ヨーロッパ

縄文犬はどこから?

私はこれまでにも、秋田犬や琉球犬や北海道犬などが実はヨーロッパの犬と起源が近いのではないかと見てきた。

そして、縄文時代に遡らないと説明が付かない可能性を追求してきた。

東アジアの中で日本人の遺伝子は突出してヨーロッパに近いが、その原因となったのが縄文人だからである。

 

和犬とも呼ばれる日本犬には、現存するものちしては6種類が知られている。

犬種名    大きさ

秋田犬   (あきたいぬ)      大型犬

甲斐犬   (かいけん)         中型犬

紀州犬   (きしゅういぬ)     中型犬

柴犬        (しばいぬ)          小型犬

四国犬      (しこくけん)      中型犬

北海道犬    (ほっかいどういぬ) 中型犬

 

四国犬は、以前は土佐犬と呼ばれたが土佐闘犬との混同を避けるためこう呼ばれるようになった。

 

面白いのは柴犬だけが、特定の地域名がないことだ。

実は柴犬とは、類似の特徴を持つ複数の地犬の総称である。

 

信州柴犬  (しんしゅうしばいぬ)

川上犬   (かわかみけん)

美濃柴犬  (みのしばいぬ)

山陰柴犬  (さんいんしばいぬ)

縄文柴犬  (じょうもんしばいぬ)

 

信州柴犬は、現存するほとんどの柴犬のルーツといわれている。

日本で飼育されている柴犬の、実に99%が信州系だ。

ピンと立った耳や丸まったしっぽ、被毛の色といった、現在の柴犬にも共通する特徴が引き継がれている。

 

信州川上犬とも呼ばれる川上犬は、長野県南佐久郡川上村に伝わり、保護育成されている小型日本犬の一種である。

信州柴犬がタヌキ顔なのに対し、川上犬はオオカミ犬に近いのが特徴である。

山がちな地形である信州は、異なる系統の柴犬が生息してきた興味深い地域といえる。

 

複数の地域で飼育されてきたために特定の地域名のない柴犬だが、縄文柴犬もまた特定の地域名がない。

縄文柴犬は、あまり知られていないと思うが新しい犬種ではない。

縄文柴犬は、縄文時代の遺跡から出土した犬の骨格・頭骨や額段が浅いなど、良く類似し、世界的に見ても珍しく、原種性が維持された日本の犬だ。

縄文柴犬と呼ばれるが、縄文時代の縄文犬(じょうもんいぬ)と混同しないように注意する必要がある。

というのは、縄文犬の特徴を受け継いでいると言われるのは現生の日本犬では柴犬のほか、北海道犬、琉球犬などのほかに、カナダ原産のラブラドールレトリバーもいるからだ。

縄文柴犬は、縄文犬の特徴を受け継いでいる犬種の一つなのである。

柴犬の中でも特に縄文柴犬が、縄文犬に近いということなのだろう。

 

縄文犬の分布がアメリカ大陸にも及ぶのは興味深いが、縄文人の分布もまた環太平洋規模の可能性があると明らかになりつつある。

 

そして、その縄文縄文人の遺伝子がヨーロッパに近い、正確に言えば共通の祖先に近いと言える。

 

犬の分布から、日本人のルーツを探ると面白いことが見えてくるかもしれない。

 

秋田美人とヨーロッパ?

 

秋田犬とヨーロッパ

 

北海道犬や琉球犬もヨーロッパから来たか。

 

縄文の犬とイスラエルの犬はどこかでつながる?

 

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日本語とラテン語は同祖なのだろうか。

与謝野達著『ラテン語と日本語の語源的関係』は、言語研究の専門家に言わせるとトンデモ本の類らしい。


だが日本は家族性地中海熱という遺伝病のアジアの飛び地であり、東アジアで最も欧州寄りの遺伝子の飛び地であり、食文化も地中海世界に近く、ラテン系に黒髪が多いのは偶然か。

ついでに言えば、日本人のルーツについて考察すると日ユ同祖論とか日本シュメール同祖論のようなものが出るくらい西方がいたるところで顔を出す。

この本も、差し詰めその類とみていいのかもしれない。

イタリア映画のエキストラの顔を見ると日本人に似た人が多いし、最近ではテルマエ・ロマエの実写化でローマ人を全員日本人が演じたがローマっ子が違和感がないと太鼓判を押す。
ラテンのノリと大阪のおばちゃんのノリ、妙に近いと思うのは勘違いだろうか。

