アフリカ

木村鷹太郎と混一疆理歴代国都之図もし出会っていたら。

明治・大正期に活動した歴史学者哲学者言語学者思想家翻訳家で、独自の歴史学説「新史学」の提唱者として知られる木村鷹太郎の邪馬台国エジプト説による魏志倭人伝解釈は、このようになると言います。

 

帯方郡 

 ケルト人の国である。ケルト(Kelt)は「帯」を意味するギリシア語ケレト(Keletos)が語源である。ケルトは古代のドイツ、フランス一帯の称。『魏志倭人伝』の旅行者は現在のヴェネツィア付近から出発した。 

 

韓国 

 ガラ(Galla=Gallia)[ガリア]すなわちイタリア北部の総称。 

 

狗邪韓(くやかん)国 

 イタリア半島の南東部、カラブリア地方。カラブリアは「化粧」の意味で、そのギリシア語名はクジォ Xyo つまり狗邪(クジャ)である。 

 

瀚(かん)海 

 アンブラギア湾(ギリシア西岸)。瀚(ハン)は「ワニ」の意で、神功皇后が西征の時出発した和珥津[わにつ]=ワニツア Vonitsa の所在地である。

(神功皇后は第14代仲哀天皇の后で、第15代応神天皇の母。「記紀」では朝鮮半島南東部にあった新羅を「征伐」したことになっているが、事実かどうか疑わしい。『日本書紀』では卑弥呼と同一人物とされている。) 

 

壱岐(いき)国 

 アンブラギア湾の南方、リューキ(Leuci)島(レフカス島)である。 

 

末廬(まつろ)国 

 ギリシア、ペロポネソス半島の西北にあったアハヤ国のオエノエである。オエノエ(Oenoe)はラテン語でマツロ(Maturo)である。 

 

伊都(いと)国 

 イツ(Ithys)は神を祭り斎く所の意。マンチネヤ(マンティネイア)と推定できる。これは末廬の東南にある。 

 

奴(ぬ)国 

 ペロポネソス半島東部、アルゴリス国のアルゴス府である。「アルゴス」は船の意、船はギリシア語で「ナウ Naus 」と言い、これが「ヌ」となった。 

 

不弥(ふみ)国 

 アルゴリス国のハーミオネ(Hermione)府である。語尾を略せば「ハーミ」で、これが「フミ」になった。 

 

投馬(とうま)国 

 クレタ島である。不弥国の南にある。クレタ島の伝説にある怒牛タウロメノス Tauromenos がタウロマ、タウマと変化した。これがクレタ島の別名となった。

(木村自身の書いた『日本太古小史』では以上のようになっているが、戸高一成氏による木村説の引用によれば、「クレタ島の首都はゴーチナで、その語源はゴルゴス Gorgos で悍馬(あばれ馬)を意味する。あばれ馬に人が乗ろうとするとすれば投げ出される、すなわち『投げる馬』である」という説になっている。) 

 

邪馬台(やまたい)国 

 エジプト、スエズ付近である。投馬国から南下して東へ陸行すればエジプトに到達する。 

 

狗奴(くぬ)国(邪馬台国の南) 

 エジプト南部のクネ Kumne(あるいはクメ Kumme)。垂仁天皇の行幸があった来目(くめ)の高宮の所在地である。

 

(望夢楼http://boumurou.world.coocan.jp/より引用。)

 

木村鷹太郎にとって、日本人とは、古代エジプト人で、古代ギリシア人で、しかも古代ローマ人であり、かつてアフリカ、ヨーロッパから東アジアに至る版図を支配していた優秀な民族であったというのです。

 

古代エジプトも古代ギリシアも古代ローマも私も日本のルーツとして、注目してきた地中海の国々です。

 

流石に木村鷹太郎の説を丸吞みするわけにはいかないが、アジアにおける日本人の移動の中でこれらのルートが反映されている可能性ならあり得るでしょう。

 

混一疆理歴代国都之図(こんいつきょうりれきだいこくとのず)」と言う1402年に李氏朝鮮で作られた地図の写本が、今日まで伝わっています。

 

地図は先人が使っていたものをとことん使い、その古い地図に新しい情報や知識で付け加えたり修正をしていた時代が長かったのです。

全てを最新情報に基づいて作図した地図は、歴史的にはつい最近現れたばかりと言って良いです。

 

この混一疆理歴代国都之図では、日本列島は朝鮮半島の南に九州を上に南北が逆さまに描かれています。

間違えと言うのはたやすいが、魏志倭人伝の記録をはじめとする様々な情報を駆使してこの地図の日本列島の描写のオリジナルは作られたはずと考えると、笑えなくなってくるのです。

 

魏志倭人伝の時代の日本は、混一疆理歴代国都之図に描かれた逆転した姿であったと考えれば、全てつじつまがあってきます。

 

この地図でなら、魏志倭人伝の通り辿れば間違いなく今の沖縄の緯度近くにある邪馬台国に辿り着くのです。

 

混一疆理歴代国都之図が証拠として認められたなら、九州説は完全に論破されるでしょう。

問題は、こんなに短期に日本列島は逆転するのだろうかと言うことです。

 

だが、地球の事は私たちの足元にもかかわらず、悲しいくらい何もわからないと言って良いのです。

地震の予兆や雨の正確な予想さえまだできていないのです。

ノーマークな想定外の場所で想定外の原因で起こる、地震だってあるのです。

地下の事や深海底の事は、未知なこと、謎の方が多いと言って良いでしょう。

 

木村鷹太郎は、『魏志倭人伝』の旅行者は現在のヴェネツィア付近から出発したと主張し自説を展開するのです。

 

逆転日本列島を前提に魏志倭人伝の行程を辿れば無理なく邪馬台国にたどり着くが、この上に木村鷹太郎説を重ね合わせると、えらいことになります。

 

古代地中海世界の地理が、極東でそっくりそのまま当てはまるということになるからです。

 

古代地中海の地理の極東への移転をやったのは誰か、木村鷹太郎がもし混一疆理歴代国都之図を知っていたなら、彼はためらうことなく日本人だというだろうと私は想像します。

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古代エジプトの縄文人?

秋田県鹿角市十和田大湯地区にある黒又山は、「クロマンタ」山と読むが、これはアイヌ語で「神々のオアシス」を意味する「クル・マッタ」が訛ったものだとされます。
 
この黒又山に、ピラミッドだという説があるのです。
レーダーによる地質学調査で、山体そのものは溶岩が盛りあがってできた自然の構造物であることが判明したのです。
ところが斜面には、7段から10段ほどのテラス状の遺構も確認されています。
このテラスは張り出し部分で幅約10メートル、高さは2~3メートルもあり、麓に近づくほど広く高くなる傾向があったのです。
また、テラスの表面には小さな礫がびっしり貼られていることもわかっています。
エジプトの三大ピラミッドは化粧石で覆われていたが、黒又山は礫で覆われていたことになります。
三大ピラミッドも黒又山も、かつて、陽の光を浴びて光っていたことでしょう。

縄文遺跡である伊勢堂岱遺跡と御所野遺跡、二つの縄文遺跡と黒又山を結ぶと、82キロの緯線を底辺とする巨大な二等辺三角形が出来上がります。
そして、黒又山自体にも縄文人の儀式の痕跡が見つかります。

これは、縄文人の文化にピラミッドに代表される古代エジプトと似通った要素がある可能性をほのめかしていることになりはしないでしょうか。

アイヌの生活文物に古代イスラエルのものとの類似が指摘されるが、イスラエルの民はエジプトにいたことを思えば、祖先とされる縄文人の土器にもエジプトの影響が見つからないとおかしいとなります。

そして、南米エクアドルの太平洋沿岸のバルディビアで、日本の縄文式土器に似た土器が数多く発見されるというが、これに対して古代エジプトの土器の方こそ似ていると言っている学者たちもいると言います。
土器の模様は九州の阿高貝塚や三浦半島の田戸遺跡から出土するものと似ていると指摘されるにも拘らず、むしろ古代エジプトの方が似ていると異論が出ているのです。
西日本の縄文土器に、古代エジプトの土器と似た文様が見つかると言われているに等しい展開だが、そうなると面白い遺跡が熊本にあります。
トンカラリンです。
古代エジプトの研究者吉村作治教授は、トンカラリンの内部構造に込められた思想はまさにギザの大ピラミッドとそっくりと主張します。

日本人には家族性地中海熱の発症が見られるが、本来ならば地中海沿岸の民族の遺伝病のはずです。
家族性地中海熱は地中海沿岸域の人々や、中近東のユダヤ人、トルコ人・アルメニア人に多い疾患と言われています。
日本人には地中海沿岸やトルコの人たちと似た顔が見つかるし、古代イスラエルの生活文物とアイヌの生活文物は似ています。
沖縄の文化や伝承にいたっては、聖書とあまりにも似たものがいっぱいあるのです。
ヤップ遺伝子などは、古代イスラエルと日本くらいしか見つからないとさえ言われているのです。

そして、イスラエルの民は長年にわたってエジプトで暮らしていたわけです。

日本人の足も大半はエジプトタイプだし、日本人とエジプト人は味の好みも近いそうです。
動物を含む太陽神を中心とした八百万の神々が三神構造の構図で祀られていることなども、共通しています。
二本の柱を通って拝殿から本殿にいたる神社の構造は、古代エジプトの神殿に似ているのです。
吉村作治教授などは、スフインクスこそは狛犬のルーツであり、ピラミッドコンプレックス(ピラミッド複合体)こそは神社の原型だとしているのです。

そう言えば、古い時代の神社は山の前に拝殿があったです。
問題はエジプトと日本を繋ぐルートです。

南米エクアドルからはエジプトと縄文、両方に似た土器が出ています。
日本先住民縄文人とアメリカ先住民が親戚であることは、遺伝子も証明済みです。
アメリカの最古級の先住民にさえも、日本人の可能性が指摘される展開になっているのです。
さらに、アメリカのケネウイックからはフランスとスペインの様式の矢じりと一緒にアイヌの親戚の骨が出ているのです。

フランスとスペインの様式の矢じり、家族性地中海熱、これらは日本人の祖先が中東から地中海沿岸を経てアメリカを横切って海を渡ってやってきたというルートの存在を示していないでしょうか。

南太平洋の島々もまた、近年、日本人の祖先がたどったルートとして注目されているのです。

しかも沖縄には、遥か東のニライカナイが祖先が来た方向という伝承があるのです。

さらに天皇の紋章は、古代スメルの王族の紋章そのものずばりなのです。

アフリカの人たちも、アフリカ的と思っていた名前が日本にもあると驚いたことがあるし、アフリカにも日本の小鼓と、形も演奏の仕方もそっくりなものがあるのです。
 
アフリカと日本の繋がりも、情報を集める必要がありそうです。

日本人の祖先にまつわる謎は、まだまだ多いです。

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日本の食文化の起源はどこ?

