誰が主人か覚えておきましょう。

選挙で棄権しときながら、後で文句言うなって言う声出ますよね。

 

選挙で棄権することは投票に行った人たちへ白紙委任したのとおなじってこと、わかっていないのでしょう。

 

今の政治に文句あるなら、与党の候補選ばなきゃいいだけなんです。

 

後は野党から、少しでもましそうなの選べば良いわけですよ。

 

居ないっていうなら、あなた出なさいよ、そう言ってあげたいですね。

 

選挙、棄権とか言って行かない人いるけれど、それ、はっきり言って責任放棄だよって言いました。

 

民主主義では、国と地方の全ての役人の雇用者は国民であり住民だからなんですよ。

 

選挙はね、面接試験みたいなものなんです。

 

有権者が誰を議員に採用するか決める、それが選挙なんです。

 

棄権はね、参加した人たちへの白紙委任とおなじ、そういうことです。

 

犬も役人や議員も、誰が主人かちゃんと示さないと自分が主人にならんとダメと思い込むことがあり得るのです。

 

それを防ぐには、誰が主人か毅然とした態度で示さないとダメなんです。

 

リードは短く持って、おかしな方、行って欲しくない方に行こうとしたら、強く引いて道に戻すの、リードを握るってことは主導権を握るってことですよ。

 

やり方は同じなんですよ。

 

日本人はしばしば、お任せ民主主義になりがちだけと、それって犬で言えば「どうそ権勢症候群になってください」って言ってるようなもんなのです。

 

だから、選挙の後でふんぞり返る議員も出る、そういうことですよ。

 

あれ、犬でいったら権勢症候群ですから。

 

あなたの主人は国民である、住民である私たちと教えること、これ、基本ですよ。

 

社会保障や社会政策をお上の慈悲だのお恵み扱いしてるうちは、必要な充実なんてまず無理ですよ。

 

民主主義国家では、国と地方の政治の担い手を雇ってるのは国民であり住民ですよ。

 

勘違いしてる議員や役人は、権勢症候群にかかったわんこと同じですよ。

 

誰が主人か、教えなきゃダメなのですよ。

 

大体ね、社会保障や社会政策の原点は、治安対策だったんですよ。

 

犯罪や暴動、政府転覆策動を防ぐために始まったと言って良いのです。

 

つまり政府に社会保障や社会政策の充実求めたいなら、デモや集会、野党への投票で圧力かけなきゃダメなんです。

 

今の日本人、大人し過ぎますよね。

 

損してますよ、ほんと。

 

ちなみにアメリカでは、災害の後の生活再建支援も日本よりも手厚いそうですよ。

 

なんたって、不満が暴動に繋がりかねないから、そういう動きを事前に封じるための施策は、日本よりも充実してるってことでしょう。

 

日本人も政治に不満があれば、ドンドン、デモや集会で意思表示すればいいんです。


最低賃金1500円実現をと言うと、払えない小さな企業はどうすると言う声も出てきます。

 

アメリカ合衆国ではすべての事業者に最低賃金の引き上げを実施させるために、大胆な予算を計上して、断行したと言います。

 

格差の深刻なアメリカ、実施にも格差となれば治安上問題出るからでしょう。

 

日本は治安上の問題まで行かないとしても、政権が持たないと言う危機感は持たせるくらいのデモや集会やらなきゃだめですよ。

 

そうでなければ、なめられます。

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聖書は誰の目線で書かれているか。

聖書に猫が出てこないと言う人もいます。

外典に位置付けられるエレミヤの手紙に、聖書では珍しく猫がでてきます。

エレミヤの手紙はバルク書の第6章として含まれることもあり、哀歌の後続の小編として位置づけられています。

偶像崇拝の馬鹿らしさを述べる文脈の中で、21節に゛その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。゛とあるようにバビロニアにも猫はいました。

ならば、古代のイスラエルやユダの王国に、猫はいなかったのでしょうか。

イスラエルの民は猫が大好きなエジプトに長い事住んでいた以上、猫の存在も、財産を守る猫の大切な役割も、知らなかったはずはありません。

エジプトを去る際、多くの財産とともに出発したことでしょう。

ならば、彼らの傍らに猫がいなかったと考える方が不自然ではないでしょうか。

にも拘らず、聖書にはエレミヤの手紙以外に猫の出番がありません。

しかし、ねずみはレビ記、サムエル記上、イザヤ書、ゼカリヤ書に登場します。

ねずみは地を荒す穢れた生き物として嫌われている事を思えば、大切な祭具や貯えや諸々の道具類を守るために猫を同伴していたか、ヤマネコの来訪を待ち望んでいた可能性があります。

ならば、なぜに猫の出番が聖書で巡ってこないかと言えば、答えはただ一つです。

聖書は歴史の記録書である以前に、聖典だからなのです。

古代イスラエルやユダヤに人たちがどんなに猫の可愛さにぞっこんになろうが、めろめろになろうが、ちゃんとした生活さえできていれば何の問題もないわけです。

これでもし、猫の可愛さにかまけて仕事がおろそかになった人が続出して由々しき事態にまで発展していたなら、神様も猫の構い方について説教をしたことでしょう
今でも猫はマイペースで、邪魔になると思えば自分から落ち着ける居場所を求めて避難します。