日本語は単語に男性名詞や女性名詞がないところは英語に近いが、動詞の変化形の多さは欧州の言語に負けないし人称代名詞にいたっては欧州の言語より多いが複数と言う共通点もある。
日本語は複数の言語が混ざった点では、成立の経過が英語に近いのかもしれない。
日本人のルーツは、複数指摘される。

英語のBE動詞に近い用法の「は」は、かなりさかのぼれる。
一方でテニヲハの助詞は、時代を下って現れる。
文字による記録が始まる時点で、男性名詞や女性名詞がないということはこの前に現代日本人と日本語の基本は成立したと言える。
これは、比較的に近い言語の間で混交が起きたとみるべきか。

英語と日本語の成立の変遷を比べてみると、その過程は母国語の国風化の歴史と見ていいのかもしれない。
つまり、日本語の成立を探る要素分解をするならなるべく古い言語同士で比較する方が良い。
古代中東で分化した現代人の祖先で西に行った欧州人と、東に行った日本人と見たらどうだろうか。

日本語は古代ユーラシア語に、複数の言語が混交して成立したのかもしれない。
日本人の遺伝子は、極端に東アジアの中でヨーロッパに近い。
日本語にラテン語に近い要素があっても、そう思えば別に不思議ではないのかもしれない。
つまり、日本語ラテン語同祖論があってもいいのかもしれない。

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熊野の海洋民族も沖縄の民もどこから来た。

熊野の地にいた海洋民族は、故地を海のかなたと見ていたと言う。
その方向は東方であり沖縄でも故地を東方としていることを思えば、熊野の海洋民族も沖縄の民も同じ方向に故地を見ていることにことになる。
そこにあるのは、アメリカ大陸だ。
熊野の海洋民族も沖縄の民も、アメリカ大陸から来たのだろうか。
だが、羽衣伝説はアジアにもあり熊野などの海洋民族はアジアから来たのではと言う説もある。
アメリカ大陸で、羽衣伝説はあるのだろうか。
やはり、沖縄と熊野はルーツの地は違うのか。
謎が多い。
それでいて、沖縄とウタキと呼ばれる祭祀場の文化を共有している。
海沿いに沖縄から来たとしたら、熊野などの海洋民族も沖縄の民もルーツは同じ可能性を見ていいとなる。
羽衣伝説はフランスやカナダや南米のガイアナにもあり、羽衣伝説を共有しているからとアジアばかりにこだわると本来の姿の姿を見失う。
やはり、最初の直感である熊野などの海洋民族と沖縄の民の共通のルーツをアメリカ大陸に見ると言う見方を追求してみるか。

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粘り強く対話するのが平和への一番の近道だ。

アセアンとヨーロッパの差は、地域の大国と周辺諸国との歴史的な関係の違いがありそうだ。
アジアでは古代から地域の大国である中国と周辺諸国は華夷秩序が作られていたが、ヨーロッパでのロシアは祖国防衛の戦いを通じて大国になったので常に周辺諸国とは緊張関係があったのではないか。

中国の文化や文明は交流の中で育まれ、一定の基準ができたら今度は継承と発展の段階をたどっている。

それは王朝が交代しても続いているが、支配の正当性を主張する手段としてつかわれるからだ。

中原の文化的な優越が、やがて周辺諸国との華夷秩序となっている。

それに対して、ロシアの大国への道は覇権のためと言うよりは防衛線を少しでも遠方に設定することが目的になっている。

周辺諸国との距離を取ることが、安心と安全の確保につながるからだ。

それで、確保した地域の離反には常に警戒をすることになる。

何としてでも、獲得した地域は領土にとどめておきたいのだ。

その結果、これらの地域の動きには神経質にならざるを得ない。

ロシアが常に周辺諸国を軍事行動で威嚇や牽制をするのは、周辺諸国との信頼関係がちゃんと作られてこなかったからだ。
まずは、アセアンを見習って対話の習慣つくりを粘り強く進めるしかないのではないか。

相互の理解には時間がかかるのだから、まずは対話の習慣を根付かせる取り組みを粘り強く続けるしかない。
それには、敵意のないことを態度で示すしかない。
だから、握手やハグなどの挨拶のやり方が生まれたのだ。