知り合いの人達が近くまで来たのでと言って、夕食を一緒に食べないかと誘ってきました。

 

そこで行きつけの店に行ったのです。

 

定食のセットで夕食となったのだがご飯と主菜に味噌汁と漬物の組み合わせに、話は思いがけない方向に進んだのです。

 

ブレッドとメインディッシュにスープとピクルスに差し替えれば洋食のセットになってなってしまう、と言うと外国人の方は、確かにと頷きました。

 

そこから話はさらに食文化の比較になったのです。

 

丼はご飯におかずが乗るがご飯をブレッドに変えればオープンサンドになると、彼らは面白がったのです。

 

ピザとお好み焼きも作り方に違いはあるが、やっていることは似ています。

 

トッピングは、ピザは削ったチーズだが、お好み焼きはかつお節、ところがかつお節もまた発酵食品です。

 

豆腐をスライスしてフライした油揚げは皮に食感が似ている、厚揚げはさしずめ皮つき肉と言うところでしょうか。

 

これ以外にも日本の食卓に並ぶ料理には、洋食と見た目は違ってもやっていることは案外近いものが意外とあるのです。

 

地中海沿岸には日本人好みの料理が結構あるらしいが、日本には家族性地中海熱のようにヨーロッパと共有な遺伝病は複数あり、しかもアジアでの飛び地であることは興味をそそります。

 

アメリカではアイヌの親戚の骨がフランスとスペインの様式の矢じりと一緒に出ているが、アイヌは日本の先住民である縄文人の子孫と見られています。

アイヌは沖縄の人たちとよく似ているが、沖縄の文化や風習には聖書と似たものが多くあると沖縄の人達自身も面白がっているのです。

その沖縄に、先祖は東のニライカナイから来たという言い伝えを持っています。

東には南太平洋の島々があり、その先はアメリカ大陸です。

アイヌの人々の生活文物もまた、古代イスラエルと似ていると言う指摘があるのです。

日本とアメリカ大陸の先住民は親戚と以前から言われてきたが、遺伝子でも確かめられてきました。

ところが、アメリカではアメリカの先住民は古代イスラエルの民の一部が渡った人達と主張し、何度も船出して最後に行方不明になった人たちの記録があるのです。

 

これは、偶然でしょうか。

 

日本に来たユダヤ人は、日本の正月の風習に興味を持つのです。

日本人も過ぎ越しの祭りをするのかと気になるわけです。

鏡餅は彼らの供える種入れぬパンを積み重ねる風習と似ていると面白がっています。

七日間という長さや、餅や七草のような食べているものの類似、ともに神を迎える行事であることです。

 

日本の神社と似ているのは、古代イスラエルや古代エジプトの神殿であるのです。

特に日本古来の山岳信仰と古代エジプトのピラミッドコンプレックスつまりピラミッド複合体を対比して、ピラミッドを御神体とする拝殿とその前に配されるスフインクスが山をご神体として拝殿や狛犬が配される神社の古い形の原型と吉村作治教授は指摘しています。

 

アメリカ大陸を船出した人々がヨーロッパやアフリカに行っていれば、彼らは記録や伝承に残しているはずだが、残っている話は聞いたことがないです。

一方、沖縄にはニライカナイと言う東方の地を祖先が旅立った場所と語る伝承があるのです。

 

そして、日本には古代中東の遺伝子があるのです。

 

日本は、中東で発生した人類が東回りと西回りで進んできて再び合流した土地としかかんがえられないです。

何しろ、シベリアにもアイヌの親戚がいるし、シベリアのバイカル湖畔に住むブリヤート人には秋田美人にそっくりな人達が多くいます。

こんな風に、日本には世界各地の人たちと似た顔があるのです。

言い換えれば、世界各地に日本人と似た顔の人が住んでいるのです。

中東が人々の発祥の地と見られているが、東回りと西回りで移動して来た人達は世界各地に人を散らばしながら、日本にやって来たと見る方が自然でしょう。

 

歴史学者とクリスチャンの違いは、それを一万年単位の昔と見るか、ノアの箱舟の後のバベルの塔の頃と見るかの差です。

アブラハムやイサクやヤコブの子孫が日本に来ている可能性がありと見るかどうかの差も、面白いです。

 

彼らは、そうだよね、確かにそうだと、頷きながら聞いてくれました。

私が一方的に話過ぎたことを詫びると、面白い話をきけて楽しかったと言って、にこやかに握手の手を差し出してくれました。

 

私も笑顔で握り返してその晩の久々の語らいは終わりました。

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琉球王国とローマ帝国とオスマン帝国!?

琉球新報で気になる記事が掲載されていたのです。

勝連城跡から

ローマ帝国時代コイン 

オスマン帝国時代も出土

ローマ帝国時代のコイン
オスマン帝国時代のコイン

 【うるま】うるま市教育委員会は26日午後1時半から市役所で会見を開き、市勝連にある世界遺産「勝連城跡」内で、ローマ帝国とオスマン帝国時代のコインが発見されたと発表した。市教育委員会は「中世から近世初期の遺跡からは、国内初になるものだろう」とし、日本史だけでなく世界史研究などに大きく寄与すると分析している。

 調査はエックス線検査や専門家らによる鑑定などの方法で行われた。コインにはローマ文字やアラビア文字、人物像があることが確認された。

 コインが持ち込まれた経緯や使用方法などについては、今後の研究課題としている。

 発見されたコインは鋳造製の銅貨計10枚。そのうち4枚は3~4世紀代のローマ帝国時代、1枚は1669~79年に製造されたオスマン帝国時代のコインと推測される。そのほか5枚の年代については調査が進められている。

 確認されたコインのうち、ローマ帝国時代のコインは直径最大2センチ、重さ3・6グラム。一方、オスマン帝国時代のコイン直径は2センチ、重さ1・2グラム。

 市教育委の横尾昌樹主任主事は「勝連城が西洋との接点があったことは確かだ。勝連城の廃城後の歴史は分からないことが多々あり、今後の解明につながる貴重な資料になる」とした。

 会見に出席した島袋俊夫市長は「沖縄のグスク時代における勝連の流通、交易を考える上で重要な資料。世界史研究全般の研究に大きく寄与する発見となる」と研究の成果を評価した。
【琉球新報電子版】


東アジアの国で、ローマ帝国との強いつながりが指摘されるのは新羅です。

ローマ文化王国‐新羅 由水 常雄 (著)と言う書を知った時にはびっくりしたけど、今回の記事はそれ以上に驚いてしまったのです。

百済・新羅・高句麗のいずれも、日本に亡命しているくらい、日本とは繋がりが深いです

新羅を介してのローマ帝国と琉球の繋がりは、気になるところです。

さらに、オスマン帝国時代のコインまでと言うことは、貿易立国であった琉球の交易範囲の驚くべき広がりへの想像を掻き立てられます。

今後の調査は要注目です。

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生粋の日本人にこだわる意味ってあるのでしょうか。

生粋の日本人って言う人がいるけど、島国日本は太古に大陸からわたってきた祖先の子孫の国なんですよね。

先住民の縄文人、最新研究によるとヨーロッパとアジアの人種や民族が分かれる以前の人たちの子孫だと判明したらしいです。

勿論、縄文人の祖先たちが旅立った場所はその場所は中東のどこかってことになるわけです。

当然、弥生人も大陸出身です。

日本には、百済や新羅や高句麗からの亡命者や秀吉が朝鮮出兵で連れてきた朝鮮半島出身者もいるけど、日本人の遺伝子の主流に中国や韓国・朝鮮と同じものはないのです。

面白いことに、ほとんど中国や韓国を迂回したルートかシルクロードが日本人のアジア横断ルートとして浮かび上がってくるのは興味深いことです。

シルクロードと言えば面白い伝承が中央アジアのキルギスにあり、肉好きはキルギスに残り魚好きが東に向かって日本人になったと言うが、それくらい彼らは日本人に似ているのです。

キルギス人はテュルク系民族だが、トルコ人もその一派です。

キルギスもトルコも、日本人が驚くくらい親日らしいから、面白いんですよね。

それと、日本はアジアにおけるヨーロッパの遺伝子病の飛び地でもあり、しかも、その広がりは、結構ヨーロッパの広範囲に及ぶのです。

これも、ヨーロッパとアジアの人種が分かれる以前の人たちの子孫が縄文人と知れば納得できるわけですね。

何しろ日本人の遺伝子分布をヨーロッパ寄りにした原因は縄文人と判明しているのですから。

それに、アメリカ大陸の先住民も縄文人とご親戚であることが、遺伝子研究でも裏付けられたし、縄文土器や古代日本人の骨もアメリカ大陸で見つかっているのですよ。

古来日本人は、ワールドワイドな移住をしてきたことがどんどんわかってきたのです。

生粋の日本人とかこだわる方が、馬鹿馬鹿しいってことなのですね。

太古、日本人は世界を股にかけて壮大な旅をしてきた民族であることが、これからもどんどんわかってくることでしょう。

そのことを世界に積極的に発信して、世界に平和を呼びかけ各地に古代の日本人の足跡探ししようじゃないですか。

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたい」と言う憲法前文と、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と宣言している憲法9条はその時、最大のパスポートになるはずです。