まして聖書の時代、猫の一番の任務はねずみ退治であり、猫の生活は縄張りの巡回か寝ているかのどちらかであったし、人々もまた日々の営みで忙しかったことでしょう。

人々の古代からの友として賞賛する人の多い犬でさえ、人々との係わりはほとんど記述はありません。

まして猫はマイペースで、人々のプライベートな寛ぎの時間の遊び相手になることが多いわけです。

町を歩いていて思いがけない場所で出会えれば運が良いと言える存在である猫に、聖書での出番が沢山ある方がおかしいのです。

聖書に猫の出番が少ない理由に、わざわざエジプトの事を持ち出すまでのことなどないと言えるでしょう。

聖書で犬の出番は確かに多いです。

出エジプト記、士師記、サムエル記上、サムエル記下、列王紀上、列王紀下、ヨブ記、詩編、箴言、伝道の書、イザヤ書、エレミヤ書、哀歌、ミカ書、マラキ書、マタイによる福音書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ピリピ人への手紙、ペテロの第二の手紙、ヨハネの黙示録と、犬の出番のない書を上げた方が早いくらいです。

だが、犬と犬好きに気の毒なくらい、聖書での扱いは芳しいものがありません。

それは、当時の犬は野犬が多く、家畜や旅人にとって危険な存在だったという事情もあるかもしれません。

けれど思い起こしてください。

今の私たちの諺でも、犬が出てくるもので犬の評価が高いものはどれだけあるでしょう。

それに比べれば、猫に関する諺の愉快で笑えるものは多いです。

それは猫が寛ぎの時間の遊び仲間だからでしょう。

出番が多い割に可哀想な扱いの多い犬に対して、エレミヤの手紙以外の出番はないが゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いです。

聖書は、人々に対して神への絶対的な服従を求める書の印象が強いかもしれません。

だが、神は人々にサタンではなく神である私を選びなさいと求めているのです。

神への服従は、神の命令ではなく、神の勧告なのです。

自由な猫と、服従の犬。

そう思って聖書を見れば、人々の自由な選びによる自らへの服従を粘り強く待ち続けておられる神の目線は、果たして猫と犬、どちらに近いでしょう。

コーランの神であるアッラーは、聖書の神と同じですが、古代エジプトの猫神ラーが正体かも知れません。

猫神ラー=アッラー=聖書の神エロヒムの構図に、神の子イエスを並べて見れば、親のエロヒムが猫神ならイエスは子猫ではないでしょうか。

エレミヤの手紙で゛猫まで″と猫は並みいる動物たちの中で別格扱いなのは、猫は別格な神の化身あるいは使者に準えて皮肉られているのではないでしょうか。

猫は象徴ではあっても、神の化身あるいは使者の当人ではないからです。

聖書を選択の自由を説く書として見るなら、自由な存在としての猫目線で書かれているからこそ不自由な選択の余地のない服従の象徴としての犬は可哀想なくらい評価が低いのかもしれません。

聖書が猫目線で書かれた書とすれば、猫の出番が聖書にほとんどないどころか、猫の聖典が実は聖書なのかもしれません。

ヨハネによる福音書1章1節にこうあります。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言葉とは、イエスの事です。

面白いことに、実際に猫はイエスのメタファーなのです。

これ、偶然でしょうか。

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古代中国のネコはどこから来た?

興味深い記事を見つけました。

泉湖村と呼ばれる地域は、浙江省や湖南省にもあるが、本文にある泉湖村は、おそらく、甘肃省酒泉市肃州区と思われます。

甘肃省は中国大陸の北西に位置し、西に新疆ウイグル自治区、青海省、北に寧夏回族自治区、内モンゴル自治区、南に四川省、東に陝西省と接しています。

黄河が省中央部を横断し、省域は西北に向かって長く延び、これを河西回廊といいます。

河西回廊は中国から西域への通路であり、唐代には中国の領域は嘉峪関で尽きるとされました。

嘉峪関は嘉峪関市の南西6kmに位置する河西回廊西寄りの最も狭隘な地にあります。

そこは2つの丘に挟まれた土地で一つは嘉峪山といいます。

城壁の一部はゴビ砂漠を横切っています。

嘉峪関市は中華人民共和国甘肅省西北部に位置する地級市で、市名は嘉峪関から命名されました。

嘉峪関の南は祁連山脈、北は龍首山と馬鬃山に面し、その地理的特色から秦漢代以後の歴代王朝はこの地域に兵力を集中させました。

甘粛省の辺りは、地理的にはシルクロードに沿った地域であり、5,300年前の中国に西方からネコとともに人々が来ていたことを示す興味深い資料となります。

 そうなると、この遺跡のイヌも当然、西方由来と考えられますね。

甘肃省は寧夏と同様、イスラム教徒の回族が多く、最大の都市である省都の蘭州はイスラム都市の観を呈しています。

チベット人の自治州が南部に、自治県が西北部にあります。

 チベットは日本とともに、古代中東の遺伝子であるYAP遺伝子があるのですよね。

この文章では、泉湖村のネコについては血統を突き止められるだけのDNAを見つけることができなかったとして、時期的には可能性があるとしながらもリビアヤマネコの血統に属していたという確信は得られていないと述べています。

