ヨーロッパ

旧石器時代人の遺伝子は何処に近い可能性があるか。

日本人の遺伝子を全体としてヨーロッパよりに引き寄せているのは、縄文人であることがわかってきました。

 

そこで気になるのは、さらに前の石器時代人です。

 

旧石器時代を生きた日本人としては、港川人が知られています。

港川人の名は、沖縄県具志川村港川遺跡から出土した日本でもっとも保存状態のよい旧石器人骨から付けられました。

港川人は、出土地層から約2万年前と推定されています。

顔の彫りが深く、手足が長い特徴は、縄文人と通じることから、これまで縄文人の祖先ではないかという位置づけがされてきました。

となると、彼らの遺伝子を調べれば縄文人同様にヨーロッパよりの特徴が見つかりそうに思えます。


ところが、CTなど最新の技術でみつかった当初の復元のゆがみを補正すると、むしろ縄文人とは異なる特徴が顕著だと言います。

現代人と比べると、むしろ、オーストラリア先住民やニューギニア人に近い風貌となりました。

 

これは、面白いことになってきました。

 

旧石器時代人はオーストラリア先住民やニューギニア人に近い風貌であるにもかかわらず、現代の日本人の遺伝子はヨーロッパ寄りなのです。

 

縄文人は旧石器時代人を圧倒する大勢力で、日本に乗り込んできて日本人の遺伝子をヨーロッパ寄りに引き寄せてしまったのでしょうか。

 

だとしたら、旧石器時代人の遺伝子を相当程度薄めることができる大勢力が縄文人であったか、旧石器時代人の人口は相当少なかったか、どちらかでしょう。

 

しかしながら、それはかなり非現実的な設定であるように感じられます。

 

遺伝子の調査結果を待つ必要はあるだろうが、旧石器時代人の遺伝子もまた、ヨーロッパ寄りであったと見た方がより自然でしょう。


何しろ、縄文人の遺伝子はヨーロッパ寄りだが、その程度はアジアの民族の中では飛びぬけているのです。

 

石器時代人の遺伝子もまたかなりヨーロッパ寄りだったとすれば、縄文人と石器時代人の比率がどうあろうとも、日本人の遺伝子をヨーロッパ寄りにした縄文人の遺伝子の特徴にあうことになるでしょう。


日本人には古代中東の遺伝子もまた、あると指摘されます。

 

古代中東の遺伝子はどの程度の頻度で見つかるかにもよるが、かなり高い場合には、縄文人、さらには、石器時代人の可能性さえも考える必要が出てくるかもしれないのです。

 

石器時代人の遺伝子がいつ解読されるか、そして、どのような結果が出るか、注目したいです。

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古代アメリカで日本人のご先祖様は何をしていたのでしょうね。

「紀元前のアメリカ」バリーフェル著喜多迅鷹・元子訳草思社刊

 

私はこの本にしょっぱなから強い衝撃を覚えたのです。

 

アメリカ大陸から、旧大陸のそれもヨーロッパや地中海世界の人達が石に残した碑文がいくつも見つかっているというのです。

 

 「碑文は、ヨーロッパおよび地中海沿岸のさまざまな言語で、今から二五〇〇年も前のアルファベットで記されており、そこから、古代の船の来航ばかりでなく、ケルト人、バスク人、リビア人、さらには、エジプト人までもが、永住の植民地を作っていたことがうかがえる。」

 

さらに本書の中にはこのような記述まであるのです。

「それは、ハロルド・スターリング・グラッドウィンで、その数多い著作の中で、くり返し、文化的様相や客観的資料、とくに陶器に注意を喚起し、アメリカ原住民は旧世界、とりわけ地中海やオリエントと比較的近年に接触を持っていたに違いないと主張した。彼が注目したさまざまな技術様式の特徴は、旧世界と南北アメリカ間に、約紀元前二千年前の古典時代まで、直接の航海がなされていたことを示すものであった。」

 

ハロルド・スターリング・グラッドウィンのこれらの主張は今アメリカで市民権を得つつあるようです。

 

ではなぜ私が衝撃を受けたのか。

 

ケネウイックで見つかった人骨に原因があります。

 

当初、イギリス人の骨発見で事件との関連が疑われたが、この骨はケルト人が多い地域のイギリス人の物と思われたのです。

ところがフランスとスペインの様式の矢じりが一緒に見つかり石器時代の人と判明、さらにアイヌの親戚の骨と判明したのです。

 

ケルト人の多いのはアイルランドだが、日本には家族性アイルランド熱の発症例があります。

フランスとスペインは地中海沿岸だが、これらの国は名前こそ発症例にはないものの、家族性地中海熱の発症例も日本にはあるのです。

 

フランスやスペインによく似た顔の日本人も、少なからずいます。

ある芸能人など、縄文人とフランス人それぞれにそっくりさんがいることが判明しました。

縄文人の顔を復元して書いた人も、まさかこんな展開になるとは予想していなかったことでしょうね。

 

縄文土器とよく似た土器が、南米のエクアドルにあるバルディビアで発見されたのです。

ところがこの土器にエジプトの方が似ているという、異論が出ているといいます。

バルディビアでは、日本の土偶とよく似たものまで見つかっているというのにです。

バルディビア出土の土器にエジプトと似ているという人は、日本の縄文土器を黙って見せたら同じ事言うのか、聞いてみたいものです。

 

エジプト研究者の吉村作治教授は、日本の神社の様式のルーツは古代エジプトのピラミッドコンプレックスにあると、指摘しているのです。

吉村作治教授は、熊本のトンカラリンとエジプトのピラミッドとの共通点もいくつか指摘しています。

 

バスク人についても面白いことがあります。

キップリングが送った長崎からの手紙に、不思議な内容があるのです。 

バスク人に似た青年のひく人力車に、乗ったというのです。

バスクと言えば石担ぎ競技が有名だが、日本でもかつて石を担いで力比べしたことを記念する石はあちこちの神社に見つかります。

 

本書からあげた中で、今のところ日本で見つかっていないのは、リビアくらいのものです。

 

日本人の骨は、アメリカ大陸で言えば、メキシコからも見つかっているそうです。

 

最近の展開としては、アメリカ大陸最古級の住民は日本人だったのかもしれないとなっているそうです。

 

ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、これらの人々はアメリカ大陸の奥地まで進出していることがわかってきました。

 

古代アメリカで、日本人のご親戚たちは、ケルト人、バスク人、リビア人、エジプト人、と言った人たちと、どんなお付き合いしていたのか、滅茶苦茶気になるところです。

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預言者について考えてみた。

神は常に、人の力ではなし得ない業を世に表し続けられました。

 