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蕎麦と日本人の長いお付き合い。

蕎麦は、日本では、麺として細長く切るだけでなく、蕎麦掻きとして食べることもあります。

蕎麦掻き(そばがき、蕎麦掻)とは、蕎麦粉を使った初期の料理であり、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒の肴とするなど広く食されています。

蕎麦切りとも呼ばれる蕎麦のように細長い麺とはせず、塊状で食する点が特徴です。

 

日本の蕎麦の歴史は古く、5世紀の文献にあらわれるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程です。

蕎麦掻きは鎌倉時代には存在し、石臼の普及とともに広がったと見られています。

蕎麦料理は、江戸時代半ばまでは蕎麦掻きとして食べられていたが、江戸中期頃には麺状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、日本全国に広がっていたようです。

なお、17世紀ごろ蕎麦切りが禁じられていた農村が多かったようで、これらの農村では蕎麦掻きや蕎麦もちが食べられていたといいます。

蕎麦もちとは、蕎麦粉を団子にしてたき火で焼いたものです。

今でこそ酒の肴となっている蕎麦掻きは、当時の農村では、ご飯の代わりとして雑穀や根菜を混ぜたり、鍋料理に入れるなど食べごたえのある形に調理されたものが多かったようです。

 

縄文にさかのぼれる蕎麦も、都の上流階層である貴族や僧侶からは食べ物として認識されていなかったらしいです。

鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、藤原道長の甥で平安時代中期の僧・歌人である道命が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて、「食膳にも据えかねる料理が出された」として、素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記してるといい、鎌倉時代まで都の上流階層には蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言えそうです。

 

この事実は、当時の支配階層となった人々の出自は蕎麦食文化圏ではない可能性を示しているとみえ、興味深いことです。

 

日本や朝鮮や中国では麺として食べられている食材としての蕎麦は、スラブ系の国々ではカーシャとしてお粥のように食べられたり、フランスのガレットとして食べられています。

とはいえ蕎麦は、小麦粉で作られる饂飩などパスタの仲間と違い、他の地域ではあまり食べられていません。

 

スラブ系の国々で食べられているカーシャは、アメリカ合衆国では、面白いことに東欧ユダヤ系のソバの実の料理として知られています。

挽き割りのソバの実をセロリ、タマネギ、卵などと炒めてからスープで炊いたもので、お粥よりも水分が少ないのが特徴です。

蝶ネクタイ型のパスタが入ると、「カーシャ・ヴァーニシュケス」と呼ばれます。

 

ガレットはフランス北西部の郷土料理である料理・菓子の名称で、「円く薄いもの」を意味するが、特にそば粉のガレットを指すことが多いそうです。

ガレット・ブルトンヌ(ブルターニュ風ガレット)は、フランスのブルターニュ地方発祥の、そば粉で作られるガレットであり、主に小麦粉で作られるクレープのもとになった料理です。

そば粉・水・塩などを混ぜて寝かせた生地を熱した平鍋またはガレット調理専用の鉄板に注ぎ、こてで薄い円形に伸ばし、正方形に折りたたんで完成となります。

 

中国が原産の蕎麦は、やせた土地でも冷涼な地域でも乾燥した土地でも育ち、しかも育ちが早いので早く収穫できることから、世界中で作られています。

中国が原産ですが、東アジア・チベットも含め中央アジア・中東さらにはヨーロッパまでが主要な産地です。

生産量で言うと、たぶん世界一はロシア次いで中国、旧ソ連のウクライナで、東欧のポーランドも生産が多いし、フランスでもイタリアでも、南アフリカでも栽培しています。

ただし南アフリカは白人の入植地としてはじまったことを思えば、蕎麦の栽培はヨーロッパ由来の可能性が大きいかもしれません。

 

それとあまり知られていないが、最近ではカナダやアメリカでも栽培がされています。

 

蕎麦の栽培地の多くがやせた土地であることを思えば、平安時代の都の上流階層が蕎麦を知らないということは彼らの出自となった地域が肥沃であったことを物語っています。

 

騎馬民族征服王朝説も含め放牧民が天孫族の正体とする見方と合わせると、放牧は牧草の自生地を渡り歩くことになるので、腰を据えて蕎麦を育てる必要のあるやせた土地を避けてきたことになって、蕎麦を知らないのもある意味当然ということになるでしょう。

 

これは、蕎麦を栽培せざるを得ない地域を通ってきた日本先住民と、肥沃な土地を渡り歩いてきた天孫族という構図が見えてくるということかもしれません。

 

もしそう見てもいいなら、中東から地中海沿岸特にヨーロッパ側を通って、アメリカを横断し太平洋を横切ってきた縄文人が過去にたどってきた地域で知った蕎麦を栽培したのでしょうか。

例外はあるものの、蕎麦食文化は縄文文化の影響が強い東日本に中心に根付いたことは面白いです。

 

蕎麦は、もともと米や小麦が育ちにくい寒冷地で代替食として育てられていたものなので、比較的気候の温暖な関西以南ではうどんが主流になったと考えられるので、縄文と蕎麦を結びつけて論じるのは物事を単純化しすぎた一面的な議論との反論もあるでしょう。

 

だが、縄文とヨーロッパやアメリカの繋がりは見えるが、アジアとの繋がりは弱いように見えるのです。

 

縄文土器は日本とアメリカからは出るが、類似を指摘されるものは今のところ他には古代エジプトくらいのものなのです。

 

縄文の周辺を探れば、アメリカ出土の人骨の傍にフランスとスペインの様式の矢じりがあり、しかも当初イギリス人と見間違えられたエピソードもあります。

実際、縄文人の骨でDNAを見るとヨーロッパ人と別れた頃の原アジア人に近いのです。

現日本人をヨーロッパよりに大きく引っ張っているのが、限りなくヨーロッパ人に近い縄文人なのです。

縄文人がアジアよりヨーロッパに近いことは、日本がヨーロッパの遺伝子病の飛び地であることからも、裏付けられるのです。

 

蕎麦の歴史から、日本人のルーツにまで話が行ってしまいました。

 

蕎麦は調べてみればもっと興味ひかれる話題がありそうですが、長くなりそうなのでひと休みしますか。

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モンゴロイド

DNA分析の成果によれば、現生人類発祥の地はアフリカにあるとされます。

人種間の遺伝的距離を計ると、人類集団はアフリカ人であるネグロイドと西ユーラシア人であるコーカソイドのグループ、およびサフール人と呼ばれるオーストラロイドと旧来モンゴロイドとされた東南・東アジア人によって構成される東ユーラシア人と南北アメリカ大陸に住むインディアン、エスキモーのグループの2つのグループに大別することができるとされます。

 そのうちのネグロイドは、現生人類の祖の直系の子孫とされますね。

黄色人種、モンゴル人種とも言うモンゴロイドは、形態人類学上の「人種」概念の一つです。
人種とは、ヒト・人間を分類する用法の1つで、生物学的な種や亜種とは、異なる概念です。
現生するヒトは、遺伝的に極めて均質であり、種や亜種に値する差異も存在しません。

肌の色はヒトという種の集団の分化の過程で選択圧を受けやすく最も短期間に変化する形質の一つであり、肌の色の類似または相違でいわゆる「人種」を区別することはできません。
肌の色を発現させる遺伝子についても、肌の色と同様いわゆる「人種」を区別することはできません。

 人種は混血可能な点で、イエネコのネコ種に近いわけですね。
 ネコ種によって外見の差はあっても、子供が出来ない組み合わせはないですから。

モンゴロイドの身体的特徴としては、目の下に蒙古襞(もうこひだ)というシワがある、鼻が低く獅子鼻、髭が薄い、歯が黄色い、顔以外では、蒙古斑といって乳幼児のお尻が青い、などが挙げられています。
ただし近年、蒙古斑は程度の差こそあれ、コーカソイドやネグロイドにもあることがわかってきたといいます。
コーカソイドの場合は蒙古斑の色が薄いため、ネグロイドの場合は肌の地色が濃いため、確認が難しかったそうです。

黄色人種の名はヨーロッパ人と比較した際のモンゴロイドの肌の色に由来するが、実際のモンゴロイドの肌の色は、淡黄白色から褐色までかなりの幅があります。
ネグロイドやオーストラロイドのような極端に黒い肌はみられないですけど。

近年のDNA分析によれば、モンゴロイドはアフリカからアラビア半島・インド亜大陸を経由し、ヒマラヤ山脈・アラカン山脈以東に移住した人々が、周囲の自然環境により他の「人種」との交流を絶たれ、その結果独自の遺伝的変異及び環境適応を経た結果誕生した「人種」であるとされます。
モンゴロイドの原初の居住地は、ヒマラヤ山脈及びアラカン山脈よりも東及び北側とみられています。

 日本人は、世界でも稀な古代血統とされるY遺伝子D系統を多く持つ人種ですよね。

世界的にも、日本人の他にはチベット人や中近東の人だけがこのDNAをもっていると指摘されます。

 日本人はY染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名と言うことは、アラビア半島周辺から移動を始めた頃の遺伝子を未だに持ってる人がそれだけ大勢暮らしているのが日本なんですね。

日本人にも、家族性地中海熱という遺伝性疾患の発症例が確認されていますからね。
近年、報告例は増えているそうだけど、認識が深まってきたので分類される場合が多くなった可能性はあるかも知れません。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にスペイン・ポルトガル系のユダヤ人であるセファルディ・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。
原因遺伝子がわかってからは、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

そうなるとチベットは気になるけど、手元にデータがないので、どちらとも言いかねます。

各地域に住む人々のミトコンドリアDNAやY染色体、或いはヒトの核遺伝子を比較することにより、ヒトの移住の時期・系統・経路が推定出来ます。

近隣結合法を用いた斎藤成也による核遺伝子DNAの分析、Ingman et al.、篠田謙一らによるミトコンドリアDNAの分析によるモンゴロイドの出現について示すとこうなると言います。

