ヨーロッパ

欧米のキリスト教のイスラム感を考えて見た。

もっともっと、日本人も宗教に関心を持って欲しいのですけど。

世界の中で宗教にまったく無関心な人は、実は少数派ではないでしょうか。

中国だって一皮むけば、昔からの宗教に関心持って暮らしている人の方が多数派と聞いています。

熱心に信仰しているかどうかは、別ですけどね。

日本がイスラム過激派の怒りのターゲットに晒されないためには、欧米のキリスト教圏とイスラムとの歴史的な諍いから距離を置くことが大事ではないでしょうか。

 イスラームが正しい発音だそうですが。

ここでは一般的なイスラムで通します。

せっかくイスラムの人たちから信頼されているのだから、この立ち位置を活用しようとしないならはっきり言って、大馬鹿ものですね。

イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会の人たちとの、ネットを通じての交流で、堕落した欧米のキリスト教に見切りをつけた若者を中心とした人たちが案外簡単に改宗するのはなぜなのか真剣に考えない限り、欧米のキリスト教世界はイスラム過激派の怒りのターゲットに晒され続けるでしょうね。

フリードリッヒ・ニーチェの『アンチクリスト』に示されるところまで堕落したからこそ、ムハンマドやジョセフスミスジュニアが原点回帰を呼び掛けるように聖書の神から召され、欧米のキリスト教圏の人たちから、イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗が出るわけですね。

 既存のキリスト教会は、そこがわかってないってことね。

欧米のキリスト教圏の人たちのイスラムに対する反発の裏には、ユダヤ教やキリスト教が堕落したので原点回帰を呼び掛けるべく聖書の神からムハンマドが召されたというイスラム側の言い分にもあるかもしれないですよ。

ムハンマドが啓示を受けた西暦610年代には、西欧がすでにキリスト教化しているわけですから。

313年にミラノ勅令は、当時は西方正帝であったローマ皇帝コンスタンティヌス1世と同じく東方正帝であったリキニウスの連名で発布されたと言われているのです。

一般に、全帝国市民の信教の自由を保障した内容とされるこの勅令は、実在そのものや、真の起草者について疑問視する研究者もいる代物ではありますけど。

勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発したのです。

これを受け当時西方正帝でのちに単独皇帝となるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布したものです。

特にキリスト教を挙げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認したわけです。

392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされたのです。

 で、これ以降、欧州世界のキリスト教化が進むことになるわけね。

そして、キリスト教は主に欧州世界を中心に広まっていくのですよね。

つまり西暦610年代ムハンマドが原点回帰を呼び掛けた堕落したキリスト教とは、まさしく欧州キリスト教にほかならないってことです。

そもそも、ミラノ勅令はキリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって発布されたわけです。

欧州世界での拡大と定着は権力と言わば二人三脚で進んでいったと言え、キリスト教の堕落はローマ帝国のころから実質的に始まっていたとみて良いのかもしれないですね。

しかし、ほとんどの欧州キリスト教の人たちには自分たちが教えを堕落させた自覚はほとんどないってことで、彼らにとってムハンマドははっきり言って邪魔者だったかもしれないです。

欧米のキリスト教圏の人たちから見れば、ムハンマドはアブラハムの系譜かも知れないけど、イサクとヤコブの系譜ではないわけです。

傍系イシュマエルの子孫であるムハンマドの預言者としての正当性を、彼らは認めたくないのかもしれないですね。

 認めれば、改宗せざるを得ないでしょうからね。

ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会のジョセフスミスジュニアも、御父と御子からじきじきに、今のキリスト教宗派は全て間違っているからイエスの時代の教会を復活させるように召されたと主張しているのです。

そのために、既成のキリスト教からは、末日聖徒イエス・キリスト教会も煙たがられているのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会の教説には、既存のキリスト教に真っ向から異を唱える内容が並んでいるのです。

