疾患で、日本では特定疾患いわゆる難病に指定されています。

       どの程度の頻度の病気でしょうか。

    TRAPSは確認された患者の数は100人以下の稀な疾患で、日本でもこれまで10例程度が報告されている程度のようですね。

    日本の発症数は、推定でも、30人程度とみられています。

    本当の疾患の頻度は現在でもよく解っていないが、発症に男女差はなく、発症年齢は年長児や成人に多い傾向があります。

    TRAPSの経過には季節や風土は無関係であり、一生のうちどの時期に発症するかは予測できません。

    TRAPSはTNFRと呼ばれるタンパク質に起きた遺伝的な異常で引き起こされると言われており、その異常が起きたタンパク質は患者の正常の免疫反応を過剰な方向に誘導すると言われています。

    TNFRとはTNF受容体の略で、赤血球を除いた生体内の細胞に広く存在しているタンパク質です。

    TNFと呼ばれる炎症性のホルモンは、TNFRで正常にコントロールされない場合、過剰に働き、炎症反応の程度を減少させます。

    この欠陥は、発熱、悪寒、痛みなどの患者の不快な症状を説明できます。

    感染や外傷、精神的なストレスは疾患を増悪させると言われています。

    アミロイドーシスとTRAPSとの共通性はおそらく、どちらも慢性的な炎症性疾患であり遺伝的な要素をもっているということです。

    主要な症状は繰り返す2週間から3週間続く発熱発作です。

    発熱は悪寒戦慄、体幹部と上肢の筋肉痛を伴います。

    典型的な発疹は赤色で皮膚や筋肉の炎症部位に一致した痛みを伴います。

    大部分の患者が経験するのは、発作が起こる際の痙攣を伴う深い部位の筋肉痛で、少しずつ痛みは増悪していき、また四肢の他の部分にも広がっていきます。

    吐き気と嘔吐を伴う広範な部位の腹痛が通常みられます。

    眼瞼結膜と眼窩周囲の腫脹は、TRAPSに特徴的な所見だが、これは例えばアレルギーと言った他の疾患でも認められます。

    以上のような特徴的な症状の出現の仕方は、発作期間の長短により異なった表れかたをします。

    胸痛もまた、胸膜炎や心外膜炎の結果として出現することがあります。

    アミロイドーシスは頻度は稀だがTRAPSの最も重篤な合併症です。

    尿中に巨大な蛋白が出現し腎不全を引き起こします。

    TRAPSの、症状の出現の仕方は多様です。 すなわち、発症している期間も発作のない時期の期間も症例により異なります。 主要症状の、出現の組み合わせもまた様々です。

    これらの違いは、遺伝要因により説明できると思われます。

    専門医は臨床症状と家族歴からTRAPSを疑います。

    いくつかの血液検査結果は発作中の炎症反応の程度を検出するのに有効です。

    TRAPSの診断の唯一の方法は、突然変異の証拠を遺伝子診断で確定することです。

    鑑別診断としては、特に家族性地中海熱や高IgD症候群などが挙げられます。

    TRAPSは時として成人スチル病や若年性関節リウマチと症状が類似しており、鑑別が必要となることもあると言います。

    類似の症状としては、これらがあげられるそうです。

    原因不明の発熱に加えて、同時に腹痛、筋肉痛、皮疹、関節痛、結膜炎・ 眼窩周囲浮腫、胸痛などの症状のうち、いくつかを合併することが多い。

    症状は通常5日間以上持続し、長い場合には数カ月続くこともある。

    これらの症状が数カ月から数年の周期で出現するという経過を繰り返す。

    筋肉痛と皮疹は場所が移動しうる。

    鑑別についての詳しくは、医師に尋ねてください。

    遺伝性疾患の可能性が高い、このような症状があると紹介するのが、今回の目的ですので。

    現在のところ、TRAPSに対する治療はありません。

    NSAIDsは発作時の症状を緩和するのに役立ちます。

    大量ステロイド療法(ステロイドパルス)はしばしば有効だが、逆に深刻な不利益をもたらすこともあります。

    特異的なTNF阻害剤は、発熱発作の初期の患者には有効なことがあることも知られています。

    発熱を予防する方法がないので、治療は急性期の症状がある時だけです。

    生涯を通じて不定期に反復するのがTRAPSの自然経過です。

    最悪の転帰をとるのはごく少数の患者ですが、2次性のアミロイドーシスが危険因子となります。

    この危険因子は、遺伝的な要因と環境因子の両方が関係しますので簡単には決めつけられません。

    アミロイドーシスは深刻な合併症であり、しばしば腎不全に移行します。

    現時点では、この合併症が避けられるものかどうかの判定は誰にもできません。 完全に治癒する可能性は否定されていません。

    実際、遺伝子的なTNFRの構造変化は、全身の機能に異常を引き起こしません。

    さらに、発熱を引き起こす強力な物質にさらされなくなると、寛解が得られるかもしれません。

    治療としては、発作時に副腎皮質ステロイド剤を投与することが多いそうです。

    ただし症状の程度 には幅があり、安静や非ステロイド性抗炎症剤(NSAID)のみでコントロールできる症例や、副腎皮質ステロイド剤に抵抗性の症例も存在すると言います。