ただし、特に斎藤はモンゴロイドという名称に異議を唱えていますけど。
またヒトは同一種であるため、用いる遺伝子によって異なる結果がでることもあり、小さなクラスターについては特に顕著となります。

20万〜15万年前、アフリカ大陸において現生人類であるホモ・サピエンスが出現したと言うのが人類のアフリカ単独起源説です。
その後10万年前にはアフリカ大陸の対岸に位置する中東地域に進出し、現在のコーカソイドの前身となります。

中東地域に進出した人類は、その後7万〜5万年前にサフール大陸すなわち現在のオセアニア地域に進出、オーストラロイドの前身となります。

さらに、5万〜4万年前には西方では地中海伝いにヨーロッパへ進出する一方、東方ではヒマラヤ山脈を越え東南アジア・東アジア方面に進出します。

ヨーロッパに進出したグループは、その後も中東地域および北アフリカ地域との交流が保たれたため、これらの地域の人々の間では遺伝的な差異が生じず、現在でも同じコーカソイドである西ユーラシア人に分類されます。

しかし、東南アジア・東アジア方面に進出した人々は、天然の要害であるヒマラヤ山脈・アラカン山脈が障害となり、中東・インド亜大陸の人々との交流を絶たれ、独自の遺伝的変異・環境適応を成し遂げることとなります。

これが、後のモンゴロイドです。

モンゴロイドは、東アジア、中央アジア、東南アジア、東ロシア、北極圏、南北アメリカ大陸、太平洋諸島、南アジアの北東部のほか、アフリカ近辺のマダガスカル島にも分布します。
アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあります。

ユーラシア大陸東部のモンゴロイドは、寒冷適応の程度の軽重によって大きく古モンゴロイド・新モンゴロイドに区分されたが、遺伝的に見ると他の集団間の差異に比べて大きな隔たりは存在しないです。

 古モンゴロイドは旧モンゴロイドということもありますね。

モンゴル地域・中国東北部・朝鮮半島には新モンゴロイドが比重として圧倒的に多いのに対し、大陸南部や島嶼部へ行く程古モンゴロイドの比重が高まっているとされました。

DNA分析の結果等から現在は否定されているが、次にあげるような説が展開された時期もありました。

ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。
ユーラシア大陸西部では、現代人の直系の祖先であるクロマニヨン人と既に絶滅したネアンデルタール人とが共存した時代を有することから、現代の欧州人はネアンデルタール人の血を引いているとの説があり、それと同様にモンゴロイドも北京原人やジャワ原人と現生人類との混血であるとする説。

現在の人類学では形質研究よりも遺伝子研究が重視されています。

遺伝子的には南方系モンゴロイドと北方系モンゴロイドと区分する場合もあります。

遺伝的な近縁関係から人類集団を分類する近年の学説では、先述の通り、アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、旧来の狭義の「モンゴロイド」が二分されるとします。

 アメリカ先住民であるネイティブ・アメリカンとアイヌや琉球人を古モンゴロイド、アイヌや琉球人以外のアジアのモンゴロイドを新モンゴロイドに、分けるやり方。

 アジアに居住を続けてのちに一部が太平洋諸島・マダガスカル島に移住した東ユーラシア人と、南北アメリカ大陸で分化した南北アメリカ人に、分けるやり方。

 だから、アメリンドすなわちネイティブ・アメリカンとアイノイドつまりアイヌのどちらか一方もしくは両方を、別人種としてモンゴロイドに含めない用法もあるとなる。

 その場合、新モンゴロイド、東ユーラシア人、に分類される人たちが狭い意味でのモンゴロイドということになる。

古モンゴロイドや新モンゴロイドとは、寒冷地適応を経ているか否かの違いを表したハーバード大学人類学教授William White Howellsによるモンゴロイドの分類で、日本では埴原和郎や尾本恵市らが用いているようです。

中東地域・インド亜大陸方面から東南アジア方面に進出したと考えられるモンゴロイドを、形態人類学では古モンゴロイドと区分しました。

 古モンゴロイドは、アジアではモンゴルの中央と東部地域、および中国北部、華南、東南アジアなどの地域に比較的多く見られるようですね。

日本列島に到達した縄文人は古モンゴロイドとされます。

古モンゴロイドは、熱帯雨林に適応した結果、低めの身長、薄めの肌の色、発達した頬骨、鼻梁が高く、両眼視できる視野が広い等の特徴を持つと考えられています。
他の、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪、厚い唇、多毛等の特徴は新モンゴロイド以外の多くの「人種」と共通します。

なお、現在、北米最古の人骨であるケネウィック人は古モンゴロイドと最も類似し、古モンゴロイドの一部は北米にも進出したと考えられています。

 そういえば、かつてテレビでケネウィック人のほか、メキシコからも日本人によく似た古代人骨が出ていると紹介してましたね。

 メキシコの場合もおそらく、アイヌや琉球人に似てる古代人なのでしょうけど。

ケネウィック人と一緒に、フランスやスペインの様式の鏃も出てますよ。

 フランスと言えば、クロマニヨン人はフランスで見つかった石器時代人で、ケネウィック人との関係を考えたことがありましたね。

それを言ったら、日本に来たケネウィック人の親戚はクロマニヨン人の親戚にもなるでしょ。

 東北弁はフランス語に響きが似てるので、東北弁をフランス語と勘違いするCMもありましたよね。

家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病など日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さを示す遺伝性疾患が日本でも確認されることを思い起こすと、ケネウィック人は興味深い存在です。

このうち、クローン病はアジアでも、ロシアなどヨーロッパ系の国だけじゃなく日本や韓国や中国、それと台湾にも発症例はまだ少ないが報告はあるようです。

中国・韓国・台湾はもちろん、実はロシアも日本人の成立史にかかわる地域であることがわかってることを考えれば、注目したい遺伝性疾患です。

 ロシアと言えば、秋田美人によく似た美人が見つかる国ですね。

ここで注目したいのは古代アメリカと日本の関係が、ミトコンドリアのDNAの比較から確認できたことです。
ミトコンドリアDNAのタイプのことを、ハプログループといいます。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあります。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプ。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループだそうです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるのでしょう。

16のDNAパターンは、以下の通り。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

現在のところ科学的な総意としては、アメリカ先住民の大部分は、Y染色体ハプログループCとQ14の分派と、ミトコンドリアDNAハプログループA、B、C、D、とXに属しているというもので、これらすべては東アジアに優勢のものです。

今までまとめられた証拠によれば、アメリカ先住民すなわちネイティブ・アメリカンの大半はアジア系のDNAを持っていることを示唆しています。

これまで、現代のアメリカ先住民に確認されたDNAの大半は東アジアの集団とほぼ類似していると言います。

2013年の研究では、アメリカ先住民のDNAの3分の1が、ヨーロッパまたは西アジアから発祥し、おそらくアメリカ大陸に初期に移住する前に遺伝子プールにもたらされた可能性が高いとしています。

日本と古代アメリカでつながるのは、ハプログループのなかのAグループとDグループ。
古代アメリカでは、先にAグループが多かったのが、次第にDグループが増えたというのです。

近年の遺伝子研究では、アイヌと類似が指摘される沖縄の人々にDグループが多いと報告されています。

また、北海道縄文人集団にはN9b、D10、G1b、M7aの4種類のハプログループが観察されていると言うから、アイヌはDグループとみた方が自然なのかもしれません。

そうなると、ケネウィック人はどのグループだったのでしょうね。

骨だけでは、調べるのは、骨が折れますねえ。

けれど、最新の研究からすれば、ケネウィック人の傍らにフランスとスペインの様式の鏃があってもおかしくない展開にはなってきていますね。

面白いことに、中近東DNAマーカーが現代のアメリカ先住民のDNAに存在します。

科学者たちが遺伝子マーカーの形状を年代測定するために使う「分子時計」が、移住の時期が数百年前か数千年前かをいつも正確に位置づけることができないという事実のため、時期の特定には使えないとされます。

とはいえ、興味深い遺跡はあります。

カホキアは、イリノイ州、セントルイス郊外にあるアメリカ先住民が築いた大遺跡です。

ミシシッピ文化期(A.D.700年~1600年頃)に、栄えたと推定されています。

北アメリカ初期の歴史を理解する面での重要性を評価して、1982年に「カホキア・マウンド州立史跡」として世界遺産に登録されました。

カホキア遺跡が指し示す古代アメリカの社会は、古代エジプトやメソポタミアどころか、聖書の世界を彷彿とさせる内容であることを示す展開になっています。

さらに面白いのは、縄文の末裔と見られるアイヌや琉球人の生活文物や文化と古代イスラエルや聖書との類似が指摘されるのです。

 縄文人は、古モンゴロイドであり、ケネウィック人の親戚であり、ケネウィック人の故郷はヨーロッパ、さらには西アジアに遡れるかも知れないから、確かに興味惹かれますね。

そのカホキア遺跡は、洪水で滅んだことが明らかになってきたが、モルモン書は洪水などによって滅んでいく町のありさまを生々しく語り伝えているのです。

場所は詳しく記されてはいないが、カホキア滅亡の物語の舞台としては矛盾しません。

 モルモン書は古代アメリカにイスラエルの民の一部が来たと、記していますね。

もちろん、モルモン書出版当時にはカホキア遺跡のことは知られていません。

 アメリカ先住民の中近東DNAマーカーがコロンブス以前にもたらされていれば、矛盾のない展開ですね。

たとえコロンブス以前としても、またしても年代の問題は立ちふさがっていますがね。

 精神文化の問題はクリヤーできても、彼らの主張する年代と合うかどうか、問題はそこですね。

一方、かつての形態人類学で新モンゴロイドとされた人々は、北に向かった古モンゴロイドの子孫、及び中東にそのまま留まった集団の子孫がそれぞれ北上し、東ユーラシアの寒冷地域で独自の適応を遂げた集団です。