御父と御子と聖霊は三位一体ではなく個別の存在であり一心同体となり一致団結して人々の救いと導きに日夜心を砕いておられるとか、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのも原罪ではなく人類が選択の自由を用いて神の道を選んで再び成長して帰ってもらいたいという御父の願いによるものであったとか、御父の救いの計画は生者だけではなく死者にも及ぶとかです。

 これらの言い分を認めたら、既存のキリスト教は末日聖徒イエス・キリスト教会に合流するしかなくなるわけだから煙たいわけね。

アダムとイブについていえば、裸で嘆きながらエデンの園を追われる絵があまりにも有名だけれど、聖書には神は彼らに皮の衣を着せたことがちゃんと書かれているのですよ。

 絵で一目でエデンの園からの追放とわかるために、裸で追われる構図にしたのかもしれないけど、嘘は嘘よねえ。

余談ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会には、職業としての聖職者はいないです。

イスラムにも職業としての聖職者は、恐らくいないです。

イスラムで聖職者に当たるのはウラマーと呼ばれる人々ですが、イスラムの建前としては神と人との間に仲介役を入れる、あるいは信徒間に階級差を設けることを嫌う傾向があり、ウラマーは聖職者ではない、とか、イスラムには聖職者はいない、と主張されてるのです。

一方、既成のキリスト教では、大抵の教会で職業としての聖職者がいるのです。

 イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会を選んだら、既成のキリスト教の聖職者の職探しは大変ね。

末日聖徒イエス・キリスト教会には職探しやその間の生活を支える仕組みがあるし、イスラムにも助け合いによって支えてくれる体制があることでしょうから、全てを神の御心に委ねて祈るなら道は開けることでしょうね。

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欧米のキリスト教に思うこと若干。

ネットでイスラムになびいちゃう欧米の若者が結構いると聞いて、へえって思ったことがある。

モルモンへ改宗する欧米の若者も、ネットでモルモンの会員とやり取りする中で改宗を決意する人が結構いると言う。

ネットの力、意外と馬鹿にできないって思う。

 

欧米の若者でイスラムに惹かれる人が出る背景には、欧米のキリスト教に対してコレジャナイ感が大きいことが挙げられるかも。

既存のキリスト教会からモルモンへの改宗も結構あると聞いたことある。

 

カトリックもプロテスタントも、魂の救済にとどまらず、生き方を求めて祈る信仰へと軌道修正しない限り、欧米の若者たちの教会離れも止まらないし、ISに足元を掬われてしまう若者たちも引き留めることなんて絶望的なまでに出来ないと思い知った方が良いのではないか。

 

カトリックの堕落を批判したプロテスタントもまた堕落したが、生き方を求める信仰に軌道修正することは魂の救済に胡坐をかいてきた生き方の全否定であり当然苦痛を伴う。

すでに得ている魂の救済の既得権益を脅かす輩が、気に入らないと言うわけであると言うことなのか。

そこに気付こうとしないのだとしかみえないのは、気のせいだろうか。

 

だが欧米の既存のキリスト教徒の多くは、若者たちをISにとられたこととイスラムにとられたことを短絡的に混同する傾向さえあるように思う。

彼らはイスラムを知らないばかりか知ろうともしないように思えるのは、とても悲しい。

キリスト教にいちゃもんをつけて喧嘩を売った、けしからん異教徒としか見ようとしないようだからだ。

違うだろうか。

 

旧態依然の欧米のキリスト教は魂の救済は説いたが、どう生きるべきかは説かなかった。

イスラムもモルモンも仏教も、どう生き、どう考えるべきかを彼らに示した。

ISに若者を取られたくないなら、既存のキリスト教も生き方を生き方を模索している若者に応えようとするべきだ。

 

現在、米国の仏教徒は約3百万人を数え、全米人口の1%に当たる。

ヨーロッパでも約100万人いる。

キリスト教徒と比べれば、仏教徒の数はまだマイナーだ。

しかし、伸び率だけに注目するなら、キリスト教徒をはるかに上回る。

なぜそうなるのか。

彼らは生き方を求めているのだ。

 