    難治性の場合には、抗TNF製剤(エタネルセプト)が有効な場合もあるそうです。

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    ムハンマドとユダの木とエフライムの木?

    ムハンマドは、イエスを聖霊を伴って遣わされた特別な預言者と言っているのです。

     そして、キリスト教徒とユダヤ教徒を、啓典の民と言ってるのよね。

    これを、どうとらえるかですよ。

     ムハンマドは、イエスを受け入れたうえで、ユダヤ教徒を啓典の民と言っている…。

    ユダヤ教徒にとって、神の聖典とはいわゆる旧約聖書だけです。

    つまり、ユダヤ教徒にとって、聖書といえば新約を含まないので、旧約などと呼ばれるのは心外ということでしょうね。

     ユダヤ教徒にとって、新約を認めたら、イエスを救世主として受け入れることになる…。

    そういうことでしょうね。

    だが、イエスは旧約聖書の救世主に関する預言を、ことごとく踏まえ、また、満たしているのです。

    ムハンマドは、この旧約聖書も含めて、聖書を読めと言っているのです。

     旧約聖書の救世主に関する預言を、ムハンマドもまた受け入れたうえで、イエスを特別な預言者と言っている。

    これを、どう思うかです。

     旧約聖書の預言した救世主は、イエスであるとムハンマドもまた認めたことになる。

    当然でしょ。

    イエスを旧約聖書の預言した救世主であると主張するキリスト教徒もまた、啓典の民と言っているのです。

    そして、救世主としてのイエスを否定する言葉は、ムハンマドは一度も言っていないのです。

     預言者としてのイエスを前面に出しているが、救世主としてのイエスには触れていないだけで否定はしていない。

    救世主としてのイエスには一言も触れていないけど、キリスト教とも受け入れた以上は、言うだけ野暮でしょ。

     ムハンマドがユダヤ教徒に求めることは、預言者としてのイエスを受け入れることであると同時に、救世主としてのイエスを受け入れること。

     ムハンマドがキリスト教徒に求めることは、救世主としてのイエスを受け入れるだけではなく、ユダヤ教改革者としてのイエスを受け入れること。

    つまりムハンマドは、イエスが果たそうとして果たせなかったユダヤ教改革を継承し成し遂げるとともに、キリスト教にもユダヤ教改革者であったイエスの原点に戻れと、呼びかけていたことになるでしょ。