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、一重瞼、蒙古襞と呼ばれる目頭の襞、体毛が少なく特に男性のひげの少なさなどの特徴を持っています
さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、といった特徴があります。
一重瞼や蒙古襞は目を凍傷から守るため、乾いた耳垢も耳の凍結を守るため、体毛の少なさも身体に付着した水滴が凍結しないための適応に由来するとみられます。
また、ベルクマンの法則から、大柄でガッチリした体型や凹凸の少ない顔などもなるべく体熱を逃さないための適応だと考えられています。

新モンゴロイドは、おもに現在のカナダ・グリーンランド・アラスカ・モンゴル・カザフスタン・キルギス・シベリア・中国(まれに華南で)・朝鮮半島に多く居住するとされます。

紀元前3世紀の日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の日本人が形成されたとする説があります。
遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、本土日本人にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本列島人であるアイヌ人、琉球人、本土人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

遺伝学的には、古モンゴロイドと新モンゴロイドとの差異は小さいとされます。

シベリアは一般に新モンゴロイド系の特徴が強い人々が多いが、東部に限っては古モンゴロイド的な形質が色濃い人がみられると言います。
南北アメリカへはアジアから渡ったのは確かだが、従来のベーリング海峡ルート説は日本とアメリカで見つかる寒さに弱い寄生虫が確認されたことで疑問視されるようになってきました。

日本においては、縄文時代の住民は主に古モンゴロイド系であったと言われます。

 しかも近年、アメリカのバルデビアからは縄文土器そっくりな土器が見つかり環太平洋的な広がりが指摘されるようになりましたね。

バルデビア土器については、エジプトの影響を指摘する声もありますよ。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。
親指が長い他に、足幅が広めな形です。
親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

 つまり、バルデビア土器は縄文にもエジプトにも似てるけど、日本人の足はエジプトタイプが多いから日本人が作ったとも見て差し支えない。

太陽神を中心にした三神構造で動物を含む八百万の神と言う点でも、エジプトと日本は似てるし、二本柱が前に立ち拝殿と本殿に分かれた構造などエジプト古代神殿も日本の神社と造りが似てますよ。

ちなみに、足指のギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。
ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。
ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

古モンゴロイドの後に中国および北東アジアから渡来した新モンゴロイドと混血をした結果、現在の日本人の新モンゴロイドと古モンゴロイドの特徴が混在する形質が形成されたと考えられました。
遺伝子解析の結果、琉球人、本土人、アイヌ人からなる日本列島人は皆縄文人の血を受け継いでいるため、現在の東アジア大陸部の主要な集団とは異なる遺伝的構成であるという結果が出ています。

近年の人類集団を分類する学説では、各人種の原初の居住地を分類名称とすることが多くなっています。
その場合、東アジア並びに東南アジアに居住するモンゴロイドを東ユーラシア人とし、アメリカ大陸で分化したモンゴロイドを南北アメリカ人とします。

東ユーラシア人と言う場合アイヌも含むと見られるので、アメロイドとアイノイドを別人種とする用法と旧モンゴロイドと新モンゴロイドの区別とは、混同しない方が良いかも知れないです。

またオーストラロイドとされたサフール人を含めた旧来の広義のモンゴロイドを全て網羅する定義としては、「環太平洋人」とする説があります。
アジアに住む人々はアジア系民族と呼ぶのが一般的であるが、アジア人にはコーカソイドに属するインド・アーリア人やオーストラロイドに属する南インドのドラヴィダ人も含みます。

 ドラヴィダ語族と日本語との関係を主張する説もあり、とりわけ大野晋による、ドラヴィダ語族のひとつのタミル語との対応関係研究があるが、批判もおおく、まだ学説としては確定していないようですね。

インド人から同胞に間違えられて困った日本人もいますよね。

なお、パプアニューギニアやオーストラリアの先住民は、オーストラロイドという別人種に分類されます。
かつて、オーストラロイドをモンゴロイドの祖先とする考え方があったが、DNA分析により現在では否定されています。
ただし先述の通りモンゴロイドとされた東・東南アジア及び南北アメリカ大陸等の集団には遺伝的に近いです。

モンゴロイドは成立後、1万4000〜1万2000年前にのちのベーリング海峡となるベーリング地峡を渡りアメリカ大陸に進出したとされてきました。

また3000〜2000年前には太平洋の島々にも移住したです。

 南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったのでしょうか。

現在までのところ、アメリカ大陸最古の人物として確認されているのも、古モンゴロイドの特徴を持ってますからね。

ケネウィック人は発見当初、イギリス人かと色めきだったけど、結局古モンゴロイドと言うところで落ち着いているようです。

ただし、先住民族の祖先と断定すると彼等から我々の仕来りに沿って埋葬すると言われるので、日本人の骨と言ってアメリカ先住民のものと断定するのを避けているようですが。

 そう言えば、幕末のころアイヌを見た欧州人から、なんで日本に欧州人がいるのかと驚かれたそうですね。

調べた結果、やはりモンゴロイドだと決着がつきましたけどね。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島やニュージーランドにまで到達して今日のポリネシア人、ミクロネシア人となったとみられています。

さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカのマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされます。

途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われます。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としてました。

特に、モンゴル高原を中心とする中央アジアの乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇ったのです。

彼らはこの軍事力を武器に、古代はコーカソイドの居住地域であった中央アジア西域に進出します。

その後、一時的にヨーロッパ北東部及び中東・南アジアのインド亜大陸にも進出したのです。

特にモンゴル帝国はユーラシア大陸の東西に及ぶ巨大な勢力圏を築くに至ったのです。

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TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とユダヤ?

TNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)とも呼ばれる家族性アイルランド熱については、以前、日本でも発症例があることは触れたが、アイルランドがケルトの多い土地であり、日本とケルトの繋がりが見えることの方に注目したのでした。  

  詳しいことには、あまり踏み込みませんでしたね。

あの時は、家族性地中海熱の方がメインでしたからね。

改めてこの遺伝性疾患に注目したのは、この病気にもユダヤ人が絡んでいるからなのです。

 家族性地中海熱と家族性アイルランド熱、どちらもユダヤ人が絡んでいるなら、日ユ同祖論者は喜んで飛びつきますね。

ただ、ユダヤ人が以外の発症者がいることを、どう見るかですね。

TRAPS患者は、今までのところ日本以外の東南アジア諸国において報告されていないと言います。

報告された最初の症例は、アイルランドとスコットランド系の人種でした。

その後それ以外の人種でも報告があったけどほとんどのTRAPSの患者は北ヨーロッパ系と中東系の人種で、ユダヤ人の名前はその中にあります。

フランス人、イタリア人、スペイン人、アルメニア人、プエルトリコ人、アルメニア人、ユダヤ人、アラブ人、カブール人、アフリカ系アメリカ人です。  

東南アジアどころか、東アジアで見ても、日本だけでしょ。

 家族性地中海熱は、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人だから、イギリスを除けば似た地域ですね。

地中海やアメリカにまで症例が見つかったので今ではTRAPSと略称で呼ばれることが多いが、この遺伝性疾患もまた日本と地中海との繋がりを示すと言えますね。

TRAPSは、常染色体優性遺伝とみられてきました。

優性遺伝性の自己炎症性疾患であろうと思われ、皮疹、腹痛、筋痛、結膜炎、胸痛、関節痛に関連した発熱発作を繰り返すことを特徴とします。

強い腹痛を呈し、腹部手術に至る患者もいます。

遺伝性疾患なので、伝染することはありません。

常染色体優性遺伝は、Autosomal Dominant、ADと略され、常染色体上に存在する1対の遺伝子の一方に異常があれば発症します。

TRAPSの責任遺伝子は、12P13resionと言う12番目の遺伝子上に存在します。

この遺伝子の突然変異により異常なTNFレセプターが誘導され、それが不適当な炎症反応を引き起こします。

この遺伝子に関しては、33カ所の異なった突然変異が特定されています。

TRAPSを発症した子ども達は、胎児期の突然変異ではなく、この病気の遺伝子をTNFレセプター異常の遺伝子のキャリアである両親のどちらかから受け継いでいます。

この突然変異を持っている人は、TRAPSの臨床的な症状を持っているかもしれないし、持っていないかもしれません。

ただ、最近の研究では、TNF遺伝子の突然変異が証明された症例のみTRAPSとして含められるべきであるとされるようになってきているようです。

それと言うのも、常染色体優性の遺伝形式を示すが、家族歴のない孤発例も報告されているからだそうです。

そんなわけで、実は発症のメカニズムがまだ十分に突き止められたとは言えないようなのです。

 遺伝性疾患の可能性は高いが、例外と思える発症例がある以上断定には慎重になっているのですね。

TNF遺伝子のTNFとは、腫瘍壊死因子と呼ばれる白血球の出すサイトカインの一つです。

サイトカインは、特定の生理的調節機能に対して作用する白血球の出す生理活性物質の総称です。

突然変異が証明された場合された症例のみとするとは言え、特定の民族に発症例が集中している以上、遺伝性疾患としての性格を完全には無視しきれないはずです。

TRAPSは、遺伝的には優性遺伝のパターンをしめします。

これは単一家系内にそれぞれの世代に一人以上の患者が見いだされることを意味します。

事実、血族結婚が少しずつ、減少してきていることで、TRAPSのような複雑な疾患の発症は減ってきていると言います。

突然変異が証明された場合された症例のみとするなら、このような傾向を説明できるでしょうか。

この病気は一般的に発症を防ぐ方法はありません。

通常2週間から3週間間隔の弛帳熱で発症し、消化管の通過障害、痛みを伴う赤い発疹、筋肉痛、歯肉の腫脹を伴うことがあります。

常染色体とは、性染色体以外の染色体のことであり、ヒトの体細胞は22対、44本の常染色体を持ちます。 患者の子が同疾患を発症する可能性は、男女を問わず50%です。

TNF受容体関連周期性発熱症候群はごく最近認知され、理解されてきました。 TRAPSの臨床経過は、14パーセントは2次的にアミロイドーシスと呼ばれる腎病変に移行するが、それ以外は良性で自己完結型の疾患です。