まずは、周辺諸国の側からロシアとの信頼関係を築く根気強いアプローチが必要なのだ。

手始めに、ロシアの言い分にじっくりと耳を傾けるところから始めるしかない。

辛抱強く、ひたすら聞くのだ。

どうすればいいのか、ロシアが自分で気が付くまでね。

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日本の家族性アイルランド熱の謎。

日本にはTNF受容体関連周期性症候群(TRAPS)の家族性アイルランド熱の発症例があるんだけど、何か関係あるのだろうか。

考古学的な調査によれば、ストーンヘンジが建設されたのは紀元前2500年から前2000年頃であることが判明している。

先史時代の日本(縄文時代)とイギリスには、「ストーンサークル(環状列石)」を作るという不思議な共通点があるという。

日本は縄文時代だったストーンヘンジが作られたとされる約5000年前、実は私たちの国にも同時期に作られたストーンサークルが存在する。

例えば、秋田県にある「大湯環状列石」や「伊勢堂岱遺跡」だ。

天文に関連するストーンサークルや、死者の遺骨を納めるストーンサークルなど、数千年前のイギリス人と日本人は不思議なほどに似たものを作っているのだ。

もちろん、当時の人たちがお互いに交流したことはないはずだ。

にもかかわらずこの2つの文化はただ島国で暮らしていたという以上に、イデオロギーが似ているのだそうだ。

何千キロも離れているにもかかわらず日本の縄文土器や土偶などの品々が、イギリスと日本のコミュニティ間の類似性についておそらく想像以上にイデオロギー的に近かったと私たちに教えてくれるのは興味をそそられる。

ここで気になるのは、アメリカのケネウィックで見つかっている石器人の骨だ。

顔はケルト人の多い地域のイギリス人に似ているがアイヌの親せきで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さっていたという。

フランスとスペインの様式の矢じりと言うなら、アメリカ大陸とヨーロッパとの間で交流があったとみていい。

近年の研究で、最古のアメリカ大陸先住民は日本人である可能性が高まっている。

縄文文化の環太平洋的な広がりも、確認されつつある。

まさかとは思うけれど、縄文人と古代のイギリス人はどこかで接点があるのだろうか。

彼らが、日本人に家族性アイルランド熱の遺伝子を持ち込んだというのか。

日本人にはそれ以外にも、ヨーロッパと共通している遺伝子由来の病気がある。

イデオロギーの意外なほどの類似も指摘されるとなると、ここには一体何があるのか。

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お互いを知ろうとする忍耐と寛容のいる取り組みを馬鹿にして平和が作れるわけがないと気が付く方が良い。

東南アジア諸国は軍事ブロックを解消したばかりか中国も含む対話の枠組みを作りそれなりに維持しているのに対し、ヨーロッパ諸国は軍事ブロックを残しロシアも含む対話の枠組みを作りながら形骸化させてしまったのはなぜだろうか。
考えてみたい。
面白いのは東アジアでは古代に政治的にも経済的にも中華文化圏があったが、ヨーロッパではスラブ文化圏という形はあったが政治的や経済的なロシア文化圏は古代から現代まで一度もなくロシア大国主義との距離を模索する歴史ばかりだったように見える事だ。
そしてスラブ文化圏は、ほぼ東欧圏と重なる。
ロシア大国主義の厄介なところは、ロシア民族はスラブの民族の一部である事、ある意味政治的に切り取られた国土の産物という側面がある事だろう。
ロシア民族とは、輪郭線が非常に曖昧な民族と言える。
そのために周辺諸国と軋轢を生みやすいともいえるが、だから絶え間ない対話でガス抜きがいる。
ロシアとヨーロッパの平和は、絶え間ない相互理解のための対話でしか確保できない。
聞きたい事があれば間髪入れないで質問出来る関係は、絶え間ない対話の場があってこそ可能だ。
軍事的な意図が無いならば、平和的で開放的な施設や設備であると相互の交流を受け入れて示さなければならない。
ロシアから見れば、アメリカとの軍事同盟であるNATOと事実上一体に感じられるEUの拡大は、アメリカの銃が目の前に突き付けられたのと大差ないのだ。
平和を望むなら、ヨーロッパとロシアは対話の場を一切の条件抜きで作るしかない。
誤解を解くための、終わりなき対話の継続だけが平和を作る。
信頼して欲しいなら、疑いを晴らすための努力を惜しまない事しかない。
納得できると言うのは相手の判断であり、自分ではない。
説明は、あなたが信頼できるとわかった疑って悪かったと相手が言うまでやめてはならない。
平和とは、忍耐と寛容の産物なのだ。
一方戦争は、不信と不寛容の産物だ。
そもそも、人と人は過去の歴史も経験も違う以上完全に分かり合えるなんて幻想に過ぎない。
忍耐と寛容で相互の信頼を築き合った関係の中でこそ、平和的な関係は作れる。
国と国も、基本は同じだ。
背景となる歴史も文化も言語も違うから、相互の理解がより難しくなっているだけなのだ。

