カザフ相撲。
カザフ相撲は民族の伝統競技で、本来は裸に帯というから裸に回しの日本の相撲に似ている。
日本の相撲の土俵は時代が下がってできたものなので、土俵のようなものがないカザフ相撲はむしろ原型に近い。
普及のために、道着を着用することも増えたと言うのは時代の流れか。
カザフ人は、中央アジア西北部のカザフステップに広がって居住するテュルク系民族だ。
カザフスタンにおよそ800万人が住んで同国人口の半数を占める他、中国の新疆ウイグル自治区北西部に約130万人が住む。
カザフ人のほとんどは元来遊牧民で、20世紀初頭までは人口のほとんどが遊牧生活を行っていた。
ソ連で1930年代に大規模な定住化が政策として行われた結果、現在は都市民・農耕民となっている。
カザフ人はおそらく15世紀にカザフという名前を使い始めた。
カザフ語またはカザック語の起源については、多くの理論がある。
テュルク語の動詞qaz(放浪者、山賊、放浪者、戦士、自由、独立)から来ている、あるいはテュルク祖語の*khasaq(カザフ人がパオや持ち物を運ぶために使う車輪付きの荷車)に由来すると推測する人もいる。
カザフ語の起源に関する別の説は、8世紀のチュルク語のウユクトゥランの記念碑で最初に言及された古代テュルク語のqazğaqに由来するというものだ。
歴史を通じて、カザフスタンは、サカス(スキタイの一族)、匈奴、西テュルク・ハン国、キメク・キプチャク連邦、モンゴル帝国、黄金の群れ、1465年に設立されたカザフ・ハン国など、ユーラシア草原の多くの遊牧民社会の本拠地だった。
テュルク系民族の正確な起源の場所は、多くの議論の的となってきた。
中央アジアに移住した中世初期のテュルク系民族は、古代北東アジア人と遺伝的親和性を示し、アムール地方の新石器時代の狩猟採集民の間で最大化された遺伝子プールから祖先の約62%を導き出していた。
また、イラン人、ウラル人、エニセイ人の人々との接触の証拠もあると言う。
カザフ語は19世紀半ばまでアラビア文字で書かれていたが、イスラム教徒のマドラサ出身の多くの教養あるカザフスタンの詩人がロシアに対する反乱を引き起こした。
ロシアの対応は、世俗的な学校を設立しキリル文字でカザフ語を書く方法を考案することだったが、これは広く受け入れられなかった。
1917年までに、カザフスタンのアラビア文字は学校や地方自治体にも再導入された。
1927年、カザフスタンの民族主義運動がソビエト連邦に対抗して勃発したが、すぐに鎮圧された。
その結果、カザフ語を書くためのアラビア文字は禁止され、ラテンアルファベットが新しい書記体系として課された。
カザフ人をロシア化するために、1940年にソビエトの介入主義者によってラテンアルファベットがキリル文字に置き換えられた。現在、ラテン文字に戻す取り組みが行われており、2021年1月には政府がラテン文字に切り替える計画を発表した。
いろいろ変遷があったが、19世紀半ばまでアラビア文字で書かれたと言うのは興味深い。
カザフ人は複数の起源を持つ民族だが、カザフ人のすべてのサンプルにおいて、ハプログループDは主に北東アジア人、日本人、沖縄人、韓国人、満州人、モンゴル人、漢民族、チベット人などに見られるが、最も頻繁に観察されそれらのカザフ人のほぼすべてがD4サブクレードに属している。
2番目に多いハプログループは、Hで主にヨーロッパ人、またはCで主に先住民のシベリア人だが、南北アメリカ、東アジア、北ヨーロッパと東ヨーロッパにいくつかの分岐がある。
以上は主にミトコンドリアDNAで判明した母方の系譜だが、父方はカザフ人でもアルタイ系カザフ人では異なる結果が出ている。
カザフ人の主な父方の血統は、それぞれC(66.7と59.5%)、O(9と26%)、N(2と0%)、J(4と0%)、R(9と1%)となり、NやJやRではアルタイ系カザフ人がほとんどないのが目立っている。
カザフ相撲が相撲の原型に近いということは、様々な系統が入ったとはいえ彼らの起源が中東に近いことを物語る。
ミトコンドリアDNAに日本やチベットと共通の遺伝子が見られることも、それを裏付けるだろう。
カザフ相撲から、面白いことになってきた。




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