モルモンへの改宗者もまた生き方を求めて、既存のキリスト教会に別れを告げた人たちである。

既存のキリスト教は信ずれば救われると説くが、どう生きるべきか指し示す力がない。

ただ救いを求めてすがる人たちばかりと、言って良いかもしれない。

受け身ばかりと言えるだろう。

 

トリックへの反発からプロテスタントが生まれたが、今欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れが深刻と言う。

維持がままならなくなり、手放される礼拝堂もかなりあると聞く。

だが、心の支えや拠り所を求める人は実は多い。

Isの誘いに乗ってくる若者は、心の隙間で足元が掬われてしまった人が結構いると言う。

さもありなんと言うべしだろう。

 

欧米では既存のキリスト教への幻滅から宗教離れも多いと聞くが、どう生きるべきかの悩みは多くの若者が普遍的に抱えている課題。

ISの誘いに乗ってしまう欧米の若者が多いのは、旧態依然の教会の体質に問題があると私は見る。

だがどっぷり浸かり込んだ人にはそれが見えてないのではないか。

 

FW・ニーチェの「アンチクリスト」も、欧米のキリスト教の現実への幻滅からキリスト教そのものの否定に走った典型だが、欧米の若者も既存のキリスト教への幻滅から改宗希望者が多いのかも知れない。

だから、イスラムやモルモン、仏教などに惹かれる人が結構出るのかも。

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ラスコー壁画と鳥人。

フランスの世界遺産の一つに、クロマニョン人が残した壁画で有名なラスコー洞窟があります。

この壁画自体も何が目的なのかという謎があるのですが、描かれている物にも謎があります。
何を意味するのか分からない記号などもそうだが、壁画唯一の人物が鳥頭の男性と言うのも、謎の一つです。
鳥人と思える鳥頭の男性が、何のために描かれているのか不明なのです。
ラスコー洞窟壁画の鳥人が、何のために描かれているか謎になってしまったのは、研究者たちがラスコー付近の住民の文化の範囲内で解釈を探しているからでしょう。
古代社会は、もっともっとグローバルな世界だったはずなんですけどね。
そこで、視野を広げると答えが見えてくるはずです。
鳥人の傍らには、傷ついて腸がはみ出ているように見えるバイソンがいます。
これは何らかの祭祀を行っているシャーマンではないかと見ることも、できるようです。
すぐそばに描かれている二本の投槍器のうち一つは、頭に鳥の形が付いています。
この絵で連想できるのは、鳥がしばしば天と地を繋ぐ存在として宗教では位置付けられていることです。
この鳥頭の男性は、裸体に見えます。
そして、男性器は勃起した状態で描かれています。
裸体表現は、その人は地上ではなく霊や神々の世界の住民であることを示すことがよくあります。
ギリシャ神話の神々もたいてい裸体で表現されるし、ブラジルのカーニバルも本来は人が神や霊の世界の存在との交流のために共に踊る儀式として裸体で行う行事だったようです。
ブラジルのカーニバルは観光資源化してしまったために衣装を着ることになったが、上級者になればなるほど肌の露出が増えるのも、かつて裸体でおこなれていた時代の名残なようです。
つまり、裸形で鳥頭の男性は、天と地を繋ぐ霊会の使者としてバイソンを屠っているのかもしれません。
牛は聖獣として扱われることが多い動物です。
牛は、聖獣であるがゆえに、神への捧げものとして屠られることも多く、その証拠に犠牲と言う字には牛偏が付いています。
ラスコー壁画唯一の人物である鳥人は、神に日頃の恵みへの感謝とこれからもよろしくお願いしますという気持ちを届ける犠牲として聖獣であるバイソンを屠る儀式をしている可能性はあり得ます。
鳥人に扮した裸形の男性が男性器を勃起させて描かれているのも、自然の豊かな恵みへの感謝と子孫繁栄祈願として、牛屠りの儀式を行っていると見れば、納得できるのではないでしょうか。
ラスコー洞窟は、神聖な儀式の場として用いられていた聖なる空間だったのかも知れません。
そう言えば、古代中東のミトラス神はフリジア帽とも呼ばれるフリギア帽がトレードマークの牛屠りの神だが、ひょっとしたらあの帽子は鳥の変形なのかしらと、ふと思ってしまいました。
もちろん、恵みへの感謝と子孫繁栄を祈願してバイソンを屠っている鳥頭のシャーマンと、太陽神で世界創造の業のために聖なる牛を屠っているフリギア帽のミトラス神と、設定は違います。
けれど、ミトラス神は起源はわからないくらい古い時代からの神ですからね。
牛屠りの鳥人祭祀の意味が忘れられて、フリギア帽と着衣のミトラス神に代わってしまった可能性はないのでしょうか。
一つ疑問が解けたと思ったら、新たな疑問が、浮かんでしまいました。