良性とは、病気が良好な経過をたどって治癒する性質であること、あるいは,癌性でないことです。

アミロイドーシスとは、「アミロイド」と呼ばれる蛋白が全身の臓器の細胞外に沈着する疾患で、日本では特定疾患いわゆる難病に指定されています。

   どの程度の頻度の病気でしょうか。

TRAPSは確認された患者の数は100人以下の稀な疾患で、日本でもこれまで10例程度が報告されている程度のようですね。

日本の発症数は、推定でも、30人程度とみられています。

本当の疾患の頻度は現在でもよく解っていないが、発症に男女差はなく、発症年齢は年長児や成人に多い傾向があります。

TRAPSの経過には季節や風土は無関係であり、一生のうちどの時期に発症するかは予測できません。

TRAPSはTNFRと呼ばれるタンパク質に起きた遺伝的な異常で引き起こされると言われており、その異常が起きたタンパク質は患者の正常の免疫反応を過剰な方向に誘導すると言われています。

TNFRとはTNF受容体の略で、赤血球を除いた生体内の細胞に広く存在しているタンパク質です。

TNFと呼ばれる炎症性のホルモンは、TNFRで正常にコントロールされない場合、過剰に働き、炎症反応の程度を減少させます。

この欠陥は、発熱、悪寒、痛みなどの患者の不快な症状を説明できます。

感染や外傷、精神的なストレスは疾患を増悪させると言われています。

アミロイドーシスとTRAPSとの共通性はおそらく、どちらも慢性的な炎症性疾患であり遺伝的な要素をもっているということです。

主要な症状は繰り返す2週間から3週間続く発熱発作です。

発熱は悪寒戦慄、体幹部と上肢の筋肉痛を伴います。

典型的な発疹は赤色で皮膚や筋肉の炎症部位に一致した痛みを伴います。

大部分の患者が経験するのは、発作が起こる際の痙攣を伴う深い部位の筋肉痛で、少しずつ痛みは増悪していき、また四肢の他の部分にも広がっていきます。

吐き気と嘔吐を伴う広範な部位の腹痛が通常みられます。

眼瞼結膜と眼窩周囲の腫脹は、TRAPSに特徴的な所見だが、これは例えばアレルギーと言った他の疾患でも認められます。

以上のような特徴的な症状の出現の仕方は、発作期間の長短により異なった表れかたをします。

胸痛もまた、胸膜炎や心外膜炎の結果として出現することがあります。

アミロイドーシスは頻度は稀だがTRAPSの最も重篤な合併症です。

尿中に巨大な蛋白が出現し腎不全を引き起こします。

TRAPSの、症状の出現の仕方は多様です。 すなわち、発症している期間も発作のない時期の期間も症例により異なります。 主要症状の、出現の組み合わせもまた様々です。

これらの違いは、遺伝要因により説明できると思われます。

専門医は臨床症状と家族歴からTRAPSを疑います。

いくつかの血液検査結果は発作中の炎症反応の程度を検出するのに有効です。

TRAPSの診断の唯一の方法は、突然変異の証拠を遺伝子診断で確定することです。

鑑別診断としては、特に家族性地中海熱や高IgD症候群などが挙げられます。

TRAPSは時として成人スチル病や若年性関節リウマチと症状が類似しており、鑑別が必要となることもあると言います。

類似の症状としては、これらがあげられるそうです。

原因不明の発熱に加えて、同時に腹痛、筋肉痛、皮疹、関節痛、結膜炎・ 眼窩周囲浮腫、胸痛などの症状のうち、いくつかを合併することが多い。

症状は通常5日間以上持続し、長い場合には数カ月続くこともある。

これらの症状が数カ月から数年の周期で出現するという経過を繰り返す。

筋肉痛と皮疹は場所が移動しうる。

鑑別についての詳しくは、医師に尋ねてください。

遺伝性疾患の可能性が高い、このような症状があると紹介するのが、今回の目的ですので。

現在のところ、TRAPSに対する治療はありません。

NSAIDsは発作時の症状を緩和するのに役立ちます。

大量ステロイド療法(ステロイドパルス)はしばしば有効だが、逆に深刻な不利益をもたらすこともあります。

特異的なTNF阻害剤は、発熱発作の初期の患者には有効なことがあることも知られています。

発熱を予防する方法がないので、治療は急性期の症状がある時だけです。

生涯を通じて不定期に反復するのがTRAPSの自然経過です。

最悪の転帰をとるのはごく少数の患者ですが、2次性のアミロイドーシスが危険因子となります。

この危険因子は、遺伝的な要因と環境因子の両方が関係しますので簡単には決めつけられません。

アミロイドーシスは深刻な合併症であり、しばしば腎不全に移行します。

現時点では、この合併症が避けられるものかどうかの判定は誰にもできません。 完全に治癒する可能性は否定されていません。

実際、遺伝子的なTNFRの構造変化は、全身の機能に異常を引き起こしません。

さらに、発熱を引き起こす強力な物質にさらされなくなると、寛解が得られるかもしれません。

治療としては、発作時に副腎皮質ステロイド剤を投与することが多いそうです。

ただし症状の程度 には幅があり、安静や非ステロイド性抗炎症剤(NSAID)のみでコントロールできる症例や、副腎皮質ステロイド剤に抵抗性の症例も存在すると言います。

難治性の場合には、抗TNF製剤(エタネルセプト)が有効な場合もあるそうです。

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日本の音楽文化とジャズと秦氏?

日本の音楽、どちらかと言うと、ジャズのジャムセッションに近くないでしょうか。

即興の掛け合いで生き生きしてくるさまは、まさに、ジャムセッションです。

 ジャムセッションは、奏者の力量と才覚に大きく左右されますね。

十分に練習を積んだ者同士でないと、簡単に空中分解するリスクと常に隣りあわせです。

楽譜の世界に、即興の掛け合いはまさに、命を吹き込んでいくのです。

忠実に再現されるべきは、楽譜ではないです。

忠実に再現されるべきは、楽譜に記された世界なのです。 

 そしてその世界は、魂の世界との交信であり交流でもあるのですよね。

日本の歌の系譜は、神前に供えるための音楽に端を発する可能性も見てきました。

ジャズはその成立史をみればわかるけど、ソウルミュージックとは密接な繋がりがあるのです。

ソウルは教会の霊歌ゴスペルやリズム&ブルースから派生した、よりポップミュージックに近い歌ものの音楽です。

 日本の精神文化も、どこか聖書、特にキリスト教と似通ってることは、これまで何度も取り上げてきたでしょ。

日本人は「歌」に対しては非常に厳格な美意識を持っているのです。

それは、日本の音楽は、言霊の表現形式の一つであるということです。

音が意識を宇宙に連結していく、日本の音楽に対する伝統的な考え方もこの延長線上にあります。

それは心の奥底に根を張っているため、容易に変質しないのです。

日本の伝統的な歌い方をすると気持ちがよいです。

それは、自身の血の中に流れる、古くからの音感と共鳴するからであります。

大陸渡来の楽器で日本の歌をなぞろうとしても、出ない音があります。

普通は、音程変更の容易な歌の方が、楽器の音程に合わせるが、日本の古人は、歌の音の方を大事にしたのです。

日本の音楽の主軸にあるのは「声」なのです。

声を伴わない器楽というのは伝統音楽の全体数から見ると、ごく少数です。

日本伝統音楽で愛用されてきた楽器の多くは、基本的には、器楽ではなく「声の音楽」の系譜に属します。

アカペラで歌われ、ここに大陸渡来の楽器の伴奏が加わっていくわけです。

どうしてこうなるかと言えば、雅楽の成立過程が関係しているのです。

雅楽の中の、ひとつのジャンルに国風歌舞(くにぶりのうたまい)というのがあります。

国風歌舞は、神楽(かぐら)歌、久米(くめ)歌、東遊(あずまあそび) など、古くから日本にある「土着の歌」とでも言うべきものです。

雅楽自体は、中国・インド・ベトナム方面や朝鮮・渤海(ぼっかい)系のものを、日本人の音感に合わせ、日本風にまとめたものです。

日本における外来音楽の最初の記録は、天皇の崩御に際し、新羅から楽人80名がやって来たという453年の記録だといわれます。

 雅楽とは、今も保存されている「アジア諸国の古楽」の、いわば音の正倉院のような存在なのですね。

今では、日本の伝統音楽と言っても良い存在になっていますけどね。

 雅楽と言えば、東儀氏ですね。

東儀氏は、秦氏から分かれた一族です。

 新羅は、古代ローマの文物が多く出土しますね。

そして中国ではローマ帝国、特に東ローマ帝国を大秦国と呼びました。

 雅楽と秦氏のかかわりが深く、東儀氏はその中心をなしている。

 雅楽の始まりに、大秦と呼ばれた古代ローマ帝国の影響が強かった新羅の楽人が大きく関与している。

なにか、面白いものを感じますね。

 ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ南部の都市を中心に派生した音楽形式でしょ。

西洋楽器を用いた高度な西洋音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と音楽形式とが融合して生まれたと指摘されますね。