     ムハンマドの目指していたことは、ユダヤ教とキリスト教の統一であった…。

    コーランは、そのために奮闘したムハンマドの言葉の記録でもあったということでしょうね。

     アッラーから下された、言葉の記録でもあるけれど…。

    もちろんムハンマドは、アッラー、すなわち、御父エロヒムの預言者としてのヤハウエ=イエスの地上における代行者として行動したわけですからね。

     ムハンマドは、ヤハウエ=イエスの地上における代行者として行動、ということは預言者よね。

    アブラハム・イサク・ヤコブの系譜からは外れるけど、アブラハムの息子であるイシマエルの子孫だから、アブラハムの系譜の預言者であることは言えるでしょうね。

     アブラハム・イサク・ヤコブの系譜からは外れているからと、ムハンマドを預言者として受け入れないのは、ユダヤ教とキリスト教の頑なさ。

    預言者を選ぶのは、神であって、人じゃないですよ。

     ムハンマドの行動が実を結ばなかったのは…。

    神の想定の、範囲内だったのでしょねえ。

     そ、そんな…。

    でも、イスラム世界は、ユダヤ教とキリスト教の失われてしまった原風景を今日まで伝えているという存在意義は、大きいでしょうね。

     イスラムによって、加えられた部分はあるにしても…。

    当然、すべてが当時のままなわけ、ないでしょ。

     確かに…。

    ユダヤ教とキリスト教の頑なさを神は予見していたから、ユダの木とエフライムの木という言葉で神は、何かを伝えようとしていたのでしょうね。

     エフライムは失われた十支族なはずでしょ。

    失われたということは、やがて出てくることを意味しているのでしょ。

     エフライムの木はどこかにある。

    あるから、聖書に書かれるわけでしょ。

     確かに…。

    でしょ。

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    古代イスラエル人の顔を想像してみた。

    今日の白人系ユダヤであるアシュケナジは改宗による宗教的養子であって、オリジナルの古代イスラエル人との血縁はないとみられています

     では、古代イスラエル人は、どのような風貌だったのでしょうね。

    アジア、とりわけ東アジアの民族の風貌は、古モンゴロイドと新モンゴロイドの混血の結果、いまのようになったと見られています。

     そういえば、西方に行くほど、新モンゴロイドの特徴は薄れますね。

    白人的な風貌のアイヌの生活文物は、古代イスラエルに近いと指摘されます。

     アイヌは、白人的な風貌だけどモンゴロイドに分類されていますね。

    この白人的風貌のために、縄文人やアイヌに対して、白人そのものという議論を立てる人々もいます。

    モンゴロイド的特徴は、モンゴロイドとの混血の結果であったと、彼らは主張します

     彫の深い顔の白い人、すなわち白人、すなわちコーカソイド、という論理なのね。

    けれど、古モンゴロイドが白人に近い風貌であったとすれば、縄文人は白人であったと言う説を立てないでも良い訳です。

     中東で分かれたコーカソイドと古モンゴロイドは、西と東のどちらに行ったかの差でしかない。

    そうでしょうね。

    古モンゴロイドの一部は、地中海世界を横切ってアメリカを経由して日本に渡り、縄文人となり、アイヌとなったのでしょうね。

     古モンゴロイドの中には、地中海世界から、ヨーロッパに散った人々も居る。

    コーカソイドにもみられる蒙古斑は、彼らが持ち込んだのかも知れないですね。

     日本人にも見られる、欧州人と共通の遺伝子由来の病も、ここに関係ありますかね。

    アイヌの風貌に見られるように、古代中東のモンゴロイドは古モンゴロイド的であった可能性があります。

    古代イスラエル人もまた、古モンゴロイド的風貌であったでしょうね。

    興味深いことに、ヨーロッパにいた新人の移動経路と見られるものはほとんど古モンゴロイドのたどっだと見られる移動経路と重なります。

     新人の経路に、日本が入ってませんね。

    だが、ここで議論されている新人を古モンゴロイドと同じと見てよければ、どうでしょ。

     新人の一部は、日本にも来たことになるのよね。

    そして、現代欧州人に近い特徴が指摘されるクロマニヨンも、新人に分類されます。

     クロマニヨンこそ、古モンゴロイドの正体と見れば、縄文人やアイヌの白人的特徴も、クロマニヨン由来となるね。

    しかも新人、つまりクロマニヨンの名はフランスのクロマニヨン洞窟に由来します

     そして、白人的風貌で、イギリスとアイヌに二股かけたフランスとスペインの様式の鏃を伴った古代人骨は、アメリカのケネウィックから出ているのよね。

    クロマニヨンは、旧石器時代晩期とされるから、クロマニヨンの分布と照らしても矛盾はないでしょ。

    クロマニヨンは現代欧州人と最もよく似ているとされるが、現代人の祖ともされ、その影響の及ぶところは欧州に限定されないのは、新人の移動経路を見ればわかるでしょ。

     クロマニヨンを古モンゴロイドの正体と見れば、白人や黒人にも蒙古斑がみえる理由も説明できるのね。

    新人は、アフリカにも行ってますからね。

    また、オリジナルのユダヤと見られているスファラディも、ディアスポラの過程で同じアブラハムの子孫であるアラブの民との交流はあったでしょね。

    そのために風貌は変わっているでしょうね。

     アラブ人の祖は、アブラハムとエジプト人女性ハガルに生まれた子のイシュマエルでしょ。

    ユダヤ人とイスラームの伝統の間では、イシュマエルを全てのアラブ人の先祖と見ていますね。

     そして、エジプト人とは、ノアの子の一人であるハムの子孫のエジプトからでた人々をさしたわけね。

    のちに、エジプト人の地がエジプトと呼ばれるようになると、エジプト国民がエジプト人と呼ばれることになるが、ハガルの場合は、ハムの子孫であるエジプト人と見た方が良いでしょうね。