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琉球王国とローマ帝国とオスマン帝国!?

琉球新報で気になる記事が掲載されていたのです。

勝連城跡から

ローマ帝国時代コイン 

オスマン帝国時代も出土

ローマ帝国時代のコイン
オスマン帝国時代のコイン

 【うるま】うるま市教育委員会は26日午後1時半から市役所で会見を開き、市勝連にある世界遺産「勝連城跡」内で、ローマ帝国とオスマン帝国時代のコインが発見されたと発表した。市教育委員会は「中世から近世初期の遺跡からは、国内初になるものだろう」とし、日本史だけでなく世界史研究などに大きく寄与すると分析している。

 調査はエックス線検査や専門家らによる鑑定などの方法で行われた。コインにはローマ文字やアラビア文字、人物像があることが確認された。

 コインが持ち込まれた経緯や使用方法などについては、今後の研究課題としている。

 発見されたコインは鋳造製の銅貨計10枚。そのうち4枚は3~4世紀代のローマ帝国時代、1枚は1669~79年に製造されたオスマン帝国時代のコインと推測される。そのほか5枚の年代については調査が進められている。

 確認されたコインのうち、ローマ帝国時代のコインは直径最大2センチ、重さ3・6グラム。一方、オスマン帝国時代のコイン直径は2センチ、重さ1・2グラム。

 市教育委の横尾昌樹主任主事は「勝連城が西洋との接点があったことは確かだ。勝連城の廃城後の歴史は分からないことが多々あり、今後の解明につながる貴重な資料になる」とした。

 会見に出席した島袋俊夫市長は「沖縄のグスク時代における勝連の流通、交易を考える上で重要な資料。世界史研究全般の研究に大きく寄与する発見となる」と研究の成果を評価した。
【琉球新報電子版】


東アジアの国で、ローマ帝国との強いつながりが指摘されるのは新羅です。

ローマ文化王国‐新羅 由水 常雄 (著)と言う書を知った時にはびっくりしたけど、今回の記事はそれ以上に驚いてしまったのです。

百済・新羅・高句麗のいずれも、日本に亡命しているくらい、日本とは繋がりが深いです

新羅を介してのローマ帝国と琉球の繋がりは、気になるところです。

さらに、オスマン帝国時代のコインまでと言うことは、貿易立国であった琉球の交易範囲の驚くべき広がりへの想像を掻き立てられます。

今後の調査は要注目です。

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日本にとって天皇制はどういう意味を持つか。

天皇制については、古代から続く前世紀の遺物と見る人も多いです。

 

確かに古代から続くシステムには違いないが、アジアの多くの国が古代のリフレインから抜け出せなかったのに、なぜ日本は違ったのかと言うことです。

 

多くのアジア諸国の王との決定的な差は、天皇はいわば日本版教皇ともいうべき立場であったことなのです。

 

祭政一致的な国家の最高権力と言うなら、アジア諸国の王の多くはそうでした。

 

だが日本の天皇との決定的な差は、天皇が教皇的な最高祭司に祀り上げられてしまったことなのです。

 

教皇的な最高祭司に祀り上げられた結果、天皇は執権の任命権者として君臨、時代の変化に応じた執権を自在に任命できたのでした。

 