 西洋音楽とアフリカのリズムの融合。

古代ローマ帝国はヨーロッパとアフリカにまたがっていたから、古代ローマ帝国の音楽もまた、西洋音楽とアフリカのリズムの融合の地であったかも知れないですよ。

 新羅経由で、西洋音楽とアフリカのリズムの融合した音楽文化が日本に来ていたのでしょうか。

大秦帝国と秦氏の繋がりを想像するのは楽しいけど、話を戻しましょう。

日本の伝統歌曲が、大陸渡来の楽器で伴奏されるわけだから、当然、音の合わないところが出てきます。

笛系の楽器は、弦楽器のように弦の張り具合を変え、微妙に調子を変えるという融通がきかないため、普通は歌の音程の方を楽器に合わせます。

 打楽器も、チューニング出来ますよ。

天然の皮製の場合、下手にやると破けるリスクはありますけどね。

しかし、日本の古人は違っていました。

日本の古人は、絶対に歌の音程を変えようとしないのであります。

その結果、旋律をなぞる楽器の音と声の音が、半音で衝突しながら進行するところが出てきたりします。

歌の旋律線をなぞろうと楽器ががんばるが、楽器が旋律を同じ音でなぞれる部分と、近似値でとどまる部分が出てきます。

大陸渡来の楽器で、歌の音程を出せないところがあるからです。

それでも、日本人は渡来楽器を使い続けました。

楽器は、肉声では出しえない音色で、言霊表現に参加したのです。

歌と半音ずれてしまう楽器に対し「できる範囲でこちらの声についておいで」といった感じで歌が楽器を悠然と先導です。

絶対に歌の音程は、変えないです。

肉声が音楽の柱となり、楽器は言ってみればバックコーラス的立ち位置で歌に合流するわけです。

これが日本の美意識です。

伴奏楽器の発するメロディーラインに対し、半音ずれて歌うというのはとても難しいです。

普通は、歌の方が、楽器の音程の方に引っ張られ、楽器の音程に同化していくのです。

だが、日本の古人は、古くから伝わっている日本古来の歌の音程を絶対に変えようとしなかったのであります。

それができたのは、楽器が伴奏だったからではない、楽器も歌っていたのです。

 日本にコーラスがなかったのではないのですね。

声と楽器によるコーラスだったのです。

澄んだ響きが、ところどころ混沌とした響きに濁る部分があります。

こうした部分は、声の音と楽器の音が約半音で衝突しているところです。

楽器の音色の参加で生じた清濁こそ、声楽だけでは出しえない世界です。

濁と清、動と静、混沌と秩序、苦と楽、など世界は相補い相反する事物が混在しています。

楽器は肉声だけでは表現しきれなかった世界の姿を、写し取るための相方として受け入れられたのです。 

日本人にとって楽器とは、共に歌う仲間だったのではないでしょうか。

コーラスでパート分けがあるように、日本人は楽器とパート分けして歌ってきました。

水墨画は赤や青の色が混ざろうとも、水墨画です。

 墨で描くだけでは、水墨画ではないでしょ。

墨の線だけで描くのは墨絵、ぼかしによる面の表現が加わると水墨画と、区別されています。

赤や青の色は色としてではなく、墨の仲間として参加しています。

 墨に五彩ありというけれど、墨だけで出し切れない色として、赤や青は参加してるのですね。

楽器も肉声で出し切れない音色で参加したのです。 

楽器も日本音楽では、声として参加しました。

日本に欧米的な意味での器楽が発展しなかったのは、日本の器楽はコーラスの一形態として発展したといえます。

雅楽もまた、器楽にして器楽にあらずです。

雅楽もまた、アカペラコーラスの一種として発展したのです。

日本の器楽は伴奏のようで、伴奏がないです。 

日本の音楽では、肉声と楽器の境がないです。

声は声とも楽器ともセッションし、楽器は楽器とも声ともセッションします。

だから、日本の音楽には声の掛け合いだけが存在します。

まさに、声と楽器の渾然一体のセッションこそ、日本音楽の精髄です。

日本人の多くがジャズが好きなのも、むべなるかなです。

ジャズは、誕生の時、欧米の音楽文化にとっては前衛だったのだろうです。

西洋式の正しい歌い方は、まず出だしの音の正確さ、そして音の高さがまっすぐ伸び、音が上下に震えたりしないです。

地声は厳禁です。

だが、ジャズは自由奔放に音が歌い踊り対話し合います。

型にはまった当時の西欧音楽の概念を打ち壊したのです。

これこそ現代だ前衛だと持て囃されたものの多くは、すぐに陳腐化しました。

だが、ジャズは単なる前衛音楽から、欧米の音楽シーンの定番ジャンルの一つに定着しました。

それは、ジャズが欧米には新しかったとしても、長い歴史を持った音楽文化の流れにとっては新展開でしかなかったことによるのです。

日本の伝統芸術が、欧米にとって前衛です。

そう言えば、日本から包装紙として渡った浮世絵が欧州画壇にカルチャーショックを与えました。

日本の伝統音楽も、欧米から見たら衝撃的でカルチャーショックでした。

能が欧米人から見て前衛芸術なのもまた、無理からぬことです。

ジャズは、日本人にとって新参者でありながら素直に受け入れられたのは、底流を共有していたからでしょう。

日本人は、ある音を発声するとき、まず目的音より少し低めの音を発し、そこから徐々にずり上げて目的音に達するという方法をとります。

そして目的音に達すると、今度は音程を微妙に上下に揺り動かすという、いわゆるコブシをきかせ、地声で朗々と歌い上げます。

さらにリズムは伸縮自在でグラグラしています。

これは、どこかジャズのスィングに近いです。

「響き」といった、感性の領域に属するものは、言語や食事文化よりも基層にあるため、他の文化要素と比べて変化しにくいというです。

千年以上も、かたくなに古くからの歌の音感を守り通してきた日本人は、こうした特徴がきわめて強固であるといえます。

その日本の感性が、どこかジャズと響き合うのです。

なにか、興味がそそられますね。

 ふと、トランペットと尺八の音色に似てると感じたら、ミュージシャンの中にも、そう感じる人は居るようです。

そういえば、歌口から管尻までの長さはフルートと尺八が約60cm、音の高さもフルートと尺八はほぼ同じと言います。

 フルートの音色は、吹き方によってはまるで尺八のようになりますよね。

これも、面白いですね。

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成人T細胞白血病がみせる意外な繋がり。

病気でルーツを辿って行く方法があります。

病気の感染経路が限られているからです。

そのため民族のルーツを辿る研究に利用されています。

これまでにも家族性地中海熱や家族性アイルランド熱、高IgD症候群、クローン病などみてきました。

 これまで見てきたのは、いずれも遺伝性疾患で、日本とヨーロッパの意外な繋がりの深さが見えましたね。

今回は、ウイルス性疾患を取り上げて見ます。

成人T細胞白血病(ATL, Adult T-cell leukemiaまたはleukemia/lymphoma)は、腫瘍ウイルスであるHTLV-1感染を原因とする白血病、もしくは悪性リンパ腫です。

1976年(昭和51年)に高月清らによって発見、命名されました。

HTLV‐1感染者を、HTLV‐1キャリアといいます。

日本ではHTLV-Iキャリアのうち、毎年600-700人程度が病型は問わずATLを発症しているそうです。

キャリアの生涯を通しての発症危険率は、2-6%であるといいます。

キャリアの診断は、抗体検査によります。

臨床的に白血病、リンパ腫を疑った場合のATL 診断は、抗体陽性、血液像、HTLV‐1 感染細胞の単クローン性増殖を調べるSouthern blotting(サザンブロッティング)によります。

単一の細胞に由来することを、単クローン性といいます。

Southern blottingとは、Edwin Southernが考案した、DNAを同定するための手法です。

この手法により、異なる塩基配列を持つさまざまな二重螺旋(らせん) のDNAの混合溶液から、ある特定の塩基配列を持つ分子が存在するかどうかを確かめることが可能です。

進行ATL の患者では、LDH,sIL‐ 2R, Ca ++が上昇するといいます。

一部には、かなり早期から免疫不全の兆候を認めるそうです。

HTLV-1キャリアは、日本全国で100万以上いるとされます。

また、日本人におけるHTLV-Iの陽性率は、献血者を対象とする結果から0.32%と推定されています。

日本におけるATLによる年間死亡者数は約1,000人であり、1998年(平成10年)以降の10年間に減少傾向はみられていないそうです。

日本では、アイヌ人や琉球民族にキャリアが多いのです。

感染者の分布は、九州・沖縄に編在しているといいます。

例えば東京都におけるHTLV-1の陽性率が0.15%と低率であるのに対して、全国で最も陽性率が高い鹿児島県では1.95%と、住民の約50人に一人がHTLV-1キャリアとなっています。

沖縄、鹿児島、宮崎、長崎各県のキャリア率は約5%で、世界的にみても最もHTLV‐1地域集積性が強いといいます。

陽性率がキャリア率に対して低いのは、陽性が医学の検査などで、ある刺激に対して反応がはっきり現れることだからです。

ある刺激に対して反応がはっきり現れない陰性であっても、キャリアである場合も当然あるわけです。

 どのウィルスに対しても陰性と出ても、感染してないわけじゃないから、要注意。

そういうことですね。

これらの人口は日本全国の約4.6%であるが、国内キャリアの1/3 を占めるそうです。

人口比約1%(約150 万人)の長崎県では、全国平均の10 倍、年間約70 例の発症と死亡が確認されると言います。

これは、他のすべての白血病とリンパ腫の合計に匹敵する数値だそうです。

大都市ではキャリアの多くは感染者が多い地域の出身者の子孫で、そこでの率は低いが絶対数は全国の約半数だそうです。

原因ウイルスであるHTLV-Iの感染者は日本、特に九州に多く、他にはカリブ海沿岸諸国、中央アフリカ、北米、南米、オーストラリアなどに感染者がみられます。

そのため、成人T細胞白血病(ATL)患者もこれらの地域に多くみられるが、不思議な事にアジアには存在しないのです。

若干の例外を除いては…。

この地域の人々と日本の先住民は母乳で繋がっているのです。

 縄文人と南北アメリカ大陸の関わりの深さは、遺伝子レベルでも確認されてきたし、縄文土器でも裏打ちされてきたけれど、今度はウイルス性疾患ですか。

 アフリカもかかわっている辺りが、興味惹かれますね。

意外なのは、現在確認されているアフリカの国の名前です。

南アフリカ、タンザニア、ケニア、ウガンダ、ザイール、スーダンなどです。

北米ではアラスカを含むアメリカ合衆国、南米では、ジャマイカ、バルバドス、マルティク、トリニダッド、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ギアナ。