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猫は侮れません。

今回は、ちょっと寄り道です。
興味のある方だけ、どうぞ。
欧米で猫をイエスのメタファーと見る文化があるのを、ご存知でしょうか。
Jesus cat で検索すると結構色々出てきます。
メタファーとは、あるものの性質を丸ごと使って例える事です。
古代エジプトで猫は、様々な形で最高神とされた太陽神ラーと結び付けられました。
聖書の神エロヒムのヘブライ語の綴りはアラーとも読めますが、コーランではアラーは唯一神とされます。
これ、偶然でしょうか。
ちなみにイスラム圏で猫は大事にされるが、ムハンマドが大のネコ好きだっだからだそうです。
それはさておき、聖書での犬に関する記述は芳しくないものが多いのにお気付きでしょうか。
イエスのメタファーが猫なら、御父は親猫って事になりませんか。
そう思って読むと、なるほどねと妙に頷きそうになります。
口語訳聖書を使っている皆さんは知らないでしょうけど、聖書協会から出ている共同訳や新共同訳には旧約聖書続編として「エレミヤの手紙」が収録されています。
その中で猫は、「猫さえ」「猫まで」と記されます。
事態の及ぶ範囲がある限界にまで達することを表すのが、「さえ」や「まで」です。
偶像崇拝の場に様々な動物が登場しますが、その最高位として猫が現れるのです。
旧約聖書続編扱いという事は、この文章の時点ではイエスはまだ明かされていないでしょうから「神の言葉としての」つまり預言者としてのイエスのメタファーとなるでしょう。
もちろん、このイエスの代理に成りすました猫は偽預言者となるでしょうが最高位の預言者の成りすましである点に注目です。
黙示録には獣とありますが、その獣はイエスに匹敵する大預言者に成りすましたとんでもない輩です。
エレミヤの手紙に出てくる獣は皆、メタファーです。
黙示録の偶像崇拝の場面は、ひょっとしたらこんな光景なんでしょうか。
お暇な方や、興味のある方は、図書館やネットで「エレミヤの手紙」読んでみてください。
短いので、すぐ読めます。

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琴の起源は?

サルタリーやサルテリー、プサルテリー、プサルタリー、プサルタとも呼ばれるプサルテリウムとは、木箱に24本のピアノ線を張った楽器を指します。

ギリシャ語ではプサルテリオンと呼ばれるこの楽器は、共鳴箱に弦を張った単純な構造しています。

中世ヨーロッパ12~15世紀に各地に普及していたようです。

形は台形や長方形などいろいろあります。

古い絵画を見ると、胸に抱えて指ではじいていたり、膝の上で弾いていたり、弓を使ったりで奏法も様々だったようです。

より大きな音を求められるようになったプサルテリウムはやがて、鍵盤を用いるハープシコード、ハープシコードはさらに打弦楽器のピアノへと姿を変えていくことになります。

プサルテリウムはまた、ハンマーで叩く打弦楽器のダルシマーの仲間達を生み出していきます。

日本語聖書では琴、英語聖書では欽定訳として知られる King James Bibleはプサルタリー(psalteryあるいは複数形psalteries)近年の訳ではハープ(harp)となって、主に詩編でよく登場します。

プサルタリーは一度はすたれた古楽器で、20世紀になって古い音楽演奏のために復活し、今では様々な大きさがあるようです。

プサルタリーは、近代の英訳聖書にあるようにハープと訳されることがあります。

ハープシコードの起源となったことからもわかるように、携帯できる弦楽器としての展開もあります。

竪琴や巨大化した据え置きのハープ、ギターやバンジョーやウクレレの仲間達、琵琶や三線や三味線、バイオリンやチェロ、あるいは馬頭琴や二胡や一弦琴の仲間達など、プサルテリウムの子孫は多様な展開を見せます。