 

モーセ、アブラハム、イサク、ヤコブ、イエス。

 

ここまではほとんどのキリスト教の教会が認めるでしょう。

 

 

私は、敢えてここに、ムハンマド、更には、ジャンヌダルクも付け加えて考えたいのです。

 

 

それだけではないと言う声も、あるいはあるでしょうが。

 

 

ジャンヌダルクがあれだけの力を出し得たのは、神の後ろ盾以外あるでしょうか。

 

 

神は、ありとあらゆる場面を用いて自らの力を示されます。

 

 

ジャンヌダルクをイングランドは異端として退けたが、ジャンヌダルクを認めてしまうなら、イングランドは神の力を見ながら神の御前にへりくだり、全てを神の采配に委ねないとならなくなるでしょう。

 

ジャンヌダルクはフランス王を戴冠させることで神の力を示すため、神に召された女性だったのでしょうか。

 

 

もしジャンヌダルクが神に召されていたならば、人々を裁くために地上で神の采配が振るわれるときに、その場で采配を振るうために神の代理に召されるのはいったい誰か。

 

神の采配のために召されるのがたとえ誰であっても、神の采配を振るうために神に召された彼らは果たして周囲の人々に受け入れられたか。

 

ジャンヌダルクを処刑した人々は、現世の秩序維持を最優先させるため、処刑を実行したのではないか。

 

その意味では、ジャンヌダルクの死は、イエスの死のリフレィンだった。

 

 

私は、そんな気がしてなりません。

 

 

ジャンヌダルクは、あの段階で死んだが、あるいはそれは神の慈悲だったかも知れません。

当時の情勢から見て、ジャンヌダルクは、政争に巻き込まれ、遅かれ早かれ、命を落とすことになったでしょうから。

 

そして、死後も彼女の評価は、政争の具にされてしまったことでしょう。

 

あの段階で死ぬことで、彼女は純粋なままでいられたのかも知れません。

 

 国王の戴冠の時点でジャンヌダルクの役割は終わっていたにもかかわらず、勝利の女神として期待されてパリの奪還にまで駆り出されたが、神はジャンヌダルクがこれ以上政争に巻き込まれてしまわないために、身元に召してしまった。

 

そう思いたくなるような、タイミングですね。

 

世の多くのキリスト教の教会は、ムハンマドが神の力を借りられたからこそ、大きな力を発揮出来たことを認めたくないでしょう。

 

ムハンマドは、ユダヤ教やキリスト教に原点回帰を求める神のメッセージを伝え、神の力を借りて多くの困難な戦いに勝利しました。

 

 ムハンマドは戦いに勝利しただけでなく、人々を治める上でも神の導きによって多くのことを成し遂げていますね。

ここでは、それにいちいち触れることはしないけど、神の助けがないとまず無理と言えることを、数々行っているようです。

 

ユダヤ教やキリスト教にとって、ムハンマドの原点回帰の呼びかけを認めることは、自分たちの堕落を認めてしまうだけでなく、聖書の時代を超えて神がこの世に預言者を召されることを認めることになるでしょう。

 

 ムハンマドの原点回帰の呼びかけが正当性を満たすためには、それが神の召しに基づく言葉である必要がありますからね。

しかも、イサク、ヤコブの系譜以外からさえも、預言者は召されるかも知れないこともムハンマドを認めるなら受け入れることになるでしょう。

 

 ムハンマドはアブラハムの子孫ではあっても、イサク・ヤコブの系譜ではないですからね。

 

ムハンマドを預言者として評価することは、預言者にはどういう人達が召されるかという問題を、突き付けてくるでしょう。

 

 どういう系譜の人達であっても、神はふさわしいと思われる人達を、預言者に召されるかもしれないということですね。

 

残念ながら、聖人までは受け入れられるが、聖人とされた彼らは預言者として評価されることはないでしょう。

 

だが、聖人として評価された多くの人たちが、もしも人の力だけでなし得ないことをなし得たなら、そこには神の力を認めないわけにいかないでしょう。

 

そして、その延長線上に預言者はいます。

 

だが今、この世の多くの教会には預言者がいません。

 

とは言え預言者は、なりたいからと言ってなれません。

 

 仮に、自らを預言者と名乗ったり、私たちの組織には預言者がいると言ってみても、常に正しい判断に基づく行動や発言をしなければいけないと言う重責がのしかかっていますからね。

 

預言者と名乗ったり呼ばれたりしている人達は、その重責に常に耐えられる人でないと務まりません。

 

 軽々しく、名乗ったりできない立場が、預言者なのですね。

祈ることによって、神から支えられることになるでしょう。

しかし、一年中、しかも、24時間、祈りを忘れない人でない限り、精神的に耐えられることは無理でしょう。

 だから、預言者を名乗ったり預言者と呼ばれたりしている人がいる組織は、非常に少ないわけですね。

神からの御霊によって支え続けられないと、まず、耐えられないでしょう。

 

預言者は、基本的には、神に認められ、神に召されないとなれないのです。

 

しかも、それは神から一方的になされるのです。

当然、そのような預言者が召されている教会はそう多くないはずです。

 

大半の教会は、人の力で作られ、人の力で運営されています。

 

祈りによって導きを求めてはいるでしょう。

 

だが、それをどう生かすかは最終的には人の選択と判断によるのです。

 果たして、今の時代にも預言者はいるのか。

 

 いるとするならば、それは何処なのか。

 

 逆にいないなら、どうしたら神は預言者をあたえてくださるのか。

 

 

その問いに答えてくれている聖句があります。

 

ヤコブの手紙 1 5

 

あなたがたのうち、知恵に不足している者があれば、その人は、とがめもせずに惜しみなくすべての人に与える神に、願い求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

 

この聖句が、私たちの答えを得る手掛かりを与えてくれるのかも知れません。

 

私たちにだって、歴史上の人物たちほどではないにしても、自分の力を超えることを神は可能にして下さるかもしれないですからね。

 

 

聖書にはこうあります。

 

マタイによる福音書 778

 

求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 

 

すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。

答えを、諦めないで求めてみましょう。

 

どんな答えが来るか、それは一人一人の求め方次第でしょうけど。

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天皇はスメルの王位継承者か。

シュメールは、現在のイラクやクウェートのあたりのメソポタミア南部を占めるバビロニアの南半分の地域、またはそこに興った最古の都市文明です

初期のメソポタミア文明とされ、チグリス川とユーフラテス川の間に栄えました。

 

シュメールはスメルとも読まれるというか、スメルと呼ぶ方が正しいとする説もあります。

 

ここでは、スメルの方を基本的に用いて議論を進めたいです。

 