だが、古代中東の遺伝子を持つ民族の地である以上、リビアヤマネコに属するネコの骨が今後見つかるかも知れません。

イヌについても、DNAを調べてもらいたいものです。

2013.12.18 WED

5,300年前の中国遺跡で「飼いネコ」を発見

ネコが人間に飼われるようになったプロセスを示す最古の証拠とされるものが、中国で見つかった。

老齢になるまで人間がエサを与えていたネコもいたようだ。

TEXT BY AKSHAT RATHI
TRANSLATION BY RYO OGATA/GALILEO

ARS TECHNICA (US)

http://wired.jp/wp-content/uploads/2013/12/a67f656d105df5e2e7f7746a6a54cf47.jpg

イエネコの祖先とされるリビアヤマネコ。画像はWikimedia Commons

ネコと人間の結びつきを示す最古の記録は、地中海のキプロス島で見つかっている。

キプロスで約9,500年前、幼いヤマネコが人間と一緒に埋葬されていたのだ。

また、エジプトの芸術作品やネコのミイラから、4,000年前までにはネコが人間の大事なペットになっていたことがわかっている。

しかし、それがどのように行われていたかを示す直接的な証拠はこれまでなかった。

「特にネコのような、単独で行動し、遺跡で発見されるのが極めてまれな動物については、人間に飼われるようになったプロセスを明らかにすることがこれまではできなかった」と、

ワシントン大学の研究者フィオーナ・マーシャルは語る。

同氏は、このほど中国中央部の遺跡である泉湖村(Quanhucun)で、その過程を示す証拠を見つけたと発表した研究チームのひとりだ。

マーシャル氏が中国科学院のヤオウー・フーらとともに『PNAS』に発表した論文によると、泉湖村では、約6,000年前から人間が定住していた。

考古学者らはここで、住居や貯蔵穴、陶器、そして植物や動物などの痕跡を発見した。

動物は、ネコやイヌ、シカなどだった。

骨の中の同位体から、その骨がどのくらい前のものであるかがわかる。

さらに、炭素と窒素の同位体の割合から、その動物の食生活がわかる。

見つかった骨は約5,300年前のものだった。

そして、食生活の分析から、イヌ、ブタ、およびネズミはもっぱら穀類を食べており、ネコは、穀類を食べる動物を狩っていたことがわかった(おそらくネズミだろう)。

遺跡の発掘では、ネズミが貯蔵穴の近くに住んでいたことがわかった。

これは、農民がネズミ問題を抱えていたということであり、その問題には、ネコたちが役に立ったかもしれない。

狩りよりも穀類で栄養を得ていたことを示すネコの骨も見つかっている。

これは、人間がネコに餌を与えていたと考えることができる。

また、老齢まで生き延びたネコの骨も見つかっている。

これもまた、人間がネコの世話をしていて、だから野生のネコよりも長く生きたということを示すと見られる。

現在のネコは、基本的にリビアヤマネコ(学名:Felis silvestris lybica)の子孫だとされている。

しかし、泉湖村のネコについては、血統を突き止められるだけのDNAを見つけることができなかったため、彼らがこの血統に属していたという確信は得られていない。

※米英独等の国際チームによる2007年の研究では、世界のイエネコ計979匹をサンプルとしたミトコンドリアDNAの解析結果により、イエネコの祖先は約13万1,000年前に中東の砂漠などに生息していたリビアヤマネコだとされた。

現在のリビアヤマネコは、アフリカ北部、中近東、アラル海までの西アジアに生息している。

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何故にドラ?