とは言えプサルテリウムの子孫で、おそらくはご先祖様の姿に一番近いのは今日も日本に残る琴の仲間達でしょう。

ではなぜ、プサルテリウムは形は変わったとはいえ日本で今日まで残ったのでしょう。

もちろん琴は分類上はチターとも呼ばれるツィターの仲間なので、外国にも仲間達はいます。

中国の古琴(グーチン)や古筝(グーチェン)、朝鮮の伽耶琴(カヤグム)や玄琴(コムンゴ)や牙筝(アジェン)、ヨーロッパではアルプス特にオーストリアのツィター、フィンランドのカンテレなどです。

朝鮮は日本への伝達ルートとして、残っていても自然でしょうね。

歴史が非情にも消し去る場合もありますけども。

ヨーロッパで面白いのは、山岳地帯に主に残っている事です。

こういう地域は、古い文化が残りやすいからです。

中世文化の置き土産でしょうね。

もっと遡れば、ローマ帝国までいけることでしょう。

となると、プサルテリウムの子孫たちが生き残ってる地域とは、古代中東文化の影響が残っている地域という事でしょうか。

中国や朝鮮や日本の琴の仲間達はツィターの仲間達の中でも、プサルテリウムの原形に近いと言えます。

特に古代中東やギリシャやローマに近い生活様式が残っているのは、日本でしょう。

何しろ明治まで椅子の生活は、不思議な位普及しなかったのです。

朝鮮にまで来ていたにも、関わらずです。

古代ギリシアやローマには、椅子の生活文化は何故かありません。

上層階級に至るまで、ないのです。

もちろん古代のイスラエルやユダにも、ありません。

日本も基本的にはなかったと言えるでしょう。

高御座のような例外はあったとしてもです。

古代イスラエルは遊牧民が作った国家でした。

では、古代ギリシアやローマは、そして、日本は、どうだったのでしょう。

気になるところです。

追記

関連記事です。

チェンバロの起源を考える。

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旧石器時代人の遺伝子は何処に近い可能性があるか。

日本人の遺伝子を全体としてヨーロッパよりに引き寄せているのは、縄文人であることがわかってきました。

 

そこで気になるのは、さらに前の石器時代人です。

 

旧石器時代を生きた日本人としては、港川人が知られています。

港川人の名は、沖縄県具志川村港川遺跡から出土した日本でもっとも保存状態のよい旧石器人骨から付けられました。

港川人は、出土地層から約2万年前と推定されています。

顔の彫りが深く、手足が長い特徴は、縄文人と通じることから、これまで縄文人の祖先ではないかという位置づけがされてきました。

となると、彼らの遺伝子を調べれば縄文人同様にヨーロッパよりの特徴が見つかりそうに思えます。


ところが、CTなど最新の技術でみつかった当初の復元のゆがみを補正すると、むしろ縄文人とは異なる特徴が顕著だと言います。

現代人と比べると、むしろ、オーストラリア先住民やニューギニア人に近い風貌となりました。

 

これは、面白いことになってきました。

 

旧石器時代人はオーストラリア先住民やニューギニア人に近い風貌であるにもかかわらず、現代の日本人の遺伝子はヨーロッパ寄りなのです。

 

縄文人は旧石器時代人を圧倒する大勢力で、日本に乗り込んできて日本人の遺伝子をヨーロッパ寄りに引き寄せてしまったのでしょうか。

 

だとしたら、旧石器時代人の遺伝子を相当程度薄めることができる大勢力が縄文人であったか、旧石器時代人の人口は相当少なかったか、どちらかでしょう。

 

しかしながら、それはかなり非現実的な設定であるように感じられます。

 

遺伝子の調査結果を待つ必要はあるだろうが、旧石器時代人の遺伝子もまた、ヨーロッパ寄りであったと見た方がより自然でしょう。


何しろ、縄文人の遺伝子はヨーロッパ寄りだが、その程度はアジアの民族の中では飛びぬけているのです。

 

石器時代人の遺伝子もまたかなりヨーロッパ寄りだったとすれば、縄文人と石器時代人の比率がどうあろうとも、日本人の遺伝子をヨーロッパ寄りにした縄文人の遺伝子の特徴にあうことになるでしょう。