日本とスメルの共通点を指摘している人たちがいるのです。

彼らの言い分をまとめてみることにします。

 

スメル語も日本語も膠着語と言う特徴を持つ。

膠着語は、言語の形態論上の分類のひとつ。

膠着語に分類される言語は、ある単語に接頭辞や接尾辞のような形態素を付着させることで、その単語の文の中での文法関係を示す特徴を持つ。

膠着語に分類される言語は、トルコ語、ウイグル語、ウズベク語、カザフ語等のテュルク諸語、モンゴル諸語、満州語等のツングース諸語、日本語、朝鮮語や、フィンランド語、ハンガリー語等のウラル語族、タミル語等のドラヴィダ語族、チベット・ビルマ語派、エラム語、シュメール語などがある。

ちなみにエスキモー・アリュート語族、マヤ語族なども膠着語的だが、文全体が膠着するなど膠着の長さが極端なので、抱合語、正確には複統合的言語とすることが多い。

膠着語は、当時スメル周辺住民の言語にはないと見られている。

 

スメル語も日本語も、表記法が似ている。

つまり、母音も子音も表記するばかりか漢字かな交じり文のような構造を、スメル語も日本語も共有している。

これはマヤ文字も同様なあたりが興味深いですね

 

スメルは突然高度な文明を持って、登場したのでしょうか。

先行するウバイド文明との関係を、指摘する声もあるのです。

世界最古の印章は、紀元前7000年くらいです。

ウバイド文明は、紀元前5000年くらいです。

スメルは、紀元前3500年ごろ突如として現れ紀元前2000年ごろ突然姿を消すのです。

 

ここで興味深いのは、聖書学的にはノアの洪水が紀元前4000年頃であることです。

バベルの塔で散った後、セムの人たちがスメルを建国したと見れば年代的にはつじつまは合うのです。

 

高度な文明を築き上げたスメルの民であったが、背教と高慢の罪で神から亡ぼされる前に預言者アブラハムと彼の一族がロトの一族とともにウルを出たのかもしれないです。

その時期はおそらく、紀元前2000年ごろであろうと想定してみます。

 

スメルの男子像を見る限り、大きく彫りの深い目、高い鼻、巻き毛で髭が多いなどセム系と変わりないような容貌をした像もある、これ日本で言えばまさに縄文人の特徴です。

 

だが、その一方でセム的とも言い難い容貌の像もまたあると言うが、通商などで友好関係にある地の女性を娶ることもあり得たなら、非セム的な容貌の人たちがいてもおかしくはないでしょう。

聖書にも、共に住む地の人々の娘を娶ったり、あるいは彼らに娘を嫁がせることはしばしばあったことを証言すると思われる記述があるのです。

 

スメルの時代にも、同じようなことは当然のことのように一般的にほとんどの部族や民族の間で行われていたと思われるのです。

 

だが、聖書の民イスラエルは異教徒とどんなに交易などの交流はしても婚姻関係をもって異教の風習が入り込む事態は避けるよう神から命じられていました。

 

もし、スメルの民もまた、イスラエルの民のように異教徒との婚姻を禁じられていたとしたらどうでしょうか。

 

にもかかわらず、スメルの民は異教徒と婚姻関係を持っていたとしたらどうでしょうか。

 

そのことがついに神の怒りをかって、スメルの国が滅ぼされたのだとしたらどうでしょうか。

 

スメルの文明はかなり高度であったことが知られているのです。

神の祝福によって高度文明を得られていたスメルの民が、高慢の罪や異教徒との婚姻で異教の風習に染まっていってしまい、神の怒りをかって亡ぼされ、長い間歴史から存在が消されていたとしたらどうでしょうか。

 

アブラハムの子や孫の名前を見てみると、奇妙なことに気が付くのです。

 

イシュマエル、イサク、ヤコブ、イスラエル。

 

少なくとも、イシュマエル、イサク、イスラエルの名は、スメルの転化であるように思えるのです。

 

スメルはシュメールとも読まれます。

シュメールは、容易にイシュマエルやイスラエルに転化し得るし、イサクはコーランではイスハークなので案外これもまたシュメールに転化出来そうです。

アブラハムさえもコーランではイブラーヒームだが、これさえももし当時発音のあいまいな二重母音であった可能性を考えると、イシュマエルやイスラエルに転化しえないとは言いきれない気はするのです。

ヤコブが改名させられたのも、スメルの転化音で名前を揃えて、スメルの継承者である事を明らかにするためだったのかもしれないです。

 

そうみると、天皇がかつて、「スメ」「スメラ」と何故呼ばれる必要があったかの謎も解けるかもしれません。

 

天皇を指す古語、「スメ」「スメラ」とスメル語の「スメ」「スメル」はともに「神」を指すというのです。

そして、「スメラギ」は「スメル」の複数形だというのです。

 

「ミコト」「ミカド」もまた、「天降る開拓者」を意味するスメルの「ミグド」の転化であるらしいです。

 

十六八重菊花紋とそっくりな古代スメルの王家の紋章がある謎も、解けるかもしれません。

 

故フセインは腕輪の紋章についてヨーロッパの記者から日本の皇室との関係を聞かれた時「もっと古代ンメソポタミアのことを勉強して欲しいですね。この紋章は、世界最古の文明を築いた私達の祖先、シュメール王朝時代の王族の紋章ですよ」と応えていたと言います。

 

天皇はずばり、スメルの王家の継承者なのである、そう言って良いでしょうか。

 

日本の三種の神器とスメルやバビロニアの三種の神器を比較してみようと思います。

 

草薙剣に対して武神のシンボルの剣、八咫鏡に対して日像鏡、八尺瓊勾玉に対して月像の首飾り、と見事に対応して見えるのです。

 

スメルと日本の神話にも、興味深い類似が見られるのです。

 

日本には、八つの首の八岐大蛇退治と草薙の剣の神話があるのです。

スメルにも、七つの首の龍の退治と剣の神話があるのです。

モチーフがあまりにも似ているのです。

 

日本はかつて、豊葦原瑞穂中国と自らをよんでいました。

スメルは自らの国を「キエンギ」と呼んでいたが、「葦の主の国」という意味があるそうです。

「葦の国」と日本もスメルも共に名乗っていたことになります。

他の類似を思えば、偶然ではすまされないだろうと思います。

 

建国神話にも、類似が見られるのです。

 

日本は、天孫降臨、すなわち天から来た神々が日本列島を作り下りたって日本を建国と語り継いでいる。

 

スメルはと言えば、ニビルと言う星から来たアナンヌキという人達が人類を作り地球に文明を興したと記している。

 