野良猫と、ドラ猫っていいますね。

 二通りの言葉があるのは、当然、それなりの理由がある。

野良は、野良猫、野良犬、野良仕事と、それほど悪い意味はないです。

 野にいると言う意味では、野巫(やぶ)という言葉がありますね。

野にいるとは、特にどこかに仕えているわけではない、どこかに所属しているわけではない、という意味もあります。

 野良猫、野良犬、野巫は、どこかに所属しているわけではない、ということですね。

それ以上の意味はないです。

 後は、屋内ではないという意味での、野。

だから、野良仕事という使い方もあるのでしょうね。

 野党は、屋内にいますけど。

この場合の野は、権力の座にいないとか、民間に降ったと言う意味ですから。

ただし、野猫(やねこ)というと野生化したイエネコのことをさすので、単に飼い主がいない場合には野良猫というべきでしょう。

また、野犬(やけん)というと飼い主のいない犬であるが、単に野犬というと野生化した犬を含むので、飼い主がいないと言いたいだけなら野良犬と言いましょう。

ところが、ドラは、ドラ猫、ドラ息子と、どうもあまり良い意味で使われないです。

さらに、野良と違って、ドラ犬とは言いません。

このドラに、銅鑼が語源という説が出るのは、興味ありますね。

 ドラ猫のドラは銅鑼が語源というけど、寺と神社の見分けがつきにくい場合、銅鑼があるのが寺、鈴があるのが神社でしょ。

 なぜ、ドラ猫というと、あまり良い印象がないのでしょうね。

僧兵といって、日本の古代後期から中世、近世初頭にかけて存在した僧形の武者がいました。

その名で連想できるように、主に寺社勢力に所属する武装集団です。

僧兵は、法師武者あるいは武装した僧侶を僧衆、悪僧と同時代でいうが、それを江戸時代以降呼称した言葉です。

ちなみに悪僧の「悪」は悪党の悪と同じで「強い」という意味合いがあります。

ちなみにこれに対し、神社に所属する武装集団を神人(じにん)といいました。

 そういえば、神社系の武士集団出身とみられる武将もいましたね。

今回は深入りしないけど、結構いますね。

日本以外にも、嵩山少林寺のように僧兵として武装集団を組織する仏教僧の集団がいました。

僧兵は、広義には武装した宗教集団を指すこともあって、その場合はヨーロッパの騎士修道会も含まれることがあります。

僧兵や神人が活躍した時代は、社会が乱れる一方でした。

広大な寺領・神領を有して経済的に豊かであった寺社は盗賊のみならず、さまざまな勢力によって狙われる危険性が生じたのです。

このため、こうした動きから寺社を防衛する武力を保持する必要が出てきます。

一見矛盾するように見える「寺院・神社の武装化」は、このような時代背景のもとに推進される事になるのです。

とはいえ、僧兵の横暴が朝廷の不安要素であったことがうかがえる出来事もありました。

京都・奈良の大寺院の雑役に服する大衆である堂衆が、自衛武装した僧兵が居ました。

堂衆が自衛武装した僧兵は、平安時代末期には強大な武力集団となり、興福寺・延暦寺・園城寺、東大寺などの寺院を拠点として、寺院同士の勢力争いや、朝廷や摂関家に対して強訴をくりかえします。

以仁王の挙兵では、平家とも争い、『平家物語』の武蔵坊弁慶などにも、その描写がみられます。

特に、南都の興福寺は衆徒あるいは奈良法師、北嶺の延暦寺は山法師と呼ばれました。

白河法皇は、天下の三不如意、つまり自分の意のままにならないものとして「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山の僧兵)」を挙げています。

中央から離れた地域でも有力寺社は軍事力を持ったり地元軍事力と結びつき、当時のパワーバランスに大きな影響を及ぼしていました。

源平の争乱の時には、熊野水軍を取り仕切っていた熊野別当にたいし双方から政治的な取引がなされた例などがよくしられています。

室町時代に、かつて義円と名乗り天台座主だった足利義教が、僧兵の軍事力と粗暴さを熟知しているため、延暦寺討伐に動き出して大規模の弾圧を実施しました。

 後年の織田信長も延暦寺の焼き討ちををやっていますね。

このような歴史があって、厄介な、持て余す、手を焼く、という意味で寺の事を遠回しに銅鑼と言ったのかも知れないですね。

 ドラ猫、ドラ息子と言って、犬には言わないですね。

困りものではあるが、余り邪険にも出来ない相手に使ったからでしょう。

 野犬が、野生に戻った犬だけでなく、飼い犬ではない場合を含むのは、危険を感じるので即座に処分も仕方がないと言う意味も込められている。

 だから、ドラを困りものの野良犬には使わない。

そうかも知れないですね。

どら息子のドラには、ほかにも、道楽、野良が訛ったという説もあります。

働き手、さらには跡取りとしての期待さえあったので、簡単には邪険にはできないだろうということで、今回は銅鑼語源説をとりました。

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少子化で、人格形成にも影響が出ていないか想ってみた。

猫や犬は、大勢と暮らせる子に育つにはどうしたら良いと思いますか。

生まれてからすぐ家族から離れた子は、大勢と暮らすのが苦手です。

少なくとも四ヶ月くらいまで、家族の下で兄弟姉妹とじゃれあいながら過ごした子は、大勢と暮らすのはそれほど苦手ではないです。

人間には、最近きれる子が多いと聞きます。

かつては、“きれる”というと“頭がきれる”、つまり、いろいろとよく気がつくということだったでしょ。

いまは、“きれる”ということは“堪忍袋の緒がきれる”、つまり、変化についていけずストレスがたまりやすいということだそうですよ。

こどもは、大勢の仲間とじゃれたり駆け引きしたりすることで、変化に機敏に反応したり、感情を上手に操ったり、じっとこらえたりする訓練ができるのですよね。

近頃の人間の子は、少子化で兄弟姉妹はいないは、近所の遊び仲間はいないは、思いっきりじゃれるに家は狭いは、空き地はないは、小さいときから塾通いだは、一人遊びが多いは、でしょ。

おまけに、近所の大人とのコミュニケーションも商店街や地域の人間関係の崩壊で途絶えがちではないでしょうか。

これって、無人島向きの人を量産中ってことでしょうか。

 犬猫もペットショップで売れるのは2ヶ月くらいの子がいいとかで、はやく母離れさせることが多いそうですよ。

 そうすると情緒不安定で虚弱な子が多いそうです。

こどもにとって何がいいか、大人はもっと成長しないと、いけないようですね。

 犬猫は集団で生活するための協調性を養うために、すこし大きくなるまで親や兄弟と一緒にいるほうがいいってのも聞いたことあります。

 一緒に遊ぶ中で学ぶことは多いはず。

 犬も猫も人間もそれは同じことですね。

どうしたらいいか、もっと多くの人が考えるようになる方がいいでしょうね。

 最近は小さい頃からコミュニケーションを取る相手が限られてる感じですよね。

 昔は近所の子と空き地で遊んでたんですが、だんだんとそういう姿を見かけることもなくなっちゃうんでしょうか…。

空き地そのものがほとんどないか、入れなくされてるのではないでしょうか。

 最近は、空き地でなんかあったら、責任問題とかになったりしちゃいますからね。

 大人は、責任のなすり合いですからね。

 あとあと問題になりそうなことは、最初からやらせない…。

 いいんでしょうかね。。

責任能力の低下、なのでしょうかねえ。

 ふんふんと納得しながら聞いてました。

 うちの犬も1ヶ月半でデパートのペットショップにいましたが、見知らぬ犬や人と全然仲良く出来ないので当ってます。

 まあ犬だしほとんど外出しないんで人様に迷惑はかけてないけど、これが人間だと確かに困りますね。

でも、人間関係がうまく結べないで困ったり、周囲とトラブルになったりしてる人、最近多いようですねえ。

 幼い頃から近所の大人や老人など年上ばかり回りにいる中で育っていると、同年齢の世代とどう付き合ったらよいか勘所がつかみきれないで悩む人がますます増えるでしょうね。

やはり、少子化対策は、ちゃんときめ細かくやって欲しいですねえ。

社会を支える世代の減少ばかりが注目されるけど、人格形成にも深く関わってきますからねえ。

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猫と犬に引かれた先はエジプト?