執権のおおもとの意味は、政務を執行する者と言うことです。

 

執権は歴史的な用語として知られているが、ここでは一番基本的な意味で用います。

 

余談ですが、キリスト教世界の教皇は近代国家成立以降国家の執権に当たる人々を認証する役目から外れてしまったが、日本の天皇は今でも総理大臣や内閣の認証を形式的な儀式だけになってしまったとはいえ続けています。

 

これは、天皇が日本国成立の時から日本の中心として君臨し続けてきたのに対して、教皇はヨーロッパ諸国がキリスト教化したことによって精神世界の頂点に位置付けられたことやキリスト教世界が東方正教会やカソリックやプロテスタントに分裂したことと、おそらく無関係ではないでしょう。

 

本題に戻ります。

 

多くの国々の場合、権力の交代は国全体のリセットとなってしまい国家建設の成果の蓄積は事実上できませんでした。

 

日本は天皇制が維持できたおかげで、国家の一貫性が保たれ、国家建設の成果の蓄積が可能となったのです。

 

これは、天皇制の好き嫌いに無関係に認めざるを得ない事実なのです。

 

天皇制が日本史の展開の上で果たしてきた役割の大きさを思うとき、天皇制の廃止はすなわち、事実上の日本史の断絶となるでしょう。

 

果たしてそれが、日本にとって吉と出るか凶と出るかは誰にもわかりません。

 

ただ、天皇制の廃止をすることになれば日本史を貫いてきた大黒柱を失うことは紛れもない事実と言えるでしょう。

 

日本がもしも天皇制の廃止に踏み切った場合、代わりとなる国家の大黒柱を確固として打ち立てていく事ができるのかが、問われる事態となるかもしれません。

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生粋の日本人にこだわる意味ってあるのでしょうか。

生粋の日本人って言う人がいるけど、島国日本は太古に大陸からわたってきた祖先の子孫の国なんですよね。

先住民の縄文人、最新研究によるとヨーロッパとアジアの人種や民族が分かれる以前の人たちの子孫だと判明したらしいです。

勿論、縄文人の祖先たちが旅立った場所はその場所は中東のどこかってことになるわけです。

当然、弥生人も大陸出身です。

日本には、百済や新羅や高句麗からの亡命者や秀吉が朝鮮出兵で連れてきた朝鮮半島出身者もいるけど、日本人の遺伝子の主流に中国や韓国・朝鮮と同じものはないのです。

面白いことに、ほとんど中国や韓国を迂回したルートかシルクロードが日本人のアジア横断ルートとして浮かび上がってくるのは興味深いことです。

シルクロードと言えば面白い伝承が中央アジアのキルギスにあり、肉好きはキルギスに残り魚好きが東に向かって日本人になったと言うが、それくらい彼らは日本人に似ているのです。

キルギス人はテュルク系民族だが、トルコ人もその一派です。

キルギスもトルコも、日本人が驚くくらい親日らしいから、面白いんですよね。

それと、日本はアジアにおけるヨーロッパの遺伝子病の飛び地でもあり、しかも、その広がりは、結構ヨーロッパの広範囲に及ぶのです。

これも、ヨーロッパとアジアの人種が分かれる以前の人たちの子孫が縄文人と知れば納得できるわけですね。

何しろ日本人の遺伝子分布をヨーロッパ寄りにした原因は縄文人と判明しているのですから。

それに、アメリカ大陸の先住民も縄文人とご親戚であることが、遺伝子研究でも裏付けられたし、縄文土器や古代日本人の骨もアメリカ大陸で見つかっているのですよ。

古来日本人は、ワールドワイドな移住をしてきたことがどんどんわかってきたのです。

生粋の日本人とかこだわる方が、馬鹿馬鹿しいってことなのですね。

太古、日本人は世界を股にかけて壮大な旅をしてきた民族であることが、これからもどんどんわかってくることでしょう。

そのことを世界に積極的に発信して、世界に平和を呼びかけ各地に古代の日本人の足跡探ししようじゃないですか。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と言う憲法前文と、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言している憲法9条はその時、最大のパスポートになるはずです。