細かいところはともかく、構図は似ているのではないでしょうか。

 

日本にもペトログリフが、岩に刻まれた絵や文字の事だが、見つかっているといいます。

99%はスメルの文字であるらしいです。

写真をヨーロッパの研究者に見せると第一印象は、ヨーロッパのどこだ、だそうだが日本と言うと一様に驚きの声を上げると言うのです。

それくらい、日本で見つかるペトログリフはヨーロッパのものと似ているということなのでしょうか。

 

アメリカのケネウイックからはアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているのです。

つまり、アイヌのご先祖にヨーロッパ在住の時代があったと言う事になるでしょう。

アイヌのご先祖が縄文人とされるが、沖縄の人たちも縄文人の血を強く受け継いでいるのです。

そして、アイヌと沖縄はともに古代イスラエルの文化を引き継いでいることがわかっているのです。

 

もし、イスラエルの名がスメルの転化であるとしたら、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者となるだろう。

 

日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字と言う事実と、アイヌと沖縄はスメル文化の継承者の可能性を重ねると、縄文人もまたスメル文化の継承者と見るべきとなるかもしれません。

 

スメル人と縄文人の容貌の類似が見られ、日本で見つかるペトログリフの99%がスメルの文字となれば、天皇がスメルの王位継承者であってもおかしくはないし、むしろ自然とさえ思えてくるのです。

 

さらに情報を求める検証していきたいです。

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古代エジプトの縄文人?

秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山は、「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされます。
 
この黒又山に、ピラミッドだという説があるのです。
レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明したのです。
ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されています。
このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があったのです。
また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっています。
エジプトの三大ピラミッドは化粧石で覆われていたが、黒又山は礫で覆われていたことになります。
三大ピラミッドも黒又山も、かつて、陽の光を浴びて光っていたことでしょう。

縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡、二つの縄文遺跡と黒又山を結ぶと、82キロの緯線を底辺とする巨大な二等辺三角形が出来上がります。
そして、黒又山自体にも縄文人の儀式の痕跡が見つかります。

これは、縄文人の文化にピラミッドに代表される古代エジプトと似通った要素がある可能性をほのめかしていることになりはしないでしょうか。

アイヌの生活文物に古代イスラエルのものとの類似が指摘されるが、イスラエルの民はエジプトにいたことを思えば、祖先とされる縄文人の土器にもエジプトの影響が見つからないとおかしいとなります。

そして、南米エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというが、これに対して古代エジプトの土器の方こそ似ていると言っている学者たちもいると言います。
土器の模様は九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていると指摘されるにも拘らず、むしろ古代エジプトの方が似ていると異論が出ているのです。
西日本の縄文土器に、古代エジプトの土器と似た文様が見つかると言われているに等しい展開だが、そうなると面白い遺跡が熊本にあります。
トンカラリンです。
古代エジプトの研究者吉村作治教授は、トンカラリンの内部構造に込められた思想はまさにギザの大ピラミッドとそっくりと主張します。

日本人には家族性地中海熱の発症が見られるが、本来ならば地中海沿岸の民族の遺伝病のはずです。
家族性地中海熱は地中海沿岸域の人々や、中近東のユダヤ人、トルコ人・アルメニア人に多い疾患と言われています。
日本人には地中海沿岸やトルコの人たちと似た顔が見つかるし、古代イスラエルの生活文物とアイヌの生活文物は似ています。
沖縄の文化や伝承にいたっては、聖書とあまりにも似たものがいっぱいあるのです。
ヤップ遺伝子などは、古代イスラエルと日本くらいしか見つからないとさえ言われているのです。

そして、イスラエルの民は長年にわたってエジプトで暮らしていたわけです。

日本人の足も大半はエジプトタイプだし、日本人とエジプト人は味の好みも近いそうです。
動物を含む太陽神を中心とした八百万の神々が三神構造の構図で祀られていることなども、共通しています。
二本の柱を通って拝殿から本殿にいたる神社の構造は、古代エジプトの神殿に似ているのです。
吉村作治教授などは、スフインクスこそは狛犬のルーツであり、ピラミッドコンプレックス(ピラミッド複合体)こそは神社の原型だとしているのです。

そう言えば、古い時代の神社は山の前に拝殿があったです。
問題はエジプトと日本を繋ぐルートです。

南米エクアドルからはエジプトと縄文、両方に似た土器が出ています。
日本先住民縄文人とアメリカ先住民が親戚であることは、遺伝子も証明済みです。
アメリカの最古級の先住民にさえも、日本人の可能性が指摘される展開になっているのです。
さらに、アメリカのケネウイックからはフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌの親戚の骨が出ているのです。

フランスとスペインの様式の矢じり、家族性地中海熱、これらは日本人の祖先が中東から地中海沿岸を経てアメリカを横切って海を渡ってやってきたというルートの存在を示していないでしょうか。

南太平洋の島々もまた、近年、日本人の祖先がたどったルートとして注目されているのです。

しかも沖縄には、遥か東のニライカナイが祖先が来た方向という伝承があるのです。

さらに天皇の紋章は、古代スメルの王族の紋章そのものずばりなのです。

アフリカの人たちも、アフリカ的と思っていた名前が日本にもあると驚いたことがあるし、アフリカにも日本の小鼓と、形も演奏の仕方もそっくりなものがあるのです。
 
アフリカと日本の繋がりも、情報を集める必要がありそうです。

日本人の祖先にまつわる謎は、まだまだ多いです。

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アイヌのご先祖はヨーロッパで住んでいた?

縄文人の親戚をアジアで探すことは困難を極めているのです。

アジアのどこにもいない人たちを見つけてしまった、これが縄文人の遺伝子を調べた人たちの率直な感想だと言います。

 

様々なルートで日本に来た人たちが日本でミックスされて生まれたのが縄文人、そうとしか言いようがないと言います。

 

そうであるなら、もっと広く視野を広げる必要があります。

 

日本人のルーツをたどってみると、実はヨーロッパからアメリカ経由というとんでもないルートが浮かび上がってきました。

アメリカのケネウイックからフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌのご親戚の骨が出ているのです。

なんとアイヌのご先祖は地中海世界で暮らしていた可能性があるのです。

 

日本人のルーツをたどるとアジアとヨーロッパに人種や民族の別れる以前にまでさかのぼる可能性が見えてきます。

日本人、特に縄文人の遺伝子はとてもヨーロッパに近いのです。

遺伝病も日本人にはヨーロッパと共通なものが複数ありますよ。

家族性地中海熱、家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病などヨーロッパの遺伝性疾患が確認される日本はアジアにおけるヨーロッパの飛び地的存在と言えます。