これまでにも、何回か触れてきたけどアイヌ語では猫を“チャペ”と呼ぶようです。

“チャペ”は、ローマ字だと“Chape”となるのでないでしょうか。

これを“Chap”と書き換えて見ます。

こう書いてみると、妙なことに気づくのです。

猫は、英語で“Cat”、フランス語で“Chat”、ドイツ語で“Katze”、オランダ語で“Katten”、ロシア語で“Koshika”、イタリア語で“Gatto”、スペイン語やポルトガル語で“Gato”、ハンガリー語で“Macska”などです。

 以前、フランス語との類似に注目したけど、綴りだけ見れば英語の“Cat”も何となく似てますね。

“ねこ”の呼び方はヨーロッパ全体を通して、明らかに一つの語源から、展開しているのが見て取れるでしょ。

 そういえば、エジプトでは、猫を“マウ”とも“オッタ”とも呼んでましたね。

今ではもっぱら、“オッタ”を使うようですね。

 ということは、“マウ”の方が古いのでしょうかね。

エジプシャンマウという、ネコ種の名前に名残をとどめているだけのようですね。

 そうなると、“オッタ”と猫を呼んでいた人たちが、ヨーロッパにもたらし、転化によって各国語に変化したと見て取れますね。

驚くほど、発音の雰囲気や綴りが似てますからね。

 こうやってみると、アイヌ語の“チャペ”はフランス語に近いことがよくわかりますね。

そういえば東北弁なまりまくりのシャンソン歌手、今は亡き淡谷のり子は、ある番組で、なんでシャンソンでなまらないのかと訊かれるとこう答えると言ってましたね。

“東北弁とフランス語は発音が似ている”と…。

 でも、語順は似てないのは、面白いですね。

語順まで似ていたら、もっと早くみんなが気が付いたでしょうけどね。

 英語も、アイヌ語の“チャペ”に綴りだけ見ると微妙に似てるけど。

こうしてくらべてみると、改めて、アメリカのケネウィックから出たアイヌとイギリスに二股かけた古代人骨とともにフランスやスペインの様式の鏃が出た意味が、大きいとわかりますね。

 特徴を抑えて書いた縄文人の顔が、フランス人女性にそっくりさんがいる男性タレントに激しく似ていて、しかもその縄文人も女性の顔でしたね。

男の顔は母親に似ることが多いとは聞くけど、描かれた似た顔がどちらも女性って、出来過ぎでしょ。

 でも、アイヌの生活文物が古代イスラエルに似ていて、イスラエル人は一時エジプトにいたでしょ。

“ねこ”は、エジプト語で“オッタ”、フランス語で“Chat”、アイヌ語で“チャペ”ですね。

 丸唇音から平唇音への変化が原因で、発音が変化したと見て、エジプト語からフランス語への転化は説明できそうですね。

フランス語からアイヌ語へは、こうしてみると、わずかな差に見えますね。

それに対しアイヌ語の犬は“セタ”で、ローマ字表記は“Seta”ですね。

面白いことに、古代エジプト語で犬は“セセム”だったそうです。

 現代エジプト語では、どうなのでしょ。

さあ、そういえば。

 調べてない。

うかつでしたね。

 でも、“セタ”と“セセム”、こうやって見るとほとんど変わってないことに驚きますね。

犬は、英語で“Dog”、フランス語で“Chien”、ドイツ語で“Hund”、オランダ語で“Hond”、ロシア語で“Sobachka”、イタリア語で“Cane”、スペイン語やポルトガル語で“Perro”、ハンガリー語で“kutya”などです。

つまり、ヨーロッパの言葉で言うと西欧の言葉に案外近い呼び方なのです。

 犬の呼び方でも、フランス語は比較的近くないですか。

 よくみると、“いぬ”のほうも“セセム”から転化していったと感じられそうですね。

 新人と呼ばれるクロマニヨンの名称が、発見されたフランスの地名に由来することをあわせて考えると、興味深いですね。

クロマニヨンも後期旧石器時代だから、ケネウィック人とともに見つかったフランスとスペインの様式の石器と、基本的には矛盾しないと見て良いでしょうね。

 定説で考えている時期との差の問題があるから、猫や犬との間に見える接点は偶然にしか感じ取れないかも、知れないけど。

特に問題となるのは、猫でしょうね。

ただ、2004年8月、キプロス島のシルロカンボス遺跡(shillourokambos)からおよそ9500年前の、人間の遺骨から距離が40センチしか離れていない猫の遺骨が発見されている点は注目して良いでしょう。

人間と共に埋葬されたこと、貝殻や磨かれた火打ち石、斧などの人工装飾品も同じ場所に埋められていたことなどから、この猫は偶然人間の墓場に迷い込んだのではなく、意図的に埋葬されたものだと考えられています。

後期旧石器時代は4万から1万3千年前と見れられているけれど、およそ9500年前となるとどちらも推定の域を出ない年代である事を思えば、ほぼ重なると言って良いかもしれないですよ。