    ムハンマドは旧約や新約の解釈を正すために活動し、彼の弟子たちによってイスラム教は始まります。

    今のイスラムは聖書を読まないが、ムハンマドは新訳も含む聖書を読むように説いています

    おそらく、自らの民族の宗教の啓典として、聖書を位置づけていたのですね。

    同じ神を信仰する聖書の民であり、アブラハムの子孫であれば、一時的には、婚姻関係はあったでしょうね。

     今のスファラディの風貌は、エジプト人の血が入っているイシュマエルの子孫との婚姻による。

    旧約聖書を共有した、アブラハムの子孫同士であってみれば、そうみるのは自然ではないでししょうか。

    いまの、イエスも預言者として受け入れているイスラムを見ると、ユダヤ人との婚姻を疑問視しても仕方ないでしょね。

     ムハンマドの宗教改革は、ユダヤ教にとどまらず、キリスト教にも及んでいるけど、ムハンマド以前はアラブもユダヤ教だった。

    ムハンマドを預言者の系譜にユダヤ教もキリスト教も入れていないのは、アブラハムとイサクとヤコブの神とする位置付けから外れているからでしょうね。

     アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、という言葉がここで効いてくる。

    そうでしょうね。

    聖書では神の名に、アッラーは使ってないですし。

     でも、アッラーは聖書の神の呼び名の一つであった可能性はある。

    ムハンマドは、同胞が聖書を知っていることを前提にして、説教しているでしょ。

    ユダヤ教は、文字通り、民族宗教なのですよ。

     そうなると、本来の古代イスラエル人の風貌は、皮肉にも、宗教養子であるアシュケナジに似ているかもしれない。

    白人的風貌のアイヌの生活文物が古代イスラエルに似ていることから推測すると、古代イスラエル人も白人的風貌だったことはありえるでしょうね。

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    諏訪と周防に共通点?

    諏訪(すわ)と周防(すおう)、この音のなんとも言えない微妙な類似です。

     なんか気になるね。

    諏訪と書けば、素直に読めば諏訪(しゅほう)であって、諏訪(すおう)に転化してもおかしくないです。

    周防もまた、素直に読めば周防(しゅほう)となるのです。

    日本語の仮名表記では、濁音も濁点が省かれる場合が多かったからです。

    旧仮名遣いは、日本語はかつて二重母音であったことを示しているのです。

    それも、イ+母音のヤ行より、ウ+母音のワ行に近い、丸唇音的発音がされていたのです。

    丸唇音的発音では、濁音は巻き舌音になりやすく、はっきり濁るか、かすれて聞き取りにくくなるか、どちらかなのです。

    仮名で記す時、濁点が省かれやすかったのは、濁りそのものがかすれて聞き取りにくかったからかも知れないです。

    さらにいえば、周防(すおう)は元は周芳と記したのです。

     周芳は、素直に読めば"しゅうほう"なはずね。

    ならば諏訪=周防="しゅうほう"、だったはずでは、なかったでしょうか。

    "しゅうほう"を巻き舌音で発音したら、"しゅほぅる"に近くなりはしないでしょうか。

    そして、"しゅほぅる"は、一方で"すわ"、もう一方で"すおう"に転化したと見れば、説明はつくように思えます。

    さらにいえば、諏訪も周防も"しゅほぅる"だったとしたら、どうなるでしょう。

     "しゅほぅる"と"しゅめぅる"、似てるのでは。

    同じ丸唇音的発音でも、比較的平唇音に近い場合"しゅめぅる"、比較的丸唇音の傾向が強い場合"しゅほぅる"、と容易に相互転化しやすいから、似てもおかしくないのです。

     諏訪神社は、日ユ同祖論者が熱い視線を寄せる存在だったはずよね。

    諏訪という名前を音から見ると、スメルが現れてくるように思えてくるのは面白いです。

     日ユ同祖論者は、アブラハムの出立の地はウルであり、スメルの都市だったから何の問題もないというかも。

    スメル語源説も展開できる可能性が見える以上、日ユ同祖論者は古代イスラエルとスメルの関係をちゃんと説明したほうが良いでしょうね

    とはいえ、スメル渡来論者も、諏訪に見える聖書との類似の指摘をスメルの歴史や文化で反論できないと、せっかくの可能性を生かせずに終わります。

    追記

    「日本人シュメール起源説」の謎
    http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html

    まず最初に山口県下関市の西端、関門海峡を目の前にする彦島から、奇妙な模様=「ペトログラフ」を刻んだ石が次々に発見された。

    解読を進めるにつれ、驚愕の事実がわかってきた。

    なんと、それは、シュメールの古代文字だったのである。

    更にこの後、ペトログラフは、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見された。

    このペトログラフの発見のニュースは、日本国内よりも海外でより注目され、高く評価されている。

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