 

中でも、家族性地中海熱のアジアにおける発症例の飛び地である日本の遺伝子の特殊性はもっと注目されて良いはずです。

公益財団法人 難病医学研究財団/難病情報センター

「家族性地中海熱」

この病気はどのような人に多いのですか

この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東(ユダヤ人、トルコ人・アルメニア人)に多い疾患ですが、日本でも患者さんがいることがわかっています。

http://www.nanbyou.or.jp/entry/4447

 

この中でも、どうしても注目が集まってしまうのがユダヤとの関係です。

例を上げましょう。

 

日本語とヘブライ語の共通点 http://sekainoura.net/nihon-kyoutu.html

 

神言語ヘブライ語と日本語の共通点多すぎ!!日本人のルーツは“失われたイスラエル10支族”ユダヤ人なのか!?籠目文、鳥居、君が代、共通点他にも多数… | http://xanadu.xyz/post-623/

 

縄文人とのつながりの強さが指摘されるアイヌや沖縄の人々の文化と、古代イスラエルのつながりの強さがしばしば挙げられることと重ねれば、日本語とヘブル語の繋がりを言う人たちを笑う事は控えることが適切な対応でしょう。

 

さらに、アメリカには気になる遺跡があるのです。

アメリカ先住民に失われたイスラエルの十支族末裔説が出ていたことと合わせて見ると、笑ってばかりもいられない気持ちになるのです。

Cahokia as “a North American Jerusalem,”カホキアは「北米のエルサレム」https://www.jw.org/en/publications/magazines/g20030308/The-Mystery-of-Cahokia/

この譬えとアメリカ先住民十支族末裔説を重ね、アメリカ先住民と日本先住民が親戚と言う事実と突き合わせると日本先住民は十支族のご親戚となってしまうのです。

日ユ同祖論なんてもんじゃないです。

縄文人の正体は、古代イスラエルの十支族なのかと言う可能性があることになります。

 

日本語とヘブル語の類似、日本にある古代中東の遺伝子、特にヤップ遺伝子と古代イスラエルの繋がりを見れば、無視できない可能性なのです。

 

さらに衝撃的としか言いようのないのが、古代イスラエルのヤコブの子孫がアメリカ先住民となったと主張するモルモン書です。

何度も船出して行方不明になった人たちがいると記しているのです。

 

聖書とあまりにそっくりな伝承や文化を持っている沖縄の人たちは、遥か東のニライカナイが故郷の地だと言います。

 

沖縄の遥か東、そこにある大陸は、日本先住民縄文人のご親戚の土地であるアメリカなのです。

 

時代が違いすぎると言う声が出るのは承知です。

 

だがもっともっと衝撃的なのは4000年前とされるノアの洪水を前提として議論を組み立てれば全てつじつまがあってしまう事なのです。

 

そしてアイヌのご先祖がヨーロッパの人たちのご先祖でもあるクロマニョン人と、ご近所さんだったかもしれないのです。

 

日本がヨーロッパの遺伝病のアジアの飛び地、この背景には何があるのかもっと調べた方がよさそうです。

なにしろ、日本人の先祖が古代イスラエルの支族の血をヨーロッパでばら撒いた原因の一つかもしれないと言う疑いが、かかっていますからね。

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改めて日本人のルーツがたどった道を考えてみた。

ハプログループDは、日本列島・南西諸島やアンダマン諸島、チベット高原で高頻度に観察されるほかはアジアの極めて限られた地域でしか見つかっていません。

ハプログループとは、単一の一塩基多型 (SNP) 変異をもつ共通祖先をもつような、よく似たハプロタイプの集団のことで、単倍群とも訳されます。

ハプロタイプ(haplotype)とは、"haploid genotype"(半数体の遺伝子型)の略で、単倍型とも訳されます。

地球上でハプログループDが人口比に対して高頻度で見つかるのは日本・チベット・ヤオ族・アンダマン諸島などです。

 

YAP変異をもつ系統はハプログループEとハプログループDに限られます。

限られると言うより、ハプログループDEYAPという変異で定義されると言う方がより正確です。

YAP (ヤップ)とはY-chromosome Alu Polymorphismの略で、Y染色体の長腕部「DYS287 Yq11」上にある約300塩基からなるAlu配列(Alu sequence)の挿入多型のことを言います。

Alu配列とはたんぱく質をコードする配列を全く含まず、制限酵素Aluで認識されるためこの名がつけられました。

YAP変異と言うこの古代に起きた「M1」と定義される変異の痕跡(SNP)をY染色体上に持つのは、本来ならばtRNArRNAなどの核内低分子RNAに転写されるべきものが、何らかの要因によってY染色体上のDNA配列に挿入されてしまったもので、生体内での働きについては未解明です。

 

現生人類の共通祖先発祥の地、東アフリカのトゥルカナ湖の東北附近に約6.5万年前に住んでいた一人の男性にこの変異が起こりこれが、父系で遺伝するY染色体の特定のSNPを持つ集団(Y染色体ハプログループ)のうち「YAPM1)」と呼ばれるSNPを持つハプログループDE系統を生み出しました。

その後6万年程前にこれが更に2つ集団(ハプログループ)DEに分岐しました。

なお、ハプログループDEは系統樹からも分かるように、全ユーラシア人の最近共通祖先であるハプログループCTから早期に分岐したため、他のユーラシア系統とは分岐から7万年以上もの年月を経ています。

アフリカに留まり(又は出戻り)アフリカ大陸全土や一部は地中海地域やヨーロッパなどに父系を通じて広がった集団がハプログループEです。

分岐後出アフリカを経て東方に向かい、チベット・アンダマン諸島・ヤオ族・フィリピンのマクタン島・グアム島・日本列島などに父系を通じて広がったのがハプログループDです。

 

そして、このハプログループをもたらしたのが縄文人であり、日本人のDNAを全体としてヨーロッパ寄りしてしまった原因を作った人達です。

だが、縄文人の来たルートには謎が多いのです。

少なくともアジアには、ここから来たと特定できるような場所が見当たらないのです。

恐らくは複数のルートをたどってきた集団が、日本で混ざり合って縄文人の集団が形作られたと見られています。

 

アジアで来たルートが特定できないなら、ヨーロッパやアメリカ経由のルートを考えても良いはずです。

日本には家族性地中海熱など地中海沿岸の遺伝病のほかにも、ヨーロッパと共通の遺伝病が見つかっています。

家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることはもっと注目されても良いでしょう。

これらはほとんどが、アジアでは日本に集中しているのです。

アメリカではフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に、アイヌの骨が出ているのです。

近年、最古級のアメリカ先住民として日本人がクローズアップされつつあると言う。

今後の研究の展開が楽しみです。

 