ちなみに発掘された猫の遺骨は、現代のイエネコよりはリビアヤマネコに近い骨格をしていたといいます。

クロマニヨンは、主流派の学説ではそのまま現代人へと遺伝的に繋がっているとされています。

そして、現代人、特に欧州の人種とよく似ていると言うから、キプロス島の遺骨をクロマニヨンでなかったと判断する方が困難でしょう。

縄文時代は、年代でいうと今から約1万6,500年前というから紀元前145世紀から約3,000年前つまり紀元前10世紀、地質年代では更新世末期から完新世にかけて日本列島で発展した時代です。

約1万6,500年前から約3,000年前といえば、クロマニヨンとも十分重なります。

世界史では、中石器時代ないし新石器時代に相当する時代なので、後期旧石器時代は直前に当たり、日本でさらに発展させたと見ても問題はないでしょう。 

 味の好みは、日本とエジプトはほとんど変わらない。

 宗教の基本的構図も、太陽神を中心とした三神構造で、しかも動物神を含む多神教であることまで似てる。

 日本人の足で最も多いのは、エジプトタイプ。

さらに、犬や猫の呼び方まで、アイヌとエジプトで似ている可能性があるでしょ。

 特に犬。

顔立ちまで、濃い顔の人たちは日本とそっくりな可能性が大きいとくれば、日本とエジプトを親戚関係ありと見ないわけにいかないですね。

 トンカラリン遺跡と、大ピラミッドの内部構造の類似まで、吉村作治教授は指摘してますよね。

日本の神社建築は、建築様式を秦氏が持ち込んだとはいえ、あまりに古代エジプトに構成が似てます。

宗教の基本的構造の類似から言っても、違和感は全くない。

強いて言えば、偶像を置いてないくらいでしょうね。

建築素材の差を除けば。

 それと、賽銭箱もでしょ。

そうでしたね。

 日本の天皇さえも、地上の太陽神という構図はそっくりですよ。

天皇即位の儀式に立ち会う女性が居るけれど、古代エジプトのファラオの即位にも女性の存在が欠かせなかったでしょ。

 こうしてみると、古代エジプトから引っ越してきた人々が、日本人の祖先に見えてきますね。

日本とエジプトの親戚論まで、言いたくなりますね。

追記

津軽弁でも猫は “チャペ” と言うとの、情報を戴きました。

残念なことに、若い人はあまり使わないとか。

こうやって、貴重な言葉の情報は消えていくのですね。

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やはり日本人は欧米人に近い?

日刊工業新聞で、この記事を見つけました。

理研など、心房細動遺伝子6種を発見
掲載日 2012年05月08日
http://www.nikkan.co.jp/news/nkx1020120508eaam.html

 理化学研究所と東京医科歯科大学など日米欧の国際共同研究グループは不整脈の一種「心房細動」について欧米人の患者1万2088人を対象とした大規模ゲノム8全遺伝情報)解析を通じ、発症に関わる6種類の遺伝子を新たに見つけた。

さらに日本人集団との比較で、4種類の遺伝子が日本人と欧米人に共通していることを発見した。

 心房細動の発症には遺伝的要因の関与が知られており、発症メカニズムの解明に貢献すると期待される。

成果は米科学誌ネイチャー・ジェネティクス電子版に掲載した。

 グループは、欧米人の患者集団1万2088人(健常者の比較集団6万2456人)、日本人患者集団843人(同3350人)を対象にゲノム解析を実施した。

 心房細動の発症に関わる遺伝子は今まで3種類しか知られておらず、今回の調査で合計9種類が見つかったことになる。

遺伝子が日本人と欧米人との近さを示す例は、ほかにもあります。

ドイツ、フランス、およびその他の北ヨーロッパ諸国に先祖をもつ小児に集中しており、オランダにも報告例がある高IgD症候群。

地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人に現れる家族性地中海熱。

TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とも呼ばれる家族性アイルランド熱。

 この心房細動遺伝子に関する報告が、何系の欧米人といってるか、気になりますね。

ここでいう欧州は、おそらく主にかつて西側と呼ばれた諸国でしょうね。

 これまで名前が挙がっている国である可能性は、高い。

東欧を除く欧州の主要国は、今あげた中に大半入ってるでしょ。

 ギリシャやイタリアの名前がないのが、不思議なくらいですね。

地中海沿岸域というくらいだから、言うだけ野暮なのかも知れないですよ。

 家族性地中海熱は、地中海というくらいだから、ギリシャやイタリアは言うだけ野暮ねえ。

 そういえば、高IgD症候群では、その他の北ヨーロッパ諸国に先祖をもつといって、ひとまとめにしてますね。

その他というのは具体的には、どこの国なのか、気になるけど情報がなかなか手に入らないのではっきりしたことは言えません。

 それ、ちょっと残念。

秋田美人の肌の白さは、白人の血が入ってないとこうはならないと話題にしたこともありますよ。

 秋田犬の血液型分布も、欧州の犬に近いということでしたね。

 秋田犬が秋田美人を連れてきたのかって、ことですよね。

秋田美人が秋田犬を連れてきた可能性がある、でしょ。

 オオヤマネコも、ヨーロッパからアメリカ経由で日本に来たかもしれない。  

 日本からも骨が出てますからね。

少なくとも、いわゆるアジアを経由しているとみるのは、難しいですね。

ますます、イギリス人とアイヌに二股かけた容貌でフランスとスペインの様式の鏃を伴って見つかった古代人骨が、アメリカのケネウィックに存在していたことの意味は大きくなりますね。