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和え物について考えてみた。

行きつけのお店で、デザートを頼んでみました。
シェフが挙げた本日のデザートの中に、あれっと思うものがありました。
イチゴのサラダ...。
 
気になって頼んでみました。
日本人の奥さんと結婚して日本に住んでる外人シェフ、どんなもの出してくるんでしょ。
デザートで、サラダってと思っていたら、スプーンを出してきました。
しばらくして、おもむろに出てきたのは、ブランデーグラスの中にきれいにカットされて盛り付けられたイチゴ…。
下はカスタードプディングみたいで、イチゴには、これまた、イチゴのアイスがきれいに丸まって乗っていて、かわいらしくまとまっています。
自分で和えながら食べてくれというわけです。
確かに、サラダは和え物です。
カットした野菜などを、ソースに絡めて食べるのがサラダだから間違ってはいません。
もちろんのこと、おいしくいただきましたが、ふと、こんな考えが浮かびました。
 
和え物文化圏ともいえる地域って、あるんでしょうか。
 
それほどいろんな国の料理食べたことがないので、うっかり断言出来ないけど、ありそうな気がします。
でも、アジアでは、日本以外で和え物ってあるのかしら。
 
カットした野菜などを、ソースに絡めて食べるのが、和え物であり、サラダだとしたら、アジアでもあるように感じるけど、ちょっと待ってくださいね。
 
ウィキペディアでは、調理法の「和える」が独立項目として立てられていますが、゛和える"は英語で゛Dress"なので和える調味料はDressing"になるわけです。
ところが、項目としての゛Dress"は衣装、とりわけ女性服になってしまうし、゛Dressing"だと調味料になってしまいます。
 
つまり、調理法の「和える」は日本サラダ史の一ページとして、認識される必要があり、リンクを貼る先の項目は、「サラダ」ということになります。
 
ところが、サラダに分類される料理は、世界各地のものが認識されているけど、日本の和え物は盛り付け方による見た目の問題でしょうか、それとも、ソースの問題なんでしょうか、サラダとしては認識されてはいないようなのです。
 
和え物は調理法としては、まぎれもなくサラダです。
 
そして、サラダが食卓でなじんでいる国や地域は現在では、ヨーロッパやアジアを中心に日本を含め、現代では世界に広まっています。
和え物はサラダという形で世界にあるにもかかわらず、独自の展開ゆえにサラダとして認知されてこなかった日本の和え物。
 
もっと、ジャパニーズサラダとして日本人も和え物を認識して、世界に紹介していってもいいような気がします。
 
余談ですが、和え物はいつごろからあるんでしょうね。
 
御浸し、ひたし、ひたし物とも呼ばれるおひたしとは、調理法の1種で、出しに浸す過程より派生した調理名です。
出しに浸す工程は省かれることも多く、単に茹でた食材に醤油をかけたものも、おひたしと呼ばれます。
 
この出しに浸す工程の省かれたおひたしを、醤油にからしや山椒、出しや味醂などを加えて和えたり、醤油と基本的に同じ工程でできる味噌で和えたり、おからや、さらに、ケシの実や大根や青豆などをすったもので和えたりと、変化をつければ和え物になるわけです。
 
サラダも基本的には塩で和えたものから、多彩に展開したのでしょうか。
もしかすると、塩ゆでする代わりに、塩で和えたところからサラダは出発したのかも知れないですね。
塩は貴重なので、軽くふりかけて野菜などがしんなりして食べごろになるまで和えたのかも知れません。
 
塩といっても、ミネラルを含んだまろやかな甘みのある自然塩ですから、実は醤油と見た目は違っても実際には似たものといっても、間違えないように思えます。
やがて、多種多様なドレッシングが工夫され、今のようなサラダへとなってきたのでしょう。
 
ひょっとすると、味噌や醤油とは、自然塩の代用として編み出されやがて独自の展開を遂げたために起源が忘れられているものなのかも知れません。
 
そうしてみると、実は、サラダも日本のおひたしや和え物も、共通のルーツを持った料理なのでしょうか。
日本のおひたしや和え物は、日本人のたどってきたどんな歴史の証人なのか、改めて気になります。

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蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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日本人は原アジア人に意外と近い?