このハプログループDは、今より約6万年前にアフリカ-イラン-中央アジアのいずれかにおいてハプログループDEから分岐し、内陸ルートを通って東アジアへ向かったと考えられています。

ハプログループDは、現在の日本や中国、朝鮮、東南アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは分岐から7万年以上の隔たりがあり、非常に孤立的な系統となっています。

 

D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定できるが、一つの説として東アジア及び東南アジアにO系統が広く流入した為、島国日本や山岳チベットにのみD系統が残ったと考えられています。

そのため形質人類学的には古モンゴロイド(アイノイド)の分布と相関しているようです。

 

古モンゴロイドは、アジアのモンゴロイドを形質的特長から新・古に分けた概念です。

寒冷地適応を経ているか否かの違いを表した分類で、進化の新旧とは関係ないので注意が必要でしょう。

氷河期時代の北アジアで寒冷適応した結果、凹凸の少ない顔立ち、一重まぶたにみられる蒙古ひだなどの体質的特徴を有する新モンゴロイドに比べると、一般には彫りが深く、比較的小柄で、二重のまぶたや、厚い唇、湿った耳垢、多毛などの特徴を持っているとされました。

 

日本においては、縄文時代の住民(縄文人)は主に古モンゴロイド系であったと言われるが、その後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。

遺伝子解析の結果、日本人(琉球人、本土人、アイヌ人)は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

 

この現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成によって、日本人の遺伝子は全体としてヨーロッパ寄りになっているわけです。

 

古モンゴロイドは、新モンゴロイドと比較して低めの身長、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪などの形質を持つと考えられています。

古モンゴロイドに属すアイヌは、彫が深い、毛深いなど和人とは異質の特徴から、かつてはコーカソイドと考えられたこともあったが、これはコーカソイド特有の形質ではなく、新モンゴロイド以外の多くの人種に共通する形質だといいます。

 

遺伝的には古モンゴロイドは新モンゴロイドに近く、他の人種とは隔たりが大きいとされているが、このように古モンゴロイドの形質が他人種と共通する部分が少なくないのは、コーカソイドやオーストラロイドと分岐した直後の状態を長く保持している、つまり、新モンゴロイドの固有派生形質を獲得していないためです。

すなわち多くの人種と古モンゴロイドの共通点は共有原始形質です。

 

ちなみにオーストラロイドも分類上厄介な存在で、遺伝的には広い意味でのモンゴロイドに入れるべきと言う意見や外見上はコーカソイドに近いとする見解もあります。

私は古モンゴロイドに近いグループに入れた方がすっきりすると思うのです。

アイヌなど古モンゴロイドに分類されているが、見た目は思いっきりコーカソイドに近いからです。

 

ここに、日本人に世界各地の人種や民族と似た顔が見つかる事実を重ねると興味深いことになります。

実は蒙古斑は、モンゴロイド、コーカソイド、ネグロイドのいづれにも見つかることがわかっています。

コーカソイドは色が薄いため、ネグロイドは地肌の色が濃いため、長い間気付かなかっただけなのです。

日本人に世界各地の人種や民族と似た顔が見つかるという事は、世界各地に日本人と似た顔が見つかると言う事でもあります。

 

もしも、中東を出発し、西に東に旅を続けて、日本で再度出会った石器時代人が古モンゴロイドであったとしたら、クロマニョン人とは時代が重なるのではないでしょうか。

しかもアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に、アメリカで見つかっているのです。

クロマニョンの名はフランスの地名にちなんでいるが、アイヌの親戚はご先祖がフランスやスペインで石器時代を過ごしている可能性があります。

彼らがクロマニョン人と出会っていないと見る方が、不自然ではないでしょうか。

 

さらに情報を集めてみたいです。

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日本の食文化の起源はどこ?

知り合いの人達が近くまで来たのでと言って、夕食を一緒に食べないかと誘ってきました。

 

そこで行きつけの店に行ったのです。

 

定食のセットで夕食となったのだがご飯と主菜に味噌汁と漬物の組み合わせに、話は思いがけない方向に進んだのです。

 

ブレッドとメインディッシュにスープとピクルスに差し替えれば洋食のセットになってなってしまう、と言うと外国人の方は、確かにと頷きました。

 

そこから話はさらに食文化の比較になったのです。

 

丼はご飯におかずが乗るがご飯をブレッドに変えればオープンサンドになると、彼らは面白がったのです。

 

ピザとお好み焼きも作り方に違いはあるが、やっていることは似ています。

 

トッピングは、ピザは削ったチーズだが、お好み焼きはかつお節、ところがかつお節もまた発酵食品です。

 

豆腐をスライスしてフライした油揚げは皮に食感が似ている、厚揚げはさしずめ皮つき肉と言うところでしょうか。

 

これ以外にも日本の食卓に並ぶ料理には、洋食と見た目は違ってもやっていることは案外近いものが意外とあるのです。

 

地中海沿岸には日本人好みの料理が結構あるらしいが、日本には家族性地中海熱のようにヨーロッパと共有な遺伝病は複数あり、しかもアジアでの飛び地であることは興味をそそります。

 

アメリカではアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているが、アイヌは日本の先住民である縄文人の子孫と見られています。

アイヌは沖縄の人たちとよく似ているが、沖縄の文化や風習には聖書と似たものが多くあると沖縄の人達自身も面白がっているのです。

その沖縄に、先祖は東のニライカナイから来たという言い伝えを持っています。

東には南太平洋の島々があり、その先はアメリカ大陸です。

アイヌの人々の生活文物もまた、古代イスラエルと似ていると言う指摘があるのです。

日本とアメリカ大陸の先住民は親戚と以前から言われてきたが、遺伝子でも確かめられてきました。

ところが、アメリカではアメリカの先住民は古代イスラエルの民の一部が渡った人達と主張し、何度も船出して最後に行方不明になった人たちの記録があるのです。

 

これは、偶然でしょうか。

 

日本に来たユダヤ人は、日本の正月の風習に興味を持つのです。

日本人も過ぎ越しの祭りをするのかと気になるわけです。

鏡餅は彼らの供える種入れぬパンを積み重ねる風習と似ていると面白がっています。

七日間という長さや、餅や七草のような食べているものの類似、ともに神を迎える行事であることです。

 

日本の神社と似ているのは、古代イスラエルや古代エジプトの神殿であるのです。

特に日本古来の山岳信仰と古代エジプトのピラミッドコンプレックスつまりピラミッド複合体を対比して、ピラミッドを御神体とする拝殿とその前に配されるスフインクスが山をご神体として拝殿や狛犬が配される神社の古い形の原型と吉村作治教授は指摘しています。