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犬の癒し、猫の癒し。

犬は、心を解き放つが故に、人が嵌るのでしょう。

解き放った心の中で、犬を思い切り走らせる。

たとえば散歩をしなかった人が、犬が来ると外出するようになることって多いのではないでしょうか。

心の中にあった、これもしたい、あれもしたいという想いが、犬によって引き出される。

犬によって、自分がいつの間にか大きくなったという感覚が無意識のうちにもたらされる。

犬はどんなときも、自分の可能性を広げてくれるかけがえのない存在にいつの間にかなっている。

犬の癒しは開放感、心に生えた翼のような存在。

だから、人は犬を失うと体の一部を失った気がするのでしょう。

猫は、心の隙間に住みつくが故に、人が嵌るのでしょう。

入り込んだ心の隙間の中で、猫は気ままに振る舞う。

たとえば頑固な人が、猫を知ると前よりいつの間にか不思議と寛容になることって多いのではないでしょうか。

心の中にあった、全てを自分が決めることに疲れたという想いが、猫によって引き出される。

猫によって、自分で何もかも決めなくたっていいじゃないかという感覚が無意識のうちにもたらされる。

猫はどんなときも、自分の心に重荷が来ないようにしてくれるかけがいのない存在にいつの間にかなっている。

猫の癒しは脱力感、心のど真ん中のつっかえ棒のような存在。

だから、人は猫を失うと心に大きな穴が開いた気がするのでしょう。

そんな気がするのです。

こういう見方は、変でしょうか。


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縄文の犬とイスラエルの犬はどこかでつながる?