2014年、縄文人の核DNAの解析に成功しました。

 

縄文人の細胞からは、これまでミトコンドリアのDNAしか解析されてこなかったために、母方の遺伝情報が手に入っていただけだったが、これで両親の遺伝情報が手に入ることになります。

 

現代日本人の遺伝子分布は、東アジアや東南アジアの分布から大きく離れていることがわかっています。

 

弥生人の核DNAに関する情報はまだないが、おそらく、東アジアや東南アジアの分布からはそう遠くないと見られてるので、現代日本人の遺伝子分布がアジアの離れ小島になった原因は縄文人にあると見られていました。

 

縄文人の遺伝子分布は、現代日本人よりもさらに東アジアや東南アジアの分布から遠くにあることがわかり、これまでの推測が裏付けられました。

 

縄文人の核DNAを比較検討して決着がついたのは、縄文人の系統樹上での位置付けだったのです。

 

縄文人は東アジアと東南アジアのどちらの特徴も見つかるので分類は困難を極めていたが、核DNAは何と原アジア人の生き残りが縄文人であったことを明らかにしました。

縄文人は東アジアと東南アジアが分かれる以前に、原アジア人から分かれていたことが分かったからです。

 

DNAはまた、縄文人がウェービーヘアの二重瞼で耳垢が湿っていたことも、示していました。

これはどちらかと言えば、ヨーロピアンやアフリカンに近い特徴と言えます。

 

そしてこれは、遺伝子間の距離からも裏付けられました。

 

現代日本人の遺伝子はアジアの中でもヨーロピアンに近いが、縄文人はさらにヨーロピアンに近いのです。

 

ヨーロピアンやアフリカンの祖先よりも東に向かったグループが原アジア人となったと見られていたが、縄文人が原アジア人の生き残りの可能性が見えてきたことで、それが確からしいことがさらにはっきりしてきました。

 

縄文人と一口に言っても多様性も一方で見つかるので、複数の場所から来たか、複数の回数来たか、という二通りの解釈が可能となります。

 

けれど、縄文人はあまりにも現代の東アジアや東南アジアとは違い過ぎるので、アジアルートを想定するとしたら原アジア人から東アジア人や東南アジア人が分かれるはるか以前に日本に渡っている必要があり、可能性はかなり低いと見た方が自然でしょう。

 

むしろアメリカ先住民と日本先住民はともに古モンゴロイドと見られてきたが、近年のDNA調査でも裏が取れつつあり、さらにアメリカのケネウィックやメキシコから古代日本人の骨が見つかり、縄文土器も南米から見つかります。

ケネウィック人はフランスとスペインの様式のやじりを用いていたこともわかっているし、南米の縄文土器にエジプトの影響が強いと指摘する声もあります。

 

縄文人の多様性は環太平洋縄文文化圏がもたらしたと見る方が無理がないし、縄文人の祖先は仲間の原アジア人が東に向かったのに対して西に向かい、地中海世界を横断、大西洋を渡ってアメリカ大陸経由でさらに太平洋を航海して日本に来たと見るのがこれまでの情報から照らしても一番無理が無いように思えます。

 

何しろ日本は、アジアにおけるヨーロッパの遺伝子に由来する病気のほとんど唯一ともいえる飛び地なのですから。

 

おまけに日本は、古代中東の遺伝子が大量に残っている土地だが、原アジア人の生き残りである縄文人の遺伝子を少なくとも2割は受け継いでいるのが日本人とすれば、全ての辻褄があってきます。             

 

日ユ同祖論やスメル渡来説は、ノアの洪水を史実と認めて、はじめてタイムスケールがあってくる説と言えます。

 

日ユ同祖論の言い出しっぺがキリスト教圏の人物であったことを思えば、面白い事ではあります。

もっとも、はじめは失われた十支族が日本に来ていると言う説から始まっているので、ユダヤ人が日本人のルーツとまでは、言ってなかったですが。

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日本の食卓を覗くと地中海が見える?