オセアニアでは、オーストラリアのアボリジニ、パプアニューギニア。

アジアでは、日本のアイヌや琉球とその子孫、台湾、インドのマドラス地方。

ヨーロッパでは、北欧のラップ人。

 地中海世界が見えないのは、確かに意外…。

 アフリカとアメリカとなると、オルメカヘッドを残した人達も気になりますね。

 日本にもオルメカヘッドに似た顔の人も居るので、アフリカからアメリカ経由で日本の可能性もあり得ますね。

アフリカ由来の日本人、探る必要はありそうですね。

エジプトなど中東以外のアフリカとも、何かありそうです。

成人T細胞白血病(ATL)は、幼少時に母乳を介し母親から感染したhuman T‐lymphotropic virus type 1(HTLV‐1)キャリアにのみ発症すると指摘されます。

ほかには、性交の際の精液に含まれるリンパ球を通じての男性から女性への感染も確認されています。

個体内でのHTLV-1増殖の場は、主にリンパ節であると考えられています。

リンパ節で増殖したATL細胞が血液中に流出すると、特徴的なATL細胞が末梢血で見られるようになるわけですね。

リンパ球は血液中にも含まれるので、輸血が感染経路になる場合もあります。

 それで、献血者を対象とする結果から0.32%と推定…。

そういうことですね。

我が国では1987年に輸血用血液のスクリーニングが導入されて以来、輸血感染は消滅しているといいます。

 でも、外国では…。

どうなんでしょうね。

ATLはHTLV‐ 1キャリアに5~10%の頻度で発症し、2年以内にほとんど死亡するというから、発症するとかなり厄介ですね。

ATLの治療は依然としてはかばかしくなく、ATLの予防には感染予防が最善の方法と思われるそうです。

 キャリアとわかったら、人工栄養で育てなさいと…。

キャリアの母親による母乳保育が継続された場合、子供の約20%がキャリア化するとされます。

一方、これを人工栄養へ切り替えることによって母子感染はほぼ防げるといいます。

 母子感染は、ほぼ防げるということは。

出産時の感染の可能性もあるにはあるが、人工栄養児のATL発症率は0.2%未満というので、計画的帝王切開の適応はないそうです。

 男性の場合は、人工授精ができれば好ましい。

そういうことでしょうね。

まあ、リンパ球であって精子ではないので、母子感染の予防でかなり子供への感染はかなりの程度防げるようです。

感染から発症までの期間が非常に長いため、成人で初感染した場合は発症せずに寿命を迎えることがほとんどだといいます。

ATL は、幼少時に母乳を介し母親から感染したHTLV‐1 キャリアにのみ発症すると見られています。

それは、感染から発症までの期間が非常に長いためです。

近年、60から70歳代の患者が最も多いそうですから。

 なるほど、それじゃ成人で感染しても大半は発症前に寿命が来ますね。

成人感染の確証があるATL例は、白血病の治療、移植など高度の免疫不全症例しかないそうです。

CD4 + T感染細胞が数種類の突然変異で腫瘍化し、単クローン性に増殖したのがATLです。

単クローン増殖までの突然変異集積の機構は、今現在の時点では不明です。

TSP/HAMやぶどう膜炎などの自己免疫性疾患は慢性に経過し、それ自体致命的になることは比較的少ないといいます。

TSP/HAMすなわち熱帯性痙性麻痺/HTLV-1関連脊髄症は、徐々に進行する脊髄の病気で、原因はヒトT細胞白血病ウイルス1(HTLV-1)です。

ぶどう膜炎は、眼球全体を包み込むよう広がっているぶどう膜つまり虹彩や毛様体や脈絡膜に炎症を起こす疾患です。

虹彩や毛様体や脈絡膜の組織は眼球全体を覆っているために形は球形で、血管やメラノサイトが豊富で色もぶどうの実に似ていることから、ぶどう膜と呼ばれています。

これら症状に深入りすると、先に進まないので、話を進めます。

自己免疫性疾患は成人感染によっても発症するが、生涯発生率はATL より少ないそうです。

 成人は発症前に寿命になることが多いからと言って、子供への感染は防がないといけないでしょ。

もちろんですとも。

感染経路は限られているので、予防さえできれば、キャリア率はかなり下げられるそうですよ。

なお、全国のキャリア数は約100万人、ATL発症数は年間約700例といわれます。

発症の原因はすでに触れたように、HTLV-I感染であり、独自の形態をもつ異型リンパ球(CD4陽性リンパ球)の、腫瘍です。

腫瘍の発生は、単クローン性増殖による発生がほとんどで、1個の細胞の異常分裂による、単中心性発生が多いそうです。

ヒトレトロウイルスHTLV‐1は逆転写後DNAとなり、CD4 +T細胞の遺伝子DNA に組み込まれ、プロウイルスとなります。

プロウイルスとは、レトロウイルスにおいて宿主ゲノムDNAに組み込まれた状態で、RNAに転写される前にあることです。

プロウイルス遺伝子は発現し、体内で二次感染を生ずるため感染細胞は多クローン性です。

 二次感染で、単一の細胞に由来する単クローン性から複数の細胞に由来する多クローン性になる。

そういうことでしょうね。

不死化感染細胞の大部分は、ウイルス遺伝子発現をしないそうです。

無限増殖もせず、腫瘍細胞でもないといいます。

Tax蛋白による多彩な細胞遺伝子発現制御異常で、感染細胞は不死化するというからやっかいですね。

ごく一部の細胞は遺伝子発現し、宿主に抗原刺激を行い、キャリアの診断マーカー、抗体を維持することになります。

免疫監視機構は、抗原発現細胞を速やかに排除するが、感染細胞は生涯消えないといいます。

 HTLV-1の発癌機構としては、どのように見られているかです。

母乳中のHTLV-1感染リンパ球が乳児の消化管内で乳児のリンパ球に接触することで、HTLV-1は新たに感染することができるとみられるそうです。

レトロウイルスであるため、リンパ球DNAに組み込まれ、ウイルスの再生産を行います。

HTLV-1のp40 taxは宿主細胞のIL-2レセプター遺伝子などを活性化し、その分裂増殖を引き起こすのです。

こうして無限増殖を繰り返す宿主細胞がその過程でなんらかのエラーをおこし、形質転換をおこし、ATLを発症すると考えられています。

ATLの臨床経過は多彩であり、以下のような4つの病型と1つの病態が知られています。

病型

急性型
リンパ腫型
慢性型
くすぶり型

病態

急性転化

この診断基準は、消去法にて定義されています。

急性型の病態が最も多彩であり、定義しにくい反面、くすぶり型、慢性型、リンパ腫型はそれぞれの特徴が比較的明確であるといいます。

基本的には定義しやすいくすぶり型、慢性型、リンパ腫型でなければ急性型と考えるわけです。

予後不良因子としては、年齢、パフォーマンスステータス、総病変数、高カルシウム血症、高LDH血症があげられるそうです。

予後不良因子を持たないくすぶり型と慢性型では化学療法がむしろ免疫不全を助長し、感染症合併の要因になるため、原則として経過観察とするといいます。

急性型、リンパ腫型では極めて予後不良であるため、ただちに加療する必要があります。

急性化すると極めて予後不良です。

急性型と診断された患者の生存期間中央値は、1年未満であるというから治療は短期決戦になるでしょうね。

 治療はどうなっていますか。

CHOP療法が選択されるが、再発、薬剤耐性化が多い。若年発症では造血幹細胞移植も試みられている。

成人T細胞白血病自体への治療としては、急性白血病と同様、寛解導入療法後の造血幹細胞移植が検討されているそうです。

寛解導入療法としてはCHOP療法やLSG15といった化学療法を用い、造血幹細胞移植は一般的な前処置を用いた同種骨髄移植が考えられているそうです。

一般に急性型、リンパ腫型、予後不良因子を有する慢性型が治療対象となり、一般的にaggressive lymphomaに準じた治療法が選択されるといいます。

名前のとおりT細胞性でありCD20陰性のため、CHOP療法が選択されるそうです。

予後不良因子を持たない慢性型やくすぶり型ならば、経過観察となるようですね。

ATLは初回から薬剤耐性を示すことが少なくなく、標準的な治療法が未だに確立していないそうです。

CHOP療法によって1stCR(完全寛解)を得る症例が近年増えているが、再発が多いようです。

再発例は薬剤耐性があるためペントスタチンや造血幹細胞移植、CCR4抗体、CD52抗体、ジドブジン、インターフェロンαといった治療法が現在研究中であるといいます。

 合併症への治療としては、どうでしょう。

高カルシウム血症に対しては、ビスホスホネート製剤、大量補液、利尿剤、カルシトニン製剤が有効とみられるようです。

日和見感染症に対しては、抗生剤などを投与するといいます。

1970年代の日本の白血病、リンパ腫の論文ではいくつかの興味深い症例報告をみることができるそうです。

西南日本に予後不良の悪性リンパ腫が多いこと、家族内発症が悪性リンパ腫にみられること、ホジキン病が南九州に多いこと、セザリー症候群や皮膚T細胞リンパ腫が九州に多いこと、リンパ腫から白血化し、急激に死にいたる症例が認められること、末梢血に核が分葉した奇妙な白血病細胞が認められることなどがあげられるといいます。

これらの多くは2008年(平成20年)現在の診断能力ではATLと診断されておかしくないものばかりであるが、腫瘍ウイルスが原因とわかったのは1980年代だそうです。

参考までに、このページを紹介しておきます。

成人T細胞白血病の治療を受ける
患者さん・ご家族へ
平成22 年度厚生労働科学研究費補助金 第3 次対がん総合戦略研究事業
「成人T細胞白血病のがん幹細胞の同定とそれを標的とした革新的予防・診断・治療法の確立」
患者さんやご家族が納得した治療を
受けていただくために
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou29/dl/atl.pdf

 アイヌや琉球民族の、思いがけない繋がりが見えてきました。

まあ、インドやオセアニアも、日本人のルーツ探しではしばしば話題に上りますからね。

北欧のラップ人は、北欧と日本の繋がりを解く鍵を握っていそうですね。

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