縄文時代の遺跡から、犬を抱いて葬られた人骨が見つかっています。

縄文時代は、年代でいうと今から約1万6,500年前の紀元前145世紀から約3,000年前の紀元前10世紀です。

イスラエルにある1万2000年前の遺跡から、人と一緒に埋葬された子犬の骨が発見されています。

縄文時代から日本にいると見られるアイヌに、生活文物が古代イスラエルと似るという声があります。

 だからって、犬と一緒の埋葬まで似るとは面白いにもほどある。

 そういえば、日本に残る中東の遺伝子は、いつごろに遡れるのでしょ。

 アイヌと古代イスラエルの生活文物が似ていることを思えば、縄文かしら。

エジプトと日本の、味の好みと宗教の構造の類似から言っても、縄文に遡る可能性は大きいですね。

 吉村作治の話ですね、エジプトと日本の味の好みが似てるって。

 太陽神を中心にした三神、動物神を含む八百万の神が共通。

 問題は、辿った道ね。

アメリカからは縄文土器にあまりに似た土器が出土し、考古学者たちをドキ!っとさせているのです。

そのなかには最近注目を浴びている、ボリビアの古代モホス文明遺跡も入っています。

カナリヤで有名なカナリヤ諸島には、かつて白い人が来たという言い伝えがあり、白い人のミイラが見つかっています。

ボリビアでは、アンデスの東側斜面にあたるユンガス地方でイランやインドの女性を表現したと見える銅製の頭部がでています。

 インド人からインド人に間違えないと断言されて困った人も、いるからね。

 中東のどこかの出身でしょうと、自信たっぷりに聞かれた人もいるし。

チチカカ湖畔からは、古代シュメール文字の一種かもしれない文字が刻まれた石製の大皿が見つかってるのです。

 日本スメル渡来説があるけど、ヨーロッパ・アメリカ経由かもしれない。

少なくともアメリカで出会っていないとは、言いきれないですね。
 
縄文の遺跡から、オオヤマネコの骨が出ています。

オオヤマネコは、ヨーロッパとアメリカのネコなのです。

 アメリカとの繋がりは、縄文を探れば探るほど出てきますね。

秋田犬の血液型パターンがヨーロッパに似ているというのがアメリカ経由なのか、気になるところですけどね。

 あの水が苦手なネコでさえ、ヨーロッパからアメリカを経て日本の可能性あるのでしょ。

オオヤマネコは、縄文人と海を渡ったと見ないと、ヨーロッパからアメリカや日本にいないのです。

 人との付き合いが長いイヌが、縄文人と一緒に来ない方が、不自然だと思うけど。

やはり、縄文人はヨーロッパを経て中東にまで、遡る議論が必要になるのかもです。

アメリカから見つかった、フランスやスペインの様式の鏃と一緒に、アイヌに似た骨が出ています。

そのアイヌに似た骨は、イギリス人の特徴を持っていました。

幕末に日本を訪れたヨーロッパ人の中には、日本にブリティッシュ的な顔がいると言っています。

ストーンサークルも、日本とイギリスから見つかっています。

 ヨーロッパ先住民のケルトと、日本先住民のアイヌ、似ているって比べたことありましたね。

アメリカで見つかったイギリス人に似た古代人骨、連想された人はケルトが多かった土地の人なのですよね。

 そのイギリスでケルトが多かった土地の人が、アイヌに似ている。

イギリスも、日本と似た文化の国ですね。

そのイギリスにも、ブリティッシュイスラエルを本気で考えている人がいますからね。

 縄文の遺跡の犬、イスラエルの遺跡の犬と、関係あるのかしら。

さあ、遺伝子で誰かが比べてくれないことには、どっちともいえないですね。

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日本とスキタイとゲルマンはアーリアでつながるか。

シベリアを征服して太平洋に到達したロシア人は、アイヌ人の風貌がスキタイ人に見えたという議論を立てる人がいます。

 でも、アイヌについては生活文物に古代イスラエルと似ているとの声もある。

一般にスキタイ民族はアーリア系と言われています。

実際は、多くの民族によって構成されていたといいます。

チンギス・ハーンのモンゴル帝国内では、モンゴル族以外にアーリア系白人をはじめ、中国の漢民族、そしてセム系のユダヤ人まで存在していたことが知られています。

騎馬民族は、チュルク系、モンゴル系、スキタイ系などと区分されているが、その境界はあいまいにされています。

それで、当時、スキタイ民族とイスラエル10支族は同盟関係、もしくは合流があったのではないかと推測する研究家がいます。

 じゃあ、セム系のユダヤ人がスキタイにいたから、古代イスラエルに似た生活文物を持つアイヌが、スキタイ人に見えたのかしら。

アイヌを始めてみたヨーロッパ人は、なんで日本にヨーロッパ人種がいるかと、驚いたそうですよ。

 確かに、アイヌに似た古代人骨がアメリカで見つかった時、イギリス人と似ていると思われ、フランスとスペインの様式の鏃が出ていたでしょ。

 そして、幕末の日本に来たヨーロッパ人の中には、ブリティッシュ的な顔がいるとの発言もあった。

 日本に日ユ同祖論があるように、イギリスにはブリティッシュイスラエルという議論がありますよ。

 イギリスは、日本と文化的な類似も多いし、英語に日本語とよく似た単語がいくつもあるという指摘もある。

 そのイギリス人と似ていると言われたのが、アイヌ的古代人骨よ。

スキタイ人は、手が長いのが特徴で、イギリス人は手が長く、スキタイ人の末裔かもしれないとの意見もあるですね。

セム系のユダヤ人がスキタイにいたから、古代イスラエルに似た生活文物を持つアイヌがスキタイ人に見えたなら、ユダヤ人に白人的容貌がいたことになるでしょ。

 スキタイは、アーリア系民族といわれるでしょ。

 ユダヤ人とアーリア系が、スキタイで混ざったとか、有り得ませんか。

選民思想のユダヤ人が、アーリア人と混血してアイヌになった可能性ですか。

アイヌは、縄文人の末裔と見られています。

そして、アイヌをたどるとアメリカ経由でヨーロッパへの道が見えてきました。

秋田美人の美白の謎を追うと、やはり、ヨーロッパが出てきました。

秋田犬や北海道犬のA型が多い血液型に、ヨーロッパとのつながりがみえるです。

さらに、縄文遺跡から出るオオヤマネコの骨までが、アメリカ経由のヨーロッパの道を指し示すのですよ。

 じゃあ、アーリアの血がアイヌに混ざるとしたら、ヨーロッパ。

アジアで主に展開したスキタイで、アイヌにアーリアの血が混ざる可能性は薄いでしょうね。

スキタイ人の中にアーリア系白人がいたから、ヨーロッパ人的容貌のアイヌがスキタイ人に見えたかもしれません。

人種学者のハンス・ギュンターのアーリアン学説では、「アイヌ人はアーリア人であり、日本人はアイヌ人の子孫である。だから日本人はアーリア人である」という議論が立てられていました。

もっとも、この議論はナチスに利用されたので、今ではあまり、触れたがる人がいないようですけど。

 理論は理論として、検証が必要。

そうですよ。

日本人にはゲルマンの血が間違えなく入っていると見る人もいるので、日独親戚論くらいなら立てても良いかもしれません。

 ドイツ人と日本人、気質の類似を言う議論も後を絶たないでしょ。

 ドイツ人も、日本人に親近感を持つ民族の一つですよね。

日本と、イギリスと、ゲルマン人のドイツは、ストーンサークルで繋がるかもしれないですしね。

もし、アーリア人がスキタイとアイヌの共通点と見るなら、アーリア人中東起源説を展開する必要があるかもしれません。

 アイヌの生活文物が、古代イスラエルに似ているからかしら。

アイヌ人の風貌が、一般にアーリア系と言われるスキタイ民族に見えるなら、そうなるでしょ。

アイヌ人はアーリア人という議論が、ナチス派人類学者の戯言と一笑に付すわけにいかなくなるかもしれません。

アーリアン学説自体は、近年になって言語学を初めとする各分野から科学的な反証が行われ、その信憑性を大きく失いつつあるともされますけどね。

明確にアーリアン学説を疑似科学であると厳しく批判する学者が大勢を占めた今日では、半ば棄却された仮説と言えるそうです。

そして今では、「アーリア人」はインドに移住してきたインド・アーリア人、イランに移住してきたイラン・アーリア人およびそれらの祖先のみを指す場合が多いです。

ところが、インド人にインド人と間違えられる日本人がいたり、インドのタミル語に日本語の起源という説が立ったりしています。

現在のイランを中心に栄えたペルシャ的な容貌の、日本人もいます。

中東のどこかという風にみられるのは、ペルシャが中東に大きな勢力を張ったからでしょうね。

さらに、ゲルマンと日本の類似も見える。

それでいて、日本人としての一体感もある。

なぜ、アーリアン学説が生まれたのか、批判的検証をしないで根拠が薄いというだけで頭ごなしに否定していいのですか。

もちろん、過去のアーリアン学説の丸呑みは危険ですけどね

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