この前、野菜炒めの残り半分を、ちょっと気分を変えたくてたまたま買ってあったルバーブのジャムであえて見たのですよ。

 同じ食卓の上で、甘い惣菜が他の惣菜と一緒に並ぶってことは、ヨーロッパ、とくに北欧じゃまずないよ。

 まして、せっかく塩コショウで味付けしたのにジャムなんかであえたら、びっくりするからね。

ルバーブは野菜なので、ジャムとは言っても日本の食卓にありがちな甘めに味付けした惣菜に近いと思ったから、やってみたんでして。

野菜同士だから、あんまり、違和感なかったですよ。

それに、甘いものを食べる食文化は、世界中にあるでしょ。

 甘いものを他の惣菜と一緒に出すと、外国人、特に欧米はデザートと食事が同時に食卓に並んだと言って、戸惑うことが多いんだから。

 野菜炒めをジャムであえたりしようもんなら、ものすごくびっくりするからね。

甘いものがほかの惣菜と一緒に食卓にのぼる食文化って言ったら、日本のほかにどこがあるかと言うと…。

 地中海ですよね。

地中海沿岸っていうと、日本人そっくりな顔の人がいっぱいいますよね。

 そうそう、いっぱいなんてもんじゃないよ。

 それは、日本には地中海沿岸の人達そっくりな顔をたくさん見かけるって事にもなるわけね。

 外国の友人から、日本ってアジアの国なのになんでヨーロッパ顔が多いのだ、あなたの顔はアジア的だからアジア人とあってるんだって納得できてほっとする、って言われたよ。

そう言えば、日本はアジアでも珍しい家族性地中海熱の発症例が見つかる国なんですよね。

遺伝性疾患だっていうのに。

 ケネウィックで、フランスとスペインの様式の矢じりが刺さったアイヌや琉球にそっくりな古代人骨が見つかっているんでしたよね。

南米エクアドルのバルディビアからは、縄文土器が見つかったと驚いてる人もいますね。

 エジプトの方が似てるって、言う人もいるけどね。

それを言ったら、日本の縄文土器は古代エジプトの土器に似てることになっちゃうでしょ。

日本人の足で一番多いのは、エジプトタイプだし。

 エジプト考古学の吉村作治は、日本とエジプトは食の好みが似てるから長期滞在でも食べ物で困らないのは助かるって、言ってますよね。

秋田美人の美白の理由の一つに、白人の血が混ざってないとそうはならないって話もありますね。

 秋田犬の血液型のパターンまで、ヨーロッパ犬に似てると聞いた時は驚きましたよ。

秋田って、けっこう、体つきがしっかりした白人的体形、多いですよね。

世界三大美女はクレオパトラ・楊貴妃・ヘレネなんですよね、世界的には。

クレオパトラとヘレネは、ギリシャ美女なんです。

楊貴妃も白人的な体つきと容貌なことは間違えないので、ギリシャ美女の可能性はありそうです。

そうなると、日本でだけヘレナの代わりに秋田小町をいれてるけど、彼女は秋田美人なんですよね。

 秋田小町は秋田美人で、秋田美人は白人的っていうことは、秋田小町も白人的美人ということかしら。

日本にはギリシャ的な顔の人は結構いるけど、日本人の足でエジプトタイプに次いで多いのはギリシャタイプですからね。

 となると、秋田小町もギリシャ風美女だった可能性ありって事でいいのかしら。

 世界的美女はみんな、ギリシャ風ってこと…。

野菜炒めをルバーブのジャムであえた話から、脱線しまくり…。

 あ、ほんと…。

じゃ、この辺で、この話はいったん切り上げってことで…。

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