日本人には古代中東の遺伝子もまた、あると指摘されます。

 

古代中東の遺伝子はどの程度の頻度で見つかるかにもよるが、かなり高い場合には、縄文人、さらには、石器時代人の可能性さえも考える必要が出てくるかもしれないのです。

 

石器時代人の遺伝子がいつ解読されるか、そして、どのような結果が出るか、注目したいです。

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古代アメリカで日本人のご先祖様は何をしていたのでしょうね。

「紀元前のアメリカ」バリーフェル著喜多迅鷹・元子訳草思社刊

 

私はこの本にしょっぱなから強い衝撃を覚えたのです。

 

アメリカ大陸から、旧大陸のそれもヨーロッパや地中海世界の人達が石に残した碑文がいくつも見つかっているというのです。

 

 「碑文は、ヨーロッパおよび地中海沿岸のさまざまな言語で、今から二五〇〇年も前のアルファベットで記されており、そこから、古代の船の来航ばかりでなく、ケルト人、バスク人、リビア人、さらには、エジプト人までもが、永住の植民地を作っていたことがうかがえる。」

 

さらに本書の中にはこのような記述まであるのです。

「それは、ハロルド・スターリング・グラッドウィンで、その数多い著作の中で、くり返し、文化的様相や客観的資料、とくに陶器に注意を喚起し、アメリカ原住民は旧世界、とりわけ地中海やオリエントと比較的近年に接触を持っていたに違いないと主張した。彼が注目したさまざまな技術様式の特徴は、旧世界と南北アメリカ間に、約紀元前二千年前の古典時代まで、直接の航海がなされていたことを示すものであった。」

 

ハロルド・スターリング・グラッドウィンのこれらの主張は今アメリカで市民権を得つつあるようです。

 

ではなぜ私が衝撃を受けたのか。

 

ケネウイックで見つかった人骨に原因があります。

 

当初、イギリス人の骨発見で事件との関連が疑われたが、この骨はケルト人が多い地域のイギリス人の物と思われたのです。

ところがフランスとスペインの様式の矢じりが一緒に見つかり石器時代の人と判明、さらにアイヌの親戚の骨と判明したのです。

 

ケルト人の多いのはアイルランドだが、日本には家族性アイルランド熱の発症例があります。

フランスとスペインは地中海沿岸だが、これらの国は名前こそ発症例にはないものの、家族性地中海熱の発症例も日本にはあるのです。

 

フランスやスペインによく似た顔の日本人も、少なからずいます。

ある芸能人など、縄文人とフランス人それぞれにそっくりさんがいることが判明しました。

縄文人の顔を復元して書いた人も、まさかこんな展開になるとは予想していなかったことでしょうね。

 

縄文土器とよく似た土器が、南米のエクアドルにあるバルディビアで発見されたのです。

ところがこの土器にエジプトの方が似ているという、異論が出ているといいます。

バルディビアでは、日本の土偶とよく似たものまで見つかっているというのにです。

バルディビア出土の土器にエジプトと似ているという人は、日本の縄文土器を黙って見せたら同じ事言うのか、聞いてみたいものです。

 

エジプト研究者の吉村作治教授は、日本の神社の様式のルーツは古代エジプトのピラミッドコンプレックスにあると、指摘しているのです。

吉村作治教授は、熊本のトンカラリンとエジプトのピラミッドとの共通点もいくつか指摘しています。

 

バスク人についても面白いことがあります。

キップリングが送った長崎からの手紙に、不思議な内容があるのです。 

バスク人に似た青年のひく人力車に、乗ったというのです。

バスクと言えば石担ぎ競技が有名だが、日本でもかつて石を担いで力比べしたことを記念する石はあちこちの神社に見つかります。

 

本書からあげた中で、今のところ日本で見つかっていないのは、リビアくらいのものです。

 

日本人の骨は、アメリカ大陸で言えば、メキシコからも見つかっているそうです。

 

最近の展開としては、アメリカ大陸最古級の住民は日本人だったのかもしれないとなっているそうです。

 

ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、これらの人々はアメリカ大陸の奥地まで進出していることがわかってきました。

 

古代アメリカで、日本人のご親戚たちは、ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、と言った人たちと、どんなお付き合いしていたのか、滅茶苦茶気になるところです。

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