 

アメリカ大陸を船出した人々がヨーロッパやアフリカに行っていれば、彼らは記録や伝承に残しているはずだが、残っている話は聞いたことがないです。

一方、沖縄にはニライカナイと言う東方の地を祖先が旅立った場所と語る伝承があるのです。

 

そして、日本には古代中東の遺伝子があるのです。

 

日本は、中東で発生した人類が東回りと西回りで進んできて再び合流した土地としかかんがえられないです。

何しろ、シベリアにもアイヌの親戚がいるし、シベリアのバイカル湖畔に住むブリヤート人には秋田美人にそっくりな人達が多くいます。

こんな風に、日本には世界各地の人たちと似た顔があるのです。

言い換えれば、世界各地に日本人と似た顔の人が住んでいるのです。

中東が人々の発祥の地と見られているが、東回りと西回りで移動して来た人達は世界各地に人を散らばしながら、日本にやって来たと見る方が自然でしょう。

 

歴史学者とクリスチャンの違いは、それを一万年単位の昔と見るか、ノアの箱舟の後のバベルの塔の頃と見るかの差です。

アブラハムやイサクやヤコブの子孫が日本に来ている可能性がありと見るかどうかの差も、面白いです。

 

彼らは、そうだよね、確かにそうだと、頷きながら聞いてくれました。

私が一方的に話過ぎたことを詫びると、面白い話をきけて楽しかったと言って、にこやかに握手の手を差し出してくれました。

 

私も笑顔で握り返してその晩の久々の語らいは終わりました。

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休息と聖書?

毎朝、町を行く人々の顔を見てふと思うのです。

朝だと言うのに、生き生きした表情の人があまりにも少ない国だなあ、日本、と言う事です。

朝から疲れた顔の勤め人が多いのは、慢性化していている残業などの長時間労働に加えて、職場の人間関係を円滑にすると称してのいわゆる飲みにケーションと呼ばれる上司や同僚との付き合いも、疲労蓄積に拍車をかけているのではないでしょうか。

日本もアフター5は個々人の自由な時間であってしかるべきではないでしょうか。

日本も経営者や上司が、残業など長時間労働や社内の付き合い酒などを抜本的に見直した方が良いのではないですか。

個々の社員に早く帰れと啓蒙するより、経営者や上司の意識改革に国や地方自治体が腰を据えて取り組みを進めるべしでしょうね。

過労死問題に取り組んでこそ、医療費抑制や生産性向上につなげることになるのではないでしょうか。

有給消化率最低の日本の労働生産性が17位、ゆるく働いているイメージの強いイタリアの労働生産性が20位だが、実際には差はほとんどないと言えるくらい僅差です。
それってつまり、慢性的に疲れている日本の労働者の生産性が人生エンジョイしてるイタリアの労働者の生産性と大差ないってことです。
 
馬鹿らしいですよね。

人生エンジョイ型のイタリアの労働生産性と日本の労働生産性が大差ないって、どう思いますか。

根が真面目な日本人がイタリア人と同じくらい元気に働いたならもっともっと生産性があがるんじゃないですか。

誰もそんなこと考えられないくらい疲労が蓄積してるんですか、日本人。

だとしたら、悲し過ぎますよ。

本気で過労死問題に取り組んで欲しい、そう思いませんか。

過労死レベルの長時間労働にきちんとメス入れないと、更に労働生産性が落ちてイタリアに抜かれるかもしれないですよ。

イタリアの労働生産性が上がるからじゃないです。

日本の労働生産性はさらに労働者が疲労をため込んだ結果、さらに落ち込んで抜かれる可能性があるってことですよ。

多くの大企業で不正が発覚しました。

まともに考えられるなら、不正は結果として割に合わない、と言う正常な判断ができるはずですよね。

自覚症状がないくらい疲労は慢性化してるんですか、経営者までもが。

忙しいとは、心亡くす、心亡ぶ、って意味がある事さえ経営者も気が付けない位なら、もはや重症じゃないですか。

働くのは、誰のためなの、何のためなの、会社は、誰のためにあるの、何のためにあるのでしょうね。

日本は、そんなこと考えないままに突っ走ってきたのかもしれないですね。

西洋キリスト教文化圏では、人生とは、働くとは、どういう事か真剣に問うた時代があります。

今の人たちは、そんなこと忘れてるかもしれないですけどね。

少なくとも西洋キリスト教圏では、労働は神に課せられた罰であって信仰のために人生の時間の多くを割くべきと言う発想が根底にあるのです。

だからかもしれないが、労働時間の短縮は案外すんなりと合意が成立したようですね。

もちろん労働運動や政治運動の力も、大きかったようですけどね。

東洋、少なくとも日本では、勤勉が美徳とされ休息が取りにくい文化があるとは指摘されています。

休息は勤勉へのご褒美と言った感覚があるとも、指摘されてきました。

しかし、休息は人間らしく働くために必要であり権利である、と言う考えが世界の当たり前になりつつある今、ついていけないとだめになるでしょうね。

つまり、日本で働き方改革をすると言う事は、休息は基本的人権の一つであると言う発想の転換を社会の隅々にまで根付かせると言う事なのではないでしょうか。

意識改革の取り組みを国と地方自治体が本腰を入れて取り組みことに他ならないのではないでしょうか。

休息と怠けは別だと言う、意識改革こそ必要なのではないでしょうか。

ここがきちんとすわらないと、だめなのですよね。

怠けることがいけないのは、世界共通です。

むしろ怠け心が起きるような疲れがたまって抜けない働き方をしてる方が、問題なのです。

ちゃんと休息をとって十分に疲れを取るなら、気力が充実して怠け心など起きないはずです。

逆に言えば日本の働き方は、適当に怠けないと体が悲鳴を上げる働き方と言う事なのです。

キリスト教的倫理では怠け心は悪魔のたぶらかしに負ける事だから、それに勝てる気力と体力をつけて備える必要があるとなるのです。

だから、十分に休息を取らないといけないのですね。

休息を基本的権利として受け入れる文化的素地が、こう言うところにもあるのかもしれないですよ。

日本の労働時間がとかく長くなりやすいのは、休息は勤勉のご褒美だから、より長くよりきつく働いて多くの仕事をこなしたものが多く休めると言う不文律があるからかも知れません。

結果として、適当に怠けないと体が壊れるから長時間で低生産性の労働に必然的になっていくのかもしれないですね。

ここの発想を変えないとだめなのです。

欧米の発想の根底には、聖書とキリスト教がある、ここを踏まえておく必要があるでしょうね。

それは長い歴史の中で、彼らの精神に深く根ざしたものとなりもはや無意識のレベルにまで達していると言って良いです。

彼らに受け入れやすいように、変えられてしまったところもあるようですけどね。

世界の大半は彼らによって植民地化され、程度の差こそあれ、根付かさせられていると見た方が良いでしょうね。

日本人も少しは聖書やキリスト教について知っておかないと、彼らの発想の基本が理解できないってことなのです。

信じろとは言わないけど、知識として知っておいて損はないでしょうね。

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欧米のキリスト教のイスラム感を考えて見た。

もっともっと、日本人も宗教に関心を持って欲しいのですけど。

世界の中で宗教にまったく無関心な人は、実は少数派ではないでしょうか。

中国だって一皮むけば、昔からの宗教に関心持って暮らしている人の方が多数派と聞いています。

熱心に信仰しているかどうかは、別ですけどね。

日本がイスラム過激派の怒りのターゲットに晒されないためには、欧米のキリスト教圏とイスラムとの歴史的な諍いから距離を置くことが大事ではないでしょうか。

 イスラームが正しい発音だそうですが。

ここでは一般的なイスラムで通します。

せっかくイスラムの人たちから信頼されているのだから、この立ち位置を活用しようとしないならはっきり言って、大馬鹿ものですね。

イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会の人たちとの、ネットを通じての交流で、堕落した欧米のキリスト教に見切りをつけた若者を中心とした人たちが案外簡単に改宗するのはなぜなのか真剣に考えない限り、欧米のキリスト教世界はイスラム過激派の怒りのターゲットに晒され続けるでしょうね。

フリードリッヒ・ニーチェの『アンチクリスト』に示されるところまで堕落したからこそ、ムハンマドやジョセフスミスジュニアが原点回帰を呼び掛けるように聖書の神から召され、欧米のキリスト教圏の人たちから、イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会への改宗が出るわけですね。

 既存のキリスト教会は、そこがわかってないってことね。

欧米のキリスト教圏の人たちのイスラムに対する反発の裏には、ユダヤ教やキリスト教が堕落したので原点回帰を呼び掛けるべく聖書の神からムハンマドが召されたというイスラム側の言い分にもあるかもしれないですよ。

ムハンマドが啓示を受けた西暦610年代には、西欧がすでにキリスト教化しているわけですから。

313年にミラノ勅令は、当時は西方正帝であったローマ皇帝コンスタンティヌス1世と同じく東方正帝であったリキニウスの連名で発布されたと言われているのです。

一般に、全帝国市民の信教の自由を保障した内容とされるこの勅令は、実在そのものや、真の起草者について疑問視する研究者もいる代物ではありますけど。

勅令発布以前、ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒を迫害したが、311年、東方正帝ガレリウスは弾圧をやめ寛容令を発したのです。

これを受け当時西方正帝でのちに単独皇帝となるコンスタンティヌス1世は、キリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって「ミラノ勅令」を発布したものです。

特にキリスト教を挙げつつ、他のすべての宗教と共にこれを公認したわけです。

392年には、テオドシウス1世によってキリスト教はローマ帝国の国教とされたのです。

 で、これ以降、欧州世界のキリスト教化が進むことになるわけね。

そして、キリスト教は主に欧州世界を中心に広まっていくのですよね。

つまり西暦610年代ムハンマドが原点回帰を呼び掛けた堕落したキリスト教とは、まさしく欧州キリスト教にほかならないってことです。

そもそも、ミラノ勅令はキリスト教を帝国統治に利用しようという意図もあって発布されたわけです。

欧州世界での拡大と定着は権力と言わば二人三脚で進んでいったと言え、キリスト教の堕落はローマ帝国のころから実質的に始まっていたとみて良いのかもしれないですね。

しかし、ほとんどの欧州キリスト教の人たちには自分たちが教えを堕落させた自覚はほとんどないってことで、彼らにとってムハンマドははっきり言って邪魔者だったかもしれないです。

欧米のキリスト教圏の人たちから見れば、ムハンマドはアブラハムの系譜かも知れないけど、イサクとヤコブの系譜ではないわけです。

傍系イシュマエルの子孫であるムハンマドの預言者としての正当性を、彼らは認めたくないのかもしれないですね。

 認めれば、改宗せざるを得ないでしょうからね。

ちなみに、末日聖徒イエス・キリスト教会のジョセフスミスジュニアも、御父と御子からじきじきに、今のキリスト教宗派は全て間違っているからイエスの時代の教会を復活させるように召されたと主張しているのです。

そのために、既成のキリスト教からは、末日聖徒イエス・キリスト教会も煙たがられているのです。

末日聖徒イエス・キリスト教会の教説には、既存のキリスト教に真っ向から異を唱える内容が並んでいるのです。

御父と御子と聖霊は三位一体ではなく個別の存在であり一心同体となり一致団結して人々の救いと導きに日夜心を砕いておられるとか、アダムとイブが禁断の木の実を食べたのも原罪ではなく人類が選択の自由を用いて神の道を選んで再び成長して帰ってもらいたいという御父の願いによるものであったとか、御父の救いの計画は生者だけではなく死者にも及ぶとかです。

 これらの言い分を認めたら、既存のキリスト教は末日聖徒イエス・キリスト教会に合流するしかなくなるわけだから煙たいわけね。

アダムとイブについていえば、裸で嘆きながらエデンの園を追われる絵があまりにも有名だけれど、聖書には神は彼らに皮の衣を着せたことがちゃんと書かれているのですよ。

 絵で一目でエデンの園からの追放とわかるために、裸で追われる構図にしたのかもしれないけど、嘘は嘘よねえ。

余談ですが、末日聖徒イエス・キリスト教会には、職業としての聖職者はいないです。

イスラムにも職業としての聖職者は、恐らくいないです。

イスラムで聖職者に当たるのはウラマーと呼ばれる人々ですが、イスラムの建前としては神と人との間に仲介役を入れる、あるいは信徒間に階級差を設けることを嫌う傾向があり、ウラマーは聖職者ではない、とか、イスラムには聖職者はいない、と主張されてるのです。

一方、既成のキリスト教では、大抵の教会で職業としての聖職者がいるのです。

 イスラムや末日聖徒イエス・キリスト教会を選んだら、既成のキリスト教の聖職者の職探しは大変ね。

末日聖徒イエス・キリスト教会には職探しやその間の生活を支える仕組みがあるし、イスラムにも助け合いによって支えてくれる体制があることでしょうから、全てを神の御心に委ねて祈るなら道は開けることでしょうね。

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